2001年12月前半の日記

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2001年12月1日

 

 


今年もあと一月。
あっという間に1年が終わっていく、時間が過ぎて行くように感じるのはやはり歳のせいか。
親戚の不幸や親の体調などで、最近はちょっと落ち込み気味です。
この原因のもう一つは、どうも自分の年齢や、体力などにあるのかもしれません。
僕は45歳ちょっと過ぎた頃に、男の更年期のような鬱状態があって、結構悩んでいました。
そのくらいの歳になると、ほとんど自分の残りの人生が見えてくるというか、予測がだいたいつくようになる。
そんなに大きく自分の将来に変化は起こらないだろうというような。
つまりこれからの人生が全く予測がつかない状態の方が、何かエキサイティングで、生活も引き締まるのかもしれない。

そういう鬱状態は、趣味で始めたスポーツなどで吹き飛ばす努力をして克服したつもりだったのですが、ここへ来てまたまた落ち込み気味です。
今回は最初の時よりもひどくは無いのですが、この症状が出始めた原因は、最初にも書いたように僕が子供の時に随分可愛がってくれた叔父の死や、またオヤジの病状などが大きく関係しているのでしょう。
昨日もインターネットで、もとビートルズの一人ジョージ・ハリソンの訃報を知って、またまた考え始めてしまった。

彼はまだ57歳、たった僕より3歳しか離れていないのに。
やはり彼も癌だったようですが、上記の叔父も、我がオヤジもみな癌なので、よけい心にズンと重く感じる。
ビートルズは僕(54歳)の年代にとっては青春の1ページ。
僕がロンドンに住みに行き、そしてその後日本に帰ることなく海外生活を続けているのも、元はと言えばビートルズを始めとする僕の大好きだったブリティッシュロックミュージックの影響があった。

1973年に2度イギリス旅行をして、当時日本ではほとんど不可能に近かった多くのスーパー・グループ達が毎月のようにどこかしらで、コンサートをしている、そしてティケットも格安でという状況を見た時、「ここは住みに来なければ話にならない」と確信したのです。
もう一つは、その当時僕の仕事だったファッション関係で、デザイナーの「コシノ・ジュンコ」さんに言われた、「若い時にヨーロッパに住むべきよ」という言葉も動機の一つでした。

彼女、ジュンコさんはもうすでに売れっ子ファッションデザイナーとして、青山3丁目にブティックを開いていました。
彼女にとっての心残りは、欧米には何度も旅行はしていても、実際にそこに住んで生活をした事が無いという事。
デザインをする上で、得るものが沢山あるはずだという意見でした。
(その彼女の意見は、その後彼女の妹コシノ・ミチコさんに受け継がれ、僕がロンドンに住み始めてからすぐ後に彼女もロンドンに住みに来ました。)
話が飛んでしまいましたが、(いつもの癖です、すみません)7年近くいたロンドンでの思い出は尽きないのですが、昨日のジョージ・ハリソンの訃報に接して、当時の事を思い出すと同時に、それが遠い過去として完結してしまったような悲しさと言うのでしょうか。
もちろん当時の音楽なんて現実的には、とっくに終わってしまっている物なのではありますが、いつまでも僕の心の中に生きつづけていたのです。

MSNのニュースサイトに出ているジョージ・ハリソンの最近の写真を見ると、ものすごく老けていて(癌だからなのでしょうが)心の中にあるビートルズのイメージとはおおよそかけ離れた彼の年老いた顔を見ると、自分も同じように歳をとったのだと嫌でも認識させられて、よけい落ち込んでしまいそうです。

だから僕はその当時大好きだったスーパースターたちの最近の写真など、なるべく避けて見ないようにしていました。
ローリングストーンズのミック・ジャガーにしても相変わらず精力的に活動しているし、歳の割に若いと言う人も多いようですが、僕はそう思わない。
つまり若さというのが、ロックの最大の魅力だと思っているので、しわくちゃのオジサンが出てきても、のらないというか。

これは僕の性格なのかもしれないが、昔のイメージを壊されたくないというか、最近も「昔々のスーパー・グループ」が再編成されてオーストラリアにもツアーに来ていますが、全く興味が湧きません。
だから、僕は一度解散したビートルズがまた再編成されずにジョンが逝き、今度はジョージがいなくなって、終わったのは良かったと思っています。

今日も朝からウイルス入りのメールが届いています。
中には、全く覚えのない日本人の名前があって、いったい誰だろう、どうして僕のメールアドレスを持っているのだろうと、分からない人までいます。
この「Badtrans.B」という名前のウイルス、かなり猛威を振るっているようで、昨晩などいつも行くサイトが遅いのなんの。
皆さんも是非ウイルスチェックをお勧めします。


2001年12月2日

昨日日本では大騒ぎだったらしい。
そう、皇太子夫妻にお子さん誕生のニュース。
我が家には日本のNHKのニュースを見ている年寄りがいるので、早速昨晩の夕食の時にその話題になった。

母が、出産のニュースを話すと、僕の女房が「あ、そうですか、生まれたのはいつでした?」と聞いたのです。
こちらのテレビニュースでは(多分やっているのかもしれませんが、)ほとんど大きく扱われていないので、僕も女房も知らなかった。
で、女房は生まれたのが昨日だったのか今日か程度に聞いたのに、まずオヤジが即座に「午後2時45分!!!」と答え、すぐにわが母が「43分じゃなかった?」というので、僕と女房は笑い出してしまいました。

普段かなり頭の方が「ゆっくり」になってきて、大事な事を聞いてもしょっちゅう忘れてしまうような両親が、45分か43分かまではっきりおぼえようとしているのですから。(もっとも僕はこのニュースまだ見てないので、この時間も確かかどうかは知りませんが)

思わず女房は「飛行機の出発時間を聞いても憶えられないのに、分単位で言えてしまうところがすごい」と驚いてました。
で、母が即座に「でも、女の子だったのよね〜」と、ちょっとがっかりした表情で言うに及んで、オーストラリア人の女房は例によって議論を持ち出してきました。

「なんですか、そのがっかりした様子は。 どうして男の子でなければいけないの? 女性が天皇になってはいけないの? だいたい日本の天皇なんて飾り物でしょ? 」
まあこういう議論は男女同権で育った女房には当たり前の事なんですけどね。
イギリスも女王様だし。 男だろうが女だろうがどっちでもいいと思ってるわけです。
日本では女性の天皇は認められていないというのも知りませんし。
しかし、どうして駄目なんですかね?

日本からメールを貰って、昨日はそのニュースで、テレビも皆特別放送になってしまい、見たかった番組も取りやめになってしまってがっかりしましたとの事。
何となく想像つきます。 日本は総て右へ倣えになってしまう国だから。

そうそう話は変わって、イギリスも女王様だと書いて思い出しました。
最近オーストラリアのテレビ局、とくにSBSという、マルチカルチャー放送局では、日本についてのドキュメンタリーを頻繁にやっています。
なんか理由があるのだろうか? 
政治、経済、歴史などの番組が多く放送されていますが、「日本の風俗」についても。
昨晩のはオーストラリア製作のドキュメンタリー「TOKYO BOUND」というのをやっていました。 内容はSMクラブ。 この番組の英語のタイトルからして、しゃれています。 「東京行き」という意味もあるし、BOUNDには縛るという意味もあるので。
東京にある「SMクラブ」で働く女性たちと(オーストラリアの女性も一人含む)そのお客の生態を描いているのです。
そこで働く女性たちはお客からは「女王様」と呼ばれているようです。
さすがに英語訳(字幕が出る)では「QUEEN」ではなく、「MISTRESS」と出ていまして、日本語にすると、女主人様に近いかもしれません。

たまたま家にいた娘もいっしょに見ていたのですが、「あっけにとられ」ていました。 もちろんオーストラリアにもあるのでしょうが、日本のようにそのような場所の数が多いわけでもなく、「ソフトSM」というようなファッション性がある訳でもないので、オーストラリアでは一般的に話題に上る事は無く、娘にとっては全く聞いた事も無い世界。
女王様に向かって、サラリーマン風のオジサンが裸で土下座しているのを見ながら我が娘は理解に苦しんでいるようでした。
そう日本は男尊女卑がまだまだ強く残る国、女性の天皇も認められていない国で、女王様にお金払ってまで虐められて喜んでいる人が結構いるって、う〜ん面白い国ですな。


