2003年6月前半の日記
2003年6月2日
皆様週末はいかがお過ごしでしたか?
シドニーは快晴、昨日の日曜日はその良い天気を十分満喫できる仕事をしておりました。
ハンディーマンのオジサンである僕は、娘の家の屋根に登り雨漏りを直していたのです。
昨年購入した娘の家は築2年も経っていないのですが、なぜか一部雨がにじんで来るところを発見したのです。
実は僕の日記にも有るように、昨年からシドニーは干ばつが続き雨がちっとも降らないので、多少雨漏りの不具合があっても全く判らなかったのです。
ところがここ二月ほどは雨の日が多く、今まで降らなかった分を取り戻すようにひどく雨が降る日が続き、部屋に一箇所雨が漏る部分があると娘から電話があったのです。
新築に近い家で漏る場合はすぐに原因を発見しないと被害が拡大する恐れがあると思い、早速出入りの屋根屋さんに来てくれと電話を入れたのが先々週のこと。
ところがここはオーストラリア、一度屋根屋から電話が入り今忙しいからとりあえず見に行ける日をまた電話するからと言ったきり音沙汰無し。
その間にも何日か強く降る日があって、雨の滲みは壁の色を変色させ始めているので、電話が掛かるのをソワソワしながら待っていたのですが、先週一杯待ったがもう我慢できず、自分で登る事にしたのです。
高所恐怖症の女房は大反対、ましてや娘の家は道からは3階建てで屋根までかなりの高さ。
ところが何でもある我が家には伸ばすと10メートルにはなろうかという梯子があるのです。
で、スバルのサンルーフに積んで昨日娘のところへ。
娘の家は道からは3階の高さですが、庭からは約2階半の高さなので、その梯子がどうにか屋根すれすれに届いたので、上がってみました。
ところがやはり新しい家で、その上カラーボンドという素材の屋根なので、全く漏りそうなところが無いんですよね。
しょうがないからシリコン・ガンで片っ端から雨が入りそうな可能性のある継ぎ目等に総てシリコンを打ち込んでおりました。
朝から始めて夕方の4時頃まで、屋根の上は高くて見晴らしは良いし、天気は良いし(暑過ぎず寒くなく)屋根でウロウロするだけ気分が良かったです。
高所恐怖症の女房と違って、娘は僕に似たのか(いや馬鹿と煙はって言いますな)私も見たいなんて言って途中から一緒に登って来て、デジカメ持ってハーバビュー等を撮影したりしておりました。
ところが降りる段になって急に娘はビビリ出した。
つまりあまりにも高い上に、梯子の高さが足りず、最高に伸ばしても屋根より高くならないので、梯子から屋根に登て来る時はともかく、降りる時には屋根の端に腰掛けて、梯子の最初のステップまで足を伸ばして降りなければならない。
その上、つかまる所は無く屋根に登っている僕が手を貸してやるだけなので、かなり勇気がいるのです。
昼飯時に降りたらもう登ってくるとは言わなくなった。 やっぱり女の子。
ともかくシリコンは入れたし、ついでに落ち葉等の掃除も出来、その上「明り取りの天窓」まで綺麗に出来て、快適な天気に大いにエンジョウイしておりました。
このような作業を頼んだら何百ドルも取られるだろうし、いやそれよりいつ掛かるか判らない屋根屋の電話を待ち続けてイライラするよりよっぽど精神衛生上良いです。
それにしてもオーストラリアでは仕事を依頼しても本当にすぐにはかどりません。
まず今年に入ってプールの水が濁るのでプール屋に来るように言ったがすぐ来ない。
先月の日記にも書いた飲料水のフィルター(浄化装置)は仕事途中で(部品が一つ足りないと古い部品をつけたまま)いまだに戻って来ない。
屋根屋は結局もう来なくとも良いと断りの電話を入れた。
そして極めつけは我が税理士で、こちらから納税の事で連絡入れたが全く返事が無く、督促状が来たので慌てて電話を入れたがなしのつぶて、結局反則金の知らせまで来てしまったのです。
彼女の場合は家庭の事情(どうやら高校生の息子がかなり親不孝をやっているらしい)で仕事が手につかないとの事だが、顧客が税務申告遅れの滞納で罰金まで来てしまうまで放って置くと言うのも何だかと。
このようなペースでビジネスとしてやって行けてしまうところがなんともオーストラリアです。
日曜の夜はモナコグランプリ。
一日外で作業をしていたので心地よい疲労感と、眠気を感じ、夜11時過ぎに始まるテレビ中継、途中で寝てしまうのではと心配して見始めたのですが、僕の好きなモントーヤの優勝に狂喜乱舞しておりました。
眠気など吹っ飛んで。
2003年6月3日
母が手紙の書き方「手紙文実例百科」という本を貸してくれと言って僕の部屋に来ました。
父の一周忌の後、いただいた手紙に返事を書くために。
随分昔に買った本で「確か本棚の何処かに」と捜していたら、ある本に目が止まったのです。
タイトルは「現代コンピュータ 基礎用語辞典」で著者はドナルド・D・スペンサー、片方善治監訳(啓学出版)とあります。
僕がオーストラリアに来た当時、アルバイトでたまに翻訳をやっていたのですが、その時に必要になって買った本です。
オーストラリアの会社が日本宛に出すビジネスレターを日本語で送りたいというような注文で、分野は限定されていなかったので医学関係や化学関係に混じって確かコンピューター関係の会社の仕事もあり、当時全くコンピューターの知識が無かったので必要になったのです。
今から20年近くも前だと英和(和英)辞典を見ても、そのような語彙が出ていない事が多く、専門的な辞典が必要となったわけです。
今はとても身近なPCですが、当時は興味の対象ではなく翻訳の仕事のために購入したので、すっかりこの本の存在を忘れておりました。
手にとって見てみると、何と1985年発行とある。
