2005年5月前半の日記
by tom tanabe マグパイへ戻る
2005年5月13日
このところ我が家のPC達の調子が良くない。
僕のだけでなく、女房のもネットに繋がりにくくなる。
インターネット接続が安定せず、しかし全て同時におかしくなるのならプロバイダーの問題かとも思うのだが僕のPCが落ちている時には、女房のはブラウスできていたりする。
Event Viewer で調べてみると「System」のところで、やたら「エラー」が出てるんですよね。
そのほとんどがServices and Applications の「Computer Browser」のサービスに絡むものばかり。
多いのが「マスタブラウザ」関連のエラー(Event ID 8003)やバックアップリストが取得できないエラーで(Event
ID 8032)ある。
何でこんなにエラーが出まくっているのか分からず、検索したりして調べていたのだが、「これは」っていう理由が見つからない。
で、ひょっとするとまたルータ(ワイヤレス機能付き)がおかしくなったのではと考え始めた。
一旦ルータの電源を落としたり、リセットかけたりしたのだが改善されない。
試行錯誤している時に全てのPCで問題が出てない時や、僕の(又は女房の)PCだけ問題が出ていたり、又は全滅したり。
だいぶ古いルータだし、そろそろ替える時かなと「ジョン」の店に行ったら、そりゃ〜多分あのメーカーのルータに付いているACアダプターは「タコ」だからACアダプターを換えてみたらと一台貸してくれた。
で、さっそく家に帰って試してみると「おお!、全てのPCでインターネット接続が問題無くができるようになった」
何だ随分てこずらせやがって、結局ACアダプターだったのかとホットしたのもつかの間、今度はメールを受信できなくなった。
プロバイダーのサーバーから僕宛のメールを取りに行くと、応答無しのエラーや、なぜかパスワードを入力しなおせなんてメッセージまで現れる始末。
ACアダプターの交換で直ったと思っていたのにやっぱり別問題なのか、ルーター自体壊れかけてたんではないかとまた最初から弄くり始めた。
でも拉致があかない。
考えてみると、ACアダプターを換えてからはインターネットは全てのPCで問題無くできる。
しかしメールの送受信が出来ない。 全くできないかというとそうでもなく、問題無く受信したりすると思うと、ずっと受信中のアイコンが出たまま結局タイムアウトしてしまったり。
で、こりゃ〜プロバイダー側ではないかと思い電話をかけると、サポセンのオネーチャン、「インターネットが出来ているのならこちら側の問題ではない」なんて片付けられそうになったので、食い下がっていたら何と「当社のメール用サーバーが混む問題は把握している」なんて言い出した。
で、もっと追求していたら、そのサーバーの問題が出ているときにユーザーが送受信しようとするととても時間がかかってタイムアウトしたりはたまた認証入力をユ-ザーに求めてしまったりするというのです。
何だ、やっぱりうちの問題ではなくプロバイダーの問題なんじゃないかってしらけてしまった。
ちなみに僕の使っている「オプタス」の場合、ホームページにアクセスしてメンバーのページにログインすると問題発生案件や工事中の情報が掲示されているはず(べき)なのに、一切出ていない。
全くケシカランですな〜、危うく新しいルータ買って来てしまうところだった。
このように不具合を引き起こす要因が二つ(僕のルータのACアダプターとプロバイダーのメール・サーバー)同時に起きている時は、問題の原因を特定するのに本当に苦労するというか「煮詰まっちゃう」ですよね〜。
物凄く時間を取られてしまう。 今回もOSのCD-ROMから、サポートツールをインストールして、「Browstat
status」コマンドを使って、マスタブラウザの流れをチェックしてみたり、ほとほと時間を浪費させられてしまった。
で、結局メールの問題はいまだ解決されていないんですよね。
混雑していない時には、問題無く送受信できるが、時間帯によって負荷がかかってくると、エラー出まくり。
問題を把握しているのならサーバー修理するなり、アップグレードすればいいのに、ひょっとするとオプタスは儲かっていないから、ユーザーの文句を無視して古いままで放ってあるのかなんて心配になってきました。
それとも「サイバーアタック」でも受けてるんでしょうかね。
そんなわけで、もし僕宛にメールを出された方で、返事が無いなど「おかしい」と思う方は問い合わせください。
さて、PCの話題を書いたついでにもう一つ。
我が娘は来月からロンドンに住みに行く事になったのですが、今付き合っているボーイフレンドがいる。
付き合い始めてまだ(多分)2〜3ヶ月のようですが結構仲良くしていて我が家にも連れて来る。
僕は娘のボーイフレンドなどあまり関心が無いので(いやフリをしているだけかな)、普通はあまり口を利かないのだが、「こやつ」何と「マイクロソフト社」に勤務していると知って、急に興味が湧いてきた。
で、ある晩彼にMS社のどんな部門で働いているのか聞いてみた。
「コーポレート」相手の技術的なサポートの”ような”曖昧な言い方をするものだから僕はてっきりOSの仕様についても詳しいのだと思い、リモート・デスクトップについて僕が今経験している不具合の事をたずねた。
そしたら彼は、この一般ユーザー向けOSとしては、ウインドウズXPから組み込まれた新機能について知ってはいたが、僕の言う不具合がどんなものか理解できる程度。
よく聞いたら、どうやら彼はどっちかって言うとコーポレート関係の「営業」のような仕事をしていて、技術的な知識は「それなり」にある程度。
この僕が直面している不具合というのは、リモート・デスクトップにおいて、アクセスするPCとされる側のPCそれぞれの使用しているキーボードが違う場合文字化けを起こす事。
英語キーボードのついたPCからリモート・デスクトップ機能を使用して、日本語のキーボードがついているPCにアクセスしようとすると、ログイン承認のところでユーザーネームやパスワードが打ち込めない。
例えばユーザーネーム「Tom」と打ち込もうと「T,O,M」キーを押していくと全くデタラメな例えば「Y>#」なんて表示されてしまう。
「T」キーを押しているのに「Y」だったり「M」キーが#だったりもう完全にメチャクチャ。
でこうなるとパスワードなんてキーを打ち込むたびに表示は「●●●」と表示されていくので、不可能。
ちなみにこのリモートデスクトップ機能は、日本に帰った母のところにPCを一台置いて、この機能でオーストラリアにいる僕が母のPCにアクセスし、ネットミーティング(テレビ電話のような機能)を使おうと企んでいるから。
PCは全くお手上げの母なので、母のところに置いておくPCは全て僕がオーストラリアからコントロールしようということです。
スイッチを入れたり切ったりまでも、オーストラリアからウエイク・アップ・ラン機能を使ってコントロールしようかなと。
結局娘のボーイフレンドはこの問題について解決策を調べておきますと約束して帰っていった。