2001年12月3日

今日月曜日も親父を連れて医者へ。 月に二度は、ボンダイジャンクションに血の検査、そしてやはり月に二度は医者に行くので、毎週どちらかに行っている事になります。
血の検査というのは、潰瘍(癌)が崩れて、いつ出血が始まるか、分からない状態なので、定期的にヘモグロビンの値をチェックするのです。
で、医者の方では血圧などのチェックをして状態をモニターしています。
オヤジは高血圧気味なので、血圧を下げる薬をづっと使っていたのですが、潰瘍から出血が始まっても気が付かないでいると、あっという間に極度の貧血症になり、その上高血圧の薬が貧血症状を加速させるので、また救急車を呼ぶはめになるのです。

救急車は過去2ヶ月の間に2度呼んでいるのですが、いつも昏倒して顔や頭などを強く打つので、胃癌なのに必ずCT−スキャンをかけて頭の骨や脳に異常がないかまで調べなければならず、いくらプライベートの保険でカバーされているとはいえ、なんか申し訳なくなってしまう。
だから常日頃からモニタリングしていて、そういう状態になる前に察知できるようにしているわけです。

オーストラリアでは救急車は無料ではありません。
国民保険でカバーされていないので、任意の保険に加入していない場合は、自腹です。

と、ここまで書いて本当は自分の事を書こうと思っていたのを思い出しました。
実は2ヶ月以上前から、(本当に少しずつ)体の左側半分に痛みが集中していて、とても不思議で気になっていたので、本日オヤジの診察と一緒に僕も見てもらいました。
左側だけの痛みというのは偶然なのかも知れないが、

耳=軽い中耳炎だと診断されて、すでに抗生剤も飲んだのですが、治りが非常に遅い。 今日もまだ鼓膜が赤いといわれた
左眼=かなり視力が右目に比べて落ちている。 多少しょぼつく。
左手の指=小指、中指の関節が痛い。 リューマチというのか、朝など曲げると痛い。 曲げたり伸ばしたりの運動を繰り返していると少し楽になる。
左足=モモの後ろが圧迫される感じが常に付きまとう。 正座していて立ち上がろうとすると、ひざの関節が痛く力が入らないことがある。

と、すべて左なので、頭の中の脳の一部が壊れたか(もともとできの良くない僕の脳は昔から壊れているかもしれませんが)と気になったのですが、医者曰く、脳には関係ないはずだと、きっぱりと言われました。
この「きっぱりと言う」というのは非常に大事なもんだと思います。
こういう相談を患者から受けて、一緒に「ウ〜ん」なんて、いろいろ考えてたら、絶対に患者は不安になる。
その時何も見つからなくても、何か有るのではないかと考えつづけてしまいそう。
今日のように、即座に「脳には関係は無い」といわれると、まずは安心して、他の事を考えてみる。
と、ここまで書いていたら日本にいる親友からメールが来て、「おそらく背骨が曲がっているのでは。 カイロプラクティックが良いのでは」とのアドバイス。
そうか、最近ずっとモニターの前に座って、PCで「あるもの」を製作中で、考えてみると体を動かす時間が、前と比べて極端に少なくなっているし、その上非常に姿勢が悪いまま座っている事に気がついた。
(前からPCの前に長く居すぎると、女房からはきつい指摘を受けていて、ある程度自覚はしていたのですが)

早速来週あたりにでも良いカイロの先生を見つけて行ってみましょう。
人間50年も経過すると、いろいろガタが出始めるのかもしれない。

と、今日は何かPCの前に座る前に書こうと思っていた事とまったく別の事を書いてしまった。
で、ちょっとその件を(非常に短く書きます)
ニッサン自動車が黒字に転換したそうです。 昨年までの赤字約6800億円が今年は3300億円以上の黒字に。
つまり、簡単にいうと1兆円以上も良くなってしまったのです。
この話は僕にとっては本当にショックです。 なぜショックか。
それはフランス人のゴーンさんのおかげだというのがです。 なぜ日本人のトップがそういう改革を出来ないのでしょう。
ニッサンの中にもかなりの反対勢力があったようですが、やはり「外人だから」という諦めムードで、彼ら、改革に抵抗する人たちはおとなしくなったんでしょうか?
小泉首相は同じ日本人の政治家だから、やはり抵抗勢力に手を焼いているのでしょうか?

もう一つのショックは、短期間のうちに1兆円も改善できるほどの、異常なまでのムダ、非合理な部分があったのでしょうか?
日本を代表する産業である自動車産業って、実はそこまで経営内容が時代遅れだったのでしょうか?
日本の景気回復が遅々として進まないのはどうもこういう事と関係があるような気がするのですが。


2001年12月4日

今日は「K君」が久し振りに遊びにきてくれた。
彼は僕が昔やっていた仕事で、一緒に働いてくれたのですが、それももう十年以上も前のこと。
偶然彼に連絡をとる必要があって電話したら、日本に短期帰る予定だという。 で、話をしていたらなんと日本に帰る理由がコンピュータを買いに行くのだという。
よくある話なのですが、オーストラリアでコンピューターを買ったら、電子メールやインターネットで日本語が使えないと思っている人がいまだに沢山いる。
確かに今までのウインドウズ98やMeなら英語版を使って日本語を使用するのには多くの制約があった。
ところが、ウインドウズ2000や、今度発売になったXPではマルチランゲージ化が進んでいるので、全く問題無く日本語のソフトも使えるのです。

で、話を戻すと、彼はPCは全く触った事がなく、どんな機種をどうやって選んだら良いかも分からないので、日本に帰って友人などのアドバイスを受ければ、購入に際して判断を誤らないだろうと思ったそうです。

考えてみると最後に彼に会ったのは2年程前で、その当時は僕も趣味といえばカートのレースで、コンピューターに関しては全く彼と同じようにチンプンカンプンでした。
ですから、彼にとっても僕がコンピューターを始めてすっかりハマってるというようなイメージは全くなく、(そう、オジサンだし)コンピューターを始めるにあたって、僕に相談するなんて全く考えていなかったようで、わざわざ日本の友人に電話をかけ、アドバイスを受けていたそうです。
偶然僕から電話があって、コンピューターの話をしても、K君は僕がコンピュータをやっているのさえ半信半疑で、本日僕の家に確認に来た次第。

で、結局話はどんどん進んで、うちから彼を連れて、ボンダイにある例のPC屋に行きました。
僕のお勧めの液晶モニター(15インチ)を入れても全部で約2000ドル!
これには僕にとってもちょっとショックでした。
たった半年前に僕が今の液晶(同じサイズ)モニターを買ったときの約半額! 
確かにコンピュータは2年経ったらタダの箱と言われますが、特にこの液晶モニターはどんどん安くなっているようです。
長時間コンピュータの前に座って画面を睨んでいる僕にとっては必需品なんです。

この「K君」もう中年ですが、オーストラリアで新しい就職先を捜す時にPCを使えるというのは、英語が喋れると同じかそれ以上に必須条件なのだそうです。
先月まで勤めていたFOXスタジオ関係の仕事(スタジオ見学ツアー)が無くなったので、新たらしい就職先を捜さなければならないとの事。
そのためには、PCをちゃんと勉強をする事にしたのだそうです。
そういえばオーストラリア人の知り合いで、僕とほとんど同じ年齢のオジサンがいるのですが、会社の倒産に伴って新しい就職先を捜していましたが、彼もPC苦手だということで全く良い就職先が見つからないらしい。

今日来た「K君」、僕がPCを扱う様子を見ていて、彼も自信を深めたようです。 
そう、こんな歳のオジサンでも一応出来るようになるのですから、僕より10歳以上も若い彼に出来ないことはありません。
彼もPCの趣味に引っ張り込んでやろうと思っております。


2001年12月5日

一昨日にニッサンのゴーン氏の事を書いたら、旧友二人からメールを貰って、日産自動車の話が出ました。
一人はお祖父さんが日産自動車の創設者の一人で、彼にとってもニッサンの事は気になるはず。
僕も免許を取って最初に所有した車がブルーバードSSSで、(確か1965年だったか6年だったか)、その後もオヤジも含めてニッサン車ばかりの時期があって、トヨタよりも日産党だったのです。
もともと車にはとても興味があって、特にメカ好きだったので、セールスのトヨタに対して、技術の日産といわれた当時は、気になる車は日産車が多かった。 
今日は日産の事をもう少し書くつもりですが、少々脱線してまず僕の車遍歴を書いてみます。

18歳ですぐに免許を取って、親に買ってもらった車が上記のSSS、大学入ったばかりで新車を買わせるなんて、馬鹿ムスコだったんです。
そのSSSも乗り潰してしまい、次にグロリアというのを(次に欲しい車が見つかるまでの繋ぎのつもりで)乗っていたのですが、僕は親のところを飛び出してしまい、新宿、青山、六本木と都心の中心部に住んでいたので、車は必要なく、電車やタクシーの生活が4年ほど続きました。

