2002年2月前半の日記
2002年2月1日
昨日の日記にも書いたように、シドニーはジメジメとした、梅雨のような日が続いています。
真冬の日本にいる皆さんには、季節がまるで逆な話題は、なかなかピンと来ないかもしれませんな。
家の周りでは蚊が増えて、生まれたばかりの鯉の赤ちゃんには、殺虫スプレーは危険なので、蚊取り線香を焚くことにしました。
そばに偶然バーベキュウ用のマッチがあったので、擦ったら湿気てつかない! こりゃー湿気、かなりなもんだってわかります。
蚊取り線香の香りが漂ってくると、いきなり目の前に「日本の夏」の情景が目に浮かびます。
「香り」でしばしタイムスリップ。
仏壇に供える線香を焚いたり、また白桃の香りは、なぜかお盆の頃を思い出す。
実は我が親はオーストラリアに住みに来た時、神棚と仏壇もコンテナーに入れて、しっかり持って来たのです。
別に信心深いようにも見えないし、神棚に手を合わせたり、仏壇に線香を上げたりなんてほとんど見たこと無いのですが、極たまに思い出したように、または友人の訃報などを聞くと線香を上げるのですが、この香りが本当に独特なので、自分が一瞬オーストラリアにいるのさえ忘れそうになります。
この仏壇のお線香の香りというのが、僕にとっては一番郷愁を感じさせてくれるものかもしれません。
全く畳の無い洋式の家(オーストラリアだから当たり前なんですが)で、突然日本の香りが漂ってくるのは、ちょっとした戸惑いと言うか。
僕にとっては「心地良い戸惑い」かもしれませんが、女房や娘にとっては心地良くない場合がおうおうにしてあります。
まだ両親がオーストラリアに来てまもない頃に、日本にいるときのペースでいきなり、大根を煮たり、煮魚を作り始めたら、外出から帰ってきた女房と娘が「ヒエ〜ッ」て感じで「何だこの臭いは」と家中の窓を開け始めたことがあります。
この場合魚を焼く(干物とかです)匂いよりも、煮物の方が評判悪いんです。 これはオーストラリアではバーベキューというのがオージー料理なんて言われてるほどなので、魚や肉の焦げる匂いというのは、違和感無いようです。
もっとも、魚を焼く匂いと肉の匂いでは随分違うと思うんですが。
日本に住んだ事のある我が女房や、子供の時から日本食もたまに食べさせていた娘でさえこの調子ですから、日本食は食べた事がほとんど無いというような家庭に、オペア(*)として日本人の娘さんが入ったりすると、思わぬショックを受ける事があります。
海外でも日本食はブームというので、そこの家庭のために腕を振るって、日本食を作ってあげようとしたら、味噌汁を作っている時からすでに「何か臭いがだいじょうぶか?」とそこの家の奥さんに、顔をしかめながら言われたと、非常にがっかりしながら僕に話した娘さんがいた。
それを聞いて、僕も非常に残念に感じた物です。 「臭い」って言ってるそういうオージーが結構回転寿司行って、味噌汁まで頼んで飲んでたりするんですけどね。
つまり、自分の家では普段匂わない香りが漂うってことに、人間は拒否反応を示すのでしょうか。
ですから、超保守的な我が女房の姉一家がメルボルンから毎年クリスマスのここに泊まりに来る時には、結構気を使うものです。
もちろん彼らは泊めてもらっている身だから、「臭い」なんて絶対に言わないが、我が母が大根を煮て(フロフキ大根)いたら、「何だこの匂いはっ」って表情丸見えでした。
実は、大根を煮ると僕が匂っても確かにアブナイ匂いがします。
そう、下から「ブー」と音の出る匂いに非常に近いものがあります。
何か今日は話が臭くなってしまいました。
(*)オペア
オペアというのはワーキングホリデーで来た日本の若い人(女性)がオーストラリア人の家庭に入って、そこの家のお手伝いを週に何時間かしながら、英語を勉強したり、文化習慣の違いを経験したりする制度です。
そういう意味でも、上記の「味噌汁臭い」的なことも文化習慣の違いの勉強の一つとも言えるのです。
2002年2月2日
一昨日の夜から、僕が使っているケーブル接続のプロバイダーの調子が悪く、メールのやり取りがうまく行きません。 インターネットは多少遅い程度で問題無くできるのですが、多分メインのメールサーバー機が壊れて応急処置的に使ってる予備のサーバー機がボロなのか、メールを取りに行くと非常に時間がかかって、とって来れたり来れなかったりしています。
もし僕宛にメールを出して、返事が無い(緊急を要するような)場合は、このHPの中にある tom@grandeegranite.com
で送って下さい。
このアドレスは、このHPを管理している会社のサーバー機から送られてくるので、今のところそっちの方は問題出ていないので。
しかし、こういう問題はそんなに無いのですが。 今まではおかしくなっても半日もかからずに直っていたのですが。
さて、昨年1年間にシドニーのあるニュー・サウス・ウエールズ州において460067人がスピード違反で捕まって、払った罰金の合計が5200万ドル(日本円で約35億円)とか。
この数字は日本と比較して(もちろん人口比)多いのか少ないのか、また同じスピード違反でも金額的に日本の方が高いのか低いのか(多分レートからいったら日本の方が高いとは思いますが)調べてみないと判りませんが、非常に興味ある数字です。(どなたか最近スピード違反で捕まって罰金を払った人いたら教えてください)
ちなみにもう何年も前に(10年近く前だったかもしれないので、全く現実にあっていないかも知れませんが)我が女房が27キロオーバーで捕まった時に、払った罰金が約300ドルでした。
彼女の言い訳は80キロのところだとばかり思っていて、警察に停止させられた時もスピード違反の自覚ゼロ、飲酒運転のチェックで停止させられたのだと思っていたそうです。 (ったく!)
