2001年7月前半の日記

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               2001年7月1日

2001年7月1日

今日から2001年も後半。 本当に早く時が流れていきます。
朝空港に両親を迎えに行ったら、またまた駐車場の中が多少手直しされていて、どんどん広くなるのは良いのですが、昔を知る身にとっては、あまりにも出迎えロビーから遠くなっていくのが不満です。
そしてどこに停めても真中のゲートを通らないと出入りできないというのも本当に不便。
料金もオーストラリアのスタンダードから言ったら高すぎる。

と、朝から文句言っていたら、両親はすでに出て待っていました。 なぜか今日はすごいスピードで通関終わってたようで。
ところが父の話では、食べ物などを申告しなかった人たちは、いつに無く厳重に調べられていたそうで、申告したから早く出られたとの事。

我が父は、誰が何と言おうと律儀に(ばか正直)に持ってきた物をもらさず記入(日本から辞書をひいて英語名を調べて)するのが癖で、逆に記入していたために、没収されたりした事も何度か。
前回も、日本から紀州産のお気に入りの梅干を二箱も没収されてました。 没収された理由は、種が入っているから。 
それも種の入った梅干 (またそこから梅の木になるって言うのか? マジで? 種の入っていない梅干探す方が難しい)が輸入禁止になったのはたった数年前とか。 レギュレーションもころころ変わるのも変!
海苔も良いとかダメだとか、住んでる僕でさえ良く分からない。

友人たちには「申告書にあまりにも詳しく書くから」そうなってしまう。
税関吏も見て見ない振りも出来なくなってしまうわけで、ジャパニーズピックルス(日本製漬物)とか書いとけば、だいたいオーストラリアの税関吏なんて梅干なんて見たこと無いのだから、たとえ開けても分からず通っちゃいますよって言われているのに、今回もしっかりすべて英語にして申告していたようです。

「う〜ん」、自分も年取ると似てきちゃうのかしらと、いささか不安。

母は日本で入れ歯入れて来たって言うし。 もちろんオーストラリアの3倍の値段で。 日本に帰る前にこちらでいつもお世話になっている歯医者さんに(上の入れ歯は作ってもらった)下も作ってもらおうって言っているのに、大丈夫とか言って、オーストラリアの何倍もする日本でわざわざ作るって言うのはもう(入れ歯にちなんで)開いた口がふさがらない!。

まあ無事帰ってきただけでも良しとするべきか。 来週からは母を連れて専門医回りになると思います。 
(どうも出血は止まったって母は言はるのですが)


2001年7月2日

このHP始めてから、思いがけない人からメールもらう事があります。
昨晩も記憶に無い名前のメールが日本から届いて、誰かなと思って読んだら、何と昔オーストラリアに来て、僕の住んでる家の真ん前の家庭にオペアとしていたとの事。

彼女は僕とか、両親また愛犬のハナなどご存知だったようで、僕のHPを見たとの事。 両親とはバス停などで話した事あるとかですが、うちにも遊びに来てくれれば良かったのにと返事を書きました。

とにかく僕の住んでるこの辺は、近所付き合いとかは皆無って雰囲気のところです。
前に住んでいたボンダイジャンクションはもっとカジュアルで、ある意味でフレンドリーなとこだったので、うちの娘も近所の同い年くらいな子供たちといつも一緒に遊んだりしていましたっけ。
ところが今のところはお互い苗字も知らない(14年も住んでいるのに)ところが多い。
住む地域によって、かなり違いが出るのは日本と同じかもしれませんが。 
こないだまでうちのペンキを塗ってくれていたイギリス系のペンキ屋さんは、日本食料品店とかがあるノースブリッジ(ノースシドニーにある)に数年前に引っ越したそうですが、どうしても雰囲気になじめないとこぼしていました。
彼に言わせると近所の人たちがものすごくストレイト(くそまじめ)で保守的なので、まったく面白みが無いと。
彼(もう40代に入っていると思いますが)がピアス付けてるだけでも、白い目で見てるのが分かるというような話。
今時オーストラリアで男がピアス付けていて白い目で見られるって話し聞いて逆に僕の方がビックリ。
まあ彼の場合(もうけっこうオジサンですが)元ブルース系のパブバンドをやっていたという雰囲気は確かにあって、ピアスだけでなく(小さい)刺青も入れてるのですが、話していてもまったく白い目で見るって言うのはまったく分かりません。 ひょっとしたら分からない僕が変なのか?