1974年にロンドンに住みに行って、最初に買ったのが中古のオースティン1300という車で、イギリス車の良き時代に作られたもので、日本車には無い良さを沢山持っていて、大いにエンジョウイしたものですが、なにせ故障が多かった。 
で、次に買ったのが2年落ちのBMW2002Tiiという、当時としては数少ない燃料噴射式(今はこれがあたり前の時代だが)のスポーツセダンで、これでイギリス国内だけでなく、フランスやスペインまでもドライブに出かけたものです。 
スピードも出るし、ハンドリングも安定しているし、ヨーロッパの高速道路を走るにはとてもぴったりの車でした。
しかしやはり故障が多かったです。 特に新しい機構の燃料噴射装置と、電気系統には本当に泣かされました。

当時僕は仕事柄イギリスの田舎(リバプールなど)にも頻繁に行かなければならなかったので、BMWを手放すと決めた時に、スピードが出て高速でもある程度安定していて、何よりも故障の少ないというのを条件に色々選んだ結果、フェアレディーZ(2600)を買ったのです。 
今は外国に住んでる日本人で、日本車に乗っているなんていうのは珍しくは有りませんが、当時はわざわざヨーロッパに住みながら、何で日本車なんかに!と、ロンドンに住んでいた車好きの日本人の友人に言われた事もあります。
僕がその車を購入した近所の日産ディラーも比較的新しいとこだったので、僕に売ったのが初めての「Z」だったそうです。
そのセールスマンも、また所長までも納車の時にはフレンチ・シャンペーン抱えて来て、近くのパブに繰り出して皆で乾杯して祝ってくれたりしました。 車なのに昼間から酒飲んで祝ってしまうというところがイギリスっぽいというか。

同じ頃、女房がミニや英国フォードのフィエスタなどに乗っていて、その経験、そして上記の自分のオースティンやBMW等の経験から、僕は日本車をイギリスで使うというのは理にかなっていると確信していました。
当時を振り返ってみても、ヨーロッパ車の神話が崩れ始めた頃で、同じように日本車の世界席捲が始まろうとしていた頃です。
僕の乗っていたZはまだロンドンでも非常に珍しく、イギリス人にもよく質問を受けたりしたものです。
故障せず(これが一番大事だった)期待どおりに良く働いてくれました。
イギリスでは女房の車を含め計五台を経験し、1980年にオーストラリアに移ります。

オーストラリアに来て最初に驚かされたのが、ディーラーの態度でした。今から21年前の話ですから、今とはかなり違いますが、それを考慮の上で読んでください。
オーストラリアで生活するには、日本やヨーロッパ以上に車は生活の必需品なので、住むところが見つかる前の仮住まいの時に、早速近くのディーラーを回りました。
とにかく即決ですぐに買って乗るつもりで出掛けて行ったのですが。

僕の頭の中には、日本だけでなくイギリスでも新車を買いにディーラーのショールームに出かけて行ったら、どういう接客を受けるかという予想が有ったのですが、それが見事までに打ちのめされました。
最初に入ったのはホンダのディーラーでした。 ちょうど行ったのが昼時だったのですが、ショールームには誰もいません。
きょろきょろしていたらやっと女性が出てきました。 「車を買いに来たのだが」と言うも、「あ、そう」てな態度で、「でも今は昼休みで皆食事などに出かけてしまっているから、1時間ほどしたらまた来て」と言って引っ込んでしまいました。 よっぽど僕が車なんて買いそうでは無く見えたのか、冷やかしに見えたのか、カタログさえ出さずにいなくなってしまいました。

小一時間ほどしてノコノコ出掛けて行ったらセールスマンが二人ほどデスクに座って何か読んでいましたが、僕らが入って来てもチラッと一瞥しただけで、すぐに立っても来ません。
だいたいこのあたりで、何だこのディーラーはと、すでに僕の頭は熱くなっていました。 やめて出ちゃおうかなと思ったのですが、せっかく1時間も待って来たのだからと、声を掛けると一応愛想笑いを少々見せながら、「どの車種をお捜しでしょう」というように、応対を始めました。
僕はその時アコードを買おうと決めていたのです。 で、値段や色など話しているうちに驚くべき事を言われました。
アコードの次回の入荷分、つまり日本から船が着くのは来月だがその分はすべてもう予約が入っていますから、今注文していただくと、その次の船に乗っている分から選んでいただく事になります。
ですから納車までに、2ヵ月半ほどになります。
?????
さも当たり前のことを言っているのに、何をそんなに驚いた顔をしているのだと言わんばかり。
僕は完全に調子が狂ってしまいました。 次に行ったマツダのディーラーでも同じでした。 当時マツダの323という車種など、5〜6ヶ月待ちです、何て平然と言われてしまいました。

そうなんです、当時は輸入数量割当のような制度があって、輸入車は常に不足気味、皆待って車を買うという日本人には何とも信じがたい状況だったのです。
そういうわけだったのです。 なぜセールスマンが昼飯に全員でノンビリ出かけて帰ってこないのか。 お客がショールームに来ても、ぱっと立ち上がらないのか。 売る車が無いのです。 黙っていても、お客の方から買いに来てくれるのです。 こういう状況だと、もともとお客様は神様ではない国ですから、手が付けられないほどにセールスマンも堕落をするというか。 もう共産圏以上の酷さでした。
日本はともかく、イギリスでもこんな状況経験していなかった僕には、本当に驚きでした。(そうイギリスではシャンペーン貰ったんだ)

しかし、とにかく車が必要な僕は驚いてばかりもいられません。 中古車を買うという手も有ったのですが、オーストラリアの中古車事情というのを全く知らない僕は怖くて手を出したくなかったのです。
で、いろいろ調べてみると日本のメーカーのうち、日産と三菱が現地で生産を始めていました。
つまりオーストラリア産の日本車なのですが、当然現地生産ですから長々と待たされる事は無く、現地生産車というのも乗ってみても面白いかなとと考え始めました。 
まだ欧米では日本の自動車会社は工場を持っていなかった時代なので、オーストラリア製というのにも興味持っただけでなく、日本で設計した車なのだから、大きくはずれる事は無いだろうとも思いました。

現地オーストラリア人に言わせると、日本からの直輸入車とは比べ物にならないとの事でしたが、僕はどう違うのを知るのも経験ではないか、その上値段的にも安いしということでまずオーストラリア製の日産車を見に行きました。
その200Bという車(日本の当時のローレルのボディーをちょっとオーストラリア風になおしたもの)、デザインも悪いし、乗ってみてもえらく加速も悪く、とても買う気にはなりませんでした。
本当に酷い車だった。 日産崩壊の第一歩だったのかもしれない。

そこで、もう一つのオーストラリア製日本車である三菱(実は当時はまだクライスラーのバッジが付いていました)にシグマを見に行ったのです。
エンジンが2600ccもあるせいか、日産の200Bよりも加速するし、まあまあだという事で、それに決定しました。

その後起きる苦労話は長くなるので、次回にします。
話が長くなって、僕はゴーンさんの事を書こうと思って始めたのに、いまだに寄り道してしまっています。 すみません。
残りは明日にします。


2001年12月6日

今年のシドニーの夏は、このまま冷夏が続くのではないかと予感させられます。 

さて昨日の続き。
オーストラリア製の三菱シグマ。 本当に多くの事を知りました。 外側は一見日本製だが、毎日使ってみるとまるで別物というか。
当時(1980年頃)は特にひどかったと先に書いておかなければ、誤解される面もあるかもしれない。
僕がロンドンを出た1980年前後というのは、イギリスは今の日本のように経済的ににっちもさっちも行かない状態でした。
黄昏(たそがれ)の英国といわれ、落ちぶれて行く大英帝国そのものでした。 
毎月のように英国通貨であるポンドは下落するし、失業者は増加の一途、それに拍車をかけるように、英国労働組合運動の力は増大して、イギリスの産業に多大な(悪)影響を与えていました。
一つの簡単な例をあげます。
ブリティッシュ・レイランドという当時イギリス最大の自動車メーカでの話です(数ある中のほんの一つの例)。 
生産性を上げるために会社が導入した新しいプレス機に対して組合が噛み付きました。
このプレス機は車のバンパーを作るのですが、今までの旧式の機械では1日にプレス工一人がせいぜい30本しか作れなかったのを、この新式のは120本作れる。 
一人で4倍作れるという事は、4人いたプレス工は3人が余る計算になる、つまり首を切られるということで、組合側はその機械導入反対のストを始めました。 
この時点で言語道断なのですが、もちろん会社側は機械を導入しました。 この機械の方が4倍早く能率的に作れるだけでなく、不良品の発生率も低いので、会社にとっては入れないわけに行きません。

