8月前半の日記
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2001年8月1日&2日

昨日は、LINUXにハマってすっかり溜まってしまっていたビデオ(ほとんどがレースのですが)見てたらいつのまにか寝てしまった。
女房と娘はオペラハウスにシェイクスピアの芝居見に行ってて、迎えに来てくれとの電話で起こされた。
イヤー眠いのなんの、途中まで見たCARTも終わりまで見ずに寝てしまい、日記も書かず。

シドニーは一昨日からやっと晴れ間が広がり、日中は20度を超えるような良い天気が。 しかしその分、空気が乾燥して、朝夕の冷え込みは厳しく感じる。
先週末にはボンダイジャンクションにある貸家の塀が強風で飛ばされてしまった。
なんと2週間ほど前にすっかり新しい塀になおしたばかりなのに。
道に面した表の塀はレンガ造りなので、そんなことは無いのですが、お隣との境の塀は木材で出来ていたものがシロアリなどにやられて、今度はカラーボンドという金属製(結構ペラペラ)にしたのだが、杭を打った土台が弱かったようで。

すぐに塀を建てた業者に連絡をしたら、強風でやられたのだから、保険が降りるはずとの事。
早速NRMAに電話をした女房は「塀と、雨樋(あまどい)と、何とか」は保険きかないと言われて「唖然」。
21年間も保険払い続けて、初めて請求したら払わないなんて、ともうカンカン。
契約書よく読めといわれて見たら、確かにものすごく小さい字で補償の対象外になってる。
最初からNRMAにしていたのが間違いだったのか、それとも他の保険会社も同じなのか。
(*追記。 それならお隣の保険を使おうと言う事になって、調べてもらったら、やはりダメ。 どこの保険会社も塀は補償しないのか)

このNRMAと言う会社、日本ではJAFのような業務もやっていて、特殊な形態をとってきました。
だからこそ僕はずっとNRMAを使いつづけていた。
つまり、営利目的の保険会社とは違い、会員がCO-OPのように会費を払って、運営してきたのですが、昨年株を公開する事になった。
「賛否両論、喧喧諤諤」有ったのですが、結局株公開は行われた。

で、ある日僕にも通知が来て、各会員の登録年数によって、株を配ると言うのです。
我が家では、女房も僕もオーストラリアに引っ越してきて以来会員になっていたので、平均以上の株数をもらった。
全くそんなことは期待していなかったので、二人合わせて5千ドル近くの価値の株が転がり込んだ。
普通なら嬉しいはずなのですが、僕は株を公開イコール株主相手の利益優先の経営という図式に危惧を抱いています。

昔女房の車がぶつけられた時から、この国では保険会社を選ぶ時にはそれ相当の注意が必要だとは考えていたのですが、NRMAの場合まだ交渉の余地が残されているのではと、期待があった。
他の保険会社など、保険クレームの車の修理に、日本から入れた中古の部品などを、修理業者に使わせるなど日常茶飯事の国ですから。
保険主は知らされず、高い保険料払って、ぶつけられたからって修理に出したら、中古のドアをくっつけて塗装して(その時点で、素人はわからなくなる)、と言うような事はいくらでもある。

保険料率は新品の部品を使うと言う建前で計算されているはずなのに。
中古の部品を使うっていうのも、保険会社によっては、契約書のどっかにものすごく小さな字で、書かれているのかもしれない。
シドニーの街中でたまに、オーストラリア人の乗った車のドアーに(まだ塗装前のため)日本語で、「○X自動車教習所」なんてサインの入ったまま走っているのを見かける時がある。 思わずその異様さに目が釘付けになった事も。

株主(株価)最優先の利益優先型経営というのは、時として弱者を飲み込んでしまう場合が多いのかもしれない。
日本のNTTにしても(携帯を我がオヤジが買うとき)年寄りで、マーケットの実情を知らないような客には、思いっきり儲かるコースを勧めてしまうような。
年寄りが増えていく世の中、豊田商事的なテクニック(違法まで行かないにしても)は、どんどん使われていくのかもしれないですな。
だいたい読まれたくない契約内容などは思いっきり小さいな時で書くってのも、それに近い事だと。
すっかり老眼が進んで、小さな字はもう面倒くさくって困る年齢になってしまった僕の実感です。


2001年8月3日

今朝、女房の幼馴染の弁護士が、遺言状作成の打ち合わせのために来訪。
両親はすっかり歳で、シティーのど真ん中にある彼の事務所まで一家全員で出かけて(電車に乗って)行くより彼が来てくれるという事で。
幼馴染と言うのはその点良いですな。 
と言っても彼に会うのはなんと数年ぶり。 結構ふけていて(お互い様ですが)しかし、とても元気そう。
賃貸契約書などの製作などは彼の事務所に定期的には頼んで入るが、本日は我が両親の遺言状の書き直しのため。

日本ではどのくらいの人が、遺言状というのを作成するのでしょうか?
すっかり日本の現状に疎くなってしまった僕は、トンチンカンな事を聞いているのかもしれない。
また日本では別に弁護士を通さなくても、何かに書いた(書付のような手紙でも)のでも、本人の筆跡であると証明できれば法的に有効なんでしょうか?
オーストラリアでは、遺言状というのは必ず残すものだという前提ですから、死んでから遺書が出てこなかった場合などは、ものすごく不便です。
不便と言うのは国が遺産を一時的にすべて押さえて、完全に遺産の分配が正しい方法で行われるという書類が揃うまでは、誰も手を付けられない。 たとえ一緒に住んでいる家でも、もちろん現金でも全く凍結されてしまうのです。
ちゃんと遺書があっても、やはり一時的に凍結され、その遺言に異議が出ないか、または不備が無いかを確認するまでは、誰も手が付けることが出来ない。
60年も連れ添った夫婦で、亭主が死んで遺言状開いてみたら、女房には一切残さず、ペットの犬に全部残しますって書いたのが出てきたって、おかしくない国ですから。
はっきりしないうちに皆で配ってしまって、後から遺言状出てきて、国に全部寄付しますなんて書いてあったら、もめるだろうし。
女房の父が10年程前に死んだ時にも(死ぬ数年前に離婚していたのもあって)色々複雑で、すべてが解決するのに1年以上かかった。

うちにくるポルトガル人の掃除のオバサンの話で、彼女の掃除婦仲間で最近遺産をごっそり貰ったのがいるそうです。
何でも、先日亡くなったその御婦人は、(かなりの金持ち。僕の知り合いでもある。 身寄りは妹一人だけだった)たった一人いる妹には全く、一銭も残さず、すべてを長年つかえていた掃除婦のオバサンにあげたそうです。
掃除婦はもうビックリ、すぐに掃除婦止めたそうです(額が半端じゃなかった)が、残った妹はもうものすごく不満で、裁判起こすとか言ってるらしいですが、これは完全に無理。
ちゃんと弁護士が作成した遺書にそう書いてある場合は、よっぽどの事が無い限り、くつがえらない。

我が家の件に話を戻すと、10年も前に作った遺言状があったのですが、現状にそぐわなくなったので、手直しが必要になった。
で、古いほうの遺言状を破棄するから、出してくれと言ったら、すっかりもうろくしてしまったオヤジは見つからないって言うんです。
どこかに仕舞いこんだらしいのですが、出てこない。
やっぱり今日作り直す事にして良かったです。 こんな状態で、死なれたらいったい何処に何があるか判らない状態になる。

