2003年11月前半の日記

by tom tanabe                                         マグパイへ戻る


2003年11月3日

シドニーは快晴が続き、のん気に喜んでいたら、とうとう「給水制限」がより厳格になり、守らないと罰金220ドルが課せられるとテレビで報じておりました。
11月1日からです。 僕のようにずぼらな人間は、普段の足に使う車はほとんど洗わないので別に困らないのですが、それにしても先週に「砂嵐」と言うか「赤土嵐」がシドニーを吹き抜け、車は赤茶色の土埃にまみれていますが、誰も洗車はしない(出来ない)ようで、ダブルベイの公共駐車場に(近くのウールワースへ買い物)車を駐車して周りを見たら、ほとんどが赤茶色にまみれておりました。
そう、「ダブルベイ」と言うところは「見栄っ張り」が多く住むところなので、スーパーのそばの駐車場にある車達は皆「ピッカピカ」なのです。
そんなのはとっくに見慣れてしまっていたのですが、この給水制限のお陰で僕の車のようなのが急に増えて、妙に目に付く次第。

日本では皆さん車を綺麗にして乗っていますから、洗車は当たり前なのでしょうが、僕がロンドンに住み始めた頃に超高級車でもほとんど洗車をせず路上駐車なんてのが多くて妙にずぼらな僕は安心した物です。

ちなみに今回の給水制限、「有料洗車場」はこの規制に引っ掛るのでしょうか?
僕はこの機械式の洗車機というのは、車のペイントを傷つけるので、無料で洗車してあげると言われてもお断りしてますが。

この給水制限は、庭の植物に水をやるにも「手で持ったホース」だけが許可されているので、せっかく最近自分で作ったタイマー付きのスプリンクラーは使えません。
好天気が続いているから水不足→給水制限→ということになり、好天気で雨が降らないから余計に庭の木や植物に水をやらなければならないという訳で、いちいちホースを手で持って家の周りや芝生に水をかけると、それだけで1時間以上も掛かってしまうのには参っています。

やっぱりもっと手の掛からない家に移るべきかと考えてしまいます。

さて、もう一つ11月1日から施行されたのがシドニー市内の制限速度です。 ついに標識でスピードを表示していないところはすべて制限速度60キロから50キロになってしまいました。
まあこの年々混雑がひどくなって行くシドニーで裏道のようなところでも60キロは無理があったのは確かで、致し方ないかとも思っていますが。

週末、本当に久し振りに930(旧名「例の彼女」)を引っ張り出して、出かけたのですが、もうシドニー内で運転するのは苦痛と言うか、フラストレーションが溜まる一方で、これもマジでどうしようかと真剣に考え始めました。
なにしろ制限速度60キロなら何とか2速に入れて、アクセルの上にそっと足を置くことが出来るのですが、50キロだと2速ではアクセルペダルの上に足を本当に「そっと」乗せた状態でも60キロになってしまい、乗せたり下ろしたりを頻繁に繰り返すのは非常にしらけます。
ずっと1速のままならまるでオートマかなんて冗談も言いたくなるほどで。

だいたい2速で時速160キロ以上も出てしまう(たった4速しかないので)車を街中で乗る事自体「馬鹿げている」のは判っているのですが、しかしシドニー中心に住んでいると郊外に出かけるのも避けて通れないわけで。
どんどん乗る機会が減って、やはり「可哀想」ではないかと思う今日この頃です。
一年間に何キロ乗っているのだろう。 もっと可愛がってくれるオーナーのところへ行くべきかなとか。

とりあえず今週の水曜日には定期点検に出すために、シドニーはノースのディー・ワイへ。
この整備工場、もう少し我が家から近いところに有れば良いのと思っていたら、何か他の州からも本当に車を愛するオーナーが持ってくるらしい。
このポルシェ専門の整備工場は工場長兼オーナーが、「彼女」がオーストラリアに来た時からずっと面倒を見ている人で、彼のところへは本当に珍しいポルシェがヴィクトリア州やクイーンズランド州からも持ち込まれているとか。
来週の水曜日に行った時に、珍しいのが来てたらデジカメで撮影してきましょう。 (70年代のRSカレラとか、959とか)


2003年11月4日

先日のボルネオ行きでも感じたのですが、日本のような湿度の高い国に行くと、最も環境の変化を感じるのが、僕の頭髪です。 
恥ずかしながら僕は寝ている間に相当転げまわる→寝相が悪いせいか、朝起きて洗面台の鏡を見ると、頭髪がひどい寝癖でもうお化けでも見たように、または「パンクファッション」の髪型のように、立っているのです。 
毎日散歩に出るのに恥ずかしいから一生懸命にブラシで「とかそう」が、ドライヤーで抑えようとしても簡単には言う事を聞いてくれません。。 
しょうがないから帽子を被って散歩に出かけ、帰って来てからシャンプーをするか時間が無い時には水で濡らして、それからドライヤーと言う事になる。 

いや、家にいるときは立ったままと言う事が多いかも。 
生まれつき髪の毛の太い(剛毛というのか)僕は湿度の低いオーストラリアにいると毎日がこれなわけです。
ロンドンにいる時にはもっと湿度が低かったのですが、当時はかなりのロングヘヤーだったからか、いくら寝癖が付いても立つほどにはならなかった。 