で、昨日また遊びに来た彼が一応「解決策(と僕は呼べないと思っているが)」を僕に知らせてきた。
内容は省きますが、こやつよっぽど僕がPCオタクだと勘違いしているようで、何とショルダーバッグ一杯の僕への「プレゼント」も持って来た。
見ると、「Visual Studio 2005」関連とか、「.net(ドット・ネット)」関係の開発者用ツールとか、分厚い書籍を含めて山のように有るんですよね。
僕は興味津々で目を輝かしていたら、そばにいた僕の女房と娘が「そんな物をパパに渡したら離婚騒動に発展しちゃうじゃないの〜」と冗談とも本気ともつかない調子でこやつに文句を言っている。
確かにLINUXに興味を持った頃には(RedHat)、コンソールに向って、モニターの前に根が生えたごとく、完全にはまってしまっていましたからね〜。
特に老眼が進んでしまっていたので、文字入力ばかりは結構きつかったです。 楽しんでいたけど。
そんなわけで女房も娘も心配しているわけで、僕は確かにとても興味は有るけど、こやつ何だか僕を買いかぶっているのではないかと。
多分彼は、僕が50歳を超えてから(1999年だったか)初めて自分専用のPCを購入した程度の初心者の上に、年齢的にも脳みそ硬くなりつつあるのを認識していないのではないかと。
まあ、好きでは有るのでウインドウズだけでなくLINUX(RH6.0〜、Mandrake、Knoppix)もかじったりしているので、勘違いしたのかな〜と。
それより僕はもうすぐロンドンに行ってしまう娘とこのボーイフレンド知り合ったばかりなのにどうなるんだろなんて事の方が興味が有ります。
では皆様良い週末を。
2005年5月12日
3月の終わりに日本に帰る前、この日記でも「日本に帰ったら是非美味しいラーメンを食べたい」って書きました。
ラーメン大好き人間なのですが、2002年に日本に帰った時には「情報不足で」満足できるのを堪能できなかった。
2002年に渋谷にある家電量販店で買い物をしていて、ちょうど昼飯時になったので、そこの店員のオニーチャンに「渋谷はラーメン激戦区とか言って、美味しいラーメン店がいくつか有るって聞いたのだけど、どこかお奨めの店ある?」って聞いたら、その店員だけでなく他の店員も含めて全く誰も知らなかった。
僕はラーメンは若い人に人気があるから何人かに聞けば絶対に知っていると期待していたのでビックリしてしまった。
仕方が無いので、多少歩けば「行列のできるような」有名店の一つくらい見つかるだろうと道元坂あたりを中心に結構歩き、道行く人や自転車で通りかかったお巡りさんにまで尋ねたのだが、誰一人として知らなかった。 いや〜ものすごくがっかりしたのをおぼえています。
で、今回はオーストラリア出発前にネットで色々検索して行った。
その中で「Mattun」さんというハンドルネームの方がやっている掲示板経由で、「ラーメン二郎」を知ったわけ。
色々調べるとこの「ラーメン二郎」、何か有名ラーメンチェーン店と一味も二味も違うんですよね。
また、同じ「ラーメン二郎」でも店によってかなり味が違うらしい。
つまりそれぞれの店の店主がマニュアル通りではなく自分の味を出そうと工夫しているらしい。
このラーメンを初めて食べて、格別「美味しい」と思わない人が結構いるが、しかし2度3度と食べると「病みつき」になるとか、量が半端じゃなく多いとか、何だかとても興味をそそられたわけ。
で、これは是非ともトライしなければと思っているうちに、このラーメン(というか日本のラーメンはどこもそうらしいが)かなりの量の「化学調味料」を使っている事がわかった。
それを見た途端に「大きな期待」が音をたてて崩れ始めたような気がしてしまったのだが、「Mattun」さんにその件で問い合わせたら、「関内にある二郎では、注文する時に”粉抜き”と言えば、化学調味料抜きを作ってくれます」とワザワザメールを送って来てくださった。
(親切ですね〜。 そしてネットって本当に便利ですね〜)
僕の妹は鷺沼に住んでいるので、そこに厄介になっている時に関内はセンター北駅から電車一本なので、偶然一番近いラーメン二郎が関内だったわけです。
母のために日本に行きほとんど山口県滞在が主だったので、東京にいる時に時間がなかなか取れなかったから。
で、母と一緒に山口から妹の所に出た時に、今日の昼はラーメンを食べに行くと言ったら母もついてくると言い出した。
関内のラーメン二郎店がどんな雰囲気なのか全く知らなかったが、しかし量は思いっきり多いと聞いていたので一瞬困ったなと思ったのだが、一緒に出かけました。
ネットで住所もバッチリ調べてあったので、簡単に見つかったのだが案の定行列が出来ていた。
母は僕がワザワザこのラーメン二郎を食べたいために関内に来たってあんまりよく分かっていないから、もし何十人も並んでいてすごく待たされたりしたら、他でもいいじゃないのとか言い出す恐れがあったのだが、しかしその日は人数が少なく5分程度待つだけで席があいた。
最初は二人並んでの席ではなかったけど、お店の人が気をきかして他のお客さんに頼んで移動していただいた。
「Mattun」さんからも、はたまた他の「ジローリアン(二郎のラーメンにはまっている人をこう呼ぶらしい)」の方のホームページを見ても、盛る量やスープの味(来い薄い辛いなど)の注文するタイミングが大切と聞いていたので、ちょっと緊張してしまった。
特に僕の場合「粉抜き」ってのも良いタイミングで言わないとすでに入れてしまってからでは手遅れだから。
で、聞いていた注文マニュアルには「ヤサイ増し」とか「辛目」や「麺固め」とかの声のかけ方は有ったのだが「粉抜き」はいったいいつか分からず、多分まだ僕の分を造り始める前から、声を掛けてしまったようです。
その上、母の分は麺少なめなんて言うのも「シュミレーションに入っていなかった」
そうそう、我が母は82歳になるというのに「脂っこい物」などは何でも来いっていう人間なので、食券を買う時に僕が聞かないのにチャーシューは大盛りで決めてるんですよね。
でもここのラーメンは背アブラバリバリ出し、チャーチューもメチャクチャ厚切りだって聞いてるって言っても「大丈夫よ」との事。
まあ何とか僕らの注文を聞いてもらえて、いよいよラーメンが出来てきた時には、写真を撮るというのをすっかり忘れてしまい箸をつけてから気が付いた。
ですから下につけた写真はできたてのでは有りません。
まず最初に一口スープを飲んだ感想は「予想していた日本のラーメンの味とはかなりかけ離れている」でした。
美味しかったです。 ほんの少々甘みが勝っているかなとは思ったけど、好きな味でした。 思わず目の前で作っているオーナーに「美味しい、オーストラリアから食べに来た甲斐が有った」って言ってしまった。
次に麺、これも想像以上に太かったです。
じつは僕はどっちかって言うと(スパゲッティーなども含め)細めの方が好きなのですが、このスープの味にはこの太さでしょうね絶対に。
麺というのは(パスタ類も)太さでスープ(スパゲッティならソース)の味のバランスがあるもので、このスープの味で麺が細かったらしつこく感じてしまうはず。
