オーストラリア編
オーストラリアについて最初に書いておきたいのは、何年住んでも「オーストラリアとは」や「オーストラリア人とは」と、一つに束ねて論じることが出来ないということです。 本当に多くの民族が集まって国を形成しているこの国では、同じオーストラリア人といっても千差万別、習慣、文化何から何までものすごいバリエーションが存在します。 体つきでも金髪青い目から、黒いの、黄色いの、東欧系、中近東系、東洋系と(アボリジニーという原住民もいます)きりがありません。 体の大きさも千差万別、エレベーターに乗って周りを見渡すと、僕の親父より小さい(彼は160センチありません)男性も結構いたり、日本ではめったに見ないような180センチは軽く超えているような女性は珍しくないしで、この国の人種の幅の大きさを感じます。
ですからここではなるべくその辺を注意して、それぞれのバックグラウンドも含めて、書いていきたいと思っています。
結婚式(アングロサクソン系?)
このオーストラリア編には少々前書きを入れたかったのですが、3月10日の姪の結婚式のことを書こうと思ったら適当なページが無いので、ここに入れることにしました。 姪(親戚)だから家族の方に書いても良かったのですが。
日記の方の回答から書きます。もうご存知の方もいると思いますが、花嫁のガーターです。 何でこんなおじさんが貰って来てしまったのでしょう? 自分でも良く分かりません。 これについては後述します。
今回呼ばれた結婚式は、かなり伝統的でした。 西欧の結婚式というイメージを絵に描いたような。
参列者は100人少々、僕以外は全員アングロサクソン系という雰囲気です。 教会も伝統ある有名なところだし、披露宴もオーストラリアクラブという、WASP以外は入れてやらないぞーって言う雰囲気プンプンのところでした。 特にその会場を自分の顔で、一日貸切にした新郎の父は得意顔です。 そんなところですから、建物もやたら古いです。 エアコンもあまり効きません。 まだ残暑の残るメルボルンですから、かなりきついです。 宴も進みかなり酒も入って暑いので、上着を脱ぐ人もいますが、トイレなどに立つ場合でも、いちいち上着着用の事と、司会者が念を押しています。
僕が座ったテーブルの隣には、新郎の父の大親友夫婦(旦那は司会も勤めていた)がいました。 年は僕と似たようなものです。 色々と話がはずみ、教会での牧師の話になりました。 教会で新郎新婦を前にしてこの牧師はなかなかユニークな話をしていました。
1970年代前後に吹き荒れた反体制の波によって、オーストラリアでも「結婚」という制度そのものにも疑問視する動きが出てきました。 実は僕もその一人でした。 特に日本のコマーシャリズムにどっぷりつかった、非常に費用の掛かる結婚式というものには、おおいに疑問を感じたものでした。 今まさにそういう世代が親として、子供たちの結婚式に出席する時代になってきているのです。 その牧師はそのような世代の我々を意識してか、当時の考えがいかに間違っていたかというようなニュアンスの演説もしているのを聞いて僕は「おやっ」と思ったものでした。
1978年娘が生まれてくる直前にロンドンの区役所で、婚姻届をした僕らには、10人程度の友人たちだけが出席してくれました。 結婚式をしたいとは全く考えていなかったのですが、母親がオーストラリア人、父が日本人で、出生場所がロンドンという状況の場合、我々の籍が入っていないと、生まれてくる子供は、将来自分の望む国籍を取得できないのではないかと考えたのです。(これは後であまり関係ないと知るのですが)
家内の父も(母はすでに他界していました)わが両親も、ひどくがっかりしたようでした。 ですから僕の妹がその数年後に結婚した時には、わが両親は仇(かたき)取るがごとく伝統的で盛大な結婚式を妹のために行いました。
