2003年4月後半の日記

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2003年4月16日

オーストラリアでは学校がイースターホリデーに入り、近所に私立の学校が二つもある我が家の周辺は、非常に静かになっています。

なにしろほとんどの生徒が親の車で登下校するので、朝と午後の3時頃は車の往来が増えるのですが、休みに入った途端に交通量が半減する次第。
もしオーストラリアで登校下校に親の車を禁止してスクールバス等の公共交通機関に限定したら、ものすごく交通渋滞の解消になる事は間違い有りません。

さて猛威を振るっている「SARS」少しずつ解明されてきているようですが、効果のあるワクチンが出来るのはまだのようです。
昨日の新聞に娘の中学高校時代の同級生の母親が出ているので読んでみたら、SARS関連の記事でした。
彼女は香港出身の医者で、シドニーのチャイナタウンの一角で一般開業医をしています。
かなり人気のある医者だったのですが、SARS問題が出てから彼女の診療所は閑古鳥が鳴いているという記事なのです。

やはり誰しもこのSARS問題では中国や香港が発生源という事で、その方面への渡航を控えているばかりでなく、なんと中華街まで同じイメージで捉えているようで、客が半減しているという事のようです。
確かに中国や香港からオーストラリアに来ている人は中華街に多く集まる可能性があるのかもしれません。
レストラン等の客も半減らしいが、特に彼女の診療所はほとんど客が来ないとの事。

中華街にある診療所の待合所で診察を受ける順番を待っていたら、SARSに罹った患者に遭遇してしまうと思っている人が多いのでしょう。 ところが現在中華街周辺でSARSの発症はゼロなんですがね。

こういう事が起きるから世界的な経済的ダメージが大きくなるのでしょうが、ちょっと騒ぎすぎかもしれません。


2003年4月17日

1994年のフォーミュラー・ワン、サンマリノグランプリでアイルトンセナが亡くなってからちょうど9年が経ちます。
オーストラリアに住んでいる僕はF−1の実況放送が夜遅くに行われる事が多いので、ほとんどのレースをヴィデオ録画して見るのですが、見終わっても保存はしません。
ただしこのアイルトンセナのレースだけは大事に保存してあるのですが、なぜか見る気が起きませんでした。
その事故が起きた時には何度もそのテープは見たのですが、その後しまい込んだままずっと見ていなかったのです。

先日の加藤大治郎(GPバイクのレーサーです)の事故の後、僕の日記にもそのことに触れ、セナの事故のことも書きました。
で、セナのテープを見てみようという気になって引っ張り出しました。
セナの死というショックがあまりにも大きかったので、このサンマリノGPの内容でかなり忘れていた事も有りました。

これほど呪われたレースミーティングは僕の知っている限り近代F-1の歴史の中ではまず無いと思います。
練習で「ラッツェンバーガー」が死亡し、すぐその後にはバリチェロが大事故を起こし、決勝のスタートでもエンストを起こした車に後続車が突っ込み、(決勝スタート早々セーフティーカーが出て)、やっと再スタートした途端にセナの事故が起こりました。
赤旗中断になった後の再開されたレースでもピットで走り出したマシーンからタイヤが外れて、メカニックが怪我をするという事故が起きたりしました。

9年前のこのレースを見ていて非常に興味深い事を発見しました。
当時セナはF−1ドライバー達の間では帝王のごとく群を抜いた存在でした。 しかしその年のF-1は開幕戦から当時若手として台頭して来たシューマッハーに急激に追い込まれつつありました。
開幕以来2戦が終わっていましたが、セナは一度も勝利を手にする事が出来ず、セナには多少の焦りが有ったのではと感じさせられました。

そう、今年のF−1はそのセナを急追していた当時「若手」のシュマッハーが帝王の地位に登りつめ、しかし若手の台頭でその年のセナと全く同じ状態になっているのです。
開幕以来3戦が終了していますが、常勝シュマッハーは一度も勝てていません。
1位を走るセナがコースから飛び出して壁に激突していくシーンは、すぐ後ろにぴったりつけて猛追していたシュマッハーの車載カメラからの映像なのです。