ところがこの寝癖、今回のボルネオでも起きたては確かに立ち気味なのですが(部屋にエアコンが入っているからか)、すぐに湿度で頭髪がしっとりしてくるせいか、部屋から出かける前にはもうしんなりと寝てくれていて、ドライヤーを使うほどでもない。 
で、確かに頭髪以外でも皮膚は「しっとり」して、常にカサカサのオーストラリアとは大違い。 

まあお肌に関心の強い女性と違って僕の場合は、肌が「しっとり」してようが、感想気味だろうが大して気にしない。 
しかし考えてみると、肌が常に乾燥している状態(歳を取って余計乾燥してきてもスキンクリームなどを一切使わずに)を永年続けるとなんか悪い事でも有るんでしょうかね? 
やはり湿度が有った方が良いのかと。

ところが高温多湿は僕に取って良くないと感じる事も有ります。 
偶然ボルネオに行く前に手(甲の部分)をレンガの壁でこすってしまい、傷をつくってしまった。
オーストラリアなら殺菌クリームなどを塗っておけばすぐに治るのに、ボルネオへの旅行中は、全然治らないどころか余計「ジクジク」となって膿んできてしまった。 
一応殺菌クリームを塗り、バンドエイドをつけていたが、もう回復が異常に遅い。 

僕は子供の頃から(日本の)真夏などに怪我をすると治りが遅かった。
人より白血球が少ないのではないかとも思う。 
確かにこのような高温多湿の場所では「トロピカル・アルサー」といって傷口が回復しないどころか、潰瘍が悪化していくというのもあります。 
人間にとって(少なくとも皮膚にとって)、湿度と言うのは高い方が良いのか低い方が良いのか興味の湧くところで、色々調べてみようかと思い始めました。 

というのも僕の場合、オーストラリアで乾燥している(特に晴れの)日は、かなり快適で頭の動きも「シャープ」になり(と言う感じているだけかもしれないが)、物事をテキパキ片付けたり、動きも良くなる。
そして心もハイ状態になるが、しかしそれが進むと「ピリピリ」(カリカリと言うか)した状態にもなりやすい。 
ちょっとした事でもイラっとしたり。

ところが多湿、とくに温度の高い場合にはテキパキ物事を考えてやる気も減るが、ピリピリも減り余り腹も立てなくなる。
このように感じる人は僕だけではないはずで、今日は気分が「低気圧」とか言うようにひょっとすると人間の五感の中で(耳の中とも関係すると睨んでいるのですが)湿度や気圧で感情にまで影響を与えていると思う。

さあ、湿度の高いのと低いのでは、どっちが良いのか。 
日本のように冬はかなり乾燥し夏は異常なまでに多湿で、四季のはっきりした国では、どちらの方が好まれるのか。 
そうそう日本の春秋は日本人に取っては(特に秋は高温多湿の夏の後だから)乾燥していると感じるかもしれませんが、たまにオーストラリアからその時期帰るとかなりの湿度に驚かされる物です。 

もちろんオーストラリアでも北に上がるほど湿度は高くなります。 
将来ノンビリと暮らすなら、もう少し湿度の高めのところで暮らすべきかなと感じています。
この場合オーストラリアではクイーンズランドあたりということになるのでしょうが、サーファーズはいまいちだし、はたまたド田舎は住めないだろうし、どこか良い所は無いものかと。
今の日本は最高の季節だと日本に帰っている母から電話がありました。
まあ母のように、好きな時に北半球と南半球を行ったり来たりというのが最高なんでしょうな。




2003年11月5日

昨年の6月に前の持ち主「ウォリック・ブラウン」から譲り受けた、「彼女(930S)」をはじめて整備に連れて行きました。
もう1年半も経つのですが何しろ乗らないので、整備に出すのが遅れておりました。

シドニーはノースにあるこのポルシェ専門の整備工場には数台の356が集まっていました。
メルボルンで開かれるポルシェ356大集会(今年はポルシェの50周年記念行事が目白押しとか)に参加するために、普段ガレージの奥深くに棲んでいる356を出走させるために整備に持ち込まれている車たちです。

工場長(オーナー)のイアン・アンダーセンは「彼女」を見ると、もう我が子が戻って来たというように、整備の手を休めて出てきてしばし懇談。
とにかく彼が一番彼女の生い立ちを知っている人なので、行く度に教えてもらう事が多いです。
今日の話題は「パトリック・バーク」最初にこの車をドイツに注文して手に入れた人であり、ウォリック・ブラウンの(レーサー時代)スポンサーだった人です。
僕はその時代にオーストラリアにいなかったので、彼の事はよく知らないのですが、本日イアンからいろいろ写真や資料を見せてもらって、まさに想像を絶する彼の車コレクションを知って唖然としました。