ところで皆さん、オーストラリアが日本より良いという理由の一つ。
オーストラリアには遺産相続税も、贈与税も無い国なんです。
もし日本で、大変な遺産相続税の額で悩んでる場合は、オーストラリアに移ってきたら、すべて免れてしまいます。
昔はオーストラリアにも DEATH DUTY は有ったのですが、だいぶ前に廃止された。 いつまた復活するかわからないという声も無いではないが。
遺産相続税など日本でもなくせば良いのにって思います。 

実は僕が生まれて育った、東京の住宅街での話。 あれは忘れもしない日本がバブル景気で沸いていた直後頃なのですが、遺産相続税を払えずに、ご夫婦で自殺した方がいる。 ごく近所だったので、ビックリしただけでなく、話を聞いて腹立たしくなった。
その夫婦の父が亡くなった時はまだバブル景気が残っていて、そこの土地の評価もとても高かった。
遺産を相続した夫婦は、高い相続税を払うにはその家を売る覚悟は出来ていたが、当時彼らはその価値が(バブルで沸いていたので)だいぶあると思い、家を売った金で、相続税を払っても充分な金額が残り、どこか郊外にでもまた家を買って、残りの財産で悠々暮らせると踏んでいたようです。
ですから、相続税をすぐには払わず、家が売れてからということにしていたのが、余計事態を悪くしてしまったようで、突然のようにバブルが崩壊して買い手は全く付かず、相続税はもうすでに待ってくれず、どんどん金利が付いて膨らみ、とうとう売って出ても相続税も払えない、つまり借金が残って家も無い状態になった、と悟った時に、ご夫婦で自殺されたとの事。

いまだにバブルの後遺症とか言って、日本の景気は上向きませんが、このバブルには色んな犠牲者がいたんですね。  


2001年8月4日

今日は土曜日、女房とボンダイジャンクションにあるコールズ(スーパーです)で買い物をしていたら、思いがけない人とばったり再会した。

う〜ン、何年ぶりだろう。 少なくとも8年は経っている。 まだ彼女「K美」さんが、オーストラリアにいたという事だけでもビックリなのに、なんと子供を連れてるではないか!
子供を作るようなタイプでは絶対にないと思っていたのですが、話をしてもっとビックリ、「今日連れてるのは下のほうですが、上にもいるんです」との事。

彼女とは当時僕がやっていたお仕事の関係で、知り合ったのはもう10年以上も前の事。 (ただし彼女は僕のやっていた事務所の会員ではなく、会員の一人と非常に仲が良く、その事務所のパーティーにも、またボンダイジャンクションにある事務所にも良く遊びに来てくれた)

彼女は忘れる事のできない一人です。
まずオーストラリアに来たきっかけ。 日本ですでに結婚が決まっていたのに、結婚式の当日に式をすっぽかしてオーストラリアに来てしまった。
彼女の親は相手方への慰謝料支払いなど、かなり色々あったようです。もちろん彼女は親からも勘当同然でオーストラリアに来た。

オーストラリアに住み始めて知り合った男がカナダ人。 ところがこのカナダ人はオーストラリアのビザがとっくに切れてる不法滞在者。
ある日彼女たちの住んでるアパートに、出入国管理事務所の捜査官が彼を探しに来た。
彼女は大慌てで彼をかくまい、彼は便所の窓から脱出。 もうそこには住めないと、夜逃げ同然で引越し。
と言うのも彼女のビザももう切れていた。
オーバースティをやっているうちに、あるとき彼女の妹が日本から遊びに来た。 もうその頃は、結婚式すっぽかし事件からはほとぼりも冷め、また家族との交流が始まっていたのです。

妹の泊まっているホテルに会いに行った彼女は、日本の親が妹に託した彼女宛の(生活費の足しへという意味での)かなりまとまった日本円と自分の財布パスポートなど総てを、エレベーターの中に置き忘れてしまう。ホテルに行っても出てこず、違法滞在があるので、何と彼女は警察にも届を出さず、また日本領事館へもパスポート紛失の届を出せない(彼女としては届を出せば領事館も彼女が違法滞在をしている事が判り、オーストラリアの入管に連絡されると思っていた)。

と言う事は、日本にも帰れない、オーストラリアにいても違法という八方塞(ふさがり)。
ところが彼女は思いっきりネアカと言うか、独特の関西弁でいつも明るく、全く気にしてない。 
僕は彼女とはすっかり馬が合ってしまい、よく事務所に遊びに来てくれました。
ところがある時を境に、急に連絡が取れなくなった。 噂では、イミグレ(入管)から逃れて、ダーウインの(カカドゥー国立公園のある)方のホテルでそのカナダ人と働いていると言う噂も耳にした。
そうまるで、「逃亡者」。

そんな彼女だったので、ボンダイジャンクションのスーパーで、いきなり鉢合わせした時には、驚きの声しか出なかった。
その場では子供がむずかりだしたので(3歳くらいか)僕の電子メールアドレスを渡して連絡を取り合う事で別れた。
連れてた子供はハーフに見えたから、ひょっとしたらそのカナダ人との子供かもしれない。
今はシドニーに住んでると言ってたし。 という事は、もうビザの件は解決したのかしら。
彼女からメールが来るのを楽しみに待ちます。 彼女は僕がこのようなホームページやっているの知る由も無いから、しっかりここに書いてしまいました。


2001年8月5日

今日は日曜日、久し振りに晴れた週末で真冬だと言うのにすっかりポカポカして、女房は庭の芝生の上で水着になって日光浴してます。
真夏の日本にいる方に書いても、ピンとこないかも知れませんが、オーストラリアの8月はじめと言うのは、(6ヶ月足しても引いても良いが、とにかく日本とは、マ反対)日本の2月に当たるわけですから、いかに気候が温暖かがわかる。

さて、
先日の日記に、小学校の同窓生が、偶然に僕のこのHPを見つけてくれたことを書きました。
それ以来彼とはメールのやり取りが続いていますが、やはり話題は小学校時代の事。
とにかく僕と違って頭の良かった、武田君は(「T君」とすべきかと一瞬考えたが、やはり彼は有名人だから実名出しても許してくれるだろうと)小学校時代の記憶がいっぱい残っていて、僕にも当時の事を呼び覚ませてくれて、まことに楽しい。
懐古趣味は年取った証拠かもしれないが、何しろ日本を出てから30年近く、ましてや小学校を卒業してからは40年以上も経ち、浦島太郎のような者ににとっては格別に、当時の話は面白いに決まってるんで、武田君の記憶力のすごさに、当時知らなかった事まで判って、すっかり楽しんでいる。

モニターを見ながら一人ニヤニヤしてる僕を見て女房は、怪訝な顔。 
もちろん昔の同窓生とメールのやり取りをして楽しんでるのは知っているが、一人画面に向かってニヤニヤしてたり、たまに声を出して笑っていたりするので、「何が書いてあるのか知らないが、ヘン!」とまで言われてしまっております。

何しろ本まで出版してる武田君の事だから、書いてくるメールは楽しいし、面白いし。 そのメールに対して僕もふざけた事書いて返事出すから、相乗効果で。

当時の同窓生で、一番気に入った女のコは誰だったとか。 多分もうすっかりオバサンになってるんでしょうね。
下手すりゃ孫でもいそうな歳の同窓生たちですが、電子メールでやり取りしてる内容はまさにその当時に戻ってるわけで、同窓生を思い浮かべて書いていても、目に浮かぶ彼らの顔は小学生のそればかりで、永遠に変わりません。

