2002年9月前半の日記
2002年9月2日
昨日の日曜日はオーストラリアの立春。
ところが久し振りの、雷を伴う土砂降りの雨、その上雹まで降ってきて慌てました。
何年か前にシドニーは大きな雹が降り、我が家にも被害をもたらしたので、以来雹が降り始めると気が気では有りません。
幸い今回は小型の雹で車にも被害はありませんでした。
僕は今年の初めに車を替えたのですが、娘のにはその傷跡がいまだに残っています。
まるでゴルフボールが当たったような凹みが2〜3個所残っています。
その時には我が家の周りではゴルフボールより大きい雹が降りました。
場所によってはテニスボールほどの大きさの雹も降り、僕の友人の中にも車のフロントウインドウ(リアも)こなごなという人も珍しくなかったです。
特にシドニー空港から我が家にかけて海岸線の家では、瓦のダメージがひどく、何年間もブルーの防水シートが屋根にかけられていたものです。
ゴルフボールが当たったような凹みといえば、その大きな雹が降って大被害が出た時に、保険詐欺を企てた人がいました。
つまり雹のために車が凹んでしまったと見せかけようと、自分でゴルフボールをぶつけて、何十箇所にもわたりボコボコにして「全損」扱いで、保険金を騙し取ろうとしたらしい。
ところが、保険会社の査定官は特殊な器具(検査装置)を使って簡単に見破ってしまったとか。
雹(氷)が当たって凹んだキズとは微妙に違うらしいのですが、娘の車のキズを見ても僕には全く区別は出来ません。
話が飛んでしまいましたが、やはり立春なのか日一日と暖かくなっています。
こういう季節の変わり目にはシドニーは(日本の夏のような)雷と、雹というのは結構つき物のような気がします。
さて、日本からのニュースを見ていたら長野県知事選で田中康夫氏が再選されたようです。
2位に倍近い票を獲得しての圧倒的な勝利だったようです。
僕は日本の、特に長野県の政治事情というのは良く分かりませんが、本日のNHKの番組「クローズアップ現代」を見ていたら、田中氏と彼に不信任した県会議員のことをやっていました。
「田中康夫氏」を見ていると、日本にもこういうタイプが望まれる時代になってきたのだと知って興味深いです。
日本には彼のようなタイプの指導者があまりにも少な過ぎるのではないかと感じていました。
大都市ではなく、長野県のような地方でこのような動きが出てきた、そして今回の再選で県民の民意として確実なものになったというのは、非常に意義のあることだと思います。
このNHKの番組で、田中氏に反対する典型的な日本の地方議員たちを見るにつけ、長野県から日本が変わり始めるのではないかと思うのは期待しすぎでしょうか。
鈴木宗男のようなタイプの政治家が日本の国会という場で力を持ちえていたということ自体、僕は不思議でしかたありませんでした。
2002年9月3日
先日の誕生日に娘から貰ったプレゼントの椅子は(下の写真参照)、なんだか良いのか良くないのか分かりません。
腰痛の僕を思って、娘はこれを買ってくれたようです。
商品名をFITNESS BALLといい、本来はこれを使って色々なフィットネスのエクササイズをするもののようです。
ボンダイ・ジャンクションにあるフィットネス用の器具を売る店に娘が行った時に、そこの店のレジのオニーサンはこれを椅子にしていて、非常に調子が良いと言ったそうで、僕にも買ってくれたのです。
さっそく使ってみると、確かに背骨を真っ直ぐにしておかなければ、バランスが取れないので、僕の一番悪い姿勢(イスに座って背中を曲げてしまう)にはなりません。
ところが、使ってみると慣れないせいか「考えながら書く」という作業がうまく行かないのです。
つまり常にバランスをとっていなければならないので、集中できないんですな。
ネットサーフィンをダラダラとやっている分には良いのですが。
さすがフィットネス用品だけあって、常にバランスを取っていなければならないので腰の周りの筋肉を鍛えるには良いようです。
30分も座っていると適度に腰の周りの筋肉が疲れてくるので、一端立ち上がったりしてちょうど良い休憩にはなる。
多分腰の悪い僕だから30分程度で疲れるのでしょうが、リハビリに向いているのではないかと思います。
値段も55ドル(約3500円)程でお勧めかもしれません。
しかし会社などでは使えないでしょうな。 形が特異すぎる。
こんなのが会社にごろごろ有ったら、まるでロンパールームみたいだし。
それともう一つ問題が。
じつは今この日記を書いていて起きたのですが、書きながら手の届かないところに有る物を取ろうとちょっと腰を浮かせたら、何とこのボール転がって腰を降ろそうとしたらそこには何もなく、腰から床に落ちてしまいました。
誰もいなかったのですが、いや〜間抜けな図です。 自分でも思わず笑ってしまいましたが、落ちる時にバランスを崩してまた腰にストレスをかけてしまった。
床がカーペットならこんなに簡単に転がる事はないかもしれませんが何しろうちは床がタイルなので。
今日はこのボールの写真をつけるついでに、2代目のマグパイと我が家の猫の写真も付けます。
じつは残念ながらこの鳥はマグパイにそっくりですが、Kurrawong カラウォンです。
この僕のホームページの名前にもなった初代「マグパイ」はある日突然来なくなってしまい、この(Kurrawong)カラウォンが数ヶ月前から遊びにやってくるようになったのです。
餌の時間になると猫の横で待っています。 全く猫も怖がらないんです。
僕が日曜大工の時などに使う作業台の上で待っております。
PCの前に置かれたボール、横に比較のためにいつも使っている椅子も置いて撮影しました。 座った位置(高さは)は今までの椅子と全く同じなので、タイプなどには支障は有りません。
それにしても机の下の散らかっている事! いつもは黒いタイルなので見えない(見ないようにしているだけかも)のですが、写真を撮るとフラッシュですべて丸見えになってしまいます。