つまり麺が細くなればなるほど表面積が増えるわけだから、麺に絡みつくスープの味が強くなる。
スパゲッティー・ミートソースでもうんと細めのパスタを使う時にはミートソースの味付けひかえないと、しつこくなり過ぎてしまうのと同じ事。
この「関内ラーメン二郎」のは思いっきり「大陸的な味」でした。
つまりラーメンって和風スープヌードルだと思うのですが、ここのは和風って感じが全くしなかった。
だから日本(日本人には)では「好き嫌いが」強く別れるのではないかと。
さて僕は軽く「完食」母も麺は少し残したけど「チャーシュー(増し)」はすべて平らげていました。
さすが我が母です。 ちなみに母は昼間っから「ステーキ」とか平気で食べちゃいます。
それも一週間に数回でもオーケー。
食べに行った翌日「Mattun」さんからメールをいただいて、「二郎デビューお疲れ様です」なんて、何で僕が食べに行ったのが分かったんだろうってビックリしたら、どうも僕と母のカップルが珍しい、その上「粉抜き」なんていうお客が少ないからとか。
でもね〜、店の方が、「ご夫婦で来店した」って言われてたそうで、いや〜思いっきりショックでした。(泣)
そう確かに僕は頭髪真っ白だし、母はかなり若く見える方らしいので、オーストラリアでも時より間違えられる。
そういう時に母は大喜びで、僕はショックって、もう慣れちゃってんですけどね〜(笑)
「Mattun」さんお世話になりました。
↓もう食べ始めちゃってから気が付いて撮ったので盛とか分かりづらいかもしれません。
麺が結構太いです。 スープには背アブラがかなり浮いている。
2005年5月11日
先月の日本行きで、オーストラリアに持ち帰った「食品」について。
オーストラリアへ戻ってくる時に日本で買い求める定番の食品は「梅干 や漬物(主にシバ漬け) 海苔」などです。
オーストラリアの検疫は大変うるさい上に、しょっちゅう規制内容が変わるので、「これは確実に大丈夫」と思う物しか持って来れません。
今回妹のところに宿泊していたら美味い沢庵が出た。
もう少し正確に書くと、僕の考える「まっとうな味」の沢庵でした。
まだ日本にはこのような味の沢庵が有ったのかと、なかば諦めていた僕はすぐに買い求めオーストラリアに持って帰った。
日本を離れて長い僕には、日本での味の変化について行けない事がしばしば起こる。
数年前に「ノース・シドニー駅」の近くにある、日本人経営の焼肉レストランに出かけたときの事。
久し振りに日本人の作る焼肉が楽しめると期待して行ったのですが、確かにそこそこ美味いロースやカルビなど堪能できた。
ところが出てきた「キムチ」を一口食べた途端にあまりの甘さに驚いてしまった。
浦島太郎の僕は日本での味の変化を全く知らないから、「こんなに甘く仕立ててしまって!。何でも甘くしてしまえばオーストラリア人に受けると思って、まったく」なんて感じてた。
ところが日本に帰って、評判の有名焼肉店に行ったら何と全く同じ「甘いキムチ」が出てきた。
ですからシドニーの焼肉屋がオーストラリア人のために甘くしたのではない事は判ったのだが、同時になんでこんなに日本では何でも甘くなりつつあるのかと大いに失望してしまった。
その良い例が「沢庵」で、これはここ数年の事ではなく、僕がロンドンに住みに行った30年以上も前から徐々に「甘め」変化を始めた。
もちろんそのほうが日本では売れるからには違いが無いのだが、なぜ日本人の味覚が「甘い」寄りになっていくのかが、とても気になる。
日本人の味覚が鈍感になって、ウマミと甘味の差がわからなくなっているのかとも思った。(ちなみに感じでウマミを漢字変換すると甘みになる) だいたいオーストラリアの日本レストランではなんでも結構甘めで、テンプラのつゆ(ダシ)でもビックリするほど甘くしたのをよくみかける。
そう考えると日本人の「甘み」志向もひょっとすると、食の変化、つまり西欧スタイルの食事を頻繁に口にする機会が増え始めてからではないか。
じつはそれが理由だと数日前に「確信」したのです。
というのも上述の沢庵を日本から持ち帰って来たが、オーストラリア帰国以来一ヶ月近く経つのだが、なかなか米の飯を口にするチャンスが無かった。
で、女房がチキンとマッシュルームのクリームソース仕立てのパイとビーフパイを買ってきて夕食にすると並べ始めたので、せっかく日本から持って来た沢庵を食べたかった僕は、全く「似合わない」取り合わせなのだが、切って食卓に並べた。
並べている時に一切れ口に入れたら美味い沢庵が口の中に広がって、持って帰って来た甲斐が有ったと思っていた。
ところが、いざ女房の用意したパイなどを食べながら一緒に沢庵を食べ始めたら、何と思いっきり沢庵が「塩辛く」感じるのですよ。
だいたい、チキンとマッシュルームのクリーム仕立てパイと沢庵を一緒に食べる僕は「変人」かもしれないですが。
食事の前に一切れつまんだ時には全く塩辛いなんて感じなかったのに。塩が強過ぎるように感じて、それ以上食べられなくなってしまった。
で、あるいはと思い、冷凍庫から飯を引っ張り出し、電子レンジで「チン」をしてその沢庵といっしょに食べ始めたらまた美味い「沢庵」が戻ってきた。
そう、昔のように素朴な日本的なオカズに多目の白米を食べながらというシチュエーションならえらく美味いんですね。
ですからこのような昔ながらの味の沢庵が、甘い沢庵に駆逐されてきたのは、日本人の食生活の変化、特に戦後の西欧化なんですね。
何だか考えたら当たり前の事なんでしょうが、僕にはなぜ日本の食べ物が「甘化」するのかずっと疑問だったわけで、日本人がウマミと甘みを混同し始めているかと疑っていたのですがどうやら違ったようです。
そう言えば戦前の握り寿司のシャリは今よりもっと塩がきつかったって聞いた事がある。 握り寿司でさえ変化をしているわけで。
しかし、キムチの甘いのは絶対に美味くない!。
焼肉の味はそれほど変わっていないはずだし、いまだシドニーにある韓国人経営の焼肉屋で出てくるキムチは甘くないです。
大量の化学調味料が入っているのは間違いないですが。
80歳になる韓国人のおばあさんが手作りのキムチを僕にプレゼントしてくれた時に、「私は化学調味料は一切使いませんから、お店で買うキムチより一口食べた時には美味しく感じないかと思います」とおっしゃったので、あらためて、市販のキムチには大量の化学調味料が使われている事を知った次第。
やっぱり中華、韓国、日本系の食べ物で「化学調味料」は避けて通れないのかもしれません。
化学調味料と書いていて、日本で食べたラーメンの事を思い出しました。
それは明日の日記に書きます。
2005年5月10日
今日は携帯電話の(文字)メールについて。
3年程前、父の死去に伴って日本に帰った折、電車の中で多くの人が携帯電話に向って黙々と文字を打ち込んでいるのを見て、ビックリした。
当時、オーストラリアではメールも送受信できる携帯が日本ほど普及していなかったのもあって、僕にとっては「見慣れない」光景だったから。
