2003年4月前半の日記
2003年4月1日
本日の新聞広告(経済欄だったか)に、車のBMW社が生産する「ミニクーパー」の宣伝が出ていました。
最近僕の周りでも良く見かけるこの車、元はイギリスのメーカーだったのですが倒産後、ドイツのBMW社に引き取られ、まるで復刻版のような現代のミニが誕生したのです。
ご存知のように、フォルクスワーゲン社のビートル(カブト虫)も昔のイメージを彷彿させるものを数年前に出しましたが、僕はこの手の車はどうも興味が湧きません。
まず第一に所詮「復刻版」、二ィーチェなマーケット用にデザインされたものと言うのはコンセプトにどうしても無理がある。
「懐かしい」だの「可愛い」だのとすぐに飛びついて、結局はガッカリする事が多いからです。
さて、今日のミニの広告はいつもと違っていて、「狭い駐車場にも打って付けのパーキング方式をミニで実現」と言うようなタイトルで、その広告を見ると、たった一台分のスペースしかないガレージでも2台駐車可能の図が出ています。
頭からガレージに入ったミニは奥に設置されたフック(引っ掛ける)でフロントバンパーの下あたりを引っ掛けられて引き上げられ、突き当たりの壁にまるで絵を壁に掛けたごとくに吊り下げられています。
その広告を見て、すぐに娘の家のガレージの事を考えました。
娘の家は一応車2台が入るガレージなのですが、並列ではなく縦列に駐車しなければならず、奥の車を出す時には前の車を先にガレージから動かさなければならないのです。
これが結構不便なのですよね。 夫婦が住んでいるのなら、2台とも自分達の所有車だから、どっちの車で出掛けても良い場合は、前に置いてある車を使えばいいのですが、娘の場合はシェアーメートと使うので、最後に帰って来た者が前に駐車する事になり、奥の車の持ち主が朝先に出なければならないと言う場合は、いちいちシェアーメートの鍵を借りて、動かし、次に自分の車を出した後に再びシェアーメートの車をまたガレージに入れる必要がある。
ですから本日のミニの広告に出ている駐車装置等は日本のようなよっぽど切羽詰っている場所以外は売れないのではと女房に言ったら、「その広告よく読んだ?」て言いながらクスクス笑っているのです。
僕は朝食を作りながらそのイラスト(写真入)をざっと見ただけだったのですが、、、、「今日は4月1日、エイプリルフールだった!!!」
いやはや、すっかり騙されてしまいました。 まったく、いつもならすぐに気が付くのに、たまたまこの駐車装置がコンテナーに車を詰め込むテクニックと同じだったので、写真を見た時には「本日の冗談」とはすぐに気が付かなかったのです。
日本で最近多発している高級車の盗難。 盗まれた車は外国に送り出される事が多く、一台のコンテナーに思いっきり詰め込むために、リスクを承知で今日の広告と同じようなテクニックで約40フィートのコンテナーに何台も詰め込むのです。(普通に置いたら2台しか入らないのを、確か4台くらい入れるのではなかったかと)
それにしても、ミニを輸入しているBMWオーストラリアがわざわざ全国紙に結構な金を払ってこのような冗談を出すって、さすがだと。
毎年このエイプリルフールにはこのような宣伝や、または「新聞記事」が出ます。
日本でこういう事をやったら、どういう反応があるのか興味有ります。
何しろ日本のテレビ番組を送ってもらったヴィデオで見ると、危険な行為を見せる場面で必ず下に字幕で(テロップと言うのか)「絶対に真似しないで下さい」とか出ますよね。
もう誰が考えても、とうてい真似の出来ないような事、例えば舌に通したピアスにヒモを通して駐車してあるトラックを引っ張って動かすとかの、いわば「見世物」のような行為でも、画面の下に「危険ですので絶対に真似しないで下さい」って出す神経が不思議です。
そんな事を見て真似をした馬鹿が怪我をしたからと言って、放送したテレビ局を訴えたりする可能性が有ると言う事なのでしょうか?
ああいった番組をオーストラリアでもやってるのかどうか知らないが、絶対にいちいち真似しないようになんてテロップは流れないと思います。
僕にはそんなテロップを流す行為が視聴者を馬鹿にしてるとしか思えませんが。
それともう一言。
日本のテレビ局の自主規制というのか、「放送禁止用語」。
もうしらけるほどに「自主規制」が強すぎて、かえって不自然な表現になってしまっているって、よく見かけます。
誰が何処であのような規制を作っていて「何が良くて、何が悪いっ」て決めてるのか。
2003年4月2日
娘が家を出て行ってちょうど1ヶ月が経ちました。
しばしば娘と衝突していた僕は、非常にピースフル、家の中が静かでまことによろしいと喜んでおります。
女房にしても僕と娘が衝突している時に「仲裁」役をさせられていたので、カリカリする事も無く、やはり今の状態をエンジョウイしているようです。
娘も自活してみて「大変」さがそろそろ身に染みて来る時期なのか、たまに我が家にやって来て夕食を取る時にも「おとなしく」なっているようにも見えます。
昨晩も我が母が夕食を作って娘も食べに来ました。
母が作ったのは、いなり寿司。 これには理由があります。
先週僕の中学から大学まで一緒だった「F君」の家に母を連れて遊びに行ったら、彼の奥さん(オーストラリア人)が日本で食べた我が母の「いなり寿司」が美味しかったと言い出した。
じつは僕の記憶の中に、そんな昔に彼女が日本に来て我が両親の家を訪ね、昼に母の作った「いなり寿司」を食べた、なんて全く覚えが無いのです。
少なくとも今から20年以上前の事だし、「我が女房と一緒に歌舞伎を見に行った」という話もまるで記憶に無い。
と言う事は偶然その時に僕らも日本に帰っていたのでしょうが、一体いつの事だったか。
その話を聞いて我が母はいたく感激し、突然いなり寿司を作ると言い出したのです。
母の作る「いなり寿司」は東京のいなり寿司とちょっと違って、中の寿司飯には人参や椎茸等の具が入っています。
そしてその味を生かすために、外の側(袋)のアゲの部分が東京の程濃い目の味付けでは有りません。
東京(関東?)風のはかなり強めに甘辛く味付けされたアゲの中に白い寿司飯が入っているだけでしょ。
で、昨日それを多めに作って「F君」のところにも届けたのですが、彼の二人の息子があっという間に平らげて、「母のいなり寿司の思い出」を言い出した奥さんは少ししか食べられないほど、子供にも人気が有ったと後から電話を貰いました。
昨晩その「いなり寿司」を食べに来た娘が、友人の店でそれを売りたいから作ったらと母に言っておりましたが、もう歳なのでそれを人様に売るほどのエネルギーは残っていないようです。
