9月前半の日記
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2001年9月1日

今日は日本には無いニュースエージェントのことを書こうと思っていたのですが、友人に昨晩のバースデーディナーの事を書いていたら、その事を書きたくなってしまった。

僕ぐらいの歳になると、誕生日などはすぐに来てしまうように感じて、あまり嬉しくない。
我がオヤジの歳くらいになると、まだ生きていたんだと言う事で「お誕生日おめでとう」と言われても、実感があるかもしれないが。

で、昨晩は一応誕生日と言う事で、一家五人で食事に出かけた。
僕の誕生日なので、何処へ行くかの選択権があるので、「回転寿司」って言ったら、5人中3人までが、いやな顔をなさる。 つまり反対派。 
賛成派は、僕と我がオヤヂ(支払い係)の少数派。

つい先日、娘の誕生日ディナーで「テツヤズ」レストランに行って、散財したばかりだし(娘は次の日、やはり高級レストランで、友人たちだけの誕生日ディナーパーティーまでやっておる)。
それよりなにより、いつも顔つき合わせてる5人で、長々と飯食ってても、喋る事など有りゃしない。
B級グルメ愛好家の僕は、史上最速のレストラン、「回転寿司」大好き。 何しろ、注文する前に出来て待ってるから、駅構内のかけ蕎麦よりも速い。(もっとも、誕生日ディナーに、駅の構内に、かけ蕎麦は食いに行かないと思うが。 あ、それよりオーストラリアでは、駅で蕎麦売ってなかったですな)
とにかく、さっと食ってさっと帰る。 それで十分。 
ではここで、僕の(B級グルメね)オーストラリアでの回転寿司の食い方、及び楽しみ方を。(”オーストラリアで”と書いてあるところに注意)

まず回転寿司で、一番気に入らないのが、出てくるお茶と湯のみ。 
お茶は日本茶のティーバッグを使ってるのだが、オーストラリアでは日本茶は高いので、非常に質の悪い、多分アメリカ産のジャパニーズティーバッグを使っている。 
そこで、まず出かける前に、日本より取り寄せた寿司にぴったりの茶と、寿司屋の使うような大きな急須、それにこれも気に入らないプラスティックのカップの代わりに、湯呑をバッグに入れてBYO.
(Bring Your Own の略です)

行くなりオネーさんに急須を渡すと慣れたもので、すぐにお湯を満杯にして運んでくる。 (最初にこれをやった時に、印象強かったのか、このごろは行くと、言う前に急須を取りに来る。 他にこんな客いない)
あ、そうそう、この「マイ急須」の利点は、オーストラリアの回転寿司、食べるところに、お湯が出てこないんです。 だから、忙しい時など、「すみません〜、お茶下さい」て待ってても、いつ来るか分からない時もある。
寿司食ってて、お茶待ってるなんて、言語道断。 寿司っていやー気の短い江戸っ子の食い物と、相場が決まってる。

次に、これもオーストラリアっぽいのですが、食べてる客はほとんどがオーストラリア人(あたりまえ)。 だから、自分の食べたいものが回って無くても、他のを選んで食べてる。 
つまり回転寿司でも、欲しいものを作ってもらって食べられる、というのを結構知らない。 その上、ネタの名前も(つまり魚の名前等)ほとんど知らない。 
で、カウンターの中で作ってるのは99%日本人のオニーチャン達。 ほとんどがアルバイトか。
で、たまに通のオーストラリア人が、聞いた事もない魚の名前を言って、作れるかと聞いても、今度は中の日本人がまったくチンプンカンプンで、全然理解できない。
だから、英語に自信の無い中のオニーチャンなど、たまに何かオーストラリアの客が、話かけたり(この白い身は何の魚だ、とかね)しても、答えられないので、なるべくカウンターの中で、一心不乱に作るふりをして、聞こえないのを装っておる。
そういう状況の中で、ぼくが大きな声で(もちろん日本語で)「ひらめ2枚」なんて言おうものなら、地獄に仏の心境で、他のもの作っていても、即座に僕のオーダーに取り掛かってくれる。

そうそう、大事な事書かなきゃ。 オーストラリアでは、(多分日本と違って)売れない皿でも、結構延々と回っていたりします。 で、回転寿司のようなレベルの寿司の場合、ネタが延々と回ってると、不味くなるものが有る。 僕は大体目と勘で分かるのだが、オーストラリア人は分からない。

ホタテ、イカ、マグロなど等、(ネタにもよるが)もちろん少し冷えていて、作りたての方が美味い。(日本の超高級の寿司屋のネタは、妙に冷やさないらしいが)
そこで、ほとんど食いたいものは、たとえ目の前を通過しても、無視し、オーストラリア人が取って食ってしまった途端に、それを注文する。
だから、僕はそこにいるオーストラリア人のお客に混じって、一人で中のオニーチャンに声をかけて、作りたてを食べてる次第。

お茶は美味いし、湯飲みはマイカップだし、寿司は作りたてで美味いし、文句無し!
昨晩は例によってその調子で、腹いっぱい食って、(そう僕は大食らいなのです。 テレビチャンピオン、大食い選手権にオーストラリア代表で出てしまおうかしら←イや冗談)〆て一家5人分のお会計は、

娘の誕生日の10分の1だった!

バアサン曰く、「孫の誕生日は、オマエの10年分!」
イエイエ、上等でございます。


2001年9月2日

昼前に女房と娘が、Hunt Street と Commonwealth Street の角にある、Longraine というレストランに一緒に行こうと(半ば強制的)さそう。
ところが、これが「レストランに食事」ではなかった。

いえ、食べた事は食べたんですけどね。 
まず、この僕にとっては初めてのレストラン、雰囲気がなんかニューヨーク的というか、オーストラリアっぽくない。
人がどんどん出入りしていて、なんか雰囲気が違う。
僕には最初、本日の主旨が理解できなかったのですが、「マーケット・デイ」と題し、このレストランに働いているシェフや、店に関係のあるものを、まるでバザールのように、並べて展示即売している。 
何人かそこで働いているシェフそれぞれが、自分のご自慢の料理を、セクションごとに別れて、試食販売してるし、中には、その店に卸してる食器類の卸元まで、しゃれた皿等を並べて売ってる。 使ってる、生ハーブ類は、業者が鉢に入れて展示即売してるし、そこで使ってるローストダックは、その専門の卸元がといった趣向で。
よく判らないが、タイ風クッションまで展示即売してました。 腹がくちたらそこで横になろうっていうのでしょうか。
そうそう、このレストランやっぱり今流行りの無国籍料理らしい。
で、タイのハーブ系などが、強く前面に出てる味付けとか。