LANのコードやCA−TVのモデムやそのコードなど等、スパゲッティー状態です。
といいつつもう一度片付けて撮りなおす気力なし。
PCの上に置いてある箱はタミヤの「彼女」のプラモデルで、日本の友人が送ってくれたもの。
その前の真っ赤な色は壁にかけてある絵の一部、壁紙ではありません。
ちょっと紛らわしい。
何かこの写真見ると両方とも真っ黒だし、目の色も同じで仲間みたいですな。
この猫はある日(と言っても十年以上も前に)迷い込んで来て、勝手に我が家に「ワラジを脱いだ」まま、すっかり我が家の一員になってしまったのです。 先日逝ってしまった愛犬「ハナ」が我が家に来る半年ほど前の事です。(という事はもう14年もいるんですね。 名前はサンボといいます)
2002年9月4日
娘の不動産購入に関して、顧問弁護士と経理士に相談をしたら。
娘の住むところがやっと見つかったという話は先日の日記に書きました。
10%の手付金を払ってから6週間後に売買が完了の運びになるのですが、その時に残り全額を払い込みます。(9月後半です)
娘のために購入した不動産は、彼女が銀行から正式にローンを組んで、自分の給料の中から返済できる金額ではとてもないので、僕から彼女への貸し付けという形を取るべきではないかと、弁護士及び会計士に相談をしたのです。
ところが僕が予期していなかったような答えが戻ってきて、さすがここはオーストラリアだとビックリした事があるので書いてみます。
娘は本年24歳になったばかりの独身です。
で、会計士及び弁護士は不動産購入にかかった費用を親の僕から彼女への貸し付け、つまり住宅ローンとするのには賛成だが、利息もちゃんと取らなければ意味がないとい言うのです。
親の僕から娘への貸付だから簡単な借用証書を作って、利息なんていらないと思っていたのですが大間違い。
じつはオーストラリアには贈与税も遺産相続税も有りません。
ですから今回の購入にかかった費用を僕から彼女へのプレゼントという形にしても良いわけで、税金(贈与税)も一切かかりません。
では何でローンの形を取るのか。 会計士及び弁護士が考える理由はこうです。
オーストラリアでは男女が一定期間一緒に住むと(同棲ですな)例え結婚していなくとも、いや婚約さえしてなくとも、「DEFACTO(ディファクト)」という関係が成立します。 (日本語だと内縁関係かな)
確かニューサウスウエールズ州では2年だったと思います。
で、そういう関係になった二人が別れる事になった場合、二人の財産の合計の半分を相手が受け取る権利が得られるのです。
例えばあなたが誰かとあなたの所有しているアパートで2年ほど同棲したとします。
いざ別れる事になった場合、例え相手が同棲を始める時には無一文でも、あなたに対してそのアパートなどを含めた財産の合計の半分を「よこせ」と言えてしまうんです。
例えあなたの財産が相手と知り合う前にすべて築いたとしても。
という事は、娘にボーイフレンドができ、(その彼には財産が無く)一定期間同棲した後、別れる事になった場合には、そのボーイフレンドは娘に不動産の価値の半分を要求する可能性があるのです。
ですから「正式」な住宅ローン契約書を作り、なおかつ必要以上な高利率の金利も取るべきだと言うのです。
なぜ高金利が必要かというと、オーストラリアの不動産の高騰がこのまま続いたら、最初の購入金額をはるかに上回る評価額になり、その相手は例え娘に借金があってもその差額(値上がり分)の半分を要求する可能性があるとの事。
ですからいつまでたっても娘の借金は不動産の値上がり分を上回る設定にするのだそうです。
そうすると、永久に娘の財産額に対して借金額が上回っていますので、例えその相手と裁判で争っても払う必要が無いという事になるのだそうです。
その話を聞いた時に、全く僕が考えていたのとは違うのにビックリしてしまったのです。
つまり僕が考えていた娘との「契約書」は、彼女が責任を持って彼女の給料の中からある程度僕に返済するという事にすれば、責任感が出るだろうし、倹約という観念ももっと養われるだろうと考えたからです。
ところがオーストラリアではこのような訴訟問題は日常茶飯事なので、将来を考えて不動産を購入する前にすべて抜け目の無いように、書類を揃えておけば安心だというのです。
何か「さすが」と感心もし、がっかりもする話でした。
娘も「そんな男とは付き合わないわよ」とは言っていますが、こればっかりは確かに「そういう状況」になって見なければ分かりませんから、僕としてもなんとも言えませんな。
僕が買ってやった家を数年後にバカな(というかズルイ)男に半分取られてしまうという事態もやはり避けたいし。
ちなみに親子の間の簡単な借用書なら必要の無い印税も、このように法律にのっとって正式な住宅ローンを組むと(例え親子の間でも)数千ドルの税金がかかってしまうのです。(トホホです、全く)
2002年9月5日
日本に持って行く資料や写真などをCDに焼こうと久し振りにCD−RWドライブにメディア(CD−R)入れたらいきなりシステムがフリーズしてしまいました。
ウインドウズ2000を使い始めて以来、フリーズというのはめったに起こらないのでちょっとビックリ。
再起動が必要なほど固まっています。
でそのメディアを捨てて次のを入れたのですが、またまたフリーズ。
またまた再起動で、3枚目を入れたら今度はフリーズは起きないが、CD−RWドライブがメディアを認識せず、「ドライブにメディアを入れなさい」というメッセージが出るばかり。
またまたそのメディアを取り出して、次のメデァイを入れても認識せず。
ひょっとしたら僕のコンピュータのシステムファイルまで壊れてしまったかと、システム・ファイル・チェッカーをかけ、再起動後に5枚目のメディアを入れてもまた認識せず。
で、結論から言うと6枚目のメデァイをやっと認識してくれて、何とか一枚焼くことは出来たのですが、どうにもふに落ちない。
で、そのシステムをフリーズしてくれたメディアを持ってPC屋のジョンのところに行き、店のシステムで試したら、やはり見事にフリーズ。