ちなみにその娘の友人のやっているカフェーでは、パスタやフォッカチオ等のパン系に混ざって、オーストラリア人の作る「いなり寿司」も売っていた事があります。
見かけは関東風で味付けは何と塩だけ、その上寿司飯は「玄米」だったのでさすがにオーストラリア人にも全く売れなかったようです。
もっとも、いなり寿司にイタリアパスタの取り合わせとか、オーストラリア人には全く違和感は無いのです。
我が家も昨晩はオントレが「イチジクとイタリア生ハム」で、メインが「散らし寿司といなり寿司」それに韓国風(名称不明)のスープ(お吸い物の代わり)。
デザートが女房の作ったチョコレートケーキってな具合でした。
とりあえず最近はいささか頭の方が怪しくなってきている母ですが、生き生きとしていたので、やはりこのように何かやらせると言うのも、必要なのではと。
さてその夕食を取りながら娘に「どう?新しい生活は?」って聞いたら、「時間が足りなくて大変」と少々疲れ気味。
今までは仕事に行って帰って来れば黙っていても夕食が用意されていて、それを美味いだの気に入らないだのと勝手な事を言って食べていたのが、仕事が終わってから夕食の買い物をして帰り、夕食を作って後片付けをしてと、(もちろん当たり前の事を)やっていると、残りは掃除洗濯等でもう手一杯の状態との事。
「結婚して子供でも出来たら、育児もそれに加わるしな」と僕が言ったら、ため息をついておりました。
で、今日はそんな事を書こうと思ったのではなく、娘が出て行ってから僕は娘の部屋に引っ越したのです。
僕専用の部屋。
まるで自分自身が高校生の頃に戻ったような気がして、なぜかニヤニヤしております。
まだまだ娘が運び終えていない荷物が大分残っているので、なるべく早く「娘の部屋」というのを変えたいと、僕はダンボール箱に娘の物を詰めていたら、なぜか「昔のカートのレース」の写真が紛れ込んでいるのを発見しました。
なぜ僕の写真が娘の押入れの奥深くに紛れ込んでしまっていたのか不思議ですが、見てみると1996年度のオセアニア国際大会の写真なのです。
そこには日本から来た選手(松谷隆郎選手など)や今はフォーミュラー・ワンのドライバーになっているヤーノ・トゥルーリが写っております。
しばしその写真を見ながら当時を思い出しておりました。
その年のオセアニア国際大会はシドニーのオランパークで開催され、僕はオーガナイザーの一員として日本からの選手の面倒を見ていました。
(当然当時はデジカメで撮っていないので、これらの写真をこのページに載せるのはちょっと無理なようで残念です。)
レースはやはりヤーノ・トゥルーリが格段に速く決勝レースをリードしていたのですが、不運のエンジン焼きつきが発生しリタイアに終わりました。
日本の松谷選手も3位をキープ、ラスト数ラップというところで仕掛けて、前を行く2位の選手にアタックをかけ、それを阻止しようとその2台が少々絡んだ隙に4位の選手が2位に踊り出て、結局松谷選手は不運の4位でチェッカーをという結果でした。
当時を思い出しながらモーターレース用のアルバムを引っ張り出し、ジャック・ブラバムとヤーノが写っている写真や日本選手の写真等(なぜか僕も写っている写真も有るので、女房が撮ったのでしょう。 これも記憶に無い)整理していたら、僕が高校生の時に富士で行われた日本グランプリの写真も出てきました。
しばし昔にタイムスリップ、やっぱり写真アルバムっていいもんですね。
またレース見学に(出るのは無理だが)出掛けてみますかな。
2003年4月3日
最近の日記にも書いたアウトルックエクスプレス(OE)の不具合は、インターネットエクスプレス(IE)のバージョンを6にし、サービスパック(sp1)を充てた環境に810847というパッチを入れる場合に発生します。
すでに周知の事実ですし、マイクロソフト社もやっとHP上で不具合が発生する可能性を認めています。
しかしいまだにその問題を解消するためのパッチは公開されていません。
僕が経験していた問題はアウトルックエクスプレスでメールを書いている途中にいきなりエラーが出てアウトルックエクスプレスごと落ちるというものでした。
特に長いメールや、コピーペースト等の作業でメールを書いていると、ほぼ100%近い確率で落ちてしまい、せっかく書きかけたメールを救う手立ても無く、失ってしまっていたのです。
長い手紙を書く時に特に頻繁に起きていたので、これには本当に参りました。
しかしマイクロソフト社の発表が随分と遅かったので、てっきり自分のPCの何かの不具合だとばかり思い、OSの再インスト−ル等のソフト系のチェックから、電源(新品購入)やハードディスク交換、グラフィックカード交換等と随分と無駄な時間を取られてしまいました。
運良く僕の場合は最初に入れていたインターネットエクスプレスのバージョンを5.5に戻す事が出来たから良かったのですが、ウインドウズXPの場合最初から抱き合わせで入っているのがIE6なので削除出来ないはずで、そういう場合はそのパッチ810847を入れる前までさかのぼって「修復」をしなければならないようです。
前にも書きましたように「重要な更新」という事でマイクロソフト社が強く推奨しているもの、場合によっては自動アップデートで気がつかないうちに自分のPCに導入されている可能性のあるパッチにこれ程の不具合が出ているのに、対応策が示されないというのは不思議です。
もし不具合に悩まされていたら、メールを書く時にOEを使用しないというのが今のところ最善の策かもしれません。
ネットスケープに乗り換えるも良し、はたまたホットメールなどを使うのも手かもしれません。
(このパッチが自分のPCにすでに入れられてしまっているかどうかは、ウインドウズのアップデートを開始して、左側の更新の履歴をクリックっすればわかります。 ただしIEのバージョンが6でないと入っていないはずです。 また僕の家に有る他のPCではIE6が入っているのもかかわらずOEの不具合が出ていないのも有って、マイクロソフト社にとってもかなり一筋縄では行かない問題のようです)
さて昨晩は珍しく(しぶしぶと言った方が正確)僕がいつもお願いする弁護士さんの事務所の創立140周年記念パーティへ。
若い国オーストラリアで弁護士事務所創立「140年」って、マジかと思うほど古いのですが、やはりと言うかパーティー出席者達はほとんどがオジサンか年寄り(って僕もそうですけど)で、95%全員ネクタイなんですよね。
日本にいる友人から冠婚葬祭やパーティ等に出掛ける時にオーストラリアではどのような服を?(TPO)って質問を受けた事があります。
