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2001年2月27〜3月前半
2001年2月27日
毎年この時季には孵ったばかりの鳥たちが飛び回っています。
そう、オーストラリアは今真夏なのです。
今のところに引っ越して来てもう14年目、今年はなぜかその鳥たちの中で、
とても人懐っこいのがいる。
今までの14年間で、これほど人間に近づいてくるヒナは初めて。
一週間前にHPを立ち上げて、毎日毎日モニターにらみながら四苦八苦して
いるおじさんにとってはふと庭の方に目をやると、餌を待っているこの鳥が
いて、心が和む。
さっそく女房はピーちゃんという、何ともいいかげんな名前を付けて、せっせと
餌付けをしている。
鳥の種類はMAGPIE(マグパイ)、雑誌のマガジンのマグと、食べ物のパイ
がくっついたような名前。
う〜ん、僕のプライベートのHPは、マグパイにしちゃおうかな、なんて考え始
めてます。
オーストラリアは野鳥の宝庫。
シドニーの都心から車で10分の我が家でも、数え切れないほ
どの野鳥が飛び回っています。
と、何やら日記のはずがオーストラリア紹介みたいになってし
まいました。
第一回目なのでこれで良いとするか。
2001年2月28日
今日も朝から、モニターとにらめっこ。 HPの改造は遅々として進まず。
日本の友人からのメールで、年老いた母親のために入れ歯を作る話
があった。
ボケてくると、的確に歯医者に噛み合わせなどの不都合を、伝えられな
いため、ぴったりの入れ歯を作るのは大変のこと。
全く僕と同じ環境に苦笑。 1月から母をつれて総入れ歯を作るために、
歯医者通い。 78歳の母は日によってかなり頭の回転が遅くなっている。
つまりボケているわけで、歯医者に痛いところを聞かれても、違うところを
言っていたり。
しかしこの歯医者さんそこまで分かってくれて、時間をかけて噛み合わせ
で不自然に当たるところなどは、丁寧に丁寧に削って、本人も全く新しく
作ったと感じないほどぴったりな入れ歯になったようです。
オーストラリアの歯医者さんのレベルはとても高い。そして仕事が速くて、
ものすごく(日本と比べると)安いです。
「うまい、はやい、やすい」って、なんだか牛丼屋の宣伝みたいだな。
まだロンドンに住んでる頃にオーストラリア出身の女房は、歯の治療が
必要になった時、わざわざオーストラリアの歯医者を探して行ったもの
です。
彼女はオーストラリアの歯医者に絶大な信頼を置いている。
たまたま我々が良い歯医者に当たっただけなのかも知れませんがね。
オーストラリアの医療レベルについてはこれも山ほど書きたいことがありま
すがそのうちに。
特に僕を長年にわたって苦しめていた、ピロリ菌(ヘリコバクターピロリ)
については必ず詳しく書きます。
2001年3月1日
昨晩、このページをアップした直後に、レース仲間から電話あり。
いきなり「Tom! 聞きました? Ryan
Briscoeのこと!」一瞬血の
気が引いた。 何しろ先日、Dale Earnhardtの事故のことがあった
ばかり。
ところが何と最高にうれしいニュース! 彼がトヨタのF-1チームと契約した
って言う じゃないですか。
いや〜、本当に本当ににうれしい。 トヨタさんありがとう。
詳しくは近日中に「趣味」の中の「モータースポーツ」で、書きます。
とにかく彼とJames Courtneyについては、何とかチャンスをって思って
いましたから。
早速電話をしたら、お祖母さんが出て、「契約の記者会見で、両親と一緒
にメルボルンに」とのこと。
そうですよね。 オーストラリアGPですよね。
イカンイカン、立ち上げたばかりのこのHPの製作に夢中で、ろくにテレビ
も見てなかった。
本日から日曜日まで、メルボルンはGP一色に染まっています。
2001年3月2日
実は昨日書く予定だったことが、ライアンのニュースで本日になってしまった。
このHPの本家、「お仕事のページ」のために写真取材に行ったのです。
そう、ウエッブ用にデジタルカメラです。
僕はGRANDEEという名前の御影(みかげ)石を日本に輸出しているわけ
ですが、製品ではなくラフブロック、つまり切り出されてきたままの原石を
扱っています。
カタマリの石のままでは、絵になりません。 そこでオーストラリアでこの石を
使った製品写真をと、シドニー郊外のMonavale(北へ30キロ)というところの
墓石屋さんを訪ねました。
アポを取ったときに、僕が日本人と知るといきなり「こんにちは!!」。
彼は高校生のときに日本へ(名古屋のセイジョウ高校)交換留学生で行って
いたとか。
オーストラリアには本当に多くの「”日本”体験者」がいます。
これはイギリス人と比べたら、雲泥の差です。 僕がロンドンに住んでいた
当時、日本に留学していたどころか、行ったことあるって言うイギリス人でさ
え、とても少なかった。
地図を見せて、どこが日本かすぐに当てられるイギリス人は、相当なインテ
リでした。
さて石の話に戻ります(話題が跳んでしまうのが悪い癖)。
僕の輸出している石は、濃いグレー色の御影石。 オーストラリアでも多く
が墓石に使われています。 ですから、イアンさんを訪ねたところは墓地で
した。
(この時撮影した写真は近日中にお仕事の方にアップする予定です。)
そこにある墓石群の中で、GRANDEEを使ったものを案内してもらったので
すが、すぐに見分けがつくようになりました。