刺青といえば、日本でも最近若い人が入れてるのかなり目に付くようになってきましたが、21年前にオーストラリアに来た当時警察官まで入れてるのを見てさすがの僕もちょっぴりビックリしました。
どうやらお巡りさんで入れてるのというのは、若い時に徴兵で行って海軍に配属になって、海軍の仲間と遊びに行って酔った勢いで盛り場にある刺青屋でチョット彫ってしまったっていうのがかなり多いようで、そういう元海軍っていうのが警察官になったりするので。

だから僕はオーストラリアでは刺青なんて全く誰も気にしないものだと思っていたのです。
そういえば娘がまだ16歳くらいの時に、テニスの試合に出ていて(友達とふざけて)夏休みにシールの刺青に見えるの貼っていたのを他の選手の母親が見て、女房のところに「まだ16歳という若さなのに、何で刺青なんか入れさせたんだ」みたいな文句をかなりきつい調子で言ってきて、「あれはシールだ」って話したらしいのですが、わざわざそういう文句言いに来たという話に僕はビックリして、どうやらオーストラリアでは日本と同じくらい刺青というのは悪いイメージあるのではないかって、考え始めました。 自分では入れる気は無いし、やっぱり娘が本物の刺青入れてきたらショックかもしれないけど、話した事も無い他の娘の事まで文句言いに来るって、やっぱり僕は何年住んでもこの国(別にオーストラリアに限りませんが)が分かったつもりになってはいけないと。

最後に刺青に関してもう一つ。
やはり21年前の来た当時、友人が浮世絵を収集していて、その彼のコレクションの展覧会に呼ばれて行ったら、刺青師も来ていて紹介されたのです。 理由は僕が日本人だから、この刺青師が彫りたい模様の中に日本語があって、教えて欲しいという事なのです。
(国語大の苦手の僕に)

で、次の週に彼の店に(パラマタの方にありました)呼ばれて行ったら、格好ヤバそうな雰囲気のところなんです。
来ているお客はヘルスエンジェルス(日本の暴走族かな)のメンバー見たいのや、ジャンキーっぽいのや、娼婦っぽいのとか。
でどんな字を聞きたいのかと思ったら、「TATTOO」を日本語にしてくれって言うのです。 日本語の「漢字」はかっこいいから、その「いれずみ」を、背中一面に彫るからちょうどよい大きさに書いてくれって頼まれたのです。
当時僕は全く「いれずみ」には興味なかったので、間違ってはいけないと日本語の辞書(研究社)も確認したのです。
20年以上前の日本では「刺青」を入れるなんてのは、よっぽどその方面の人でないと、関係ない世界だったし。
ところが最初に出てきた字は「入れ墨」だったのです。 で、当時「刺青」って書いて「いれずみ」というのが「その道の人」には当たり前というのを知らずに(全く無知です)紙に「入れ墨」って書いて渡してしまったのです。

数日後にすぐに「刺青」だー!!!って気が付いたのですが、もう背中一面に彫ってしまっていたら、書き直すってわけに行きませんよね。
(消しゴムなんかでは消えないし)
「うわー! やばい!」(汗、汗、汗)です。
もうそれ以来その店の方へは、間違っても行っていません。
もう時効だと思うけど、もしその時その「入れ墨」って言う字で彫ってたら、その人思いっきりばかにされてるかもしれないと。
(今思い出してもまた汗)
ちなみに今この日記書くのにマイクロソフトワード使ってるわけですが、「いれずみ」で変換キーを押すと、「刺青」と「入れ墨」両方出てきます。
(ふー)


2001年7月4日

女房のコンピューターが古くなって、めっきり作動が遅くなってしまい、その上僕の嫌いなウインドウズ98が入っているので、とうとう新しくしました。
オーストラリアでは毎年7月1日からが新しい税金年度が始まるります。コンピューターは学校の先生の経費として引けるので、新税金年度が始まるまで待っていたわけです。
今度のPCをつい最近(今年の2月)購入した僕のと比べると、その安さに本当にビックリしてしまいます。

全く中身(仕様)は変わらないのに(いやCPUは上)値段は約半分。
いやになってしまいます。
ペンティアムのP−III 1000Hz(1ギガヘルツ)が入って、P−4を考えない限り、充分すぎるほどの速度なのに、「半額!」
で、古いほうはペンティアムの2(II)の300Hzで、メモリーも買った当時64Mbと(それでも当時はエクストラで32Mbから倍にしたのですが)、今見ていると笑ってしまうほど。
あまりに遅くて、3Dのスクリーンセーバーさえまともに動かない。
やはり潮時だったようです。

