2004年2月前半の日記

by tom tanabe                                マグパイへ戻る


2004年2月2日

昨日の日曜日、母が朝8時半にJAL771便にて帰豪したので空港へ迎えに行ったのですが、いやはや大変な混雑でした。
最初のスケジュールでは3月1日に帰ってくる予定だったのですが、日本でスケジュールを変更したのです。
で、僕は当たり前のごとく成田発のシドニー行き直行便というのは、JALは771便しかないと思っていた。 ちなみに最初の予定でも771便でした。

で、その便ならシドニー到着時間も把握しているので、別に調べる必要は無いと思っていた。
しかし前の晩(すでに母は機上の人になっている時間)になってふと、「もしかしたら」と思いインターネットでJALのページを呼び出し確認したら、1月31日発2月1日到着の成田発シドニー行きの直行便が何と「2便」ある事を知ったのです。
成田20時発シドニー朝7時半到着の「8711便」と、21時発シドニー朝8時半到着の「771便」なのです。

日本で予定変更に伴い座席の予約をしなおしたので「ひょっとすると」この8711便になってしまっている可能性も有ると思い、すぐに日本の妹に電話を入れたら便名は判らず、しかし夜9時出発だからというので「771便」だろうと予測したのですが、万が一の場合を考えて少々早めに空港に向かいました。
で、日本航空の乗客の出てくる「C及びD」ロビーに行ったら、もうすごい混雑のなのです。 
到着者を出迎える人達で一杯。 日本からのJAL便も1時間の間に2便も着いていたらかなのか。

幸い我が家から空港までは(特に日曜日だったこともあって)たった20分で到着してしまったのですが、出迎えロービーに到着してからの長かった事と言ったら。
あまりに時間がかかるので、近くにいた日本人のツアーガイドの人に聞いたら、最近は飛行機が到着してから2時間くらいかかることも有るとか。
その上、先日来の日記にも書いているように「鳥インフルエンザ」の問題で、オーストラリア入国での持ち物検査が非常に厳しくなっていて、かなりしつこく荷物を開けて調べているから、余計時間がかかっている模様。

何しろJALの乗客の出てくるドアーはCとDの両方なので、待っている場所によっては両方を見ていなければならず、いつ出てくるかも判らない状態できょろきょろしながら2時間近く待つのは本当に馬鹿馬鹿しいもんです。

やっと出てきた母は中の混雑の様子に「ほうほうの体」でした。
最初に入国審査で異常なまでに長い列ができていて、やっとそこを通過して手荷物受け取りのロビーに行ったら、荷物を運ぶ「カート」が足りなくなってしまったのか見つからず、重い荷物(カバン等3個も)手で引きずって、検疫へ。
そこも異常なまでに長い列ができていたそうですが、なんと運の良いことに「日本語」のできる検疫官だったそうで、持ち物の内容を聞かれたので日本語で答えることができ、「それ以外には有りませんね?」と聞いただけで、全く検査をされずにパスできてしまったのだそうです。

母曰く「もしそこで引っ掛って荷物を片っ端から開けさせられたら、こんな早く出て来れなかったはずだ」と。
2時間近くもかかっていながら「こんなに早く」も無いと思うのですが、何でこんなに海外からの旅行客が多いのか。
ひょっとすると、狂牛病も無いSARSも無い、鳥インフルエンザも無い、テロも今のところ起きていず、暖かい夏のシドニーは大変な人気なのかもしれませんな。

とにかく母は、僕が「冗談」だと言ったのに、「鳥のインフルエンザ」が発生した「山口県」へ行ったことを隠さないと、入国を拒否される可能性が有ると頑なに信じていて、検疫ではものすごく緊張していたそうです。
ですから、その係官が日本語で話し掛けてきた時には「まさに地獄に仏」の心境だったようです。
何しろ、調べられるのが嫌だから食べ物はなるべく持って帰らないと言いながら、「しば漬」や「海苔」、せんべいや餅菓子など随分持って帰ってきてたのです。

まあ何とか無事で帰ってきてほっとしておりますが、しかしいくら長年にわたってオーストラリア日本間を行き来しているとは言え、80歳のバアサンが一人で旅行というのもそろそろ限界が見えてきたかなと。
なにしろ「カート」が見つからなかった時には旅行カバンが重くて運べず、途方にくれていたら検疫官が見かねてカートをわざわざ捜しに行って、母に与えてくれたそうで、それでなくとも日本語ができる検疫官に喜んでいたのに、その親切に感激しておりました。


2004年2月3日

全豪テニスはスイスの「ロジャー・フェデラー」の優勝で幕を閉じました。
間違いなく彼がサフィンに勝ってグランドスラムの第一戦を物にすると確信しておりました。
今の男子テニスでフェデラーに勝てる可能性の有るのは今のところ「アンディー・ロディック」くらいしか思い浮かびません。
そのアンディーロディックが決勝まで残れなかったので、もうフェデラーの優勝は間違いないと思っていました。
彼についてはまた詳しく書く予定ですが、彼の強さが最も顕著に現れるのは彼の「体力」つまり「フィットネス」のすごさです。
どうやったらあんなにすごい体力が作れるのでしょう。 何しろすごいラリーが続いた後で、相手選手が息を弾ませ、口を開けて呼吸しているのに、彼は平然としているんですよね。
他にもレイトン・ヒューイットを含む何人かの選手が素晴らしいフットワークを見せますが、フェデラーは特別ですな。
テニスマガジンでも買えば彼のトレーニングの秘訣が出ているかもしれません。

さて、
先週週末に青色LEDの開発(発明)の対価200億円支払いを命じる判決が出ました。 請求額満額の100%勝訴でした。 
この記事を読んでいて僕はつくづく日本というのは特殊な国だと感じていました。 
この発明者「中村修二氏」今はアメリカの大学で教授職に就かれているようですが、開発した当時在職していた会社(日亜化学工業)は、彼の功績に対して報奨金を払ったのだがその額が「2万円」だったそうです。