それは輝きなのです。 まるで宣伝文句のようになってしまいますが、同じ
ようなダークグレー系の墓石が並ぶ中、やはり際立っています。
イアンさんの立場は、いわばこの石を買ってくれているお客さんなのですが、
まるで僕にこの石を売り込んでるように、素晴らしさを話してくれるのです。
おっと、ここは石の宣伝ページではないので、詳しくはそちらをご覧いただ
くとして、その時それぞれのお墓にまつわる話も(イアンサンのお父さんも
参加して)色々聞かせてもらい、一日があっという間に経ってしまいました。
中でも印象的だったのは、シドニーのマンリービーチにある有名なホテル、
マンリーパシッフィックホテルの創業者に関する話でした。
この創業者は、小さなフィッシュアンドチップス(魚のフライと、ポテトチップ
ス)の店から身を起こし、一代でこの有名なホテルのオーナーになった、
人物なのです。
そこでストーリーが終われば、素晴らしいサクセスストーリーなのですが、
富と名誉を手に入れた彼は、フィッシュアンドチップスの店を始めたときか
ら苦労を共にした女房の殺害を企てます。
「富と名誉には似合わない古女房」と彼が考えたのかもしれません。
彼に雇われた殺し屋は、強盗に扮し彼らが寝ている部屋に入って、
奥さんを殺してしまったのです。
その後殺し屋が捕まり、全てが明るみに出たのですが、それまでの有名
な立身出世の主人公が一転...と、偶然こちらのテレビでドラマ仕立て
で先週放送されたばかり。
最初にその墓地に到着して撮影した墓石が(そのときは全く何も知らない
で撮影後にイアンさんの説明で判明)その一族の墓とは。 そこにはこの
犯人の両親と息子、それにいまだ刑務所にいる本人が入る予定の墓が
並んでいました。
オーストラリアでは生前から自分用の墓を作っておく人もかなりいます。
いや〜、いろんなドラマがあるもんです。
2001年3月3日
3月3日、日本は「ひな祭り」 シドニーは「ゲイ祭り」
今日は、メルボルンではオーストラリアGPが、そしてここシドニーでは恒例
のゲイ マルディグラ(GAY MARDI GRAS)の日です。
シドニーは世界で2番目にゲイ人口が多い街だとか。 1番目はサンフラン
シスコあたりでしょうか。
ここ一週間ほど、繁華街ではゲイのカップルが闊歩しています。
僕が行くカフェーにも男同士のカップルがあちらこちらに。
ゲイマルディグラが近づいていることが分かります。
日本にいる皆さんはピンと来ないかもしれません。
もちろん日本にもゲイはいます。 しかしそのゲイの人たちの年に一度の
祭典のために世界からゲイが集まって来るその規模は、とても想像できな
いと思います。
皆さんの中にはそういうゲイのパレード(リオのカーニバルのような規模の)
が行われるのは、自由なオーストラリアの環境からだと思われる方も多い
と思います。
実はその逆なのです。 今でこそこのシドニーのあるニュー.サウス.ウエ
ールズ州はゲイに寛容になりましたが、いまだにタスマニア州などはゲイ
行為は法律で禁止されているのです。
考えても見てください、日本のゲイバーでカップルがデートしてると、警察
官が入ってきて「しょっ引いて」しまうというようなものです。
ですからこのお祭りも始まりは、ゲイ弾圧に反対する人たちのデモ行進
だったのです。
知識人や政治家など、ゲイムーブメントを支援する人たちも一緒にシド
ニーの街を行進したのです。 そのうち皆がゲイに寛容になり、オースト
ラリアもごく一部を除いて、弾圧は減っていきます。
そしてこのデモ行進も大きなお祭りへと変化していくのです。
このような大きな規模になると、ゲイではない人も(海外からも)見物に
来るようになっています。 もう立派なシドニーの一大イベントなのです。
観客数もオーストラリアGPの3倍は超えていると思います。
(今日のオーストラリアGPの観客数が予選日ですから約10万くらいだと
思いますが、ここは30万を超えます。)
私たちも毎年ではありませんが何度か見に行ったことがあります。
特に日本からその時期遊びに来ている人がいたら、必ず連れて行き
ます。 ひょっとしたらもう日本で、マルディグラ見学ツアーなんてのを始め
てるかもしれませんがね。
ほんとに面白いと思うのは、このように弾圧を受けると、逆に大きな動き
になるという事実です。僕はヌーディストキャンプ(ヌーディスト村というの
か)が、シドニー湾を囲むように点在するビーチに、いくつか存在するのも
同じような背景を感じます。
これも日本の皆さんには考えられないことだと思うのですが、1930年くら
いまで、オーストラリアでは男が(女性ではないですよ)胸(つまり乳首とい
うか)を露出して海水浴をしていると、逮捕されたのです。
日本では同じ1930年代にはフンドシで海に入っていたわけですが、
こっちでT-バックのようなフンドシで、海に入ろうものなら、「死刑!」
って言われてたかもしれません。
海水パンツ一ちょで泳いでいたら法律違反なのです。 そのような
法律というのはイギリスのビクトリア朝時代に出てきた道徳観がベース
になっています。
そのように法律で取り締まられた反動で、ヌーディストキャンプなどの動き
が加速します。
しかし、いまや別にヌーディストキャンプでなくても、ほとんどのビーチで、
女性がトップレスというのはあたりまえになっています。
と、これを書いていてふと僕は考えました。
日本のビーチではトップレス、つまりビキニの水着の上をつけていないと
いうか、そういう状態の女性が砂浜に寝転がってたりしましたっけ?