昨晩のパーティもそうですが、僕は最初からネクタイ着用義務を明示されていない場合、ネクタイを締めて行ったことが有りません。
当然スーツも着て行きません。
これは自分の主義かもしれないのですが、他の出席者がどんな服を着ていようが、「着て来る服を指定」されない限り自由のはずですから、好きな格好で出掛けてしまいます。
昨晩もカジュアルな黒のジーンズとトップ(最近はこれが多い。 黒でなくともかなり濃い目のコンとかグレイとか)で、僕の他にネクタイを締めてないオヂサンはたった2人か3人だけでした。
30%ほどが女性の出席者だったのですが、(オフィスで働く女性以外、客は皆中年以上)僕のようにスーツを着ていない方が目立ってしまい、飲み物はしつこく勧められるは(僕は全く酒飲めませんから苦痛)、日本の話を聞きたいなどと随分話し掛けられて、パーティ嫌いの僕には逆効果かもしれません。
オーストラリアでは服装はかなり自由なので、僕にとっては非常に都合がよろしいのです。
95%の人達がネクタイにスーツという場に、自分の好きな格好で出掛けるのは「本人が窮屈」に感じなければそれで良いと。
とここまで書いて、昔友人の娘さんの結婚式に呼ばれた時の事を思い出しました。
その時には招待状に全員「タキシード」着用と明記されていて、僕は観念して珍しくタキシード姿で出掛けて行ったらなんと、全員タキシードだけでなく頭に直径10センチほどの丸い帽子をつけて(帽子だから「かぶる」か?)いるのです。
そう、この友人はユダヤ人なので「YAMULKA(スペルに自信ない)」というあの独特な小さな丸い帽子を出席者全員がつけているのです。
僕は日本人だしユダヤ教でもないので無視していたら、若い女性(式のヘルプ)が僕のところに来て、付けてくださいって差し出したのです。
え〜??どうやって付けるのかも判らないのにと思って見たら、なんと女性用のヘアーピンが付いているのです。
そうあんな小さな丸い帽子、カッパの皿みたいのは簡単に滑り落ちてしまわないようにピンで留めてるんですね。
で、僕もカッパのようになって参列したのですが、式の間中どうも頭が気になって仕方が無かったです。
普段はとても自由なオーストラリアですが宗教が絡むとかなり厳しいって事かもしれません。
2003年4月4日
新型肺炎(SARS)は僕が想像していた以上に深刻な問題のようです。
一昨日に僕の主治医であるキングスクロスの女医さんのところへ、インフルエンザの予防接種を受けに行った時に、その話が出ました。
今年の9月過ぎにベトナム方面の旅行を考えていたのですが、今は様子を見たほうが良いと言われてしまいました。
何しろ医者が死んだりしているのですから、当然特効薬等無いわけで、感染の危険性のある地域には近寄らないのが一番のようです。
オーストラリアにはまだ感染者がいないと聞いていたのですが、昨晩のニュースではカナダのトロントからオーストラリアを訪れている人間が発病したようなニュースが。
オーストラリアでも中国系の人が多いチャッツウッドでマスクをして運転している人を見て女房はギョッとしたと言っております。
オーストラリアではマスクをするという習慣がほとんど無いのですが、もしオーストラリアでも蔓延するようなことになれば、マスクが売れ始めるかもしれません。
「マイケル・ジャクソン」デザインのマスクなんてのは若い人に売れたりして。
さてそのニュースと一緒にボンダイビーチで怪我をして半身不随になった男の起こした裁判の第二審の結果が。
この男はボンダイビーチの浅瀬で海へ飛び込んだ時に、頭を強く打ち、下半身不随になったのです。
で、地元の区役所を相手取って損害賠償の訴えを起こし、第一審ではなんと3.7ミリオン(日本円2億5千万円以上)もの賠償金を勝ち取ったのです。
この判決(第一審)の判決が出た時には、正直言って僕はオーストラリアの腐った部分を見せ付けられた感じがしました。
何しろ幼児でも判るような浅瀬でよく調べもせずにいきなり頭から海にダイブをして、首の骨を折ったかで下半身不随になったのに、このボンダイビーチのあるウエイブリー区役所の監督責任だと訴訟を起こし、勝訴しただけでなく、オーストラリア人の平均年収から見たら気が遠くなるような賠償金額を手にしてしまったのですから、本当にオーストラリアは病んでいると思ったものです。
これは「何でも訴訟」の国アメリカの悪影響があるのは明白なのですが、そういう判決を下す裁判官がいるということ自体、非常にガッカリしたものです。
またさすがにオーストラリアのメディアもこれについては大きく取り扱い、裁判の結果に対する多くの批判記事や読者からの意見が寄せられました。
当然区役所側は上告し、昨日の2審では、区役所の責任は一切無いと一審の判決が覆されたのです。
同じ頃に「コフスハーバー」というシドニーから北上する事500キロほどの保養地で、アイルランドからの観光客が今回のケースと同じように川に飛び込んだ時に浅かったために頭を打ち、やはり下半身不随になり、その川を管轄する役所を訴えていたのですが、これも却下の結果が出たとの事。
下半身不随というのは痛ましい事ではあるが、自分の不注意で起きてしまった結果を区役所等に責任を求めるって感覚、本当に腐っていると思います。
ですから昨日の判決が「妥当」、当たり前の事なのになぜか(第一審では)摩訶不思議な判決が出てしまうところが怖いです。
そうでなければ、オーストラリアの総ての海では遊泳禁止にしなければならなくなってしまいます。
例えば、区役所がプールを経営していて、保守点検を怠っていたために、泳ぎに来た客が怪我をしたというのとは全然違うのですから。
先週に見たミュージカル「シカゴ」というのも、ストーリーは浮気相手をピストルで射殺してしまったスター志願の女が敏腕弁護士を雇い、裁判で「無罪」を勝ち取ってしまうというものですが、見ていてこの辺がアメリカの裁判制度の「問題」のルーツではないかと感じました。
日本でも知られているフットボールの元スター選手でタレントの「OSシンプソン」が白人の女房を殺したのに刑事裁判で無罪を勝ち取ってしまった例を見ていても、本当に罪を犯した人を罰するという本来の目的から外れ、いかに弁護士がうまく陪審員を丸め込むかというような事になってしまっている面が強いです。
それもある種の「エンターテイメント化」されてしまうのが、もっと危ない。
アメリカでもオーストラリアでも弁護士が自分の利益のために、訴訟を起こす気が無い人でもいわば「焚き付けて」とんでもない金額を要求する裁判が行われる。
このような馬鹿な行為が日本でも流行らない事を願ってます。
2003年4月5日
