2003年9月前半の日記
by tom tanabe マグパイへ戻る
2003年9月1日
今日からオーストラリアは「春」。
素晴らしい初春の天気が続いています。
昨日は「アーチェリー」の練習の後、母と娘4人でチャッツウッドの飲茶へ。
考えてみると随分久し振り、昨日が僕の誕生日だったので出掛けたのですが、食べ過ぎてしまいました。
「56歳」って考えても感慨も無く、なんか50歳を過ぎてからは誕生日が来てもただ馬齢を重ねていくだけという気がしてしまいます。
それを考えるとかなり落ち込むので今日の日記にも誕生日の事を書くのは躊躇してしまったのですが、一応自分の日記ということで。
精神的な「男の更年期」もほぼ克服しかけていて、肉体的な問題も(肩の痛み=50肩とか何とか言うやつ)だいたい片付いて、ある程度安定期に入る年齢なのでしょうが、何か自分が20代に考えていた「56歳」とは違うような気が。
さて、最近になって今の家を処分して、どこか管理の簡単な所に移りたいという考えがかなり具体的になってきました。
偶然知り合ったある不動産屋がどうしても我が家を見せてくれというので、先週の終わりに来て、価値評価などもして行ったのですが、別に次に移りたいところが具体的に有るわけではないので、まあ良い買い手でもついたら考えようかという程度ですが。
シドニーのマーケットは相変わらず好況のようで、僕はとっくにピークは過ぎていると思っているのですが、下がってるという気配があまり無い。
ただし、投資用に買われた物件が賃貸にかなり出ているのか、賃貸料は下がり気味なのだそうです。
まあ、急がずノンビリ次のところを捜そうと思っているのですが、なかなか簡単には見つからない気がします。
母はいくら高級でもアパートは嫌だと言うし、また彼女が見ているNHKも多分アパートに入ってしまったら大きなパラボラアンテナ建てられないので無理になるでしょうし。
僕も非常に音に敏感な方なので、ロンドン時代住んでいたアパートの上の階に医者が住んでいて、彼はシフトで朝4時5時なんて時間に出掛けて行ったりして、随分睡眠を妨げられた思い出があります。
ですから1980年にオーストラリアに移って来たときにも、アパートは選択肢に入れていませんでした。
しかし一軒家で管理が簡単なところで気に入ったのを探すというのはなかなか困難なようです。
何しろ僕の望みは、管理が簡単でかぎ一つ掛ければ、10日前後の旅行はいつでも行けるような環境なのです。
ひょっとして今の家が良い値段で売れてしまうような事があり、すぐに次の気に入ったところが見つからないような場合、一時的に借家住まいにでもして、日本に半年ほど住みに行ってみようかなとかも考えています。
別に日本に住みたいというのではないけれど、あまりにも永年離れているので、旅行で行くのと実際に住むのではまた感じが違うのではないかと。
そう考えたら、いや待てよ別に日本で無くともパリとかニューヨークでも良いかなとも考え始めた。
色々そういう事を考えている時が結構楽しかったりして。
と、自分の誕生日の日にグダグダと思い廻らしておりました。
2003年9月2日
僕がつくづく「浦島太郎状態」であると感じたのは、パリで先日行われていた世界陸上を見ていた時。
特に陸上競技に興味があるわけでは無く、偶然つけたケーブル・テレビの番組で陸上競技をやっていて、それが男子200メートルの予選でした。
全く何の気なしに見ていたら、日本人の選手がその第一ヒートの最初のグループにいるので、そのまま見ていました。
彼の名前は忘れてしまったのですが確か8人中7位だったと思います。
やはり日本人には陸上、特に短距離は「無理だ」なんて思ってそのまま見ていたら5番目のグループにも日本人が出てきた。
「何だ日本人の短距離選手が世界大会に二人も出るのか」と、全く期待しないで見ていたら、アナウンサーが「彼、shingo
suetsugu
は今年の200メートルランキング1位で、、、」なんて言うではないですか!
「????」
その場に及んでも、今のは「きっと聞き間違えだろう」と思っていたほど。
しかしそのグループがスタートして、な、なんとその日本人の選手がもう余裕で2位3位の選手の位置を確認しながら1位でフィニッシュしたではないですか。
いやはや「ビックリ」して、すぐにインターネットで彼の事を調べてしまった。
「末続慎吾」って名前なんですね。
suetsugu っていうから、てっきり「末次」かと思った。
結局彼は決勝では「銅メダル」に終わったようですが(その放送は見る事が出来ず)、いや素晴らしいです。
ちなみにその日のオーストラリアのニュースでも「日本人が世界陸上の200メートルで、、」なんてやっていました。
オーストラリア人にとっても日本人が3位なんて驚きなんでしょう。
この末続選手、体つき見ても「ものすごくパワフル」には見えないけど、素晴らしい素質があるのでしょう。
で、その国際陸上では「またまた」何人かの選手が「ドーピング」問題で引っ掛っています。
特に女子の100メートル及び200メートル優勝者「ケリー・ホワイト」選手なんて全く「あきれ果てて」しまいます。
使用していた薬物は現在はまだ使用禁止にはなっていないが来年から禁止になる予定の物で、それより何より選手は使用中の薬物は(違法の薬物ではなくとも)全て申告しなければならない規定になっているのに、「忘れた」なんて言っております。
風邪薬のような物で忘れたと言うのならともかく、かなり特殊な薬物なのに。
僕から見ればこれは完全に「クロ」でジェーロム・ヤング選手にしても最近のアメリカの選手の「ずる」は酷いものがあります。