浦島太郎状態の僕は、どうなんだろうと考え始めてしまいました。
1980年にロンドンから移ってきた僕にとっても、ボンダイビーチや
マンリービーチで、当時20〜30%ほどの女性がトップレスで、砂浜に
横たわっているのを見るとギョッとしたものです。
(そのうちボンダイビーチの写真も写真館の方に入れましょう。
トップレスの女性の写真が入るかは確約できませんが。
このボンダイビーチは、アップルコンピューターの i-マックのブルー
カラーに、ボンダイブルーっていうのがありますが、それはここのこと
です。 ってそんなことみんな知ってるのかも)
2001年3月4日
ここのマスコット、マグパイのピーちゃんはすっかりうちのペット化し、
朝カーテンを開けると、すでに朝ご飯をもらいに庭で待っています。
どんなものでも食べるようですが、猫の餌であるビスケットのような乾き物
よりも、ひき肉のような生物には目が無いようで、すぐに寄って来て大喜
びで食べています。
本当に感心するのですが、一緒に生まれたと思われる仲間の鳥が遠く
から見ているだけなのに、このピーチャンだけは全く恐れを知りません。
今日は日曜日で、庭の芝刈りを始めたのですが、芝刈り機のエンジンの
けたたましい音に驚いて飛び去ってしまうだろうと思っていたら、なんと
ブンブンとうるさい芝刈り機の後ろを一緒について歩く始末。
良く見ていると、芝が刈られて短くなったので、地中にいるミミズなどを
捕まえやすくなったのです。
同じように生まれて、どうしてこの鳥だけがこれほど人懐っこいというか、
恐れを知らないのか不思議です。
メルボルンはどうにか天気がもって、なんとかオーストラリアGPは終了。
残念な事故(マーシャル)はありましたが。
マルディグラも昨晩どうにか雨にならずに無事終了したようです。
いまだにゲイにはそうとう反感を持っている人たちもいて、当日は雨が
降って、メチャクチャになることを祈っているという牧師がテレビに出て
たことがありました。 その牧師のせいではないでしょうがここ数年は
必ずマルディグラの日は天気が崩れます。
しかし夕方のパレードが始まる頃にはどうにか雨はやんでいるというの
は、今年だけでなく昨年も全く同じでした。 そういう時季なのでしょうが、
それにしてもシドニーとメルボルンの気候の違いは。
さすが国の大きさを感じさせられます。
2001年3月5日
今日は朝から、すっかりオーストラリアしてました。 こういう言い方は、
たまに皮肉をこめて申します。
我が家は屋根が平屋根、つまり屋上が平らになっています。
そこからシドニーの港を眺めると、オーストラリアトラリアに住んで良か
ったという感慨が沸きます。
ところがこの平らな屋根というのは困ったもので、住んで10年になる頃
から、雨が漏れるようになりました。
平屋根の宿命なのかもしれません。 そこで業者に来てもらい見積もり
を取り、工事の発注をしたのですが、いつまでたっても来ません。
ちょうどシドニーはオリンピック開催が決まった後、建設ラッシュが始ま
っていました。
いくらせかしても、何の返事もありません。 このようないい加減な会社に
頼んでもしょうがないのではと思い、こちらからキャンセルしました。
また最初から出直しです。 業者を探し、見積もりを取り、、、、と今度は
見積もりも送ってきません。 その間には、シドニーに100年に一度とい
うような、雹(ひょう)が降りシドニー市内を中心に大きな被害が出たりして
よけい人手不足が進みました。
とうとうオリンピックも終わって、今度こそということでまた見積もりを取っ
たら、なんと今度はビックリするほどの速攻で、いきなり明日から工事始
めちゃうって言うのです。
オーストラリアのペースにどっぷり浸かってしまっている僕は、どうせ来る
といっても、早くて来月だろうと、何も用意していませんでしたから大変です。
屋上に置いてあるものは、すべて降ろさなければならないのです。
たくさんの花の鉢から始まって、アウトドアー用の椅子、はてはテレビ
アンテナまではずさなければならないと気がついて、一日がつぶれてしま
いました。
この工事のために、工事監督が来ました。 なんと彼も日本にワーキング
ホリデーで行っていた事があるとか。 日本の恵比寿のイングリッシュ
クラブ(?)というレストランで働いていたとか。 やはり片言の日本語が
できます。 特にシドニーのような都市部に住んでいると、日本に行った
ことがあるというオーストラリア人は多く、片言でも日本語を理解できる人
もかなりいると思います。
ある時、日本からワーキングホリデーで来たばかりの若い男の子と一緒
にエレベーターに乗った時のことです。 中々エレベーターが来なかった
ためにかなり混み合いました。