僕のように老眼が進んでしまっている人間には、「PDA」などでも非常に見づらく、購入しようという気になれない。
ましてや携帯は「話すもの」と理解しているので、何もあんなに必死で小さな画面に向って文字を打ち込まなくても良いのにと思って見ていた。
そういうテレビコマーシャルもやっていましたな〜。
関西のお笑いタレントが「携帯電話は喋るもの、何であんなに必死で文字を、、、、」というような内容だった。
しかし僕にも文字メールの楽しさや便利さは分からないでもない。
また、相手が電話に出られない状態の時などは大変便利でもある。
最近では携帯電話で電子メールチェックやホームページを読んだりもできるようで、それには大変興味があるし、実に便利であるのは承知している。
友人の武田君から僕のパソに来る電子メールも、最近では90%が携帯からになっている。
さて、今回日本に行った時に電車の中では3年前よりも携帯を使用している人が減ったように見えた。
車内では携帯は切れというサインも目についた。
そのサインを無視して電車の中で大きな声で携帯で喋っている人にはたった一度「田園都市線」に乗っているときに遭遇しただけだった。
50歳前後の「オバサン」で、もう全く周りを無視で、彼女の話す内容からどこかの会社に問い合わせの電話をしているようだった。
けっこう長く喋っていた。
そうそう3年前には、どこの路線だったか忘れたが、電車に乗り込んで来た女子高生(時間から下校時)数名が制服のまま「床にアグラをかき」、化粧したり携帯でメールを打ち込んだりという光景を見たが、今回はこれは無かった。
女子高生が制服のまま電車の床に座り込むってのはひょっとしたら、「流行」とかもあったのかもしれない。
さて、携帯電話に文字入力は、オーストラリアでは英文しか送れないから、キーの数字に割り当ててあるアルファベット、例えば「1」のキーには「A
B C」「2」のキーには「D E F」と有って、それぞれを選ぶ。
日本の携帯の場合は、日本滞在中にちょっと見せてもらった程度でよく分からないが、ひらがな入力し変換キー操作などをして日本語を打つようである。
僕など全く慣れないせいか、英文でも四苦八苦してしまう。
主に親指だけを使うというのがどうも苦手。
しかし速い人は、何文字も即座に打ち込めるようで凄いと考えていたら、面白い新聞記事を発見した。
http://www.timesonline.co.uk/printFriendly/0,,1-2-1571664,00.html
↑、一昨日のシドニーの新聞に、通信速度を競うコンテストがオーストラリアン・ミュージアム主催で行われたという記事。
↓これは日本語のサイトで上のサイトの解説
http://slashdot.jp/article.pl?sid=05/05/07/2128217
無作為に選んだ文章をいかに速く遠隔地に伝えるかを競うコンテストで、携帯メールで送った少女を18秒差で抑えて優勝したのは、何と93歳になるモールス信号の通信士だったと。
その信号を受けたのはこれまた高齢の82歳で、優勝のゴードン・ヒル氏は1927年にモールス信号を習得し、オーストラリア・ポスト(郵政省)に勤めていたそうですが、いや〜93歳の高齢でもモールス信号ってそんなに速く文字を打てるんですね〜、知らなかった。
で、19世紀に生まれたモールス信号に取って代わったのが電話で、やがて電話は携帯電話という、とても便利な物が主力になりつつあるわけだが、同時に携帯で文字を打てると(文字)ようになると、携帯メールを使う人が増えた。
慣れてくると、物凄いスピードで文字入力できるのも知っている。
しかし93歳のジイサンが13歳の「携帯バリバリ」の娘に勝ってしまうのは、いかに携帯での指一つによる入力が能率が悪いかでもあると思う。
こりゃ〜今の入力方式が悪いんじゃないのかと僕は考え始めた。
トン・ツーに負けちゃうんですから。
で、僕は考えました。
まず携帯の「入力方式」をいくつか用意して、ユーザーに選ばせる。
従来方式と新しい方式(後述)を、PCのカナ入力とアルファベット入力の切り替えのようにユーザーの好みで選べるように。
で、新入力方式だが「モールス信号方式」というようなものを考えた。
つまりモールス信号の「トン(短い音)」を一瞬キーバッドを押すのにして「ツー(長いほう)」をちょっと長めにパッドを押す。
もしくは、2キーパッド方式にして片方が「トン」専用、残りは「ツー」専門にする。
もちろん携帯に組み込まれたソフトは「トン・ツー」と打ち込むと即文字に変換するのは言うまでもない。
93歳のジイサンがトン・ツーで勝てちゃうんですから、携帯もこの「トン・ツー」方式にしたら画期的に速度向上すると思うのですが。
こういうアイデアってパテント取れないのかな〜?
ってここまで書いて気が付いた。
ひょっとするとこの日記を読んでいる若い人は「モールス信号」も知らないのではないかと。
「トン・ツー」なんて「何言っての?」といわれてしまうのかも知れない。
2005年5月9日
週末の土曜日に我が家で「ガレージセール」をしました。
最後にやったのはいつだったかと、自分のホームページをGOOGLEで検索したら2002年7月11日〜12日でした。
で、その自分の日記を読んでいたら、2002年5月に他界した父の荷物の整理が目的でやったのを思い出した。
そう、今回も我が母が日本に帰ったので大量の荷物(と言うよりジャンク)が有り、整理しなければならなくなったから。
もちろん母の物だけでなく、我々の必要無い物も整理したわけだが、ガレージセールはこういう目的にはとても便利です。
娘も来月の終わり頃にはロンドンに引っ越すので、彼女の売りたい物も持って、売り子のお手伝いに来ました。
でも僕は「接客」が大の苦手で、たとえガレージセールといえども好きではない。
で、売るのは女房と娘に任せて、ほとんど家の中に引っ込んでおりました。
外で忙しく接客している女房達から、「お茶入れて〜」とか昼時には「腹減った〜」コールで、たまに出て行ったんですけどね
で、二人をキッチンから眺めていると、もう凄く「イキイキ」とやっているわけ。 お客が入って来る度に「ハ〜イ」なんて声かけて、もうまるで水を得た魚のごとく。
つくづく僕らがロンドンに住んでいる頃を思い出してしまった。
僕がロンドンでやっていたビジネス(ファッション関係)の繋がりで、女房がロンドンは「キングスロード」にお店を出したのは1976年だったか。
場所はキングス・ロードの「ワールズエンド」側、Beaufort
Market、あのあたりは1970年代初頭からロンドンファッションの発祥の地でした。(60年代はカーナビー・ストリートの方が有名だった)
当時僕も日本でやっていたお店のためにロンドンで服の仕入れをしていたわけですが、仕入れというのは「買う立場」。
だから接客苦手な僕にも勤まった。
しかし、売るのは全く下手なので、その女房の店でも一度も手伝った事は無かった。
女房はまさに生き生きと、まるでパーティーで楽しく話しているがごとく、初対面のお客相手に「談笑」しながら商売をやっていました。