パラパラとページをめくり出したら、この本、辞書と言っても最初の何十ページかはコンピューター入門という章が有って、思わず読み始めてしまったのです。(何度も書きますがコンピュータに興味が有って買った本ではなく、翻訳のために辞書として買ったので、入門なんて部分は見たことも無かった)
この「入門」という部分を読んでみると非常に興味深い事が色々。
1985年と言うと約20年前で、当然ウインドウズも無く、書かれている内容と、今の時代を比較すると「のけぞって」しまうほどの開きがある。
この著者が将来のコンピュータ時代を予想して、革新的な時代が来ると目一杯オーバーに書いた(多分)内容が、それでも足りないほどの現代の進歩なのです。
当然ウインドウズさえ存在しない時代ですから、インターネットの事等全く「かけら」も書かれていません。
読み進めていくうちに、昔のプログラミングの事が出ていて、僕が大学の頃に研究室でプログラミングをちょこっとかじった記憶が蘇ってきました。
昔のプログラミングと言うのは非常にとっつき難い2進法(まさに機械語)を使っていたのです。
つまりきわめて一部の分野の専門の技術者しか理解不能な言語だったのです。
僕が興味を無くしてしまったのもそのプログラミング言語が理由の一つだったのは、プログラミングやソフトが大きく変わり発展した今の時代になって(経験してみて)その理由がわかったような気がします。
そのプログラミング(機械語)の大変さを、もっと人間に親しみやすい言葉に置き換えそれをコンピューターに(機械語に)翻訳させると言う発想から大きな変革が始まり、パーソナルコンピュータとして発達していったのです。
もし僕がその当時の2進法ではなく、もう少し後の時代から勉強始めていたら、完全にオタクになっていたかもしれません。
僕の人生が全く違う道を進んでいたかもしれない。
いや、そうだったら良かったのにという感情は起きませんが。
それにしても、PCの発達とともに、これからの年代の人にとっては当たり前に出来てしまう事と、年寄り(いわゆるコンピューター苦手世代)とのギャップがどんどん広がっていく事でしょう。
最近オーストラリアで始まった地上波デジタルテレビ放送にしても、まだ初期の段階からかもしれないが、我が母のような年代にはこれらをちゃんと使いこなすなんて100%不可能なんですよね。
ヴィデオの録画予約も出来ないような母の年代こそ、娯楽として一番テレビが必要なのに。
例えば我が家にはデジタル波チューナーが二つあります。
このチューナーが無いとデジタルテレビは映りません。
今までのアナログテレビならスイッチを入れてチャンネルを選べばそれで良い。 後は音量の調整ぐらいでしょ。
ところがこのデジタル波のチューナーというのはまさに小型PCのようなもの、我が家の2台のうち1台にはハードディスクドライブまで入っているのです。
当然、ファームウエアー(ドライバ)のアップデートも必要になってくる。
定期的にそのメーカーのウエッブサイトに行って、新しいファームウエアーが出ているかを調べ、出ていたらまず自分のPCのダウンロードします。
そしてPCとチューナーをナルモデムケーブルと呼ばれるRS232ケーブルで接続し、ダウンロードした新しいファームウエアー(ドライバー)のファイルを開いてチューナーに読み込ませます。
こんな事、はっきり言って毎日インターネットやっている女房でも出来ないかもしれない。
ましてや年寄りには絶対に無理。
そう考えると、このままではデジタル放送への移行には多くの問題が山積みというのもわかる。
しかし後戻りは出来ないわけで、この「テクノロジー世代ギャップ」が近い将来異常なまでに広がってしまうのではないかと危惧さえしてしまいます。
2003年6月4日
先日カンタス航空で起きた事件。
犯人は木製の凶器で乗組員を襲ったのですが、「木製」の物はレントゲン検査に引っかからないという盲点をついたものでした。
襲われた乗組員(パーサー)は頭からかなりの出血をしながらも必死に抵抗、そして乗客の男性が犯人を取り押さえたのです。
飛行機はメルボルンからタスマニアに向けて飛び立ったのですが、犯人を取り押さえた後またメルボルンに引き返しました。
この事件を知った時、僕はすぐに昔日本で起きた乗っ取り事件を思い出しました。
たしか元会社員がスクリュードライバー一つで乗っ取り北海道の千歳空港に着陸した事件です。
二つの事件に共通しているのは、犯人が精神的な問題を持っていた事。
また乗っ取りに使用した物が、非常に単純な「凶器」とは呼べないようなものであったこと。
日本の犯人は確か元銀行員(精神病治療中だったか)ですが、オーストラリアの犯人の職業はコンピューターエンジニアで、前の日まで普通に仕事をしていた、近所でもとても評判の良い人間だったらしい。
隣に住む老人のために、犯人は芝まで刈ってあげたりしていたらしい。
多分いきなり「キレ」てしまったのでしょうが、理由は良く判りません。
ただし犯人は飛行機で犯行に及んだ時に「ハルマゲドン」を叫んでたとか。
彼は敬虔なクリスチャンで、非常に信心深いタイプだったらしいが、この世の終わり(ハルマゲドン)だと思い始めたのは、宗教(彼の信じていたのはオウムのような新興宗教ではない)のせいだったのか。
女房は無宗教の人間なので「宗教なんて信じすぎるとろくな事が無い」と。
また彼がコンピューターエンジニアだったのモ関係があるのか。
非常にストレスの溜まる仕事だったとか。
この事件が日本の千歳空港の事件と最大に違う事は、オーストラリアの事件では乗客が犯人を取り押さえた事。
911事件以来このような事件が起きた場合、乗務員や乗客が手をこまねいているというような事はなくなっていくのではないかと考えます。
日本ではどうか知らないが、少なくともオーストラリアでは。