さて、姪の結婚式で僕の隣に座ったその女性の話に戻ります。 彼女はやはり僕と同じように、このような結婚式はやらなかったそうです。 当時の流行だったのかもしれません。 しかしわが娘が今回の結婚式に参加して、しきりに羨ましがる様を見ていても、また今度の姪達を見ていても、そういう親の元に育ったからこそ、逆に伝統的な結婚式を望んでいるのかも知れません。
さて最後にこのガーターですが、披露宴も終盤を迎え、かなり盛り上がってくる頃に、花嫁は式で使ったブーケを後ろ向きで投げます。 式に参加した未婚の女性たちは争うようにそのブーケを受け取ります。 次に新郎は花嫁の長いウエディィングドレスの中に頭を入れて、手ではなく「口で」そのガーターを花嫁の太ももからはずし、やはり投げます。 今度は未婚の男性たちが受け取るのですが、今回なぜか(本当に偶然なのですが)花嫁の弟に投げたガーターが飛んでいき、全くキャッチする気も無かった彼の頭の上に落ちたのです。 彼はすごくシャイな上に、自分の実の姉さんのつけていたガーターなんて、触るのもいやって感じです。 後で聞いたのですが、実は前日になってガーターがまだ用意されてないことに気がつき、最後の準備に忙しい家族は彼に買ってくるように言ったそうです。 どこに買いにいったのか知りませんが、とてもシャイな彼が一人でガーターを買いに行かなければならなかっただけでも、イマイマしく思っていた上に、受け取ろうともしてないのに、そのイマイマしいガーターがまた彼に戻ってきたのですから。 そこには100人近い参列者がいるというのに。 ですから彼はそのガーターをすぐに隣に立っていた僕の娘に渡しました。 娘は男性が受け取るべきものだと気がついて、今度は横にいた僕に渡します。 僕も困ってしまっていると、家内がこういうのは縁起物だからと、引き取り手のなくなったガーターをバッグの中にしまってしまいました。 やはり最初にすっと誰かの手に落ちていないと、回りまわったものを受け取る人もいなくなるようです。
そんなわけで昨晩シドニーに戻ってきて荷物を整理しているとそのガーターが出てきました。 それを見ながら、何でこんな習慣が出来たのか非常に不思議だとつくづく考え始めました。 どなたか知っている方がいたら教えてもらいたいものです。

物価 その1(日本人が暮らす場合の)
ここでちょっとオーストラリアの物価について書いてみたいと思います。
2001年3月19日現在の日本円に対する豪ドルは約60円ですので、そのレートで表示します。
オーストラリアに住みに来てまず感じるのは物価の低さなのですが、これは旅行者では実感が少ないかもしれません。
物価と言うとあまりにもカテゴリーが広いので、今回は食料品などスーパーマーケットでの価格に絞って書いてみたいと思います。
消費者物価と言うのはどういうものを選んで決めるのか良く知りませんが、スーパーに買い物に行って、日本より高いものを見たことはありません。 大体1ドルが100円の時代でさえ日本より安かったのですから、多少のインフレが進んでも、確実にすべてが安いと言えます。 ちなみにオーストラリア製のコシヒカリは10キロで1200円ほどでしょうか。 もう少し安い(これも日本米とほとんど変わらない)米だと10キロ750円くらいです。 このような例をあげていくときりが無いのですが、しかし魚介類はちょっと特殊で、日本に向けてかなりの量が輸出されるようになって、かなりの値上がりが始まりました。 また寿司の人気や、低脂肪低カロリーと言うイメージに助けられて、10年前と比べオーストラリアでの魚介類の消費増大も値上がりに拍車をかけています。
僕がオーストラリアに来た当時、マグロなどは刺身で食べる人は本当に一部の人に限られていたために、当時のレートでも1キロ、500円で売られていました。(100グラムではなく、1キロです。)
と言ってもいまだに日本よりは確実に安いのですが。
肉類は安くて当然と言うイメージがありますが、これも日本の牛肉自由化の影響は多少あるようです。 それでも、サーロインステーキ用が、1キロ800円前後、牛のひき肉が1キロ500円前後です。 日本でもお惣菜を買いにスーパーなどに行かないお父さんたちはこのような比較を書いてもピンとこない人も多いかも知れません。