青色LEDの開発が成功して以来この会社は大変な業績拡大をしているようです。 社員数だけとっても400人から今や3000人になっているとか。また将来的にはこの青色LEDによって1兆2000億円ほどのビジネスに繋がると記事は報じています。 

そのれほどの発明なのに会社が払った金額が(当時だが)「2万円」って、なんか典型的な「日本」を感じさせてくれます。 
特にこの開発に関しては、会社側はあまり期待していなかったようで、開発中止命令が出ていたのをこの中村氏が独力で開発に成功したのだそうです。 
日本という社会は上からの命令、(つまりこの場合は「開発中止命令」ですが)、に逆らったり無視したりした場合は、例え結果が今回のように100年に何度かというような発見でも評価が非常に低い。 
これは完全に官僚体質でもあるわけですが、「和を乱す」という考えが基本となっているのでしょうか。 

同時に僕にとって不思議なのは今回の判決の200億円という額。 
その発明内容から額が多過ぎる訳ではなく、妥当な計算に基づいての額という判決らしいがしかし、何でこんなに極端から極端なのか。  
今までの日本ではあまりにも個人の業績に対する評価が低過ぎていたのに誰もおかしいと表立って行動はしていなかった。 
このような訴訟はたった「ここ数年」の事だと思います。 

で、アメリカの大学教授に迎えられて、つまり日本を離れて自分のいた日本での実情を客観的に見ることになる。 
そしてアメリカ式訴訟の影響も受ける。 で訴訟の結果は全面勝訴で200億円ってのも何だかなと。 

この中村教授は記者会見の中で「スポーツ選手のように化学者だって偉大な業績を残せば莫大な収入を得ることが出来る事を若い人達に示したい」とおっしゃっているようです。
しかし僕はアメリカプロスポーツ選手の巨額の報酬というのも非常に疑問を感じています。 
バスケットの選手や大リーグの選手に50億円〜100億円(数字年度報酬の場合が多いが)なんて数字を目にすると、必ずや歪が出てくるのではないかと。   


2004年2月4日

友人から届く電子メールには携帯電話から送られてくるものがあります。そして最近ではその携帯電話のデジタルカメラで撮影された映像まで送れらて来ます。 
その写真の中に、小学校の同窓生「武田君」から僕の生家の写真が届きました。 
その写真、解像度は決して高くないのに、非常に画質が良くてびっくり。 これなら仕事で現場からさっと映像を送るなんて使い方、最高ですな。 

僕はあまり携帯を使用しないので、わが娘のように我が家にたまに遊びに来て、玄関に入った来た途端にもう彼女の携帯が鳴り出し、延々と「与太話」なんかしているのを見ると腹が立ってしまう。 
だいたい、わが娘の場合は仕事で携帯を与えられているわけではないので、自分の収入の中から料金は払うわけで、一体どれほどの割合で通信費に消えているのか知りませんが、かなり割合になるはず。 

僕の持論では、いまや小学生にまでに及ぶ携帯の普及が進んでも、経済効果にほとんど寄与していない、つまり日本の景気回復の助けになっていないと思っています。 
しかし実際に仕事で携帯を使っている人にはこれほど便利なものは無いわけで、ましてやこのように映像まで送れてしまうようになると、PCの売れ行きにか翳りが出るのではないかと。 

と、今日書こうと思っていたのと違うことを書いてしまっているので本題へ。 
そう、その送られて来た、「元わが家」の写真にショックを受けてしまったのです。 その写真には僕の生まれれて育った家は跡形も無く、空き地が写っております。 
今は亡き父が僕の住むオーストラリアに永住すると決めて売却したのが1987年。 
当時はバブルの絶頂期で、高級住宅地「田園調布」ということもあり、地上げ屋系の会社が今から考えると信じられないような「馬鹿げた額」で購入したのです。 

当時父から聞いた話では、銀座などの都心部に住居している人に立ち退いてもらう場合、高額な買取額以外に代替地を用意する必要がしばしば生じる。
で、代替地として田園調布のような高級住宅地を用意すれば話が進みやすいために地上げ屋が購入したとか。 

ところが我が家が売れた1987年の後半に突然のごとく日本のバブル経済が「はじけ」、地上げはストップしてしまい、我が家も宙に浮いてしまったのです。 
直接家を購入した会社も倒産し銀行の管理下に入ったり紆余曲折はあったようですが、以来17年間誰も住んでいないのです。 

当然のごとく誰も住まない家というのは荒れ果て朽ちていくもので、木々は伸び放題でまるで化け物屋敷の様相を呈していたものです。 
以来何度か僕は日本に帰ると、まだ我が家の墓のある田園調布に出かけていたので家の前を通るのですが、その朽ち果てていく我が家を見るたびに暗い気持ちになっていたものです。 

そう、人の手に渡って17年にもなるのに、とっくに自分のものではないのにやはり「生まれ育った家」というのは決して忘れることのできないもののようです。 
特に我が家のように転勤など全く無く、祖父の代から父がオーストラリアに来る事を決めるまでずっと同じところに建っていた家。 
子供のころの思い出がいっぱい詰まった家。 
それがとうとう「解かれて」今は家も無くただの更地になっています。 
しかし石垣やガレージのゲートなどはそのままなのが余計に僕の心に刺さってきます。 ショックでした。 

一時はあまりにも日本の土地の値段が下がってきていたので、いつまでたっても誰も住まないのならまた買い戻そうかとも考えた時期もありました。 

しかしその武田君が送ってくれた写真を見ていて、「思い出の家」が完全に消えてしまった事で、かえって吹っ切れるのではないかとも思います。生前の父にしてもまたわが母も、この家に関しては僕ほどセンティメンタルではないのが興味深いです。 
まあ確かに母は当然ですが父にしても田園調布に移って来た時にはもう思春期を過ぎていたからかもしれませんが。 