そういうことで、中のセットアップや僕のPCと、娘のPCとのLAN接続、ソフトのインストールなど等、もう日記を書くのも忘れてかかりっきりでした。
いや正確にはまだ残っていますが。
何しろ、LANの設定は(ファイル、プリンターの共有も含めて)何かがチョット狂っても100%にならない。
なぜか僕のPC(ホスト)からはすべてのPC見えるのに、クライアント側からは誰も入って来れない。(僕のPCが見えないということ)
Serchで入って、いやんなるくらい色々打ち込んで、やっと両方向開通しました。

で、今まで女房が使っていたPCから、大事なファイルなどすべてが引っ越し終えたら今度はすっかりフォーマットしなおして、LINUXを入れて勉強です。
今からとっても楽しみです。
という事で、今のところPCで頭が一杯というか、ゆっくり日記を書く雰囲気になっていません。(^^;

明日からは甥っ子が日本から来るので、それにも時間とられてしまうだろうし。
我が妹の息子は、昨年、一昨年とオーストラリアに来ているところを見るとすっかり気に入ってしまっているのか。
英語の勉強という名目をつけて来るようですが、いつもそんなに短期滞在で本当に英語が上達しているのだろうかと。

めちゃくちゃ暑い日本から来ると、今のシドニーものすごく寒く感じる事でしょう。


2001年7月5日

今朝、甥が日本から到着。 その前に、またまたペンキ屋さん登場、今日から数日塗ってもらいところがまた出てきたので。
その後ポルトガル人のお掃除のおばさんが来て、両親は日本から帰って来ているし、女房は学校が冬休みに入っているし、娘は今日大学に行かないはで、一日中我が家は混雑(?)してました。

その状態の中で、税務署の検査(査察というのか?)が入るというので、書類を用意しなければならない、ところが何とアップグレードした、経理ソフトにバグがあって、なぜかあるページ(最も大事な)だけが印刷できない。
それ以外の用意を税務署の人と会う時に必要なのに、そのバグが何のせいだかすぐに分からなくて色々設定やっていたら、あっという間に一日が経ってしまいました。
いまやファイルもプリンターもすべて共有設定が出来ているので、他のPCからとか、他のプリンターで印刷してみたりしていたら、今のところ考えられるのは「QUICK BOOK」という経理ソフトをバージョン7からバージョン8に変えたら、この経理ソフトに入ってるバグしか考えられない。

それでなくとも、女房の新しいPCに色々ソフトのアップデートをD/Lしたりして時間取られているのに。
と、今日もまともな日記のアップが出来ない。

そうそう、、税務署の検査というのはどうやら日本向けに輸出をしているために、消費税を(免除)払ってない部分があって、本当に外国に物を送っているのかを調べに来るとか。
心配する必要はないのですが。

とりあえず、一段落したらまともな日記に戻りますので。


2001年7月6日

今日も朝から、税務署提出の書類まとめたりしていたら、あっという間に時間が経ってしまい、何かゆっくり日記を書けません。
そこで、こないだ書いて日記としてアップしようと思っていたら、どうしても他の事を書きたくなってしまい、忘れていたのが出てきたので、それを入れてお茶を濁します。

久しぶりに昨晩タイ料理を作りました。 一時は料理教室にまで通って、自分の満足できるレベルになるまで、しょっちゅう作っていました。
しかし最近はそこそこのレベルのタイ料理店が近くにも何件か出来、値段も良心的で気軽にテイクアウェー(お持ち帰り)できるので、自分で作る機会が減ってしまいました。
 
自分でそこそこの味を作るには、(タイ料理には限った事ではありませんが)かなりの時間を料理に取られる事になります。 
コリアンダーの実やカミン(クミン)などをフライパンで炒り始め、他に多くのスパイスやガランガル、コブみかんやコブみかんの葉、レモングラス、クラチャイ(KRACHAI)等などをすり鉢(というのか石製のやつです)で、すっかりペイスト状になるまで叩いていると、あっという間に時間がたってしまいます。

料理は体力だというのもうなずけるほどです。 タイの主婦は毎日毎日料理のためにこんなに労力をかけて作るのだろうかと心配になってしまいます。
女性は「家を守って、育児、炊事に専念する」というシステムの中では可能なのでしょうか。 
自分で(男の僕が)料理をしていると、色んな事を考えさせられてしまいます。
こういう料理を毎日作らされていたら、女性の解放は望めないのではとか。 少なくともオーストラリアの女性はそんな事はしないでしょう。 
料理が趣味で何時間もかけて作るのに喜びを感じるオーストラリアの女性は確実にいます。 
しかし毎日の食事つくりにオーストラリアの女性は(主婦でも)それほど時間をかけないという意味です。 
タイでも都市部では、テイクアエーや外食の方が、自宅で作るより盛んであるというのもそこにあるようです。