本日土曜日の日記はお休みいたしました。
2003年4月7日
日本からのNHKの放送は、パラボラアンテナで視聴するようになったので、母の部屋にあるテレビだけで見ることが出来ます。(つまり一家に一台のテレビでしか見えない)
そんなわけで、よっぽど見たい日本のニュースが無い限りNHKの放送は見ていません。
昨日母に用事が有って部屋に入っていったら、ちょうど昼前で料理の番組をやっていました。
ふとその内容を見ていたら、「お弁当」を作っていました。 子供のお弁当のようです。
で、そのお弁当がものすごく凝っているんですよね。 僕はすっかり浦島太郎なので、そのあまりにも手の込んだ弁当を見ていや〜、日本だなって感じてしまいました。
我が女房が作っていた娘のお弁当なんて、典型的なオーストラリアのお弁当(ランチボックス)、せいぜいパンにベジマイトかピーナッツバターを塗ったものか、たまにもう少々手を掛けて野菜をはさんだサンドイッチ。
それにリンゴかオレンジを丸ごとランチボックスに入れ、テトラパックのジュースをつける程度でしょうか。
昔、娘の通っていた幼稚園に日本からの駐在員のお子さんを紹介した事があります。
子供は日本から来たばかりで英語がわからず最初は毎日泣いていて随分先生を心配させたらしい。 しかしさすがに子供のこと、すぐに新しい環境に慣れ英語力もぐんぐん上達していったようです。
ある時我が女房が心配して幼稚園の先生に様子を聞きに行った時の話です。
子供はすっかり慣れて問題は無くなったというので一安心、でその先生曰く「ところでKちゃんのお母さんは、プロのシェフ(料理人)でしょうか?」と。
女房は「いやお母さんは主婦で、仕事はしていないし、料理人という話も聞いたこと無いけど、なぜ?」と聞き返すと、その先生曰く「Kちゃんの持ってくるランチボックスが同級生達だけでなく、その父兄までにも話題になっていると。
それは毎日毎日違ったメニューの、あまりにも手の込んだお弁当だから、多分あのお母さんはプロのシェフではないかと。
で、女房が詳しく聞いてみると、別に日本では良く見かける典型的な幼稚園生のお弁当なのです。
しかしオーストラリアではお弁当はとっても簡単、我が娘が作ってもらっていたような物が当たり前のところへ「Kちゃん」のお弁当はご飯にオカズが何品も付き、オカズを別けるために飾りの銀紙が入り、色もとりどり、デザートのリンゴもウサギさんの形に切ってあったりして、もう毎日皆が感心して見ていたそうです。
で、皆さんはここまでの話でどう思いますか?
オーストラリアの子供は親の心のこもったお弁当がもらえなくて可愛そう? お母さんが手抜きのし過ぎ?
我が女房がその質問をした先生に「いや日本ではああいったお弁当は良く見ますよ。 お母さんが一生懸命作るのが当たり前になっているのでは」と説明したのです。
でも、その話を聞いた同級生のお母さん達の中では多分一人も「少しは見習わなければ」とか「私も美味しそうなお弁当を作ってみようかしら」なんて思わなかったでしょう。
女房は家で家事洗濯をちゃんとして家を守る。 子供の弁当にこれ程のエネルギーをつぎ込む。 欧米とのものすごいギャップ。
何しろ「解放された」女性の多い国、なぜ子供の弁当にそれ程手間を掛けなければならないのかと思っているだけでしょう。
しかし移民のルツボ、オーストラリアにはいろんな国からのバックグラウンドを持った人達がいます。
西欧ほど解放されて無い女性も一杯オーストラリアにいるはず。(特に中東からの移民系は)
もちろんその幼稚園にもいろいろな国からの子供も混じっているのですが、「Kちゃん」のお弁当だけが特別に手がかかっている、目立つという事なのです。
考えてみると僕が子供の頃の弁当はこれほど凝っていなかった。
もちろん今より国全体がとても貧しかった。
その時代に戻れとは言わないが、何かがおかしい。
女性週刊誌やテレビで凝ったお弁当の作り方をやればやるほどエスカレートしていくのではと。
うちの子供にはみっともない弁当は持たせられないって言うような「ミエ」の意識が原動力なのでしょうか?
それ程お母さんが子供のために時間を掛けているよと、「子供教育」のためなのでしょうか。
お母さんの愛情表現? それともお母さんの自己満足?
いや〜、不思議の国「日本」、NHKの料理番組で子供の弁当を扱うだけでも、ほんと特殊な国だな〜って思ってしまいます。
多分日本にいる方は僕が書いている事にピンと来ない、いや「違和感」さえ感じられるかもしれません。
僕がその番組に「違和感」を感じると言う事は、あまりにも日本を離れすぎているからでしょう。
2003年4月8日
モータースポーツが危険なものだとは判っていますが、命にかかわるような事故が起きる時というのは、非常に理解しにくい、ある種の「不思議」な力を感じるものです。
先週の日曜日に行われたバイクの日本グランプリで加藤選手が大事故に遭い、現在もまだ生死の淵をさまよっているらしい。
あれだけの大観衆の中で、事故の原因がはっきりしない。
オーストラリアにも同時中継でテレビ放送が流れていたのだが、偶然その場面はカメラに写っていない。
すぐ傍を走っていた競争相手の選手達にとっても原因の特定が困難のようです。
またその場にいたコースマーシャルや、報道カメラマン達の目撃者も極端に少ないようで、なかなか真相が伝わって来ない。
あれだけの観衆が詰め掛けている中で、どうして事故が起きたのかも分からない。
アイルトンセナの事故の時のように、突然コースを外れバリアーに突っ込んでいったようですが、セナ選手の時にも原因の解明が非常に難しく、イタリアで長期にわたって裁判が行われていた。
イタリア司法当局は、車の欠陥という見方をした時期もあった。
同じ日曜日にブラジルで行われたフォーミュラーワンのグランプリでも雨のために事故続出、最終的にはアロンソのあわやという事故でレースがストップになったのですが、その事故を見た瞬間はセナや加藤選手の時のような「不思議な」雰囲気は感じなかった。
今のF−1は一昔前と比べて非常に頑丈安全に出来ているのですが、それでも当たり所が悪いというか、まさに運が悪いと命を落とす事がありますが、あの時にはそう感じなかった。
昨年、ジャガーF-1チームでテストドライバーをしていたオーストラリアのジェームス・コートニーも大きな事故に巻き込まれ(時速300キロ以上で後輪脱落、バリアーに激突)大怪我を負って、結局昨年のイギリスF−3シリーズのチャンピオンを逃してしまったのですが、しかし見事に復活しています。
こないだの日記にも書いたように彼は今年からトヨタのチームで全日本F−3を戦い始めました。