ジョンもここまでダメダメなメディアは初めての経験と言う。
じつは今までもこのメディアで焼きの失敗は何度も起こっていました。
僕のドライブが安物であるし、バーンプルーフ付ではないので、半ば諦めバッファー・アンダー・エラーが出るのを極力避けるために焼く場合はせいぜい等速か2倍速。
他のアプリは一切起動せず、アンティウイルスソフトもすべて停め焼いていたのです。
このメディアは「TD○」社のもので、50枚パック。 「TD○」社って有名だし、そんなに粗悪な製品を売るわけはないと今までは失敗するたびにゴミ箱に捨てていました。
しかし今回ばかりは、ジョンの店ので試しても同じ結果なのでどうするべきか考えました。
すべて捨ててしまうというのも考えたのですが、実はこのメディアが我が家には200枚も有るのです。
昨年のクリスマスのプレゼントの中に女房が店で安く売っていたからと、50枚入りのを2パック買っておいた。
それを知らない僕は同時期にやはり安く売ってるので自分で3パック買ってしまった。
で合計250枚にもなってしまったのですが、腐るわけでもないだろうと、そのまま持っていたのです。
最初のパックを開けて使い始めたら、かなり焼きの失敗は出たのですがそれは自分のCD−RWドライブが安物だからだろうと、諦めていた。
しかし今回のようにドライブに突っ込んだだけでシステムをフリーズしてしまうのなら残りを入れるたびに問題が出る可能性も有る。
しかし200枚も捨ててしまうのも納得がいかない。
でまずそのメディアを購入した店(ディックスミス)に電話をしてみました。
本社に電話をしたら、買って不具合が出たならすぐに持って来るべきだったと言うばかり。 すでに期間が大分経っているからと聞いてくれない。
そこで「TD○」に電話をしてみました。
というのはこのような不具合が出た場合に一般にはどう対処すべきか調べるために、GOOGLEで検索していたら日本のメディアメーカーの大手である三井化学というところが(シェアー最大手らしい)、生産時での不良品について、ロットナンバーを告知して、返品を受け付けてるのを見たのです。
それなら「TD○」も、そういう不具合を把握しているかもしれないと考えたからです。
シドニーにある事務所に電話をして最初に出た女性に電話をした理由を説明すると、担当者に電話が回されました。
一通り説明したら、「クレーム係は担当が違います」と言ってまた他に電話を回されました。
で、今度はなぜか(昼休み中の時間でもないのに)留守電になっています。
「今電話に出られないからメッセ−ジを置け」とその留守電は言うので、名前電話番号を言い、電話を必ずかけるように頼みました。
ところが「なしのつぶて」。 電話はかかってきません。
しょうがないのでまた電話をかけて今度は「日本人の方いますか」と聞いてみました。
運良くオーストラリア事務所にも(日本の会社だから必ず日本人がいるとは限らないが)日本人はいるみたいで、女性の方が応対に出ました。
一応今までの経過をすべて説明したら、担当者は今いないので、その不具合の出るメディアを着払いで送ってくださいとの事。
この女性の応対は非常に感じ良かった。(数日前のこと)
そこで本日は同じノースにある東京マートの方にも行く予定だったので、200枚(4パック)を届けました。
さてどんな反応が返ってくるやら。(この結果はまた日記で報告します)
今回の事で思い出したことが有ります。
皆さんもご承知のようにオーストラリアと日本ではヴィデオの方式が違い日本から送ってもらう日本の番組を録画したヴィデオテープはオーストラリアで購入するヴィデオデッキでは見えないです。
最近はマルチシステムが普及してこの問題は解消されました。
しかしそのマルチシステムが初めてオーストラリアで売り出された時には不具合が多くありました。
我が家もすぐに購入したのですが、日本から来たテープのうち3倍速で録画されたのを見ようとすると、色がメチャクチャで赤い服が緑の縞に見えたり、とにかく鑑賞に堪えられないほどの酷さでした。
で、買った店に言っても(店は日本方式のNTSCのテープは持っていないし)埒があかないので、その日本のメーカーに電話をしました。
事情を話すと不具合があるなら送るか持ってきてくれとの事。
で、やはりノースにあるその本社に持って行った後数週間ほどしてから、「出来た」と連絡があったので取ってきて見たら、何と!全く問題は解消されていないのです。
すぐに電話を入れて、その不具合の理由を聞いてもまともな返事が返ってこないので、とうとう「日本人のマネージャー」を呼んでもらいました。
電話に出たその日本人の方はやはり非常に親切で、何とすぐに日本人の技術者の方を我が家に送って来ました。
日本人のサービスが家に来るなんてここはまるで日本みたいだと思ったものです。
で、我が家で問題の状態を見せて説明したら「この問題は出張サービスで治るものではないので、預かりたい」との事。
もうすでに数週間も預かっていたというのは「イヤミ」になるので黙って、また預けました。
僕はてっきり修理をするか、もしくはそのデッキを交換してくるものだと思っていたら数日してから電話があり「購入金額を言っていただければその金額の小切手をお送りします」なんて言うのです。
よく聞いたら、どうやらよくテストをしないでオーストラリアで発売してしまい、基本的にその不具合は治せないらしいのです。
これには僕もビックリ。 まあマルチシステムが出たばかりの昔の話ではありますが、日本の有名メーカーが製品を発表するのでもそんなものかと驚いたものです。
今はほとんどのメーカーがマルチシステムを販売していますが、しかしいまだ日本から親が持って来た日本国内用の(かなりな安物)のヴィデオデッキの方が日本からの番組を見るかぎり、段違いに色の発色が良いようです。
それにしてもオーストラリアに来ている日本人の方達は一生懸命やっているのに、現地の従業員の態度があのようでは努力が実らないだろうと同情してしまいました。