で、組合側はどうしたのか。 その新しい機械を扱うプレス工に点検と称してわざと途中で機械を止めたり、途中で持ち場を離れたりして、120本作れる機械で1日に30本しか作らなかったのです。
本当にこんな事が日常茶飯事に起きていたのです。
僕がロンドを出てすぐにイギリス最大のこのブリティッシュ・レイランドは潰れます。 当時のイギリスは車産業だけでなく、すべてがそういう状態だったのです。
ある時などテレビのスイッチ入れたらいきなり字幕だけの画面で、「今日から○○放送局はストライキに入りました」とあり、延々とその画面だけがスト解決まで表示されていたり。

何でそんな事を長々と書いたかというと、当時オーストラリアでもイギリスの影響が非常に強く、労働組合もまるでイギリスの物まね、弟分のごとくストライキが頻発していました。
当時のオーストラリアで忘れられない事があります。
ちょうど1981年のこの時季の事です。 
クリスマス休暇が近づいてくると労働組合は賃上げの交渉を始めます。電車が止まる、ゴミ回収が止まるなんてのはしょっちゅうでしたが、一番ビックリしたのは汚水処理場のストでした。 要求する賃上げに応じないのなら汚水処理をストップするというのです。 
シドニーには当時ボンダイ・ビーチとマンリー・ビーチの近くに汚水処理場があって、処理した排水を海に流していました。
ちょうどクリスマスは真夏で、皆休暇に入って海水浴を楽しむシーズン到来です。 もちろんその時季を選んで労働組合はストを決行するぞと脅しをかけて、賃上げ交渉を有利に進めようとしていたのです。
その時季にストをやるもう一つの理由は、ストに入ると交渉解決までは職場に行かなくてもいい状態になるので、賃上げを勝ち取るまでは仕事に行かず海などでノンビリできるという魂胆なのです。
給料は上がるは、夏の休暇も取れてしまうは一石2鳥というか。

そういうストは数年続いたものです。 とうとう組合の要求を飲みきれず交渉が決裂した年など、本当に汚水を垂れ流し始めました。
当時僕は釣りが趣味だったので、船でその汚水の排水溝のある、ボンダイビーチの近くや、またシドニー湾の入り口近いマンリー側の汚水排水溝近くを通った事が何度もありましたが、「地獄」でした。
海に大量のウンコが浮いているようなものといった表現がぴったり、特に目を引いたのはコンドームなどで便器に捨てる場合が多いために、大量のコンドームがプカプカ水面に浮かんでいるのを目撃した物です。

当然海は極端に汚染され、一時は海水浴をやると危険だという事になったほどでした。
その後州政府は、その排水溝をパイプに繋ぎ、海底を這わせて沖合い何キロというビーチから離れたところに汚水が出るようにしたので、今はそんな事は起きませんが。

もちろん自動車産業もイギリスへ倣って、労働者の生産レベルが非常に落ちていました。 最初にシグマの納車を受けてチェックした時に見つけた不具合が4件、その1年後にその車を手放すまでに起きた不具合は数知れず。
内容をいちいち挙げるときりが無いので、一つだけ。
納車された日に、家に帰ってきて、ドアーを開けても室内灯が点灯しないことに気が付きました。
よくスイッチがOFFの状態になっていると、ドアーを開けても室内灯はつかないので、スイッチをONにしたのにつきません。
なんだ新車の時から球が切れてると、外してみると切れていません。
え〜?変ってなもんで僕はそのブラケットをそっくり外してみました。
なんとそこまで来ている電線は全く接続されていないのです。
下手すると、そこでショートして火事になる危険性さえありました。
基本的に車を生産したら、そういうものはチェックするだろうし、もしそこもすり抜けてしまっても、ディーラーで納車チェックの時など判りそうなものですが、これには唖然とさせられました。
似たような問題は続出して、ディーラーに言っても埒があかないので、とうとう僕は頭に来て、アデレイドにある三菱自動車に電話をかけ、日本から出向してきている役員の方と話しました。
彼は後で知ったのですが、オーストラリア三菱の社長で、しかしとても腰の低いというか、不備を丁寧に詫びられた上に、僕の買ったディーラーにすぐに連絡を取ったみたいで、そのディーラーチェーンの社長からも直々にお詫びの電話と、以後問題があって、整備やセールスの対応が悪いようなら、私に直接電話を下さいと、直通電話の番号までくれました。
つまり、トップの方は真剣なのですが、組み立て工やまたディーラーの社員達のレベルがほぼイギリス並だったのです。

それでも、後でいろいろ調べるとオーストラリア製の日産車よりもはるかにましだったようで、あの時日産の200B買ってたらどうなってしまったんだろうと考える一方、現地組み立ての車について本当に勉強になりました。
そう、何ヶ月待たされても日本からの輸入車を買う理由が納得したものです。 ちなみに現在のオーストラリアでは、輸入枠は撤廃され(いまだに馬鹿高い輸入関税は存在しますが)随分事情は変わっています。
もちろんセールスマンの態度も変わって(そう当たり前に戻ったというか)今や、下手すると頼みもしないのに家まで押しかけてくる始末。
特に昨年から今年にかけてはレキサスのセールスのオニーチャンには夜討ち朝駆けなんてやられて、ここは本当にオーストラリアなのかしらと時代の変化を感じた物です。

さて、オーストラリアに移って2年後に、女房がテレビのクイズ番組でチャンピオンになり、賞品の一つにBMWがあったので、528iエクゼクティブというのが加わります。 そう、今でいう5シリーズのBMWです。 1982年当時(のレートで)確か700百万円くらいしたものです。
その当時は健在だった女房のオヤジもBMWを乗っていたのですが、その頃のBMWは、この熱い気候の国オーストラリアでは、全く哀れでした。 何しろオーストラリアと比べて寒い国ドイツ製なので、エアコンが全く効きません。 無残なもんでした。 その上ちゃんと製品テストを熱い国でもやらなかったためか、メタリックペイントの色によっては(シルバーメタとか)2年もすると、強い紫外線のために、白く濁ったような色に変色し、まるで別の色の車のように劣化してしまったり、散々でした。

しかしその後も凝りもせずドイツ車のベンツを買ったのですがこれがまた大外れで納車された1ヶ月目から問題続出でした。
これも、詳しく書くときりが無いので、一つだけ。
暑い日に突然エンジンが掛からなくなる。 正確に言うと、買い物などに行って、炎天下に駐車して帰ってくると、当然エンジンは冷えた状態になっているのに、セルを回すと一瞬エンジンは掛かるのですが、アクセルに全く反応することなく、一瞬のうちにエンストが起きる。 エンジンがかかっている時間は約1秒ほど。 瞬間的にストンとエンストする。 で、またセルを回すとすぐに掛かるがまた止まる。
で、すぐにディーラーに電話をするもサービスが到着する頃には治っている。 そんな事を繰り返し、ディラーに入院する事10回以上。
ところがディーラーも首を傾げるばかりで、原因が判らない。 僕はとうとう日本のヤナセにまで電話をして、似たような症状の手掛かりを捜したりもしました。
一時はまだ新品同様だったので、新しい車に交換しろと訴訟を起こそうかという話しまで出たほど。

結局半年ほどしたある日、突然ベンツから電話があり、3日ほど車を預かりたいといって来て、どこを直したのか、その問題はその後収まりました。 (原因については、ベンツ側は詳細を決して説明しなかったが、やはりメーターまわりの電気系の接触が熱くなると膨張して不良を起こし、エンジンマネージメントシステムが、異常事態が発生していると勘違いして、燃料噴射装置を止めるためにエンジンが止まっていたようです。 しかしその部品については説明を避けていました)
購入した途端に始まった問題は収まったのですが、すぐにまた別の問題が発生。 
Sクラスベンツでこのざまでしたから、僕の中ではドイツ車の神話は音を立てて崩れ去っていったものです。

と、ここまで書いて、今晩はフランス映画の試写会に行く約束をしている事に急に気がついた。 題名は「Amelie」多分日本ではすでにやっているはずです。

という事で今日の日記も途中で終わりまた明日。


2001年12月7日

本日の日記は、ある人のPC問題解決お助けに出て、一日がかりになってしまったので、お休みします。
明日に昨日(6日)の続きを。


2001年12月8日

昨日は、友人のPCを面倒見に行っていたら、新しいOSであるXPで思わぬ問題が出て、99%は解決したのですが、一時はかなり煮詰まってしまい、脳味噌が疲労していたので、日記も書かずに寝てしまいました。
内容を簡単に書くと、友人がPCを購入する事になり、日本人なので日本語を使いたいと、僕が中の設定を変えて日本語がすべて使えるようにしたのですが、今までのOSでは出なかった問題が。