それに輪を掛けるように、アメリカ陸上連盟の「汚さ」というか「不透明さ」は、前の日記にも書いたようにカール・ルイス選手の時からずっと続いているようで、これは手がつけられません。
出場停止処分を受けているはずの選手がいきなり解除になって、その理由が非公開で一切発表すらされないとか、そんなのばっかりです。
カナダのベン・ジョンソンが薬物使用で金メダル(ソウルオリンピックだったか)を剥奪され、タナボタ式に金メダルをもらったカール・ルイスも先日薬物使用がバレ、その時繰上げで2位になった(本当は3位)イギリスのりンフォ-ド・クリスティーも何年か前にやはり薬物使用がバレて追放されてるしと、もうメチャクチャですな。
日本人の選手は決して薬物などは使用していないと信じているので、ドーピング規制をもっともっと厳しくすれば、日本人の選手の活躍が見えるようになるのではないかと期待しております。
F-1の表彰式のお立ち台の真中に日本人が立つ日と、世界大会かオリンピックの男子100メートル決勝で日本人が優勝する日はどっちが先に来るんでしょう。
ひょっとすると、陸上の方が先のような気がしてきました。
楽しみですな。
2003年9月3日
何度も書いていますが、シドニーは快晴の素晴らしい天気が続いています。
やっと一昨日(暦の上では)に冬が終わったばかりなのに、今日も車で出掛けて外の気温を見たら23度、その上あまりに日差しが強いので24度にセットしてあるエアコンが冷房にいつの間にか切り替わっておりました。
我が両親がオーストラリアに移り住みたいと決めたのもこの「初春の快晴」だったのです。
正確には覚えていませんが確か1985年か6年頃だったと思います。
その時両親はオーストラリアに遊びに来ていて、一緒にヴォークルーズにある歴史的な建物ヴォークルーズ・ハウス横のしゃれたレストランで一緒にお昼を取った後、ハウスの正面にある庭でノンビリベンチに座って話していたときです。
そのときに彼らが「オーストラリアに住む」と言い出したわけではなく、その後友人達にオーストラリアに移り住むきっかけを聞かれると、決まって我が父はこのヴォークルーズ・ハウスの庭の話をしていたものです。
この庭が素晴らしいと言うよりも、たまたまその日の天候と咲き乱れる花たちに囲まれて、「その気に」なったのだと思います。
本日も全く雲ひとつ無い「抜けるほどの青空」を見ながら、一緒に出掛けた母とその当時の話をしておりました。
1986年の後半にそれまで住んでいた東京の家を売る決心をしたのは、いつまでたっても日本に帰って来ない僕(一人息子ですから親は帰って来るものだと思っていた)に痺れを切らしたのもあるでしょう。
また当時は日本のバブルの絶頂期で、特に僕が生まれて育った場所は都心のビルなどの地上げで大金を手にした人達が、自分達の居住用としてまさに「金に糸目をつけず」土地を探していたようです。
詳細は(僕はすでに日本には住んでいなかったので)その後両親から聞いたのですが、両親にとっては全く土地を売る気が無い頃から、不動産屋達だけでなく、見ず知らずの人が飛び込みで「この辺で売りに出ている、または売りたいと思っていらっしゃる方は知りませんか」なんて来ていたようです。
凄いのは、高級和服を着た50歳前後の婦人がいきなり呼び鈴を鳴らして来て、母が出てみるとやはり「土地物件を捜している」という話で、母はまだ我が家は売る気なんて全く無い頃だったので「残念ながら存じません」と答えているのに、何と数万円はするであろう「木箱入りのメロン」を、「お騒がせしたお詫びに」とか言って置いて行ってしまって、非常に困惑したという話も聞きました。
ですから我が両親にとっては全くの偶然に、オーストラリアに住みたくなった頃と、バブル景気がシンクロした訳で、いざ父が売りに出したら今度はいわゆるブローカー達が何人も押しかけ、あっという間に売れてしまったのです。
その後すぐにバブル景気ははじけ、その「元我が家」は次から次へと持ち主が変わり確か未だに(16年も経っているのに)誰も住んでいない状態という、まさに「バブルエコノミーの傷跡」という形容がぴったりの状態でした。
確か今年の初めだったかにとうとうその家自体は現在の所有者が取り壊し更地になっているという噂を聞いたのですが、現在はどうなっているのやら。
その後の日本とオーストラリア両国の経済の歩みは本当に対照的で、バブル崩壊後に問題のあるものは包み隠さず出し早めに処置してしまったオーストラリアは、順調にある程度の景気を保持しているのに対し、日本は政策は後手後手にまわり、銀行を含む不動産関係は責任回避か不明朗なままで、ただただカンフル剤のような物に頼ってきたために、今や不動産の値段を単純に比較しただけでも、何倍もの差が生じているようです。
1987年当時の不動産価格は特にシドニーのような都市部では現在何倍にもなっていますが、日本は何分の一にまで下落してしまっているわけで、その差を著しい物にした最大の原因は、「体内の膿を荒療治でもすっきり出してしまうのと、かたやちゃんとした処置を取らず、痛み止め(公共工事など)だけを服用していたようなのとの差ではないかと思います。
と、なにやら本日の快晴から随分話は飛んでしまいましたが、本日のような青空を見ると「本当にシドニーに住んでて良かった」と感じるものです。
2003年9月4日
5週間前に始めた洋弓(アーチェリー)、かなりハマっております。
最初のレッスン(1ターム4週間)が終わってすぐに、練習用の弓と矢など一式を注文してしまいました。
レッスンを受けている初心者の中ではなぜかえらく成績が良いので調子に乗ってしまってというか。
しかしさすがオーストラリア、すぐに注文した洋弓は入手できないとか(特別注文の高級品でもないのに)で、先生から同じようなサイズのを借りて来て、日曜日のレッスン日まで家で練習しております。