ふと思い出して9年ぶりに引っ張り出したこのヴィデオを見ながら感慨に耽っていたら、なんと日本から送っていただいたヴィデオテープ(日本のテレビ番組が録画されている。 もう何年も送って頂いていて本当に感謝しています矢野さん。)に「セナの伝言」という番組が入っていました。
なんと言う偶然、ちょうどイモラのテープの後だったので、非常に興味深く見る事が出来ました。
この番組は今年の第3戦であるブラジルGPが行われる前に制作されたようですが、シュマッハーが第2戦まで勝てていない事も示唆しています。

シュマッハーがこのまま勝てなくなってしまうとは思っていませんが、心の中に「あの時」セナが抱いていたような「焦り」が無ければ良いがと願っています。


2003年4月18日

本日はイースター・フライデー、オーストラリアは休日です。
娘が昼前に焼きたてのフランスパンを持って遊びに来たので女房が驚いた。
なぜ女房が驚いたか。
女房が子供の頃のオーストラリアではイースター・フライデーに焼きたてのパンを買えるなんて考えられなかったと言う。
クリスマス・デイとイースター・フライデーは日本でいう正月の元旦のように、総ての店が閉まっていたとか。

考えてみるにオーストラリアの習慣というのもキリスト教に根ざしているものは段々と影響が少なくなって来て、変わりつつあるようです。
昼飯後に娘の家に行ったのですが、オックスフォードストリートなんてまるで普段の日と変わらないほど、ほとんどの店が開いているのです。

今や日曜日でもデパートは営業しているし、スーパーなんて24時間営業しているところも多くなって、つくづくオーストラリアも変わったとオーストラリア生まれでない僕でも感じるほどです。
やはり宗教に影響を受けた習慣というのは強く残るものですが、これだけ多くの人種が混ざり合うと、特定の宗教の影響がオーストラリア人全体の生活習慣に及ぼす影響は減っていくという事でしょう。

しかし、個々の生活においてはかなり頑なに、自分の信じる宗教に根ざした生活ペースを守り続けているようです。
昔、我が家に日本語を習いに来ていた娘に「M」というのがいました。
彼女はユダヤ人で、通っていた学校もユダヤ系の私立の高校でした。
非常に頭脳明晰で容姿も端麗、高校卒業時は確かその学校で一番か二番で卒業したのです。
ですからHSCの点数も申し分なく、大学で好きな科目を選択できたのです。
僕らはてっきり医学を選択すると思っていたら、弁護士になると言って法律を選びました。

さてこの娘が社会人になりオーストラリアで有数な投資銀行で働いているのですが、年頃になり男性と交際するようになりました。
彼女の場合は両親がユダヤ人ですがかなりリベラルでユダヤ教及びユダヤ人の習慣にそれ程影響を受けていません。
我が家に遊びに来る時にも豚肉も食べるし、海老等の魚介類も口にします。
ですから彼女が真剣に交際しているボーイフレンドを連れて我が家に遊びに来た時にも、そのボーイフレンドがユダヤ人で無い事には当たり前に感じました。

しかし何年か付き合ううちに、(理由はわかりませんが)別れてしまいました。
そして次に交際を始めたのが何とバリバリのユダヤ人の男だったのです。 勿論まだ20代ですが非常にユダヤ人の習慣に忠実というか、信心深というか。
まず彼は金曜日に日が落ちてから24時間、つまり次の土曜日の夕暮れまで、食事をする以外はほとんど何もしません。 

一応金曜日には働くのですが、夕方からは完全に何もしないのです。
車を運転しないのは当然、テレビもつけない、厳しいところはあらゆる電化製品のスイッチも入れないのです。
ですから我が家の近所でも金曜日の夜に車で移動できないので、歩いているユダヤ人をよく見かけます。