2002年9月6日
本日の日記は都合によりお休みいたします。
2002年9月7日
昨日の日記はお休みしました。
ここ数日「鬱状態」、つまり精神的に落ち込んでいたからです。
で、それについて昨日の日記に書こうと思ったのですが、何から書いて良いやら迷っているうちに日記はお休みになってしまったのです。
元来僕はかなり「心配性」ではありますが、めったに鬱状態にはならないんですが。
最初に経験したのは40代も後半に入った頃でした。
その時は一種の更年期が原因だったと思います。 女性の更年期とは多少違うかと思いますが、そのくらいの年齢になると自分の残りの人生が見え始めるんですよね。
つまりたとえ安定した生活であっても、自分の将来が見えてしまうというのは非常につまらない。
つまりエキサイティングではないのです。
で、その時は偶然始めたカートのレースにのめり込む事で、「克服」できたのかもしれません。 いや克服なんて大そうな事ではなく、レースに熱中しているうちに忘れてしまった。
そんな歳になってレースを始めて更年期の「鬱」を克服なんてのも珍しいというか恥ずかしいと言うか。
あんまり「自慢」も「お勧め」もできませんが。
今回の「鬱」が2度目ということになります。
原因はもちろん親父の死とそれに続く愛犬の死というのは当然として、それに輪をかけたのが今回の椎間板ヘルニアです。
何もできずに家でゴロゴロしてしていた事だと思います。
その上椅子に座れなかったのでここ1年程半ほどハマっていたコンピューターもできず、ネット依存症気味だった僕はコールドターキー状態にもなってしまったのかもしれません。
何もせずにゴロゴロしているというのは非常に憂鬱になるものです。
こういう精神状態になった時に何かスポーツでもして体を動かせばまだ少しはましになるのですが、それがこの腰の状態では無理。
最近状態は大分良くなってきたのですが、当然カートの運転のような、かなり体(腰)にストレスのかかる事はもう無理でしょう。
この状態を脱しなければと一昨日からは朝散歩に出たり、懸垂や腕立て伏せなどのトレーニングも始めました。
このトレーニングは(特に背筋や腹筋の)腰の回復にはかなり役立っているようで、今朝は3キロも歩けるようになってはきています。
そんなわけで体のほうは回復しつつあるのですが、精神のほうがちっとも回復しません。
ちょうどゴロゴロしている時に、僕の大好きなテニスのUSオープンが行われていて、僕の応援するオーストラリアのレイトン・ヒューイットが勝ち進んでるのを見ていても、ちっともエキサイティングしないのです。
こういう精神状態の時には何をやっても「面白くない」んですな。
そう考えていると、何をやっても、何を見ても「感激」しない自分がいて、またまた落ち込む。
で、寝ながらどうやって今回は克服しようかとツラツラ考えていました。
冗談の好きな僕はあまりまじめに「克服の方法」なんて考えないのですが。
まず考えたのが今の自分の生活(人生)が大きく変わるような事をやる。
例えばある日突然誰にも何も言わずに「蒸発」する。
友人も家族も捨ててまったくゼロから新しい生活を始める。
例えば「パリ」の裏町の小さなアパートに住み始めて、、、。
これは昔の映画「ラストタンゴ・イン。パリ」の影響があるのかもしれません。
あの映画ではアメリカ人の主役(マーロンブランド)がパリで女性に出会ったりしますな。
女性といえば、不倫というのもひとつの手かもしれないが、なんか今更えらく「しんどそう」です。
だいたいこの方法は今の僕には起こりえないでしょうな。
娘がそろそろ独立することになり、また女房と二人(つまり子供を作る前のロンドン時代の)生活に戻れると大いに期待しているので、パリに(まあパリではなくとも良いのですが全くの新天地という意味)住み始めるなら女房と行きたいと思っていますし。
次の方法は精神的な落ち込みを宗教などに救いを求める。
いや〜、僕はこの宗教が苦手なんですよね。 だからこれもまず可能性は無い。
特に今回のオヤジの日本での納骨に絡む、生臭坊主とのごたごたを経験すると。
「鬱」を「躁」に変える「薬」もあるらしいのですが、僕は少なくとも薬の力は借りたくない。
もっと正確にいうと、薬でアップになっても薬の効果が切れてくると、リバウンドと言うかもっと落ち込みが大きくなると思っている。
前回の時の「カート」に代わるようなものでも見つかれば、根本解決にはならないにしてもとりあえず時間稼ぎになるとは思うのです。
つまりいずれは時間が解決してくれると思っているので。
実は今ひとつ考えていることがあるのです。
それは「ベースジャンプ」です。
「ベースジャンプ」とは小さなパラシュート(パラグライダーというのかな)をつけて、高い山の絶壁すれすれを飛び降りる、中には超高層のビルの上からとか、タワーや橋の上から飛び降りるものです。
スカイジャンプから始めて、危険度の高いこのベースジャンプに挑戦したいなと考えているのです。(これは結構マジです)
これなら腰が悪くともパラシュートは腰に負担はかからないみたいだし。
これを女房に言ったら猛反対されてしまった。
スカイジャンピングでも反対なのに、危険で有名な「ベースジャンプ」なんてもってのほかだと。
どうしようか迷っております。
2002年9月9日
僕の住む地域は大変多くのユダヤ系のオーストラリア人が住んでいます。
同じ地域にある、娘の通っていた高校にも多くのユダヤ系の生徒がいました。
今日はこのユダヤ人についてちょっと書いてみます。
もちろん「ユダヤ人」と一概に言っても千差万別、一つに括って論じる危険は承知の上で書きます。
まず僕が非常に不思議に感じるのはオーソドックス・ジューと呼ばれる、ユダヤの習慣をかたくなに守っているユダヤ人たちです。
簡単な例が食べ物。
娘の(ユダヤ系の)同級生が我が家に放課後遊びに来て、突然食事を一緒にすることになった。