嬉しいのは、肩の痛みが出ない事。
何しろ2ヶ月前までは風呂に入って自分の体を洗うのでさえ苦労したほどの痛みが有ったのに、さすが50肩というかある日突然のごとく無くなって、今や35ポンドの弓で練習しております。
さて、今度日本に帰った時にはヤマハのアーチェリーを見ようかなと思ってインターネットで検索したら、何とヤマハは昨年の9月をもってアーチェリーから完全撤退してしまっていたんですね。
同時にヤマハはテニスのラケットからも撤退してしまっていたのを知って結構ショックです。
大企業となると採算の取れない部門はどんどん切り捨てていくのでしょうが、アーチェリーの場合は確か日本の草分けというか、日本でアーチェリーを広めたのもヤマハだったと記憶しているのですが。
「へそ曲がり」の僕は人のやらない事を選ぶ傾向にあるようで(全く意識はしていないのですが気が付いてみるとそうなっている)いくら薦められてもゴルフは未だやらず(友人に是非と言われてクラブのセットまで貰って持っているのに)今回ハマっているのが、ヤマハが撤退したアーチェリーとは。
さて、ついでにインターネットで日本のアーチェリーの事を色々調べていたら、射撃用眼鏡の事が出ていました。
アーチェリーは構え方(弦の引き方というのか)にもよるのですが、僕のように眼鏡を掛けないと「標的」が良く見えない人間にとって、かなりハンディになるようです。
つまり僕の場合だと的を射る時には左眼を閉じて、右目で標的を見るのですが、眼鏡を掛けていると的が眼鏡のフレームの淵のあたりに来るのです。
で、それを先生に言ったら構え方を変えるか、射撃用の眼鏡を使うかと言われたのです。
僕はどうしても構え方は変えたくなかったので少々眼鏡をずらしてやっていますが、日本のウエブサイトにはその射撃用眼鏡を購入した方(かなり本格的にやられている方のようです)のページが有って、何と彼は視力が2.2もあるのに視力の衰えを感じて眼鏡を作ることにしたと有るのです。
僕なんて眼鏡掛けても2.0は絶対にないはずで、もうその辺から完全にハンディを負っているようです。
で、その方はライフル射撃を扱っている店(日本にはものすごく少ないようです)に行って、特殊なその眼鏡(フレーム)を購入、眼鏡屋に行ってレンズを入れてもらおうとしたら、検査の結果一番小さい字も読めてしまって眼鏡を作る必要は有りませんと言われてしまったとの事!
しかし彼は確実に眼鏡が必要だと判っているので、そのためにレンズを手に入れるのに大いに苦労したようです。
普通の眼鏡屋の検査では作れないのだそうです。
ただその特殊なフレーム(スイス製だったか)というのは思ったほど高くないので、僕もオーストラリアで捜してみようかなと思っています。
と、なにやらえらくハマリつつあるのが見えるでしょ。
凝り始めるといつもこんな状態になってしまう自分が見えてなんかおかしいです。
2003年9月5日
Anthony Mundine
(アンソニー・マンディーン)が昨日のボクシングの試合「WBAスパーミドル級のタイトルマッチ」でチャンピオンに輝いたというニュースには、はっきり言って大いに驚かされました。
僕の予想は絶対にアメリカ人のチャンピオン(Antwan Echols
)には勝てないと予想していたからです。
最近のボクシングは、「世界選手権」のような大きな試合のほとんどがペイTVでしか見る事が出来ません。
ですから最近はボクシングの試合など見た事が無いし、その話題すら書く気にもならないのですが、昨日の「事件」は書かずにはいられません。
昨日の試合も当然のごとく地上波では放送されず、ワザワザお金払ってまで見たいとも思っていなかったので、今朝の朝刊の見出しで彼が勝ったと知っても、「どうせ偶然放ったパンチが当たったって勝ったのでは」と思っていたのです。
ところが、記事を読んだら12ラウンドフルに闘って、3対ゼロの判定で勝ったのを知ってまたまた驚きました。
なぜ彼の事がそれほど気になっていたかというと、彼の経歴が非常に特殊だからです。
今年28歳になる彼はたった38ヶ月前までオーストラリアのラグビーリーグの有名な選手だったからです。
普通ならそのままラグビーを続けていてもおかしくないのに、突然ボクサーだった父親の夢を果たすために、ボクシングに転向すると発表した時には多くのオーストラリア人が驚きました。
彼の父トニー・マンディーンは、オーストラリアのチャンピオンではありましたが、アルゼンチンで行われた世界選手権で惜しくも敗れ世界チャンプになる事はかないませんでした。
その父の夢を息子のアンソニー・マンディーンが果たしたわけですが、年齢的にもピークは過ぎているだろうし、それよりたった三年前まではラグビーやっていた人間がボクシングに転向してそれほど簡単に世界チャンピオンになれてしまうものだろうかと僕はいまだに考えております。
ラグビーをやっていた時から、ボクシングの練習もしていたのだろうかとか。
マイケル・ジョーダンのようにバスケットプレーヤーとしてはずば抜けていても、野球に転向して散々だったのを見ても、僕は彼がその年齢になってからボクサーになってもせいぜいオーストラリアチャンピオンどまりだと思っていたんですけどね。
親から貰ったものすごい素質が有ったんでしょうな。
いやはや驚きました。
さて話は全く変わって、今日のニュースを見ていたら、シドニーのあるニューサウスウエールズ州では無免許運転者による事故が大いに問題になっているとか。
この州には約400万人の免許保持者がいるそうですが、何と約28万人もの無免許運転者もしくは登録されていない車を運転している者がいるとか。