で、お互いに当時の同級生を捜してみようと言う事になって、インターネットを駆使して捜してみたり。 中には(ジャズ歌手になってニューヨーク在住なんてのもいて)簡単にネット上で見つける事ができる者もいる。
しかし、一般的にはその人の名前で検索かけても出てくる確率はほとんど無いのだから、多くの同窓生を見つけるというのは多分不可能。

その上僕らくらいの年になると、PCにはなるべく近づかないというオヤヂ結構いますから、メールアドレスさえ持っていないほうが多いと思う。
たとえ持っていても、それは会社で仕事上与えられたもので、本人は好んで使おうとは思っていないようなふしもある。
と言う事は僕の目論むネット同窓会も実現はかなり期待薄です。

で、手元にある古い古い同窓名簿を手がかりに現在の連絡先を電話検索などで調べようと思うのですが、そういう電話番号(個人蘭)の検索サイトってあるんでしょうか?
オーストラリアではイエローページもホワイトページも総てネット上で検索できてしまうのですが、日本はしっかりNTTあたりが有料でやっているのではないかと。
そういうサーチご存知の方がいたら是非教えてもらいたいです。
一応「ユビトマ」と、「同窓ネット」というのは使ってみたのですが、これ系は、こちらからアプローチ出来ないので、同じように登録している人がいたら可能性があるいうことで、どうしても制約があります。


2001年8月6日

先日「YOGI」さんの日記を読んでいたら、20歳も年下の日本男児から、女房の扱いに「ご意見」をもらってしまったらしい。
(この「女房の扱い」って表現からしてすでにおかしいと思わない人は、以下の日記は理解難しいかもしれない)
それを読んでいて、少々僕も書きたくなったのです。

今から10年程前、日本から来る若い人達の面倒を見る仕事をしていた頃の話です。
当時僕は40歳前半、若い人たちの年齢も20代前半でしたから大体20歳ほどの年齢の違いがあった。 ほぼ自分の子供と言っても良い年代。

僕はかなり開けっぴろげな性格なので、その若い人たちも、ある程度僕のプライベートの部分知ってる人も多かったのです。
女房がオーストラリア人であるというのも、ほとんど知っていたと思います。 僕の行動について、その若い人たちの反応がとても面白かった。
ある青年は、僕が退社時間近くになって、「今日は何を作ろうかな〜」なんて言おうもんなら、「えっ田邉さんは料理作らされてるんですか?」、奥さんの尻に敷かれてるんですか、なんて思いっきり聞かれたもんです。

これは男性に限らず、女性からもさも憐れみのまなざしで、「奥さんは料理しないんですか?」なんて、まるで女房が全く料理をしないとでも勘違いしているのです。
中には(これには笑ってしまったが)いきなりある女性が僕の前に来て、「田邉さんは家に帰っても奥さんが三つ指ついて『お風呂になさいますか、それとも食事に致しましょうか』何て、言われた事無いでしょ? そういうのにあこがれた事無いの?」って言われた時には、思わず「う〜ン」と唸ったきり、次の言葉が出なかった。

また飲み会などに誘われても、(僕は下戸で、飲み会が苦手、カラオケも苦手なんです) 「実は今日女房と」、という口実を作って付き合いを逃れていたのですが、これも「何でも奥さんが優先なんですね」という反応が割と多かった。
実は当時僕は釣りに狂っていて、「Mさん」という友人と、ほとんど毎週土日は朝から晩まで釣りに行っていて、週末に一緒に居る時間は、女房と居るよりもよっぽど多かったのですが。

当時の人たちが皆そうだったというわけではないのですが、20歳ほども違う、若い人たちに言われたというのがショックだった。
僕は当時、いろいろ考えたのですが、ひょっとしたら日本では新保守主義が台頭してきていて、僕よりふたまわり近い若い人達が、僕の親と同じような感覚にまた戻っているのではないかと。
だから色々言われても、その言ってる本人には反論する気も起きなかったし、自分の考えを啓蒙する気も無かった。 
というよりも距離がありすぎた。

確かにうちの親などは、1987年から一緒に住み始めて、毎日の僕らの生活見ているので、(最近はもうすっかり慣れたようですが)かなり歯がゆかったようです。 つまり食事が終わって僕が皿などをさげていたり、ゴミを道に出しに行ったりしているのを見るだけで、母など「何で男のおまえがそこまで」と、小さな声でぶつぶつ言っていたものです。

我が父は、もうショウビニズムの権化のような人間で、女なんか1階級下の生き物、皿を洗うどころか、男の分際で台所に入るなんてのは、男の沽券(こけん)にかかわるなんて思ってるタイプ。
そういうのを見て育った僕は、狭い考えしか出来ないオヤジが哀れだった。
しかし、我が母もしかりで、(まあ世間知らずの母はオヤジに影響を受けたのでしょうが)そのような似たもの同士ならそれはそれでうまく行っていれば、メデタシメデタシではある。
もっとも、今の父を見ると、自分一人で、目玉焼きさえ作れないような状況で、完全に粗大ゴミ扱いされてます。
会社の社長をやっていた時はともかく、今のように隠居して何もやっていない状況になると急に母の立場が強くなるようで、昼は友人と出かけるから、勝手に食べといてと言って、父を残して出かけて行く。 残された父はなんだか、冷や飯にさばの缶詰か何か開けて飯の上にかけて食べてるのを見ると、自業自得だって思ってしまいます。(そう、電子レンジの使い方さえ判らない)

別に食べ物の事なんかはどうでも良い事なんで、人生の中で大事な決断や判断をしなければならない時にも、自分よりずっとクラスの下の人間だと思ってる限り、相談も、意見を聞くも、あったものではない。(はず)
つまり永年、女房は利口になってはいけない者で、おとなしく家を守り、子育てに専念してろと、教育してきちゃったから、肝心の時に頼りにならない。 人生には一度や二度は迷う時はあるはずで、よっぽどの自信家でない限り、アドバイスが必要になる時はある。

と、ここまで書いてふと大事な事を書かなければいけないことに気が付いた。
このショウビニズムは別段日本だけのことではない(もちろん世界で日本はショウビニズムで有名な国の一つですが)という事。
誤解しないで下さい、オーストラリア人でも千差万別、日本人よりショウビニスティックな人たちも居る。
まあどっちかって言うと、中近東系や東ヨーロッパ系出身者はかなりなもんです。 前に女の子の割礼の事を書きましたが、国によっては日本もはだしで逃げ出すような国も一杯ある。
実はWASPの中でも結構ショウビニスティックなのはいる。

どっちが良くてどっちがどうのこうのという議論は今ここで展開する気は無い。
しかし少なくとも自分の意見を押し付けて欲しくない。 この「意見を押し付ける」と言うのは、前述の若い人の、僕に対する反応も同類です。
つまり、世の中には色んな生き方があるわけで、自分の考え方と違うのに直面した時の反応の仕方ですな。

なんかうまく書けない。 もう少し整理して、あれも書きたいこれも書きたいと思っているのですが。
どうも短時間に(日記として)ぱっと書こうとすると、どうにも支離滅裂で。