で、先日そのスピード違反の罰金について面白い記事を見たのですが、詳細の数字などは(この日記に書くつもりなど無くて)正確ではないかもしれませんが、ちょっと書いてみます。
先日フィンランドでバイクを運転していたオジサンが60キロ制限のところを78キロで走っていて捕まり、18キロのスピード超過に対して払った罰金が何と!!!「30000ドル」日本円にして200万円ほどでしょうか。
イヤひょっとすると、30万ドル(2000万円)だったかもしれません。(あいにくその記事が見つからない)
なぜそんなに高かったのか。
何とフィンランドでは交通違反の罰金はその違反者の年収に対してスライド式に増えるらしい。
で、捕まったのが携帯電話で有名な「NOKIA ノキア」の創業者で昨年の年収が200ミリオン(130億円)だったから、それをもとに罰金を計算したために大変な額になったとの事。
僕はその記事見て思わず笑い出してしまいましたが、確かに年収130億円もあったら、普通の罰金額だったら、痛くも痒くもないというのも判らないでもない。
しかしよく考えてみると、これは非常に不公平な場合も起りうる。
例えば2001年のギネスブックか何かに世界で一番給料の低い社長、その年収は「1ドル」と出ていて、誰だろうと見たらなんと、アップルコンピューターの創業者社長「スティーブン・ジョッブス」でした。
もし彼がスピード違反をやったら、最低の罰金額になってしまうのでしょうか?
また、オーストラリアで毎年長者番付で断然トップである「ケリー・パッカー」などは確か彼の申告している年収は2万ドルくらい(130万円)だったと思います。
オーストラリアでは長者番付というのは、年収ではなくその人の資産評価額に対して算出されるので、彼のように異常なまでに節税対策をしている人は、年間の所得税も最低限しか払っていないのです。 全くこれはふざけた事で、たいした所得も無い僕のほうが所得税を彼よりもはるかに多く払っていると知ると、正直者が馬鹿を見るような気にもなります。
「ケリー・パッカー」が違法な事をしているとか、脱税しているとかではなく、いわゆる「節税」なのですが、その方法はオーストラリアで頂点を極めているようなお抱え税理士共が、あらゆる知恵を絞って、節税しているのでしょう。
ちなみに彼の持っている会社(チャンネル・ナインなどのテレビ局などを筆頭に、出版などなど数えられないほどの会社を所有)も法人税が、グループで年間確か200万円程というような事で、ずっとオーストラリアの国税局と揉めていて、何年も裁判が続いていましたが、結局彼が勝ってしまった。
何か、スピード違反の話から、節税の話になってしまいましたが、こういうのを見ていると、フィンランドの罰金システムというのも、穴があります。
2002年2月3日
本日、日曜日の日記はお休みいたします。
代わりに木曜日から本日まで我が家に居候してた「シッツー、日本ではシーズ犬というらしい。 英語名はShih-Tzu
」のヒデ君の写真を。
彼は明日(月曜日)持ち主と一緒に日本に発ってしまいます。
日本に行く前の最後の記念撮影。 (この写真をクリックするともう少し大きくなります)
ヒデ君がトナカイになりたいって言うので。 でも似合わないっす。
本当の姿は2001年6月23日の日記に出ています。
2002年2月4日
先日の日記に書いたニッサン・スカイラインGT-Rがラインアップから消えるという話、どうやらこれはある種の販売テクニックのようで、2〜3年後にまた復活するらしいと、昨日のオーストラリアの新聞に出ていました。
テクニックとは一旦生産を打ち切って話題を作り、数年後に全く新しいコンセプトでリバイバルさせる方が、商売としてもベターだという事らしい。 これはアメリカでは常套手段らしく、最近の例がサンダーバードなどなのだそうです。
スカイラインGT−Rというのは、主に日本国内向けの車で、ニッサンとして正式に海外に輸出したのは、1991年から92年にかけて、BNR32をたった100台オーストラリアに出したのが最初で最後だったのです。
唯一の海外向けがオーストラリアだったわけで、ある意味オーストラリアのモータリングのレベルの高さを象徴しているといえるが、実際はこのようなエンスー車、海外どこでも人気があるはずで、当然ヨーロッパ等にも輸出していても良さそうな物だったのですが、ニッサンは保証に自信が無かったのではないかと思います。
オーストラリアでは当時11万ドルという高価格(当時は1ドル100円ほどだったので、1100万円!)のため、そのたった100台もすぐには完売できなかったようで、僕は欲しくて欲しくて随分考え、ディーラーに出かけて行きました。
そこでの話では、最後の数台は中々売れてなくて、珍しく値引きの可能性も示唆されたのですが、日本の価格を知っている僕としては約2倍にもなろうというその馬鹿高さと、さらにオーストラリアでのこの車の保険代の異常さを知って、諦めた思い出があります。
その後日本では33型34型とモデルチェンジを繰り返すたびに、僕にとっては魅力が落ちていきました。
ニッサンとしての正規輸入はその32型だけで、以後はオーストラリアの並行輸入業者が少数入れ続けていますが、不思議なことに平行物の方が正規輸入車価格より割安です。
メーカーとして保証の問題があったからでしょうが、いかに当時ニッサンが馬鹿な値をつけたかとも言えます。
オーストラリアでもGT-Rは別格の「カルト・カー」で、その道の「好き者」には永遠に人気があり、オーストラリアでのニックネームが「ゴジラ」。
ですから、現在では正式に輸入されていない車なのに、車好きには関心が高く、「2004年頃にまた復活する」というような記事も一般誌の車欄に載るわけです。
その記事を読んでいたらニッサンの社長として例のカルロス・ゴーンさんと(当然英語で)書かれていて、彼の名前のスペルを見たら「Carlos Ghosn」とありました。 「Ghosn」と書いて「ゴーン」と読む、なるほどこの名前はレバノン系なのでしょうな。
つまり「n」の前の「s」を発音しない。
英語読みしか出来ない僕には一瞬「ゴースト」かと思ってしまいました。
Ghosn =ゴーン Ghost=ゴースト
英語読みしか出来ないと書いたら、昔ロンドンでタイヤを買いに行って、フランスのタイヤメーカー、「ミシェラン」が全く通じなくて困った事がありました。 僕がまだ日本に住んでいた1970年代にはすでに「ミシェラン・タイヤ」は有名でしたから、タイヤの買い替え時に、ロンドンにあるタイヤ専門店に行って、「ミシェランはいくらするのか?」と聞いているのですが、全く通じない。 何度も「ミシェラン」をくりかえすもそのコックニー訛りの店員はわかってくれない。