日本にも有名なポルシェミュージアムなどがありますが、彼のコレクションは一般に公開されず、全くのプライベートコレクションだったとか。
今日は朝女房がテニスへと急ぐので、ゆっくり調べる時間が無かったのですが、これは詳細に調査して特別ページでも作ってみようかと思い始めました。
ざっと見ただけでもルマン24時間のヴァーン・シュッパンがドライブして優勝した917とか世界で7台しかなかったRSカレラの特別仕様車とか、アメリカで活躍したものなど、いったい何台有ったのかよく判らないほどのコレクションを、シドニーはノースのホーンズビーのガレージに眠らせていたそうです。

1987年のブラックマンデーで株で大損をした彼は、すべてを差し押さえられ競売にかけられて、ほとんどの車がアメリカやヨーロッパへ行ってしまったのだそうです。
ただし何台かは(つまり登録して一般道路を走行可能な車両については)、差し押さえられる前に、友人達に譲ったそうで、僕の「彼女」も運良くオーストラリアに留まったうちの一台なのだそうです。

先日もクイーンズランド州在住のポルシェコレクターからイアンに問い合わせがあって、スラントノーズは元気にしてますかと聞かれたので、ウォリックは友人の日本人に譲ったと言ったら、手放すのだったら僕が欲しかったのにと悔しがっていたのだそうです。

さて、整備に持って行ったのであまり長話も失礼と、一応必要なチェックポイントを確認していたら、イアン曰く「ガソリンはOPTIMAXにしてますよね」と言う。 このOPTIMAXというのは「シェル石油」がオーストラリアで販売しているハイオクタンのガソリンの事です。

実はオーストラリアではガソリンの質が悪く、シェルがこのOPTIMAXを売り出した時には、ほっとしたものです。
それまではオーストラリアのハイオク・ガソリンは日本のレベルで言うとレギュラーとハイオクの中間くらいで、高性能の車、特にチューンされているエンジンを乗せた車にはかなり問題がありました。
その上、オーストラリアのガソリンスタンドは「ものすごくいい加減」なところが多く、高い値で売れるハイオク・ガソリンに「混ぜ物」を入れてしまうんですよね。
一般には「エタノール」を混ぜてしまうのですが、この比率がとんでもないほど入っているのがある。

ゴーカートでレースをやっている時にはこれが本当に問題でした。
カートのレースは共同のレース用ガソリンを使はないので(全国大会など特別な場合を除く)、自分で一般ガソリン・スタンドで購入するわけです。
で、たまにいつも使わないスタンドで購入したら、なぜか鈍いし、普段よりラップタイムも悪いしで、目も当てられないことになる。
最初の頃はその事がわからなくて、迷っていたのですが、僕のエンジンチューナーがガソリンは必ずモービルの大きなスタンド買えといったのです。

当時はまだOPTIMAXなどが無く、確かハイオクなのに95オクタン有るか無いかという時代。 で、色々聞いてみるとモービルが一番燃料の質が良いとの事でした。
もちろんモービルでも「ズル」をするガソリンスタンドはいるわけで、僕は当時石油会社に電話をしてどこのスタンドが一番安心(混ぜ物をしない)かを問い合わせた事がある。

当時モービルとシェルに電話をかけたら(両方本社はメルボルン)、何と「確かにシドニーのガソリンスタンドの中には混ぜ物をしてしまうところがあって困っている」なんて率直に言われてしまった。
結局ある大手が経営しているスタンド名をいくつか教えてもらったものです。
オーストラリア政府もとうとうこの件は調査に乗り出し、とうとう混ぜ物をする場合は何パーセントまでとし、スタンドの給油口にそのパーセンテージを表示の義務付けさせる事にしたのです。
ですからもう(確か規制では2%)確実に混ぜ物が入っている確率が高いのです。

ですから、イアンも僕の車がかなりのハイチューンなので気を使って、確認の意味で聞いてきたのですが、僕はそれ以外にもオクタン価を上げる添加剤を必ず入れているので大丈夫と言っておきました。
もう僕はオーストラリアのガソリン(スタンド)全然信用していないので。
そうそう、スバルWRXのハイチューン版「STi」をオーストラリアの輸入元が日本仕様そのまま限定数入れたことが有ったのですが、かなりの数がエンジンデトネーションを起こしてしまったことがあります。

結局日本から出す前にオーストラリアガソリン仕様にして売るようになって問題は解決されているとか、確かにオーストラリアのガソリンは日本よりは安いが、もう少し質の良いのを売ってくれればと。

さて、思ったほどの特別車は無かったのですが、一応撮影して来ましたので、以下に。

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左の写真の車番911と、一番奥の黄色のはロールケージが入っているので、サンデーレースにでも出てるのか。
ガレージの中にも356が整備を受けていました。
右端の写真は僕の車の向こうに何台かの356が。

 


2003年11月6日

今オーストラリアでラグビー(ユニオン)の世界大会が開かれているというのを知っている日本人はどれほどいるのでしょうか。
という僕も実はラグビーにはそれほど興味を持っているわけではなく、女房が熱狂的なファン(ラグビー・リーグの方が主ですが)なので一緒に見る機会がある程度。
で、日本ではどう報道されているのか知りたくて、インターネットでMNSの日本のページなどを見るが、もう見事なまでに報道はされていないか、出ていても本当に小さな扱いです。