そんなボーイフレンドと付き合い始めたのですが、彼女もユダヤ人ですが全くその習慣にあわせる気も無く、金曜日は一人で車を運転して我が娘のところに遊びに来たり、一緒に映画に行ったりしているようです。

僕は非常に不思議でなりません。
最初のボーイフレンドと別れたのは彼がユダヤ系でなかったのが理由かなと思ったのですが、今度のボーイフレンドとの付き合い方を見ているともっと不自由だと思うのですが。
一緒に食事に行っても同じような物を食べて楽しめないだろうし。

このようにオーストラリアには色んな人種がいて、年寄りでなくとも、またオーストラリア生まれでも、頑なに自分の習慣を守りつづけているのも多くて、20年以上もオーストラリアに住んでいる僕ですが、いまだにとても興味深く感じるものです。


2003年4月19日

本日から来週の月曜日までの日記は都合によりお休みいたします。
来週の火曜日からまた書き始める予定です。

では皆様良い週末をお過ごし下さい。


2003年4月22日

先週の金曜日から昨日の月曜までオーストラリアはイースターホリデーでした。(イースター・ロング・ウイークエンド)
この時期は他の州からシドニーを訪れている車が非常に多く、シドニー市内が不案内のためか交差点でどちらに曲がろうか、いきなり迷い始めたりする車がいて非常に走り難いです。
必要以上にノロノロ走っている車を見かけると、かなりの確率で他の州のナンバープレートがついています。

元オリンピック会場のショウ・グラウンドで行われているイースター・ショーに各地から集まってくるのでしょう。
また、この時期はシドニーで最もリッチな賞金が賭けられた「ホースレース(競馬)」が行われるようで、競馬好きも集まるらしい。

ギャンブル好きのオーストラリア人にとっては競馬はとても人気が有るようですが、残念ながら僕には全く興味が湧きません。
考えてみると僕は「競馬」だけでなく「ゴルフ」にもトンと縁がありません。
その上、オーストラリアで最も人気のあるスポーツである「クリケット」や「ラグビー(フットボール)」もほとんど関心が無く、同年代のオージーのオヤヂ達とのパーティー会話では苦労する事があります。

競馬と書いて昔の事をちょっと思い出しました。
僕がワーキングホリデーの人たちのお世話をしていた頃の話です。
「オペア」といってオーストラリアの家庭に入りそこの「お手伝い」をしながら、英語を身につけたりオーストラリアの習慣や文化を学ぶというのがあります。
僕はその日本人の「オペア」の子をオーストラリアの家庭に紹介していたのですが、その家庭の一つに「ゲイ・ウォーターハウス」さんの家がありました。

僕は当時から全く競馬には興味は無いのですが、「ゲイ・ウォーターハウス」という名前は知っていました。
彼女は有名な調教師で(彼女の父の代かららしい)、その上彼女の旦那さん「ロビー・ウォーターハウス」はこれまた「超有名人」でしたから。(旦那の事は後述)

彼女は大変な日本贔屓で、是非日本人の娘さんに「オペア」として入ってもらい、彼女の娘にも日本語を教えて欲しいとの事でした。
飼っている犬にも「イヌ」って名前をつけたりして(日本人の僕には犬の名前にイヌってのもと思いますが、まあそれだけ日本贔屓という事です)とても親日家でした。

今年のイースターの大きなレース(上述の)にも彼女が調教した馬が優勝して彼女の写真が大きく新聞を賑わしていました。
多分今やオーストラリアで最も成功した調教師でしょう。

しかし調教師の仕事というのはものすごくハードで、毎朝夜明け前から厩舎に出掛けてしまうので、彼女には「オペア」が必要だったわけで、その日本人の子が子供のために朝食やお弁当を作っていました。
で、旦那のロビーは全く何もしないで毎日ほとんど家にいました。
何もして無いのに僕が彼らの家を訪れると彼はスーツにネクタイという恰好で、カジュアルなオージーにしては奇異に感じたものです。