ふと見ると店の奥にミシェランのポスターが張ってある。 そこでそれを指差して「あれだっ!」て言ったら何と「な〜んだ!ミッチェリンか」って言われてしまいました。
彼らイギリス人は隣国フランスのメーカー名でも頑なに英語読みで通しているものだから、ましてや英語の下手な僕がフランス読みで言っても全く通じないという事が起きるようで、これにはビックリ、その後の英語生活に大いに参考になったものです。
と、何やらすっかり話がそれてしまいました。
ニッサンスカイラインGT-Rは数年後に、ルノーと共同開発の新しいプラットホーム(フロア・パン)で再デビューするとの事です。
という事は骨組みはルノー車と同じになるのですな。
2002年2月5日
シドニーは先週からの雨がいまだにやみません。
「雨、雨、雨」一体何百ミリ降ったんでしょう。 時より横殴りのバケツをひっくり返したような降り方で、一時は庭もプールのような状態に。
特に僕の住んでいるイースタン・サバーブは海に近いためか、降雨量が多いのではないかと思います。
内陸部と比べて、夏涼しく冬は温暖なのですが、どうも雲の発達がこういう地形では急激に起きるというか。
昔の日記にも書いた、野球のボールくらいのヒョウがシドニーで降った時も、最も被害が大きかったのはこのイースタン・サバーブでした。
我が家から近く、「ラウンドウィック」というあたりではほとんどの家の屋根が壊れて、応急的に雨漏りを防ぐためのブルー色の防水シートがいたるところで見受けられ、ニュー・サウス・ウエールズ州内のビニールシートの在庫が底をつき、慌てて緊急輸入したほどでした。
先日下取りに出した、僕のスバルも慌てて屋根つきの下に避難させましたが、2箇所ほどゴルフボールほどの凹みが出来ていました。
我が家のあたりは朝から雨が「ザンザン」降っているから、今日はレースは出来ないと思いつつ、一応支度をしてサーキットに向かったら、途中から小降りになり、内陸部(といってもせいぜい40キロくらい)のサーキットは一日晴れていて、帰って来たらまだ降っていたという経験もあります。
ところで、一体いつこの雨はやむのやら。
さて、先日の日記に書いた交通違反の反則金の事。
いくら調べても、「どうやって金額を決める」のかが判るホームページが見つかりません。
調べていくうちに New South Wales Infringement Processing
Bureau
というところがやっているのは判ったのですが、そのHPの中ではどのように金額が決定されるか全く触れておりません。
しかし笑ってしまうのは、そのHPでは反則金をインターネットで払い込めるようになっていて、カードで支払った場合「Frequent
Flyer Point
フリークエント・フライヤー・ポイント(日本語ではマイレッジバンクというのかな?)」のポイントが貰えるという事。
つまり、お買い物などして、点数を稼ぐと航空券がもらえちゃうというシステム。
「スピード違反で、航空券ゲットしよう!」と見えてしまいますな。
しかし、このHPをいくら調べても、何キロ超過で何ドルとか、初犯と再犯では算定方法が違うとか、非常に気になるところですが、全くそのページは無いのです。
これは意識的に載せていないのではないかと思うのですが、免許発行や停止処分などを司る、「R・T・A(Roads and
Trafic Authority)」 でも金額を決めるのはうちではないと、教えてくれないし。
日本では警視庁が以下のURLで、ちゃんといくらか教えてくれています。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/noufu/hansoku.htm
このサイトの表見てたら、日本の速度違反反則金って結構安いんですね。 初犯の場合の表なのかもしれないが、オーストラリアよりも安いのではないかと思います。
その上、別のサイト検索していたら、月々わずか600円で駐車違反やスピード違反の反則金を肩代わりしてくれる保険というのが出ていました。
オーストラリアにはこのような保険ありませんが、考え方によってはちょっと便利かもしれません。
まあ、安全運転が一番。 僕は運が良い事に(いや普段は全く飛ばさないから)駐車違反以外全く「御用」になった事が無く、免許もゴールド・ライセンスをいただいております。
と、言ってもフルライセンス(シルバー・ライセンス)を5年以上継続的に所持すれば誰でも貰えてしまうようです。
10年以上(僕の場合はオーストラリアで20年以上)無事故無違反なら、プラチナ・ライセンスとか発行すれば良いのにと思ってます。
ちなみに、我が女房も、娘もスピード違反やってますから、もらえません。
2002年2月6日
歳をとってくると忘れっぽくなっていけません。
この「日記」は、ほとんど毎日アドリブで、その時頭に浮かんだ事を、さっと書いているのですが、朝散歩をしている時や、運転中などに「今日はこれを書こう」と決めても、すっかり忘れてしまっている事があります。
いや結構頻繁に起きます。 困ったもので。
先週の金曜日(2月1日)が僕らの「結婚記念日」だったのも、すっかり忘れていてその日の夕方に気付き、その日は無理だったので翌日の土曜日に二人だけでディナーに出かけました。
で、そのことを日記に書くつもりだったのに、またそれもすっかり忘れていました。 やれやれ、、、。
珍しく二人だけでの夕食でした。 何しろオーストラリアでは珍しい親子三代世帯、親が来なくとも娘が同席していたりと、たった二人だけでディナーに出かけるというのは、考えてみると結構少ないものです。
久し振りにたった二人だけで出かけたら、デートしているみたいで、なかなか新鮮でした。
その晩も、二人だけで行くと宣言しているのに、もう少しで娘が割り込んでくるところでした。
どこに行こうかということになって、僕はノースのビーチフロントにある魚介類を出す、オーストラリアンスタイルのレストランを考えていたのですが、女房は珍しく「日本食がいい」なんて言うのです。
日本人の親と一緒に生活していて、イヤでも日本食は週に何度か出てくる今の状態なのに、僕は「えっ??」て感じでした。
どうやら彼女にはお目当ての日本食レストランがあって、一度行ってみようと思っていたようです。
何でもそのレストラン(ウチ・ラウンジという)女房の同僚の先生や、友人達からも評判を聞いていて、どうしても行きたいと言うのです。