というか、食事時になっても全く帰る様子が無いので、「一緒に食べる?」と誘ったようなものなんですけど。
ちょうど我が母がその日の夕食を作る当番で、急にその同級生も食べると言うことになったのでその日のために用意してあった材料の中から作ろうとしました。
そうなってからその子がユダヤ系であることに気が付いた。
で運の悪いことにその日のメニューがトンカツだったのです。
何人かいる娘のユダヤ系同級生の中でもその子はそれほどオーソドックスでは無いのですが、当然のごとく豚は全く駄目だという。
急遽その子の分だけ卵と豆腐の料理を母が作ったのを覚えています。
そういう食習慣のあるのを知った上で、晩御飯に招待したのなら母もそんなにあせることも無かったと思いますが、あまりにも食べられない物が多いのに、いきなり来て一緒に食事するなんて言うほうも考えものです。
この同級生の家庭はそれほどオーソドックスとはいえません。
それでも豚関係は全く駄目。 豚が全く駄目と言う事は、上記のトンカツはもとより「ハム」も「ベーコン」も同じようにバツ。
その上シーフードの中でも、エビ、イカ、たこ、貝類などかなりの種類がこれまた駄目。
ということは日本食の代表料理の一つ「エビの天ぷら」なんてのも駄目。
何でもおいしく食べてしまう僕から見るといったい普段家では何を食べてるのかと思ってしまいます。
いろんな文化が交じり合う国オーストラリアに来て、これほど自分たちの文化を頑なに守ろうとするのは一種の驚異でもあります。
もっとオーソドックスな家ではミルクと肉(牛肉)を一緒に置くことも駄目。昔そういう家庭に日本人のワーキングホリデーのオペアが入ったことがあるのですが、やはり彼女にとっても驚きの連続でした。
そこの家の台所には流しが二つあって、ミルク系の食品と肉系の食品は絶対に別々の流しを使わなければならない。
つまり混ざってはいけないというのです。
日本から来たばかりの彼女はその理由など理解できるわけは無く、彼女が買ってきた「カルビーのカッパエビセン」なんてのまで、これはエビが入ってるから(袋にエビのイラストが)台所に持って入るのさえいけないと言われて、すっかり「自分はなぜか嫌われている」と勘違いをして落ち込んでいたり。
さて、ある時我が娘にボーイフレンドができて、その彼がユダヤ系だったのです。
娘よりだいぶ年上でかなりバリバリ仕事をしている男でした。
これがまた絵に描いたようなユダヤ人の男。
親切心からなのですが、ヘキヘキするほどおせっかいな面がある。
その上、僕よりはるかに年下なのに何でも自分のほうが良く知っていると考えている。
すごく性格は良いのですが。
ある時その彼と中華料理の飲茶(やむちゃ)の話になった。
彼いわく、「飲茶は大好き、ぜひ一緒に食べに行きましょう」と言うことになった。
その週末に彼が自信を持って勧めるという店に連れて行かれた。
そう、当然のように僕より自分のほうがうまい店を知っていると思ってるんですな。
僕も飲茶は好きなので期待して出かけました。
ところが、これまたユダヤ人の特徴である「おせっかい」で(たぶん親切心から)、テーブルに回って来る飲茶の品々を彼が仕切って、すべて彼が選んでくれようとする。(親切心? はぁ〜)
ウエイトレスが押して来る度に、「これは何?」と確かめるのは良いが、「エビ? ノーサンキュー」「豚? ノーサンキュー」ってみんな断ってしまう。
僕の食べたい「エビ入り蒸し餃子」や豚の料理を持って回ってくるウエイトレスのオネーサンは「シッシ」って、ことごとく追っ払われてしまう。
そう、もうメニューの選択がめちゃくちゃ狭くなってしまってるんです。
豆腐の料理だ、芋の料理だって、チキンの料理を除くと、ほとんど菜食主義者。
こんなにフラストレーションの溜まる食事をしたのは珍しいです。
その上彼がぜひ行きましょうなんて言って自分の贔屓の店に行ったのに、すべて支払いは僕で(まあ親だからしょうがないが)なんで自分で払って食いたいものが食えないのかって今思い出すと笑ってしまいます。
まあ運良く(?)そのボーイフレンドと娘はまもなく別れたので、その後一緒に食事に行く羽目にはなりませんでした。
ユダヤ系の友人とのこういう経験は結構あるものです。
まだ僕がロンドンに住んでいた頃、ニューヨークに仕事で度々行って知り合った(結構仲良くなった)「アンディー」という服を卸している男は、ある時ニューヨークにある「うまい日本レストラン」を知っているから連れて行くと言い出した。
で、メニューの説明(すき焼きとか天ぷらとは何か)から寿司のうまい食い方まで説明してくれました。
あの〜、僕日本人なんですけど。
ほっとくと、箸の持ち方まで教えてくれそうな勢いでした。
今でも忘れられないニューヨークの思い出の一つです。
2002年9月10日
すっかりシドニーは春。 気持ちの良い日が続いています。
暑過ぎず、湿度も低く僕の大好きなシーズンの到来です。
だいぶ腰の状態も回復して、朝女房と散歩に出かけると、春の香りがぷんぷんと漂っています。
この春の香りは南太平洋独特なもので、僕が初めてオーストラリアに来た1973年(この時は(たった一ヶ月の旅行でした。 ロンドンに移り住む前年のことです)に強烈な印象を与えてくれました。
絶対に日本では嗅いだ事の無い匂い。
気候の温暖なシドニーに20年以上もいると、体には優しいのは確かですが、あまりにもぬくぬくとしてナマってしまう。
数年前、北半球の真冬に6週間ほど旅した時には、その寒さで期待していた半分も楽しめなかったのを思い出します。
特にロンドンでは寒くて夜出かける気にもならないことが多く、せっかくホリデーに来ているのにと、今考えてももったいなかったと。
寒さにめげたのは歳のせいもあるでしょうが、このシドニーに永くいるために体が甘やかされてしまっているせいだと考えています。
今月20日に日本に帰ることになったのですが、暑さに関しては問題ないはずです。