先週土曜日のガレージ・セールを見ていたらそれを思い出してしまったわけだが、娘も女房に似て結構「接客業」はうまいようです。
白衣着て、医学研究所で癌細胞の研究なんてやっているのは、やっぱり似合わないのかな〜と。
それもあって、娘はロンドン行きを決めたのかもしれない。
さてその晩女房に、「パディングトンあたりでお店でも出したら? とても楽しそうにやっていたのを見ると、天職かもしれないよ」と言ったのだが、本気では聞いていなかったようですが。
娘は前からブティックやりたいって何度も言っていたのは知っているが、売る才能よりも、仕入れの才能(つまり次のシーズンはこれが売れるって見きわめる目)に僕は疑問を抱いている。
いくら売るのうまくても、「クズ」並べているだけならお客が来ないから。
はっきり言って、マスプロダクションの服を扱うなら、売り方がとても大事だが、娘のやりたがっていた店の形態というのは、個性のある他に無い店なわけで、これは何を売るかで99%決まってしまう。
本当に面白い、他の店ではなかなか無い物を扱えるなら、売り子を黙って座らせていても売れる。
僕が日本の原宿で最初の店を始めた時には、当時似たような店は他に全く無かった。
つまり売ってる商品(品揃え)がとても珍しいものばかり。
ロンドンの若手デザイナーの服だけでなく、古着も混ぜて売っていた。
古着というのは、例えば膝のところが穴が開きそうなリーバイス・501とか、今ならヴィンテージとか言ってコレクターの間では何十万円もする物です。
最初に店をオープンしたら、菊池タケオ氏(当時はBIGIをやっていた)が見に来て、そのボロボロの501を9800円で売っているのを指差して、「タナベちゃんこれ本気で売ってるの?」と言う。
つまり、「こんなボロボロの服はゴミ捨て場にあるならともかく」って思ったみたい。
つまり当時の日本には「人の穿いた古い服」を売ったり買ったりという、感覚が全く無かった。
(唯一、ヴィクトリア時代のドレスとかをアンティークという感覚で扱っている店は有ったと思う)
今ならヴィンテージ501の「9800円」は驚異的に安いのでしょうが、当時はそんな物を売ること自体驚かれた。
501と言えば、今これを書いていて思い出した。
その「ヴィンテージ・リーバイス501」、確かにすぐには売れず、店に遊びに来てくれた友人のテレビコマーシャル監督に買ってもらった。
彼が最初に501を買ったお客さんだったのを思い出した。
1973年のことです。 僕はまだ日本に住んでいて、買い付けにロンドンに行き仕入れていた。
すぐに、店が店が大繁盛になってしまい翌年ロンドンに住みに行ったわけ。
他にとても人気のあった商品では、デッドストックと言うのを扱っていた。もちろんこの手の商品も日本で扱うのは僕の店だけでした。
デッドストックとは(僕が扱っていたのは)、例えば1950年〜1960年代の服がそのまま売れずに倉庫に眠っているのを探し出し、仕入れる物。
古いけど、誰もまだ袖を通していない服。
例えばロックンロール・ルックのドレス。
スカートの下にはレースのチュールが何段にも重ねられているようなものとか。
人のアイデアをマネるのは日本の癖で、僕がロンドンに住み始て何年もしないうちに、僕の店のアイデアをコピーした店が何軒も原宿周辺に出現したものです。
マネっ子の店の中には上記のような古着を扱う店、三浦某の経営した「フルハム・ロード」もありました。
って、何だかとても話が飛んでしまってますな〜。
娘がどれほどの期間ロンドンに住みたいと考えているのか知らないけれど、かの地で何かアイデアを得て、オーストラリアで店をやりたいと言い出したら考えてやってもいいかなと思い始めました。
そしたら女房が娘に協力して「イキイキ」とできるから。
「先生業」を隠居してからテニス以外はあまり興味のわくものが無いみたいなのです。
結局、先週末のガレージ・セールは大成功。
予想以上の売上があったようです。 メデタシメデタシ。
その晩は女房に食事に連れてってもらいました。
2005年5月6日
昨日医者に行って、肩の手術のための外科医(執刀医)宛てに紹介状を書いてもらおうとしたら、もう少し「コーチゾン注射」の治療をやった方が良いのではと言われてしまった。
日本に行く前にこの注射を受けて変な副作用が出ただけでなく、日本の友人達にも「副腎皮質ホルモン系」の注射はかなり危険を伴うと言われ、僕としてはもう注射は受けたくない。
またアーチェリークラブの(同年代の)人の話で、3回も注射を受けたが結局手術しかなかったというのを聞いても、僕自身はすぐにでも手術を受けたい。
しかし僕の担当医は、紹介状を書くのを拒むつもりは無いが、執刀医に行っても「注射治療などでもう少し様子を見るべき」と言われる可能性が高いと。
「コーチゾン注射」なら僕の担当医の管轄で、メスを入れるのは外科医の領分なので、「コーチゾン注射」治療で儲けるには、外科医にすぐに渡さない方が良いと考えているかもしれないし、はたまた手術が僕が思っているほど軽い物でなく、万が一失敗したらなんて危険が伴うのだろうかとか、色々考え迷い始めてしまった。
一応、紹介状は書いてもらったので、後はいつアポを取るかは自分次第なのですが、僕の担当医の言葉が妙に気になります。
まあ弓をもう辞めれば、肩の手術なんて全く必要無いんですけどね。
でも辞める気は今のところさらさら無い。
さて医者からの帰り道、空に妙な雲が広がっていて、よく見ると山火事の煙のよう。
今は山火事のシーズンでもないし、ひょっとすると我が家の近くで火事でもと、帰宅後屋上に出て見たら、ミドルハーバーのあたりから煙が上がっている。
これ↓がその写真です。 テレビのニュースを見たらどうやら「野焼き」らしい。 それにしてもこんな時季に? 大体こんな大掛かりな野焼きの煙は初めての経験なのでデジカメに収めてみました。
![]()
↑クリックすると大きくなります。
これが我が家からのシドニーハーバーの眺めです。
シドニーハーバーの事を書いたついでにもうひとつ。
交通緩和策のために、シドニー・ハーバー・ブリッジを2階建てにという計画を読んで、つくづく「シドニー市の膨張」を痛感するわけですが、その計画が良いアイデアかどうか、また必要かどうかよりも、もっと基本的なところで間違っているような気がします。
日本でもおなじみのシドニー・ハーバー・ブリッジの混雑解消のため熊谷組の手でシドニー湾の底を通るトンネルが建設され(完成は確か1992年)はや13年経つわけだが、今や「第三の手段」が必要になっているらしい。
らしいというのは、朝夕の渋滞は承知なので僕はできる限りその時間帯にブリッジもしくはトンネルに近づかないようにしているので、どれほど酷いかはもう随分永い事「体感」していないから。
で、今回のアイデアは現在の走行車線の上にもう一つ増やして、上下二段の車線にしようという事らしいが、古いハーバーブリッジ自体がこの新たに増加する重量に耐えられるのか等のテクニカルな事については、大学で土木工学を学んだ僕には興味ある。
しかしもしそれが実現してもシドニーCBD (Central Business