それはDVDプレーヤー。 今PCを買ったら、ほとんどおまけみたいな値段でDVDも楽しめるドライブ付けられるのですが、もちろんPCの場合でもリージョン・コードといって、日本で売ってるDVDの映画を見たり、オーストラリアで入手したDVDを見たり、はたまたアメリカで買ってきたDVDを鑑賞するという、いろいろな国製のDVDを楽しむというのは原則的に出来ません。
5回まで自分の見たいDVDの地域を変える選択権はあるのですが、5回目に変えたら、そこの設定で後は変える事が出来ないようになっています。
まったくもって馬鹿馬鹿しい装置なのですが、そういう装置を付けることにより、外国から安いDVDがどっと入ってくるのを防げたり、著作権の問題があったりと、要はもっと儲けるためにやっているわけです。
で、この設定は今まではDVDドライブの中に記憶されるだけだったのですが、XPになってから、OSをインストールする時の(OS側の)地域設定を後から変えられないのです。
で、このOS側の地域設定が問題を引き起こしているようです。
ですから、日本語を使えるように日本語をデフォルトでOSインストールすると、ここは日本だから日本のDVDを見るもんだというようなおせっかいの設定ができてしまうのか、オーストラリアで購入したDVDを見ようとすると、エラーが出てしまい、見えないのです。

不思議な事に、オーストラリアで購入したDVDでも見えるのもあり、見えないのは結構最近のハリウッド映画のDVDで、何かプロテクトが掛かっているようです。
そんなわけで話が非常に複雑になってしまい、OSのインストールを何度もやり直したりして、一日がかりになってしまった。
ビデオでも同じ事があって、オーストラリアのビデオテープを日本に持って行ったら見えないし、(一部のマルチ再生機でないと)日本や、アメリカのテープはオーストラリアに持って来ても見えないという、非常に馬鹿馬鹿しい事が映像の世界では当たり前のようにあるのには腹立たしい限りです。
音楽のCDなどは(やはり著作権などがからむ物なのに)世界中どんなんでも聞けるわけですから、どうなっているのやら。

とにかくまたPCの話になってしまいましたが、その問題以外は「XP」非常に安定していて、98やMeとは比較にならないほど良いのですが。

一昨日の日記は途中までで、その続きを書かなければと思うのですが、よく考えてみると、本当は日産のゴーンさんの事を書きたいから始まったのにいつまでたっても始まりません。 いや別に引っ張ってるわけではないのですが。
で、さて書こうと思ったら今日行った友人の出版記念パーティーについて書きたくなってしまった。
すみません、またゴーンさんは延びそう。 ゴーンさんに関する「ちょっといい話」日本の親友からいただいて、書いても良いと了解まで貰っているのに。

今日のパーティーはシドニーの有名な景勝地「ブルーマウンテン」のFaulconbridgeというところでありました。
シドニーから約80キロ弱の所。
今日は朝から天気が悪く、行きの高速道路M4に乗った途端嫌な予感が。
こういう雨の日は必ずどこかで事故が起きてるもので、(オーストラリア人皆飛ばすから)やはりというか、目的地の手前20キロ地点で大きな事故があり午後1時半からのパーティーに間に合うべく自宅を2時間以上前に出たのに、到着した時にはもう午後2時を過ぎていました。
高速道路は完全に閉鎖され、迂回路に入るまでに大渋滞、たった4キロ迂回するのに1時間以上掛かってしまいました。
久し振りに日本の帰省ラッシュの渋滞というようなのを思い出してしました。 天気が悪く比較的気温が低かったので、超ノロノロ運転で故障する車はほとんどいなかったのですが、やはり古いベンツが目の前で動かなくなって、一昨日の日記を思い出してしまった。
僕がイギリスに住んでる時など、時代も大分前のだったので、このような大渋滞があると、オーバー・ヒ−トで止まってしまう車が続出して、渋滞に拍車をかける、他のドライバーたちに押してもらって路肩に停められた車が何台にもなるという情景が日常茶飯事でした。
現代のオーバーヒートしない車になったのは、確実に日本車のお陰です。
ノロノロ運転や、暑さに強い日本車が世界のスタンダードを押し上げたのです。

さて、途中で引き返してしまおうかと思うほどのひどい渋滞を我慢して辿りついた所は、素晴らしいところでした。
イヤホント、引き返さず行って良かったです。
Norman Lindsay という19世紀の終わりから20世紀の半ばまで活躍したオーストラリア人の画家の自宅が、今はミュージアムになっていて、そこで友人のメグちゃんの出版記念パーティーが行われたのです。
彼女の両親とこの Norman Lindsay は深い繋がりがあって、メグちゃんも孫のように可愛がられたそうです。
上の名前をクリックすると、彼のオフィシャルサイトに飛びます。
彼は童話も書いていて、日本でも出版されているようです。

詳細は上のウエッブサイトで見ていただくとして、その広い敷地の中で開かれたパーティーと、ミュージアムの展示物を鑑賞しているとノンビリとして、心の洗濯になりました。
こういう場所は観光客がどっと押しかけて欲しくない(まあ日本では彼の名は有名ではないからそんな心配は要らないでしょうが)、僕のとっておきのデートコースにしたいという雰囲気でした。


2001年12月9日

何かはっきりしない日が続いています。 12月にしてはかなり寒い。
今年は泳ぎたくなるほど暑い日は少ないかもしれません。

と、この日記を書きかけたら、「ピンポ〜ン」と呼び鈴が鳴って、日曜日に誰だろうと出た見たら、見た事も無いオニーチャンが立っています。
配達か何かかと思って出てみると、区役所の仕事で道路の縁石に各家のアドレスであるストリート番号を描きに来たって言うのです。
で、どこの部分に書きましょうかなんて聞くので、てっきり信用して、じゃあ門のそばにとか言ってたら、「一ヶ所につき30ドル」って言うのです。

「え〜?」区役所が道路に番号描くのに何で金取るんだろう、ましてや日曜日にやるっていうのもおかしいと思って、書類を見せろと言ったら「区役所の許可を取って、各家庭の番号を描いている」と言うのです。

つまり完全に詐欺行為。 もし不審に思って区役所に電話しても、もちろん今日は日曜日ですから誰も出ない。 だからバレない。
いかにも区役所の下請けで、各家の住所を道に描いているというふうに装って。
すぐに追っ払いましたが、家庭によっては騙されて金払っちゃうのいるのかもしれません。 万が一我が親だけだったら、危ないところでした。
我がオヤジなど英語できないのに、すぐにわかったふりして「YES」なんて言ってしまうので。

さて、
3日前までの「車の話」の続きを手短に済ませねば。
ドイツ車に懲りた僕はその後一切ドイツ車だけでなくヨーロッパ車にも手を出していません。
で、ベンツの次に何にしたか。 「レキサスLS400」 初めてそこで「トヨタ車」を購入しました。 1995年の事です。
当たり前のごとく全く問題なし。 おかしいところは皆無。 さすが日本車それもトヨタが世界の高級車市場に殴り込みをかけた車だけあって、買った当時(1995年)ベンツから乗り換えた僕には目からウロコ、あまりの造りの良さに唸った物です。

しかし僕の一番気に入っている車は普段の足に使っている、スバルのリバティー(日本名レガシー)ワゴン。
前の日記に書いたように、シドニーではワゴンを乗っていると路上駐車の時に大いに特典があって、非常に簡単に駐車スペースを見つけられるので、最近はそればかり乗ってしまい、レキサスはバッテリーが上がるのが心配なほど使いません。
女房が乗る車もいつのまにかトヨタ車(MR−2)になっていて、娘はホンダシビックという、まるで現在の日本における自動車会社の勢力分布図をそのまま象徴しています。

さて延び延びになっている「ゴ〜ンさん」の事。
そう、オーストラリアでも上記のように日産社はメタメタです。
まったく買いたい気にさせてくれる車種が無い。 
一時はオーストラリアで組み立てていたのですが、どうしようもない車ばかり造って赤字の垂れ流しだったので、大分前に撤退していて、今は日本からの直輸入車を販売しているのですが、魅力の無い車ばかり。