今日は特別、置いてあるものを試食する分にはタダ。 で、それを気に入ったら、買ってその場で食べても良いし、お持ち帰りにしてもよし。
普段は左がバー、右がレストランというかなり面積の広い店内に、黒山の人だかり。 
年に4回ほどやるそうですが、かなりのグルメ食品が楽しめました。
パン、チーズ、などの定番から、無国籍風のものまで。

これは店の宣伝にもなって面白い試みかもしれない。 中はDJもいて、BGM流してるし、来てる客も食通風とか、評論家風とか、雑誌関係のようなのが多かった。
かなりの混雑で、立って食べてる人もいれば、バーのカウンターの方に持って行って、カクテル作ってもらって(日曜日の昼下がり)食べてる人や。なんとも、雰囲気がシドニーではなく、ニューヨーク風でした。 

今日は、別の事書こうと思っていたのに、時間がない。
今日の日記はこれで終わりとします。
(今からまたお出かけなので)


2001年9月3日

日本からガスについての質問を頂いた。 これは、先日の新宿歌舞伎町の(ガスによる)火災に関連する質問のようです。

質問してきた方は、オーストラリアや英国などでは、日本ほどガスを使わず、ほとんどが電気なのではないかと。
確かに、海外では台所の調理台でガスを使ってるのを見かけるのは少ないかもしれません。 実際、確かに少ないんです。 

この質問を受けて、考えてみたら、そんな事にも日本との生活の違いというのが、浮き彫りに。 で、今日は日本には無い物編。 
第一回は「台所編」です。
僕がイギリスにいた時から、ガスの調理台というのは人気が無かった。 これは、今回の事故のように、もれて爆発すると危ないという理由だけではないのです。 もしそうなら、炊事や風呂のための湯もすべて電気のはず。 しかし湯は(特にイギリスでは)結構ガスが多かった。
僕が思うに最大の理由は、料理の違いなんですな。

つまり典型的なイギリス料理=オーストラリア料理というのは、茹でる、煮る、オーブンでベイクするというのがほとんどで、炒めるというのが欠けておる。 日本や、中華のように野菜炒めを電気で作ろうものなら、途中から煮るような状態になり、パリ、サクッと美味くできない。

ロンドンでアパートを購入した時に、運良くチョイスがあったので、日本人の僕は迷わず、ガスの調理台を買った。
しかしそのアパート(12軒)の中で、ガスの調理台を使ってるのは、確かうちだけだった。
オーストラリアに移っても同じで、ボンダイジャンクションに買った最初の家は新築だったが、最初から付いていたのは電気の調理台。
つまり建売屋にとっては、電気に統一する方が、安上がり、その上、高級アパートなどは、ガスを使うとインテリアの雰囲気が、モダンに見えないというのか、ほとんどガスを最初から引いてない。

オーストラリアではもちろんガスの方が光熱費としてはうんと安くつくのに、湯沸し器も電気。 オーストラリアのガス会社も、大いに宣伝に努めているが、あまり増えないようです。 
この湯沸し器について、少々説明を。

オーストラリアでは、瞬間湯沸し器というのが存在しません。 たとえガスを使ってる家でも、お湯はタンクに沸かして、貯めておく方式です。
このホット・ウォーター・タンク方式は、ゆっくり時間をかけて湯を作るので、日本から来る学生をホームステーさせる家では、頭痛の種になる事がある。 
日本では、朝シャンというのか毎朝出掛ける前に、お湯をバンバン使って、髪の毛洗うのが(多分今でも)当たり前、という人が多くて、そこの家族が、その後使おうと思うと、3人目くらいで、途中で湯が無くなってしまう。
日本から来ている若い人に、注意しても、何で湯が無くなるかさえ分からないで、戸惑ってる事がある。

特に冬場で、その上電気方式のタンクの家では、よっぽどタンクを大きくしても、間に合わない事がある。 これは、将来オーストラリアにホームステーなどと考えてる人には、知っておいて損ではないです。

同じ事がヤカンに言える。 イギリスやオーストラリアでは(多分)90%以上の家庭では、電気式のヤカンを使っています。
たとえガスの調理代のある家でも、ヤカンは電気式。
これも日本から来てホームステーしていたり、オペアーをしてる人がたまに問題を起こしてくれます。
なぜなら、下の写真を見てもらえば分かるのですが、調理台にかける普通のヤカンとそっくりだからです。
日本のビジネスホテルに置いてあるような、見るからに、火の上に置けないと見えるものも、無いわけではないが。
たまたま電気のコードが外されていたりすると、そそっかしい人は、そのまま火の上に置いて、湯を沸かし始めてしまうんです。

当然、下の、プラスティックの部分や、電機の部分は焼けて壊れてしまいます。 なぜこれほど電気式のヤカンが普及してるのかは、かなりズサンな人でも安全に湯が沸かせるから。 つまり水を入れて、スイッチを入れておくだけで、沸騰したら勝手に切れるので、忘れても沸かしっぱなしが無い。
               

左が、ヤカン。 ロンドン時代から使い続けたメーカーのもので、モダンなデザインのよりも、よっぽど使い易い。
電気のコードがついてないと、そのまま火の上に掛けちゃいそうでしょ。 右が、電気の調理台、熱は一枚のガラスの下から。
手前左が、火をつけた状態。 表面は真ッ平らで、吹きこぼれなどの掃除は簡単ですが、炒め物には苦労します。


2001年9月4日

先日、僕と同じ日が誕生日の友人のために、カードを買うのをすっかり忘れていたのを、彼からカードが届いて気がついた。 運良く彼からのカードは、配達されたのが前の日だったが、すでに夕方近く、慌てて近所のニュース・エージェントに買いに行った。

今日はこの、日本では有りそうで無い、「ニュース・エージェント」について書いてみます。
最近オーストラリアでも、いわゆる「コンビニ」が増えつつあります。 しかし皆さんが思っているほど普及してません。 その理由の一つに、このニュース・エージェントの存在が関係してるかは、確かではありませんが、置いてある商品の内容はかなり重なる部分が有ります。

僕が買いに行った、グリーティングカード類(誕生日、記念日などなど)は、そのニュース・エージェントには必ず有る。 それにしても、グリーティングカードって、なんであんなに高いんでしょう。 思いっきり儲かってると思うけど。 だいたい雑誌買ったら綴込みか付録で付いてくるようなものでしょ。
話を戻します。
ニュース・エージェントというくらいだから、新聞(これはその地域の各家庭に配達する新聞も、司ってる事が多い)や、雑誌、文具類。はたまた菓子類も有る。