そのニュースを見ていて感じたのは、いかにこの州では取り締まりに手が回らないかという事。
僕はオーストラリアに住みに来て23年経ちますが、今まで「ただの一度」も免許の提示を求められた事はありません。
考えてみると一年を通して車を運転しない日は無いほどの僕ですが、一度も免許証の提示を求められた事は無い。
ただし飲酒運転の検査は23年間に3度あったが、その時にも免許の提示は求められなかった。
ひょっとして理由が無い限り免許証の提示を求めてはいけない法律か何かがあるのでしょうか。
日本でも同じなんでしょうか? 最近は日本でも免許証の提示は必要なくなっているのだろうか。
とにかく僕にとってはオーストラリアでは一度も無いので、免許証を携帯せずに運転しているなんてしょっちゅうです。
確か免許不携帯ってのは違反のはずだが、何事にも寛容なこの国の事、「あ!わすれた、後で警察署に免許証見せに持って行くから」なんて言ったら許してくれちゃいそうな気がします。
こんな状態ですから、オーストラリアでは無免許運転者がメチャクチャ多いのではないかと思っています。
こういうの相手に事故でも起こしたら目も当てられない事になります。
つまり保険会社が支払わないという事態になるからです。(自分が全損に入っていればべつ)
いくら相手が悪くても、この国では事故に巻き込まれると大損するシステムになっていますので皆さんもくれぐれもご注意ください。
昔僕は女房の車を運転して郵便局に行き、切手を買っている時に外で「ガッッシャーン」という大きな音がしたので出て見ると、何と女房の車にワゴン車が突っ込んでいたという経験があります。
全損に近いほどの大きな事故だったのですが、その後の補償については(全く僕のせいではなかったのにもかかわらず)、かなりの損害を被りましたから。
それでは皆様良い週末を。
2003年9月8日
アジア系の留学生を狙った誘拐事件が多発しているらしい。
で、そのほとんどが「被害者」も「犯人」も同じアジア系の留学生であるという。
もう少し詳しく書くと、そのほとんどが中国からの(香港を含む)留学生のようである。
今やオーストラリアの教育産業(英語学校など)は、アジアからの留学生の増加で「大産業」に成長しているようである。
その額はオーストラリアにとって年間4億ドルなのだそうだ。
中国からの留学生の数だけ見ても増加が著しく、今や年間44000人とか。
そして特に中国(本土)の経済成長のお陰で、中国からの留学生の中には非常に派手な生活をしている若者が多いらしい。
先日も誘拐されて、すんでのところで5百万ドルの身代金を奪われそうになった若者(男子学生)の親は上海で手広く土地開発を手がけているとかです。 その親は身代金を払うためにその5百万ドル(約4億円か)を全額用意したそうです。
その親が彼のために買ってやったマルーブラの家に一人で住み、車庫にはメルセデス・ベンツのコンバーチブル(オープンカー)を筆頭に5台もの車を所有していたそうです。
そしてその彼を6日間も監禁していたのも同じ中国からの留学生で、先日起きた中華街のレストラン「BBQキング」のオーナーの誘拐事件もやはりシドニー大学とウーロンゴング大学に通う中国からの学生だったのですが、これは本当に特徴的なことだと思う。
中国では「誘拐犯罪」というのは重罪に当たらないのだろうか。
同じアジアからの留学生でも、日本人が同じ日本人を誘拐して身代金を奪うなんて犯罪聞いた事ありません。
同じ日本人同士で「脅して金を奪う」、「盗みに入って金を盗む」なんてのはあるとは思いますが、わざわざオーストラリアにまで来てそんれほどの重犯罪を犯すなんてのはまずいません。
そしてもっと特徴的なのはアジア人の子弟というのは(これは海外からの留学生でなくとも)一般のオーストラリア人では考えられないほどの高級車に乗っているというのを良く見かけるということ。
我が家の近くにはシドニーでも名門とされる私立の高校が2校あるのですが、新型のBMWやベンツ、アウディなんかにP(若葉)マークを付けた車の運転者を見ると、決まったようにアジア系の顔をした学生服を着た少年が運転をしている。
高級車で学校に乗り付けてくる高校生の100%がアジア系(チャイニーズ系)と言って間違いない。
これはある程度日本国内でも起きている現象で、まだ20歳前の若者が超高級車を乗り回しているという事はある。
オーストラリアではこの現象が特に中国系に多く、これは親の財力誇示の一つの手段なのかしらと思ってしまう。
で、当然「狙われる」わけである。
日本でも確か「小金」を貯めた中国人が同じ中国人に狙われるという事件は結構起きているようである。
遠い外国に留学で来ている者同士、仲良く助け合っていこうなんて事は無い様でこれはあまりにも大きな国「中国」の特徴なのかもしれない。
最近にはやはり中国からの女子留学生が誘拐されて絞殺されるという事件も起きているのを見ても、オーストラリア政府は語学学校などの教育産業発展に躍起になるのなら、アフターケアーももっと考慮すべきであると思う。
つまり、いきなり親元を離れて自由な生活を手に入れると、思わぬ落とし穴も有るわけで、オーストラリア政府も金儲けばかりに走ってその辺をフォローしないと、問題は大きくなるばかりであると、僕のように日本から来る若者のお世話をする仕事をしていた者から見ると痛感する次第。
彼らの親代わりになる(カウンセリングを含む)ファンクションがすっぽり抜けたままの今の状態は非常に危険であると感じます。
2003年9月9日
本日火曜日は、女房の教える学校へ恒例の「一日試験官」に行って来ました。
もう何年も続けてきたこの「お手伝い」、とうとう今年が最後になるわけで感慨深かったです。