将来一体どんな家が建つのやら。


2004年2月5日

先週のこと、自動車用セキュリティーの会社から電話がかかってきて、「930(旧名は”例の彼女”)」に装備されている盗難予防装置のバックアップ電池がすでに2年を経過しているから、交換の必要が有りますとの事。 
バックアップ・バッテリーというのは車用バッテリーが上がってしまっても、何日間はその装置を生かし続ける物のようです。 
この装置は僕が930を購入した時にはすでに装備されていました。 
確かに僕のところへ来てからもう今年の5月で丸2年になるので、交換時期なのかも知れません。 

この装置は非常に特殊で、カーナビのように常にサテライトを介してセキュリティー会社と繋がっています。 つまり常時僕の車とセキュリティ会社のコントロールルームのモニターが連絡を取り合っているわけです。
例えば僕の車がカージャックされた時には、すぐにその警備会社に連絡します。 
するとその会社は警察に連絡をすると共に、サテライトを使ってその車の所在位置を確認し報告します。 
で、警察がその車の位置を確認できた時点で、警察と協議の上、車のエンジンを完全に停止させる事ができるのです。 
つまりサテライトを使って本部から僕の車へ信号を送り、エンジンを停止する事ができるのです。 

警察と協議をしてから実行するのは、僕の車を奪って逃走中では非常にスピードを出している場合や混雑している道路、また高速道路などを走行中に突然エンジンをストップさせた場合危険を伴う場合がある。
ですから安全を確認するためです。 
先日も同じ装置を積んだポルシェがカージャックに遭いました。 
オープンのポルシェで女性オーナーが信号で停止したら、いきなり若い男二人がドアーを開けナイフで脅しながら彼女を引きずり出し、車を襲って逃亡してしたのです。 
警察と警備会社はすぐにその逃走中の車のモニタリングを始め、郊外の比較的交通の空いている道路で、横道など犯人が逃げる場所の無い所を確認の上、エンジンストップの信号を送ったのです。 

犯人はいったい何が起きたのかわからず、とにかくアクセルを踏んでも、またスターター・モーターを何度も使ってエンジンを始動させようとしても全く反応しないので、エンジンが壊れてしまったのかと勘違いし、その場で車を捨てて逃げようとしたら、そこには警察官がすでに待ち構えているところで、あっという間に逮捕されてしまったのです。 

日本でもこのような装置が使用されているかわかりませんが、車のオーナーが警備会社に支払うモニタリング料金は結構な額です。 
しかしその額に見合う安全は保障されているようです。
例えば盗難に遭ったわけではなく、長距離ドライブで他の州に出かけても確認の電話がかかってくるほどです。
車を自宅のガレージにしまってあっても24時間モニタリングしているので、知らない間に盗まれても大丈夫。
サテライトでその車の位置が確認できますから、例え犯人が自分たちのガレージや倉庫等に車を隠しても、すぐどこに有るかが判るのです。 

こんなに凝った盗難予防装置が必要なのは、あまりにも車の盗難が多いからですが、実は930のような車はあまりにも自動車保険の掛け金が高額で、このような装置を装備していないと、金額ではなく保険自体を受け付けてもらえない場合も有るようです。 
まあ僕の場合は僕の年齢や長年にわたる無事故割引、また年間走行距離制限等(毎日の通勤には使用してはしけない。 年間走行距離は5000キロまで等)の条件をあわせて保険会社が査定するので、比較的安い金額で済んではいますが。  

ですから安全には日本と比較すると、うんと金がかかるものなのです。
医療保険、家の保険(建物とコンテンツは別料金)、車の保険などなど、いったい年間どのくらいの額が保険に消えていくのか。
しかしリスクを回避するのは保険しかないわけです。
もっとも僕の車はオーストラリアに一台しかないので、盗まれたとしてもそのままでは転売できないので、きっと完全に「バラバラ」にされてしまうのでしょうな。


2004年2月6日

皆様も同じような経験をされていると思いますが、迷惑メールやウイルスメール、はたまたウイルスにやられたコンピューターから発信されるメール類が洪水のごとく押し寄せております。
僕のように自分のドメインを持ちHPを公開していると、スパムメール屋のロボットが僕のメルアドを拾うので、異常な数の押し売りメールだけでなく、僕のHPを見ましたと言ってお便りを送ってくださる方のPCがウイルスにやられた場合、そのPCには僕の(HPの方の)メルアドが入っているので、そのPCを拠点にウイルスが活動しメールをばら撒くということになるのです。

ですから最近はよっぽど注意をしていないと、僕のHPを見た方からのメールがスパムメールの中に溺れてしまっていて、危うく間違えて削除してしまいそうになる事もしばしば。
しかし英語のスパムに比べて日本語のはまだ少ないので、何とかなってはいますが。
このような状況のためか僕のHPをホスティングしている会社のメールサーバー機がオーバーヒート気味のようで、しばしばメールをダウンロードできない状態が続いています。

何度もその会社に電話をかけてサーバー機がパンクしているのではと言うも、サポートセンターのお姉さんは「異常なし、そちらのPCがおかしいのでは?」の一点張り。
我が家にはノート型を含め4台PCが有って、すべてに同じ不具合が出ているのだからホスティング会社のサーバー機の問題に決まっているのに聞いてもらえません。 トホホです。

トホホと言えば、我が家の電話も一昨日から突然繋がらなくなり(インターネットはケーブルTV接続なので関係ないが)やはりサポートセンターに電話を入れたのですが、これがもう悪夢のような経験でした。
オーストラリアでは民営化に伴い、電話も自分の選んだ「プロバイダー」を使う時代。
で、問題が出た時にはその自分のプロバイダーに連絡をするのですが、地中にある電話線(電話回線というのか)等のハードの部分は昔の国営電話会社(日本で言う電電公社か)でテルストラが相変わらず管理をしている。