それに比べ今一番の関心事は大リーグと日本人選手の活躍に関することのようです。 特に松井選手やイチロー選手についてはビックリするほどの過熱ぶりですよね。
ということは「野球」が日本では最も人気のあるスポーツということになるのでしょうか。

また人気があるスポーツでもニュース性が低ければ報道されないのでしょうし。 
さて、ラグビーの世界大会の話に戻すと、今回の日本ラグビーチームは4戦全敗ではあったが、こちらの評論家や専門家の間では僕がビックリするほど高い評価をいただいておりました。 
というか、日本のラグビーと言うのはBクラスの中でも低い方で、誰も話題にもしないレベルだったのが、今回負けたとは言えスコットランド相手に大いに健闘した試合などでは皆、口を揃えて日本の進歩に大きな評価を与えておりましたが。

ところが僕がネットで日本の報道はどう評価しているのかを見たく色々捜したのですが、ほとんど無視されていたようです。 
面白いのはこれほどの大きな世界大会(4年に一度のラグビーのオリンピックのようなもの)についての日本での報道がほとんど無いのに、毎年正月の頃に宮園ラグビー上で行われる高校生ラグビー(だったか?)はNHKの全国ネットのスポーツニュースで必ず大きく取り扱われるということ。 
しかし、こちらにいる友人の話では日本からのラグビー応援団はオリンピック時を彷彿するほど大人数が来ていると言う。  
日本では結構人気のあるスポーツではないのかと? 
まあ今回にしても、たった一戦でも日本が勝てば大きなニュースになったのかもしれませんが。 
我が女房はラグビーの大ファンで、ラグビーはラグビーユニオンもラグビーリーグも見ておりますが、僕はその違いさえ最近まではっきり判らなかったほど。 

まあそれにしてもお相撲さんほどのでかいプレーヤーが「ガチンコ」でぶつかる様はこれはこれで凄いスポーツまさに格闘技のようです。 
オーストラリアの高校(男子校)ではラグビー(ユニオン・ルール)はどこも必ず取り入れていますが、オーストラリアの高校生は皆体が大きいのでスクラム時にかなりのプレッシャーが掛かるらしい。 
ところが体の大きさに比べて首や肩の筋肉がプロほど鍛えて(発達して)いないからスクラムが崩る時に押しつぶされて、首の怪我をしてしまう事がよくあるらしい。
酷い時には下半身麻痺と言う事態になるために、最近は父兄の中には息子にラグビーを選ばせないで、サッカーをやらせるのが増えているとか。 

さて、このスポーツ・ニュース報道の優先順位。 
日本は野球が今のところナンバーワンですが、オーストラリアは何だろうと。 とにかく優秀選手が活躍する種目が一杯あるオーストラリアの事、優先順位はつけがたいのでしょうな。
まあ一般的にオーストラリアで一番人気が有るのは「クリケット」らしい。
クリケットと野球は同じルーツらしいが、それにしても日本で一番の野球のニュースなんて(ワールドシリーズを除く)オーストラリアではほとんど無視で、同じように日本では「クリケット」のニュースなんて、まず「皆無」のはず。
国が違うと全く関心事も変わるものです。


2003年11月7日

先月(10月30日)の日記に書いた、胃の精密検査(胃カメラ)の結果を聞きに担当医に会いに行ったらやっぱりと言うか、何か見つけたようです。
もし今日「はい何も無く胃の中は綺麗でした」なんて言われたとしたら、僕は絶対に彼にはもう見てもらわないと確信が持てるほど、異変を感じていたのです。

本日の話では胃の中に何箇所か腫瘍が有り、そのそれぞれの腫瘍から精密検査をするために一部を取って、培養検査をしたら3箇所から取った内の一箇所のが癌細胞へ変化する可能性のある細胞だったとか。
しかし先週の金曜日の検査時にはたった3箇所しか検査用の細胞を採取しなかったので、来週の水曜日に胃の中を徹底的に(今度は15箇所)調べて、細胞を採取するから入院と言われてしまいました。
いえ、入院といっても前の胃カメラ検査と同じ「半日」なんですけどね。

で、胃の中のその「怪しい(危ない?)」細胞の分布状態を調べ(マッピングと医者は言っておりました)及び、すでに癌細胞に変わっているのが無いか、調べるのだそうです。

この話を聞いても僕はそれほどショックではなく、「やっぱり何か有ったでしょう、自分自身がおかしく感じているのは間違いないと思っていたのだから」と、妙に納得しておりました。
しかし、最も「しらけた」というかショックだったのは、今日から絶対に食べてはいけない物をその場で医者に書かれて、そのかなの大半が僕の大好物の物ばかりだったのです。

珈琲、紅茶、コーラ及び日本茶まで含む一切のカフェイン系はバツ。
チョコレートは特に悪い。
刺激の強い物も良くない(香辛料の強い物)。
油(脂)濃い食べ物はダメ。 特にトンカツなんて大敵のようです。
医者の言うにはディープ・フライではなく、フライパンなどで油で炒めるのも良くないとか。
そしてこれは考えていなかったのですが、ナッツ類。 特にピーナッツはピーナッツバターも含め完全にバツ。