本当に不思議なのですが、僕が気になるスカイラインなど、ニッサン車の中では数少ない魅力のある車種が一切オーストラリアには来ていないのです。 こういう状態がもう10年くらい続いていて、まったくオーストラリアニッサンは何を考えているんだろうと思うほど。 
会社として、もうまともに機能してなかったのかもしれません。

で、日本の友人などからその事について書いてあるメールをもらったりして、色々分析してみると、今やっているゴーンさんの改革、欧米では当たり前の事で、なぜ日本人の首脳が出来なかったのかと不思議でしょうがない。 つまり欧米の車なんてたいしたもの造っていないのに、生き続けているのは、合理化などのマネージメントがしっかりしているから。
だから、少なくとも15年前くらいから日本の首脳陣がしっかりしていたら、日本の自動車産業が世界を圧倒して、逆にヨーロッパやアメリカの自動車産業を手中に収めていたはず。
多分ニッサンにしても逆に「ルノー」を傘下においているという状況が起きていた筈です。 つまり日本の優秀な技術者や労働者が作り出す、高品質の自動車に経営者が甘えすぎて、自分たちの仕事をおろそかにしていたのだと僕は思う。

特に酷かったのが、体質が官僚化したニッサンだったわけです。
で、ニッサンを改革に来たゴーンさんですが、僕の友人の話からちょっと紹介します。
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ある日、テレビドラマのロケ現場での事。
カワイイ外人の娘が、一所懸命、演技をしています。
その背後で、お父さん(当然、外人)が見守っています。
お父さんは、彼女を、ここまで連れて来たのです。
それは、あたたかな日曜日のことでした。

「あれッ、あのオヤヂ、日産のゴーンさんに似てるゼ」
と、休憩中にADの一人が言いました。
すると他のスタッフが、
「確かに似てる。けど、ゴーンほどの人間が、娘を
自分で連れてくるもんかい」
そして撮影が再開されて…。
無事、娘の出番が終わると、お父さんは、スタッフ一同に
礼を言って、車にのって、娘と帰ってゆきました。

「もちろん、私は『あのヒトは本物のゴーンさんだ』なんて、
スタッフには言ひませんでしたよ」と、XX(匿名)さん。
「いつもは、ゴーンさんの奥さんが、娘さんを連れてくる
のです。しかし、日曜日は、家内を休ませて、自分が、と」
フランス式の、これがパパ像なのでせうか。
そんなゴーンさんだからこそ、社員一同、従ったのでは、
と思ひます。
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日本では絶対に考えられないでしょ? 日本の会社のお偉方は絶対にそんな事やらないで、無能なイエスマンの部下と一緒にゴルフでもやっているでしょ、日曜日に時間があったら。
その上、自分の経営する会社が自動車と言う商品を売っているのに、自分でハンドルを握ってみたりなんて絶対にやらない。
ホンダの首脳陣は、新しい車種が出ると自分でテストコースで乗って自分なりに評価してるって聞いたけど、ゴーンさんなんか当たり前のごとくやってますよね。
日曜日は時間があれば家族と一緒ってのも、欧米では当たり前の事なんです。
平日仕事が終わってからも、また週末にも会社の者と一緒に行動した方が会社が良くなるって考えてるのかもしれませんが、変な人情が芽生えて駄目な人間でも切れなくなってしまったりないんですかね?

ちなみに外人のビジネスマンから見ると、日本人のビジネスマンが昼飯に出かける時でもいつも一緒なのは、日本人にはホモの要素があるからではないかと本気で考えている人がいるそうです。
一昨日に配信された村上龍発行のメールマガジンを読んでいたら、海外にいる寄稿家がそういう事が書いていた。
なるほど本当にそういうふうに見えてしまうほど、シドニーのオフィス街でも昼飯時に日本人のサラリーマンが群れになって(当然のごとく日本食屋に)歩いて行くのを思い出してしまいました。
外国に行ってもいつも日本人同士でつるんでいたら、現地の事、肌で理解できないと思うのですが。

最後にもう一つ同じ友人のメールを
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ゴーン氏がフランスから連れて来た技術者に、自宅に招かれたことがあります。一人暮らしで、琴を勉強しています。
和服に身を包み、正座してポヨンポヨンと。
「ニッポン人以上にニッポン人然としたフランス人」の彼が職場で、どのやうに見られているか。当然、プラスの評価でせう。
国際化時代と云ふけど、ロンドンでもNYでも、ニッポツから派遣された
連中は、夜毎ニッポンめし屋やカラオケで管を巻き、ちっとも向かうの
連中に溶け込もうとしない。
その反対に、ニッポンに来るガイコク人は、折角のチャンス、とばかり、この東洋の不思議な島国の本質に迫ろうとする。その差は、21世紀になっても、埋まるどころか広がる一方でせうなあ。
彼はトゥールーヅの工科大学出身と言ってました。


2001年12月10日

久し振りに夏の青空が戻ってきました。

昨日ご近所に招かれて午後からテニスパーティーに行ってきました。
それぞれ自分のラケットを持ってきて、適当に組み合わせでダブルスをやりながら軽食を摘んだりという、とてもカジュアルで健康的なオーストラリアらしいパーティー。
子供も混じって皆ワキアイアイとした雰囲気で久し振りに楽しみました。
僕にとってはコートに立つのはひょっとすると1年ぶりくらいだったかもしれない。
最近はモニターの睨みすぎで、視力も衰えてるし足も動かずで、もう少し普段から鍛えなければと痛感していました。

テニスと言えばオーストラリアは今年最後のデイビスカップで優勝を逃してしまいました。 
デイビスカップの決勝の二週間前に、オーストラリアのレイトン・ヒューイットが世界ナンバーワンになって、大いに気を良くしていたので、このデイビスカップも優勝出来ると思っていたのですが、まことに残念。
敗因は色々考えられるのですが、最大の問題はテニスオーストラリアの首脳陣たちの石頭のせいだったのは間違いありません。
オーストラリアは長年ローンテニス(天然芝のコート)の王国だったので、今度のデイビスカップ決勝の開催国権を取得した時点で、天然芝のコートを選択していたのです。

天然芝のコートというのはグランドスラム(4大タイトル)である、全豪、全仏、ウインブルドン、USオープンの中で、イギリスで行われるウインブルドンがそれにあたるわけですが、今プロテニスツアーの中では本当に特殊な存在になっています。
つまり、今行われているプロテニストーナメントで、天然芝のコートを使っているのは、1パーセントも無いでしょう。
実はオーストラリアにも無いのに、昔からオーストラリアは天然芝が得意というステレオタイプの考え方がはびこっていて、決勝の相手国フランスは、全仏がクレイコートを使うので、芝はオーストラリアに有利に働くという考え方が、結局は墓穴を掘ってしまったのです。

まったく何を考えているのだろうと思っていたら、案の定負けてしまった。世界ナンバーワンになった、レイトン・ヒューイットにしても今年初めて優勝したグランドスラムはUSオープンでハード・コートだし、だいたい全豪トーナメントからしてハード・コート。
今回出場したもう一人のオーストラリア選手パトリック・ラフターにしても一番得意なのはハードコートだし(彼もグランドスラムはUSオープンに2度優勝しているが、ウインブルドンはまだ取っていない)。

なんと、馬鹿なオーストラリア・デイビス・カップティームの首脳陣は全豪トーナメントの行われるメルボルンのテニス競技場に、すでにハードコートがあるのに、巨額を投入して、デイビスカップのためだけに、大型トラックを使って、天然芝を土ごと運び込んで敷き詰めたのです。

ダブルスの選手選定も大いに疑問でしたが、今回の敗因は100%首脳陣のミスだったと思います。

と、今日はテニスに興味のない人には面白くない日記になってしまったかもしれませんが、ついでにもう一つ。

昔我が娘がジュニアーの選手をやっていた当時、我が家に来て一緒に練習をしたりしていた、日本人の坊やがいました。
我が娘より2歳下だったのですが、彼のお父さんが勤務していた日本の航空会社のシドニー転勤に伴って13歳ころからオーストラリアでテニスを続けていました。 
もちろん彼はオーストラリアに来る前、小学生の頃から日本ですでにトーナメントに出ていて、優秀な成績を取っていたのですが、偶然彼のお父さんがテニスで有名な国、オーストラリア勤務になってので、一緒に来てオーストラリアでテニスを続けていたのです。
名前を「寺地貴弘」といいます。
その彼が先日のジャパン・オープンで優勝したとNHKのニュースでやっていたそうで、僕もとても嬉かったです。
彼にはうんと頑張ってもらって、松岡修三選手以来ぱっとしない日本男子テニス界をもう一度復活させてもらいたいものだと思っています。