そして、もっとも大事なのが宝くじの販売なのです。 ギャンブル好きのオーストラリア人にとって、宝くじは欠かせない存在、この販売は一手に引き受けてます。
で、なんでコンビニがそのニュース・エージェントを駆逐しないのか、考えてみたのですが、どうやらオーストラリア人の嗜好に、コンビニというのがまだ馴染んでいないのです。
じつは、日本にあるようなコンビニを開店しようとすると、地域の住民の反対に遭うらしい。 つまりマックや、ケンタッキーのような、どこ行ってもまったく同じように見える店が、夜中まで電気を晃晃(こうこう)と燈らせて、営業されたらたまらないっていうのです。
特にオーストラリア人は、「アメリカ」を象徴するようなつくりの店が、住宅街に迫り来る事を好まない。 自分たちの住んでる所の雰囲気や、キャラクターを無視してるというのですな。
確かにニュース・エージェントのつくりは、画一的ではなく、その地域に溶け込んでいるとは言えます。
また、電気が「晃晃」というのも、かなり好きじゃない。 
確かに、店のネオンサインなども日本よりは大いに規制されてます。
それにしても(日本もそうだが)シドニーに有るコンビニも、何であんなに明るいんですかね。
遠くからも良く見える、灯台の役目も果たしてるんだろうか。 

さて、自宅近くのニュースエージェントに行って、カードを買った話にもどします。
僕より15歳近く年上のお医者さんである友人の「バリー」は、公園で犬を散歩する時の仲間。 もう知り合って、10年以上になります。 そう、うちの犬ももう老犬です。 とても仲良くなって、付き合いが始まった。 彼から来るカードは毎年ユーモアたっぷりのもの、僕も冗談大好きな方なので、ふざけたカードを送ります。

で、今年は慌てて近所のニュース・エージェントに行ったので、(つまりカード専門店ではないので)置いてある種類に限度がある。 特にユーモア系のカードは、非常に選ぶのに苦労するところ。
ふと見ると、そのカードの表紙には若い男性の筋肉もりもり君が写っていて、「僕たち仲良し」っていうような雰囲気の、ゲイからゲイへの誕生日カードが目に止まった。
で、中のユーモア系のコピーはいまいちだったんですが、(後で、ペンでコピーを変えた)こういうユーモアを彼はどう反応するか、興味が湧いてそれを購入したのです。

いえいえ、彼はゲイではありません。 お孫さんまでいるし、公園で若い女性が、やはり犬の散歩に来ると、そっちの方は、必ず見ている方ですから。
あ、その前に。 こんな住宅街のニュース・エージェントにも、ゲイのためのカードが置いてあるっていうところが、これまたシドニーらしいんですよね。 シドニーは、サンフランシスコだったかに次いで、世界で2番目にゲイの多い街だそうです。 ゲイはものすごく一般化しているのが、この店のカードのコレクション見ても分かります。
彼がこのカードを受け取ったら、どんな反応するやらと、ニヤニヤしながら、そのカードを手にとって、レジに支払いに行った時に、思わぬ事が起ったのです。

そのニュースエージェントのカウンターで働いてる35歳くらいのお兄さんの目つきが、急に今までと変わったのを、僕は見逃しませんでした。
「ひえ〜!」いえ、僕はゲイではなく、友人に冗談のつもりで、なんて説明できるわけもありません。
何と、そのお兄さんもゲイだったのです。 で、たまにお客で来るこの日本人のオヤジ風(僕の事)も「ゲイ」だったんだっ!て顔で僕の方を見てます。

今までだったら、顔も見ないで、つり銭渡してたのが、なんかかなり微笑み一杯って顔で、とっても丁寧につり銭も渡されちゃって。
同じ誕生日の友人にカードを渡して、ビックリさせようと思っていたら、僕の方がビックリさせられてしまいました。
ウ〜ん、今度からそこへ行く時どうしよう。


2001年9月5日

今朝6時前に起きて、両親をチャッツウッドに連れて行った。 葬式に出るために、朝7時までに待ち合わせ場所のコミュニティーセンターへ行かなければならないと、昨晩突然に言い出した時には、半信半疑だった。

結構ボケてる親の事、「7時」と「1時」を聞き間違えたのではないかと思っていた。 
ところが本当に朝の7時に集合だったのです。

なぜそんな朝早くから葬儀をしなければならなかったかを書くには、少々説明が必要です。

我が両親は、オーストラリアに来てから同じ日本人同士のお年寄りの集いである、JAPAN INTERNATIONAL SENIOR SOCIETY OF AUSTRALIA とういうのに所属して、毎月会合を持ち楽しんでいます。
これについては過去の日記に書いたので、詳細は省きますが、この老人会(と僕は呼んでいる)には、日本人だけでなく、台湾や韓国からの御老人も数名いらっしゃる。

若い方の中には知らない方もいるかと思いますが、昔の日本政府の植民地政策のために、日本語ペラペラのお年寄りは台湾にも韓国にも沢山いらっしゃる。 そういう方でオーストラリアに移住された方もこの会にいらっしゃるわけです。

じつは亡くなられた方も韓国出身でお名前は「金」さん。 第二次世界大戦では、日本軍に徴集され、日本兵士として戦ったのです。
さて、その「金」さん、とても人気があって、皆から愛されていた。
人付き合いの良い「金」さん、同じ会員の元戦争花嫁(これも若い人には分からないだろうか?。 分からなければ「戦争花嫁」でGOOGLE検索してください)の未亡人が、引越ししなければならなくなって、「金」さんに相談したら、すぐに引き受けてくれた。 手伝いに来てくれたのです。
ところが引越しが一段落つく前に、その未亡人の親戚が(日本にいる)突然亡くなってしまったのです。 そこで引越しの後片付けを「金」さんに頼んで、その未亡人は葬式のため日本に帰国した。

人の良い「金」さんは、歳なのに(74歳)未亡人が日本に行ってる間、一人で数日かけて、後片付けをしていたそうです。 片付けといっても引越しですから、家具を動かしたり、重いものを運んだり等があったというのは容易に想像できます。
で、疲れが出たのか、片付けの終わった最後の晩、家に帰ってきたら急に胸が痛いと言って、倒れて。 心臓麻痺で亡くなってしまったのです。

で、本日が葬式だったのですが、「金」さんには、オーストラリアで再婚した、インドネシア出身の奥さんがいた。
「金」さんは、日本を愛し、仏教信者だったので、オーストラリアにある、本願寺が葬式をやろうとしたら、待ったがかかった。