ですから故障の報告は僕からプロバイダー、プロバイダーからテルストラに報告が行く。 で、直接僕が実際に修理を行うテルストラに電話をかけて故障の内容を報告する事ができれば、行き違いなどが起きないのですが、今回も我がプロバイダーからテルストラへの報告で不具合の内容がちゃんと伝わっておらず、我が家の前の道路にあるジャンクションボックスを調べに来ただけで、「問題なし」の紙切れを我が家の郵便受けに入れて帰ってしまった。
二日も待った後に、ちゃんと調べもせずに帰ってしまい、いまだ繋がらず。
で、またプロバイダーに電話をすると、テルストラの報告ではお宅の中、つまり我が家のある敷地内で不具合が出ているから、自分でサービス会社に連絡を取って自腹で修理するべきと言う。
で、もし僕の雇ったサービス会社が我が家の不具合では無いと結論出したらまた連絡ください、再度テルストラに行かせますからと言う。

結論から言うとやはり我が家の問題ではなく、我が家の敷地から道路にあるジャンクションボックスの中の不具合だったのですが、僕の雇ったサービス会社の検査代は補償してくれないようです。
民営化の歪ともいえる問題です。

 さて、話題は変わって
ネット新聞のスポーツ欄を見ていて、つくづく日本というのは「セクシスト」な国だなあと感心しております。
(SEXIST ←日本語訳の良いのが思い浮かびません。) 
と言うのも、今日本で開かれている女子プロテニスのトーナメント、「パンパシフィック」の記事を見ていて僕は思わず苦笑しててしまったのです。 
たまたまその前の晩のNHKテレビのスポーツニュースでもこのトーナメントのニュースを流していて僕は思わず、「あれっ???」って思ったのです。 

何しろ僕が最近始めたアーチェリーほどではないにしろ、日本ではテニスのニュースなんてめったに流さないでしょ。 
先週終わったばかりのグランドスラムの「全豪」の記事でさえこれほど大きくないのに、今日の新聞にはなぜか「ハンチュコバ」選手のカラー写真がでかでかと出ているのです。 
ハンチュコバは昨年は確かトップ10位には入っていたが、最近は結構低迷していてぱっとした成績も残していないし、だいたい今までグランドスラム等の大きなタイトルなど全く無縁なのです。 
それがビックリするほど大きな扱い。 
NHKのテレビニュースでも彼女の試合の様子を紹介していました。 
その理由は彼女の容姿が注目されているからなのですが、その辺は充分承知の上で僕は今日の日記を書いています。

女子テニスの場合オーストラリアでも美形の選手は注目度は高いでしょうが、その報道姿勢は日本ほど極端ではありません。 
ロシアの「アナ・コーニコーワ」の人気は確かにオーストラリアでも高かったがしかし、成績が伴わないとテニス選手としての報道はされません。 ゴシップ記事や3面記事等には度々登場して、特に「ロリコン系のオヤヂ」達にも人気があったのは知っています。 
しかし国営放送(日本ならNHK)のテレビのスポーツニュースではこんな事は起きません。 
もっと素晴らしい選手が同じトーナメントに出場して活躍しているのに、なぜ「ハンチュコバ」ばかりなのかということです。 
日本はあまりにもミエミエで「セクシスト」過ぎませんか。 

ご存知のように僕はテニスの大ファンなので実際の試合もしばしば見に行っています。 先日の日記にもシドニー・アディダス・インターナショナル(トーナメント)の写真も載せたりしました。 
ハンチュコバの試合も何度か見ております。 
確かに日本人受けする美形ではあります。 
日本人の好む顔、日本製アニメ等の主人公の美女そのままと言う顔をしております。 
その上顔が小さく8頭身どころか12頭身くらいは有るのではないかと思います。 

僕がコート上で彼女を初めて見た時には、その痩せように「息を呑んだ」ものです。 
これが本当に世界ランキングのプロスポーツ選手の体かとビックリしました。 それほど彼女は痩せているのです。 
この辺も「痩身命」の日本で受ける理由かもしれません。
実はハンチュコバは「拒食症」の疑いをもたれていて記者会見などでは必ずその質問が出るので彼女も非常に悩んでいるようです。 

プロのスポーツ選手が拒食症ってのもなんかの間違いだとは思いますが確かに彼女はちゃんと必要エネルギー量を摂っていないという話を良く聞きます。 
とにかく先日の全豪でも初戦だったか2回戦だったかで簡単に敗退してしまったので、毎日のように実況を見ていた僕でさえ彼女の話題は全くと言ってよいほど知らなかった程、いくら美人だろうがスポーツ選手なのだから実力が無ければ報道されないのは当たり前のはず。 
ましてやオーストラリアの地元選手でもないし。

今行われているパンパシフィックにしても勝ち進んでいるのは別に彼女だけではなく、アメリカの「ダベンポート」選手などもっとランクの上な優秀選手がいるし、地元日本人の選手も頑張っているのにのに、ほとんど記事にもなっていないところを見ると、さすが「見かけ重視」の日本と感心する事しきりです。   

 


2004年2月9日

残暑というのか、とても暑い日が続いています。
昨日の日曜日はアーチェリーの試合に参加したのですが、猛烈に暑くていやはや参りました。 摂氏37度ほどあったそうです。
結果も散々でした。 アーチェリーを始めてこれが2度目の試合だったのですが、初めての試合よりも点数も悪く、がっかり。
そうそう、最初の試合では「僕のカテゴリー」で2位でした。 
絶対に最初の試合で優勝するのだと(生意気ながら)考えていたので、2位でもちっとも嬉しくないです。 
初めての試合だったためか普段の70%も力出せなかったので、点数も良くなくてそれでも2位だったから我慢すべきなのかもしれませんが。
その上、試合後の結果発表で僕の名前が呼ばれず3位にも入っていなかったのですっかりしょげて帰って来た。
だからアーチェリーのページもそのままほっておいた。
後で結果表を見ていたら、主催者の間違いに気がついた。
まあ間違いの多いオーストラリアなのでしょうがないと諦めております。