ポランスキーの映画「戦場のピアニスト」の中で、路上に腹ばいにさせられたユダヤ人達が酔っ払ったドイツ人の将校に虫けらのごとく次々と射殺されていくシーンがありました。
全く抵抗もせずに自分の番を待つという。
僕はそのシーンについてこのホームページの日記で、僕だったら絶対に抵抗すると書いたが、今回の事件でも取り押さえた乗客や乗務員には、犯人の言うままにしていたら自分を含む全員が死んでしまう可能性があるのなら、出来る限りの抵抗をしようという気持ちがあったようです。
昔、九州で精神病の少年がバスを乗っ取った事件がありました。
あの時は犯人の少年は人質を女性と子供達だけにするために、男の乗客を降ろした。 また男の乗客たちは後ろの窓から我先にと逃げ出してしまった。
結局犯人は老年の女性客を殺したりして、最終的には警察が突撃して逮捕に至ったのですが、これは千歳空港でも機動隊が飛行機に突撃して幕を閉じたのと同じだった。
僕はそのバスから逃げた男性達を責める気は無いが、自分だったら絶対に何かしていたのではないかと。 女性や子供置いて逃げなかったでしょうな。
勿論こんな事を書くと、「その場にいなかったから何とでも書ける」という批判は起きるかもしれない。
しかし911事件以来、黙って犯人と一緒に飛行機が落ちるのを待っているという事は絶対にしないだろうという事。
今回は政治犯ではなかったけれど、「ハルマゲドン」を叫んで、皆一緒に死のうとした行動でしたから、似たような結果になる可能性は大であったのです。
2003年6月5日
本日の朝刊のスポーツ欄にアメリカ大リーグの「サミー・ソーサ」選手が試合の途中で退場になったと出ていました。
オーストラリアでは野球の人気というのはほとんど無いのに大きな記事なのでビックリ。
勿論日本でも大きく報道されているはずですが。
火曜日のシカゴ・カブス対デビル・レイズ(タンパベイ)の試合で打席に立ったソーサ選手のバットが(打球の衝撃で)折れ、バットにコルクの芯が使用されているのがバレてしまったからとか。
あまり野球の事には詳しくないので、そんなバットがあることも、またそれが使用禁止だという事も知らなかった。
このバットを使うと打球が良く飛ぶ(記事には少なくとも10メートルは飛距離が延びる)そうです。
1990年代の終わりに、マーク・マグワイヤー選手とのホームラン競争で多くのファンを魅了したのに、何と良く飛ぶバットを使って「ズル」してなんて知ると、しっかりシラケてしまいます。
本人は練習用、または試合前にファンサービスでホームランを打って見せるために使っているバットをうっかり試合でも使ってしまったと言っているそうです。
随分信じがたい言い訳で、もしその時主審の目の前でバットがポッキリ折れていなかったら、誰もわからないのですから。
モーターレースの世界では優勝したマシーンのエンジンを開けて、不正が無いか調べる制度があります。
ベースボールでもその日ホームランを打った選手のバットは試合後に預かって、レントゲン検査とか出来ると思うのですが、随分ずさんな世界なんだなと考えてしまいます。
だいたい他のスポーツでは禁止されている筋肉増強剤系の薬物検査もプロ野球の世界では行われていなかったと思います。
アメリカな有名なホームランバッター(誰とはあえて書かないが)でも「何これ?」って思うほど筋肉モリモリの選手いますよね。
かなり薬物は頻繁に使用されていたようです。(今は知らないが)
先日、カール・ルイス選手の薬物使用が明るみに出て大きな話題になりました。 アメリカのスポーツ連盟はカールルイスが薬物を使用しているのを知りながら(ソウルオリンピックの前から)握り潰していたのですが、同じ100メートルで優勝した後、薬物検査で失格になり金メダルを剥奪されてしまった「ベン・ジョンソン」とその当時のマネージャーはそのニュースが出て、大いに怒っているそうです。
なにしろベン・ジョンソンが失格になったのでカール・ルイスが金メダルを手にしてしまったのですから。
20世紀最高のアスリートと言われているカール・ルイスが薬物使用者だったのが判って僕は大いにしらけております。(野球以上に)
特にカールルイスの場合は検査で一回だけ引っかかったのではなく、二度(時期を別にして)までも出てしまっていたらしいのですから。
それを知りながら握り潰し公表せず、そのまま出場させ続けていたアメリカのスポーツ連盟も同罪だと思います。
いまさら金メダル返せとは言わないんでしょうか。
ちなみにその時の3位は確かイギリスの「リンズィー・クリスティー」だったと思いますが、彼も後の大会で薬物使用で捕まっております。
ですからカールルイスが金メダル返しても、結局トップ3位が誰ももらう資格がないという。
もうこうなったら、プロもアマも全く区別無い事にして、薬物も総て使用して良い事にした方がすっきりするのではないかと思ってしまいます。
筋肉増強剤が公に使われていた昔のボディービルコンテストみたいに人間とは思えないほどの体の選手が登場してきて、それなりにエンターテイメントではないかと。
薬を使用しすぎて体を壊したり命を落としても、それは自己責任でやらせれば良い。
若い皆さんは知らない方も多いと思いますが、今はすっかりハリウッドスターになってしまった「アーノルド・シュワツネガー」にしても、スイスからアメリカに渡ってミスターユニバースを目指し、毎日ドンブリ一杯ほどの種々の筋肉増強剤等を飲み、人間とは思えないほどの体を造っていたのですが、当時の映画「ポピング・アイアン」等を見るとそれがわかります。
(僕はこの映画を今から35年近く前にロンドンで見ました)
2003年6月6日
僕がオーストラリアで取引している銀行の一つに日本の銀行「T