インドネシア出身の奥さんは、どうしてもキリスト教の葬式をやりたいと、主張。 で、朝の9時前に仏式でやって、終わると遺体を今度は教会に運んで、2度目の葬式を、という、まことに妙な事になったのです。
ですから朝の9時までに終えなければいけないという事で、朝7時集合となったわけですが、ここにもマルチカルチャーの複雑な一面が垣間見えます。
我が両親曰く、日本に行ったその未亡人は、今度は「金」さんの葬式に急遽戻って来たが、責任を感じてか、その葬式中彼女の嗚咽が、会場に響き渡り、最後まで止まらなかったとか。

日本のために戦争で戦った「金」さんは、多分韓国国籍だから、軍人年金も(恩給が正確か?)もらえなかったでしょうし、最後まで日本人のために奉仕したなんて、そういうふうに考えると、なんかとても悲しいです。



2001年9月6日

今日は朝から、税理士事務所へ。 前の日記にも書いたように、税務署の査察(税務調査というのかもしれないが、査察の方がなんとなく、怖そうで良い)を受けに行ったのです。 我が税理事務所での取り調べ(調査)にやって来たのは、中年の男女二人。 どっちも絵に描いたような、税務署職員という風采。 さすが!カジュアル王国オーストラリア、男性職員の方は、セーターにジーンズにスニーカーという、ホリデーにこれから行こうかといういでたち。 もちろんノーネクタイ。 女性の方も、地味なスカートに、上はやはりセーター。 ただし、彼女の下げてきたカバンは、かなり使い込んだ「仕事してる」っていうのを物語るような、大型のものでした。

我が税理士も当然同席し、質問が開始されたのですが、どうも彼らの言う質問と、我われの答えが噛み合いません。
四半期ごとに提出する、PROVISIONAL TAX (日本語でなんて言うでしょう、自分で計算して暫定的に納める所得税です)の額が、税務署の計算と、僕が払ってきた額との大きな違いを指摘してるのです。

その差たるや、100倍近く。 その上、僕のやってる会社は、ほとんどオーストラリアで、消費税を納めてない。(これは後述)
で、色々書類をひっくり返しているうちに、突然その女性職員の顔がまさに「真っ赤に」染まったて、「OH!I AM VERY SORRY」なんて言い出したのです。

あのこれは、税務署のプロ、つまり数字のプロとの会話ですが、これを読んでる方は、その辺を留意して、以下を読んでください。

で、その女性職員(一緒に来た男性職員より偉そう)が、なんと、パーセンテージの桁を二桁間違えて計算して、これはおかしい、ちゃんと僕の会社が税金払ってない、というので、調査に乗り出したのです!
例えば7パーセントというのは、100分の7です。 つまり0.07とも書ける。 例えば、100万円の7パーセントつまり、100分の7は、7万円になります。
で、彼女は(誰かのタイプミスだと言い訳をしていたが)0.07%と100分の7つまり、7%を大勘違いして、100倍もの差が生まれたのです。
つまり。100万円の0.07%は700円で彼女の主張する、7万円とは、100倍の差があるのです。 この7%と、0.07%の数字はあくまでも、例えですが、その上なんと0.07%のところをタイプミスで「7」の代わりに、ご丁寧にも、「9」つまり「9%」になっていました。

イエイエ、本当です、この話、日本では信じられないでしょうが。
その上、僕は御影石を日本に輸出しているので、消費税は国内の消費に払うものなので、海外に売ったのは払う(徴集)する必要がない。

ところが、そんな事は知らずに、とにかくこの会社はおかしいと言う事で、査察を決定したのです。
ところが!わざわざ、そこまで足を運んで来たのだから、彼女たちが自分の間違いだって判明しても、「はいバイバイ」とは行かなかったのです。

自分たちの失態を隠す意味でも、しっかり重箱の隅をつつくように、やれいついつのレシートを見せろとか、抜き打ち的に種々の経費、出費などをしっかり調べてお帰りになりました。

もちろん全く隠す事もなく、やましい事もないので、朝出かける時から、心配はしてなかったのですが、やはり終わった時にはホッとしてたら、やけに、うちの税理士が(我われ以上に)「ア〜、良かった〜」何て喜んでる。 
で、別に隠す事もないし、不思議に思って聞いたら、オーストラリアでは税務署の査察などめったになく、この経験豊かな税理士も彼女が独立してから、初めて経験したっていうのです。
その上、税理士曰く「もし今日、問題が出たら、私の抱えてる他のクライアントすべてに査察が始まる可能性があった」との事。
だからうちのお陰で、「当分安泰だ!」なんて言うんです。

なんかうちがスケープゴートになったような。
それにしても、なんだったんでしょう。 膨大な書類の束を税理士事務所に運び込んで、緊張して(数ヶ月前から)待たされていたのは。
嫌味で彼らが帰る時に「今回の調査では一切の不明点はなかった。」
というようなものを、文書で出すように要求したら(これこそお墨付きっていうんでしょうか)、うちと、うちの税理士にすぐに送りますと、照れくさそうな顔をも見せて、そくそくと、帰っていきました。

オーストラリアって、ノンビリしてるでしょ?


2001年9月7日

三寒四温と言うのか、シドニーも大分「春」らしくなって来ました。
ということは、日本では「秋」が感じられ始めているのでしょう。

先日来、武田君と一緒に、太平洋をはさんで日本とオーストラリアで、小学校卒業時、同じクラスだった同窓生の捜索を始めたのは、何回かこの日記に書きましたが、担任の先生とも連絡がつき、われわれにメッセージも戴くまでになりました。

これも「IT革命」の賜物と、喜んでいたら、一昨日来より武田君とメールの交信が不通に。
このような問題はよくある事で、すぐに復旧しますし、取り立てて騒ぐ事は無いと思っていたのですが、ちょっと不思議な現象なので書きます。

このような現象は初めての経験なので、もし似たような事を経験した方は、どこが原因だったかお教えいただきたいと。

まず、彼も僕もちゃんとメールの送受信は出来ている。 彼と僕の間だけで、完全に不通なのです。 つまり特定な人(つまりメールアドレス)間だけで、メールのやり取りが出来なくなる事があるのかが不思議なところ。 僕もそれ以来、日本にいる他の友人や妹のところに、試験送信したが、ちゃんと受け取ったと、返事のメールが帰ってくる。
う〜ん、なにやら不可解な事だと思うのですが。
例えばサーバー機を管理してる人が、特定の名前が付いたメールは、はじくとか。
ご存知の方、いたらお教えください。 また僕にメールを昨日来送ったが返事が来ないと言う方がほかにもいたらお教えください。
彼以外にも問題が出てるようなら、、また僕のPCをチェックしなければいけないし。