今の男子トッププロの世界では、ボリスベッカーあたりから全盛を極めたパーワーテニスが少し変わりつつあります。
レイトン・ヒューイットにしても、今回デイビスカップに優勝したフランスティームにしても、上背は本当に日本人並でパワーテニスに打ち勝つ足と、安定のテニス・スタイルが台頭してきています。
面白い事に、女子の世界では今がパーワーテニス全盛になってきているのですが。
ジャパンオープンで優勝した寺地君にしても身長は170センチほどしかなく、体力的に世界で通用しないのではという危惧もありましたが、努力次第で上背に恵まれなくても、世界トップ10になれる時代ですから、大いに頑張ってもらいたいと期待しております。


2001年12月11日

今日も快晴、カラッとして気持ちのよい日です。 例によって早朝に愛犬と公園に散歩に行ったら、内陸(西)から風が吹いていて、ほんのり野焼きの香りも含んだ南太平洋のリゾート地の香りが。
日本はたいそう寒くなっているようですが、こちらはセミが鳴いている夏です。

気持ち良い散歩から帰って来たら、いつものオネーさんが家の前を通り過ぎていきました。
僕はこのオネーさんの事をウォークウーマンと呼んでいます。
僕がこの家に引っ越してきたのが、1987年、約14年前の事です。
住み始めてすぐに、このオネーさんが毎日のように家の前を歩いて通るのに気がつきました。
当時彼女は23〜24才に見えました。
テニスのラケットを脇に抱えて歩いているので、てっきり彼女はテニスのコーチでこの辺で教えているのだと思っていました。
我が娘がテニスを始めたばかり、ちょうどコーチを捜していたので、彼女に声をかけて聞いてみようかなと思ったのですが、いつも我が家の前を通り過ぎるのを見ていると、早足で声を掛けようにも僕の存在などまったく目に入らないごとく通り過ぎていきます。
そうこうするうちに友人からコーチを紹介してもらったので、彼女に声をかける必要がなくなりました。

ところがご近所の方から、その彼女はテニスのコーチではない事を知ります。 
どうやら彼女は心の問題を持っている人らしいのです。
そう、彼女は何かにとり憑かれたように、毎日毎日歩いているのです。
どうやら彼女の家のあるローズベイというところから、我が家のある通りをボンダイジャンクションまで同じ通路を歩き続けているようです。
片道約5キロを、雨の日も風の日も、それも一往復ではなく、日によっては二度も往復している日もあります。

最初見た時に持っていたテニスラケットは、数年でボロボロになり、最近は、スーパーマーケットでもらったようなショッピングバッグを抱え、テニスシューズのようなスポーツシューズを履いて、一心不乱に黙々と早足で通り過ぎていく彼女を見ながら、いったい彼女は今までどのくらいの距離を歩いてのだろうと考えました。
僕が引っ越して来た14年前にはもう彼女は歩いていましたから、少なくとも15年ほどは歩いているはずです。
片道5キロ往復10キロの道を日によっては2往復20キロ、平均で15キロ歩いているとして 15キロX365日X15年=82125キロ
そう、8万キロ以上!
地球何周分にあたるのでしょうか。

色々な心の病気はあるものですが、彼女の場合ヒキコモリよりも、毎日歩いているのですから、健康には良いのではと簡単に考えていた僕ですが、最近の彼女を見ると永年の歩行と、太陽に曝され紫外線などのためか、かなりやつれて見えます。
考えてみると僕が引っ越してきて14年、当時25歳くらいだった彼女もいまや40歳、いやもっといっているのかも知れません。

オーストラリアにはこういうタイプの心の病気を持った人が割と多いと思います。 
毎日歩き続けるように、何か同じ事をやり続けるタイプ。
ふと考えてみると、僕も似たようなものかもしれません。
僕は何かに凝り出したら、もう他のものは見えなくなってしまい、すっかりハマってしまうというのも、大なり小なり似たようなメンタリティーなのではないかと。
心の病気といえば、日本では登校拒否や引きこもりの問題が深刻なようですが、女房に聞くと、彼女の教えている学校の生徒でも皆無ではないが、日本ほど深刻ではないようです。
確かに、「同級生に虐められた」、「勉強で落ちこぼれになってしまった」、など等要因は沢山あるのでしょうが、オーストラリアの場合は、勉強に対して親の期待やプレッシャーがそれほどではないので、比較的少ないかも知れません。
この問題は今度もう少し詳しく書いてみます。


2001年12月12日

本日の日記はコンピューター改造(変造?)のため、手短に書きます。
この改造(変造もしくは改悪かもしれない)中をいじくり過ぎて、おかしくならなきゃいいがと思うんですが、どうにも癖になってしまって。
そのうちぶっ壊してしまうのではないかと思いつつ。

今HPを発行しているPCは僕の自作機なのですが、すっかり中のファイルシステムをFAT32からNTFSに変えようと思っているのです。
最初のOSインストールの時から、NTFSにしておけば良かったのですが、当時はウインドウズ98をまだ使っていたので、互換性の問題などで、不具合やファイルのやり取りに問題が出るのではないかと思っていたのです。
ところが、今度のXPを含め今後一切98は使う必要がなくなったので、ウインドウズNTから始まった、NTFS(NTファイルシステム)に統一しようと。
このNTFSシステムアを使うと、ハードディスクに多少の不具合が出た場合も、リカバリし易いようです。
不良クラスタなどはある程度避けて、使う事が出来るようで。

ということで本日は(今から)始めますので、メールなどは他のPCで受け取れますが、いつもホームページを発行しているPCなので、今日はこれまで。


2001年12月13日

昨日のPC改造はまだ終わっていませんが、着々進んではいます。
終わらなかった理由は、旧友が遊びに来たから。
彼といろいろ話していたら、ホリデーの話になって、クリスマス・ニューイヤーはどこかに行くの?と聞かれたけれど、僕は親父の問題があるから無理だと思います。
オーストラリアはクリスマス・正月というのが夏休みと重なるので、皆バカンスへ出かけたりします。
「クリスマス休暇はどちらへ」というのは、「今年の夏休みはどこか行くの?」という感じです。

ところが、シドニーは夏が一番素晴らしいので、特に寒い北半球などにお金を払ってまで行く気にはならないし、(スキー好きなら話は別でしょうが)リゾート地のような気候になるシドニーをわざわざ離れて、というのも非常にもったいない気がします。
ホリデー行くのならシドニーが一番寒くなる7月8月ころが良いなんて話を今日来た友人と喋っていました。
僕は今一番行って見たいところはベトナム、またタイも是非行ってみたいと話していたら、彼は昨年一家でタイに行った時の話をしてくれました。

タイのリゾート地プーケットで、タクシーに乗ったら運転手に政府がやっている(? 多分公認という意味だと思うが)宝石店があるから是非行こうと言われて、買わなくても良いから見るだけでもと連れて行かれたそうです。
彼には全く、買う気は無かったのですが、観光も兼ねて良いかと思ったそうです。 着いた店はものすごく大きなところで、やばい感じは全くしなかったそうです。 一応見て買わずに出ようと思っていたら、彼の奥さんが指輪を一つ見つけて値段を聞いたそうです。
今タイバーツはオーストラリアドルで(もしくは日本円で)いくらになるのか知りませんが、その店の商品にはちゃんと値札がついていたそうですが、何しろバーツでゼロが沢山並んでいるし、片言の日本語の出来る店員がいたので、日本円でいくらかと聞いたところ、卓上計算機を片手に計算して、○×○円と答えたそうです。
多少宝石の事は判る彼は「ウ〜ん、さすがにタイは宝石も中々安い」と思ったそうです。 結局買う事にして、他にも彼自身にも指輪、また一緒にいた息子にもゴールドのブレスレットなど合計オーストラリアドルで4300ドル分になったそうです。

支払いはアメックスのカードを使って、金額が大きいためか、そこから確認のためにアメックスの会社に電話をして盗まれたカードでないかの確認や、金額の確認などを随分時間をかけてやっていたそうです。
さて、オーストラリアに帰って来てアメックスから来た請求書を見て彼は愕然としました。
なんと!!! その請求書には「4万3千ドル」とあったのです。
そう、現地で聞いた4千3百ドルではなく、一桁多いのです。
彼はビックリして、すぐにアメックスに電話をしましたが、後の祭り。
彼はちゃんとサインもしてしまっていますし、どうにもなりません。