銀行」があります。
オーストラリアの銀行とこの日本銀行シドニー支店を両方使っているわけですが、その「T
銀行」から手紙が来ました。
内容はオーストラリアでの営業縮小に伴い、個人口座は扱わない事になったので、他の銀行に移行してほしいというものでした。
この「T
銀行」は邦銀の中でも海外業務が強く、オーストラリア政府が金融自由化に踏み切った時に、オーストラリアでの銀行業務を認可された邦銀3行の中の一つです。
偶然銀行が認可を受けた時期と、我が両親がオーストラリアに引っ越して来た時期がほぼ同じだったので、個人及び法人口座の開設を依頼しました。
確か個人口座としては最初の方で、当時は今の日本領事館の有るビルの一階に窓口を開設し本格的な一般業務を始めた(ように見えた)のです。
当時1987年頃は日本が空前の好景気、いわゆるバブルエコノミーの頂点で、日本の経済はアメリカをも抜き去って、世界ナンバーワンになろうかという勢いでした。
日本の企業は我先へと海外に支店や出張所を開設し、当然それをフォローするように日本の銀行も世界中に支店を拡大していったのです。
ところがせっかく海外に進出して行っても、地元に根ざした営業なんておざなりの状態、ただただ海外に出ている日本企業のための活動が主だったのです。
ですから僕らのようにオーストラリアに永住している人間には、地場銀行の方がよっぽどサービスも良いし、利率等も比較にならないほどで、オーストラリアに住みながら邦銀を利用するメリットはほとんど無かったのです。
しかし我が両親は英語が不得意な事もあり、またオーストラリアの銀行についての知識は皆無だったので、邦銀に固執し特に我がオヤジなど僕がいくら勧めても、1987年にオーストラリア来て以来亡くなる直前までオーストラリアの銀行との取引を拒否し続けていました。
全く意固地なオヤジだったので、とにかく僕の意見を聞いて銀行を変えるのが嫌というだけの理由でした。
オーストラリアに住んで邦銀を使う理由の一つに日本からの送金が間違いないというのがオヤジのいい訳でしたが、それなら邦銀の口座を閉めずに、送金された日本からの金はドルに替えた後に利率の良いオーストラリアの銀行に移せば良かったのですが、最後まで僕の言う事を聞きませんでした。
もう一つは邦銀なら窓口に日本語が出来る行員がいるから何かと便利というのもあったのですが、これはその「T 銀行」が縮小を始めた途端に日本人をカウンター配置しなくなってしまい、全く理由にならなくなってしまいました。
さて、僕がその邦銀を使っていた理由はオーストラリアで日本円の口座を持つ必要があったからで、オーストラリアの銀行では円口座を開設し難かったからですが、今回この業務縮小に伴って他の銀行に行ってくれというわけです。
最近のオーストラリアの新聞にも日本の銀行の危機について報道されていましたが、今回銀行から来た手紙を見ながら、つくづく今までの日系企業の怠慢さの「ツケ」が回ってきたと感じます。
もちろん業種によっては世界に進出し、現地にしっかり根を下ろし、安定した活動をしている日系企業も沢山ありますが、日本の銀行は残念ながら負け組みに成り下ってしまったようです。
銀行だけではありません。
僕がロンドンにいた当時、買い付けた服を日本に送るに(エアーカーゴ)しても、日系企業の出す値段は他の地元(英国)運輸会社の料金とは比較にならないほど高かったものです。
今僕が日本に送っている御影石は船便を使用しているのですが、初めて日本に送り出すに当たって、日系の運輸会社にも見積もりを出してもらったのですが、唖然とするほど高かった。
考えるに、彼ら日本の運輸会社は日系企業の物流のために来ているだけで、僕らのような地元の人間が取引しようと思っても、料金がお話にならないのです。
つまりせっかくオーストラリアに進出して来ているのに、地元の企業と競り合ってオーストラリアのお客を取るなんて気は最初から無いのではないかと思ってしまうのです。
ですから不景気になり日本の企業が海外事務所を閉めたり縮小するに伴って、彼らも大きく影響を受けてしまうわけです。
せっかく金を掛けて立派なオーストラリアに事務所を開設し、現地人も雇って営業しているのですから、日本企業に100%依存するような体質から脱皮するチャンスはいくらでも有ったと思いますが、やはりそういう気は最初から無かったのでしょう。
その点同じように海外からオーストラリアに来た企業でもアメリカのは全然違います。
同じ銀行を例にとっても、日本の銀行と同じ時期にオーストラリア政府の認可を受けた後、必死でオーストラリア人のお客確保にまい進し、テレビ広告等も含め宣伝も打ち、オーストラリアの企業とがっぷリ四つで、活動しているのですから。
日本の自動車や家電メーカーが海外販売で必死で努力し、日本の経済を支えて来たのに、日本の企業によっては海外活動という点において、あまりにも格差があり過ぎるのではなかいと痛感しています。
「井の中の蛙」のような日本の企業は最初から海外進出なんてすべきではなかったのではないかと感じてしまいます。
2003年6月7日
土曜日の日記はここ数週間に渡りお休みしてました。
今後は土日はお休みにするつもりです。
しかし本日の日記は少々書きたいことが。
テニスの全仏もいよいよ大詰めを迎え盛り上がってきました。
先週の日記で僕が予想した通り、オーストラリアの世界ランキングNo1の「レイトン・ヒューイット」は4回戦で敗退しました。
長年テニス観戦をしていると、結構「見る目」ができるというか、予想も結構正確になってきます。
それにしても今の男子テニス、グランドスラム(4大タイトル)の中でも、全仏は本当に体力的に厳しいものです。