もう何十年も真夏の日本には行ったことの無い僕ですが、あの湿気の強い日本の夏(もう秋なので残暑か)懐かしさを感じることでしょう。
もっと正確に言うと暑さよりも匂いかな。
これは本当に不思議なのですが、日本の空港に降り立った時に香ってくる「あの匂い」は本当に独特なものです。
なんと形容したら良いのか。 同じような「高温と多湿」な国、たとえばインドネシアとかの匂いとは似ていても良さそうなのに、はっきりと違いがあります。
日本を離れて初めて気が付く「日本の匂い」。 女房いわく「醤油と味噌」が大いにその匂いに貢献してるはずだという。
まあ彼女が言うのは日本の電車の中などの事なのですが、僕がまだ日本に住んでる頃からよくその話は聞いていました。
当時日本から出たことが無かった僕には実感が無かったもんです。
今回日本に行ったら改めて分析してみたいと思います。 すごく懐かしく感じると思います。
さて、先日のT○Kの問題が出てたCD−Rの件。
結論を先に言うと、原因は不明のままです。 OSまでフリーズしてしまうメディアに関しては、すでに書き込んだ跡があるというのと、多少の傷が原因ではないかとの事。
最初これを聞いた時に、にわかに信じられなくて、昨日T○Kの事務所に出かけて行ったのです。
何しろ新品のパックを開けて焼こうとしたら起きた不具合で、その上前のパックでも起きている。
T○Kの担当者はとても親切な人で彼のオフィスで彼のPCを使いながら僕と二人でいろいろ試していました。
で、焼いた跡があるなら「何が焼かれているのか」見たいと言ったら、やっぱりこれが見えないんです。
彼のCD−RWドライブにこの問題の出ているメディアを入れると、やはり延々とハードドライブのアクセスランプがつきっぱなしになる。
つまりずっと読み込もうとしているが読めない。
しかし彼のシステムの場合はフリーズにまでは至らない。
僕のPCがこれで問題が出た時には、僕がせっかちなのでアクセスランプがつきっぱなしになっているので、おかしいとそのメディアを取り出そうとしても、反応無い。
で、しぶしぶCTRL+ALT+DELの3キー押しとなっていた。
我が家では僕以外に誰も焼くという作業はやらないので、焼きの失敗をして、またそのメディアをパックに戻しておくという事も考えられない。
不思議です。
焼き始める前にまずコピー元のCDを(僕の場合は)DVD−ROMドライブに入れ、焼くメディアをCD−RWに入れる。
コピーというボタンをクリックする前の段階で、ブランクメディアをドライブに入れろというメッセージが出る。
つまりこの段階でこのT○Kのメディアを入れると、延々とアクセスランプがついたままになり、認識されずにメディアをドライブに入れろのメッセージが出続けるばかり。
たまに認識しても認識されるまでにすごく時間がかかる。 (何度もトレイに入れたり出したりもたまに効果があるが)
もちろん僕のシステムのハードの問題も当然考えたのだが、他のメディア、例えばコダックや無名品でさえも問題起きにくい。 全くゼロではないが。 とにかくこのT○Kのがひどい。
とりあえず二人で僕が持って行った開封してなかったほかのパックも開けて何枚か調べてみたが問題は起きない。
という事で、頭の中は「???」のままですが、引き取ってきました。
僕のハード(Acer)とT○Kの相性が悪いのかしら。
まあまた問題が出たら連絡するというにしたのですが、なんかすっきりしません。
今度日本に行ったら、日本のメーカーのをもう一台買って来て比較してみようかと思います。
しかし今回のT○Kの担当者の方は非常に親切で、時間をかけて検証をやってくれました。
最初に電話をかけた時に出た日本人の女性の方もとても丁寧で親切だった。
あ、今回お世話になった担当者はオーストラリア人の男性で、ずっと英語で(ここはオーストラリアあたりまえ)話していて、僕の持って行ったメディアを使って試しに焼いたりしていたのですが、彼の焼きのソフトはNeroというのを使っていて、ふと途中で彼のPCのすべてのメッセージが日本語で表示されているに気が付いた。
かなり複雑な日本語のメッセージが出ても彼はそれを読みながら作業を続けているのに鈍い僕はすぐに気がつかなかった。 ずっと二人で英語でやり取りしているので。
「あれ?マーティンさん日本語できるの?」「ええ、僕はニューキャッスル大学で日本語勉強しました」との事。
日本語が盛んなオーストラリアには結構日本語のできるオーストラリア人が、日系の会社で働いてるんですよね。
彼以外にもすぐ思いつくのは、JALで働く「ヤン」さんという女性。
日本に住んだ事無いのに、日本語読み書き完璧で、彼女から手書きのFAXが来た時など、これは絶対に日本人が書いた字だと思うほど達筆で完璧でした。
自分の悪筆が恥ずかしくなるほどでした。
2002年9月11日
今日は最後のフィジオセラピストの治療を受けに行ってきました。
右足の甲からつま先へかけての痺れは相変わらず残ってはいるものの、痛みはほとんど出なくなり、1時間近く椅子に座ることも可能に。
それでも30分を過ぎる頃から右足に多少の痛みが出ることはありますが、我慢できる範囲です。(椅子の座り方にもよる)
さて、一昨日日本に一足先に帰っている母から電話があり、親父の遺骨を日本に持って来るなとの事!。
僕はビックリして事情を聞くと、例の田園調布の坊主が相変わらずで、交渉しに行こうと考えていた母に会おうともしないとの事。
この辺の事情は前にも書きましたが、全くふざけた坊主でさすがの母もオーストラリアに墓を立ててそちらに納骨すると言い出したのです。
どうやら日本には「地獄の沙汰も金次第」という諺がばっちり生き続けているようで、その坊主は金がほしいばかりに「グズグズ」言っているようです。
浄土宗と浄土真宗の違いで、戒名をオーストラリアでつけてしまったのが気に入らないわけです。 つまり納骨代は入っても戒名料が入らなければ面白くない。 で、なんとオーストラリアでつけた戒名をやめさせて、新たにその坊主が戒名をつけるという。 それなら納骨を認めるという。