その時点で僕としては大体そこがどんな店なのか想像はつきました。
結論から言うと、確かにオーストラリア人は喜びそう。 しかし日本人にとっては、どう評価して良いやらいまだに頭の中に「?」マークが飛び交っています。
ロフトを改造して、インテリアには一切日本を感じさせる物は無いというような、僕がニューヨークにいた頃の日本食レストラン、それもグリニッチ・ビレッジあたりの、絶対に日本人は食いに来ないという店を、彷彿させてくれました。
こういう雰囲気、嫌いではないんですけどね。 下手に「ベタベタの日本」がこれでもかって店の中に飾ってある店ってあるでしょ。
もう、「まねき猫」はいるは、オーバーな暖簾はかかってるは、日本酒の一升瓶が一杯飾ってあったり、のよりは良いと思ってるのですが。
もちろんウエイトレスは全員オーストラリア人、それも全員私服。
メニュー等には一切日本語は無く、そこがどうして「ウチ・ラウンジ」の「ウチ」なのか、手掛かりさえありません。
オーナーが内山とかで「ウチ」ってつけたり、どこかに漢字でもあれば手掛かりにはなるが。
「ジャパニーズレストラン」なのに、日本人の僕が妙に浮いていると言うか、もちろん他に日本人の客は見えません。
だいたい、「米の飯」の不味さはそういう意味で「超本格的」でした。
このゴハン、中華料理で使うようなパサパサの細長いロンググレインではないのに、よくもここまで不味く、パサパサに炊けるなと感心してしまうほどでした。
客席から厨房が見えるのですが、日本人は一人もいないようで、東洋系の男が一人見えたのですが、どうも日本人ではないようです。
多分、この飯も日本人が炊いたのではないことは明白です。
僕のように外国生活が長く、日本食が今ほど流行らない頃から、海外にある「日本食」とはとても思えないが一応「ジャパニーズ・レストラン」と名乗っている店には随分と経験がありますので、かえってその日、つまり「結婚記念日」のディナーで、昔を懐かしむには、ぴったりだったかもしれません。
僕は日本人としては、米の飯にはあまりこだわらない方で、どんなのでも食べてしまうのですが、ここのゴハンには少々驚かされました。
我が両親なら席を立ってしまったかな。
料理の方はやはりというか想像どおり、日本の食材を使った「ネオ・ジャポン」という表現が適切かどうか判りませんが、盛り方などはフレンチ風。
つまり、純日本風の皿に、まるでフランス料理に出てくるような盛り方や飾り方。
で、使ってある食材はワカメやシイタケがあったり、味噌をベースのソースがフレンチのようにかけてあったり。
想像どおり、我が女房にはかなり評判良かったです。 やはり日本食に関してはいつまでたっても女房と僕の間には溝があるのかもしれません。 女房も日本食を食べ始めて、もう30年以上にもなるんですけどね。
このへんはもう少し分析が必要かもしれません。
その晩は一緒になって24回目の記念日でした。
正確には、もう一緒になって32年にもなります。 このHPの中のどこかに書いたと思いますが、すっと一緒に住んでいて、1978年に女房が妊娠をしたのですが、そこは英国。
父親が日本人で、母親がオーストラリア人、生まれる国はイギリスという状況で、「こりゃー、ちゃんと籍でも入れておかないと、生まれてくる子の国籍が、将来ややこしくなるのでは」という、一種の誤解から女房のお腹がまだ膨らみ始める前に、ロンドンはケンジントンの区役所で式を挙げたのです。
すべて女房任せで、将来結婚記念日を思い出しやすいようにと、彼女は2月1日を選んだのだそうです。
その日のディナーで、色々昔話が出ましたが、何しろ一緒になって32年、随分忘れてしまっている事も。
その晩の話は結構長くなりそうなので、明日の日記にて。
2002年2月7日
さて、昨日の日記、「結婚記念日」の続きです。
女房と一緒に住み始めたのは、新宿の「抜弁天(ぬけべんてん)」の近くが最初でした。
当時女房は早稲田大学の大学院に通っていたので、場所的に大学に行くのも便利だと言う理由でした。 女房と知り合った当時は、彼女はまだ風呂もついていない、やはりその「抜弁天」近くの6畳一間のアパートに住んでおり、そこから銭湯に通っていたようです。
今なら銭湯に通ってくる外人も珍しくないと思いますが、まだ街で歩いている外人が非常に珍しい頃で、地元の女湯の客を大いに驚かせていたようです。
銭湯独特の小さなイス(?)に座って、長かった髪を前屈みで洗っていると、顔は見えないわけで、知らずに隣に座った地元のバアさんが、何だかんだ世間話か話し掛けてくる。
まだ日本語はカタコトだった女房、シャンプーを落として顔を出して「ハア?」とやったら、まさか外人だとは思ってもいなかったから、口をあんぐり「ビックリ」ということもよくあったようです。
しかしすぐに皆におぼえられ、親切に背中を流してもらったりと、とても日本の銭湯は気に入っていたそうです。
もちろん、オーストラリアには日本のような銭湯はありません。
何しろ初めての外国である日本に着いた翌日にはもう銭湯に行っていたそうです。 やはりその時代に日本に来るようなのは、結構バイタリティー有ったのかもしれません。
僕と一緒に住む事になって、そこを出て、(今度は風呂つきの)「前沢マンション」という5階建てのアパートに引っ越しますが、そこには1年ちょっといて、その後六本木に移ります。
ちょうどまだ六本木のロアビルが完成する前で、ハンバーガー・インという店の真裏あたりに六本木のアパートはありました。
二人で昔話をすると、この六本木時代のアパートの事が多いです。
それだけ思い出が一杯詰まっているわけで、その結婚記念日のディナーの時もその話になったものです。
アパートの名前は「前田ハウス」。 まだ新築で、大家さんの趣味なのか、外壁は白いスペイン風にステンドグラス、各アパートの入り口のドアーが特注で上の部分が半円(アーチ状)になっていて、一文字ずつアルファベットの切り抜きのサインで、入居者の名前がそのドアーに貼ってありました。
(あれは確か一文字ずつ白のプラスティックで出来ていたから、わざわざ看板屋から買って来たのかも知れません)
たった10世帯しかない2階建ての可愛いアパートで、住人は半分は外国人でした。
いまだにあのアパートは有るのでしょうか。 今この日記を書いていても非常に懐かしいです。 あれから約30年も経つから、とっくになくなってしまっているかもしれません。
当時には珍しい外観で、雑誌の撮影などにも使われたり、仕事仲間が遊びに来て、すっかり気に入ってしまい、大家さんを紹介したりして、一時期は友人も数世帯移って来たり。