2週目の後半に入りスケジュールが押してくると、中一日もあけずに次の試合が待ち構えているわけで、その上クレーコート独特の長い打ち合いで5セットにもつれこむ事しばしば。
一試合に4時間から5時間も闘ってまた次の日も5セットなんて、僕には本当に考えられない程。
自転車の「ツアー・デ・フランス」よりもハードなのではないかと思ってしまう。
昨日の男子準決勝はギアモ・コリア(アルゼンチン)対マーティン・バーカーク(オランダ)の試合でした。
第一セットのタイブレークのセットポイントでボールに追いつけなかったコリアがラケットを投げたらボールボーイに向けて飛んでいってしまい、もうちょっとで退場処分になるところでした。
彼は投げたラケットが思わぬ方向に飛んでしまったので大慌て、その場で手を合わせてボールボーイに謝り、着ていたテニスシャツを脱ぎ、彼にプレゼント、そしてボールボーイの手を握って何度も謝っていたのです。
数年前のウインブルドンで地元の選手ティム・ヘンマンが調子が悪いのにイラついて、ゲームの途中でボールをラケットで叩きつけたらボールがボールガールの顔を直撃してしまい、その場で即座に失格、試合を失ってしまったことがありました。
今回コリアの場合はラケットがボールボーイ(がよけた)に直接当たらなかったので、失格は免れたのですが、その後すっかり彼はファイティングスピリッツを失ってしまったのか、ストレートセットで準決勝を落としてしまった。
僕は彼に勝って欲しかったので非常に残念でした。
ちなみに彼の名前「ギアモ・コリア」のギアモは同じアルゼンチンの偉大なテニスプレーヤー「ギアモ・ヴィラス」のファンだった父親がつけたものだそうですが、その「ギアモ・ヴィラス」も若い同国の選手のためにコートの一番近い席で応援していたのに残念です。
さて、女子の試合はベルギーの二人(キム・クライスターとジュスティン・ヘニン)が決勝まで残りました。
特にヘネンはNo1のセレーナ・ウイリアムスを準決勝で破っての決勝進で、まことに立派です。
僕もその試合は手に汗して見ておりました。
ドローがもし違っていて、セリーナがキム・クライスターと準決勝で当たっていたとしたら、多分セリーナが勝ち上がっていたと思います。
そしてヘニンがセレーナに勝って、チャンピオンになったであろうと。
しかし、このドローで優勝のチャンスが少なくなってしまったと。
何しろ僕の予想ではキムがヘニンに勝つと思っているので。
そのキム・クライスターはご存知、杉山愛とダブルスで決勝まで残っています。
多分これは日本でも話題になっていると思います。
そうそうセレーナ対ヘニンの試合を見ていて、つくづくフランスの観客は意地悪いと言うか、恐ろしいと感じていました。
数年前のマルティナ・ヒンギス対ステフィー・グラフの試合で起きた事が今回も起きてしまった。
つまりほとんどの観客が試合の途中で、突然一方の選手についてしまい大声援をし相手選手には「ブーイング」をするのです。
ほとんどの場合理由は選手の態度によるものだと思いますが。
ヒンギスの場合は決勝で90%勝ちかけていた試合を観客のブーイングで落としてしまったのですが、今回のセリーナのケースでも同様の事が起こってしまった。
セリーナがラインコールにけちをつけたのがきっかけだったと思いますが、サーブのダブルフォルトでさえ拍手されてすっかり彼女の顔の表情が変わってしまいました。
やりにくかったと思います。 それで負けたとも言えるかもしれません。
まあ今回は準々決勝でフランス期待の「アメリー・モレスモ」を破った時の試合態度から嫌われてしまうであろうというのは感じてたんですけどね。
それにしても4大大会の中でこれほど「意地悪」なというか厳しい観客はフランスだけですな。
今日明日の決勝大いに楽しみにしております。
では皆様良い週末をお過ごしください。
2003年6月9日
テニスの全仏が幕を閉じました。
まずは「杉山 愛選手」女子ダブルス優勝おめでとうございます。
全仏では確か数年前に混合ダブルスで平木リカ選手が優勝をした事があり、割と日本人が活躍する大会ですな。
日本選手が4大大会の「シングルス」で優勝できる日が来るのはいつの事か心待ちにしております。 日本のテニス人口を考えたら将来も不可能なのかもしれませんが。
今回のシングルス(男子女子とも)優勝者を見たら、体力的にはちっとも日本人より勝っていませんから、可能性が無いわけではないと思うのですが。
それにしてもグランドスラムの大会というのは特別なもので、今回もプレッシャーに負けたほうが試合を落とし栄冠を手に出来なかった。
このような事はしばしば起こるのですが、今回もまた女子も男子の決勝も試合的には非常に面白くない一方的な結果に終わってしまいました。
まずは女子の決勝、両選手とも初めてのグランドスラムタイトル獲得に向けて闘ったのですが、キム・クライスターがこれほど崩れるとは僕にも予測できなかった。
逆に優勝したジュスティン・ヘニン・ハーデン(ユスティン・エニン・アーデン)はそのプレッシャーを彼女が子供の時(14歳)に亡くなった、母に捧げるつもりで闘ったと言っているように、見事に克服しました。
1982年生まれの彼女は1992年、彼女が10歳の時にその亡くなった母に連れられて、全仏の決勝、シュティフィー・グラフ対モニカ・セレシュの試合を見に来たのだそうです。
そしてその時、自分がいつかこのコートで決勝の試合に立ちたいと思ったそうです。
それからたった4年後に母は他界してしまい、また彼女は父とうまく行かなかったために、その後ずっと一人で生きてきたようです。
今回の優勝にはその「母へ捧げる」ために優勝するという気持ちと、また昨年結婚してプライベートでの生活が明るくなったというのも大いに関係しているとか。