彼は競馬の私設馬券屋(彼の親の代から)をやっていたのですが、ある不正が発覚してライセンスを失ってしまったのです。
日本は公営馬券売り場でしか馬券は購入できない(違法なのは除く)筈ですが、オーストラリアや欧米では昔から私設の馬券屋がコースの脇に立ち自分のオッズの看板の前で、馬券を売る事が許されているのです。
だいたいこの私設の馬券屋の存在を認めている事自体、不正が生まれる可能性は避けられないと思います。


彼が最初にやった不正は、仲間と組んで色や大きさが非常に似ている強い馬を、全く別の力の無い馬に見せかけてレースに出走させたのです。
つまりその弱い馬での掛け率は100倍とかのを、代わりに(色形がそっくりの)強い馬を走らせて、大穴を当てたのを装ったのです。
かなり手の込んだ不正でしょ。

このロビー、昨年だったかにライセンス失効処分が十何年ぶりにやっと解かれたのですが、途端にまた非常に不正と紛らわしい事を犯してしまい再び停止処分を受けてしまったのです。
何と、その最初の不正を一緒にやった仲間のために、賭け率をその仲間だけには異常に変えて、何万ドルもの支払いをしたのです。
普通なら本命で掛け率が倍にもならないような馬に500倍とかの掛け率にして支払った形を取ったようです。
私設の馬券屋ですから掛け率は彼の好きなように設定出来るというのが彼の言い分ですが、じつは私設の馬券屋でも国に設けの何パーセントは収めなければならない訳で、わざとロスを出して税金の支払いを免れている。

僕は競馬というかギャンブルの世界は詳しくありませんが、この手の人間がライセンスを得て、「仕事」できているという世界はなかなか理解できません。
だいたい、奥さんが調教師で旦那が馬券屋ってのさえ、不思議でなりませんが。

今日の日記にはこのイースターの週末に、北朝鮮の貨物船が大量の麻薬(ヘロイン)をオーストラリアに運び込んだというので「大捕り物」が行われた事を書こうと思っていたのですが、それはまた明日にでも。


2003年4月23日

昨日の日記に書く予定だった北朝鮮の貨物船の事件。
事の起こりはヴィクトリア州の田舎町Lorneというところで、車に隠されていた50キロのヘロイン(時価8千万豪ドル、日本円で約60億円)が摘発されたのが始まりです。

押収した大量のヘロインを警察が調べてみると、総て防水袋に詰められてあり、海から持ち込まれたことが明白でした。
近辺の海岸を調査すると、密輸団が海からその麻薬入りの袋を引き上げる時に、犯人の一人が溺死をしていたのです。
そしてちょうどその時分にその近海を航行していたのが北朝鮮の貨物船Pong Su 号だったのです。

その船から麻薬が投下されたと判断したオーストラリアの警察は船に停船命令を出しましたが無視をして北上し続けたのです。
去年の日本近海で起きた不審船事件では、漁船に見せかけた小型の高速艇だったようですが、今回は船足の遅い貨物船ですが大型のためオーストラリアの船による横付け強制停船は無理なので警察は軍隊の出動を要請しました。

再三にわたる停船命令を無視し続けるので、オーストラリア政府は特殊部隊を投入、ヘリコプターから兵士を落下させ船を制圧しました。
そのままシドニー湾に強制連行、乗組員30人全員を逮捕、現在も船内の捜索が続けられています。

北朝鮮が武器や麻薬を密輸している事は知られていますが、これほど明白に北朝鮮が関与している事、またその量等、驚かされました。

オーストラリアでは麻薬の問題が深刻なのですが、国家(北朝鮮)としてこの手の犯罪に絡んでいるとなると、手に負えなくなるかもしれません。
今回のオーストラリア側の受取人として現在まで逮捕されているのはマレーシア人二人、シンガポール人と中国人それぞれ一人ずつなのですが、最近はアジア系のマフィアが麻薬の取引を牛耳っているようです。