さて話は変わって、僕の「浦島太郎度」を痛感した事があります。
先日の新宿の火災で、44人もの人が亡くなったわけですが(さすがにこのニュースは、オーストラリアでも報道された)火元と見られるマージャン屋という記事を見て、僕はすっかり勘違いをしていました。

その記事を見たときには、麻雀をやっていた人が、煙が来ても、すぐに逃げる事を考えず、勝負の精算というか、点棒などを数えなくては、と麻雀の勝ち負けに夢中で、逃げるのが遅れたのではないか、また今や麻雀パイもすべてプラスティック製で出来ているから、燃えた時によけい有毒ガスが出たのではないか(これはちょっとジョーク気味かな)昔は竹に骨や、高級なのは象牙を使っていたからなんて、友人にメール書いた。
つまり浦島太郎の僕は、麻雀屋では四人一組で卓を囲んでというイメージしか出てこなかった。

ところが何と、さすがコンピュータ時代というか、まるで昔のスペースインベーダーのように、画面(モニター)に向かって、機械相手に麻雀を打っていると知って、ビックリ。
もっともスペースインベーダーが流行った時には、僕はとっくに日本を離れていたが。
で、今のこの手のマージャンというのは、ギャンブル、つまりパチンコやスロットマシーンと同じように金を賭けてバクチを打つって事なんですね。
一晩に何十万円もその機械相手に負ける人もいるとか。

僕には信じられません。 多分やってる人は、中の(ゲームの)プログラミング、完全に信用してやってるんでしょうが。
とにかく、そこの「マージャン」というのは4人でやらないなんて、全く知らなかった。 4人で、つまり3人の「人間」を相手にしてこそ、麻雀の面白さがあると思うのですが。
そういうゲームなら、最初からパチンコ屋でも置かないんでしょうか。 
パチンコ屋なら、もっと逃げやすいような気がします。

と、なにやら(多分)日本を知らない人間が、トンチンカンな事を書いてるような気がし始めたので、この件は片付けて。

テニスのUSオープンがいよいよ佳境に入ってきました。 最近のテニス界は日本人の選手の活躍が少なく残念なのですが、オーストラリアはラフターやヒューイットが頑張っているので、大いに盛り上がっています。
できるかぎり試合は見たいのですが、アメリカとは時差があるので、夜中のは録画してる。
だから結果を先に知ってしまったら面白くないので、朝の新聞もスポーツ欄は開けないようにしてるし、テレビのニュースも見ないようにしてるわけです。
ところが昨日税理士のところに行ったときに、電車で行ったのですが、大きな落とし穴に。 最近電車のホームにはストリートビジョンという名前の映像が、ホームに立つと目の前にプロジェクターで映し出されている。 それを見ていたら、試合の結果をいきなり流されてしまった。 乗客が電車を待つ間、ニュースを見せたり、天気予報などを流すというのを、うっかりしていました。 

先日の日記に日本の騒音の事に触れましたが、その中で、駅の構内のアナウンス等の騒音について書いたが、ある意味ではこれも、親切の強制かもしれない。 もっとも、かなり音は低いし、騒音とまではいえないのですが。 そうそう、その後日本の騒音の事思い出して、注意してたら、オーストラリアでも、構内放送はすべての駅ではないかもしれませんが、有る事を確認。 女性の声で、とても適切な音量で、さっと必要な事だけのアナウンスが。 電車内のアナウンスはいまだに無いようです。
オーストラリアは州にもよるのでしょうが、メルボルンではほとんどプラットホームでも、車内でも、アナウンスは一切聞いた事ありません。
やはり日本と比べたらはるかに、静かです。


2001年9月8日

昨日、三寒四温と書いたのに、今日は初夏の陽気にひとっ飛びです。
朝、両親をチャッツウッドに(老人会)送って、帰ってから犬を風呂に入れてました。 座敷犬と違って大きなシェパード、しょっちゅうは洗えませんが、最高の天気なので。 洗ってたら、Tシャツ1枚でも暑いくらい。

さて数日前に、またまた思わぬ人からメールが届きました。 OUTLOOK EXPRESS のINBOX(日本語では受信フォルダーかな)になにやら見慣れぬ名前が。 
ご存知のように、電子メールの場合、見慣れぬメールが来た場合は、少々注意が必要です。 でも添付メールも付いてないし、と思ってるうちに気が付きました。 なんと僕が生まれた家のお隣さんからだったのです。

いや〜、ビックリするやら、感激するやら。
で、今日はその事を書いてしまいます。 ただし、そのお隣さんのプライバシーもありますので、匿名で。

僕が生まれて育ったのは、東京の田園調布というとこです。 我が両親がオーストラリアに来るために、そこを売却するまで、3代にわたって住んでいました。 僕のHPを見つけて、メールを送って戴いたのは、お隣の幼馴染、ヨチヨチしてる時からしょっちゅう一緒に遊んだ仲間です。

しかし、(日本のほかに地域は良く知らないが)中学に入る前くらいから、近所の同年代の子供達は(僕以外)お勉強に集中するのか、ほとんど一緒に遊ばなくなっていました。(僕だけ道で、ボール投げて遊んでました。)
今も田園調布は、そうな感じなんだろうか。 
とにかくそんなわけで、メールを送ってくれた彼も言うのですが、40年ぶりなんです。 そう、考えてみれば、小学校の同窓生と同じように、話さなくなってから、40年も経っていたのです。

お互いの子供も大きくなる歳になって、懐かしい昔話に花が咲いています。 で、一緒に住んでる我が親にも、メールを戴いた事を話しているうちに、今まで親から聞いた事の無い話まで飛び出してきました。

僕の祖父が、田園調布に家を建てて住み始めたのは、1920年代の頃です。 で、何とその当時は、水道が無くて地元のお百姓さんの井戸から、毎日桶で、生活水を運んでいたとか。 それも坂を上がり下りして。 自分のところで、井戸を掘って、やっとその水運びから開放されたとか、まるでアフリカかなんかの話みたいなんです。
(いえ、田園調布のすべてが水道が無かった訳ではないようですが) 
そう、日本では高級住宅街と知られてる、田園調布だってそんなもんだったんですね。 その当時の新興住宅地だった。 いや住宅地とも呼べない環境だったんですね。 電気だけは来ていたらしいが。 
その時代、周りの家はみな鶏を飼っていて、その鶏が、狐に盗まれてしまったとか、狸も出たとか言ってます、うちのオヤジ。 
我がオヤジの言う事はたまに眉唾って事もあるんですが、どうやら狐の話も本当らしい。