偶然、かなり太ったオーストラリア人が入ろうとした時に彼が「こんなでっ
かいやつ乗れねーよー」と、つぶやきました。 まさか日本語ができるな
んて思ってもいません。 いきなりその太ったオーストラリア人が彼に向
かって「今何て言いました?」。 完全な日本語です。
イヤー、我々の行く階に着くのが遅く感じたことと言ったら。
2001年3月6日
オーストラリアの職人さんたちの朝は早いです。
今朝も7時には来て、門の外で待っていました。
だいたい工事は7時から始めるというのが普通です。 その分終わるのも早く、
午後3時にはみな引き上げて行きます。
とりあえず、一日職人さんたちがいるので、僕も出かけるわけには行きません。
これはHPのために一日使えると目論んでいました。 ところがこの目論見は
見事にはずれました。 朝メールのチェックをと、ネットに繋いで、頂いたメール
に目を通し、返事を書き始めた途端です、電気工事の人がすべての電源を
落としてくれました。
水道もガスも、止める前には言ってくれていたので、安心していたのですが、
甘すぎました。
僕は今までPCを使用中にいきなり電源を(元から)落とした経験はありません。
フリーズしてどうしようもなくなって、電源を押しつづけて強制終了した事は
ありましたが、それでもモニターにもモデムにも電源はちゃんと来ている状態
でやるわけですし、皆さんも御存知だと思いますが、無理やりスイッチを押し
て終了される場合でも、何秒間かは押し続けなければいけませんよね。
いきなりバスっと切るのとは違うのではないかと思うと、もうパニックです。
書きかけていたメールが飛んでしまうのは仕方がないとしても、システムに
何か不具合でも出るのではないかと気が気ではありません。
後から到着した電気工事人のお兄さんは、「アッ誰か中にいたの!誰も
住んでないのかと思った」なんて、思いっきりボケてくれます。
とりあえず、一時的に電源を入れてもらいPC立ち上げました。
運良く、何事もなかったように立ち上がってくれました。 WIN98ではこのよう
な終わり方をすると、スキャンが始まるのですが、WIN2Kはそんな事もなく
無事立ち上がってくれました。
もちろん書きかけのメールはなくなっていましたが、他に被害はないよう
です。
しかしすぐに工事再開ですから、また電源を落とさなければなりません。
今日は一日何も出来そうにありません。 イヤーもったいないです。
オーストラリアの場合、工事に限らず何か配達がある場合に、時間通りに
来たためしはありません。
イギリスでも似たようなものでしたから、オーストラリアが取り立ててどうの
こうのとは思いませんが、朝来ると言われて夕方まで来ないということも良く
あるわけで、そのために一日がつぶれてしまうというのが、耐えられない
のです。
これはいつまでたっても日本人根性が抜けきらないからだろうかと、自問
自答しています。 日本からオーストラリアに住みに来て一番最初に戸惑う
のが、こういうことかもしれません。
僕のような浦島太郎でもいまだに慣れない事の一つですから。
しかし最近は携帯電話の発達で、随分良くなってきてはいます。
3月7日
今日も朝から工事の人が来ています。 朝6時50分に門を開けといたら,
すでに外で待ってたようで、お仕事開始してます。
門は開けっ放しですし、当然誰かがいないと困るのですが、内の親は英語
ができませんから、僕が家にいなければならないのです。
幸い仕事はほとんど自宅からやっている身ですから、あまり困らないといって
も、やはりどうしても出かけなければならない事が出てきます。
数年前に、僕がどうしても出かけなくてはならず、来ていた工事の人に、親は
いますが、英語は出来ませんと断って出かけたことが有りました。
帰って来てみると、その日の作業が終わりかけていました。 やれやれです。
問題は無かったかと確かめるべく、工事監督に話し掛けると、皆さんニヤニヤ
笑いながら、「ノープロブレム」何事も無かったようです。
それにしても皆さんニヤニヤしていると思い聞いてみると、親父のことでした。
工事人の一人が、庭にある池をのぞいて、(日本の鯉がいます)この魚は何
だろうと思い、親父に聞いたそうです。 そこで親父はどんな行動に出たと
思いますか? 彼は何も答えずに家の中に入って行って、両手に一杯の
ミネラルウォーターの入ったボトルを出してきて、工事人の皆さんに配り始め
たのです。 工事人はあっけに取られましたが、せっかくだからと、皆で飲ん
だそうです。 それから皆はどうしてミネラルウォーターが出てきたか考えた
そうです。
どうしてだと思いますか? 工事人が鯉を指差して、魚の種類を聞いた時、
親父は池の水を指差して、(のどが渇いているから)水をくれと言ってると、