District
)に流入する車の量を増やすだけではないかと心配するわけ。
交通量だけの問題でなく、例えばここ数年の雨不足によって、厳しい給水制限を受けているシドニー、人口増加は上下水道問題に拍車をかけている状態。
混雑する部分(橋周辺)だけに対策を講じても、根本的な問題解決にならないと思う。
いっその事、ロンドンのようにCBD (Central Business District)に車で進入するには料金を課すような処置が効果的なのではないかと考えます。
「何事にも料金を課す」という考えには肯定的でないのだが、シドニーCBDなんてワザワザ車で出かける必要性って考えられない。
昔僕がCBDに事務所を構える税理士に頼んでいた頃は、常に電車かバスで出かけていた。
しかしシドニー周辺の一般道路においても有料の場所が増加しているのには、危惧してます。
例えば我が家から北側に出かける場合、バスや電車は非常に不便、どうしてもマイカーを使わなければならない。
ところが今建造中のシドニーCBDを迂回するトンネルの一部は、我が家から北側に抜けるルートも有料にしようとしているらしい。
たった1キロにも満たない距離に高額な料金をかけ、その上ブリッジの料金もかかる訳だから、しばしば北側に行く必要のある人にとっては痛手になる。
シドニーのあるニューサウスウエールズ州は人口増加に伴う道路などのインフラ整備を民営化しているわけだが、それに伴い有料道路がどんどん増え、ちょっと出かけてもかなりの料金がかかってしまう事態が加速されているようで心配です。
シドニー市の膨張を市政府が扱いかねて、民間にどんどん任せているわけだが本当にこれで良いのか。
シドニー空港までマコーリーバンク系の会社に売られてしまったのですが、なんとこの会社、日本にまで食指をのばし、日本の道路まで買ってるんですよね。 今回の日本行きでそれを知ってビックリ。
では皆様良い週末を。
2005年5月5日
2004年12月1日の日記に猫をトレーニングして人間のトイレ(便器)で用を足すようにさせる話を書きました。
最近そのアイデアから商品が開発されて、猫用トレーニングキットが販売されているようです。
http://www.litterkwitter.com.au/
↑このサイトを見ると、僕の日記の中の「トレーニングその3」で使う猫用リタートレイの丸いのを探す必要が無い。
便座にすっぽりはまる薄いブルー色の便座カバーとそれにはめ込む3種類(色別)トレイ。
で、最初は赤から始めて薄茶色、緑色と換え、最終的にははめ込む部分を使わない、もしくは便座カバーまで取ってしまうようです。
この話をしていたら、友人の中には猫に人間用を使わせている人がいて、彼女いわく猫にもよるけど「トレーニングはあっけないほど簡単に成功した」との事。
猫ってけっこう頭いいのかもしれませんな。
絶対に犬よりバカだと思っていたが。(猫好きの人ごめん)
しかし考えてみると、昔ロンドンで飼っていて、一緒にシドニー引っ越して来たオスのペルシャ猫は賢かったです。 名前は「ボーヤ(BOYA)」。
母親の「デイジー」と2匹飼っていたのですが、知能指数は母親の何倍、いや何十倍も上であるのは間違いなく、色々な芸を仕込めた。
猫は芸をしないというけれど、「BOYA」の場合は餌などを使わずとも簡単に覚えさせることが出来た。
まるで犬のように、紙や銀紙を丸めたピンポン球より小さ目のボールをつくり、投げて「フェッチ(取って来い)」と言うと、走って取って来る。
このゲームはいたく気に入っていたみたいで、自分が遊びたくなるとこのボールをどこからかくわえて来て、「遊ぼう」と催促する。
逆に僕が遊んでやろうと寝ている「BOYA」を起こして「Where
is the
ball?」と声を掛けると、自分でそのボールを捜しに行く。
まるで犬でしょ。

↑両方ともロンドン時代のアナログ写真をスキャナーで取り込んでみました。 イマイチ(特に右側)はボケていますが、お許しを。
左は「BOYA」が背中を下にゴロゴロしているところ。毛むくじゃらです。
右は我が家の裏のお隣の屋根に二匹で遊びに行っているところを撮影したものです。
上が白いのが母猫の「デイジー」
この写真を久し振りに見ていたら、Addison Avenue
(ロンドン)に住んでいた頃を思い出してしまいました。
さて、猫のトイレの話を書いたついでに。
女房の古くからの友人、僕の日記にもたびたび登場する「メグちゃん」が久しぶりに遊びに来た時の事。
彼女は現在、出版社の依頼でオーストラリアの女流画家「Margaret Olley」のバイオグラフィーの製作中。
取材開始からすでに2年近く経ち、このところちょっとスランプ気味で我が家に息抜きに来た。
一体何ページのバイオグラフィーが完成するのか知らないけれど、いや〜僕だったらそれほどの持続力は絶対に出てこないでしょうな。
同じサブジェクトを書き始めてせいぜい半年も続けたら飽きちゃって。
長〜い取材と調査を経て書き始めているわけですが、今が大詰めに来ているらしい。
で、我が家でお喋りしている時に猫のトイレの話から、昔僕の日記で書いた「男の便器の使い方」に話題が移った。
で、僕は自宅や友人宅においては「小」の場合も座って用をたすと言ったら、彼女思いっきり嬉しそうな顔で「トムは偉い!」なんて言うんですよね。
随分オーバーに喜ぶなとは思ったのだが、彼女の話を聞いていたら気持ちが判るような気がするので少々書いて見ます。
彼女は独身でご両親が亡くなって以来ずっと一人暮らし。
付き合っている男性もいたのだが、結局現在まで独身を通してきてこの年齢(我々と同年です)にまでなると、これが結構カンファタブル(安楽)というか、その方がストレスの無い生活になっちゃうのですよね。
その気持ちは僕もわかるような気がする。
で、女性一人の生活ですから家の中はとても奇麗で、いつもきちんと片付いている。
で、そういう生活の中でたまに家でパーティーなどをやると、特に汚れるのがトイレなのだそうで、これには本当に耐えられないという。
というのも普段は家にいない男どもが来て、ほとんどが立って用を足す。
トイレを汚すだけでなく、使い終わったら便座カバーを上げたままだけでなく、便座まで上げたまま。
つまりトイレを使った後にちゃん便座を下ろし蓋を閉めない男が多い。 だいた男どもは立って用を足す場合に、女性のように紙を使わないから最後の方は「最後の数滴」のためにイチモツを振っているはずで、立っていたら絶対に飛び散るはずであると言う。
何だか聞いていて随分と普段から腹に据えかねているようで、だから僕が「座って用を足す派」と言ったら大いに嬉しそうだったのですが、確かに男性は最後の方は振りますよね。
今日は猫のトイレトレーニングのはなしからずっとトイレがらみの話になってしまいました。
食事中の方はお許しを。
2005年5月4日
シドニーは朝夕冷え込むようになってきて、ちょうど僕が日本を発った4月中旬の頃の陽気。
昨日母に電話を入れたら「結構暑い」との事なので、ちょうど季節が逆転し始めているようです。