彼女はテニス選手としてデビュー後も、非常に暗く淋しい印象が強かったのです。
ちなみに今回優勝してもその父とは「会うことも無いだろう、また口を利く事も考えていない」との事です。
何が有ったのかはよくわかりませんが。
さて、男子決勝も女子と同じようにオランダのマーティン・バーカークがプレッシャーに負けてしまいました。
非常に残念です。 しかし考えてみると彼のようなタイプのプレーヤーが決勝まで残れたのが上出来ともいえます。
非常に素質の有る選手ですが、彼はウインブルドンのようなコートの方が活躍できるのではないかと。
このバーカーク選手、トーナメント開始前は全く注目を浴びていなかったのですが、あるファンが「彼が優勝する」に150ドル賭けたそうです。
ヨーロッパでは何でも賭けの対象になっていますから、当然全仏も。
その時のオッズが150倍だったので、優勝したら22500ドルと新聞に出ていましたが、随分悔しかったでしょうな。
優勝したスペインのファン・カルロス・フェレーロ、彼は今年の初めから全仏で優勝という目標を掲げていたように、決勝まで残っただけで舞い上がってしまうような事は有りませんでした。
この辺の差が大きく出たと思います。
二週間に渡る長く熱い戦いは幕を閉じ、いよいよ次はウインブルドンですな。
2003年6月10日
シドニーはこのところ青空の良い天気が続いていますが、朝夕はめっきり冷え込むようになってきました。
多分摂氏10度は切っているのではないかと思います。
しかし天気の良い日は日中はT-シャツ姿でも寒く感じません。
昨日はシドニーは祭日、クイーンズ・バースデー、つまり「女王誕生日」で休日でした。
天気が続くので先週の週末に「鯉の池」に入って掃除したり、雑草を抜いていたら、すっかり腰にきてしまいつくづく歳を感じてしまいます。
しかしいくらお天気とはいえ、冬にほぼ一日池の水に腰近くまで浸かっていたのがいけなかったのではないかと。
そんなわけで昨日の祭日は家でおとなしくして、PC屋のジョンからプレゼントされた「Mandrake
Linux
」の最新版9.1をインストールしたりして遊んでおりました。
この9.1になってから随分と日本語表示などが改善されましたが、どんどん重くなっていって、Linux
用に使っている我が家の最古参機Dellではだんだんときつくなってきています。
何しろこの女房のお古、プロセッサーがペンティアム2の300Hzなんて、今のペンティアム4と比べたら、月とすっぽんほどの違いが。
Dellから今僕が使っているP-IIIの1000Hzに代えた時にその速度の差に目を見張ったものですが、そのP−IIIも今や古臭くなってきている時代ですから、おのずとLinux
を作る側も、もうP−2なんて想定していないのかもしれません。
古い機でもさくさく動くのがLinux
の良さだったんですけどね。
しかしPC屋に行ってそろそろP−4で新しいのを一台組もうかな何て言うと、すかさずジョンが「PCでゲームやら無いじゃん。 動画編集なんかもやってないじゃん。 それなら今のP−III 1000Hzで充分過ぎる。 金の無駄!」なんて言うわけで、この人ほんとにコンピューター売ってる人なんだろうかと。
まあそれだけ僕と仲が良いというか、客扱いしていないという事ではあるのですが。
確かにインターネットサーフィンや電子メール、そして僕のHP製作とビジネス用に見積もりや請求書等のインヴォイス及びFAX作成、そして僕のやっている会社の経理用ソフトを動かす、なんてのが僕の使用範囲では、P−IIIで充分ではあります。
まあP-4も今年中に総てハイパー・スレディング(HT)になっていくだろうし、値段もだんだんと落ちていくはずで、その上それ用のチップセットはFSBがもう800Hzになっているしで、それらを使用したマザーボードはまだまだ高いし、もう少し値のこなれてくるのを待つべきかとか。
と言うわけで今年は組むのを止めて、17インチか18インチくらいの液晶モニターを買おうかなと。
最近の液晶の値下がりはすさまじいものがあって、今使っている日本のメーカー「I・O
Data」製の15インチの液晶(DVI)なんて僕が購入した当時の価格から4分の1くらいまで落ちています。
まあPC関係の値段と言うのはしょっちゅうこういう事が起きるので、もう慣れっこになってしまいました。
CD-RW
なんてのも同じように、いまや5〜6000円で売っているのですから。
だからDVD±RWはまだまだ安くなるだろうし、その上次のブルーレイがすでに市場に出始めたので、僕にとって今は買いではないと思っています。
2003年6月11日
昨晩遅くPCに妙なソフトをインスト−ルしていてたところ、すっかり我が「自作機」が機嫌をそこねてしまい、立ち上がらなくなってしまいました。
もうブルー色の画面しか出ず、再起動もリセットスイッチを押さなければ反応しない状態。
もう少しで今日の日記もお休みするところでした。
使っているウインドウズ2000のせいではなく、ただただ僕が馬鹿な事をしたのが原因で、理由もわかっているのですが。
で、すっかりこんなトラブルくらい「お茶の子」で直せると高をくくっていたのが大失敗、ほぼ半日リカバリーに費やしてしまいました。
昔の日記に書いたように、僕の自作機にはPower Quest 社の「Drive
Image 」というのがインストールしてあります。
このソフトは大変優秀で、同社の大ヒットソフト「Partition
Magic」は皆さんも聞いたことがあると思いますが、万が一PCが起動しなくなったような場合(ハード的に起動しない場合は除く)、バックアップしてあった「調子が良い時のウインドウズ」のイメージを、そのままそっくり書き戻してくれるのです。