有名なギャンブル好きなベトナム系のヤクザがシドニーのダーリング・ハーバー・カジノで一晩に何億円も使うという話を聞いたことが有ります。
彼のお陰でカジノの経営者はホクホクだったのですが、とうとう警察はこの男のカジノ出入りを禁止してしまいました。

カジノは州政府から許可を得て営業している合法娯楽場のはずで、その合法な場所に特定の人間の出入りを禁じる事が出来るのかは非常に不思議では有りますが。
警察がその処置を取る意味は、この男がカジノで大負けをした晩の翌週には大量のヘロインがシドニー中に出回るからとも言われているのですが、これも変な話です。
確かにこの男がギャンブルで大金をすらなければ、それ程の量の麻薬が市場に出回らないかもしれませんが、本質的な問題解決にはならないと思うのです。

ベトナム戦争以後大量の難民がオーストラリアに移住し、確かにアジア系のギャングがオーストラリアの暗黒世界を支配し始めています。
日本でも昨日歌舞伎町でかなり大掛かりな風俗の一斉取締りが行われたようで、大量の違法滞在者等アジア系の人間が取り締まりにあったようです。

このような暗黒世界と北朝鮮が手を組んでいる事を考えると、これも一種のテロではないかと考えます。
オーストラリアで犯罪が多い原因の一つ(多分これが最大)は麻薬を買う金欲しさの為のものですから。
困ったものです。


2003年4月24日

昨日の日記にベトナム人のギャングのボスがシドニーのカジノで一晩に何百万ドル(数億円)も賭けると書きました。
それについてもう少し書きます。
このような政府から認可を得て営業しているカジノにとって最も効率良く儲けを出すのは、いわゆる「ビッグ」な客を引っ張ってくる事のようです。

東南アジアからのビッグな客を引っ張るためには、カジノの営業は往復のファーストクラス航空券、高級ホテルのスイートルームは言うに及ばず何処へ行くにもショーファーがリムジーン送り迎え、昼間ゴルフに行くにも総てカジノ側が奉仕するらしい。(つまりすべて無料という事)
その上、夜のお相手をするオネエサンまで用意するとの事。

それだけビッグな客は賭博で大金を使うという事なのでしょうが、たまにはその客が勝って帰ることも有るとか。
つまり、至れり尽せりで接待した費用を賭博で回収するつもりが、客が勝ってしまい大損になるという事。
それでも一般の客でせいぜい一晩に数十万円くらいしか賭けないのを相手にしているよりも、儲かる桁が違うという事なのでしょう。

ですからカジノ側はそのベトナム系マフィアのボスでも大事な客なのですが、昨日も書いたように警察はカジノに出入りできる人間の規制が出来るようです。
どういう法的根拠でそのような処置が取れるのか僕には理解できませんが、カジノ側も警察の指導には逆らえないのでしょう。

我が家のご近所に「ケリー・パッカー」という人がいます。
彼はオーストラリアの長者番付でもう何十年もトップの座に君臨している怪獣のような顔をしたジイサンです。
オーストラリア有数の出版、テレビ局、他のメディア、投資会社、など等を所有しているのですが、このジイサンが大変なギャンブラーなのです。

世界中のカジノに出入りして一晩に数億円勝った負けたとやっております。 一回に賭ける金額も普通の人間の感覚から考えるとまともな額ではないと思いますが、彼は勝つ時も有るようで、3日間で7億円程ロンドンで勝ったという記事も目にした事が有ります。

さて、このジイサン最近は持病の心臓病でかなりおとなしくなっていて、ほとんどの仕事を息子の任せているようですが、この息子がIT関連企業への投資の失敗で、数百億円の損失を出したらしいが、そのぐらいの額では痛くも痒くもないとか。

何しろこのジイサン、先代から受け継いだこれらの会社を1980年代のバブル経済の絶頂期に、アランボンドという起業家が提示した買収価格を見て突然に総てを売り払ってしまった。
売ろうと思って買い手を探していたわけでもなかったのに。
数千億円の買収額をこのジイサンは「馬鹿げた程の額」だと判断したのです。
親の代からやっている自分の会社を突然アランボンドに売り払った時には、僕もビックリしました。
その当時はバブルの絶頂期で皆が投資に熱狂していた「買い」の時代に、彼は「売り」と踏んだのです。