この「一日試験官」については過去の日記「2001年9月前半の日記の中の9月10日と2002年9月前半の中の9月13日」の中に書いてありますので興味のある方はそちらへどうぞ。
前の日記で触れたように女房の教える学校は来年から日本語教育をやめて中国語に切り替える事が決まり、今年一杯で女房は引退する事に。
数年前から女房自身もそろそろリタイアと考えていたから良いようなものの、しかし学校のこの決定には大いに不服だったようです。
つまり、これからの時代はオーストラリアにとって日本よりも中国の方が重要と考える事は判らないではないが、しかしそもそも女房教える学校が「日本語」を外国語の一つとして取り入れたきっかけは、ただ単に日本とオーストラリアの経済的関係が大きくなったというのではなかったのです。
親日家として高名な元駐日オーストラリア大使「ジョン・メナデュー氏」の夫人ミセス・エリザベス・メナデューも同じく親日家で、日本の民宿についての著書もあるほど、その奥様が是非自分の母校でも日本語を教えて欲しいと、自らの私財を出して日本語課が設置されたからです。
ですから、女房への給料は学校の運営資金からではなく、その特別基金から支払われていたわけです。
しかしその奥様も他界され、学校は独自に日本語を切り捨てて、中国語に乗り換える決定をしたのですが、ではその日本語教育基金は今後どのように使われるのか非常に不可解な事が多分に有ります。
そしてその決定をした校長も今年一杯で退任する事になっているとかで、このままうやむやになってしまう事でしょう。
女房が教えてきたこの16年を振り返ると、彼女は充分満足の行く結果を残してきたと言えると思います。
今日僕は「1日試験官」として最後の生徒さん達への模擬試験を終えた後、つくづく女房に「ご苦労様でした。 本当に頑張ってきた」と感じたものです。
彼女が日本語を教えていたこの16年間、彼女の生徒は毎年行われるHSC試験結果で常に全州中トップ10位以内の生徒を送り出してきたものです。
確かたった1年だけトップ10位に彼女の教え子が入れなかった事があったような記憶がありますが、しかしある年にはトップ10位に6人も入るという驚異的な結果も含め、トップ10位に複数入ることもまれではなく、彼女の日本語教育のテクニックに大いに注目が集まった物です。
そしてそれは私学連盟の注目するところとなり、ある年からは学校で教える傍ら、ニューサウスウエールズ州内の日本語を教える私学の先生達に日本語を教えるテクニックを指導するという仕事も引き受けるようになり、またHSCの採点もするようになっています。
僕はあまり身内の自慢を書くというのは趣味ではないのですが、いよいよ今年で終わりかと考えると、少しは誉めてやっても良いかなと感じ、どうしても書かずにはいられない心境に。
特にそれだけの素晴らしい先生としての成績を収めながら、中国語に切り替える判断をした学校にも疑問(日本語教育基金の行方など)を呈したいとも思ったので。
まだ今年のHSC試験は終わっていませんが、今年も彼女の生徒さんたちが良い成績を収める事を願って願っております。
そして今年のHSCが終わったら彼女への慰労旅行にでも行こうかなと考えております。
2003年9月10日
今年最後のグランドスラム戦であるUSオープンはアメリカのアンディ・ロディックが優勝しました。
この事は月曜日に書く予定が、ずれ込んでちょっと話題が古くなってしまったが。
さて、オープン前の予想ではロディックは本命の一人では有りましたが、しかし彼が決勝まで生き残れたのはまさに奇跡的だったと僕は考えています。
というのも、その前日に行われた準決勝の試合でチリの「デイビッド・ナルバンディアン」に2セットを先取され、その上第3セットもタイブレークに持ち込まれ「マッチ・ポイント」にまでになったからです。
そのタイブレークの最中に、ナルバンディアンの打った球がラインすれすれに落ちた時、「ラインズマン」ではなく観客が大きな声で「アウト」と叫んだのです。
実況を見ていた僕も一瞬ラインズマンが言ったのではないかと思ったほど。
で、すぐに他の観客も追随するように「ブーイング」を起こしたのです。 ナルバンディアンはすっかりやる気を無くしてしまい、そのタイブレークを落としただけでなく、その後の2セットも落としてしまい結局その試合に敗れてしまったのです。
ナルバンディアンがもう少し精神的にタフだったら、もしくはアメリカのお客がもう少しマナーを守っていたら、アガシを破って決勝に進出したスペインのフォアン・カルロス・フェレーロの対戦相手は彼だったと思います。このような観客のマナーの悪さと言うか、不注意で試合の結果が大きく左右される事は別に珍しい事では有りませんが。
しかしけっきょくその起死回生で勝利を手にしたロディック、決勝では決して縮むことなく立派に闘い、初のグランドスラムの賜杯を手にしたわけですが、まだ21歳これからが大いに楽しみでは有ります。
それと同時にまた男子テニスにもパワーの時代が戻って来たのかなと感じます。
女子はジャスティン・ヘネン・アーディンが同じベルギーのキム・クライスターを破り優勝しました。
この決勝も僕はアーディンがカプリアーティとの準決勝戦で体力使い果たしてしまったと思っていたのですが、素晴らしい動きで優勝してしまったのには驚かされました。
フレンチ以来彼女の「顔」には笑顔が見られるようになって来たのも良いですね。 何しろアーディンは12歳で母親が他界し、その後実父とも色々有った(虐待)みたいで幼くして別れ、孤児同然で育って来たのその境遇のためか、常に寂しそうな暗い顔つきで知れられていましたから。
それらの逆境を全てテニスに打ち込んできたわけで、彼女の今回の準決勝からの戦いを見ると、まさに超人的ともいえます。