さて本日の日記には先週の土曜日に行ったダーリングハーバーカジノの前で開かれている「グローワーズ(生産者)・マーケット」に行った事を書くつもりでした。
せっかくデジカメを持って行って良いスナップを何枚も撮り、今日の日記にその写真も載せるつもりだったのに、また失敗をしてしまいました。
昨日僕が競技会に出ている時に女房は家で僕のデジカメを使って花を撮影していたのです。
彼女はそのマーケットで買った蓮の花があまりにも見事だからと、それをモチーフに画を書くつもりで撮影していたのです。
きれいな花が枯れないうちに写真に撮って保存しておけば、後でゆっくり描けるでしょ。
で、僕は散々な試合で疲れ果てて帰ってきたら女房がメモリーカードが一杯になっていて、撮影できないと言うのです。

で、僕は「じゃあPCにダウンロードした後にメモリーカードの中の写真は削除したらって」、すっかりダーリングハーバーで撮影した分をPCに移していなかったのを忘れて言ってしまった。
で、全コマ削除のボタンを押して5枚ほど撮影始めた途端に失敗に気がついた。
即座に「復元」とかのフリーソフトを使って復元したのですが残念ながら元に戻りませんでした。
そのソフト上ではファイル名や撮影日サイズなどすべて見えるのだが、復元してもその写真(jpgファイル)が見えないのです。

最近のデジカメにはこのような事故のために削除しても復活させるソフトがついているそうですが、ちゃんと蘇るのでしょうかね。
僕の使ったソフトがフリーソフトだから完全ではないのか。
はたまたそのカメラ専用のソフト(この場合はフジ)なら可能なのでしょうか。
昨年ボルネオに行った時にも同じようなヘマをやってしまい、女房にブーブー言われたのを思い出してしまった。
本当に慌て者。 
そんなわけで写真無しというのも悔しいので、そのマーケットで女房が購入した花の写真をつけときます。

そうそうマーケットに行ったのは娘が土曜日の夜にタイ料理に挑戦するので材料を買いに行きたいと言い出したから。
しかしタイ料理用の特殊な食材は当然そこでは揃わず、有名なタイ料理食材店、「PONTIP」へ。
ダーリングハーバーには母も女房も一緒だったので、そのままPONTIPへ皆で押しかけたらオーナーのPONTIPオバサンがいて、久し振りだったので大歓迎を受けてしまった。
何しろそのオバサン、日本に留学中のオバサンの娘を訪ねて初めて日本に行くというので、我が女房は最低限必要な英語と日本語の「サバイバル翻訳」を作ってあげた事があるほど親しくしているのですが、このところずっとご無沙汰だったのです。
今日は娘がはじめてタイ料理に挑戦するというので連れて来ましたと言ったら余計感激されて、娘は随分と色々な材料をもらってしまったようです。
PONTIP(ポンテイップ)オバサンのお陰で、今のシドニー、いやオーストラリアの豊富なタイ料理食材が有るのです。
昔の日記にそのことは書いたと思いますが、彼女がオーストラリアに来てオーストラリア人の農場を説得してオーストラリアでは手に入らない食材を生産できるようにしたのです。

娘の気に入っているレストラン「LONGGRAIN」が出版した調理の本にもPONTIPの名前がクレジットされています。
土曜日の晩はその娘のところへ呼ばれてタイ料理をご馳走になったのですが、味はいまいちだったとはここだけの話です。

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マーケットで買ってきた蓮の花。 左の写真で茎を持ってる女房の手と比較してもすごく大きいでしょ。 右の写真は花(下のほう)と実の部分。 


2004年2月10日

Mydoom ウイルスが猛威を振るっていたためか、僕のHPをホスティングしている会社のサーバー機の調子が悪く、先日は自分のホームページを確認のために見に行ったら、ページが表示されない。
その後すぐホームページの方は復活したのですが、相変わらずホームページ経由で頂くメールはなかなかダウンロードできない事があります。
何度も苦情を言っては有るがなかなか改善されない。
まあ消失してしまう事は無いと思うのですが、逆にダウンロードできない分迷惑メールの数も激減(結局は入ってくるが)してくれて本当にすっきり。
このホームページの表紙をご覧になると判ると思いますが、迷惑メールが大量に舞い込むのを防ぐために多少変更しました。
一番下のメールをクリックしてそのままメールを送る事ができなくなっておりますのでご注意の程を。
しかし迷惑メール業者のロボットではなく人間がいちいちその部分を見て手動でメルアドを書き直して送ってくるのならもう防ぎようがありません。


NOSPAMtom@grandeegranite.com
と書いてあるので最初のNOSPAMの部分を切り取っていただければメールは僕に届きます。
どのくらい減るか楽しみです。

さて、先月1月27日の日記にスエーデン製の弓、The Very Variable Bow について書いたら日本にいらっしゃるトップクラスのアーチャー(弓競技者)からメールを頂きました。
2月5日に最初のメールを頂いたのですが、これにはビックリ。
と言うのもこの「Tさん」たまたまThe Very Variable Bow でネット検索をかけていて僕のその日のページを見たとの事。
日記をアップしてからたったの9日後。
最近の検索ロボットはそんなにすぐに新しいページをキャッシュに溜め込んでいくんですね〜、いや〜本当に驚きです。

以来その「Tさん」とは何度もメールのやり取りをさせてもらっています。
昔僕の小学校の同級生の「武田君」がネットで僕を見つけて、突然40年振りにメールをくれた時も驚き、感動しました。
今回も僕に取っては初めて弓の事など色々と相談できる日本人のアーチャーの方と知り合いになれたのもこのネットというか検索のお陰。
今やこんな事は日常茶飯事だと言われるかもしれませんが、僕のようなオヤヂには感慨深いものがあります。