思ったのです。
母と違い、親父はいくら英語が分からなくても、「ソーリー、ノーイングリッシュ」
とは絶対に言いません。 言いたくないらしいです。
ですから、カンだけが頼りです。 ところが、親父は昔からトンチンカンで有名
な人でしたから、オーストラリアに来てからは、このようなことは日常茶飯事
です。
いや〜、笑い話だけですんでれば良いですけどね。
話は飛んでしまいましたが、僕は溜まっている銀行での支払いや、車検証の
発行手続きと、駆け回っていました。 オンラインが発達しているオーストラリア
では、出来る限り銀行に行って支払いのために長蛇の列に並ぶことは避けて
います。
しかし車検を発行してもらうには強制保険の支払いを先にしなければならず、
その領収書と検査証をそろえて、陸運局に行かないと車検証は発行してくれ
ません。 しぶしぶ僕は久しぶりに銀行の長蛇の列に並びました。
最近オーストラリアでは、合理化とオンライン化で、支店の数をどこの銀行も
減らしています。従業員の数もかなり減っているようです。
やっと銀行の支払いを終えて今度は陸運局です。 入り口の整理券を受け
取って、中に入って唖然! かなりの人が待っていますが、16ある窓口に
いる係員は3人です。
それも、運転免許を受けに来た人も、僕のように支払いに来た者も一緒です。
これは諦めるしかないと、カウンターの前にある椅子の腰掛けて、見ていま
した。 そのちょうど目の前のカウンターに、70歳くらいの老人が呼ばれて
いきました。 足が悪いのか、かなりゆっくりした足取りです。 どうやら免許
の更新のようです。 聞いていると、ほとんど英語ができません。
東ヨーロッパ出身と思われるその老人は、片言の英語で一生懸命何か言っ
ております。 どうやら免許の更新の時に義務付けられている視力検査で落
ちてしまったようです。 なぜかメガネを持って来るのを忘れたようです。
係員は残念だがメガネを持って来て、もう一度目の検査をしなければ、新しい
免許は発行できませんと、言っております。 どうもかなり目が悪いようで、
スレスレで受からせてあげる(オーストラリアの良いところは、何事にもアバウ
トですから、結構大目に見てくれたりします) わけにも行かないようです。
老人は家に忘れてきたメガネを取りに帰るといって立ち去りました。
そばで待っていた年老いた奥さんを伴って、彼らは出て行きました。
可哀想にと思って、彼らの姿を目で追っていると、何と!!!目の前に駐車
してあった車にその老人は乗り込んでるんです。 運転席です。 そのまま彼
は運転してメガネを取りにお帰りになりました。「オイオイ」
追記。 ここで書きたかったことを補足します。 オーストラリアでは、日本
ほど交通手段(バス、電車)が発達していませんので、当然車というのも重要
な交通手段のひとつです。
かなりの高齢者も日常の足にマイカーを運転されています。 本当にこの人
は運転出来るのだろうかと、心配になるほどの方も運転しているのですが、
これははっきり言って非常に、怖いです。 目の前の車が蛇行を始めたり、
急に速度を落としたり、というのは日常茶飯事で、右に方向指示器を出した
とたん、左折したりも珍しくありません。
後ろについている車はどのような人が運転しているか見えませんから、酔っ
払いなのか、高齢者なのか分からない事もあります。 追い越して初めて、
ものすごい歳の方が、ハンドルにしがみつくようにして、運転しているのを見
て納得したりします。
まあ最初からそのような方は亀のようなスピードで運転されていますから、
後ろに付いたら大体すぐに分かるんですけどね。 このようにあまりに高齢者
が運転をするので、この国では、地域限定免許というのも発行しているよう
です。
つまり自分の住んでいる近所に限って運転してよいというヤツです。
中々良いアイデアだと思うのですが、僕としてはもうひとつ進んで、高齢者
マークを車に表示するというのが良いと思うのですがね。
日本でも高齢化が進むと、このような事態が出てくるのではないかと思い
ます。
3月8日
今朝は朝からひと悶着。
実は明日の晩から家内と娘3人でメルボルンに行きます。 姪の結婚式の
ために2泊の予定。 行っている間、親にやってもらわなければならない事を、
確認しようとするも、ちんぷんかんぷん。 行っている間に犬の餌、猫の餌、
鯉の餌に、鯉の池にあるフィルター(ごみを取る)の掃除など。 土曜の朝、
日曜の朝、たった二日なので、忘れないように、と言うと「メルボルンに行く前
にやっていったら?」って言われてしまいました。
なんか勘違いしてます。 餌や掃除など、毎日の事を行く前にまとめてやって
いくことは出来ません。
最近母は、頭がはっきりしている日と、かなりボケている日が周期的に変わる