ホリデー気分で多少頭もしっかりしていなかったのでしょう、マルの数が一つ多いのを良く見なかったのも彼の落ち度なのですが、その日本語の出来る店員は日本語で言った値段は間違いなく「一桁低い値段」だったそうです。
これは観光ボケになっている日本人相手に良く使う(詐欺)手口なのでしょう。 バーツで言われても判らないから、日本円で言ってもらった時にわざと間違えていても証拠は残りませんから。
43万円の支払いをしたつもりが430万円だったら。
いやいや考えただけでも恐ろしいです。

皆様もホリデーに出かける時には、くれぐれもお気をつけ下さい。
彼は結局払う事になったそうです。


2001年12月14日

日本の友人からメールをいただいて、前に書いた僕の日記(9月17日)に出てくる、ブルー・タング・リザードについてでした。
ちょっと紹介してみます。
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数日前のテレビでやっていたのですが、日本に生息していると言われている幻のツチノコですが、最近とみに目撃情報が増えているのですが、その正体はなんと田邉さんが以前に写真入りで日記に載せていたアオジタトカゲだったのです。
つまり、草などに手足が隠れた状態だと胴体が太く短く、しっぽが付いているような形態がツチノコそのものなのです。

なぜ、日本のあちこちの山村で目撃されるかと言いますと、一時のペットブームでオーストラリア産のアオジタトカゲを飼う人が増えて、そのうち飽きたり、手に余ったりして、野山に放してしまう人が多くいて、研究者によると日本の気候は南オーストラリアに似ていて(ほんとかよ〕生息できるそうなのです。
目撃者の中には目の前で数メートルもジャンプしたなんて人もいますから、全部がこのトカゲではないかもしれませんが、確かに手足が無ければツチノコですよ。ハイ。
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そうなんですよ、僕も初めてこのアオジタトカゲ君見た時には、すぐに日本の「ツチノコ」連想しました。
しかし浦島太郎の僕は、日本のツチノコと言うのは手足が無いといわれてるのも知らなかった。
僕の日記の写真を見てもらえば判りますが、ほんと手も足もとても小さくて、体と比べて妙にアンバランスなところがとても可愛いです。
うちで引き取ってきたそのトカゲ君は庭に放したのですが、その後全くお目にかからないので、またどこかに行ってしまったかもしれません。

さて、話は変わって
今晩は女房の(半分?)弟がニュージーランドに引っ越す事になったので、その前に是非会いたいとしつこく電話があり、しぶしぶ夕食を共にしてきました。
亡くなった女房の父は、女房の母(つまり最初の妻)と別れた後に、自分の娘ほどの歳の後妻をもらったわけですが、その結婚では息子が一人出来ました。 我が女房から見たら異母兄弟というやつです。
女房とその後妻は仲が良いわけでもないが、決して口も聞きたくないと言う間柄でもない。 その後妻はフランス出身で、25歳くらいの時にオーストラリアに住みに来たらしい。 僕から見るとその金髪に青い目の彼女は「典型的なフランス人の女」って感じで、ものすごく何事にもはっきり自分の意見を言うし、また非常に短気です。
彼女が義父とちょっとした事でやり合うのを聞いていると、まるでフランス映画に出てくる1シーンのようになった物です。
で、その息子ですが、オヤジが60過ぎてからできたので、もう目に入れても痛くないっていうやつで、思いっきり甘やかして育てたためか、何をやっても長続きせず周りはハラハラしっぱなしでした。

そんな馬鹿息子なのに、20過ぎたらすぐに結婚をすると言い出して、子供はすぐできてしまい、本当に父親としてちゃんとやっていけるのだろうかと心配の種が増えた物です。
彼の妻はニュージーランド出身なので、今回ニュージーに引っ越す事になったようですが、彼はオーストラリアよりもニュージーの方が人が皆、素直で親切だと言っていました。
この話を聞いて彼は社会人になってからも周りとうまく行っていない事がすぐに判りました。

彼は子供の時から随分学校でも虐められたので、転校も何度もしたのですが、登校拒否というのは考えてみるとやらなかった。
多分彼の周りに「登校拒否」というものが存在しなかったので、彼も「登校拒否」という手段を思いつかなかったのでしょうが、もし彼が日本人だったら絶対に、登校拒否していたと思います。

不思議な物で、オーストラリアには(いや欧米には)「金縛(かなしば)り」という言葉がありません。 だからもちろん金縛りも存在しません。
オーストラリア人で金縛りに遭ったという人も聞いた事ありません。
不思議ですよね。 
「登校拒否」の場合、オーストラリアでは学校でいじめは確実にあるのに(日本ほどではないにしても)、登校拒否はほとんどありません。
グレて学校行かなくなってしまうというのは別として。
とにかく彼の場合は、僕が見ていても完全にイジメのマト(標的)になるタイプというか、しかしそれも親の育て方のせいだと思っていました。

案の定、彼は社会人になってからも会社の同僚などともうまく付き合えないようで、ニュージーに新境地を求めて引っ越すようです。
まあオーストラリアからニュージーに引越すと言うのは、東京から九州に引っ越すぐらいの変化しかありませんから、ドラスティックに彼の生活が変わるとは思えないのですが、彼にとってはこの決断がうまく行く事を願っています。
と、ここまで書いたらまだ女房のオヤジが健在な頃、我が両親を含めて皆が集まって祝ったクリスマス(そろそろ時季ですね)を思い出してしまいました。
そのフランス人の後妻の母も今はオーストラリアに住んでいるのですが、あまり英語は喋ろうとしない。(フランス人の場合結構できてもわざと喋ろうとしないのがいる)
で、我が両親は日本語しか出来ない。 僕の女房は日本語の先生やっているくらいだから日本語は出来る。 その後妻も日本語学校にずっと通っていたらしく、結構日本語ができる。
我が女房の姉は昔スイスに留学した事があるので、フランス語が出来る。 その姉さんの亭主は完全なアングロサクソン系で英語しかできない。 女房の親父、後妻、後妻の母親、女房の姉夫婦、我々二人、我が両親合計9名が一つのテーブルについてディナーをとっているのは、中々面白い光景でした。 何しろ言葉が直接通じる相手と通じない相手が絡み合って、しかし誰かが通訳をして、何かえらくスムーズに進んでいた物です。 
そう我が家はまさにマルチカルチャー度満開の状態だったんですね。 


2001年12月15日

オーストラリアの動物愛護の運動には、けたたましいほどのパワーがあるようです。
もちろん薬や化粧品の実験に使うモルモットなどの動物には、ちゃんとした認可が必要で、管理方法などのチェックも厳しいようです。
我が娘も研究室で使う「二十日ネズミ」も、動物実験用にちゃんと認可されたものを使う義務がるとの事。
で、本日の新聞を見ていたら上水道の資質検査用に使っている魚の事が出ていました。

偶然数日前に女房と公園を散歩中に、テロ事件の話の中でANTHLAX(炭疽菌テロ)等に話が及んで、例えばテロリストが上水道の中に毒物を混入する可能性について、話していました。
日本では浄水施設の一部に水質の安全性を常時チェックするために、メダカだか金魚だかの小魚を泳がせていると言うと、オーストラリアではどうしているのかしらと言う事になった。
昔日本では炭鉱に入る時に、鳥かごに入れたカナリアなどの小鳥を持って、有毒ガスを調べていたように。

その話題はそのまま終わってしまったのですが、本日の朝刊に偶然その事が出ていてやはりオーストラリアでも同じように小魚を使っているそうです。
ところが、本日の朝刊の記事はその小魚を使えなくなったという話題で、改めてオーストラリアの動物愛護協会の恐ろしいほどのパワーを知りました。
なんと、その小魚も(背骨があるから)愛護(保護)の対象になっているそうで、その小魚の扱いや、飼い方、管理の仕方があまりにも面倒くさく、いちいち認可を取って使ってと、手数が掛かかり過ぎるので、今度小魚をやめて、何と!水に住むノミの一種にするとか書いてあるのです。
そりゃー確かにノミには背骨は無いですがね。

すごいでしょオーストラリアって。 ここまで来ると、もう開いた口がふさがらないと言うか。
それを読んで僕は考えました。
あまりにも動物愛護の強いオーストラリア、渡り鳥のようなほかの国から飛んでくる動物までその愛護の精神で大事にしているが、難民船に乗ってオーストラリアに流れ着いてくる、難民の人達は、そうか背骨は無かったんだって。

今オーストラリアでは、海外からの難民の受け入れは(現在クリスマス島に閉じ込めているようですが)かなり否定的になってきています。
つまり現在の与党政府の方針が、受け入れに難色を示しているからです。 一般国民もどうやらその方針には従っているようです。
動物愛護が異常に強い国オーストラリア、何か矛盾を感じてしまいます。


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