その六本木のアパートを、青山あたりの不動産屋を歩き回って見つけてきたのは僕ですが、月々の支払いや維持など諸々の事は全て女房がやってくれていました。
女房と僕は同い年ですが、早くから親から独立していた彼女は、僕のように20歳過ぎまでずっと親と一緒にいた者とは比較にならないくらい経験豊富でした。
結婚記念日のディナーの時に、当時に話になり、グレーの色のドアーが気に入らないからと、大家さんには了解を取らないで、塗り替えてしまったり、比較的新しかったそのアパートのトイレには窓が有ったのですが、なぜかハメ殺しで、女房としては換気を考えて、業者に言って窓が開くように改造してしまったり。
その時にも(同じ建物の中に住んでいた)了解を取らなかったので、工事人が来て勝手に窓をつけ始めたのに大家さんビックリして飛んできました。
文句を言いに来たわけですが、工事の内容を見て、「なるほど、そっちの方が匂いもこもらなくて、マッチベターだ」となぜか納得してしまい、結局各戸全てのトイレの窓を改造したと言う話が出たのですが、僕はそんな話初めて聞いたわけで、全く記憶にさえありません。
つくづく、当時は全て女房に(正式な女房ではないし、借りている名義は僕なのに)任せてしまっていたのだと、痛感しました。
よっぽど女房の方が「マチュアー」だった証拠です。
何か、ここまで書いて随分プライベートな事をグダグダ書いている自分に気がつきました。
こんな事はつまらないでしょうからいい加減切り上げます。
ただ、昨日の日記を読んだ友人から、こんなURLが送られてきました。
http://www.117.ne.jp/~kure/waga/yometop.html
読んでいて思わず笑ってしまいましたが、確かにPCの事や、ホームページについては、ちょっと近いところもあり、考えさせられますな。
まあ、我が家では女房と僕は財布は全く別になっているので、金銭的にこのHPのような締め付けはありませんが。
いつも女房には、モニターに向かってばかりで、後姿しか最近は見ないとは言われております。
2002年2月8日
先週の週末(2月2〜3日)に行われた、僕の所属するカート・クラブ主宰のレースで、ニューキャッスルから遠征してきた、女性のレーサーが事故のために、死亡してしまいました。
このレースは毎年恒例のストリート(公道)・レースで、ウーロンゴング市の協力の下、灯台のある小さな
Peninsula
(ペニンシラ、日本語では半島か?)の公道を使って行います。
カートのレースというのは普段はサーキットでのレースですが、毎年真夏の2月に開かれるこれは、一種のお祭りのような公道を使ったレースで、州内の各クラブからも多くの参加者があります。
今年のレースに僕は出る予定はなかったのですが、見に行く予定でした。 しかし、天気が非常に悪く、他にどうしてもやらなければならない事も有ったので、観戦にも行きませんでした。
火曜日の新聞に、女性のカート・レーサーの死亡記事が出ていて、見たら何と、そのレースでの事だと知ってショックでした。
はっきり言って、公道を使ったレースというのは危険です。 僕が出た時にも何度か多重クラッシュ事故があり、救急車の出動が何度もありました。
1987年だったかの「バイクの500ccG・P」ワールド・チャンピオン、ワイン・ガードナーと一緒に出ていたレースで、何度も事故があり、ガードナーのマシーンが僕に飛んできて、クラッシュに巻き込まれたのを思い出しました。
彼はやはり同じウーロンゴング出身で、バイクを引退した後、4輪のレースを始め、日本でもトヨタファクトリーのスープラでレースをしているはずです。
カートはそういったレーサーたちには、とても良い練習になるため、シーズンオフなどには、結構有名なレーサー達が飛び入りで参加したりします。
F-1チャンピオンのマイケル・シューマッハーもしょっちゅう(ヨーロッパでですが)カートのレースをやっています。
そのガードナーと出た、その年のレースでは、ほとんどの怪我がたいした事なかったのですが、今回死亡事故を出してしまうと、改めて「公道レースは危険だと」再認識させられました。
ちょうど、この日記を書いていたら、昨年のオーストラリア
F-1
グランプリでの、コース・マーシャルの事故死について、テレビで分析していました。
ご存知のようにオーストラリアのF−1レースは、メルボルンにあるアルバート・パークという公園の中で行われます。
テニスの全豪を見に行くたびに滞在先の義姉の家の近くということもあり、この公園内にあるレストランには必ず行きますし、今回はゴルフの練習場にも連れて行かれました。
で、その公園内を車で走るたびに感じるのは、本当によくもこんなに狭いところで、F−1のレースができるものだということです。
もちろん世界最高峰のドライバー達が競うのですから、その狭さなど物ともしないのかもしれませんが、皆さんも実際にアルバートパーク内を自分の車で走ったら、テレビで観戦するよりも、もっと狭いという事に気がつくでしょう。
全くエスケープ・ゾーンが無く、ドライバーだけでなく観客も一歩間違えば大変な事になります。
昨年のコース・マーシャルの死亡事故がそれを証明しています。
今回のカートの死亡事故にしても、エスケープ・ゾーンが全く無く、その女性ドライバーが追い抜きをかけた時に、接触しスピンをする間も無く、そのままガードレール(レールというよりも移動できる、コンクリート・ブロックですが)に頭から突っ込んでしまったようです。
その事故の後は残りのレースは取り止めになったそうですが、レースをやっている時というのは、勝つ事しか考えてなくて、目の前で多重クラッシュで赤旗が出てレースがストップし、ボロボロになったマシーンや、救急車でドライバーが運ばれるのを見たりすると、「あ、これで次の出走順位が上がるわい」とかしか考えなかったりします。
つまり競争相手が落っこちてくれたというような。
今回の死亡事故知って、僕もそろそろいい加減歳だし、、、と考え始めています。
2002年2月9日
昨日は、ずっと降っていた雨がどうにかやんで、青空が見え始めホッとしていたら、午後から突然雷とバケツをひっくり返したような雨、そのうち雹(ひょう)に変わり、大粒の塊がバンバン落ちてきました。
ちょうどボンダイジャンクションの家で、ペンキ屋さんの仕事に立ち会っていた時でした。
雨が降りそうなので、これ以上は仕事続けられないと、彼らが帰って、後片付けをしていたら、「バラバラ」というすごい音とともに、雹が降ってきました。