先週の日曜日に富士サーキットで行われた第3戦とそれに続く第4戦で、2戦ともポールポジションからスタート、完全に独走で優勝し、これで4戦3勝。
勝てなかったレースもトップを独走中に予期せぬペナルティーで順位を下げてしまった結果で、勝てていたはず。
もちろん彼のレベルから言ったら勝てて当然なのですが、くれぐれも怪我の無いように願っています。
昨年のイギリスF−3も事故に遭うまで、ランキングトップだったのですから。
今年僕が日本に帰る機会が有ったら、「ベジマイト」を持って彼を激励に行くつもりです。
加藤大治郎選手が回復する事を祈って。
2003年4月9日
シドニーはめっきり秋が深まって朝夕は冷え込む日も増えてきました。
ちょうど季節が日本と逆転する時季で、日本では桜が満開のようです。
日本の友人からのメールにも、僕が通った小学校の近くにある桜の木々が満開で「小学校の入学式を思い出しました」とありました。
このメールを読んで僕も当時の事を色々思い出しておりました。
メールをくれた同窓生の武田君は、小学校時代の記憶が豊富でいつも驚かされます。
僕は頭が悪いせいか、今から50年近く前の記憶というのがかなり怪しくなってきて、ある特定のシーンは思い出したりするのですが、その前後が繋がらないというか、点と点だけで線にならないような記憶です。
それでも小学校の入学式の記憶はあります。
確かに桜の花が満開の中、和服を来た母と一緒に出掛けた記憶は確かに残っています。
(今時、小学校の入学式に母親が和服でなんて無いでしょうな)
戦後のベビーブーマーだった僕らは大変な数の生徒が入学式に集まったはずだが、当時はそんなもんだと思っていたのか、多かったという記憶はありません。
ちなみに僕が卒業した時には同学年は8クラスでした。
一クラス約55人ほどでしたから一学年440人だったわけだが、入学した時にはもう少し多かったような記憶もあります。
人数が多いという印象を持ったのは、最初の授業が始まって午前のクラスと午後のクラスに別けられてからです。
前の日記にも書いたが、当時は学校の設備が急速な生徒数の増加に追いつけず、2部授業といって朝から昼までのクラスと、昼からのに別けられていた。
ある時学校で消防訓練が行われて、それが午前中だったために午後からのクラスにいた僕は参加できなかった。
子供だった僕は登校した時に消防士たちがホースの後片付けをしているのを見て何が行われたかを知った。
消防車去っていくのを見ながら、悔しいというか非常にガッカリしたのを覚えています。 子供のとっては消防車の放水を間近で見るだけでも、エキサイティングなのに。
僕にとってはわりと小学校低学年と高学年になってからの記憶は残っているのですが、3年4年頃の記憶が全く無い。
担任の先生の名前も思い出せない。 完全にその部分だけが抜け落ちてしまっているのですが、ちょうどその年齢の頃に(学校の思い出ではなく)多摩川へ読売巨人軍の練習を見に行った記憶は鮮明に残っています。
まだ水原茂が監督の時代で、ジャイアント馬場選手が練習している記憶もあります。 余興にあの大きな手でボールを2個同時に持ち、キャッチャーを二人置いて投げたりしてました。
また田園調布の駅前に設置されていた街頭テレビに相撲を見に行ったり、力道山の活躍を見ていた記憶も鮮烈に残っています。
昨年日本に父の「偲ぶ会」のために帰国した際にも、田園調布を訪れて、黄昏時の駅前のベンチに座り、しばし昔を思い出しておりました。
駅に向かって左側の街頭テレビがあったあたりを見ながら、相撲の中継が始まるのを待つ間、テレビの前の広場に悪童どもが土俵を描いて、相撲を取っていた思い出等が蘇ってきたものです。
桜の花と共に暖かい季節の到来って心をウキウキさせてくれるものですが、それは寒く暗い冬の後だからひとしおなので、そういう意味ではシドニーは年中気候が温暖で、そういう感激は少ないかもしれません。
四季の変化が少ないために気候にメリハリが少ないというか。
いやこれは贅沢な悩みですな。
と、日本の桜のニュースを見て昔を思い出しておりました。
2003年4月10日
イラク戦争はいよいよ大詰めを迎えたようです。
首都バグダッドがほぼ陥落し、進駐してきた米英連合軍に対しイラク国民は熱狂的歓迎を表している映像が映し出されています。
なんか見たことのある映像なんですよね。 そう、この戦争が始まる直前までアメリカの攻撃に反対し、フセインに忠誠を誓うという国民の熱狂的デモの映像そのまんまなのです。
昨日までは自国のリーダーに対して熱狂的な忠誠を誓い、今日はもうアメリカ熱烈歓迎なんて、、、。
これが生きるための知恵なのでしょうか?
日本が第二次世界大戦で敗戦し、連合軍が進駐してきた時に日本国民はあれほどの熱烈歓迎なんて恥ずかしくて出来なかったのではと思います。
それより悲しいのは、そのドサクサに略奪行為(火事場泥棒というのか)が多発している事。
日本では終戦前に本土決戦というのは無かったが、沖縄での戦闘の時に、住民による窃盗行為というのが起きていたのだろうか。
バグダッドの街中、昼間堂々カメラが撮影していようとお構いなしに、大人から子供までが店やビルから物を盗み出して行く姿を見ていると、これも彼らにとっては生き延びる生活の知恵なのかと。
また街頭に立ちテレビカメラに向かってサダムフセインのポスターにつばを吐きかけたり、引きちぎったりの行為を見せる事で、新しい支配者に忠誠心を表しているのだろうか。
戦争勃発前のイラク国民によるフセイン支持の熱狂的デモでは、ブッシュの似顔絵が描かれた看板を燃やしていたのが、まだ一月も経たないうちに今はフセインの看板につばを吐いているって、なんか悲しいですな。
テレビから流れるバグダッドの映像を見ながら、イラク人のメンタリティーの一部を垣間見た気がしました。
もし米軍が北朝鮮を攻撃して、同じ状況が生まれた時に北朝鮮の国民はどういう行動に出るのだろう。
同じような状況が生まれるのだろうか。
もう一つ特徴的なのは、これらの映像には女性がほぼ皆無であるという事。
略奪
2003年4月10日
イラク戦争はいよいよ大詰めを迎えたようです。
首都バグダッドがほぼ陥落し、進駐してきた米英連合軍に対しイラク国民は熱狂的歓迎を表している映像が映し出されています。
なんか見たことのある映像なんですよね。 そう、この戦争が始まる直前までアメリカの攻撃に反対し、フセインに忠誠を誓うという国民の熱狂的デモの映像そのまんまなのです。
昨日までは自国のリーダーに対して熱狂的な忠誠を誓い、今日はもうアメリカ熱烈歓迎なんて、、、。
これが生きるための知恵なのでしょうか?