いや〜、参ったです。 というのも最後のナッツ類というのは食べてはいけない物の中に含まれているなんて想像していなかったので。
実は僕ナッツ類が大好物で、いつもナッツバーなどの買い置きがあるくらい。 このナッツバーについてはあまりに美味しいので日記にいつか書かなければと思っていたほど。
上記のダメダメ食物を除くと、僕の食べたいと思うものが有るのかしらと考え込んでしまった。

この食事療法を永久的に続けていくわけは無いと思って(願って)はいますが当面は、病院の食事みたいになるんでしょうな。(トホホです)

とにかく来週の水曜日の検査で何が判るか、気になります。
そしてその時に癌細胞が見つからなくとも、癌細胞に変わる可能性が有るので9ヶ月ごとに胃カメラ検査を受け続ける必要があるとか。
まあ、今までの暴食(僕は酒は一滴もダメなので暴食だけ)の付けが回ってきたんでしょう。


2003年11月10日

先週金曜日の日記に書いた胃の問題について、色々ご心配をおかけしてしまいました。
まあ明後日の再検査の結果次第だとは思いますが、今のところ僕自身は気にしないようにしております。

さて、ちょっと前の話です。
例の彼女(930S)の前の持ち主「ウォリック・ブラウン」から電話があって、「今、引越し中なんだけど、テレビ等ホームシアター機器の接続、TOMは経験あるって聞いたんだけど、助けてくれない?」と。 
彼は今まで住んでいたバルメインにあるウォータフロントのペントハウスから、ウォルシュベイに今度できたウォーフの上に建てられたアパートに引っ越したばかり(確かラッセル・クロウが住んでるとこだったと)。 
今度のところも(ウォーフの上だから)当然ウォータフロントで、これまた自分の船も真ん前に係留できる。 

本当に彼は運が良くて、このシドニーの不動産ブームでバルメインの方はあっという間に売れてしまうし、今度のところは偶然に見つけて(別のアパートを見に行った時に看板を見て)なんと翌日がオークションでコントラクト(契約書)も入手しないまま冷やかし半分でそのオークションに行ったら、不動産屋が言っていた予想値段より結構低い値しかつかない。 

オークションでは売主の希望価格に届かない場合は、最高値をつけた買主とオークションの後交渉に入るのです。 
オークションの最中にオークションの主催者は「この物件はまだ希望価格に到達していません」と言って、価格のアップをはかるのですが、ウォリックはこの様子を見ていて、これはかなり「買い物」だと思いコントラクトも持っていないのに突然オークションに参加して最高値をつけてしまった。 

で、その時点でも希望価格に到達していなかったのですが、結局オークション後の交渉でもう2万ドルほど上積みして手に入れてしまった。 
ところがその直後に、このオークションに参加するために向かう途中に事故のため参加できなかった人間からどうしても欲しかった物件だから、もう5万ドル上乗せするから譲って欲しいと言って来たという。
そう本当はその買い手が来ていたら彼より高い値をつけたはずで彼は買えなかった。
 
そんなことは当然知らない彼は、オークションで考えていたより安い値しかついていなかったので、何か欠陥でもあるのではないか(新築です。しかし95%は完売している)、コントラクトももらわずにいきなり冷やかしで行ったオークションで落としてしまって、大丈夫かという不安はあったそうですが、そうか他の競合する買い手が来ることができなかったのだと知って、良い買い物をした、運が良かったと、大いに満足したそうです。 

その5万ドル上乗せのオファーは断ったのは当然です。 
だいたい最初のバルメインのペントハウスを売るきっかけも、共同管理費の高騰で、馬鹿馬鹿しくなったからもうちょっとリーズナブルな共同管理費のところへと考えていたのです。 
前のペントハウスは(そのアパートの建物の中で一番大きい部屋だったからもあるのですが)年間2万ドル以上の管理費がかかり、これは僕も驚いた。 
ボンダイジャンクションあたりのアパートの年間家賃の方が安いんじゃなんて思ったほど。 
今度のところは共同管理費その4分の1くらいとかで、彼も大いに満足しているようです。(占有面積は確かに30%ほど減ったが) 

今度のところは、シドニーハーバブリッジから至近距離で、上を通る電車も良く見えるほど。 こりゃ〜、年末の花火大会じゃあもう怖くなるほど近いのではと今から大いに楽しみでは有ります。 

さて、引っ越したは良いが元レーシングドライバー(ウイリアムスF-1にも乗っていたほどの)のくせにメカオンチの彼は引越しでバラバラになったオーデォヴィジュアル(AV)機器を組み立てられないで悩んでいたんですな。 
昔のようにテレビを電源コンセントを差し込んで、アンテナに接続すれば「一丁上がり」の時代と違って、今やアンプやVTR、DVDだ有線放送用機器と思いっきり沢山あって、その上、今度のところは共同アンテナにしても、デジタルに完全移行で(アナログも映るが良くない)デジタルチューナいわゆるSTBが必要と判明。 