さすがその辺のビッグビジネスマンとは桁が違うというか、このジイサンギャンブルで鍛えた勘で売り払ってしまったのです。
ところが買収したアランボンドは半額まで払ったところで、バブルが弾けて倒産に追い込まれ、契約金全額を払う事が出来なかったために、総てがまたこのジイサンの手に戻ってしまったのです。

そう、彼は売買契約の時に、全額支払われない場合は総て元に戻すという事にして有ったのです。
つまりアランボンドが払い切れなくなってしまうだろうという事まで読んでの行動だったようです。
バブルの時に火傷を負った人は数多くいますが、このジイサンさすがギャンブラー、そのバブルで時分の財産を総て取り戻しただけでなく、自分の財産をほぼ倍にしてしまったのです。
(なぜ倍かというと、実質の価値が100のものに180で買いたいと言って来て、半分の90までもらった時点で倒産。 で最初の100が戻ってきた上にすでにもらった90も返さなくて良い契約になっているから最終的にはこのじいさんの手には190が残る。 ほぼ倍でしょ。 そう1980年代のバブル期は100のものを200で買う300で買いたいっていうような馬鹿な事が起きていたのです。)

バブルの時に大儲けした人は日本にもいるとは思いますが、このジイサンのようなギャンブルで鍛えた勘で大会社を動かすタイプはまずいないでしょうな。


2003年4月25日

娘が家を購入し、住み始めたのが先月(3月)の初め。
やっとシェアーメートも見つかって、昨日は引越しパーティをするというので我々も呼ばれました。
女房は最近特に親馬鹿ぶりが目立ち、娘はもう独立しているのにそのパーティーの準備を手伝うといって、このイースターホリデーをほとんどそのために充てていました。

娘が学校に行っている時の方がもう少し客観的に娘に接していたと思うのですが、なんか娘が家を出て行って以来、毎日顔を合わせなくなった為か、娘と娘の家のためにとてもエネルギーをつぎ込んでいるように見えます。
確かに一人娘で年齢の割には世間知らず、安心して見ていられないという気持ちは判るのですが、せっかく独立して成長する環境になったのだからと僕は不満。

娘は相変わらずで、自分の家のサイズも考えないで友人知人に片っ端から声をかけて一体何人が来るのか判らないと言う。
その上、ディスクジョッキーまで雇ったと言うので僕は大いに気に入りません。 当然大音響でバンバン音楽かけるのだろうし。
何しろご近所は娘ほどの若い年齢の人はほとんどいず、皆若くとも30代半ばからのいわゆるヤッピーなカップルが多い。

自分が住む家として、これからもご近所と仲良く付き合っていくには、非常識な事をして迷惑をかけたりすると自分が損だよと注意を与えておきました。
娘は事前に両隣の家にパーティーをやるのでと話しに行ったら、彼らも慣れたものというか昨晩はどこかに泊りがけで出掛けてしまったそうです。 
両隣とも引っ越して以来結構仲良くやってはいるようで、お隣がパーティーをやる時には招待されたりしているようです。

で、女房と夕方7時半に出掛けてみるとえらく大きなスピーカーは持ち込まれているし(その時にはまだ演奏は始まっていなかった)、すごい量の飲み物は用意されているし、よけい僕には不安は増すばかり。
その上全く酒の飲めない僕ですが、並べてある酒を見るとフランスのシャンペン、「モエ・シャドン」がずらっと並んでいます。

おいおい、いくらなんだって娘のくせに贅沢過ぎやしないかと女房に聞いたら、娘の家に住む事になったシェアーメート(娘より一歳年下)が用意したと言う。
よく聞いたらそのシェアーメート、モエ・シャンドンに勤めているとか。
それを聞いてちょっとは安心したんですけどね。
何しろ50人以上下手すると100人近く来てしまうというほど人数を呼んどいて、皆にフレンチシャンペン振舞っていたら娘の一月の給料総て使っても足りませんから。