日本が第二次世界大戦で敗戦し、連合軍が進駐してきた時に日本国民はあれほどの熱烈歓迎なんて恥ずかしくて出来なかったのではと思います。
それより悲しいのは、そのドサクサに略奪行為(火事場泥棒というのか)が多発している事。
日本では終戦前に本土決戦というのは無かったが、沖縄での戦闘の時に、住民による窃盗行為というのが起きていたのだろうか。
バグダッドの街中、昼間堂々カメラが撮影していようとお構いなしに、大人から子供までが店やビルから物を盗み出して行く姿を見ていると、これも彼らにとっては生き延びる生活の知恵なのかと。
また街頭に立ちテレビカメラに向かってサダムフセインのポスターにつばを吐きかけたり、引きちぎったりの行為を見せる事で、新しい支配者に忠誠心を表しているのだろうか。
戦争勃発前のイラク国民によるフセイン支持の熱狂的デモでは、ブッシュの似顔絵が描かれた看板を燃やしていたのが、まだ一月も経たないうちに今はフセインの看板につばを吐いているって、なんか悲しいですな。
テレビから流れるバグダッドの映像を見ながら、イラク人のメンタリティーの一部を垣間見た気がしました。
もし米軍が北朝鮮を攻撃して、同じ状況が生まれた時に北朝鮮の国民はどういう行動に出るのだろう。
同じような状況が生まれるのだろうか。
もう一つ特徴的なのは、これらの映像には女性がほぼ皆無であるという事。
火事場泥棒行為で女性がいないというのなら判るが、米英軍熱烈歓迎であるならば女性も出てきてもおかしくはないと思うが、どうやら「ガチガチ」の男尊女卑社会のようで、とにかく「女は家でおとなしく引っ込んでろ」という事らしい。
このアラブ社会の男女の差というのも想像以上のものがあるようです。
最後に
イラクのサハフ情報相ってのも頑固者ですな。
もう目の前に米軍が来ているのに、平然とした顔でそんな事は無いって言い切ってしまっているのを見ると、あそこまで意固地にならなくてもと。逆に、ものすごくユーモアのある人なのではと思ってしまったり。
行為で女性がいないというのなら判るが、米英軍熱烈歓迎であるならば女性も出てきてもおかしくはないと思うが、どうやら「ガチガチ」の男尊女卑社会のようで、とにかく「女は家でおとなしく引っ込んでろ」という事らしい。
このアラブ社会の男女の差というのも想像以上のものがあるようです。
最後に
イラクのサハフ情報相ってのも頑固者ですな。
もう目の前に米軍が来ているのに、平然とした顔でそんな事は無いって言い切ってしまっているのを見ると、あそこまで意固地にならなくてもと。逆に、ものすごくユーモアのある人なのではと思ってしまったり。
2003年4月11日
シドニーは雨の日がこのところ増えているというのに、飲料水の水源地のある地方では今だ降雨量が不足しているようです。
現在の貯水量は約60%で、これ以上水位が下がる場合には現在の給水「自主的規制」から「強制的な規制」に切り替える可能性も有るようです。
最近(と言ってももう数ヶ月だが)朝鳥の「さえずり」で目が覚める事が多い。
と、書くといかにも自然の残るシドニーの生活を想像されるかも知れませんが、じつはあまりにも鳥が多すぎて騒音に近いものがあるのです。
鳥の種類も多く鳴く時間もそれぞれ異なるのですが、とにかくまだ薄暗い夜明け前から鳴き始めるのまでいて、参っています。
カラスを始め、カラウォン(黒い小型のカラスのような鳥)マグパイ(そう僕のHPの名前の由来)、ワライカワセミ(この種類は夜明け前には鳴かないようですが)鳩、などなど他にも僕の知らない種類の鳥が立てる騒音に起こされてしまうのです。
しかしこの家にはもう何年も住んでいるわけで、今まではこれほど五月蝿くなかったのは確か、これは長く続いた干ばつで鳥達がまだ緑が多く残っている都会に移動して来ているからではないかと思っています。
干ばつが終わっても都会は居心地が良いとこのまま居座られたら、困ってしまうと思うほど。
しかしあまりにも多くの鳥が移動して来るためか、縄張り争いも起きているようです。
先週も我が家の庭で鳥同士の喧嘩が起き、傷ついた一羽は飛べなくなってしまい女房が救いとりあえず鳥かごに入れたのですが、数日後には死んでしまいました。
鳥の世界も生きる延びるのは厳しいようです。
さて、先日の新聞にフジモリ元ペルー大統領の話題が出ていました。
ペルー政府が国際刑事警察機構に、日本に滞在中のフジモリ氏の国際手配の要請を出したとの事。
この手配を受けた場合日本政府は逮捕可能の場合には身柄を拘束しペルー政府に引き渡さなければならないそうです。
ところがフジモリ氏は日本国籍を有しているために、日本とペルーの間に犯罪人引渡し条約が無いために実際に引き渡される可能性は無いと書いてあります。
これを読んで僕は非常に不思議に思った。
いつからフジモリ氏は日本国籍を有しているのだろうと。
日本国は多重国籍を認めていない国です。
僕がパスポートの更新にシドニーの領事館に申請に行くと、オーストラリアの国籍は取っていませんよねと聞かれる。 聞くどころか日本国籍以外の国籍を取得していませんというような念書を書かされる。
絶対に「2通のパスポート」は持たせないって訳です。
しかしオーストラリア政府は僕がオーストラリアの国籍取得を申請したら比較的簡単にくれると思います。
日本の国籍を捨てたかなんて事は言わないはず。
ちなみにロンドンで生まれた我が娘は20歳になった時に、日本、オーストラリア、英国の国籍から選ぶことが出来たが、日本を選ぶとオーストラリアも英国のも捨てなければならないので諦め、オーストラリアを選んだ。
オーストラリアを選ぶ事によってオーストラリアと英国の二つのパスポートを持っています。
さて話が少々脱線したがフジモリ氏の話に戻ると。
つまり彼の場合でも日本政府は二重国籍を認めていないはず。
それではフジモリ氏はペルーの大統領を努めている時から日本国籍だったのだろうか?