そこで少々お父さんにも分かりやすい物の値段を書いてみます。
ビールは缶で375mlの場合、買う場所で非常に値段の差があります。 街のパブで缶ビールを一缶だけ買う(そこで飲むのではなく持ち帰る)と、約130円、酒屋で、24缶入りのカートンで買うと、一缶あたり75円くらいになります。
と、ここまで書いてあまりにも物価の安さを披露して、誤解されるといけませんので、少々大事なことを書いておきます。 日本人がこちらに住みに来て生活する場合、やはり日本食が基本になると言うのは分かるのですが、ほとんどを日本から直輸入のものを使おうとすると、ビックリするほど高くなります。 考え方にもよるのですが、どうしても日本のこのメーカーの物でなくては駄目と言うような人には、かなりの出費になると思います。
僕はほとんどのものを中国、韓国製、オーストラリア製、東南アジア製などのもので代用していますので、あまり気にならないのですが、母は来た当時そういう代用品に関しては、どういうものを選んで良いのか分からなかったために、パン粉からコンニャクとすべて日本からの直輸入品を買っていました。 同じようなオーストラリア製品と比べると、中には10倍くらいの価格差があるものがあります。
わが両親が二人だけで夕食を摂る時には、煮魚や塩焼きといった魚介類が主になるわけですが、結構大きなタイの尾頭付きより、箸休めのために、日本食料品店で買った漬物の方が、(その立派なタイよりですよ)高いと言うようなことはまれにあります。
この物価については続きを書きます。
禁煙
僕が1980年にオーストラリアに引っ越してきた当時、僕は一日2〜3箱ほどタバコを吸っていました。 住む家が見つかるまで、最初の数ヶ月は義理の父のところに居候していました。 そこはラシュカタスベイという、きれいな小さな入り江のまん前で、ロンドンで夜型人間だった僕は、そこに数ヶ月いたおかげで、朝型人間の楽しみを発見しました。 今考えてもおかしいほど180度生活が変わりました。 朝はジョッギングは始めるし、趣味は釣りという(まあ夜釣りというのも無いではないですが)超朝型のものになりました。 そこでの生活で、あまりにも喫煙するというのが、不便だと感じられたのです。 ちょうどオーストラリアに来てすぐにクリスマスで(夏のクリスマスです)メルボルンに住んでいる家内の姉さんたちもシドニーにホリデーに来ていて、ほとんど毎日皆でそろって夕食を取るのですが、僕以外全く喫煙者はいません。 当時義父は再婚していてフランス人の自分の娘ほど若い女房と、義父にとっては同年代というべき、そのフランス人の母親も遊びにきていて、毎晩大人数での晩餐になるのですが、誰一人吸わないどころか、当然のように灰皿さえありません。
吸いたかったら悪いけど外で吸って来てくれということになっていて、当時ヘビースモーカーだった僕は、デザートが出るころにはたまらず、外に行って吸ってはまた入ってくるという事をやっていました。 夏でしたからまだ良いのですが、雨が降っていても一人だけ庭に出て、雨をよけながら吸ってる自分が見えた時に、こうまでして吸うのは止めようと決断しました。
だいたいこんなにきれいな空気の都市に住んでいて、朝ジョッギングなどをして、おいしい空気を吸って喜んでいるのに、その後で、煙を吸っているのですから。
と、ここまで書くと皆さんはオーストラリア人が皆禁煙者だと思われるかもしれません。 ところが実はそうではないのです。 確かに日本と比べたら喫煙率は非常に低いかもしれませんが、当時僕が入会した地元の釣りクラブの集会に行ってビックリしました。 月に一回開かれるその月例報告会のようなミーティングはパブの2回の一室を借りてやるのですが、あまりのタバコの煙で(小さな部屋にぎっしりの参加者という理由もあるのですが)議事進行係の横の黒板の字が読みにくいほどのすごさです。