何しろカプリアーティとの試合が終わってから(夜中の1時過ぎ)点滴を受け、丸一日も空けずに(たった20時間)決勝に臨んだのですから。
そして最後は「女子ダブルス」。
ナブラチローワが惜しくも決勝で敗れてしまったが、それにしても決勝まで進出なんて本当に素晴らしい事です。
彼女の年齢を考えると「女子ダブルス」の「女子」というのが似合わないほどの高齢、「女性ダブルス」と呼び変える必要が出てくるかもしれません。
この大会ではピート・サンプラスが正式に引退をし、またアガシも敗れ時代の移り変わりを実感させられました。
さてUSオープンが終わると、F-1の最終戦(日本グランプリです)ももうすぐ、そして一年が終わってしまうという感じで、歳とともにますます一年が過ぎていくのが早いこと。
嫌になってしまうほどあっという間というか。 ただし南半球は一年の終わりに近づくと言う事は春から夏になって行くということで、寒いのが大嫌いな僕にとってはそれだけは救われます。
2003年9月11日
本日の日記を書こうと上の日付を入れたら「911」なんですね〜今日が。
もうあれから2年、早いようでありまた遠い昔の「大きな事件」って気がしないでもない。
今この日記を書いているのはオーストラリア時間の夕方4時半過ぎですが、まだ何も起きていないようです。
しかし時差の関係でアメリカは11日になったばかりなので、何となく不気味ではあります。
女房の友人の中には今日はハーバーブリッジは渡らないようにすると言っている者もいるとか。
そして本日何も起きなかったとしても、「10月12日」、そして「11月13日」は要注意だと言っているのは結構いるとか。
10月12日と言うのはバリでの爆弾テロが起きた日なのですが、オーストラリア人達にとってはニューヨーク連続テロと同じほど強いインパクトのある事件だったのです。
オーストラリアは多くの犠牲者を出し、その犯人達の裁判の進行状況は現地インドネシアから毎日のように報道されています。
日本ではこのバリ爆弾事件、とっくに忘れてしまっている人が多いでしょうな。
多くの人種がいるオーストラリア、そしてイラク戦争に真っ先にアメリカに参戦を表明した国ですので、国民がナーバスになるのはある程度致し方ないことでは有ります。
脳天気な僕は、「今日はハーバーブリッジは渡らないようにしよう」なんていう発想は全く出てこなかったが、しかし考えてみると、確かにアルカイダに非常に近い人達がオーストラリアには結構いるのは確か。
とりあえず何事も無く本日が過ぎてくれれば良いと願っております。
さて相変わらず我が家にかかってくる「マーケットリサーチ」や「募金要請」はたまた「押し売り」の電話が非常に多いのでウンザリしております。
皆さんもインターネットで電子メールを使用している場合には経験があると思います。 「ジャンクメール」の迷惑ってやつを。
しかし、ジャンクメールなら無視してクリック一つで削除できるし、またその手のソフトを入れれば、全く配信されないようにするのも可能です。
ところが電話はそうはいかない。 かけてくる人のIDを表示する機能が有っても受けてみるまで誰だか分からない事が多い訳で、いちいち電話口に出る、そしてこちらが遮れないほど早口で「押し売り」されると、何も言わずに切ってしまうわけにも行かず、特に食事中や来客中、手の離せない時などに慌てて電話口に出た時などは「カチーン」とくるものです。
特に我が家のある局番はその手の「押し売り業者」さん達に人気が有るのか、僕がボンダイ・ジャンクションに住んでいた頃とはもう比較にならないほどの数です。
先日日曜日の朝ゆっくり起きてノンビリ朝刊を見ながら遅い朝食を取っていたら電話が鳴って女房が出たのですが、「車のマーケットリサーチだから答えてあげたら」と女房が言うので(まあその日は僕も気分が良かったのでしょう)珍しく答えてあげる事にした。
電話をかけて来たのはある高級乗用車のメーカーの要請で「リサーチ」をしているという、かなりスノッブな英国訛り強い男性でした。
彼は非常に礼儀正しく質問内容も結構僕には興味の有る分野だったので、10分程度ですと言われたが(もちろんそんな訳無く)結局30分以上も多くの質問に答えてあげた。
最後に彼が「大変助かりました、またこの車に関するサーベイ(リサーチ)がある時には答えていただけますか」と言うので、しょっちゅうは困るけど週末の暇な時間なら答えても良いと話しておいたのです。
ところがこれが「大失敗」だったのですな。
数ヶ月に一回程度と言うのを信じた僕が馬鹿だったと言うか、もう10日後には今度は女性の声で「先日のマーケット・リサーチでは有難うございました。 その時に申しましたように本日はそのフォローアップとしてまた答えて頂きたく、、、、」って始まっちゃったんですな。
それも約束した週末ではなく平日の夕食時。
僕は「何言ってるの、数ヶ月に一度くらいと言うからOK出したのに、まだ2週間も経っていない。 どうなってるの?」と言うと相手はしどろもどろ。
その上、僕が先日答えたのと全く同じ質問をしようとしているのです。
もう、ただただ「カモ」にされているだけと言うか、何のために30分もかけて答えてあげたのか。
つまりこの手の会社は実際に何人から答えを得たかと言う「頭数」で稼いでいるだけなので、いくらこちらが真面目に答えても、ただの無駄だったような。
いささか「カチン」と来たので、マネージャーに代わってもらい、「本日の電話は先日のフォローアップとの事だが、そちらには僕が時間をかけてちゃんと答えてあげた内容は当然データに残っているはずでしょ?」と聞いてみた。