ところで久しぶりに「オーストラリアの商売特有」の経験をしました。 
もう少し正確に書くと、イギリスでも全く同じなんですが。
今日は肉屋での経験だったのですが、(アジア人のやっている店はこの際除きます)ショーケースに美味しそうなラムカツレツ(骨付きラム肉です)が並んでいたので、よし今日はタイ風「マスマンラム」を作ろうと決めました。
その美味しそうな肉を指差しながら、「このラムを6枚」と言ったのでが、すぐにその店員はすっと店の奥に入り、ラム肉を紙に包みながら出てきました。
これが僕の言う「オーストラリア特有の商売」の一つなのです。 
僕はそんな事には慣れっこですから、「ちょっとちょっと」と言いつつ、包み紙を開けてもらいました。
案の定、それは貧弱の上に脂もかなり付いた、ショーケースのまん前に並べてあるラム肉とは別物でした。 

ここで先にちょっと書いておきます。 この経験は僕が日本人で、男だからだましやすいと、やられたのではないのです。 
女房も一時期いつも行っていたパディングトンの肉屋で同じ経験をしたことがあります。

僕は「この美味しそうなラム肉を見て買いたいと思ったので、その包んだ肉ではなく、このショーケースのを下さい」。
店員はむっとした表情で、「それもこれも全く同じものだ。 そこはきれいに並べてあり、崩したくないから裏から持って来ただけですよ」。
いつもの言い訳です。
これはロンドンで果物などを買っていた当時も、全く同じ経験をしたものです。

「このショーケースのを売れないという事ならいらないけど」
店員はしぶしぶ肉を取り替えました。
ロンドンの時はほとんどが「いやなら別で買え」と言われたものです。
不思議に思う事は、一見(通りがかりの)の客ではなく、女房のような何度も行っている客にもこういう事をやるのです。 
つまり商売(イコール利益をあげる)と言う行為において、全く違う考え方を持っているのです。 
その場その場で(半分詐欺的にでも)利益を上げていけば、それが積み重なって結局は「商売成功」になると言う考え方なんでしょうか。 

僕が考える商売成功と言うのは、いつも来てくれる常連客には常に(多少おまけしたりして)サービスを心がけ、客の数を増やしてこそ「商売成功」ではないかと思うのです。 
僕が本当に日本との違いを感じる時はこのような時です。
つまり近視眼的利益追求と、長期的視野に立った商売と言うのでしょうか。
( これは今の株主を喜ばせるために、短期的な利益を優先する欧米の会社経営方にも通じるものがあるような。 またの機会に書いてみます。)

しかしオーストラリアでのこういう商売のやりかたも近年変わってきまた。オーストラリア人だっておかしいと気が付いていたのでしょう。 
今や八百屋で、自分で欲しいものを選べない(セルフサービスではない)店は本当に減りましたし、肉屋も都市部ではどんどんスーパーなどに駆逐されているようです。
(スーパーではパックに入って売られているのとは別に、肉屋が入っているところも多く、そこの店員はほとんどが雇われているだけですから、上に書いたような行為をしてまで儲けようという事は少ないないのでしょう)

このようにオーストラリアは常に変化している、だから大いに期待が持てるのです。
多分ロンドンのポートベローの八百屋のオバさんはいまだに同じような商売を続けているにちがいありません。


2001年7月7日

今この日記の上の日付を入れていたら、七夕だって思い出しました。
日本を出てから、七夕なんてすっかりご無沙汰です。
日本では相変わらず、笹にいろいろ飾ったりするのでしょうか? 少なくとも子供のいる家庭では。

一昨日到着した甥も今日からホームステーの家庭に移りました。 この家庭は前回来た時に見つけてとても気に入っているところ。
今回もそこの是非お願いするという事になったのですが、ホームステーの家庭というのは本当に当たり外れがある。
話を聞いているとここは本当に良いところのようで。
甥を送っていった後は、ずっとLINUX勉強していました。 PC屋のオニーチャンは、今まで女房が使っていたデスクトップを完全にフォーマットして、LINUXだけ入れろって言うんですが、ここ数日税務署の検査のために書類用意していたら、WIN98に入れてある経理ソフトの方はすべて印刷できるのに、WIN2Kの方はなぜかあるページだけが印刷できないバグが見つかって、ツインブート(つまり1台のPCにWIN98とLINUXを両方入れるという事)にしようかと思ったら、凝れば凝るほどこのLINUX君なかなか手ごわい事が分かってきて、こりゃあー攻略がいがあるという楽しみと同時に、またまたえらくはまってしまいそうな心配が!