日本国籍を持つ者がペルーの大統領をやっていたなんて考えられない。
もちろん彼は日本からの移民の子孫ですが、ペルーで政治家になった時には当然ペルーの国籍を持っていたはず。
という事は、日本の国籍は持っていたとしても捨てなければいけなかったはず。
では日本に逃げて来てから慌てて日本国籍にしたのだろうか?
僕の経験から外国籍の所有者が日本国籍を取得する場合には非常に審査が厳しく、時間もかかるはず。
ましてや彼のような事情で日本に来た人間が日本国籍を取得するのは簡単ではないと思うのですが。
かなり日本政府の政治的力が働いたと思うのが自然だと思うのですが。
非常に不思議な話です。
2003年4月12日
先週の日曜日に行われたF−1のブラジルグランプリ、雨の中大荒れのレースでした。
結局大きな事故で途中赤旗が出て中止になり、その時点で予定周回数の75%を超えていたのでレース成立になったのです。
優勝はレース中止の2周前にさかのぼって順位を決めるというルールにより、中止時に先頭を走っていたジャンカルロ・フィジケラでは無くマクラーレンのキミ・ライコネンが優勝という事になったのですが、これには僕も大いにガッカリしました。
フィジケラがカートの選手だった時代から見ていた僕には、110戦目にしてやっと、本当にやっと手にした初めての優勝だったはずなのにと、彼の気持ちが痛いほどわかりました。
F−1では何百ものレースを戦っても一度も優勝できずに引退するというのは珍しくなく、逆に一度優勝してしまうと結構連続で勝ち始めたりするものです。
たった一度でも表彰台の真中に立って自国の国歌が流れるのを聴きたかったと思いながら引退してしまった選手は山ほどいるわけです。
モータースポーツに興味を持ちレースを始める人間にとっては、F−1の表彰台の真中に立つという事は頂点を極めるという事なのです。
ちなみに日本人では今までのところ、表彰台の真中どころか2位にもなった事がありません。
今回のブラジル・グランプリでレースが中止になり、先頭を走っていたフィジケラは自分が優勝したと確信し(見ていた僕もそう思った)、大喜びをしているのを見て、僕はフィジケラのファンではないが心から良かったと感じていたのですが、すぐにテレビの解説者がルールの事に気がつき、大いにガッカリしたものです。
ところが何と!レース(中止)終了時点ですでにフィジケラは次の周に突入していて、周回数はその周も含めるというのをオーガナイザーがすっかりミスをして計算に入れていなかったという指摘が出たのです。
そして一週間の協議の結果フィジケラが優勝者ということになったのです。(昨日金曜日に決定)
オーガナイザーのミスというのも全く変な話ですが、とりあえず本当の勝者フィジケラが優勝という事になりほっとしています。
これでF−1の歴史に優勝者として彼の名前が刻まれるからです。
面白いもので別段モータースポーツでなく他のスポーツでも、いくら才能が有っても、いくら努力しても勝者になれないという事はよくあるのですが、何度も何度も苦杯を舐めているうちに、その器で固まってしまうってのがありますよね。
特にモータスポーツの場合はそれが顕著で、何度か優勝の経験のある選手より、よっぽど実力がある選手が一度も優勝できずに引退なんて、珍しくない。
僕は今回フィジケラが優勝者とされなかったら、彼は引退するまで一度も勝てずにいただろうと思っています。
特に今の彼のチームは、トップチームとは言い難くトップ6に入るのもかなり厳しい状況ですから。
僕のイタリア人の友人でオーストラリアにPCRというカートを輸入しているフランコ・グワィトリというおじさんがいます。(僕より年上)
かなりな頑固ジイサンですが、僕とは妙に馬が合って一緒に鈴鹿のワールドカップにも一緒に行った事もあります。
そのオジサンの自慢はフィジケラの世話をしたという事。
カート時代PCRに乗っていたフィジケラは香港やオーストラリアのレースに出場する時には、フランコの世話になっていたのです。
まだフィジケラがF−1に上がる前からフランコの店にはフィジケラの写真が飾られていました。
またフランコがイタリアへ帰郷すると、フィジケラを訪ねたりしていたようです。
今回晴れて勝者になったフィジケラを見てフランコは涙を流している事でしょう。
2003年4月14日
オーストラリアで発行されている日本語新聞(月刊)「日豪プレス」を久しぶりに見ていたら、日本人女性専門の詐欺師の事件が記事になっていました。
これには僕もビックリ。
僕が昔ワーキングホリデーの若い人のお世話をしている頃に頻発していた「事件」そのままなのです。
今からもう10年も前の事なのに、また同じ犯人が活動を開始したのでしょうか?