さて、本日は弓の稽古日なのですが、明日医者に行って「肩の手術」の申し込みもあるし、昨日はDELLコンピューターから「お買い上げのPC明日配達します」と電話が入ったので、リバプールには出かけませんでした。
そう、先日DELLのノート型PCを「衝動買い」してしまったのです。
それが本日届いたわけ。
注文した後に「本当に必要だったのかしら」と何だか嫌悪感に陥っていたのですが、まあ色々購入理由をこじつけで書いてみると。
まず、現在使用中の東芝ノート「サテライト」が古くなりすぎた。
ちょうど5年前に購入したのですが、セレロンの400Hzってのはやっぱり「トロイ」んですよね。
じつは今回の日本行きの時にもこのノート持参したのだが、非常に「もたつく」。
妹の家には最近ADSLでワイヤレスも含むLANが導入されていて、僕のノートも繋ぐ事が出来た。
いちいち妹の家のPCを借用する必要が無く、これは非常に便利で日本に持参した甲斐は有ったのだが、何しろ「のろい」。
その上、ついているハードディスクの容量もたった6ギガしかない。
ドッグイヤーといわれるPCの世界では5年前は7倍の35年前に相当するわけで、今時6ギガのハードディスクなんて非現実的なんですよね。
中でパーティションで別けて(CドライブとDドライブ)ウインドウズ2000をインストールしているわけだが、先日メールをチェックしようとしたら「ノートン」がCドライブの空きが少ないって警告を出し始めた。
ビックリして調べてみると何と!とたった18Mbメガバイトしか残っていない。
慌てて、必要無いものを削ろうと見たが、ほとんどが必要な物ばかり。 できる限りDドライブに移せる物は移動させてあるので、これ以上減らしようが無い。
で、しかたなく、Adobe(アドビリーダー日本語版)やF-1のラップタイムをリニアで見るための「Java」ランタイムアプリケーションを捨てなければならなかった。(泣)
まあハードディスクの容量の問題なら、それだけ購入すれば、今なら40ギガ程度で2万円も出さずに購入可能では有るのですが。
しかし「のろいCPU」は交換というわけには行かない。
こりゃ〜、そろそろ新しいのが必要な時期かなとは考えていたが、ノート型PCを持ち歩く仕事をしているわけでもないし、はたまた旅行に行く予定も今のところ無い。
家にいる時にはデスクトップ型があるわけだから慌てて買う必要は無い。
しかしそんな時にたまたま目に入ってきたDellコンピューターの「今なら1000ドル引きに、プリンター・スキャナーとUSBメモリー・キーも無料でつけます」の新聞広告。
こりゃ〜安い!!!って、そのままネットにアクセスして衝動買いをしてしまったわけ。
もう少し良く調べてから買えば良かったのではないかと考え始めたのですが、まあDELLの製品を購入している限り価格的にはあまり間違いは無いと思うのですが。
一応今回購入したスペックは、Inspiron9300 PentiumM at770 動作クロックはMでは最速の2.13Hz。
これに1024Mbのメモリー、モニターは17インチワイド画面のやつです。
OSはXP-Pro
ちなみに僕はオーストラリア在住なのでオーストラリアのサイトからオーダーしたわけだが、日本のDELLにアクセスして値段を比較してみたら1豪ドルが100円計算ならほぼ同額だが、現実的な換算レート80円ではこちらの方がその20円分、つまり小売価格で約6万円の開きが出てるようです。
ただし日本の方がサポートサービスが上のようですが。
届いたDELL、さっそく使ってみたが、なかなか良さそうです。
しかしCドライブだけでは何かあったときに面倒くさいので、近日中に再インストールしてパーティションを切りなおさなければと。
2005年5月3日
PC屋のジョンの店にUSBのハブを買いに行ったら、いつもそこで油を売っているハッカーのリンゼィが僕を見つけて、「終戦後日本に進駐したマッカーサーが、日本(人)は精神年齢12歳であると言った」なんて言い出した。
こやつが唐突にこのような事を言い出す場合は何か議論をしたい時と決まっているのです。
中国での対日デモのニュースはオーストラリアでも大きく取り上げられていたので、リンゼィは久し振りにジョンの店にやって来た僕を見つけて「飛びついてきた」わけです。
こいつは僕より確か2歳か3歳年下、つまりほぼ同年代のずっと独身を通している「一応」オーストラリア人である。
「一応」と書いたのは決してこやつが平均的なオーストラリア人とは思えないからである。
東ヨーロッパの国から幼少の頃両親に連れられて移民して来たのは、本人の口から聞いたことがある。
かなりアナキーな生き方に憧れているのか、オレは「タックス・ファイル・ナンバー(納税番号)も持っていないし、国民年金だってもらう資格は無い」とか誇らしげに言っている。
ひょっとすると、たまにいる「英語しか喋れない移民の子」で、母国なんて見た事も無いのに、頑なに「オーストラリアの国籍は取らず」っていうタイプかなとも思う。
こいつが政府批判等をネット上で公開しているらしく、書いた論文(?)を頼みもしないのに毎週のように僕に電子メールで送りつけてくる。
読みたければネット上で見るからワザワザ添付の電子メールで僕に送らなくても良いと言うのに非常にしつこい。
そんな駄文を書くのが趣味だけあって確かに「日本の事」だけに限っても平均的なオーストラリア人よりは知識が豊富ではある。
たいした事無いけど。
今回の中国問題でも原因について「小泉が靖国神社に参拝したり」「日本の教科書はどうのこうの」とよく知っている部類には入る。
僕も昔は彼とよく議論していたのだが非常に独善主義的な面があり、例え自分の知識が間違っていてもそれを絶対に認めない、はたまた下手すると日本人の僕に日本の文化などについて講義しようとしたりするので、ヘキヘキしてしまう。
日本に行った事も無いくせに、せいぜい書籍などで齧った程度の知識を振り回すタイプで、話していても疲れてしまう。
そのリンゼィが、今中国で起きている対日デモが面白くてしょうがないといった風で、僕に議論を吹っかけてくる。
まるで「対岸の火事」見学って態度がミエミエなので不愉快ではある。
しかしいつもジョンの店で一緒になるわけで無視も出来ないので、色々と話すのだが、彼が言うのはほとんどがオーストラリアにおけるメディア(テレビなどのニュース)の受け売りで、特に目新しい事もないし、彼なりの捉え方も見えて来ない。
だいたい中国での教育の中にどれほどの「反日」思想が盛り込まれているのか、はたまたそんなもの無かったのか。 僕だって現地に行った事はないのだから判らない。
もし反日教育が現実に行われてきていたのなら、その長年にわたる下地なども考慮した上で現在の状況を捉えないと本質は見えてこないわけで、日本の国連安保理常任理事国入り、靖国参拝問題や教科書問題というのは原因の一部に過ぎないと彼に話す。
デモに参加する中国国民を見ていても、どこまでが中国人民の自主的な行動なのか、裏で糸を引いているのが誰なのか、よ〜く見ないと判断を誤るでしょうな。