こうなると彼には完全にお手上げで、しかしプロに頼むとかなりな金額になってしまう(らしい)。 そこで僕に頼んできたのです。 
僕は昨年の終わりにプラズマを購入して以来、まあ本当に「お勉強」させられました。 何でも自分がやらないと気がすまない僕は、全くのアナログの経験しかなかったために、随分四苦八苦した物です。 
大体「音声」一つとっても接続方法は、コンポジットやSヴィデオなんてアナログ接続しか知らなかった人間が、いきなりコーオキシャルだ、S/P DIFだなんてのだけでも戸惑ってしまうのに、その上デジタル地上波放送では音声送信フォーマットが3種類もある。 もちろんデジタルチューナー機器が安定しているなら、「オート・モード」にしておけば、各テレビ局の使用するフォーマットを自動判別してくれるはずだが、そうは行かない場合がある。 

例えば今は相変わらず放送局(チャンネル)切り替えるたびに、音量を上げたり下げたりの必要がある。
これは各放送局がどういう音声フォーマットにしようか決めかねていて、いまだ各社バラバラ、その上コマーシャルの時は余計に音量上げるし。

面倒くさいので5.1チャンネルの映画放送などの時以外は、ステレオモードに切り替えている。 (5.1チャンネルでテレビコマーシャルガンガンやられたら頭痛くなってしまいます)

さてウォリックのところに行ってみると彼の買った(たった4年前なのに)ヤマハのAVアンプはまったくデジタル音声に対応していないんですな。 
そうか今やこのような機器もPCと同じように、4年も経ったら「超中古」になってしまうのだと納得。 
当時随分金かけたんだろうけど、それなら僕が29年前に日本を出る時に手で持ってロンドンまで連れて行った「LUX」のアンプと大して変わらないのですな。 
つまりここ数年の進歩が恐ろしいほどなんでしょう。  

まあ音声の方はアナログで済むので、僕にとってはかなり簡単な接続作業だったのです。 
今回STB購入に伴い、テレビがGRUNDIGだったので、SCARTという接続方法をかなり多用しました。 
自分なりに最善のセットアップだとは思った。 
その後FOXTELの技術員が来て有線テレビ放送を接続するというので一応技術員のために「ダイアグラム」を書いておいた。 
ところが翌週ウォリックから電話があり、技術員にそのダイアグラムを見せたら「誰がこの接続をしたか?」と質問されたと言うのです。 
僕は何かミスでもしたかと一瞬「どき〜ん」としたら、何とその技術員曰く「今までGRUNDIG受像機などを含むセットップで、これほどクレバーなのは見たこと無い。 もし仕事を捜してる方ならFOXの方に連絡してください」なんて言ったと、特にメカオンチなウォリックは大感激してるんです。 

僕の頭の中では「????」状態。 
だってあんな事くらいでプロが驚くって、オーストラリアはレベル低すぎるんじゃないのかと、しばし考えさせられてしまいました。
しかし、プロがそう言うくらいだからまだまだデジタルは夜明け前なのかもしれませんな。


2003年11月11日

今日は早朝から工事の人が。 相変わらずオーストラリアの工事人の朝は早いです。 7時にはもう門の前で待っていました。 
昨日からコートの修理が始まり、削岩機などを使って騒音が出そうなので、天気も良いしボンダイビーチへ散歩を兼ねて出かけました。
先週から始まっている「Sculpture by the Sea」を見るのも目的だったんです。
昨年のちょうどこの時期の日記(2002年11月12日)にも何枚か写真を載せましたが、今年は昨年ほどのレベルではないように感じました。
一応デジカメを持参で行ったので、少々今年の作品を下のほうに付けておきます。

それにしても真夏のシドニー、まぶしいほどの青空とエメラルド色の海を見ながら、まるでホリデー気分になってしまいます。
海の色など本当に鮮やかで、こないだ行っていたボルネオのビーチとは比較にならないほど。
これは砂の色の関係だとは思うが、このような景色を見ながら「シドニーに住んでいる」幸せを感じておりました。
そう、この時期シドニーからホリデーに出かける必要なんて全く無いと。

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それぞれの写真をクリックすると大きくなります。
まず上段左の写真。 作品(石像)自体よりも、エメラルド色の海を見ていただきたいと。 ここは「タマラマ・ビーチ」の方向。 そのはるか向こう側には(写真では見えませんが)先日完成した我が家の墓がある霊園。
真中の写真はそのタマラマビーチに置かれた作品の向こうに女性が入っているところを。 砂の色が白いでしょ。
右は毎年参加している日本人の彫刻家の作品だったと思います。
今年はカタログ買っていないので、詳細は不明。

下段左は逆光の一枚。  ちょっと暗くなってしまったが、朝のスナップ。そう、シドニーは太陽が海から昇るのです。
ということはパース(ウエスタン・オーストラリア)の海では水平線に太陽が沈むのでしょうな。
僕はまだパースへ行った事がありません。
真中の写真は岩の上に置かれたオブジェの向こうに漁船が。
右の写真は丘(芝が水不足で茶色になっています)の上に置かれた作品。 毎年このような何トンも有るような大きな作品が登場しますが、どうやって運び入れるのやら。