さて昨晩日記をアップした後にテレビ(SBS)でやっていた番組について、書きたくなりました。

内容は今から(そう!もう!)20年も前にパリに留学していた日本人が起こした事件についてです。
今日も甥っ子にこの事件のことを聞いたら全く知らなかった。
佐川というこの男が1981年に留学先のパリで、オランダ人の女性(同級生、友人)を自宅のアパートでライフルで撃ち殺し、死体を切りきざんで捨て、切った死体の一部を自宅の冷蔵庫に保存して食べていたという事件です。
この番組はフランスの放送局が制作したドキュメンタリーで、英語に一部ふき換えられて(後は字幕)オーストラリアで放送されたのですが、なぜこのドキュメンタリーをオーストラリアでやったのかがまず興味ありました。
1981年というともう僕はオーストラリアに住みに来ていたので、事件はオーストラリアで知ったのですが、今のようにNHKなどテレビが見える時代ではなかったので、詳細は知りませんでした。

見終わった後、色んな思いが頭の中を駆け回っています。 何かPC(LINUX)のセットアップばかりやっているので、ゆっくり頭の中を整理してこの件について書いた方が良いとは思うんですが、どうしても書いておきたい事があります。

それは、もし彼がこの事件を日本で起こして、日本人の女性を食べてしまっていたら、今の彼の状況はありえないということです。
フランスでは精神鑑定の結果、(今度の宅間容疑者が使おうとした手段ではないが)フランスで裁判にもかけられる事無く、日本に送り返され、すぐに精神病院を退院して、今や日本で映画評論家や、作家、アダルト映画出演などタレントとして、大手を振って生きているといういうのです。

もちろんこのドキュメンタリーの中では彼本人もインタビューに答えています。 そして人間を食うのが夢だったと、はっきり言っています
この番組を作ったフランス(人)も、女房(オーストラリア人)も一番の疑問は、どうしてこういう人間が大手を振って生きていける「日本という社会」への疑問です。 
ちゃんと生きていけるくらいならなぜ罪に服する事を免れてしまったのかという疑問でもあります。

この件を書き出すと止まらなくなってしまうので、簡単に書くと「典型的な日本」がそこにあるからです。
典型的な村社会の日本では、他の村、いやこの場合外国の、それも白人を食べてしまったのは、同じ村の女性を殺して食べてしまったのと同じだとは到底考えられないという事なのです。(同じ反応が出ない)
極端に言えば、日本人がアフリカ行って食べてはいけない象を殺して食べてしまったって言うのと大して違わない程度のことなのです。

それでなければ、日本で彼が(今も)大手を振って生きて行けてる訳が無いのです。 誰も眉をひそめてなんかいないようです日本では。
悲しいですなこの日本人の考え方というのは。
で、この思考が、人種差別などすべてに繋がっているわけで。
今の彼の状態など、絶対に日本以外では考えられない事です。

何か書きたい事が非常に稚拙になってしまっていて、うまく表現できていないのが歯がゆいですが、今度これについてもっとまとまったら書きます。



2001年7月8日

今日の日曜日も朝から、LINUX 君と格闘してました。 何しろ、英語版(日本語入っていない)LINUX の上に、マニュアルなど一切無い。
もちろん、ウエッブ上で検索できるのですが、1から全くやった事がない人間が、手元にマニュアル無しでやるって言うのもけっこう気が遠くなる作業というか。

で、すぐに1日が経ってしまいます。 なぜかテニスのウインブルドンは、雨が降って男子の決勝が月曜日に延びそう。
そう、今日は昨晩録画したウインブルドン見ようと期待していたのです。
ロンドンに住んでる頃からですから約30年近くウインブルドン見ていますが、決勝が月曜日に延びたというのはおぼえている限り、初めてではないかと思います。(確かではないが)
もしそうだとしたら、これは驚くべき事かもしれない。
なぜなら、イギリスと雨って切っても切れない関係なのに、今まで僕らは月曜日の決勝なんて見たこと無いからです。
ひょっとしたら僕の記憶力が落ちてるのかもしれない。

ということで、テニスも無いので、モニターばっかりにらめっこしていたら、女房が夕方に突然 「もうそろそろ出るわよ」 って言うんです。
「えっ?」てなもんで、「どこ行くの?」って聞いたら、
「何言ってるのよ、人形浄瑠璃でしょ!」
「に、人形浄瑠璃?!」 
そうです、すっかり忘れていました。 今日だったんだ、何か日本の芝居見に行くって言ってたのは。
場所はシドニー大学の一部、SEYMOUR(シーモア)センター。