もう少し考えて、書きたいことが整理できたらまた明日に続きを書きます。

そうそう、YOGIさん、あんまり気にする必要無いと思いますよ。
押し付けがましいのは確かに不愉快だけど。
この日記を読んで、ショウビニズムについてもう少し考えてみたい人は、上のYOGIさんのHPを参照してください。


2001年8月7日

昨日の続きを書こうかと思っていたですが、どうにも気が乗らなくなってしまった。
ただ少し説明を付け加えるなら、料理を例にとって説明していたので、その事だけに絞って書きます。

1974年に日本を出てイギリスに住みに行った当時、まともな日本食を食えるレストランはとても限られていた。
あまり日本食にこだわらない僕でも、たまには味噌汁も飲んでみたくなる。 それなら、自分で作れば良いと、全く単純明快。
女房が味噌汁を作って、とても自分の期待する味ではないなら、その味に文句をつけないで、自分で思う存分作ればよい。

もともと料理をする事には抵抗無かったから、ロンドンでの料理はエスカレートするばかり。 楽しくもなってきた。 そうなると日本料理以外にも広がっていくわけです。

つまり料理は、女房が作らなければならないものではないわけで、作りたい方が、又はその日時間が有る方が作ればよろしい。
日本のお父さんは、会社で忙しいから、お父さんが料理を作るって事になったら一家餓死してしまうかもしれませんが。
皆それぞれ家庭の事情は違うわけで、亭主が料理を作る、イコール女房の尻に敷かれていると短絡的に考える人がいるのにはビックリ。

キャリアウーマンで仕事もバリバリこなし、家の事も完璧で、亭主に箸の上げ下げ以外絶対にさせない主義っ、ていう人がもし僕の女房で、どうしてもそういう主義を貫きたいっていうなら、まことに結構、すべて好きなようにやってもらいます。
まあ中にはそういう人いるんでしょうが、もし現実にそういう人が女房だったら、なんか「SM」の世界みたいに感じちゃいます、僕は。

なんか話が脱線してきたので、突然話題を変えて。

一昨日、クリストファー.スケーセ(SKASE)という、僕と同年代のオジサンが死んだ。
もちろん日本では誰も知らないと思いますが、彼の死で1980年代に吹き荒れたバブル経済の最後の幕が閉じたような気がした。
彼は当時、オーストラリアで最も有名な起業家の一人だった。 もう一人のアランボンドが、刑務所に行ったのとは対照的に彼はスペインに逃げた。 今から10年以上も前の事です。
オーストラリア政府は必死でオーストラリアに連れ戻そうとしたが、スペイン政府は最後までそれに応じなかった。(この辺の事情も非常に興味のあるところなんですが) 
倒産寸前に、かなりの財産を海外に移し、マヨルカで豪邸に住みながら、オーストラリア政府の追及を鼻先で笑っていた。

オーストラリア政府はスペイン政府との交渉や、スイスなどに隠した金の行方の捜査に、すでに3億円も使っていました。
オーストラリアにいる債権者たちも一途の望みを抱えて、いつかオーストラリアに強制送還され、彼の隠し財産が解明される事を望んでいたのでしょうが、彼の死ですべてが闇に葬られてしまうでしょう。

そういう意味で、日本の起業家というのは、当時海外にどんどん投資していたくせに、(東京何とか組合の高橋某などその典型)スケーセのように海外に逃げちゃうってのは少ないですね。
せいぜいタイとかの東南アジア方面に逃げてしまうのはたまにいますが。
ソゴウの何とかさんにしても、やっぱりお縄になっても、畳の上で死にたいとかって日本人は思ってしまうんでしょうか。

もし日本人の起業家が(別に企業家でなくてもいいが)マヨルカに逃げたらやっぱり日本への送還は無いんだろうか。
国対国で、違いはあると思うけど。

しかし、追求を鼻先で笑っていた、このふてぶてしいと思われてた男も、胃癌で若くして死んだところを見ると、毎日が逃亡者の感覚だったのではないかと思いますな。
クリストファー、スケーセ。 元クインテックス社長。 享年52歳。


2001年8月8日

今日は数字について書きます。 
オーストラリア人は日本人に比べて、数の計算(暗算も含む)に弱いと思っている人は結構いる。
別にオーストラリア人ではなくても、ロンドン時代(服の仕入れを現金でやる事が多かったので)あまりに計算を間違える人が多くて、唖然としていたものです。 間違える人に限って、紙に書いた納品書とにらめっこしながら、暗算で計算したりする。
ほとんどが掛け算と足し算だけなんですが、目の前で何度も間違えて、間違えるたびに、「違う」と指摘していても、二度目三度目にやり直してもまだ間違ってる場合は、何か本人に言うのが失礼(恥をかかせてるんでは)ないかと、気が引けてしまうことも。

いまだにレストランに行ってお勘定を頼むと、(レジがあるのに)暗算でやってる人がいます。 ひょっとするとあれは、レジに打ち込むと明細が残ってしまうので、税金ごまかすために、わざとレジ使ってないのかもしれない。
僕は必ず持って来たお勘定を良く見ます。 間違ってる確率がかなり高いので。 亡くなった義理の父なども、あまりにしっかり見て計算しているので、オーストラリア人も同じ様に信用してないんだと思ったもんです。

日本人って、そこの計算を信用しているのか、もって来た勘定書きをしつこく眺めているのは、恥ずかしい事だと思ってるのかチェックしてないのが多い。
誤解して欲しくないのは、数の計算では、西欧人より日本人の方が優れていると言うような議論をここでしてるわけではない。

ただただ慣れと、ソロバン時代からの暗算(日本語での九九は英語の九九より言いやすい)の流れで、どっちかって言ったら日本人の方が間違えないかなと言う程度。
オーストラリアにもビックリするほど暗算の速い人はいて、先日もある蚤の市で、色々ガラクタをどっさり買ったら、全部でいくらと即座に言われて、あまりの速さに逆にこっちがビビってしまった。

頭の良い悪いなんてのとも全く関係なくて、ただただ慣れ。
得意不得意も多少あるかな。
先日の日記に車のナンバープレートのことを書いたが、僕のナンバーである「TOM 831」の831が僕の誕生日だとオーストラリア人に言っても、「えっ?何で」と言う人がたまにいる。
それは、誕生日と言うのはどうも、「AUGUST」の31日で、8月31日
と言う感覚が無い。 (最近コンピュータの発達で、西欧でも月も数字で入れなければならなくなっては来ているが)

ところが、
昔僕が日本からの若い人の面倒を見る仕事をやっている時の話。
しょっちゅう、彼らをこちらの医者に連れて行った。
やれ風邪ひいたの、怪我をしたのと、事務所の近くの開業医にはよく行ったものです。
ところがそこの受付のオネーさんは、ぼくが連れてくる若い日本人はやたら馬鹿だと思っていた。
それはなぜか。
医者に行くと必ず最初に聞かれるのが、姓名。 その次が生年月日です。 僕は通訳としてその日本人の患者と受付のオネーさんとの間に立って、聞かれることを次々と通訳し、答えを英語にするわけだが、名前の次の生年月日で必ず引っかかる。
「生年月日は?」  「え〜、昭和53年の〜、、、、」
ここはオーストラリア、西暦で言えっていうのに、ほとんどに人が西暦で即座に言えないんです。
もちろん僕は昭和に25足すと西暦になるっていうのは知ってるけど、来たばかりの彼らが、先々オーストラリアで暮らして行くに、自分の生年月日さえ言えないというのは困るので、その場で自分で西暦になおして言うようにしてもらう。
ところが、25足せば良いとか知らない場合は、答えが出てくるのを受付のオネーさんも僕もじっと待つ事になる。 
結局西暦では言えない人も結構いる。