(前の日記にも書きましたように先代の坊主も認めて僕の祖父母はその浄土真宗の戒名ですでに墓に入っています)
ですから僕の祖父母と同じ宗派の戒名をつけたのが気に入らないという、なんとも屁理屈をつけて金を搾り取ろうとしているようです。
その上、このような難癖以外にも、一口100万円単位の寄付まで言い出しているらしい。
この戒名ってのの意味さえも今回の事でつくづく考えさせられてしまいました。
すでに戒名をもらって2ヶ月以上も前にあの世に旅立ったオヤジの戒名をいまさら変えると言い出す坊主とは。
もともと僕自身は「戒名」なんてものはどうでも良いと思っていたのです。
「戒名」って英語にもなりませんな。
ですから今回(まだ母が日本に帰る前に)坊主が「ガタガタ」言い出した時に、母にいっそのことオーストラリアに墓を建てようと提案したのです。
その時には母は乗り気ではなかったのですが、今回日本に帰ってみてすっかりあきれ果てて、考え方を変える気になっているようです。
実は今回の問題が出る前に、父の埋葬に関して墓のある寺に寄付などを考えていたのです。 僕を始めあまり墓に参れない立場にあるし、(毎年日本に帰る母はその度に墓参をしていましたが)これからも色々世話になるだろうという事で。
そのために父の残した金はあるので、十分な金額を考えていたのです。
ところが、オーストラリアで戒名をつけた、イコール「金を多く取れない」と考えたその坊主は即座に納骨は認められないと言い出したために、本性を見てしまったというか。
母いわく坊主の喜ぶ金額でもいくらでも出せるが、まるでヤクザのゆすりみたいな態度で「払わされる」状況なんて、ちっとも「有り難味」が無い、そんな坊主ならお経を上げてもらっても不愉快になるだけだと、完全につむじを曲げてしまったわけです。
僕としてはこれですっきりオーストラリアで墓が建てられると思ったら、オヤジの妹が慌てているようで電話をしてきました。
彼女は自分の親が入っている墓なのでずっと墓を守ってきているわけです。 毎年の管理料も欠かさず払ってきていた。
彼女は一生独身を通したので、まだに「田邉」姓。
ということはその墓が唯一の自分の入る墓なわけで、自分も将来納骨を断られてしまうのではないかと。
自分の親が入っている墓に入れないなんて、考えてみると可愛そうではあります。
僕が建てたオーストラリアの墓にも入るわけにもいかないしと。
叔母が生まれて育った田園調布の墓にこだわりがあるのは理解できます。
いったいどうしたもんやら。
今回僕が日本に帰ったらその坊主に会って話をすると、どうしたら良いか判らず慌てている叔母に約束しましたが。
日本でその坊主に会ったらこの日記で「報告」いたします。
話は変わりますが、腰の問題でノートPC日本に持って行くのを諦めていたのですが、だいぶ調子良くなったし、日本から日記の更新はしないにしても、日本での事はいずれ日記にアップしたいので持って行けるかもしれません。 ノート型といってもこの東芝のダイナブック結構重いんですよね。
2002年9月12日
朝から計理士の事務所で缶詰になっていて、本日の日記はお休みしようかと思ったのですが、少々書きます。
オーストラリアの税金年度は7月1日から始まって6月末日まで。
で、昨年の分の申告の締め切りが9月末日(この末日は計理士を使っているから)で、日本に行くのですべてを終えなければならず。
自分のやっている会社と個人の税務申告なのですが、この計理士(女性)のお陰で、随分と節税が出来てるらしい。
彼女の計理士代は安くありませんが、その分を補って余るらしい。
「らしい」という言葉の連続なのは、僕自身がその「節税」についてはっきり把握していないから。
もっと正確に言うと「興味」が無いからかもしれない。
計理士は現代の医者と同じで経験と同時に、常に新しい税法(医者で言えば治療方かな)の勉強を続けていなければならない。
特にオーストラリアのように税法がころころと変わってしまう国では。
いや、税法に限らずこの国の「朝令暮改」度はすさまじいのです。
そういう国では、最も効率の良い節税方法もその時その時で違ってくるわけで、我が計理士はその点は良くお勉強している。
本日もほとんど彼女の言う説明を聞いてるだけで、異議を唱えるわけでもなく、しかしあまりにも複雑な(節税)方法も結構あって、理解するのに少々疲れました。
僕としてはそこまで色々節税しても、節税額はせいぜい数パーセントか10パーセントも行かないとは思うのですが(自分の中で詳しい試算をしたわけではないが)彼女はそれに情熱を燃やしているが如く説明するので黙って聞いておりましたが。
つまり、脱税をしているわけではないので、いくら色々な方法を駆使しても、節税できる割合は高が知れていると思うのですが、そんな事は彼女には言えません。
何しろ一生懸命に僕らのために「節税」してくれてるから。
僕は興味無いのですが、オーストラリアには日本人の僕には考えられないほどの「節税」の材料が転がっているのです。
政府が力を入れている産業、例えば「ワイン」や全くそれとは違うが「映画」産業などに投資をすると、投資額に対する特典というのか、控除があって「節税」に役立つ。
この辺は詳しく説明すると本日の日記では終わらないので、また機会があれば書きます。
で、そうやって熱心な計理士のお陰で節税できているのに、僕自身はこの「節税」がオーストラリアの経済を駄目にしてると思ってるんです。
オーストラリアのナンバーワン大金持ち「ケリー・パッカー」なんて、オーストラリアの最も優秀な経理士(事務所)などを駆使して、もう違法すれすれの「節税」を展開するので、彼の個人所得に対する納税額が年間たったの2千ドル(約13万円)なんて年があったのをおぼえています。
どこをどうやればそんなに安い所得税で済むのか知りたいところですが、彼ぐらいになると海外への投資等でいくらでも所得を圧縮(この場合隠すではないが非常に近い)できるのでしょうが、そういう法律の「穴」が金持ちほど使えてしまうのが問題であると思っています。