ちょうど何度目かのLINUX再インストール始めたばかりで、あと何十分かかるか分からない。
もう大急ぎで、セットアップ終わらせて、何とか時間ギリギリで到着。

この日本から人形浄瑠璃というのは、民族芝居というのか、皆プロではありません。 
岐阜県の真正町(しんせい)というところの、真桑人形浄瑠璃との事。
国指定重要無形民俗文化財と、書いてあります。

こういうの女房好きですからね〜。 娘と3人で、行ってきました。
出し物は3本。 壷坂霊験記(つぼさかれいげんき)、傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)、伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)。(こんな日本語ワードで変換出てきません。)
最初にちょっと英語でストーリーの説明があっただけで、唄やセリフなど全部日本語。
日本人である僕でも唄の場合難解な部分が多いというのに、60%はいたと思われるオーストラリア人本当に楽しんでいたのだろうか。

僕の前の列にいたオーストラリア人の家族は、二本目が終わった途端に帰ってしまった。 (しかし席を立つオーストラリア人はそれほど多くは無かった)
う〜ん、僕は考え込んでしまいました。 
国際交流基金(JAPAN FOUNDATION)の運営のようですが、本当にこれが国際交流になるんだろうか。
オーストラリア人で、これを見て日本に興味を抱くようになるんだろうか。
すくなくとも舞台の一部にデジタル掲示板のようなものを取り付けて、唄やセリフの英訳を流さないと、意味無いような気がするんですけど。

もし国際交流って言うので、政府の金使うんだったら日本の電機メーカーに頼んで、そういう掲示板を製作してもらえば、人形浄瑠璃に限らず、こういう古典芸能を外国人に理解してもらえるのではないかと。

僕にとっては、一日コンピューターやっていた頭からいきなり何百年も続く日本の民俗芸能って言うのをオーストラリアのシドニーで見るって言うのも、ものすごいギャップというか、その辺が妙に面白かったです。


2001年7月9日

お仕事で、走り回っていたら雨が降り出して、途中で終了を余儀なくされて、また明日シッピングヤードへ行かなければなりません。
何しろ、送る石のブロックにペンキでシッピングマークを入れるのに、雨で字が流れてしまいます。
このところずっと雨が降っていなかったのに、どうしても晴れていなければ困るような時には雨って、日ごろの行いが良くないのかも知れませんね。

という事で、シッピングヤード近くに、面白い店があるというので女房と行ってきました。
名前が、「REVERSE GARBAGE」。
良い日本語訳が見つからない。 「REVERSE」は戻す、バックする、逆行、というような意味。
つまりゴミ(廃棄物)を戻す。
日本でこういう店があるかどうか知りませんが、日本の100円ショップ真っ青な値段です。

今僕の乗っている車のために前から探していた、タッチアップペイントという、小石が当たってはげたような部分をなおす為のペイントが1個50セント、3つで1ドルという異常な安さ。(ホームセンターで買うと、10ドル以上かもしれない)
置いてあるものは、全くバラバラのところを見ると、どうやらメーカーや小売店が、倒産したりして廃棄処分にしようとするのを持ってくるようで、中には全く何のためのものだか分からないような物なども積んであります。

そういうのが好きな僕は、全く使う当ての無いO−RING(オーリング)を買ってしまった。 いくらって聞いたら手で持てるだけ一杯で1ドルって言うんです。 結局100個くらい入っていたかもしれない。
売り方がまさにガレージセールの延長というか。 
中にはこんなものどうして売っているんだろうっていうのも有る。
例えば、アメリカの特許登録情報がすべて網羅されているというCD−ROM。 山のように積んであって、1枚これも50セントだったか。

何なんでしょうねこういうの。 

中にはこちらでいう2ドルショップ(日本の100円ショップ)でも充分売れるような、封筒と便箋のセットとかも有ると思うと、ペンキを塗る時に使うローラーのための材料とか、普通の人が買ってもそれをローラーに出来ない。(そういう工場が潰れて、誰も引き取らないって言うんでしょうか)