何しろ1974年にロンドンに住みに行った当時の事を考えたら、産業革命が起きたようなもの。 僕のように母国を離れて海外生活が永い人間には本当に「魔法の箱」です。
しかし考えてみると、まだ僕も若かった1974年当時はそれで良かったのかもしれません。
今ほど情報が簡単に手に入らなかったから、ほとんどの情報は英語だったし、だいたい日本の情報を知る事などは最初から諦めていたし、またどうしても知りたいなんて事も無かった。
ロンドンのカルチャーに魅せられて住みに行ったわけだから、日本で何が起きていようがどうでも良かった。

その分、イギリス人との交流や英語に接する機会も多くなっていたわけで、相変わらず英語はあまり得意ではない僕ですが、充分勉強になった。
日本の首相が変わったらしいとか、たまに日本人の友人が持っている2〜3ヶ月遅れの新聞を見て知るか、住み始めて数年後に定期購読を始めた月刊誌「文芸春秋」で知るくらい。
その「文芸春秋」も船便で来ていたから確か1ヶ月以上かかり、最新の情報と言うわけではなかった。

日本に有った僕の店との連絡は勿論電子メール等無く、いやFaxでさえ無く手紙か電話。 その電話も今では想像もできないほど高価で、音も悪く我が母親などはその当時の思い出が頭に焼きついているために、相変わらず日本に電話をかけると「大きな声」で喋るし、必要な事を伝えたらあっという間に切ってしまう。
そうそう、電話代と言えば今や安い海外向けテレカを使えば日本への電話代が「1分につき2セント」なんてのが有って、これはオーストラリアからかけるほうが日本国内同士で喋るより安いなんて事が起きています。
そう、たった1分日本円で1円60銭なんです。
そんな事を知らない日本にいる僕の親戚は、たまに僕が電話をかけて30分も1時間も喋っていると料金を心配して「そわそわ」しながら喋っている。

上で当時はファックスも無かったと書きましたが、今やそのファックスも使う機会が減ってますよね。 そのうち昔のテレックス(いや〜懐かしいそんなの有りましたね〜昔)と同じ運命をファックスは辿るのでしょうね。
何か今日の日記は昔の事を書き始めたら止まらなくなって来た。

僕は原宿でやっていたブティックとの仕事連絡でも大至急の注文ではない限りほとんどが手紙でノンビリした時代だったんですよね。
ファッションを扱うのに手紙でやり取り、日本=英国間はエアーメイルでも当時は確実に1週間以上、10日から2週間はかかっていたものです。

しかし僕も歳を取ってホームシックではないが日本の事情も気になる事が有る。 確かに我が家に衛星テレビ(NHK)が来た時には時代の変化を感じたものですが、永年の海外生活の習慣からか、NHKは見てもせいぜい一週間に2度くらい。
2時間(夏時間)の時差があると、見たい番組(プロジェクトXとかの)も真夜中だったりで億劫で見なかったり。
そういう意味ではネットのニュースって自分の時間に合わせて見えるので、ほとんど情報は今やネットですね〜。

日本ほどではないが湿気の多い残暑が厳しい今日は、家でおとなしくして昔の事をグダグダとまとまりも無く書いてしまいました。


2004年2月11日

3ヶ月ぶりに日本から帰ってきた母は、だいぶ頭の老化に拍車がかかっているようです。 
3ヶ月という期間が、彼女の今の頭脳状態には長すぎたのか、自分の部屋のテレビのつけ方から、台所の包丁の位置まですっかり忘れてしまっているのには、僕も心配になります。 
シドニーではしょっちゅう料理していて包丁を握らない日は無いくらいだったのに、包丁がどこだと探している。
目の前に包丁立てがあるのに、「包丁が見つからない」と言い出したときには「ドキッと」してしまった。 

テレビや包丁だけでなく、居間のカーテンの開け方がわからないとか、まだ帰って来て間もない時だったのですがこの分では日本でもよっぽどボケたことをやっていたのではないかと。 
日本の妹に電話で聞いたら、母は毎日のように出歩いていたようでかなりの浪費をしていたとの事。 
つまり幼児化が進んでいて、何かしていないとつまらない。 
じっと家で読書をするなり手芸をしたりではなく、とにかくふらふらと毎日のようにデパートなどに出かけて、必要も無いものを購入する。
つまり浪費することで満足するというか。 

日本では高齢化が進みこのような老人が増えて、年金などで可処分所得は結構あるのを、全く「ろくでもない物」に浪費しているってのは結構多いのではと。 
そういう老人相手の商売ってこれからは成長するでしょうな。 
何しろ判断力も低下しているし、全く価値の無い物でも喜んで買ったりとか容易に想像つきます、わが母を見ていると。 
今回も日本の有名な寝具メーカーでコタツがけ布団というのを購入して店からオーストラリアに送らせたりしていました。 
確かにオーストラリアではコタツがけ布団というのは販売されてはいないが、いくらでもその代用品はあるのに、送られてきた荷物の送り状に記入してある額を見て「ビックリ」。 
今はオーストラリアドルが高くなっていますがそれでも今のレートで計算したら、オーストラリアでは羽毛布団を買えておつりがくる金額。 

その話を妹にしたら「そうあの程度のコタツがけならいくらでも安くて良い物があるのに、とにかく有名寝具メーカーに行って高いのをぱっと買ってしまうのよね」との事。 
今日本ではデフレスパイラルとか、価格破壊とかで物価が下がっていると言われています。 
僕から見ると日本の市場の自由化が進めば当然起こりうることで価格は破壊されているのではなく、世界的に見て妥当な価格になりつつあると思っています。 

そう、日本の価格が今まで何でも高過ぎて、それが当たり前だと考えていたからそういうショックが起きているのです。
僕のように海外に住んでいる人間にはたまに日本に帰った時に感じるドメスティック価格(日本国内向け価格)の異常さになぜ日本人は疑問を抱かないのだろうと常に感じていたものです。 