ところが怠慢な僕は、定期的に行わなければならないバックアップ用イメージ製作をすっかりサボってしまっていて、何と最後にバックアップしたのは3ヶ月も前の事でした。
ですから、簡単にバックアップは出来たのですが、この3ヶ月の間のデーターがなくなってしまったのです。
ただしほとんどのデーターは別のドライブにもセーブしてあったので、総てを失ってしまったわけではありませんが。
一番厄介だったのは、電子メールでこれも一応 Outlook Express
Freebie Backup という(http://www.oehelp.com )
フリーソフトでバックアップしてあったのですが、これもサボってしまっていました(これはたった一週間ほど)。
ちなみにこのソフトも超お勧めです(ちゃんと自分で忘れずにバックアップしていれば)。 無料ソフトで、クリック一つでメール関係の総てのバックアップが出来ます。
で、メールのリカバリーをしたら、ドライブイメージで戻した3ヶ月前までのメールと上記のソフトでリカバリーした1週間前までのがダブってしまい、メールホルダーの中は同じメールが仲良く双子のようにずらーっと並んじゃったんですよね。
(この自作機でメールを受け取りはじめた2001年3月以来のが)
これはリカバリーする前にあらかじめ3ヶ月前までのは削除しておけば良かったのですが、初めてこのソフトを使ってリカバリーするので、手順を間違えて3ヶ月前までのメールさえ無くしてしまったら一大事と、総て読み込ませてしまったのです。
何千とあるメールを最初はいちいち一つずつ削除始めたのですが、もうクリックする指が痛くはなるは、時間がかかるはで途中で諦めてしまった。
こんなに沢山メールのやり取りをしていたのだと、削除しながら昔のメールのサブジェクトを見ていたら、懐かしくなって開けて再読したり、すっかり時間も掛かってしまった。
そうそう全くリカバリー出来なかったものに、ゲーム(トランプ)の「FreeCell(フリーセル)」
のスコアーがあります。
まさかフリーセルの事までバックアップ考えていなかったので。
僕はこのゲームがとても好きで、息抜きをしたい時などに数ゲーム遊ぶのですが、長年の間のトータルゲームスコアーが3ヶ月前にに戻ってしまいました。
もちろん大事なビジネスの書類類ではないので深刻な問題ではありませんが。
そんな事で今日の日記はやっとほぼ99%元の状態に戻せたところで、疲れて(しらけての方が正確な表現かもしれない)しまい、何も書く気が起きません。
今、IME2000の中の単語登録も3ヶ月前の状態になっていてそれ以降はリカバリー出来ない事を知ってまたまたしらけてしまいました。
皆さんも怪しいソフト等をインストールする時には、ご用心を。
今回僕が使用したドライブ・イメージというソフトはノートン社の「ゴースト」と並んで超お勧めなソフトです。
僕がドライブ・イメージにしたのはこちらには簡単なパーティション製作ツール(パーティションマジックの簡単なタイプ)も入っているからで、サボらずバックアップのアップデートをしている限り、ハードディスクが物理的に壊れても(CDかDVDにバックアップしておけば)総て新しいハードディスクに戻せますから。
2003年6月12日
今朝夜明け前から耳鳴りが酷く目が覚めたと思ったら、なんとシドニー湾内にある濃霧警報の音でした。
時計を見たらまだ5時半前、こんな早朝から「ピーーピーー」と断続的に鳴っていてそれもどうも一箇所ではないようです。
「ピーーーー」と3〜4秒続くと、1秒ほど途切れまた3〜4秒、ず〜っと鳴りっ放し。 我が家は湾の近くといってもウォーターフロントほど近距離でないのですがそれでも目が覚めてしまったほどですから、随分迷惑している人も多いのではと。
ところが朝日が出て(冬だから遅いのですが)だいぶ経ってもものすごい霧で、僕がシドニーに来て初めて経験するほどの酷さでした。
我が家の屋上から見える霧に煙るシドニーを写真に撮ってここに載せようかと思ったのですが、全く霧だけで何も写っていないので意味が無いからやめました。
確かにこれほど酷い霧なら住民が起きてしまおうがこの警報装置鳴らしてないと湾内を行き交う船特に大型のコンテナ船等危ないかもしれません。
このように朝霧に煙る日は、日中は快晴になる事が多く、本日は格好のドライブ日和、久しぶりに母と友人を乗せてバンクス・タウンにあるベトナムうどん「フォー」の専門店「アン・レストラン」に行ってきました。
間違いなくシドニーで最も美味いフォーを食べさせるこの店は、あまりの評判にとうとう店を大きくしました。
今までの店の数件隣に、広さは倍は有ろうかという店舗を大改装して近代的な店に生まれ変わりました。
噂では経営者は大いに儲けていて、その周辺の店舗をどんどん買っているそうです。
本日バンクスタウンに行ったのはもう一つの理由は旧知のイタリア人フランコ・グアイトリに会いに行ったのです。
彼は長年オーストラリアにP・C・Rというゴーカートを輸入販売していたのですが、2ヶ月前にビジネスを売り払い、引退しました。
僕はそのフランコじいさんと妙に馬が合い、イタリア人街である「ライカード」はノートンストリートにある、彼のカートショップへたまに遊びに行っていたのです。
特にノートンストリートにコーヒーを飲みに出かけたりする時には必ず立ち寄っていたのですが、先週行ったらその店が空っぽで、閉まっていたのです。
ショウウインドウに張ってある紙を見たらバス・ヒルの住所が出ていて、そこはフランコの自宅の住所なので会いに行ったわけです。
彼はカートの世界ではかなり有名な頑固親父でしたが、僕には本当に良くしてくれて、1998年だったかの鈴鹿ワールド・カップにも一緒に行ったほど。