女房は手芸のために必要なものを探しに行ったのですが、色々有って大喜び。

このような店のアイデアはとても良いと感心しました。 
日本なら捨ててあるような冷蔵庫や、家具などのリサイクルを扱っているような店は有るとは思いますが。

多分ローカルの区役所がやっているのかもしれませんが、公園の一部のようなところを使ってやっています。
そのままゴミ廃棄場に行ってしまうようなものでも、実は使えるもの一杯有るんですよね。
特に日本ではものすごい量の産業廃棄物がゴミ捨て場に直行していると思いますが、このような方法で再利用できれば本当に良い事だと。
働いてるオニーチャンも普段なら失業保険もらっているようなタイプ。

さて話題変わって、
この日記書いていたら、ウインブルドンでイバネセビッチが優勝してました。 多分オーストラリア中はラフターを応援してテレビ見てたのでしょうが、残念です。
僕としてはイバネセビッチも好きなので、それほどがっかりしてません。 今度ゆっくりテニスについて書いてみます。(テニスのページあるのに全く更新してない)



2001年7月10日

朝からドックヤード(運輸会社の倉庫を兼ねている)に行って、日本に送る石の塊にシッピングマークや番号を振ったりしてから、輸出書類の作成等など。 
PCとITのお陰で、このような書類計のお仕事はあっという間に片付いてしまいます。
早めに片付けて、昨日からのLINUXの続き。
すみませんPCの話題また出してきて。 

で、ここの部分は、「PC」の方へ、移動しました。
興味のある方は、どうぞこちらで。 PCのページへ


2001年7月11、12、13日

一昨日の11日の夜日記を書こうとしていたら、母の弟(山口県にいる)から電話が入り、叔父が危篤とのこと。
僕の母には二人の弟と一人の妹がいたのですが、すでに妹は数年前に他界し、二人いる弟のうち長男の方が危ない。

僕にとって山口は、思いで深い場所。 小学生時代の夏休みは常に行っていました。
当然その叔父たちには子供の時から可愛がられていたので、ある程度は予期していた事とはいえかなりショックで、書こうと思っていた日記も手に付かず、両親とその晩は日本にいつ行くかという話ばかりしていました。
日本から帰ってきたばかりの87歳になる我が親父は、疲れが取れていないので、僕に母を連れて行ってくれとの事。
とりあえず、昨日は切符の手配(といってもまだ日にちを決めていない)をしたり、万が一のために計理士に会いに行って、税務申告の手続きを済ませておきました。

実は昨晩は、前に書いた芝居(直前にキャンセルになった)の振替日で、そんな気分の中で見に行ったのですが、なかなか芝居を見ても熱中できないというか、引き込まれなかったです。

芝居自体はとても素晴らしかったのですが、なんと6時間近い超長時間の芝居で最後の方はどっと疲れが出てしまった。
芝居がひけて家に着いたのは12時過ぎていて、そのまま寝てしまい、またまた日記アップできず。

そんなわけで、ひょっとすると来週の月曜日あたりから日本にいるという状況も考えられるので、行っている間はずっと日記のアップは出来ないかもしれません。
というのは、これがCA−TVコネクションの欠点で、ワールドワイドのプロバイダー(ダイアルアップ)を使っているのと違って、日本に行った時に当然このCA−TVには繋げませんから、AOL(アメリカンオンライン)のような世界的なプロバイダーに入っていない限り、日本で(ノートブックコンピューターは持っていくつもりですが)HPを発行できないのです。

こういうのが不便で、いつも海外を飛び回っている人間ならCA−TV以外に、もう一つ持つのでしょうが、僕には必要無いし。
今のところ日本に行くのがいつになるかは決まっていないので、決まるまでは出来る限り日記をアップしていくつもりです。

本当は昨晩見た芝居の事を詳しく書きたかったのですが、今度ゆっくり書きたいと思います。


2001年7月14、15日

危篤状態だった叔父も少し持ち直したようで、日本へ向けて発つのが今日明日という状況ではなくなったようです。
昨日日本に電話をして確認したのです。 今の状況が大きく変わるとは思えませんが。

叔父は癌で、脳や肺、延髄といたるところに転移していて、水も飲まない、喋る事も出来ない状況のようです。
延髄の癌は神経系を直撃する事があるとかで、いつ呼吸出来なくなるかも知れないとの事。

回復はありえないにしても、ひとまず日本行きは延びそうです。 

そこで昨日はLINUXにハマってました。
1週間ほど前にPC屋のオニーチャンがくれた、REDHAT LINUX のバージョン6.2というのを入れてやっていて、一応設定終わったら一昨日にPC屋のオニーチャンが「それはすごい、一週間で動かすようになったのなら、すぐに7.1に換えろ」と言い出して、その場でバージョン7.1くれて、昨日インストール始めたらかなり悪戦苦闘。