昔アメリカで「反日運動」が起きた。
安い日本製品がアメリカに入ってきて自分達の職が奪われた、会社が倒産したなんて、日本製の車や電化製品を皆の前でメチャクチャに壊したりしておりました。
日本(日本企業)のために自分や家族の仕事が無くなってしまう、収入が無くなってしまうというようなことでデモに参加するなら非常に判りやすい。
しかし平均的な中国人が他の国の教科書に書かれている内容について気に食わないから「血相を変えてデモに参加して日本国旗を焼き払い」なんてのは僕にはちょっと理解できない面がある。
よっぽど反日の教育を徹底的に受けてきた人間ならわかるが、平均的なレベルってもっと無関心なはず。
その辺の本質もよく見きわめた上で、「日本的なものの見方」を捨てて対処すべきだと思っています。
日本的なものの見方、つまり僕の日記で何度も書いているように「日本の常識は世界の常識ではない」のです。
ちなみにあるモータースポーツのメディア関係者が上海に出張が決まった。
まだ上海でのデモは起きていなかった時のこと。
日本人に被害が起きる可能性もあるというので心配して上海に出かけ、現地の中国人のスタッフと打ち合わせに入った。
で、日本を発つ前に「デモ」のニュースで気になっていたと話すとその中国人スタッフは「何のデモだ?」なんて逆に聞いてきた。
ビックリして、現地でテレビニュースなどを見ていたが全くデモの事など報道はしない。
不思議に思って宿泊先のホテルで海外向け「NHK」を見たら中国でのデモを連日報道している。
つまり中国政府(メディア)は全く無視しようとしているのか。
で、彼が日本に帰国してすぐに上海でもデモが起きるようになった。
寸でのところで助かったなんてこの日本人モータージャーナリストは書いていますが、そんなもんなのだろうか。
相手の中国人スタッフだってモータースポーツ専門とはいえジャーナリストのはず。
不思議ですね〜。
ちなみに我がシドニーでは中国系による反日デモはまったく起きていません。
人類の坩堝オーストラリアでは中国系ってかなりな割合になると思うんですが。
結構気にして、テレビ新聞など注意して見てるんですけどそれらしい動きって無いですね〜。
オーストラリアの中国系はノンポリが多いのか。
はたまた「ノンビリ」したオーストラリアの風土が関係しているのだろうか。
2005年5月2日
今朝のシドニーモーニングヘラルド(新聞)で近所の怪人「レネ・リブキン(Rene
Rivkin )」の死を知って、驚いております。
僕の日記にも何度か登場した彼は、昨日「自殺」してしまった。
酷い「鬱」状態になっていたらしく、昨年にも自殺を図ったらしい。
昨年の自殺未遂では「彼の事だからどこまで本気か」なんて僕は考えていたのだが、とうとう永遠に帰らない人になってしまったのを知って、何だかショックです。
ご近所であるだけでなく、彼の息子と我が娘が同じクラス(幼稚園)だった関係で、1980年代から彼の動向は気になっていた。
まだ僕らの愛犬ハナちゃんが生きていた頃には、彼の奥さんが犬を連れて公園に散歩に来た時など、我が女房は言葉を交わしたりしていた。
昨日彼は母親のアパートで自殺したらしいが、彼の父親も自殺しているし、彼の弟も事故死と、残された87歳の母親が可哀相ですな〜。
彼の死を考えると、「Money could not make him a happy man
(金で幸せは買えない)」ってつくづく思ってしまう。
何しろ「拝金主義者達」にとってはある意味「ヒーロー」のような存在だったから。
中国生まれのロシア系ユダヤ人の彼は1代でのし上がった。
メディアにしばしば登場した「蓄財系セレブ」の彼は、日本で御馴染みの「ホリエモン」のように、1980年代から「俺はこれで儲けた」的な出版物を始め、蓄財コンサルタントなど自らの証券会社を舞台に大いに彼自身の蓄財に勤め、優雅な生活を誇示していたが、結局それはうわべだけだった。
インサイダー取引や秘密のスイス銀行口座など、ここ数年は自ら撒いた火種を消すのに必死だったが、実刑判決も受けていた。
今これを書いていたら彼の友人から電話が入った。
ダブルベイで不動産屋を経営するこの男としばし「レネ」について話す。 「メディアに押し潰された」とこの男は言うが、しかし「レネ」はメディアを利用していたのも確かだった。
「金儲け」に一生を捧げた男「レネ・リブキン」享年60歳。
さて、
福知山線脱線事故の大惨事の後、線路に置石をする「大馬鹿ヤロー」が続出しているようです。
こういうことをしてしまう人間の神経が僕には理解不可能なのですが、当然今回の大惨事を知っての犯行でしょうから、殺人未遂なども含め、重罪として取り扱うべきでしょうな。
最高刑は無期懲役くらい厳しくした方がよい。
じつは僕らが子供の頃に、電車の線路に5寸釘を置いて平らに潰してもらい、ナイフ代わりにしている友人がいて僕は羨ましかったのを思い出しました。
まだ小学校の低学年の頃の話で、田園調布小学校のそば、東横線の線路は簡単に入ることができた。
もちろん学校の先生には厳しく禁じられていて、もしそのナイフを所持しているのを見つかると、線路内に入ったとみなされ、親を呼んでの厳重注意だったと思います。
僕はその電車が作ったナイフを欲しくてしょうがなかったが、レールに物を置くということは脱線に繋がるのではないかと怖くて出来なかった。
考えてみると、五寸釘などをいくらレール上に並べても、脱線事故には繋がらなかっただろうが子供にはわからない。
電車の来る線路付近でウロウロして事故に巻き込まれるのを学校は恐れていたのだろうが、僕の周りの子供達もいつしかそのナイフを所持しているのを見なくなった。
しかしここ数日のニュースを見ていると、福知山線と同じような惨事が起きるのを「期待」してやっているとしか思えない、非常に悪質な行為で、しかも多発しているらしい。
「物まね犯」的な行為は日本には多いですよね〜。
極刑にすべき。
さて、最後に最近インスト−ルしたソフトについて。
ある掲示板で紹介されていたので、早速インストールしてみた。
NASAが提供するPC用の地球儀です。
http://worldwind.arc.nasa.gov/
日本語での説明は、下の窓の杜のサイトで。
http://www.forest.impress.co.jp/article/2005/03/07/nasaworldwind.html
いや。〜、凄いです。
地球儀いりません。(ってだいたい地球儀持ってないけど)
マウス操作(左ボタンで動かしたり回したり、真中のホイール操作で倍率上げたり)で大いに遊べます。
もう嬉しくなって笑みがこぼれてしまいました。
残念ながら、かなり高性能のPCで無ければ動作保証していないようなので、もし上のリンクからダウンロードしてみようかとお考えの方は、ご注意の程を。
女房も自分のPCに入れたいと言うのだが、「スペック」ギリギリでまともに動くかどうか。
それとインストールした僕のPCでもモニターの解像度か、グラフィックカードが安物なのか、東京の道までは鮮明に見えません。
残念。