そうそう話がちょっとずれますが、シドニーで家で鶏飼おうと思ったら、地元の区役所から許可を取る必要があるとか。 で雄鶏は許可下りないそうです、朝から「コケコッコー」と鳴いて騒音出すから。
これも騒音に厳しいシドニーらしい。(今時東京のど真ん中で鶏かいたいって思う人もいないでしょうが。)

さて、田園調布の話に戻ると、
だいたい、僕が家を出た1970年まで、田園調布にはちゃんとした下水が無かった。 つまり汲み取り式だった。 だから、当時遊びに来た女房が、我が家の便所に入って、ビックリしたのを覚えてます。

40年ぶりに幼馴染から戴いたメールで、その晩は昔話で我が家は大いに盛り上がりました。
いや〜、HPやってて良かったです。 やってなかったら、こんな簡単に(たとえ僕が、同じ日本に居たとしても)その元お隣さんと、昔話は出来なかったでしょうから。


2001年9月9日

今日は日曜日、今後は土曜日か日曜日の(どっちか決めてませんが)日記お休みしようかなと思っています。
どうも週末は、モニターの前に座る事が少ないので。
家族サービスというのか、無理やりつき合わさられる事があるので。
で、今日の(日曜日)日記ははお休みしようと思っていたのですが、朝、珍しく親と一緒にNHKを見ていたら、中学の教師が、12歳の女の子を手錠をかけて、というニュースをやっていたので、急に思い出した事があり、忘れないうちに書かなければと。

あ、その前に昨日の日記について、女房が汲み取り式の便所に驚いたと書きましたが、YOGIさんが、それは日本式の便所に驚いたのであって、汲み取り式ではなかったのではないか、という指摘、改めて女房に聞くと、便器は確かに日本式であった。 汲み取り式であったかどうかは怖くて、下を覗かなかったので、良く覚えてないとの事。 記憶力の良いはずの女房も、橋本病で、忘れてしまったのか、はたまたいやな事は忘れたかったのか、僕の記憶違いか、今となっては・・・・。

しかし確実な事は、下水が完備したのは1970年代なのです。 田園調布でも。 オーストラリアにワーキングホリデーで来て、僕と知り合った人達にとっては、1970年代でも大昔の事と感じるかもしれませんが、パリやロンドンの下水の歴史とか見ると、その差に驚かれる事でしょう。

さて、今朝のニュースに戻って。
このニュースを見ていると、とても日本的に感じる事が、多く含まれてるなあと。
まず、携帯電話での出会いのテレフォンクラブ。 オーストラリアには、テレクラっていうのはあるんだろうか? 聞いた事無いです。
次に、昔の日記にも書いた、援助交際というのか、中学生がオヂサンと平気で遊ぶ風潮。 オヂサン側からいうと、ロリータ志向の強さ。
いやこのロリータ志向というのは、日本では蔓延してるようで。
西欧にも無いとは決して言えないけど、絶対に日本のほうが多い。

昔僕が日本から来る若い人と話してる時に、21歳と19歳の男の子が喋ってるのを聞いて、思わず笑ってしまった事がある。
この二人日本にいるときに、そうとう悪さをしてたらしいが、夏に海の家でアルバイトしていた当時の話しを自慢しあっているのです。
「オレなんか、中学生専門だったけど、やっぱ若くて、肌なんかピチピチで全然違いますよね〜」なんて、二人で盛り上がっている。

19歳と21歳の話とはとても思えない、まるで中年のオヤヂが女子大生がどうのこうのと言ってるのと全く同じ。
日本って、こんな歳の時からこういう志向で行動してるんでしたっけ?
オーストラリアのこの歳の子で、「若い方が、肌の張りも良くて、、、」なんて会話はまずもって、ないでしょう。
日本では、若い時からオヤヂ達の影響を強く受けるのだろうか。

次に多いのが、(今回の事件とは関係ないが)電車の中のチカン。 今に始まった事ではないのですが、日本のチカンって、独特です。
女房が、オーストラリアから早稲田大学に留学しに行った当時、一番ビックリしたのが電車の中のチカンだったそうです。
最初は何だか分からず、そのうち日本独特のチカン行為と知って、やられると、にらみつけ、それでも止めない奴には、持ってるカバンなどで、思いっきり殴りつけたこともあるとか。
彼女は170cmあるし、当時は合気道やってたから、殴られたチカン、吹っ飛んだかもしれません。
彼女曰く、真面目そうで、おとなしそうなサラリ-マンが多かったそうです。

もちろん性的な犯罪は古今東西、西欧にもありますが、日本のはなんか淫靡で陰湿です。

オーストラリアでも(多分西欧にも)僕が許せないと思う性犯罪の中でも最も酷いのは、教会の牧師が若い子を手篭めにしてしまうというもの。
手篭(てごめ)めという表現が適切でなければ、レイプ、セクハラすべてを含む。
で、何とこの被害者の「若い子」には男の子が含まれる、いや正確にいうと、男の子の方が多いのです。
つまり同性の幼児レイプ。 これは日本では少ないかもしれない。
「援助交際希望の若い子」というのとは訳が違う。
真面目に日曜日など教会に行って、というのがやられてしまう。
親も安心しきって預けてる教会の牧師がやってしまう。
 
僕が、オーストラリアに来てからでも、この教会関係のスキャンダルは、何度も起きてます。
つい先日には、ウーロンゴンというところで、起訴されている元教会の牧師(こいつもかなりの人数の子供をレイプしてしまった)が、惨殺された。
自宅で、何度も何度も頭を殴られて割られて。
で、犯人は昔牧師にレイプされた事のある(注。同じ牧師ではない)30代の男だった。
この犯人は、精神異常とされているらしいが、子供の時に、ある牧師にレイプされた経験があることが記録として残っているとか。