何しろ今度もマニュアル無し。(英語も日本語も) 部分によってはまるで暗闇状態。 特にファイヤーウォールの設定とかこのバージョンになってからかなり変わっているようで。

さて今日はクラシックカーのオークションに行ってきました。 
べつに何か欲しい車があったわけではなく、うちのごく近所で近かったのと、チョット興味のある出品があったのです。
それは車のナンバープレート。 オーストラリアでは古いナンバープレートや、文字だけ入ったスペシャルナンバープレートにプレミアが付き、売買の対象になるのです。

特に僕が興味あったのは、(多分)1920年代に発行されたオリジナルの番号だけのナンバープレートです。
日本と違ってこの国ではもし望めばずっと、たとえ車を新しくしても自分のナンバーを持ち続ける事が出来るのです。
実は女房の車には、彼女の親父から受け継いだナンバープレートが付いています。
以下の写真を見ていただくと分かるのですが、この番号はオーストラリアのニューサウスウエールズ州で車の登録が始まった時に最初は番号だけを振って与えていたのです。
ですから当然、「1」は最初の登録車という事になります。

女房のは「1081」で、4桁の番号なので、特にプレミアは付かないと思っていました。
今日オークションに出たのは、ロールスロイスやベントレー、ラゴンダなどの名車に混じって数枚のナンバープレートがあったのですが、何と一桁の「8」なのです。
オークションが始まって3番目にこのナンバープレートが登場しました。 その前は極上のコンディションの1936年のベントレーで、16万ドルの値がついていて、ビックリしていたら何と!この「8」いったいいくらついたと思いますか?

50万ドルでした! (これに10%のオークション手数料、その上に10%の消費税が付きますから計60万ドルを超えます)             今日出品された車も含むすべて中でもダントツにこのナンバープレート(もちろん車は付いてきません)高かったです。
テレビ局も撮影に来ていた(それも2つも)くらい注目を浴びたのです。
ナンバープレートがある意味でステイタス(いやな言葉ですな、成金ぽくて)になっているのは知っていましたが、そこまで値がつくとは。

つまりつい最近ネットバブルで金をつかんだような連中には、フェラーリだろうが、ポルシェだろうが金を出せば買える訳で、もう一つ他の連中と違うというのを見せ付けられると考えているのがこのナンバープレートなのです。
こういうナンバープレート付けていると、いかにも代々金持ちで、今日や昨日大金つかんだのではないって、見てもらえると思うのか。

ニューサウスウエールズに限って見ても、1から9までの一桁はほとんどが古くからあるエスタブリッシュメントや同じ家族が持ちつづけているのですが、たまに遺産として引き継いだ後に換金するために市場に出てくる。

ちなみに、「1」はある高齢の女性が持っていて、すでに遺言で亡くなったらチャリティーに寄付するという事になっているとか。
今日の値段から見積もって絶対に1ミリオンは越えるでしょう。
また、他の番号「2」から「9」の内(「8」は本日出たが)5と6はなぜか一度も発行されなかったそうです。 理由は当時の資料を調べても謎なのだそうです。 
こういう番号だけのナンバープレート以外にも(歴史はあまり長くないが)約20年程前に始まった文字だけのカスタムナンバーがあります。
アルファベットや数字で6文字以下ならほとんどの事が入れられる。
つくプレミアムの値もそれほど高くはありません。

近所に真っ赤なフェラーリに「SEXY」(セクシー)というナンバーをつけた車を運転している女性がいました。 噂では、ある高名なビジネスマンのミストレス(妾)だとか。
6文字以下ですから、まだだれも登録していなければ、僕の名前の「TANABE」というナンバープレートも出来るわけですが、全く興味はありません。
ちなみに今日も、「THE WEB」 という、ITバブル期にはものすごく値がついたであろうのも、出ていましたが2万ドルでした。
本日出ていた数字だけのナンバープレートのうち、4桁のは大体2万ドルといったところでした。

車のオークションは、オーストラリアドルが安くなっているためか、海外からも(電話で)参加していました。
ドイツのHORSCHという車も、ドイツからの電話で落札されていました。


    

暗くてよく見えませんが、アシスタントが持っているのがナンバープレート「8」。右のガラスの陳列棚には他の番号のナンバープレートも。

      

左は女房の父から引き継いだ、「1081」。なぜか、1と0の間に点が入っていて「アイ(I)081」に見える。
右は僕の普通のナンバープレート。 しかしよく見てもらえると僕の名前
「TOM」と、僕の誕生日8月31日の番号が入っています。
これは昔、知り合いのカーセールスマンが、サービスで付けてくれた。

 


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