ようです。 つまり波があるわけです。 はっきりしている日は86歳の父よりも
マシなのですが、駄目な日はまるで僕の言うことを理解できないというのか、
間違って受け取ってしまうようです。 たった二日家を空けるだけなのですが、
なんとも心配です。
先週も作ってあった味噌汁を温めなおすと火にかけて、そのまま出かけて行
ってしまいました。 我々が気が付いた時には手遅れで、家中煙がまんえんし、
キッチンに入ろうとしたら、何も見えないような状態でした。
運良く(運が良いのか?)味噌汁の具は豆腐でしたから、なべの中には、真っ
黒なサイコロ状の「炭」がころがっていたのですが、臭いは二日ほどで取れました。
前に、海老をゆでたまま外出してくれた時には、中の海老は原形をとどめてい
ないだけでなく、その海老のこげた臭いは2週間ほど取れませんでしたから。
我が家の調理代は電気なので、過熱すると、ある程度電気が切れるように
なっているので、(しかし温度が少し下がるとまた加熱始めます)火事にはいた
りませんでしたが、このような年代の親を持つ者には、共通の悩みなのかも
しれません。
さてこのHPを立ち上げてからなぜか英語がスムーズに出てこなくなってきま
した。
どこかに書きましたが、僕の英語はいまだにちっともうまくないのに、よけい
ひどくなると、焦ってしまいます。 このHPのために、毎日毎日日本語で考え
ているからかもしれません。 屋根の工事している職人さんが、工事のことで
相談しに、いきなり僕の部屋に来ると、僕の口から出て来る英語が、スムーズ
ではありません。
ではいったい今まで、普段何語で考えて喋っていたのだろうと考え込んでしま
います。 このHPの更新を考えている時は、当然日本語なのですが、あまり
にもちゃんとした日本語を使わなかったために、書くことを間違えないようにと、
真剣になればなるほど、頭の中は日本語一色になっているようなのです。
娘にも文句を言われる始末。
彼女は僕と話す時は99%英語ですから、このHPを書いている時、突然後ろ
で何か言われても、聞き間違えたり。
昔、日本の有名なタレント(ハーフで、バイリンガル)が言っておりました。
英語、日本語、全く不自由ない彼女でも、自宅でパーティーを主催して、お客
さんをもてなす立場の場合、必ず日本人だけのパーティーと、英語でのパーテ
ィーとを別にするそうです。
つまり両方を一緒に呼ぶと、英語を喋れない日本人と、日本語が分からない
外国人との間にはさまれて、それこそ数分おきに日本語で喋ったり、英語に
切り替えたり。
それでなくても自分がもてなす立場は大変なのに、パーティーの後はグッタリ
してしまうそうです。 彼女のようなバイリンガルの方でもそうなのだと知って
少々安心しました。
ですから日本にいて、英語を身に付けようと頑張っているというのは、とても
大変なことなのです。 周りは日本語ばかりの環境で、とっさの時でもスムーズ
に英語が出てくるようになるには。
3月9日
昨日からどうもピーちゃんの姿が見えません。 家内は心配で、庭に出て呼ん
だりしております。
さて、今晩の便でメルボルンへ。 その前にどうしても書きたかったことがある
ので早めに書いてアップして行きます。
僕の自己紹介のところに、同窓会に出てみたいと書いたら、友人からメールで、
二つのサイトを教えてもらいました。
ひとつは「この指とまれ」 http://www.yubitoma.or.jp/ml
もうひとつは、「同窓ネット」 http://www.dousou.net/
早速「ユビトマ」の方に登録して、参加してみました。 ある程度覚悟してました
が、やはり若い人の参加が多いようです。 それでもこの同じ小学校に登録さ
れている方で、僕より年上が、数名いらっしゃいます。
いろいろな方の書き込みを見ていると、僕の小学校のオフィシャルサイトが
あることを発見。 早速そちらのサイトに飛んでみます。
すっかり忘れていた「青塔」というタイトル。 ウ〜ン、懐かしい。 その中には
内閣総理大臣、橋本龍太郎氏からのお便りなんてのもあります。
ぜんぜん知りませんでした、僕の先輩に元首相がいたなんて。
僕の「浦島太郎度」倍増です。
他にも前田武彦さんがHPを公開されています。 彼も先輩なんですね。
中をいろいろ見ていると、校舎の写真などもあって、懐かしさで一杯です。
しかし同期で運営されているHPは、僕の卒業年度のものではありません。
で、このオフィシャルページを管理されている方に、メールを送り、自分の同窓
の消息を知りたい趣旨を伝えると、今朝その方からのメールが届いていました。
そしてそのメールには同級生の名簿が付いていたのです。(管理人の山内様、
本当に感謝です!)