これも、悲惨な話ですな。


2001年9月10日

今日は、女房の教えてる高校へ、模擬試験官をしに行ってきました。
毎年恒例になったこの口答試験のための試験官のお役目について、今日は書いてみます。

まず最初に説明しなければならないのが、毎年今の時期に行われている、Higher School Certificate 試験、一般にH・S・Cというもの。

これは、日本の共通一次試験というようなものなのかもしれません。 何しろ日本の今の教育システム、全くわからないので、違うかもしれない。
このH・S・Cは、高校卒業前に一斉に行われ、その獲得点数によって、進学したい大学も、またその科目も決まってしまうものです。(非常に大雑把な説明です) 
つまりオーストラリアでは大学入試は無い。
で、この点数に満足できない、またはその点数で行きたい大学に入れなかったからといって、また翌年そのH・S・Cの試験を受けられるものではない。
だいたい、オーストラリアでは浪人はいません。(これも大雑把な説明ですが) つまり、ほとんどの希望者は大学に行けるので、(これも日本との比較で言っています)大学に入れないようなH・S・Cの点を取った人は、何もジタバタ浪人までして大学に入らない。
またどうしても希望の大学や、専攻科目が取れなかった人も、大学に入ってから、それなりの成績を残せば、競争の激しい、医学部や、法科に後から入れる。 
つまり、オーストラリアの大学は門は広く、出口が狭い。
しかし、そうは言っても誰でも最初から行きたいコース、やりたい勉強のために、希望通りの大学などを選びたいし、また大学に進学しなくても(結構います)そのまま高卒で就職する場合、このH・S・Cの点は必ず、重要視されるわけです。

そんなわけで、普段はそんなに受験勉強に明け暮れない、オーストラリアの高校生も、この時期だけはかなり真剣になります。
何しろ、このH・S・Cの点が一生ついて回るので。 もっともそう書くと日本にいる皆さんには、誤解を与えるかもしれない。
日本ほど学歴偏重主義ではないオーストラリアの事、H・S・Cの点で悲観して自殺なんて聞いた事無いし。

話が長くなるので、先に進みます。 
女房の教え子もこのH・S・Cで、良い点を取りたい、そのために1年に1度僕がサービスで、学校に出かけて行き、生徒の用意した日本語のスピーチ(大体3〜5分程度)を聞いて、それに対して、日本語で質問をするのです。
オーストラリアのこのH・S・Cの試験には(特に語学など)筆記試験だけでなく、聞き取りや、このようにスピーチをして、それに日本語で答えるような、試験も含まれています。
H・S・Cの試験は、ほかの科目も含めると8月の終わりから始まって、11月まで続くのですが、日本語一つ取ってみても、それぞれの試験(筆記や聞き取り、などの)は数週間のインターバルをはさんで、2ヶ月に及びます。

女房曰く、今年の彼女の教え子は例年に比べて、レベルが低いそうで、彼女も大いに気を揉んでいます。 毎年彼女の教え子は全州トップ10位以内に入るので、ついに今年はその記録が終わるかと、心配してるわけです。
今日会ったそれぞれの生徒達のスピーチは思ったほどひどくは無かったです。 このスピーチ、それぞれの生徒が自分で題材を選んで、試験管に向かって話すのですが、ユダヤ系の子は、ハヌカというユダヤ教のお祭りについて話していましたし、シンガポールから留学して(寄宿して)る子は自分の母国の、親の住んでる通り(道)の歴史について、話していました。

毎年僕が驚くのは、たった2年間しか勉強しないこの子達の日本語のスピーチの素晴らしさです。 もちろん内容を丸暗記していて、お経のように何度も練習しているせいもあるのでしょうが、まるで長年日本に住んでいたのではないかと思わせるほど、スムーズに日本語がよどみなく出てきます。
で、僕が今日のように出かけて行く意味は、毎日先生(つまり女房)と勉強していると、似たような質問の内容になってしまい、いざH・S・Cで初めて会う試験官の前では、コチンコチンになってしまうは、考えてもいなかったような質問(そのスピーチした中からの質問です)が出て、取り乱さないように、慣れてもらうためです。 
ですから、僕はスピーチを聞いた後、生徒たちが用意していないような質問を出したりするのですが、、ある子は顔を真っ赤にして、またある子は鼻の頭に汗をかきながら、とにかく一生懸命に日本語で答えてるのを見てると、とてもいとおしく感じます。

教育システムの違いでしょうが、僕など日本で中学から英語を勉強始め、高校の卒業まで6年間もやったのに、当時同じような試験があったとしたら、多分彼女たちの半分も口答での質問に答えられなかっただろうと思うと、日本の語学教育について、いろいろ複雑な気持ちになります。


2001年9月11日

この日の日記は「テニス」のページに行きました。


2001年9月12日

今日の日記はお休みさせてもらいます。
(911事件)


2001年9月13日

今日の日記も昨日に引き続きお休みしようと思っていた。
何を書くべきか、どう書くべきか、まだまとまりません。
書くべきではないかもしれないし。

ただし、今回の事で今書けるのは、日本とオーストラリアの報道の仕方の違いだと思うので、それに付いて少々。

ご存知のように、我が家には日本から来てる(日本語しか出来ない)親が一緒に住んでるので、彼らのためにケーブルテレビで、日本のNHKが見えるようにしてあります。
今回の事件で、僕は両方の報道を見て、ある違いに(前から気がついているのですが)ついてどうしても書いておきたいと。

その違いとは、行方不明になられてる方々の、扱いについてです。
NHKを見ていると、(今回の事件について、一日報道していたわけですが)一日中その行方不明になっている方の名前と年齢をテロップで流し続けています。 オーストラリアでも当然行方不明になっている方はいます。 しかし、一切の名前は流してません。 飛行機に乗っていた乗客ですでに亡くなられたと判断された人については、報道はされていますが。

朝から何度も(テロップも使って)NHKでは、名前を流し続けています。
親族の方が、今回の事件に巻き込まれた可能性を知らずに、NHKのニュースで知るために、というのでしょうか?
実はオーストラリアでは意識的に報道していないのです。
もちろん親族や知人で、今回の事件に巻き込まれたのではないかと、心当たりのある人には、ホットライン(電話)が設置されて、インフォメーションを出しています。
これは、NHKのように報道する事によって、親族や、または本人が、被害を被る可能性があるからで、いつもこの日本の報道の仕方に疑問を持っています。
またオーストラリアでは、死亡が確認された後でも、親族の希望によって名前を公表しないという事もあります。

どうして日本ではプライバシーという物に鈍感なのでしょう。 
行方不明になっている方の名前を公表する事によって、その方が無事に見つかる可能性が増えるのでしょうか?
オーストラリアでは、その方の親族でも知人でもない人間が、行方不明になっていることを知ることによって、親族が被るであろう不利益や迷惑の方を重要視するのです。
ここまで書いても(この不利益等について)日本ではピンと来る人が少ないんだろうなと思いながら書いています。

今回の事件で、亡くなられた方々には、心から冥福をお祈りいたします。


2001年9月14日

今回の事件で、被害を受けた方は、僕の周りにもいるようです。

我が家のお隣も、彼の勤める会社が、たった2ヶ月前にワールド貿易センタービルのショッピングモールの開発権を数百億円払って取得したばかり。 その彼の会社のニューヨーク支店もその中にあって、行方不明者が何人か出ている。