ですから最近の市場開放に伴って、世界標準的な価格のものが増えつつあるということで、逆にいうとコタツがけのように「即自由化の影響を受けないアイテム」に関しては相変わらず「日本の特殊性」という「ぬるま湯」に浸かっている「日本価格」が残っている部分なのです。 
他にも沢山そういうものはあると思うのですが。 

日本人はそういう事に鈍感なんでしょうな。 
似たような話で先日友人の中国人と夕食を一緒にしていたら彼から面白い話を。 
彼ら(まだ20代後半のカップル)が先日サーファーズパラダイスに遊びに行った時の話です。 
ある晩イタリアンレストランで夕食をしようとホテル近くの観光客で賑わっているところに入って席についた。 
で、その店のウエートレスは彼らをてっきり日本人の新婚カップルと勘違いして、日本語だけが書かれたメニューを持ってきた。 

で、彼らはすぐに日本人ではないから英語のメニューをと言おうとしたが、ウエートレスがすぐに行ってしまったので戻って来るまで二人でその日本語のメニューを興味本位で眺めていた。 
中には漢字も使ってあるし結構何が書いてあるかわかる部分が多かったそうです。 
しばらくすると、そのウエートレスが戻って来たので、英語のメニューに換えてもらった。
で、その英語のメニューを見始めたら、何と英語のメニューに書いてある料理の値段が、日本語のメニューのよりすべて低い(安い)のにビックリしたというのです。 

そう、これは有名な話なのですが日本人用のメニューの値段は全く料理の内容は同じでもオーストラリア人用と比べ高くしてあるって、ふざけた事はしょっちゅう起きているのです。(日本人経営の店でもやってる) 
日本人は完全にカモなのです。 
いやカモではなく、何でも高くないと納得しない日本人のためにわざわざ用意してくれているのかも知れません。 

日本人の若い娘が四苦八苦しながら、ブランド物の馬鹿高いバッグなどを持つのに喜びを感じるように、それはデザインの良さに魅せられてというよりも、とにかくブランド名と「高級=高額」の満足度に酔いしれているのは明白。 
だからとにかく日本人には同じ料理でも高く請求してあげないと失礼と考えているのかもしれません。 

母が日本から送った「コタツがけ」を見ながらしばし考えてしまいました。   


2004年2月12日

僕の日記を見に来ている方で、「マイケル・ダイアモンド」という名前のオーストラリア人をご存知の方はまずいないだろうと思います。
今日は彼について少々書きます。

彼はオーストラリアを代表するオリンピック射撃のチャンピオンです。
2000年のシドニーオリンピックで金メダルを獲得したこの選手は実はシドニーの前のアトランタでも金メダルを獲得していて2オリンピック連続金のチャンピオンなのです。
当然今年のオリンピックにも彼はオーストラリアを代表して行くものと皆が思っていました。

ところが思わぬ災難が彼に降りかかってしまったのです。
事の起こりは彼がガールフレンドと喧嘩をしたのがきっかけです。
どうやら掴み合いの喧嘩になりその彼女はマイケルに暴力を振るわれたと警察に届けたのです。
届を受けた警察は事情聴取にマイケルの自宅を訪れたのですが、家に入った時に射撃用の銃がカギ付きの箱にちゃんとしまわれておらず、出しっぱなしだったのを見つけてしまったのです。

当然警察は彼が有名なオリンピックチャンピオンというのは判っていた筈ですが、法は平等という事で銃刀砲取り扱い法違反で彼を書類送検、そして彼の銃免許を停止してしまったのです。
で、銃免許を取り上げられてしまった彼は、アテネ・オリンピック出場選考会に参加できなくなってしまったのです。
いくら連続で金メダルを獲得していようが、関係ないと。

この事実を知ったオーストラリア国民は非常に驚き失望したのは当然です。 で、多くの国民の関心事になり、そもそもこの事件の発端になったガールフレンドに暴力を振るった事件に関心が集まりました。
ところがメディアなどが調査してみると、お互いの言い分が随分と食い違い、彼の言い分によると、どうやら彼女の方が先にマイケルの急所を蹴り、その上顔を引っかいた。
彼は止めさせようとして彼女を突き飛ばした、というようなまさに男女の痴話喧嘩のような話なのです。
警察も彼女の怪我もほとんど無いし、お互いの言い分にも不明な点があるからと彼を不起訴処分にしたのです。

ところが銃刀砲取締法の方は確かに銃が出しっぱなしになっていたのは事実なので、銃所持の免許は別の問題であるという事になり、審査が行われていたのです。
で、オリンピック選考会に彼が出る事ができなかったというわけです。
確かにそれぞれの国での選考会で良い成績を残せなかったので前回のオリンピックでは金メダルを獲得していても、出場枠に入れなかったというのなら本人も諦めがつくでしょうが、ひょっとすると喧嘩をして「カッと」なった彼女が警察に行って話した内容がすべて事実でない場合、とんだ災難だという事にもなるわけです。

銃を所持して金庫(英語でセーフという)に入れてなかったといっても、オリンピック選手でしょっちゅう出しては手入れなどしていたのかもしれないし、たまたまそのときに警察が事情を聴取に来たのかもしれない。
結局その銃刀砲取締り法での処分も不起訴になりライセンスも無事戻って来たのですが、もう選考会は終わった後。

で、これには多くの国民から同情の声が寄せられ、結局彼はすでに選出が決定されているオーストラリアの2位の選手と二人対決をし、勝った方がオリンピックにいけるという事になったようです。
しかし僕は事件以来全く銃を持つ事ができなかった彼がいきなり出て勝てるのかどうか心配してしまいます。

日本でもシドニーオリンピックの金メダリスト、マラソンの高橋尚子選手のアテネへ出場が危ういとの事。
彼女の場合はトライアルに出て成績が悪かったので、非常に微妙な状況とか。
これもとても残念な事だと感じます。
マラソンなんて一回調子が悪かったからすぐに他の競技会に出てやり直すなんて非常にきついだろうし、そこでまた体力使い果たしてしまったら、オリンピックでは結果残せなかったりということも有りうるのではとか。