で、受け付けのオネーさんの立場から見ると、名前の次に聞いてる本人の生年月日さえ答えるのにこんなにも時間がかかる、ものすごくスロー(英語でもスローは馬鹿の意味も含む)な人間なんだと思ってしまう。
だいたい、自分の生年月日を聞かれて考え込んでる事自体が、もうビックリ。
そのうち、そのオネーさんも和暦と西暦について、知るようになるのだが、受付のオネーさんというのはしょっちゅう変わってしまうんですよね。

僕は今、平成何年とか言われたらすぐに西暦になおせない。 全く普段和暦は使わない生活だから。
こないだも日本のビデオ見てて、選挙前のテレビ討論会で、出席者の議員が和暦で、「わが党はその年には、どうのこうの」と言い、相手の議員は西暦で言うものだから、司会者の田原総一郎でさえ「ちょっと!西暦で言ってよ」って文句言ってました。
海外に行こうと思ってる皆さん、少なくとも自分の生年月日は西暦でも言えるようにしておきましょう。
もう一つ付け加えるなら、日、月、年の順に(つまり日本と逆ですよ)言えるように。
思いっきりスローな人と間違われないためにも。

そう、この日記の書き出しは確か「日本人の方が数は得意」で、始まったはず。
結局、慣れなんです。


2001年8月9日

先日ある雑誌を読んでいたら、アメリカに行った駐在員が現地の運転免許試験で、オバタリアンのような試験官に、何度も落とされた事が書いてあった。
彼は運転には自信があり、一緒に受けた彼の女房は、確実に彼より運転が下手なのに、一発で受かったとの事。
つまりその試験官と馬が合わなかったようですが、僕にも似たような経験があったことを思いだした。

僕が1974年に日本を出た時、普通乗用車と、自動二輪(これを16歳の時に先に取った)の日本の免許を持ってイギリスに住みに行った。
もちろん国際免許にしてイギリスに行き、現地で慣れたらイギリスの免許を受けようと思っていた。
しかしズサンな僕は、試験車は自分の車を持ち込む制度や、申し込んでから試験日は一ヶ月以上先になるイギリスの試験制度で、すぐに試験を受けなかった。 
また日本の国際免許で乗っていても(1年以内なら)何のおとがめも無い時代で、その上たまにスピード違反で停められても、日本の国際免許を出すと、「何だ旅行者か」とばかりに、チョット注意されただけで許してもらえてしまうのも、すぐに受けない理由でもあった。
しかし1年の国際免許の期限もそろそろ切れるという頃、しぶしぶ運転免許を受けに行った。
当時はまことにノンビリした試験で、(多分イギリスの今の試験は違うと思うが)自分の車を持ち込んで、何と一般の道で試験官を横に乗せて運転するものだった。
なぜか、筆記(と言っても一対一の口頭での試験)は、実技の後で、実技が受かっても、その筆記で落とされることも十分あった。
当時僕はニッサンの260Z(2+2)というスポーツカー(のようなもの)に乗っていて、運転免許試験に持ち込むには似合わないと思い、女房が乗っていた、「オースティン.ミニ」を持ち込む事にした。 
ところがこれが裏目に出てしまったのです。
嫌味な試験官は、最初から僕が運転が下手だから、こんな小さな、運転の簡単な車を持って来た、それなら逆にうんと厳しくしようと、僕が運転を始める前から決めていたようで、しっかり落とされました。
出発地点に帰って来て、合否を言われるのですが、運転に自身があった僕は落とされる事など考えてもいなかったし、何の落ち度も無い運転をしたと思っていたので、落ちたと聞いたときには耳を疑った。

落とそうと思えばいくらでもこじつけの理由をつけられるもので、まず僕のハンドルの持ち方と、まわし方が悪いとの事。 イギリス特有のハンドル操作は知っていたが、日本の10時10分の位置で持つ模範的な持ち方とまわし方で、ちゃんと運転できれば何の文句も無いはずだと思っていたが、ダメだって言うんです。
ちなみにイギリスのハンドル操作って異常なまでに変わっていて、Uターンをする時など、ハンドルをぐるぐる回すわけですが、その時も一切両手ともハンドルから離してはいけなくて、妙な送りハンドルというような操作をする。 
またバックミラーもサイドミラーも確認する回数が足りなかったって言われた。 必要以上に僕は見ていたのだが、どうやって試験官は僕の目が何回確認したかを言えるのだろうか。

ちょうど前の週に女房がやはりミニで受けて、一発で受かっていたので、本当に信じられなかった。
また次の試験までかなり待たなければならないし、頭に来た僕は友人のイギリス人に話したら、彼も何度も落とされたとのこと。
3度目に落とされた時には、出発地点(つまり試験官が乗り込んで、試験を始める場所)からかなり走って来たところで、3点ターンをやっていて失敗してしまった。 
はっきり自分でも落ちたと自覚した彼、その場で試験官に「俺は落とされるんだろう」と聞いたところ、試験官がニヤっと笑ってうなずいたので、彼はカッとなって、試験官に「今すぐ俺の車から降りろ!」と言って、その場で試験官を置いて帰ってきっちゃたそうです。
そこは試験官が乗り込んだところからはかなり遠く、その上郊外で、降ろされた試験官は、ヒッチハイクか、タクシーを使って帰ったのではないかとの事。
確かに、受験者の心得に、「試験官を必ず乗り込んだところまで送り届ける事」なんて無かったかもしれませんが、普通は終わって出発地点まで帰って来て、そこで合否を言い渡されるので、皆合格に自信が無くても一途の望みを抱いて、帰ってくるのですが。
彼はさぞ気持ち良かったでしょうな。

日本じゃ自分の車を持込で、一般の道路での試験などやりませんから、そんな裏ワザ使えませんが。

さて落とされた僕は、次の試験にはニッサン260Zを使う事にした。
ミニの方がかえって損だと気が付いたのと、逆にスポーツカーなんかで試験を受けに来るようなのはいないだろうと思ったから。
まして当時のイギリスで、ニッサンのスポーツカーなどとても珍しかった。
案の定、当日の試験官は乗り込むなり、中をきょろきょろしていて、ギヤは何段かとか、まるで運転免許の試験とは関係ない事を聞いてきたり。
もちろん全く問題なく受かってしまったのですが、はっきり言って最初にミニで受けた時の方が、もっとうまく行ってたんですけどね。

そうやって頂いた、イギリスの免許証というのが何と、写真も付いていないうす緑色の紙切れ1枚といった感じで、ありがたみの無い事。
ところが! 何とこの免許いったん取ってしまったら(違反などで取り消されない限り)70歳まで有効なんです。
ですから当時(1970年代)もらった免許に2017年8月31日まで有効と書いてあったときは感激しました。
イギリスは3年とか5年毎にいちいち免許の発行で儲け様なんて魂胆無いところが嬉かった。

と、ここまで書いてその後のバイクの免許の事や、やはりオーストラリアで試験を受けた時に被った嫌がらせなど、書きたいことが一杯あることに気が付いたが、長くなりすぎるのでまた明日にします。