年間の個人所得税がたった2000ドルで、自分のポケットマネーから(これは名目)ぱっと100万ドルくらいすぐ寄付してしまう人です。
我が娘の通っていた高校で講堂を新築する事になり、彼のところへ校長先生お願いに行ったら、即決で100万ドルでした。
彼の名前がその講堂につけられた(パッカ−・シアター)のは言うまでも有りません。
彼は心臓の持病が有って、ある時発作で倒れた。 で、救急隊員の迅速な処置で命拾いをしたことがあります。
その後すぐに彼からやはり100万ドル単位の寄付が有りました。
何か話題がそれてしまいました。
このケリーパッカーについても書きたいことは山ほど有るのですが。
これもまたの機会に。
そんな訳で、本日は女房と二人で計理士事務所にずっといたので、今晩の食事は「テイクアエー」。
この「テイクアエー」メニューの中でもお気に入りの一つ、「NILGIRIS」のカレーを。
このノースにあるカレーレストランは僕のお気に入りの一つ。
このホームページの中の食のコーナーにも確か紹介してると思います。
www.nirgilis.com.au
このお店は「テイクアエー」の店も同じアーケードの中でやっていて、特にお勧めは「Butter
Chicken」。
ロンドン時代に食べたインド料理をも凌いでいると思っています。
毎日でも食べたくなります。
2002年9月13日
朝、ノースシドニーにあるシッピングエージェントに会社印(ハンコ)を持参して、先週送った「石」の輸出手続及び支払いを済ませに行って来ました。
これだけIT化が進んでいるのに、部分的には非常に前近代的な習慣が残っていると言うか、(日本でもないのに)B/L輸出書類には輸出元の印鑑が必要なのです。
久し振りにラッシュアワー(と言ってももうとっくに朝の9時は回っているのに)シドニーハーバーブリッジを渡ろうとしたら、かなりの渋滞にビックリ。
朝はノース側からシティーに流れ込む交通のために、ハーバーブリッジの車線を多く与えているせいか(ハーバートンネルと違ってブリッジは時間帯によって上り下りの車線数が変化します)北行きは混雑するなんてすっかり忘れていました。
と言っても日本の大交通渋滞とは比較にはなりませんが。
支払いを済ませるとすぐに今度は女房の教える学校へ。
本日が一年に一度僕が模擬試験官になる日。
高校卒業時に受ける全国共通試験(HSC)のために、僕が女房の生徒達に試験をする日。
試験の内容は昨年のちょうど今頃の日記に書いたように、生徒一人ずつ自分で作ったサブジェクト(日本語)の論文を、すべて丸暗記して僕に話してもらい、その内容に付いて僕が日本語で質問するのです。
はっきり言って今年は昨年よりも生徒のレベルが低く、僕の質問に戸惑う事が多かったので、昨年よりも成績はいまいちかもしれません。
そうは言っても、一生懸命に暗記しているので、生徒たちが僕に日本語で自分のサブジェクトについて喋っている時には、日本に何年か住んでいたのではないかと思うほどのレベルの日本語です。
一人は香港から11歳の時にオーストラリアにたった一人で留学に来て、寄宿舎に入った経験を話してくれました。
彼女曰く香港では中国語系の小学校に通っていたので、英語がほとんど出来ず(特に英会話)、自分の英語力を上達させるためにオーストラリアへの留学を選んだとの事。
しかしいきなりオーストラリアの学校で100%英語での授業が始まり、ついて行くのも大変だったが、オーストラリアの同級生たちが親切だったので「くじけなかった」と話してくれました。
今は日本からもこのくらいの年齢の子供がオーストラリアに留学に来ているのは珍しくありませんが(数から言ったら香港や、マレーシア、インドネシアからの生徒達とは比較にならぬほど少ないが)、日本からの生徒との一番の違いは、親がついて来るという事です。
そんな年齢の時にたった一人で(言葉も通じない外国に)送り出し、いくら寄宿舎に入れるとはいえ、たった一人なんて日本では考えられないと思います。
そう、ほとんどの(僕の知っている限り)日本人の生徒たちは親が(両親共というのは少なく、ほとんどが母親)付いて来て、一緒に生活をしてるんですよね。
つまり子供の教育のために夫婦別居状態になる犠牲を払っているのを見ると、そこまで子供の教育に熱心な面はある意味「感動もの」ですが、しかし他のアジアからの生徒と比較すると「甘やかされている」とも取れます。
もしそのような立場になっても僕にはとてもそんな真似できないだろうなと思います。
というか生徒本人がどうしても日本の教育を受けるのが嫌、もしくは英語がうまくなりたいなどの強い希望があって、そんな年齢でも外国に留学したいと言うのなら僕はもちろん行かせるが、それは自分一人で行く自信がある場合で、親も付いて来なければ行けないというのなら行かせないでしょうな。
ある意味日本の親の方が「甘やかす」度合いは強いと思いますが、これは一概に批判は出来ない面も有ると思います。
どうせ人間甘やかされて育っても、年取れば「大人」になるわけで、子供の頃を振り返って、親がどれほどの犠牲を自分のために払ってくれたかが客観的に判断できるようになったら、それはそれでその人の「肥やし」になるのではないかとも考えるからです。
ただし20歳までの年齢で比較したら上記のような事情で絶対に日本人の方が「幼い」と思います。
しかし人間の人生なんて20歳までで決まるものでもないので、それほど心配する事でもないと思っています。
さて今日は、模擬試験官が終わったら今度はシドニー郊外バンクスタウンのそばにある日系運輸会社に別送手荷物品を送りに。
これは親父が残した電動工具類を日本に送り返す事に決めたたためです。
計50キロで2箱、船便なのでそれほど高額ではありませんが、僕が日本にいる間には到着しないようです。
2002年9月14日
本日土曜日の日記は都合によりお休み致します。
皆様良い週末を。