で、僕は前回の競技で金メダルを獲得した選手は、その国の出場枠には関係なく、特別待遇で出場権を与えるのが良いと思うのです。
今回のマイケルのように馬鹿な事件で選考会にも出れず、結局3大会連続金メダルの期待も泡と消えてしまうなんてもったいない。
つまり前回金メダルを獲得したのはチャンピオンなのだから、ディフェンディング・チャンピオンとして挑戦を受けるっていう考え方があってもおかしくないのではないか。
本人自身がもうやる気が無いなら、そのような枠を作っても自分の栄光を汚すような結果は望まないだろうから出場辞退するだろうし。

結構良い案だと僕は思うんですけどね。


2004年2月13日

いや〜、暑い日が続いています。 まるで日本の真夏を思わせる高温多湿で、本日も朝10時には32度になっておりました。
日本が立春、しかし冬の寒さが戻ってきたというニュースを見ていたら、オーストラリアは今年の夏に一度も経験した事の無い猛暑が立秋に入ってから毎日のように続いています。
これも地球温暖化に関係が有るのか。 我が家はシドニー湾の近く、また外洋(ボンダイビーチ)からも近いので、真夏でもクーラーを入れることはほとんど無いのですが、ここ数日は寝る時もクーラー入れて寝るような日が。

ところが昨日起きてみたらセントラル・エアコンの二つあるモーターの一つの方の調子が悪くなってしまっていた。 
普段ほとんど使わなかったのに突然回しっぱなしにしていたからか。 
居間の方を受け持つモーターは調子良く回り続けているのですが、寝室の方がダウン。
こんなに暑い時に壊れてしまうので、修理業者も大忙しですぐには来てくれません。 どこの家やオフィスもエアコンガンガン回しているから、サービスコールが増えるのでしょう。
何とかせっついて、昨日の夕方6時近くになって見に来てくれたが、故障の原因のモーターが手持ちで無いので、すぐにはエアコン修理できないと判明。 
ひえ〜、いつまでエアコン無しの状態が続くのかと心配になります。

さて、昨日は母と女房と3人で墓参りへ。
父が他界したのが一昨年の5月。 父の骨は日本にも分骨して持って行き我が家の墓に納骨した。
しかし僕は日本に帰る気が無いので、父の死をきっかけにオーストラリアに田邉家の墓を建てる事を決意、注文をしたのが2001年の6月だったか。
ところがさすがここはオーストラリア、業者さんが非常にノンビリしていて何度にもわたる打ち合わせや、その墓のデザインを霊園に許可申請などと非常に時間がかかった。

で、やっと完成にこぎつけたのが昨年の10月。 ところがその月には我が母は日本行きの日程が決まっていたので完成の確か数日後には日本へ。
そんな事で完成後に予定していた、お坊さんを呼んでお経を上げてもらう事が延び延びになっていたのです。
やっと今月の始めに母が日本から帰って来たので、ご住職にお願いして昨日と言う事になった。
僕はあまり信心深くないし「あの世」の存在など全く否定していますが、どうもちゃんとお坊さんを呼んで父の遺骨を埋葬した墓の前でお経を上げてもらわないと、父がすっきり「成仏」できてないような気がしてた。

風の強い暑い日でしたが、海を目の前にしながら坊さんの読み上げるお経を聞いていたら、やっと父も天国に昇っていったような気がしました。
我が父は随分と「執念深い」と言うかしつこい性格だったので、必死にこの墓にしがみついていたような気がしてた。
僕は全く迷信とか信じないつもりなのですが、今書いたことは何か僕の「心の中」で引っ掛ってたんですよね。 何でだろう。 ちょっと不思議。
ただし(当然偶然なんでしょうが)その墓参りから帰って来たら、不思議な電話がかかってきました。
この家を買いたいというような内容です。
詳細はまだ書けませんが、全く同じような事を前にも経験しています。

僕と母が父の遺骨(分骨)を持って日本に帰り、新宿のホテルで親戚友人を招いて父の「お別れ会」というのか「しのぶ会」をやったその日に、我が父が興した会社が消滅したのです。
業績の悪化で他の会社に身売りし「会社名」が無くなったという事です。
父はとっくに引退して、経営にはタッチしていなかったが、日本の不景気から自分の興した会社の業績を随分と心配していた。
しかしまさか、父をしのぶ会をやったその日に身売りが決定されたと言うのもいくら偶然が重なったとは言え不思議。

また僕が生まれて育った田園調布の家も父がオーストラリアに住みに来た時に手放したが、バブル崩壊の影響でその後16年間誰も住まず宙に浮いていたのです。 その家は草ぼうぼうの中で朽ちながら。
それが、父の分骨を近くの寺にある我が家の墓に納骨して間もなく、突然その家が「消滅」してしまったのです。
昨年の日記に書いたように、ある業者が「何と!!!」住所を間違えて、近所の家を取り壊しに来て、元我が家を取り壊してしまったのです。
この事件は元のご近所から聞いて唖然としたものです。
生前父は日本に帰る度に、自分の建てた家が空家になったまま朽ちていくのを見て(ご近所にも迷惑をかけるしと)大いに気をもんでいたのです。
16年間も全く手付かずの状態だったその家が、父が他界してから突然このような事が起きると、どうしても不思議な気がしてしまうものです。

今のこの家も父が日本から来て僕らと一緒に住むために購入したわけですが、今や我が娘も独立し母と僕ら3人になってしまい、手のかかりすぎる今の家よりも、もう少し管理の楽なところへと考えていたところなのですが、父の供養をしたその日に電話がかかってくるなんて。

しかし僕は今の家を気に入っていて、それほど熱心に売却を考えている訳ではないのですがね。


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