前の日記に書いたように、数年前の大きな雹の被害に懲りている僕は、外に車を駐車している事に気がつき、とっさに外に飛び出し、エンジンをかけて、ガレージの中に避難させようとしました。
ところが、その上に持ち上げるタイプのガレージのドアー、強い風は吹いているし、降ってくる雹と雨の重さで、誰かが支えていないと、閉まってしまうのです。
とにかく緊急を要する事態なのですが、そこには僕一人しかいず、大きな一枚のガレージドアーを開けて、いざ車を中に入れようとすると、「バターン」と激しく閉まってしまう。
下手に無理やり車をガレージに入れようとしたら、雹の被害よりも、車が入り口を通過する時にその大きなドアーが閉まって、車の屋根を大きくへこませてしまうのは必至なのです。
何度かガレージのドアーを開けるために、車の外に出たために、体はシャワーを浴びたように、ずぶ濡れ状態。
ガレージの中に車を入れるのは諦めざるをえず、雹が止むのを車の中でじっと待っていました。
見ているとかなりの大きさの雹が車の屋根やフロントスクリーンに当たって、飛び散っています。
特に車の中にいると、トタン屋根の家の中と同じように、その「バラバラ」という大騒音がして、先月に買ったばかりのこの新車をメチャクチャにしているのではないかと、大いに焦りました。
しかし焦ってみても天災には人間の力なんて全く無力で、じっと通り過ぎるのを待つのみ。
何をしようと、どうにもならないわけですから、もう開き直った心境で、その雹がみるみる車のボンネットとフロントスクリーンの間に山盛りになっていくのを見ていました。
後で知ったのですが、ちょうどその頃、女房も車を運転中だったそうで、パラパラと来た時に運良く、そばに屋根付きの大きな駐車場がありそこに避難できたそうです。
その雹が激しく降っていたのは、たった5分ほどだったかもしれませんが、とても長く感じたものです。
雹が止んですぐ車の外に出てダメージをチェックしたら、運良く雹の大きさがそれほどでもなかったせいか、目に見えるへこみはありませんでした。
先代のスバルには数年前の雹で出来たゴルフボールが当たったような、へこみが2ヶ所ありました。
その時には、屋根の下に避難する途中でやられたのですが、外に出しっぱなしだったら、ウインドウも割れていたかもしれません。
そうそう、へこみといえば、数年前の大雹害の時に、家だけでなく、多くの車が被害に遭い、ボンネットや屋根などいたるところボコボコになった車を見かけたものです。 その当時、被害に遭った車の価値によっては、修理代の方が高くつくので保険会社は全損事故扱いにして、保険金を支払いました。
当然中には便乗組みも出てきて、全く雹には遭わなかったのに、自分でへこみをつけ、保険金を狙ったわけですが、ほとんどの不正がバレたそうです。
わざとへこみをつけるのに、ゴルフボールなどを色々な道具を使ったようですが、プロが鑑定をすると雹によるへこみでないことは結構簡単に見分けがつくとの事でした。
それにしても、オーストラリアの気候というのは変化が激しくて、怖い時があります。
2002年2月10日
本日の日記はお休みいたします。
と、書いて先週の日曜日の日記もお休みした事に気がつきました。
日曜日は結構書けないシチュエーションが多いので、今後毎週日曜日は日記定休日としようかと考えています。
よっぽど書かなくてはと思う事が有って、その日曜日に時間が有ったら書く予定ですが、それ以外はお休みということにします。
2002年2月11日
昨日の日曜日はボンダイ・ジャンクションの家を大掃除していました。
この家は僕が1980年にオーストラリアに来た時に購入し、親が引っ越して来るまで住んでいたところです。
1987年にオーストラリアに来た親と一緒に住むために、その家はずっと貸し出していました。
考えてみると、僕が住んだのが7年間、貸し出していた期間がもう14年以上にもなるのです。
新築で買った家ですが、やはり22年も経つと、色々と直さなければならないところも出てくるわけで、ちょうど1月の終わりに今まで住んでくれていた人が出たので、次のテナントさんが決まるまで手を入れるのに良い機会と、毎日のように日曜大工(英語のハンディー・マンの方がピッタリきます)をしに通っています。
次にどんなテナントさんが入ってくれるのか、今のところまだ決まっていませんが、長く住んでくれる方が良いと思うのですが。
さて、話は変わって先日の「TIME (タイム)」マガジンを読んでいたら、健康特集のような号で、肥満児の事も書いてありました。
日本でも大分肥満児は増えているようですが、オーストラリアでもソフトドリンクとファースト・フードは肥満の原因だと目の敵にされています。
アメリカでは学校運営資金を調達する手段の一つとして、なんと学校内に自動販売機を置いたり、また校内にハンバーガーなどのファースト・フードを入れたりしているそうです。
これには僕もビックリ。
我が女房のように、ファースト・フードと聞いただけで、否定的になるのもどうかと思うのですが。
昔は彼女だって「マック」で食べたりしていたのに、風潮というのかどうもファースト・フードは嫌われるようです。
確かにメニューによっては脂肪分やコレステロールの多いのもありますが、それは別にファーストフードでなくてもいくらでもある。
多分イメージの問題なんだと思いますが。
ファースト・フードに行かないで、街のレストランでハンバーガーを食べても同じ事だと思うし、それ以上にファースト・フード・チェーンの方が衛生的だと思います。 もしマニュアル通りに作っているとしたらの話しですが。
何か話が脱線してしまいましたが、肥満児が増えているのは確かに食生活に関係はあるでしょうが、一番の原因は子供の運動不足だと思います。
つまり、高カロリーの食物を摂ってもその分、体を動かせて「燃焼」すればいいわけです。
僕らが子供の頃は、文字通り外で暗くなるまで駆け回っていたものです。
ところが現代では、駆け回る場所が無い、危険である、塾に行っている時間が多い、ファミコンの普及、等など原因は考えられます。
聞いた話では、日本で小学校の昼休みに校庭に出て遊ぶ場合に、騎馬戦などは危険だから禁止らしい。
つまり、激しい遊びはやってはいけない。 学校も責任を取りたくない。
おとなしく教室で本でも読んでろというのでしょうか。
この上インターネットがどんどん普及したら、もっと子供は画面の前から動かなくなってしまうのだろうか。 と、「PCオタクの自分」の事はさておいて心配したりしています。