僕は当時迷いました。 なぜ自分の親戚関係やその友達は、ほぼ皆無といってよいほど喫煙者がいなくて、このフィッシングクラブに来る人達はヘビースモーカーなのか。
色々観察してみると、どうやらスモーカーとノンスモーカーではその人の環境が関係あるようです。 そのフィッシングクラブに所属する連中はほとんどがブルーカラーでした。 別にフィッシング好きが喫煙者というのではなく。
といいますのはそれから数年後に僕はもう一つのフィッシングクラブにも所属したのです。
そちらは、ものすごくスノッブで伝統ある(シドニーゲームフィッシングクラブといいます)、ワトソンズベイというところの公共のウォーフに立派なクラブハウスまで持っていて、入会はメンバー二人以上の紹介と、自分で25フィート以上のクルーザーを持っていなければならない、というような規則があるクラブでしたが、そこのミーティングに行くと ほとんど吸っていないのです。
そこの会員の職業を見てみると、自営業や医者、弁護士なんてのも結構います。
一方僕が最初に入ったクラブの人達は、ペンキ屋、じゅうたん屋、工員、店員など、いわゆるブルーカラー系の人達で、一番仲の良かった人はテレビのアンテナを取り付ける工事人でした。
そのように、100%までは行きませんが、オーストラリアでは喫煙者と非喫煙者の職業がビックリするほど別れています。
で、政治家などもほとんどタバコ吸いませんから禁煙のルールなどはどんどん作ってしまいます。 政治家だけではなく、日本ではタバコを吸う医者っていうのがいますが、オーストラリアで医者がタバコ吸っていたら、多分誰もその医者に行かないのではないかと思います。
オーストラリアの国内の空の便で全面禁煙にしたのは多分世界でも最初の方ですし、シドニー空港など多くの日本人も使用する公共の施設を全面禁煙にしたものかなり前です。 レストランも禁煙席が無ければライセンス降りませんし、近々全面禁煙になる予定です。
喫煙者の多くいる釣りクラブにはもう10年ほど行っていませんが、多分相変わらず黒板が見えないほど吸う人で一杯だと思うのですが、この喫煙者にとって悪夢というほどの国で(タバコの値段も異常に高い)相変わらず吸いつづけている人も(決して少なくない)すごいがんばりだと逆に感心してしまいます。
人種差別 その1
人種差別については書くことが山のようにあるので、(人種差別が山のように起こっているという意味ではありません)一応「その1」です。
またこの人種差別に対する意見は、イギリス時代の経験も含めてです。
僕は日記の方に書いたように、いつまでも心に残るような人種差別を受けた事は無いです。 この問題は非常に難しい問題ではあります。 また僕の娘は一応日本人(イエロー)の血が半分入っていますから、行っていた学校でイジメにあう可能性も考えたことは確かです。
日本はオーストラリアにとって敵国でした。 また白豪主義というので有名な国でもありました。
いまや多くの国からの移民で構成されているオーストラリアで、昔のような白豪主義は存在しません。 (ゼロになっていないのも確かです)
日本にいる皆さんに僕の言いたい事を理解していただくには、実例であげていった方が早いかもしれません。
ただし基本的に知っておいてもらい事を先に書きます。
オーストラリアといっても広い国です。 州(地域)によっても、また同じニューサウスウエールズ州に住んでいても場所での違いもあります。 どういう人達と付き合うかによっても、経験はかなり違ってくる事も確かです。
まず娘の行っていた学校から書きます。 場所はシドニーの中心地、かなりリベラルな雰囲気です。 宗教色も強くなく、父兄は中流以上といったところです。 学費は、シドニー(いや多分オーストラリア)で一番高い部類に入ると思います。確か、今年の授業料は年間14000ドルを越えていたと思います。 有名私立校ですから、海外からの留学も結構あり、留学生のほとんどは寄宿舎に入っています。 そこで教えているわが女房や、娘に聞いてみると、学校でのイジメというのはやはり(日本ほどでは有りませんが)有ります。 でもこれと人種差別というのは、あまり関係は有りません。 あまりと書いたのは、香港からの留学生で、あまり英語がうまくなく、学校内でも中国人だけで固まって(学校内でも友達同士でいる時は中国語を話して)いて、オーストラリア人の友達を作ろうとしない、また自分から飛び込んで行かない、というタイプはイジメの標的になりやすい事があるようです。 しかしオーストラリア人の子でも似たようなタイプはイジメに合いますから、人種差別とは違います。