「もちろん資料として残っております」とそのマネージャーが言うので、「それなら先日僕に最初に電話をかけてきた時の担当者の名前、そしてかけてきた日付及び時間、そして次にまた僕にかける時には、週のいつ頃が良いとか話した内容を読みあげてください」と強く要求しました。
そのマネージャーはしどろもどろ。 確かにそれらのデーターは彼女の目の前のコンピュータのモニターに映し出されているはずなのです。
で、その資料を全く見もしないでただただ僕がリサーチによく協力する「カモ」だからと言う事でかけて来たのは明白。
大いにそのマネージャーを追及してしまいました。
で、そのマーケットリサーチを行う会社を雇っているのは何と、トヨタ(レキサス)なんですよね。
トヨタさん!こんな会社に金払っても「どぶに捨てる」のより始末が悪いですよ。 こんな会社がレキサスのイメージ良くする訳無いですからと言ってやりたいですな。
2003年9月12日
このところの日記に「良い天気がずっと続いて」なんてそれこそ脳天気に書いてたら、シドニーはまたまた水不足になりつつあるんですね。
確かに僕が洋弓(アーチェリー)を始めた6週間前から日曜日のレッスンは一度も雨のために流れる事は無かった。
この調子が続くと、10月1日方給水制限が始まるとかとの事。
困った物です。
本日は「WAGA」というシドニーから国内航空便で南へ1時間のところに有る田舎町へ女房はHSCの試験官として出掛けるので、シドニー空港へ送りに行ってきました。
女房は娘と一緒に先週の週末からメルボルンへ行っていたので、その時にも僕は空港(国内便の)に行ったのですが、いつも空港(ドメスティック)行く度に不思議に感じるのはオーストラリア政府と、空港の「ヴァージン航空」への処遇について。
今オーストラリアではこのヴァージン航空のお陰で、とても手軽な料金で国内旅行を楽しむ事ができます。
しかしご存知のようにヴァージンはイギリスの航空会社で地元企業でないためか、政府や空港オーソリティーにより非常に冷遇されております。つまり嫌がらせと言うか。
つい最近までのヴァージン航空に割り当てられていた出発及び到着ロビーは、アンセット航空の倒産でいくらでも設備の整ったロビーは空いていたのに、そこは使わせずまるでバラック同様だったし、やっとアンセットの入っていたロビーに移れたと思ったら、なぜか到着ロビーの前の通路をタクシー以外は進入禁止にして、一般の車がピックアップできないようにしてある。
そこで僕は携帯電話を活用して、ラゲッジ受け取りの場所まで出て来たところで空港近辺で待機している僕の携帯に電話を入れてもらい、ピックアップをしています。
本当はそれでも駐停車禁止のところばかりなのですが、1分もかからずにピックアップできるので今のところ問題無くこの方法で駐車料金も払わず、待つ時間も少なく本当に便利。
携帯電話サマサマ。 普段は携帯電話を持ち歩く習慣がどうしても身につかない僕ですが、このような使い方にはぴったり。
で、火曜日の朝刊のITのページを見ていたら、世界で最も携帯電話が普及しているのは香港と出ていました。
100人中93%と有ります。 ちょっとこの100人中93%という表現がよく判らないのですが、100人当たり93人が携帯を使用していると言う事か。
で、第2位はなぜかフィンランドなのだそうです。(85%)
さて、日本はどの辺に位置すると思いますか?
何とオーストラリアと同率4位の64%なのだそうです。 3位のイギリスの84%と言うのも驚きだけれど、オーストラリアと日本が同率ってのも信じられません。
日本の方がぜんぜん上だと思っていたので。
そして米国はたったの49%でニュージーランドよりも下というのにもにわかには信じられないですね。
確かに香港は凄い普及率だというのは随分前から聞いていたので驚かないが。 そういえば友人の香港系中国人が香港に帰った時に買ったという携帯をオーストラリアで使っているのを見せてくれました。
それはパナソニック製(ナショナル)で、オーストラリアでは見た事も無いほどの小型の物。
特にそれは若い女の子に人気が有るようで、その友人以外にも香港で買って来たといって使っている人を見た。
日本で購入した携帯はオーストラリアでは使えないようですが、香港の携帯とオーストラリアのはシステムが同じなのか使えるんですよね。
で、非常に不思議なのはなぜパナソニックはそのような機種をオーストラリアに入れないのかという事。
パナソニックがオーストラリアで販売している携帯はあまり特徴の無いのばかり。
ワザワザ香港から買って来て使っている人がいるほど人気のある機種を製造していながら販売しないというのは、何か特別な理由があるのか。
これを考えると僕は前から感じていた日本の自動車メーカーの失敗を思い出してしまう。 日産がゴーンさんに任されるまで、オーストラリアでの販売戦略と言うのは非常に硬直したものでした。
会社が大きくなると、小回りが効かなくなるというか官僚体質になり、本社から現地に赴任してくる日本人の怠慢なのか、現地のニーズが日本にちゃんと伝わっていないという事はよく見かけます。
ここでは自動車関係について書きますが、他の産業でも業績がいまいちのところと言うのは、わりとこの「病」におかされている可能性が有ると思う。
例えば、三菱自動車にしてもオーストラリアではかなりの赤字で苦しんでいて、オーストラリアから撤退するのではという噂はよく聞きますが、三菱がオーストラリアで販売している車種を考えると、本当にオーストラリア人の嗜好が日本の本社に伝わっているのだろうかと、いつも疑問に感じているのです。
僕の友人のPC屋のジョンにしても全く同じことを三菱に対して感じているのを知ってビックリした事があります。