大感激です。 卒業してから40年、全くどうしているやらという人達の名簿が
(残念ながら不明となっている者もいますが)昨日の今日に、それも日本から
オーストラリアに届くのです。
IT革命万歳! インターネット万歳ですな。
メルボルンに行っている間はアップできません。 ノートPC抱えて行こうかなと
言ったら、家内にいい加減にしろと言われてしまいました。
帰って来てから、オーストラリアの結婚式についても書いてみます。
3月12日
昨晩メルボルンから帰ってきました。 イヤー疲れました。 特にパーティーが
苦手な僕には、結婚式から披露宴と8時間も続くとグッタリ。
シドニー出発からスムーズではなく、ろくに寝てなかったからよけいです。
シドニー出発は夜の8時半だったのですが、僕らのフライトが何とキャンセル。
それも出発時間30分も過ぎてから、欠航になったので、国際線に振り換える
というアナウンス。 なかなかやってくれます、カンタス航空さん。 シドニーの
空港は国内線と国際線では2キロは離れてます。 用意されたバスに乗って
国際線へ、結局出発したのは10時45分でした。
で、ふとやばいことに気がつきました。 このままメルボルンに着いても(1時間
ちょっと)夜中の12時過ぎてしまいそうです。 ということは予約したレンタカー
のカウンターは閉まってしまうのではないか。 また運良くレンタカー手に入れ
てもメルボルン市内に入るのは夜中の1時近くになってしまい、ホテルのチェッ
クイン(アパートメント形式のホテル)出来ないのではないか。
あせりまくりです。
この日は欠航がかなりあったためか、レンタカーの受付も待っていてくれてどう
にかセーフ、ホテルも空港から電話をして緊急用の番号を入手、そちらに掛け
ると、待っててくれるとの事。 無事チェックインを終えて、寝たのは2時近くに
なっていました。
結婚式については、オーストラリアの生活のページの方で詳しく書きますが、
朝11時に教会で始まった式の後、会場をメルボルン市内に移し、披露宴が
無事終了したのは、夜9時近くだったようです。 我々は7時近くには帰りまし
たが。 いくら会場一日貸切といえ、皆さんほんとにタフですな。

この写真は何でしょう。 答えはここに。
今日はもう月曜日、例によって工事人が朝7時前から来ています。 今朝は
メルボルンの疲れが出たのか、工事人のベルで起こされました。
3月13日
僕がオーストラリアに来てもう20年以上も経つというのに、いまだに「ああ、
オーストラリアに住んでいて良かったな」と感じさせてくれることがあります。
ひとつは毎朝愛犬の散歩に行く近くの公園を歩いている時。 Lyne Park
(ラインパーク) という公園はシドニー湾を一望するRose Bay(ローズベイ)
にあります。
たとえ雨が降っていても欠かさず行くその公園を歩いていると、絵葉書のよう
に美しいシドニー湾に浮かぶヨットや行き交う船、飛び回る鳥は、カモメは言う
に及ばず、大はペリカンから、極彩色のインコ、オウム、ワライカワセミときり
がありません。
毎日毎日、愛犬のハナを連れて、この公園に通うのは10年以上になるのに、
「オーストラリアに来たのは間違いではなかった」と思わせてくれます。
もうひとつオーストラリアに住んでよかったと感じさせてくれることが、道路
事情です。 東京生まれの僕は、渋滞の中で育ったようなものです。ロンドン
に移ってからも、道路の混雑は似たようなものでした。
ところがオーストラリアに来て、シドニーの都心のすぐそばに住んでいるのに、
ほとんど(日本人の感覚で言う)渋滞というものが存在しませんでした。
そうなんです、今過去形で書いたのはこの道路事情が変わりつつあるのです。
今日、都心へ車で出かけたのが9時半、もうラッシュアワーは過ぎているのに
大混雑、亀のような動きです。 事故でもあったのだろうと思っていたら、なんと
自然渋滞なのです。
実はシドニーオリンピックが決まり、徐々に交通が混雑し始めた時には、オリン
ピックのせいだと皆は考えていました。
ところがオリンピックが終わり、お決まりのように経済は冷え込み、仕事も減って、
失業率も増えているというのに、交通渋滞はオリンピック開催中と大して変わ
りません。
シドニー市の少ない予算では、この渋滞を解消するための、新しい道路建設
などなかなか望めません。(プランはあるらしいのですが)