そうだとしたら、犯人はもうかなりの年齢になっているはずで、別の人間が手口を真似ているだけか、もしくは弟子か。
犯人は確か中国系マレーシア人だったと思います。
当時から日本人女性はこの手の詐欺事件の恰好の標的になっていました。
なぜなら他のアジアから来ている若い人たちに比べてお金を持っている事。
そして何よりもナイーブである事。 ナイーブと書くと誤解が生まれるかもしれませんが、「ウブ」または「世間知らず」、「幼い」「騙されやすい」どれにも当てはまりそうです。
他の国のように色なんな人種が混ざっている国と違い、単一民族の日本人というのはどうしても、他人を信用しやすいというか。
当時何人かの被害者と話た時に僕が痛感したのは、なぜこれほど簡単に人を信用してしまうのか、また簡単に騙されてしまうのかという事。
そしてもっと不思議だったのは途中から変だと感じ始めても、「疑う」という事は自分の失敗を認めるという事に繋がるというような妙な感情が働き、被害を拡大させてしまっていた事。
そして驚く事に(当時の話ですが)犯人はどうもたった一人、つまり同一人物なのですがものすごく被害者が多かった事。
街で声をかけてくる時にも日本人の女性にとっては同じ東洋人という安心感があったのも確か。 なぜ同じ東洋人の方が安心感を感じるのかは僕には判りませんが。
そして最大の落とし穴は「英語」でした。
確かに外国に来てまで日本人と付き合いたくない、せっかく英語を学びに来たのだから、英語を喋る環境を持ちたいという気持ち。
しかし青い目のオーストラリア人とはなかなか知り合うチャンスが無い、たとえチャンスが有ってもなんか人種の違いで躊躇してしまう。
(それなら最初からオーストラリアでなくて他のアジアの国に行っていれば良いと思うのですが)
で、この犯人はかなり流暢に英語を話すのです。
英語を教えてあげるという事で近づいたケースもありました。
で、付き合いが深まるうちに「お決まりの」金の話が出ます。
ほとんどが早急にまとまった金額の支払い必要で、本国(マレーシア?)から送金が来る筈だが遅れていて非常に困っている、というようなシチュエーションです。
中には一緒に住んだ子もいますし、ただデートだけの間柄だった子もいて、しかし聞いてみるとほとんど同じ時期だったりして、犯人は何人をも同時に騙していたという事。
すっかり騙し取られ、もうこれ以上金も無くなった時点で僕のところに相談に来るという事があって、本当に歯がゆい思いをさせられたものです。
というのは残念ながらオーストラリアの警察はまず100%このような犯罪を「刑事事件」として扱ってくれません。
例え扱ってくれたとしても金が戻るわけではない。
もっと被害が少ない時点で、もしくは金を貸してくれと言い出した時に僕のところに相談に来てくれていればと思うのですが、どうも異性関係にかかわる事は言い難いのか。
かなりの報告が警察には届けられていた筈ですが、警察の見方は男女間の金の貸し借り、借用証等があるわけではなく立件する事は不可能。
ましてやオーストラリアの警察にとってはガイジン同士の金の貸し借りにまつわる揉め事、被害者の英語力も乏しいのでは殺人事件のようなものならともかく、このようなレベルの問題では動けないというところなのです。
つまり完全に「騙され損」という事です。
何かネガティブな事を書いてしまいました。
外国に出掛けて色々な人と友達になるというのは大いに結構ですが、それなりの心構えも必要です
特に「日本人の女性」は標的になりやすい。
ここまで書いて、書き加えなければと思う事が少々。
上記の犯人は中国系マレーシア人と書きましたが、アジア人ではなくオーストラリア人の男に騙されたというのも勿論あります。
ただしこのように同一人犯人が次から次へという事は無かった。
また異性でなくとも被害に遭った人もいます。
同じ英語学校に行っていて知り合い、仲の良くなったタイからの女の子と一緒にアパートを借りて住んでいたら、ある時急にそのタイの子の母親が危篤だと電話があったと言い出し、すぐにタイに帰る航空券代が無いから貸してくれと言う。
で、すぐにまたオーストラリアには戻ってくると言うので、かなりの額を貸してやったら、指輪とローレックスの腕時計を保証に置いていった。
しかしそれ以来全く音沙汰無くなり、僕のところへ相談に来た時に持ってきたその腕時計を見たら「タイ製のローレックス」。
で、タイの自宅の連絡電話番号をと言って置いていったのを僕がかけてみたら何とタイにある大会社の電話番号で彼女の名前(フルネームを知らない)を言ってもその名前の人は我社には何十人にも居ますと言われ、「完全に慣れた手口の詐欺」とわかる。
いや〜色んな事がありました。
くれぐれも気をつけて下さい。
2003年4月15日
今朝新聞を見ていたら日本の地方選挙についての記事が出ていました。
いやもう少し正確に書くと、今朝の新聞には大きなカラー写真入りの記事があって、なにやら東洋人が写っているし、その写真には日本語もあるので、「えっ?」て感じで読み始めた。 まさかその記事が日本の地方選挙についてなんて考えもしなかったのは、そこに大きく写っている人物が派手なマスクを着けているいるからでした。
日本にいる皆さんは多分ご承知の事なのでしょうが、プロレスラー(?)の「グレート・サスケ」というのが岩手県で当選したという事らしい。
で、マスクを着けたまま選挙を戦い当選して、議会にもそのマスクのままで出席する予定であると書いてある。
マスクが僕のトレードマークであるからそれを外すわけにはいかないとか。
僕はこの記事字を読んですぐに昔イタリアでポルノ女優「チッチョリーナ」というのが議員に当選したのを思い出しました。
僕は彼女の事は詳しく知らないが、当選した当時の彼女のインタビューを見た限りでは、ものすごくレベルの低い悪ふざけの延長で、なぜか本当に当選してしまったという感じがしたものです。
彼女の場合は裸がトレードマークだったから、当選後のインタビューの時にも、いきなりオッパイをべろっと出したりして悪乗りしておりましたが、彼女が議会に裸で行ったってのは聞きませんでしたな。
偉そうな顔をした政治家がちっとも偉くなかったり、清廉潔白そうな議員が汚職まみれだったりと、議員の能力は別に見かけではない。
これは日本の政治家だけに限った事ではないが、別にどんな恰好で議会に出ようが議員の自由なんでしょうが「あのマスク」で議会に出るっていうのもなんだかなあと思ってしまうのですが。
僕が今の日本を知らなさ過ぎるのか、はたまたあのマスクを見慣れないだけなのか、とにかく僕には違和感はあります。
「プロレス」なんて有線放送くらいでしか見る事の出来ないオーストラリアでは、全くメジャーなスポーツではない。
今朝の新聞の記事を見たオーストラリア人はどう思うのか、非常に興味あるところでは有ります。
さて、日本のモーターレースの全日本F-3で順調に勝っているジェイムスコートニー、彼の父ジムから電話が有って日本から送って来た日本の雑誌の記事を訳してくれないかと。
親として日本でどう評価されているのか気が気ではないのでしょう。
見てみると2ページほどのモータースポーツの雑誌で、ジェイムス・コートニー・インタビューと有ります。
ざっと目を通して、だいたい何を書いてあるのかを電話で言ってくれればいいからとの事でしたが、割とちゃんと訳して電子メールで送ってあげた。
このような場合一番困るのは記事を作る時には英語でインタビューをしているはずで、それを日本語に訳して雑誌の記事にしている、それを元の英語は全くわからないままその日本語からまた英語に翻訳すると、ジェイムスが最初に喋った時の英語からかけ離れてしまう可能性があるのです。
今までジェイムスはヨーロッパで戦っていたのでほとんどの記事は英語で出ていましたから父「ジム」はそのまま読めたわけですが、英語→日本語→英語という難しさをどの程度わかるのかちょっと心配。
今回僕が訳した英語を読んでいたら、(英語のインタビューという感覚では)かなり彼が第二戦でペナルティーを食らった部分が強調されているように感じ、何か意地悪いインタビューにも取れる。
しかしその記事の日本語のままだとそういう印象は少ない。
やっぱり翻訳というのは難しいものですな。