彼は大変な車好きなのでインターネットで三菱がどんな車種を製造しているかは把握しているのですが、魅力のある車種がオーストラリアには一切入って来ない事に呆れ返っておりました。
ですから三菱製の車は並行輸入屋の狙い目らしく、FTOやランサーエヴォリューションなどがかなり輸入されております。
オーストラリア三菱がそれらの車種を輸入しない間に、個人や小さな並行輸入屋がそれらの中古車を日本からオーストラリアに入れてはいるが、同じようなスバルのインプレッザWRXが正式に輸入されて「カルトカー」として大変な人気を博し、よってスバルの他の車種のイメージまで良くなってしまって販売に拍車がかかる現象など、日本から赴任して来ている人達はどこまで把握しているのやらと。
確かに市場自体は小さいのかもしれませんが、しかし携帯にしても日本と同じほどの率の普及率を考えると、今や売れる所はどんどん開拓しなければならないほどの不況の日本の企業にとって無視できないところだと思うのですがね。
2003年9月15日
先週の日記9月12日に女房が「Waga」という田舎町に行ったと書きましたが少々訂正を。
まずスペルがWagaではなくWaggaでその上正式名は、「Wagga Wagga
」でした。
女房や友人達はいつも「Wagga 」と呼ぶので、てっきり「Wagga Wagga」の地名が変更になったか、もしくは両方通じるかと思っていました。
ところが帰ってきた女房曰く「町の人たちはとてもその名前に誇りを持っているので、ワガ・ワガと言わずワガだけだと気分がよろしくないようだ」と。
僕も「ワガ・ワガ」って二回繰り返すのは結構野暮ったい感じがすると思っていたのですが町の人達は違うようです。
もちろんこの地名はアボリジニー語で「カラスが鳴く」というような意味らしい。
オーストラリアには多くのアボリジニー語を源にする地名が有ります。
ボンダイ(「岩に砕け散る波」の意味)などはその中でも特別有名です。
さて女房曰く、この町は「想像していた以上に素晴らしく、ちょうど初春で色々な催し物(ジャズ・フェスティバルなど)も開催されていて、採点が終わってから地元の人に町を案内され、大いにエンジョウイしたとか。
その上、教育長からの出張なのですべての経費及びお手当てまで貰って、何か申し訳ないと感じるほどエンジョウイしたそうです。
それにしてもこのような田舎町の場合、日本語の試験(HSC)を受ける生徒も少ないのに、そのためにシドニーから日本語の試験官を送り、飛行機代宿泊代などのすべての出張経費を州政府(教育庁)が払うのですから、なかなか(金額的に)大変な事だと。
つまりオーストラリアのHSC試験(共通一次試験のようなもの)の語学試験では、ペーパー試験だけではなく、受験生一人に対し試験官が一人つまり「マンツーマン」で口頭試験が行われるのです。
ペーパーだけの試験ならその試験用紙を郵送し、結果をまた回収して採点するだけで済むのですが、このように手の込んだ試験は非常に経費がかかります。
つまり「語学の試験」というのは、ペーパー試験だけでは判断出来ない、いや判断するべきではないと考えているからです。
日本では皆英語を習いますが、いつまでたっても日本人の英会話力が向上しないのはまさにこの点なのです。
日本のように人数が多いと物理的に不可能かもしれません。
しかし、僕が思うにIT化が進めば、可能になると思っています。
つまり、受験生がモニターに向かって喋ったり聞いたりという試験の可能性が出てくると考えます。
現在も聴き取りの試験は教育庁(州文部省かな)の用意する日本語会話が録音されたテープを受験生に聞かせ聴き取りの試験をやっている訳ですが、そんなのはすぐにでも日本で取り入れられると思うのですが。
いやもう日本ではすでに行われているかもしれません。
今日の日記で日本の教育システムについて批判を書いたりする気は無いのでこの辺にしますが、女房を見ているとつくづくオーストラリアの語学教育は日本と違うと痛感します。
Wagga Wagga(ワガ・ワガ)の素晴らしさを伝えようと思っていたのに、話がずれてしまいました。
さて話は変わって、一昨日の土曜日母を日本人(老人)会に送って行こうと我が家を車で出てダブルベイの交差点にさしかかり赤信号で止まったら、助手席に座っている母が前方を指差しながら「ワアワア」言い出した。
何事かと思ってその方向を見ると、親鴨が子供を一杯連れて何とこの交通の激しい交差点に入って来たのです。
そして8羽ほどの子供を連れて交差点を渡りだした。
で、その交差点に進入しようとしている車がまさに轢きそうになっているのです。 その親子鴨の一団を。
で、運転手は目の前の鴨達に気がつき一旦停止をしたら、その後続車たちは何でその車が止まっているのか知らずにクラクションをブーブーと鳴らし始めた。
そしてその止まっている車をかすめるようになんとタクシーが強引に発車して、その一団の上を走って行ってしまったのです。
そのタクシーの運転手はアジア系に見えたのですが、鴨がいるのを気が付いているはずなのに、これにはもうただただビックリ。
あまり動じない僕ですが目の前でタクシーがその一団に近づきつつ、そして轢かれるのを見るのはかなりショックでした。
僕の回りの車の運転手達は僕より動揺しているのもいて、何人も車から飛び出して、助けに。
轢かれた子鴨は運の良い事にたった一羽だけだったのですが、それを拾い上げてる人。
親鴨を含む残りの一団が他の車に轢かれないように交通をストップする人などその場はパニック状態に。
何しろ動物愛護の精神がものすごく強い国の事、轢いて行ったそのアジア系のタクシーの運転手(走り去ってしまったが)、その場の皆の記憶の中に残るでしょうな〜。