この状況は全く日本と同じだといっていいでしょう。 僕が小学校に行っていた頃(ずいぶん昔ですな)、当時としては割と多くの台湾系などの中国人の同級生がいました。 その時代からイジメというのは存在しましたが、それは別に台湾系中国人に対してではなかったです。 はっきり言って全く人種差別的な事はありませんでした。 それは僕が行っていた小学校の教育方針にも関係があったかと思いますが、日本でも有名な高級住宅街にあったその小学校には、そこにぜひ通わせようと越境入学でずいぶん遠くからも通ってくる同級生が多かったです。 特に中国系の子弟はかなりのブルジュアがほとんどでした。
逆に、最近日本から来る若い人でも、「中国人や韓国人は嫌いだ」と全く自分が嫌いになる経験さえしたことないのに、一言で言い切ってしまう人が多いのに脅威さえ感じます。
さて、オーストラリアの話に戻ります。
語学学校などに留学で来ている日本人の若い人達と話すと、人種差別を受けたという話をたびたび聞きます。
これは同級生からというのではなく、毎日の生活の中での経験からの話です。 ところがよく聞いてみると、英語が出来ないための誤解や被害妄想から、日本人を差別している、日本人を馬鹿にしていると勝手に思い込んで、人種差別が、という話に発展しているケースも非常に多いです。
例えば「ジャップ」という言葉があります。 もちろん日本人に対する蔑称ともいえますが、その言葉を使うオーストラリア人の教育程度や、表現方法によって、本人に全く悪気も差別的な意味もなう使う時があるということです。
僕が昔所属していた地元の釣りクラブには、ブルーカラーのオーストラリア人ばかりの集まりでした。 僕が新メンバーとして皆に紹介されて以来、幾度か月例会に顔を出すようになった頃、同じメンバーのデイビッドというジイサンと話す機会がありました。 彼は戦争中ニューギニアでの日本軍との戦いでかなり打撃を受け、傷も負った経験がありました。 突然そのような話を持ち出して、盛んに「ジャップ」を連発します。 しかし、「それは過去の事だ、君は同じクラブのメンバーで、これから一緒に同じ釣りを楽しんでいこう」と言うのです。 彼は典型的なブルーカラー、多分中卒でしょう。 本当に口は悪いのですが、彼の心の中が良く見えて、たとえ「ジャップ」と連発しようが、悪意がないとはっきり分かります。
このじいさんだけでなく、そういったタイプが多く集まるこのクラブでは皆本当に良くしてくれました。 僕が1982年度のこのクラブの年間チャンピオンになった時にも、みんな本当に祝福してくれました。
普段は(釣り道具で日本製が多いのもあって)この竿は「ジャップ製」で結構良いとか「ジャップ」という言葉は飛び交っています。
つまり英語学校に来たばかりの英語力で、「ジャップ」と聞いただけで、差別されてると考えてしまうのも悲しいですな。
また、僕がこちらで「カート」のレースをやっていたのですが、ある時日本からの留学生の若い人がこちらでレースを始めました。 それまで日本人でオーストラリアで「カート」のレースやっている日本人は、僕しかいないと聞いていたので、その全国大会に出た時、彼と知り合って、他にも日本人がいる(州が違いましたが)と知ってビックリしました。
彼と色んな話をしている時に突然、「田邉さん、オーストラリア人って日本人を馬鹿にしてますよね」というのです。