ボンダイビートからタマラマビーチまで約2キロを作品を見ながら散歩、オーストラリアへ旅行を考えている方にはこの時期が最高ですよ。

明日の日記は「再度の胃カメラ検査で入院」のためお休みする予定です。


2003年11月13日

昨日の日記は胃の検査のためにお休みしたのですが、そのことについてちょっと書いてみます。(今日の日記のアップは大分遅くなってしまいました)

10月31日に受けた検査で少々怪しい細胞が見つかってしまったために、昨日再度の胃カメラ検査だったわけですが、今回投与された麻酔薬の事で不可解な事があったのです。
31日の検査を受ける直前に、僕は麻酔医に「実は我が母親は数年前に受けた胃カメラ検査の時に投与された麻酔薬で、かなり酷いショック症状を起こしたので、少々心配です。 僕が昔検査を受けた時の麻酔薬が何だったか判ればそれと同じ物を使用してほしいのです」と言ったのです。

つまりもう大分前になるのですが、僕がヘリコバクター・ピロリ菌を退治する事ができた胃カメラ検査の時には何と言う麻酔薬を投与されたのかはわからなかったのですが、全く問題は起きなかったからです。
ですから麻酔薬の種類などについてはあまり気にもとめていなかったのです。

ところが昨年の11月1日の日記にも書いたのですが、「フェンタニル」という麻酔薬で母が大変なショック状態に陥ったので、かねがね自分がまた麻酔薬の投与を受ける場合にはかなり慎重にならねばと思っていたのです。

僕のリクエストにその麻酔医は目の前に置いてあるコンピューターで僕の名前を打ち込んで見ていたら、「1999年に検査を受けていますね、その時に使用したのはフェンタニルだったです。 本日使用するのもその同じフェンタニルだから大丈夫」と言ったのです。
そしてその麻酔医は「フェンタニルはこのような検査には非常に向いている、患者がカメラの管で「むせて」咳き込む事も少ないし、早く目が覚めるし」とフェンタニルしか使わないと言う感じでした。

僕は、「そうか親子でも反応が出たり出なかったりなのだ」と納得して、その麻酔薬で検査を受けたのです。

ところがその31日の検査の後、家に帰ってからどうにも気分が悪い。
嘔吐にまでは至らないが、まるで船酔いのごとく、嘔吐感はあるしその上非常に頭の中がすっきりしない。 
やはりこの薬は母親ほど酷い反応は出ないものの僕にも余り合わないのではないか考えていた。
で、色々考えていたのですが、ある大事な事を思い出した。

つまりひょっとしたら1999年に検査を受けたのは実は僕ではなく昨年胃癌で他界した我がオヤジではなかったのか。 実は僕もオヤジも同じイニシャルで、当然苗字も同じなんです(両方K.Tanabe)。
今までもオーストラリア人がこの間違いを何度か起こした事がある。

僕が胃カメラを飲んだのは、もっと前のはずではなかったかと。
で、昨日検査をする前に、胃カメラの前の予備検査で血圧などをチェックしてくれる担当の看護婦に、是非もう一度1999年の検査が自分だったか、オヤジのだったかを調べてくれるように頼んだ。

ところがいざそろそろ検査という時間になって現れた麻酔医は、31日のとは別人だったのですが、その新顔の麻酔医がいきなり「大丈夫です、僕はフェンタニルは使いませんから」と言うのです。
最初僕のためにフェンタニルを使わないから安心しろと言っているのだと思ったのですが、話しているうちに彼自身が通常「フェンタニル」を使用しない麻酔医だと言う事がわかったのです。

つまり麻酔医が変わると、その麻酔医の「好み」と言うか「得意」とする種類の麻酔を使う、つまり患者の体質に合う合わないではなく、麻酔医の「好み」で種類が変わってしまうのかと言う事。

とりあえずその日は「フェンタニル」ではない麻酔薬を使うということになった。
ところが昨日家に帰ってから吐き気は無いし酔っているような感覚も少ない、やはり僕には「フェンタニル」でない方が合っているのではと考えていたのですが、夕方から眠気が強いので眠ってしまった。
で、本日になってもその眠気と言うか「ぼ〜」っとした感覚が一向に引いてくれないのです。

つまり「フェンタニル」は吐き気などがあるが、結構や早めに体から無くなると言う感覚だが、今度のは吐き気は無いがなかなか体から出て行ってくれないと言う感じ。
ですから本日娘のところへ行って家具を組み立てるのを手伝ったりしていたのですが、非常に疲れました。

日本では胃カメラ検査は喉に少々局部麻酔のような物をスプレーするだけで検査を行うそうですが、オーストラリアでは一応短時間ではあるが全く意識がなくなってしまう、全身麻酔をするわけです。
確かに全身麻酔を受けての検査は意識が無いから検査中は非常に楽なのですが、やはり後が怖いですな。
ご存知のように、全身麻酔というのは基本的には非常に危険な物で、できる事なら避けたほうが賢明なのでしょう。
つくづく今回(31日にと昨日)短時間のうちに2度も全身麻酔を受けてみて、疲れを感じました。