子供の時の肥満の問題は、成人してからの健康に大きく関係するようです。
健康な食生活といえば、その同じ号の「タイム」に「体に良い10種類の食品」が出ていました。
ざっと挙げてみます。
トマト、ほうれん草、赤ワイン、ナッツ類、ブロッコリ、オーツ(
Oats )、
鮭、ニンニク、緑茶、ブルーベリー、の10食品です。
この中で日本食に関係が深いのは鮭と、緑茶でしょう。
鮭は Omega-3s
を多く含みますが、これには鰯なども有名です。
緑茶は日本人には説明の必要も無いと思います。
逆に、ほとんど日本では一般的でないのはオーツとブルーベリー。
オーツというのは日本ではなんて言うのでしょうか? 麦系の穀類。 日本でもオートミールとは言ったかと思います。
我が家では女房も、僕の母も朝食にミルクをかけて食べております。
母親は、便秘解消の目的が強いようです。
ブルーベリーは野菜や果物の中で最も Antioxidants
(抗酸化)作用の強いものなのだそうです。
ぶどうの種には多く含まれるとは聞いていたけど、ブルーベリーだったんですね。
日本でもジャムやケーキなら使われる事は多いかと思います。
なるほど以上の食品を見ていると、確かにファースト・フードのメニューには関係の薄い物ばかりではありますな。
僕も最近コーヒーの飲む量を大分控えてはいます。
やはり日本茶は良いようで。
2002年2月12日
なんだか、長く続いていた雨が止まったと思ったら、今度はすっかり秋の陽気に。
まだ2月の12日ですから、まだまだ真夏のはずなのに。
夏はどこへ行ってしまったのでしょう。
冬季オリンピックが開催されていますが、僕はあまり見ていません。
我が親はN・H・Kを見ていますが、海外に出る電波はこのオリンピックをすっかりカットしてしまっていて、全く見る事ができません。
確かにN・H・Kは日本国内放送権しか取得していませんから、海外に出る電波は契約違反ということになるからでしょうが、非常に腹立たしいです。 何しろオリンピックのニュースでも、声だけしか聞こえず、画面ではなぜかオリンピックとは全く関係のない、「富士山」などの景色の写真が映っているだけ。
もちろん、オーストラリアのテレビでもオリンピックはやっていますが、当然オーストラリアの選手が中心に中継されるわけです。
これは、冬季オリンピックに限らず、外国で見るオリンピックではいつもこのようなフラストレーションが溜まるものです。
これはイギリスに住んでいる時にも同じでした。
大体オーストラリアは、冬季オリンピックに送っている選手も少なく、それほど関心も無いようです。
ですから、見ていてもつまらない。
親も開会式などは現地の局の放送で見ていましたが、彼らのように全く英語が出来ないと、アナウンサーが何を言っているのか判らず、やはり彼らにとっては盛り上がりにかけるようです。
将来インターネットがもっと発達して、ブロードバンドでも今より高速の技術が一般的になったら、テレビの番組でもインターネットで見えるようになるはずで、世界中の番組が見えるようになるはずです。
ということはオリンピックもインターネットで見える可能性も出てくるはずですが、しかしIOCが必ずや横槍を入れて、ストップさせてしまうでしょう。
こないだのオーストラリアの夏季オリンピックの時には、時差の関係からアメリカではほとんどが遅れて放送されるので、聴視者がその番組が始まる前にインターネットで結果を知ってしまうと、視聴率に大きく関係してしまうというので、アメリカのテレビ局とIOCが一緒になって、インターネットで流れる記事に大変な圧力をかけて、流させないようにしていました。
全くIOCは商業主義の権化というか。
オリンピック放送は別として、日本のテレビ民放局は、インターネットネットだろうが大喜びで日常の番組放送は許可すると思います。
実はオーストラリア(だけでないが)には大分前から日本人向けのレンタル・ヴィデオ屋さんがあって、日本の番組を見る事が出来ます。
ところがもちろんそれらのレンタルヴィデオは日本の放送局の許可を取っているわけではありません。
初めてシドニーでレンタルヴィデオ屋ができた時に、オーストラリアでは著作権の問題で、無許可のヴィデオを貸し出した場合、何万ドル(何百万円)にもなる罰金制度があるので、どうなるのだろうと気になっていたのですが、捕まったなんて話はトンと聞いたことは無く、ヴィデオやさんは何軒にも増えるばかり。
つまり(この際N・H・Kは除くが)日本の民放局は、第三者が勝手に録画したものを海外でレンタルしようが、聴視者が増えるのが目的ですから、どこも文句を言わない、つまり目を瞑っているわけです。
ということは、インターネットが発達すると、その放送局が電波をインターネットネットで流さなくても、個人サーバーでさえ海外に送る事が出きるわけですから、いくらでも世界中の見たい番組を見る事も可能だと思います。
そんな日が早く来ればいいですね。
2002年2月13日
本日13日は母の誕生日。 今日で79歳になりました。
夜、シドニーはノース・サイドにあるバルモラル・ビーチ(
Balmoral Beach
)のレストランで家族5人のささやかなお祝いをしました。
レストランの名前は Water
Mark いわゆるビーチ・フロントのシーフードレストラン。
初めて行ったのですが、期待したほどではありませんでした。
最近どうもこのようなメニューが多くて、食傷気味。
つまり、東洋の味(今晩の場合はほとんどタイの影響が強い)を取り入れれた内容は、新鮮味がありません。
いや今日は、食い物の話を書くのではなかった。
母について書きます。
ここ5年ほどは、歳とともに物忘れなどがひどくなって、一時は老人性痴呆になるのではないかと思っていました。
話していても、何かボーっとしているし、話している内容をちゃんと理解していないし、僕はそれを見て非常に焦っていたのだと思います。
叱咤激励というのか、何か失敗をすると随分叱ったりもしていました。
僕が母の老化を認めたくなかったのかもしれません。
つまり、自分の心の中に行き続けている母親のイメージから「ボケが進むと」どんどん遠ざかっていくというか。
別人が「母のぬいぐるみ」を着ているようにも感じる時も有りました。
しかしごく最近、僕の母に対する見方が変わってきました。
今晩一緒に食事をしながらつくづく「そうか79歳、来年はもう80歳なんだ」その割には結構しっかりしているのではないかと思い始めたのです。
確かに老けた両親に慣れてしまったのかもしれません。 もうそういうものだと諦めたのかもしれません。