実は、偶然彼がその話をする前に、オーストラリア人のレース仲間が僕のところに来てこう言いました。 「トム、彼の事知ってたの?」 いや、この大会で初めて会ったと言うと、「イヤー彼、日本でもレースの経験全く無いらしくて、こちらでレース始めたらしいのだが、もうメチャクチャな走りで、皆が危ないって思っている。 ラインの取り方とか全くセオリーも何もないから、皆が困ったって言っている。 出来たら同じ日本人同士だから、それとなく言ってくれたらたすかるんだけど。 彼にとっても怪我とかに繋がったらまずいから」というのです。
僕とは違うクラスで知らなかったのですが、彼の走り方は非常に危険で有名だというのです。
ですから、この日本人の子が僕に「オーストラリア人は日本人を、、、」と言い出した時に、「君は勘違いしてる、日本人だからという理由で馬鹿にしてるのではなく、君の走り方に批判が集中している」と言いたかったのですが、そこまで直接的に言うのも可哀想だったので、レース後一緒に飯を食っている時に、 「ラインの取り方とかで、他のドライバーからちょっと文句出てる見たい」と軽く触れたのですが、理解力のない彼は全然それさえもわかりません。
これも典型的な勘違い人種差別妄想の一例だと思います。
つまり日本にいても馬鹿にされるような行動を取っているのに、人種差別と結び付けてしまうという。
全く違う「勘違い」なのですが、もう一つ思い出に残る「差別?」を書きます。
甥が昨年日本から夏休みを利用して、英語の学校に短期留学に来ました。 短期間に英語を身につけようと、オーストラリア人の家庭にホームステイしながら、英語学校に通いたいというのです。
申し込んですぐ学校が始まり期間に余裕がなかったため、最初に紹介されたホームステイ先の家庭が、オーストラリア人の家庭ではなく,夕ご飯の時など、そこの家族同士で英語を話さないという問題があって、学校にホームステイ先の変更をお願いしまいした。
僕はすぐに良いところを見つけるには、ある程度妥協して、「絵に描いた」ようなファミリーではなくても(例えば両親に子供二人というような)たとえ一人暮らしのおばあさんのようなところの方が、おばあさんも時間はたっぷり有るだろうし、逆に二人だけになるのだから、喋るチャンスも多いのではないかといって、そのようなリクエストも入れました。
すぐに学校から連絡があり、ボンダイビーチのそばにおばあさん一人のホームステイ先があるというので、すぐに頼みました。
次の月曜日に引越しも終わって安心していると、直前になって学校を通して突然キャンセルしてきました。 理由は「日本人は置きたくない」と言うのです。 一瞬僕もこれは人種差別ではないかと考えました。 で、詳しく理由を聞いてみました。 皆さんはいったいどんな理由だったと思いますか?
答えは、「日本人は、鯨を殺して食べるような国民だから」です。 即座に僕は了解しました。 ちょうどその頃オーストラリアのパースというところで、世界捕鯨審議会(正式名は失念)が開かれていて、数少ない捕鯨賛成国の日本は、オーストラリアのマスコミの袋叩きに会っていました。 特にその時は日本から捕鯨賛成というプラカードを持ったオバサン連中まで連れて来て、パースの街をデモ行進までさせたりして、悪評で持ちきりでした。 その当時そのホームステイのおばあさんみたいな考え方を、持つ人はかなり多かったと思います。 僕も随分色んな所で議論を吹っかけられたり、とても仲の良かったオーストラリア人にまで皮肉を言われました。 この反響の大きさを考えれば、「日本人を置かない」という人がいても、何の不思議ではありません。
ところが日本から来たばかりの甥は、僕がこちらの事情を説明するまで、日本人に対する差別だと考えたのも無理はありません。
これもはっきり言って誤解の一つに入るでしょう。 なぜならそのおばあさんは、フィリピンからの子も中国人の学生も、過去にステイさせているのですから。
余談ですが、オーストラリア人(だけではなく欧米人も)の鯨に対する愛着(というのか、尊敬の念に近い)は、日本にいる日本人には、本当に理解できないほど強いものがあります。
続く