何かいまだにこの日記を書いていても、まあキー入力のミスの多い事と言ったら。 やはりまだ体の一部に麻酔が残っているような気がします。


2003年11月14日

昨日は娘のところで家具を組み立てるのを手伝っていたら、招待を受けていた画廊のパーティに出かけるのをすっかり忘れてしまっていました。
家具を組み立てると言ってもたいした事をしていたわけではなく、ガレージに置く棚の代わりに使う「キャビネット」が安く売っているので行ってみたら、自分で組み立てるキット製品だったのです。
オーストラリアではD・I・Y(Do It Yourself の略)の製品が多く、テレビ用のキャビネットなどは、ほとんど自分で組み立てなければならないのです。

娘は工具も持っていないし、ここは「オトーサン」の出番だと当たり前のごとく考えているふしがある。

さて、僕が行きそびれてしまった画廊のパーティーと言うのは、David Lever という名前のオーストラリア人の画家の個展のオープニングパーティだったわけですが、ちょっとした偶然があり是非行ってみようと考えていたのです。
まず、この画廊のオーナー(女性)はとても仲の良い隣人で、主婦業をやりながら、画廊経営も頑張っている方です。

昔の日記に女房の昔の友人で、昨年の山火事で全財産を失ってしまった画家の事を書きました。
彼を救済するために彼の画家の友人達が作品を持ち寄り、オークションを開催したのですが、その時に我が女房は「アボリジニー」の画家の作品を購入しました。
その時のオークションでDavid Lever の作品も出品されていて、娘は自分の家のために欲しかったのですが、価格が彼女の出せるレベルよりちょっと上だったので諦めていた。

ところがその絵を落札したのはやはり我が女房の友人だったのですが、なんとその絵を娘に引っ越し祝い(新居祝いと言うか)としてプレゼントしてくれたのです。
娘の家に行くたびにその絵を見て、1930〜40年代のオーストラリアが描かれていて、たまにこの絵の面影を残す街並みを見たりするので興味深く、なかなか味のある絵だなと思っていたら、その友人の画廊で個展をやる事になったのです。
(David Lever の作品は上記の画廊のホームページの表紙の右上にある、アーティストの名前で、Lever David をクリックすると見る事が出来ます。)
で、この個展のタイトルが「Broken Biscuit」と言うのです。

僕はこの「壊れたビスケット」という意味が判らなかったので女房に聞いたら、面白い話を聞かせてくれましたので少々書いてみます。

昔々、女房が子供の頃(小学校入学の頃だから1950年代)ビスケットはグローサリー・ストアーで売っていました。
まだスーパーマーケットも無い頃で、量り売りで買っていたそうです。
そうそう、ビスケットとクッキーは基本的には同じ物で、ビスケットがイギリス語、クッキーがアメリカ語と考えて良いそうです。

その頃はビスケットも安いお菓子ではなく、店に買いに行くと、大きな缶に入ったビスケットを店の人が大事そうに取り出し、秤の上に置いて計量し売っていたのだそうです。
で、工場から運ばれてきたそのビスケットの缶の中には輸送の途中で何枚か壊れてしまっているのがあり、その壊れたビスケットは安く売ってくれたのだそうです。
女房が子供の時に限られたお小遣いの中でやりくりするためにこの「ブロークン・ビスケット」をよく買ったのだそうです。
彼女の実家もけっして豊かではなかったそうです。

ですから女房はこの個展のタイトル「ブロークン・ビスケット」というのを目にして、本当にノスタルジックな感慨を与えてくれたと言っております。

で、僕自身を考えてい見た。(僕は女房を同い年です)
僕らが子供の頃の、つまり敗戦後間もない日本はオーストラリアとは比較にならないほど、貧乏でした。
ビスケット(クッキー)なんて、近所の店には壊れた(ブロークン)物どころか、影形も無かったと思います。
最初に食べたいまだに思い出に残る「ビスケット」というのが、なかなか記憶の中から浮かんできません。

チョコレートの思い出はあります。 特に本当に美味しかった思い出があるのは「クオリティー・ストリート」というイギリス製のチョコレートの詰め合わせでした。 今買って食べてもそれほど美味しいとは思わないのは、もっと美味しいライバルが沢山出たためでしょうが、当時は数少ない高級チョコレートだったはずです。
我が叔母がちょうど適齢期だったためか、交際を望む男性どもが持ってきたのでしょうが、当時としては随分高価だったはずのこの「舶来チョコレート」は僕も何度か「おこぼれ」にさずかったのです。

しかし、ビスケット(クッキー)と言う物がそれほど人気が無かったのかほとんど記憶がありません。 確か缶入りのクッキーは食べた記憶はあるのですが。
日本製の「ココナッツ・XXXX(名前が出てきません。 一昨日の麻酔が未だ残っているのか。 この日記をタイプしていても相変わらずキー入力ミスるし)」という四角いビスケットは美味しかったと言う思い出があるのですが。
確かこのビスケット、外国で賞を受賞したとか書いてあったような。

David Lever の絵を見ていると女房が懐かしがるのもわかるでしょ。

 


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