2001年8月10日

昼にバアサンがどうしてもベトナムのウドン「PHO」を食いたいと言い出して、Bankstown (バンクスタウン)のアンレストランへ。
このレストランについてはもう何度も書いているので、省略。 相変わらずシドニー1の良い味出してます。 こくがあるのに切れが良いというか。
(1杯7ドル70セントなり)
腹ごなしに、回りの店を覗く。 珍しくベトナム人ではないのが経営するデリカテッセンがあるので、入ってマケドニア風ダンパー(大きな塊の丸いパンです)と、HALVAを仕入れる。 HALVAは、チョコレート味と、ピスタシオナッツ入りの2種。
午後のお茶に、このパンのスライスにHALVAを乗せて食すつもりで。
このHALVA、オリジナルはギリシャあたりかもしれない。
日本の古いお菓子のルーツのような気もします。 ラクガンとか。
主に原料はゴマの粉。

さて昨日の免許の続き。
無事イギリスの免許を手に入れた僕ですが、実は当時バイクも乗ってたんです。 車と同じように、日本の国際免許で、400ccのバイクを乗り回してました。
ところがある日、高速道路へと続く、インターチェンジの大きなカーブをサーキットの最終コーナーよろしく、思いっきり、リーンインで入っていったら、「ずる!あっれ」ってなもんで、落ちてたオイルに乗ってコンクリートの壁へ、こんにちは。
怪我はたいしたことなく、ぶっ壊れたバイクの横でどうしようか考える間も無く、パトカーが通りかかったのです。
レッカーを呼んでくれたのですが、同時に免許も見せろってことに。 
実はその時、ちょうど日本からの国際免許切れてしまっていたのです。 すでに乗用車の免許は前述のように取ってたのですが、バイクはまだだったのでバイクに乗る時だけ、日本からの国際免許と、使い分けてたんです。

で、期限切れだから無免許運転になってしまったわけ。 その上、無免許で、(インターチェンジも高速道路の一部らしく)高速道路に入るのは、罪が重いって言うのですよ。
で、交通違反の裁判に出なければならなくなったのですが、これがもうメチャクチャ先なのです。
で、僕は裁判までにソッコウで250ccのバイクを購入して(400ccではバイクの免許試験の持ち込み車としては認められてない)、試験を申し込み、その裁判が行われる前に、自動二輪の免許も取ってしまったのです。 
で、裁判の始まる前に裁判所に、女房にうまい手紙を書いてもらって出したら、たった3000円くらいの罰金で済んでしまいました。
免停も無し。 古き良き時代だったかも。

さて1980年にオーストラリアに引っ越してきたら、イギリスの免許を持っているのなら、筆記試験だけでオーストラリアの免許もらえることを知った。 (確か当時、筆記試験だけでオーストラリアの免許になるのは、イギリスの免許だけだった)
早速受けに行ったのですが、しっかり勉強して行ったにもかかわらず、落ちてしまいました。
なぜか。 僕はほとんど経験は無いのですが、今から21年前の当時は、日本軍と戦った事のある元軍人というのが、まだ現役で働いている時代で、僕が受けに行った試験所にもそう言う「日本軍にいじめられた」というようなオジサンいたんですな。

その頃、ペーパー試験(筆記試験)というのは、正確には試験官と、受験者1対1の口頭試問で、思いっきりいい加減なものだったのです。
しかし僕はばっちり予習をして行ったのに、何とそのオヤジ、教則本に無い事まで聞いてきて落とされたのです。
いや〜、この時はイギリスで落とされた時以上に頭に来たかもしれない。
オーストラリアでは酒気帯び運転は認められているのですが、1時間に何杯まで、(例えばウイスキーなら)飲んでも運転できるか、というような質問が必ず出たのですが、酒を注ぐ器が何で(ミディーといった)何杯と、答えているのに(正解を)じゃあそのミディーは他のグラスにすると何ミリリットルかとか、完全に落とすためにネチネチと聞いてくるのです。

初めての試験だったので、オーストラリアでは模擬試験にも無い、教則本にも無いことまで聞くのか半信半疑だったのですが、オーストラリア人の女房さえ知らない事まで聞いて、わざと落とされたのです。
僕としては、絶対に自信が有ったので、即、翌日も受けに行ったらそのオヤジは居なくて、今度は子供みたいに若い可愛いオネーチャンが試験官で出てきた。
試験が始まってみると、まるで「昨日の試験は何だったんだ!」と思うほど簡単で、試験時間もあっという間に終わってしまった。

1980年当時は、こういう日本人を目の敵にするような輩は、たまに居たのでしょうが、僕は運が良いのか、結局いやな思い出はこの1度きりでしたが。
脳天気な僕はやられても気が付かなかっただけかもしれないが。

それにしても以来21年間、そうやって取ったオーストラリアの免許の提示を求められた事が、たった1度しかないというのも、いかに警察が少ないかをあらわしてるかもしれないです。


2001年8月11日

このところ良い天気が続いているせいか、朝夕、春の香りが空気中を漂っています。
匂いに異常に敏感な僕は、その香りの話をすると、家族はまたかというように「ッたく、犬みたいなんだから」と言われてしまう。

こういうのって(特技か?)なんか生かす方法無いもんですかね。
例えば匂いで地雷を捜すとか。 (んなわけないか)

今朝匂ったのは、池の鯉に餌をやってる時に。
春が近づいてるのか鯉の匂いが水にうつって、独特な香りが。 多分鯉の発情が近づいてるのでしょう。
夕方に匂ったのが、春の近づきを知らせる、(芝かも?)匂い。
これはまた独特で、一番強く感じたのが、フィージーの首都スバ(SUVA)に行った時に、この匂いが強く漂っていました。

このにおいは絶対に、日本の都会では絶対に経験できない匂い。
残念ながらボキャブラリーの乏しい僕には、この匂いを的確に表現できない。
僕は野生に近いのかもしれない。
野生といえば、先日「TOM HANKS」の映画、CASTAWAY(無人島でサバイバルするやつ)をビデオ借りて来て見た。
その次の日に偶然、NHKの昼の番組に小野田さんが出ていた。
子供たちにサバイバルを教えるというような趣向で、どうやら日本でも、サバイバルは流行なのか。
アメリカのテレビ番組「サバイバー」は日本でやっているのか知らないが、オーストラリアでは大変な人気である。
オーストラリア版まで登場する始末。
しかしサバイバルといったらやはり小野田さんや(横井さん)でしょう。
そのNHKを見ていたら、小野田さんが火を熾す(おこす)方法を伝授していたが、いや〜さすが、本物は映画とは違って、感心しました。
僕が考えていた、棒を回す方法ではなかった。 皆さんは、どういう方法を思い浮かべますか?

TOM HANKS の映画よりも彼の経験の方に大いに興味を持ってしまった。


2001年8月12日

本日は恒例の「CITY TO SURF」 マラソン。
14キロチョットの距離を、今年は5万人以上が参加。 
14キロと言っても、途中かなりきつい心臓破りの坂があります。
「高橋尚子の影響で、今年は日本からも沢山参加者が、、」何て、いい加減な事を言ったら、我が両親はすっかり信じて沿道に応援に出かけた。
ところが今年は例年に無く、上位を走る日本からの参加者が少なかった。 これも不景気の影響なんでしょうか?