しかし外見もそれほど老けているわけではないし、朝も元気に散歩はしているし、週に3日は彼女の当番だといわれて、皆のために晩御飯を作るし、考えてみると歳の割にしっかりしているんですよね。
この晩御飯は作りたくなかったら、作らなくても良いと言ってあるのですが、自分でも何かしていないとボケると悟って、結構頑張って作っています。
娘がアルバイトをしていたグルメ・カフェでたまにオーストラリア人の作った「いなり寿司」を売っているのですが、それを見てあれは「いなり寿司」とは絶対に言わない、私作るからそれを店で売れと言い出したりしていましたが、周りの反対で実現には至りませんでした。
まあそれくらいですから、まだまだ元気一杯です。
で、叱咤激励の叱咤を止めて、激励だけにしたら、これが結構効果あるんですよね。
失敗は目をつぶって、良い面だけ見て激励している方がボケも進まないかもしれません。
本当は母について昔の事を書こうと思ったのですが、今日は昼間ハンディーマンのやり過ぎですっかり疲れてしまって、残りは明日書きます。
2002年2月14日
昨日の日記の続きで、母についてもう少し書こうと思っているのですが、何かうまく書けません。
ちょっと疲れ気味で体調が悪いせいかもしれません。
風邪ではないのですが、鼻が詰まってくしゃみは止まらないし、だるい状態。 風邪の症状に似ているのに、熱はないし咳も出ない。
オーストラリアは夏の終わり、という事は時季的にも花粉症ではないと思うんですが。
モニターの前に座っても、頭がボーっとして、何を書いたら良いやら。
こういう日は早めに寝るに限るということですな。
まだ今も(夜11時過ぎ)女房の友人が来ているが、僕だけ「おやすみ」しちゃいます。
そうそう、夕方に友人が「PCがおかしいから直して」と一式運んできたが、ざっと見てみたがおかしいところが無い。
今日中に直そうと早速立ち上げてみたが、どこが悪いのか良く判りません。
聞けば息子(小学生か)のために、中古のPCを安く買ったが、ネットに繋がらないとの事。
どうしようもなければ再インストールすればいいやと、一応「OSと、チップセットなどのドライバーが入ったCDも持ってきて下さい」と言ったら、そんなもの一切無いという。
売った人は日本人でもう日本に帰ってしまっているという。
本日持って来たのを見てみたら、メーカー製PCではなく、という事はリカバリ・ディスクも無いのはわかるのですが、「OS」のCDも無いって、それじゃOSおかしくなったらどうやってリカバリするんでしょう。
彼女は買う時に全く調べなかったようですが、買った時にOSもついていないのではメチャクチャ安く買えたのかと思いきや、そうでもないみたいで。
皆さんも中古のPC買うときには充分気をつけましょう。
2002年2月15日
今日は娘についてちょっと書いてみます。
娘は大学卒業後、オナー・コースを1年ほどやって今年卒業しました。
メディカル・サイエンスの中のマイクロ・バイオロジーで、専攻はイミュ・ノロジー。
日本語では免疫学になるのでしょうか。
卒業後、就職活動を始め、主に医学研究所などに履歴書を送っていました。
シドニーには(都市の規模からしても)それほど多くの医学研究所があるわけでなく、例え募集があってもせいぜい一人か二人の雇用というのが現実です。
最初に面接をした「G」というインスティチュートでは最後まで残ったが、最終審査で落ちてしまいました。
次の面接は履歴書を送ってからもなかなか返事が来ないので、諦めて大学の就職課のアドバイスで全く今まで勉強したのとは違う、「メディア・セールス」のコースを受け始めました。
医科学からなぜメディア・セールスなのか理解に苦しむのですが、またまた学費を払って2月からそのコースを始めたのです。
メディア・セールスと言うのは、出版やテレビなどのメディアの広告などを売ったりするような仕事です。
ところが先週になって、シドニーでもかなり有名な医学研究所(半官半民)から面接をしたいと連絡が有りました。今度の募集もたった一人だし、最初に落ちたところよりも競争率は高いし、研究内容ももっと高度なので、どうせ受かるわけが無いと、面接に行くのも迷っていたのを、女房が受けるだけでもと、尻を引っぱたいて行かせたら、なんと受かってしまったのです。
つまり就職できるという知らせが来たのです。
ところが娘は人事課から電話が来て、雇いたいと言って来たときに、半信半疑で「何で私なんですか?」と答えてしまったそうです。
逆に電話をしてきたその人事課の女性のほうが驚いてしまったようで、「何でそんな事を聞くのか」と言わんばかりだったそうです。
何でも大学院卒業生のみ対象で30人近くの面接をした後、娘がたった一人選ばれたわけですから、その人事課の人も娘がたいそう喜んで「ありがとうございます、喜んでお受けいたします」と反応するとばかり思っていたのが、「何で私なんでしょう?」とか「今、他のコースを始めてしまっているので、すぐに返事は出来ませんが、来週の月曜日まで考えさせてもらいます」と言って電話を切ってしまったそうです。
僕はそれを聞いて、もうそんな事をいう時点で他の人に仕事回されてしまうのではと言ったのですが、娘はどうしようか迷っているようです。
我が女房はその仕事がもらえたという電話があった時に、大いに喜んで当然娘はすぐ受けると思ったようです。
給料も良いし、そのメディア・セールスのコースなど例え終了しても就職できる保証も無いし、また就職できたとしても、この医学研究所の給料がとても良いので、それほど収入がある保証もないしと、娘に言うのですが「自分の事は自分で決めたい」と言って、耳を貸しません。
確かに、「医学研究所でリサーチや研究」という方が聞こえが良い事も確かなのですが、それ以来僕もずっと考えています。
やはり娘は「ハングリー」ではないのでしょう。
僕もその点は娘に批判的にはなれません。 その気持ちは分からないでもない。
特にメディアと言う方が華やかなイメージもあり、研究所の中でシコシコ研究をしているというのは、地味な感じはするのでしょう。
しかしそれなら大学を卒業後、またオナー・コースまでわざわざ専攻してその免疫学を勉強していた事が無駄になるとも言えますし。
また収入的にも研究所の方が非常に安定しているのにと、いろいろ考えさせられます。
今の日本など本当に就職難で、娘など犯罪的なのかもしれません。
まあ僕に似て娘は人の事を聞かない性格なので、自分の進路は自分で決めればよいと思っています。
皆さんはどう思われますか。