彼の自慢は今の「F−1」ドライバーである「ジャン・カルロ・フィジケラ」を育てた事。 このイタリア人ドライバーはカート時代ずっとP・C・Rに乗っていたのですが、香港大会やオーストラリア大会ではフランコが面倒を見ていたようです。
また友人が引退してしまいました。 これでたまにレースを見に行っても顔見知りがまた減ってしまいます。
しょうがないですな、僕自身けっこういい歳だから。
2002年6月13日
このページに本日の日記の日付を入れたら、今日が13日の金曜日であると気が付きました。
僕は13という番号が大好きで、西欧では不吉な番号(特に金曜日)とされていて、F−1グランプリの車体に書かれたゼッケンにも13は有りません。
この「13」という番号、僕にすっかり「トリツイテ」いるようで、最初にオーストラリアで電話を引いた時の番号が1313で、今もの家のにも13が入っています。
レーシング・ライセンス番号も13だし(たった二桁の13なんて非常に珍しいといわれた)、僕の銀行の口座番号にも(セキュリティー上詳しくは書けないが)しっかりその番号は入っているし、他にもやはりセキュリティー上書けない諸々の番号に13は必ずと言えるほどついて回っております。
気持ち悪いほど。
しかしこの不吉な番号を僕のように好むオーストラリア人もいるようで、カートのレースを始めた当時、車体番号を登録しようとしたらすでに誰かが取ってしまっていてガッカリしたのですが、それが何とその後僕のカートの先生になってくれた「Damien
White 」と分かってビックリしたものです。
だからいまだに彼とウマがあうのかもしれませんな。
さて本日は朝から
CONSUMER ELECTRONICS & ENTERTAINMENT 略して「シドニーCEE」に行ってきました。(このエキジビション、日本語ならなんと言うタイトルになるのだろう)
場所は映画製作で有名な「フォックス・スタジオ」内のエキジビションホール。
期間はたった6月12日から15日までなので、混む週末を避けて本日金曜日に。
行った時間が早かったせいか、下に付けた写真の「入り口の風景」等はかなり閑散としております。
日本ではこれ系のエキジビションは規模もすごいだろうし、マニアも多いので全く比べ様も無いと思います。
僕の関心の的は、やはり地上波デジタル放送に関する機器が中心だったのですが、どこのメーカーもかなりデジカメ系に力を入れておりました。
オーストラリアだけでなく世界的にデジカメの延びはすごいようです。
さてお目当てのデジタル放送機器、やはりと言うか「STB(デジタルチューナー)」の新型がかなりお目見えしておりました。
オーストラリアではすでにデジタルのハイビジョン放送も始まっているのに、なんとハイビジョン用のSTBはたった一社しか販売していないのです、それも全く無名の会社。
この「デジテック」という名前のメーカーの製品は、安定もしていないし品質の割には高額、しかしオーストラリアで購入できる唯一のハイビジョン用なので、モノポリーで美味い汁を吸っていて、多くの人が日本のメーカーがもっと良質のSTBを売り出すのを心待ちにしているのです。
本日の会場にはパナソニック、や東芝などの有名メーカーなどがそのSTBを展示していて数ヵ月後には販売が始まるとの事、大いに期待したいと思います。
本日のエキジビションでビックリしたのは、何とソニーが出展していなかった事。 これはソニーがフォックススタジオ内に常設の展示場を持っているので、意味が無いと判断したのではないかと思います。
次に驚いたのは、各メーカーのブースで見ていると、説明をしに来るのですが、ほとんどがシロウトでちょっと専門的な質問をすると、直ぐに専門の係員をと言って社員のオジサンを連れて来る。
これはコンパニオン系のエキジビションの時だけ雇われている人間の可能性があるので、分からないでもないが、その社員オジサンでも非常に勉強不足で、ビックリしてしまいました。
彼らはセールス系で技術系で無いからかどうか知りませんが、例えば僕の知りたかった「ハイビジョンSTBにハードディスクドライブ内臓」の機種は新製品としてオーストラリアで売り出す可能性は何て聞いても、中には「はあ???」なんて顔している人さえいる始末。
またその質問の意味が分かっても「そういう機器はオーストラリアの市場ではありません」なんて言われて、僕が「確かにハイビジョンのは無いけど、スタンダードデジタル(デフィニション)なら有るけどね」なんて言ったら、「何処のメーカーですか」なんて逆に聞かれてしまう始末。
もう昨年の半ばからすでにオーストラリアで売っているHDD付きの「STRONG 5290」とか、なんて教えてあげると「Strong??? 聞いた事無い」なんて言われてしまう。
自分の売っている機器の競争相手のメーカ名さえ、平然と知らないなんて言えてしまうのは、もう驚異的です。
街の電気屋で聞いているのではなく、メーカが直接出展しているエキジビションでさえこのレベル、いや〜ビックリしました。
僕なんて女房へのプレゼントで、プアズマを購入した6ヶ月前からの知識しかないのに、この人達この業界で何年も飯食っているはずでこのレベルって、全然勉強しようという気が無いのかしらと思ってしまいます。
左はフォックス・スタジオ内のエキジビション入り口。
右は一番派手なブース、パナソニックで何かモデル達がやっていました。
右にはレーシングサルーンカーまで置いて、何かあまりピンと来ませんでしたが。
どうせならスポンサーしてるトヨタF−1とか持って来る方が。
それぞれの写真をクリックすると大きくなります。
2003年6月14日
本日と明日の日記はお休みいたします。
皆様良い週末を。