コースはうちと目と鼻の先。 ボンダイビーチというオリンピックの時にビーチバレーが行われた有名なところがゴールです。
毎朝犬を連れて散歩に行く公園もコース沿いで、今日は朝から給水のテーブル設置に多くのボランティアが出て準備してました。

レースはタンザニア勢がトップ独占で、優勝のYUBA(だったか、もう忘れてしまった)が、10年間も破られていない40分3秒の記録を途中までは完全に凌いでいたのに、独走態勢の気の緩みか、ゴール間際で延びず10何秒かで40分の壁破れず。
スティーブモノゲッティー(オーストラリアのオリンピック選手)のこの記録が破られるのを期待していたのに。
是非、日本の選手が来て、トップでこの記録を破って優勝してもらいたいと願っております。
日本の選手は来てるみたいだが、毎年2流ばかりの様で。

さて、先週の金曜日からスキーに行っていた娘が10日ぶりに帰ってくるので、空港に迎えに行ってくれという。
せっかくの静けさと平和が終わってしまうと、「え〜!もう帰ってきちゃうの?」と女房に言ったら睨まれた。
多分僕は娘が嫁いでも、全く気にならない。 が、女房は寂しがるでしょうな。
今年、「オナーのコース」終わったら、いよいよ大学も終わりで、その後何をやりたいのやら。
一時は、研究室に残るとか言っていたのですが、どうも海外に行きたいようで。 (研究室で若いのに教えたりして、お小遣い稼ぎしてたのですが、やっぱり金額的に良くないのか?)

娘はイギリス生まれなので、オーストラリアとイギリスのパスポート持ってるんですけど、今やEC関連で、彼女の場合EC諸国内でも就職できる。
非常に有利な立場です。
しかしそのため日本のパスポートはもちろん貰えません。
日本だけ(?)がデュアルパスポート認めてないのです。 
本人はアメリカにも大いに興味があるようで。 どっちでも良いから早く出て行ってもらいたいと。 (親元を離れるというのも、人生の良い経験という意味で)
そんな事を言うと、女房が渋い顔をする。
僕は親と喧嘩して、21歳の時に家を飛び出したのが、我が人生で最高の決断だったと思ってるんで、娘にも大いに勧めてるんですけど、どうもここが居心地が良すぎるのか。

ここを離れたくないと言うわけでもなくて、16歳の時に一人でスイスに夏休みの2ヶ月留学した時には、気に入ってしまって帰りたくないって電話があった。
その時は、高校の途中だったので、帰って来ましたが、出たい気持ちは大いに有るようで。
どうなる事やら。

そういえば昨日遊びに来た、(日本から英語の勉強に来てホームステーしてる)甥っ子も、ケアンズに行ってスキューバダイビングを楽しんできたと言うし、娘はスキーで、最高の雪が降ってるって言ってたし(場所はマウント、FOTHAM)、同じ国なのに、さすが広さを実感させてくれます。
シドニーはちょうどその中間で、暑くもなく寒くもなく。


2001年8月13日

先日の日記に香り(匂い)の事書いたら、何通かメールもらって、嗅覚に関して、また考えてました。
今朝も、女房と犬を連れて公園に散歩に行こうと、ドアーを開けたときに、春の香りが。
すぐ横に女房が居るので、この匂いは英語ならどう表現するんだ?って聞いたら、「な〜んにも匂わない」と言われてしまった。
実は自分の表現不足というか、ボキャブラリーの無さを、英語で表現させて、それを日本語にしてみたら、何とか補えるかと思ったんですけど、匂わないんじゃどうにもなりませぬ。

しかし日本にいる姪っ子から匂いについて、メールが来たので、チョットご紹介を。 
(僕の日記に使うぞって言ったのに、まだ返事が来ないけど許してもらえるでしょう)

彼女は山口県から、東京で写真の勉強をするために上京、今は埼玉に住んでおります。
以下引用

> シドニーは今いい気候なんですね。いいなあ〜。
> 今埼玉&東京はじめじめムシムシという天気です。
> 山口はカラッとしてて快適だったんですけどねー。
> HPで空気の香りの話が出ていたんですけど、田舎ではそういうの感じ る時があります。
> 都会ではゴミとか道行くお姉さんの香水の臭いとか満員電車のオヤジ の臭いとか
> そんなもんしかないですが、田舎では稲の臭いとかしますね。
> 梅雨の時は雨臭くて、海に行けば磯の臭いがして、田舎は臭いも贅沢 ですね。
> 小学生の頃、たんぼに囲まれた道を通学していた時は、車や自転車  が引いてしまったカエルの臭いもしたものです…。
> 今の時期だと庭になるさんたろうざ(って我が家では言ってるんですけ ど正式名称はわかんないです??)の臭いと、お仏壇のお線香のにお いですね。

そうですよね!皆さん毎日の生活の中に、色んな匂いを感じ取ってるんですよね。 
僕の周囲にいる者だけが、匂いに鈍感なのばっかりではないかと。
うちのバアサンなど、目の前でパンとか思いっきり焦がしちゃってても、「あら、気が付かなかったわ」なんて言ってくれます。

上の記述で、「引いてしまったカエルの臭い」なんてのは、東京育ちの僕には経験無いけど、判るなあ。 その臭い想像できる。

都会にも田舎にも色んな臭いがある。 僕もオヤジだからオヤヂの臭いするんだろうな。 自分自身では、タバコを止めて、ピロリ菌退治してからどんどん嗅覚が鋭くなってるというのは自覚してるんですけど、自分の臭いもわかるが、これがオヤヂの臭いなのかな。
匂いに敏感だと、すれ違うオネーさんの香水の香りが、ちょとでも強いと、不快感と言うか頭痛くなります、すれ違っただけでも。
そう言う場合はせっかくの香水なのに、「香り」や「匂い」より「臭い」という字がぴったり。

稲の臭いとか、やっぱり田舎の方が色んな気持ちの良い匂いが多いんだろうな。 そうそう「磯の香り」と言えば、なぜかオーストラリアのは匂いがすごく弱いです。 何でだろうって考えてたんだけど、海の中に住むバクテリアか、海藻かの違いじゃないかって思います。
「磯の香り!」海辺の町に来た!っていう感じ全く無いです、こちらは。

お盆の匂いってのも、思い出一杯。 思い出と言うのは、オーストラリアに来てからは、お盆の臭いとは無縁だから。
お線香の香りと、お供えしてある桃の香りと、夏の匂いがかもし出す独特な香り。 湿度の低いシドニーでは、同じ臭いを作り出す事はまず出来ないでしょう。

日本の友人が、最近マツダのオープンスポーツカーを購入した。
夏だし幌をあげて快適にドライブ楽しんでる?って聞いたら、暑いし、臭いし夏はダメだって言ってました。
ドライブを楽しむのにも匂いは関わって来るんですな。

僕の頭の中には「カチッとした匂い」とか、「フワ〜っと心を引き上げてくれる香り」だとか、「マイルドでやさしい香り」とか、一杯あるのですが、それがどういう匂いなのか、本当にうまく表現できない。(歯がゆい)

今日は、匂いの事はいい加減に切り上げて他に書きたいことが有ったのだが、なんかこれで終わってしまいましたね。


2001年8月14日

昨晩は、突然甥っ子が(妹の長男で、日本から英語の勉強に8月一杯来ている)、友人を二人連れて遊びにきました。
急に3人増えても、晩御飯の用意など無いので、チャッツウッドの中華、「金福」に食いに行った。
我が家5人、客3人の計8名、当然車1台には納まらず2台で。