僕の住むご近所にはユダヤ系が非常に多いために、多かれ少なかれ世界の商業の中心地の象徴的建物である、貿易センターに絡んでる場合が多い。

また、そういうビジネス関係でなくとも、今回巻き込まれたり、巻き込まれそうになったが助かったのも結構います。
水泳のスター、イアン・ソープが観光のために貿易センターの屋上に行こうとホテルを出て、カメラを忘れたのに気がつき、いったん部屋に戻り、また向かう途中で事件が起きて助かったというのは、日本でも報道されているようです。

僕が昔一緒に仕事をした事がある、Phil Noyce (フィル・ノイス)映画監督も、現場にいて助かった一人のようです。
Phil Noyce はオーストラリア人、Newsfront という名作を若くして創り、その後アメリカで活躍を始めています。
彼の作品には、Patriot Games , Dead Calm , The Saint , Bone Collector
Clear and Present Danger 等などがあります。
僕が知り合ったのは、Cowra Breakout というタイトルのテレビシリーズを、オーストラリアで作った時。
1944年に起きた、日本兵捕虜による、死を目的の集団脱走事件を題材にした物です。 その事件が起きた当夜、231人の日本兵が亡くなった。
そのシリーズ製作の時の話は今回は省略しますが、一緒に日本に取材に行った時の思い出は多い。

さて、彼が目のあたりにした今回の事件、その場にいる時には信じられなかった、つまりあまりの事に、現実感さえなかったというか。 二番目の飛行機が突っ込むシーンも、その場で見ていて、ビルが崩れ始めた時に、車に飛び乗って逃げた。 逃げて戻ったホテルのテレビを見ながら、実感としての恐ろしさが襲ってきたようです。
まるで映画の「Independance Day と Godzilla」が一緒くたになったような世界というか。
で、じつは彼はTom Clancy という作家の小説を題材に 「The Sum of All Fears 」という映画製作の予定があったとか。
で、その小説ではアラブテロリストが、自動爆破装置つきの原子爆弾を使って、毎年クリスマス時期に開催される、アメリカンフットボールのスーパーボウルで、10万人の観客を抹殺するという内容。

僕は、小説家や映画関係者の考えるブロックバスター系のストーリーやスケールは所詮そんなもんなんだと思う。
なぜなら、10万人の観客がそのフットボール場で亡くなったとしても、今回程のインパクトは無いと思うから。
つまり、今回はすでに何度も言われているように、アメリカの富の象徴、はたまた(もしアラブテロリストが今回の犯人として)イスラエルと結びつくアメリカユダヤ人社会へ打撃を与えるという目的、貿易センターの真裏に控える証券取引所などのアメリカ経済の中枢への攻撃・・・。

非常に綿密な犯行計画があったと言われています。
今回の事件を見た人たちは、まるで映画の1シーンを見たようだと表現しますが、ハリウッド映画製作者たちでも考えられないような計画(ストーリーが)実行されてしまったという事です。


2001年9月15日

今回のテロ事件を見ていて、僕がロンドンを出てオーストラリアに住みに来た当時のことを思い出した。

1970年代には、ロンドンでは毎日のようにテロ事件が起きていた。 
北アイランドから来る(IRA)テロリストたちの起こす事件は、今回のスケールとは比べ物にならないとは言っても、ロンドンの市内に住む者にとっては、とても身近な事だった。

最初に借りたアパートの裏の道では、朝爆音が聞こえたと思ったら、車に仕掛けられた爆弾で、高名な政治家が亡くなったし、一番近い地下鉄の駅である「NOTTING HILL(ノッティング・ヒル)」(そうです、ジュリアロバーツ主演の映画で有名になった)の当時、真ん前に有った、TESCOというスーパーマーケットの前に仕掛けられた爆弾では、危うく巻き込まれるところだった。
毎日のように通ってたとこだったから。

そうこうしてるうちに、今度はあるブ系のテロが始まり、ユダヤ系の会社が経営しているスーパーのチェーン店が連続で爆破されたり、飛行機が乗っ取られたりと。 あまりに多くの事件が起きて、そういうことに鈍感になっていったのかもしれない。 いや、鈍感にならないと、住めなかったのかもしれない。
日本からロンドンの我が家に遊びに来る事になっていた、女房の友人の乗った飛行機がハイジャックに遭って、中東の方に行ってしまったり。
はたまた、IRAも負けずと、チャールス皇太子の叔父に当たる「LORD MOUNT BATTEN 」を船を爆破して、暗殺したり。

そして、1979年の終わりから1980年には、テヘランのアメリカ大使館が乗っ取られ、時を同じくして、ロンドンのイラン大使館がテロリストにやはり乗っ取られ、イギリスの特殊部隊がそこに突入した時の爆破音が、我が家まで響いてきた時、僕らはイギリスを出ることを決めた。
それは、地震が来る前や、船が沈む前に(それを予知して)ネズミが逃げ出すというのに似ていたのかもしれない。

当時僕は、7年近くのロンドン滞在で、暑い夏の無いイギリスの気候に落ち込んでもいた。 そう、僕は暑い夏が大好き。 夏が来ないまま1年が過ぎていく気候というのは、日本生まれの僕の自律神経をも狂わせたのかもしれない。 だから、イギリスの気候に何とも無いという人間で北海道出身というのは結構多い。 日本の湿度の多い夏も苦しくて、決して良い物ではないが。

イギリスを出るぞって決めた時に、米国のトリィーティー・トレイダーというヴィザを持っていた僕は、最初に考えたのがアメリカに住みに行く事だった。 何度もニューヨークに飛び、下見をして住むとこまで目星をつけていた。 また、日本に戻るという案もあった。 
随分迷って、ギリギリまで考えた末に、女房の生まれ故郷であるシドニーを僕は選んだ。
女房は、その選択(自国に帰るという)を必ずしも気に入ったわけではなかった。

以来21年、僕は一度もオーストラリアを選択したことを悔いてない。
全く間違った選択ではなかったと、今でも確信している。
最近メールのやり取りが始まった、ロンドン時代の友人(今は日本)にも、リタイヤーするならオーストラリアだよって、お勧めしてます。

シドニーの気候は素晴らしいし、地震も台風もないし、テロ事件も欧米と比べたらほぼ皆無だし。 人間関係などの環境も、非常にラクチンだし。
オーストラリアドルが弱くなって、価値が落ちていく問題さえクリアできれば(米ドル預金するとか方法はいくらでもあるが)、最高のところだと思っています。
オーストラリアに住んでてつくづく良かった! 


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