このままでは、僕のオーストラリアお気に入りの一角が崩れそうで心配です。
(わが親に言わせるとこの渋滞も日本と比べたら、ゼーンゼーンということに
なりますが)
3月14日
ちょと前のことなのですが、ふと思い出したことがあります。 それは八百屋で
の出来事です。 オーストラリアの八百屋はほとんどがセルフサービスになって
います。 自分で欲しいものを好きなだけ袋に入れて、レジに行って支払うシス
テムです。 その日は日本風のカレーライスを作ろうかと一人で八百屋に行った
時のこと、色々野菜を選んでいると、ふと目の前にいるおばさんの動きに目が
停まりました。
ジッパーつきのショルダーバッグにトマトを入れているのです。 手にはその店が
用意した買い物カゴがあります。 すぐに万引きをしていると判りました。
そのおばさんは50歳くらい、身なりは決して裕福という感じでありません。
トマトを入れ終わると、チラッと僕の方を見て、スっと移動しました。
僕はそのおばさんが気になります、ちょっと離れたアボカドのところでまたおばさん
はジッパーを開けてます。 僕はそばまで行って見ていました。
おばさんは僕がまたそばで見ているのが分かると、いきなり僕の方に振り返り、
ものすごい形相でにらみつけました。 「何を見てるんだこのヤロー」と目が言っ
ています。 にらみつけながら堂々と、もう一つアボカドをバッグに入れると、
平然とレジの方に向かいました。
実は僕がそばでそのおばさんのやる事を見ていたのは、(よけいなお節介なの
かも知れませんが)止めさせるつもりもありました。 ところが僕が見ているのに、
彼女は逆に、最後のアボカドをバッグに入れるは、怒った形相でにらみつける
はで、少々僕もむっとしてレジまでついて行きました。
そのおばさんは店の籠に入った申し訳程度の量のタマネギの支払いをしている時、
明るい声でレジの店員に今日の天気はどうのこうのと言いながら、ついて行った
僕をちらちら見ていました。
僕は黙ってみていました。 そのおばさんの行為を店の人に言うほど、おせっかい
ではありません。
もし日本でこのようなことが起こったら、日本人のおばさんはどういう態度に出
るか考えました。 もちろん日本でも万引きは日常茶飯事でしょうが、多分知
らないおじさんがそばに立って、万引き行為をじっと見ていたら、とりあえず僕の
前では中止すると思うのです。
日本では世間体や、他人が見ているから恥ずかしいという感覚が強くあります。
子供の時から「そんなことしたら皆に笑われますよ」というような躾の中で育って
きています。
ところが、オーストラリアではそういう泥棒行為に走らせないようにするのは、
宗教を基本とした道徳というものが強く影響を与えています。
昔家内が先生の職探しをしている時に、いくつかの学校に面接に行って、必ず
聞かれたのが、どの宗教を信じているかということでした。
まだ家内がロンドンからオーストラリアに帰ってきたばかりで、こちらの事情を
よく把握してない頃です。 面接で、私は「無宗教です」と答えると、どこも評判が
良くなかったといいます。
つまり当時は(20年程前ですから今はかなり変わってきているかもしれません
が)人間は必ず自分の信じる宗教を持っていて当たり前、無いなんて言うのは
怪しいという感覚なのです。
なぜこんなことを突然書き始めたかというと、この万引きのおばさんに繋がる
のです。
実は僕も無宗教なのですが、オーストラリアでは「世間体、つまり人に笑われる」
という感覚は日本と比べたらほとんどありません。 そういう環境で、宗教も全く
信じてないという場合は、鬼に金棒、怖いもの知らず、という状況も生まれるの
です。
つまりこのおばさんのように、たとえ僕が見ていようと平気で泥棒行為を続けら
れるという感覚です。
当時、家内が面接で変な顔をされたというのを聞いて、腹を立てた僕ですが、
何年もオーストラリアに暮らしていると違った事情が見えてくるものです。
最後に。 わが母はオーストラリアを気に入っている理由の一つに、この世間体
感覚があります。 「私みたいな年寄りが、こんな派手な色の服を着て出かけた
ら皆に笑われてしまうけど、その点オーストラリアでは皆が好きなもの着てるから
本当に楽だわ」というヤツです。
何度聞いたことか。 本当に日本では笑われてしまうのでしょうか?
そう思って、それに縛られている人に限って、結構笑う立場をやってるような気
がするのですが。