二人ともこの英語学校の友人とか。  男の子の方は、甥っ子の大学の同級だそうで、(両方とも来年から就職、最後の学生生活を、海外で満喫しに来たというか)もう一人連れて来た女の子も大学の同級生だと思ってたら、彼女はこちらの英語学校で知り合った、まだ19歳とか。
しかし話をしていると、この名古屋出身で、現在聖心女子の2年生と言う方がよっぽどしっかりしてます。

これは僕の経験なのですが、平均的に日本人はこのくらいの歳の時には女の子の方がよっぽどしっかりしているというか、大人っぽいと言うか。
彼女は、一人で日本から夏休みだけ英語の勉強に(英文学科とか)来てる訳ですが、うちの甥っ子は、我々がオーストラリアに住んでなければ絶対に一人では来ていないだろうし、その大学の同級の男の子も、甥っ子がいるから来たようです。

いや、今日はそんなことを書こうと思ったのではなく、このレストランについて。
この「金福」レストラン、中華街にある本店は、昼の飲茶で(やむちゃ)、シドニーナンバーワンの座をずっと保持してる。
一時は、昼に行ったら整理番号もらって、メチャクチャ待たされたもんです。 レストランの入り口など、食べ終わって出てくる人と、整理番号握って、「まだかっ」てジリジリしている人が黒山のようにたかって、まるで、最盛期の証券取引所みたいな賑わい。

この店がチャッツウッドのウエストフィールドセンターの6階にもオープンして、我が家からはハーバーブリッジ(又はトンネル)を使っていかなければならない距離だが(中華街の本店の方がはるかに近い)とても駐車が簡単で、その上駐車無料、特に今日は2台と言う事で、昨晩はそちらに。

うちのバアサンは珍しく(孫と言っても)お客にはしゃいで、やれ北京ダックが良いだの、海老の何とかが良いだのと、高いものをバンバン言っておる。 で、注文しようとウエイターにメニューを見ながら、選ぼうとしたら、メニューの最初のページと言うか見開きに、「キャッシュオンリー」って書いてあるんです。
「ガ〜ン!!!!」 
「え〜ッ!ここカード使えないの?」と、ウエイターに聞くよりも、先に「ジイサン、今日キャッシュ持って来た?」って慌ててしまいました。

日本ならまだしも、オーストラリアの、それも超有名な大店の中華レストランで、現金オンリーって言うのは、前代未聞、空前絶後なんです。
で、ウエイターに「何で、、、、」と言う前に、ある噂が急に僕の頭の中を駆け巡った。
実は先日、例のPC屋のオニーチャン(香港系中国人)からの情報で、このレストラン大きなスキャンダルに巻き込まれた。
女房が言うには、こちらの新聞にも出ていたそうな。

そのスキャンダルとは、客の出すクレジットカードをレジに持っていく前に、磁気読み取り機にかけて、カードの情報をすべて抜き取り、偽造カードに情報を移す。 そしてそのカードは闇で売られる。
余りにも被害が大きくなって、調査の結果、このレストランで客が使用したカードばかり。
店側は、一部の不良店員(大きな店で、ウエイターウエイトレスの数も非常に多い)が、客から渡されたカードをレジに持っていく前に、すばやく磁気読み取り機に掛けてやっていた、店は全くその犯罪に係わってないと、声明を出した。
実はこの手の犯罪は、日本でもかなり急増しているらしい。 中国からの犯罪組織が、その磁気読み取り機から変造カード製作のため道具一式を持ち込んで。

しかし、店が総てのカード会社から拒否を喰らうなんて、聞いたことがない。
PC屋のジョンも(同じ中国人の情報として)、あれは確実に店が係わっていたとのこと。
あれだけ繁盛している店で、食べ物売るだけでも大いに儲かっているのが、果たしてそんな事までやってしまうのだろうか?
そういえば10年程前に、中華街のやはり有名レストランの女オーナーが、ヘロイン3億円分輸入して捕まった事を思いだした。
その時は、そのレストランの業績不振の穴を埋めるためという話だったが。

この異例の「キャッシュオンリー」で、その晩は食べながら、いちいち働いてるウエイターや、マネージャーの顔を、じっくり見てしまっていました。

クレジットカードを使う場合は、引き落としのチェックは忘れずに!


2001年8月15日

小学校の同窓生が、僕のHPを偶然見つけてくれ、以来一緒に同窓生捜しを始めた。 (このことは日記にチョット書いたかな)
1960年に小学校を卒業した同窓生は54名。 何と、9クラスくらいあった。 (もっとあったかもしれない、今度ちゃんと調べます。 戦後のベイビーブーマーを象徴する数字))
今年で、卒業ちょうど40年です。 
僕は日本を出てから27年も経つので、同窓会に参加できなかったというのは致し方ないと思ってたのですが、どうも我われのクラスは、幹事役のなり手がいなかったようで、たった1度だけ(まだ僕が日本にいた)30数年前に、というありさま。

また、最後に製作された名簿といっても、とても古く正確でない。
もう半世紀近くも経つと、(いやだなこんな表現)捜すのは無理かと思っていたのです。
しかし世は、IT時代。 オーストラリアに住む僕が、インターネットの検索を使い、結構連絡先を探し出せるんですよね。
(日本の電話番号検索については、K君からの情報とても助かった。)
とりあえず、武田君に調査票を作ってもらって、調べのついた連絡先に送る予定。
僕の望んでるのは、距離を越えたネット同窓会なのですが、どうも僕ぐらいのオジサン、オバサンになると、ネットやってる人は極端に少ないのではないかと、少々不安。
今日も、ある同窓生に(女性)調査票をFAXで送りたい旨、説明しようとしたら、「あ〜、FAXは私使えないのよ。 娘か亭主なら使えるけど」って、どうやらコンピューターと混同している。
と言う事は、彼女E-Mailは当然無理。
我われの歳でもそんな調子ですから、僕の親なんかが「電子メールを使って、連絡を取り合う」なんていうのは不可能。
でも不思議な事ですよね。 いくら歳の親でもテレビは使えるのですから、どうしてPCも、いや少なくともインターネットだけは、簡単に使えるようにならないのか。
インターネットに特化した製品も日本では出ているとは聞くのですが、キーボードにしても、どうしても使えない人にはボイス入力や、ペンで書き込む方法とか、いくらでも開発進んでも良さそうな気もする。
本日も、一昨日に甥っ子を連れて行ったレストランで撮ったスナップを、電子メールに添付して、僕の妹に送ったのですが、ちょうど母がそばにいたので、(冗談で)、妹にバアサンの名前で写真添付のメールを出した。
写真に付けたメールには
「恵美へ。 カズ君がお友達を連れて遊びに来てくれたので、いっしょに中華を食べに行きました。 その時に撮った写真を、送ります。 私は昨日からPCの勉強始めたので、写真の添付のしかた難しいのですが、どうにか送れるようになりました。 キーボードももう少しうまくならなければ。  美枝子より」

もちろん完全に嘘なのですが(僕が書いた)そういう事が現実になる日が早く来れば、我が親も、もっと日本の友人とメールのやり取りや、日本のニュースなど楽しめるのにと。
日本では、YAHOO.BBなどの、ブロードバンド普及で、可能性はどんどん膨らんでるのですから。(8Mbなんて!本当に羨ましい。)


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