女房と僕は、パーティーに来ている連中とは年齢が釣り合わないし、僕は酒は飲めないので10時過ぎにはもう帰ってきてしまいましたが、あの後どんなにっているかは、不安で聞けません。
この国では夜中の12時までは大きな音で音楽をかけてパーティをやっていても割と皆さん寛容なようですが、12時過ぎても騒いでいる場合、警察に文句を言うとすぐに「おまわりさん」来るんですよね。

我が家で娘が(高校生卒業の頃)自分の誕生日に大きなパーティをやりたいと言い出して、一度だけ許可をした事がありましたが、200人以上の若いのが押し寄せて、もう本当に散々な目に遭って以来僕はよけいパーティ嫌いになってしまったのです。
当然「バウンサー」と言う、門のところで招待客以外入れない為の「警備員」まで雇ったのですが、垣根を乗り越えたりしてかなりの数の全く招待もされていない悪ガキ共が進入して来て、大騒ぎはするし飲み物だけでなく家の備品まで盗んでいくには参ったものです。

何処そこで大きなパーティがあるという情報を仲間同士で交換し合いパーティーに乱入して騒いだり、備品を盗むという集団が有るのもこの時知りました。
何しろパーティ好きなオーストラリア人(オーストラリア人だけではないが)ですから、我が家の近所でもしばしばこのようなパーティは行われています。

昨晩は娘ももう少し年齢を重ねたためか招待客も皆大人で、少しは「まとも」だったと思いますが。
我が女房はパーティーの準備で大いに疲れて本日は朝の散歩から帰ったらまた寝始めてしまった。 全く親馬鹿でしょ。


2003年4月26日

まず最初に。
うっかりしていて、過去の日記の中の2003年4月後半の日記にリンクが付いていませんでした。
そそっかしいもので、新たにページを作ってもリンクを付け忘れはしばしば。 
日本の友人からメールを貰って気が付いたのですが、10日近くもウエッブ上ではその部分が消えていた事になります。
自分のPC上では見えるので、すぐに気が付かないとはいえチェックを怠っていたわけで、気をつけなければ。

さて、女房が読んでいる新聞記事をふと見ると懐かしいレコードアルバムの写真が見えたので、僕もさっそく読んでみました。
そのアルバムとは30年前にリリースされた「Pink Floyd」というバンドの 「Dark Side of the Moon」です。

10代から聴き始めたロックミュージック、もう40年以上も聞き続けているわけですが、たまに僕にとってベスト10アルバムは何だろうと考える時があります。
しかし、いつも途中で考えが止まってしまい、いまだにこの十枚がベストだと答えが出ていません。
今まで聴き続けて来た膨大なアルバムの中から10枚を選ぶって結構難しいです、僕にとっては。
しかしこの「Dark Side of the Moon」がその十枚の中に入っているという事は間違いありません。
これがナンバーワンの位置になるかは、いまだに迷いますが。

このアルバムがリリースされた時は僕はまだ日本にいました。
ちょうどロンドンに住みに行く決心をした頃で、僕の人生にとって大きな節目だったかもしれません。
ピンク・フロイドはその前のアルバムから大いに気に入っていて何枚か持っていたのですが、このアルバムが出た時には文字通り圧倒されました。
当時風に言うと「ぶっ飛んでしまった」と言ったところです。

毎日毎日まさにレコードが擦り切れるほど聞いていたものです。
今振り返ってみても、このバンドが発表した中ではダントツのベスト・アルバムと言って間違いないと思います。
これほど僕が気に入ってしまった理由の一つには、当時のドラッグカルチャーにも大いに関係が有ります。
ストーン(ローリング・ストーンズの事ではない)ミュージックとして最高の出来のこのアルバム、結局トータル3千万枚が売れ、ビルボードのチャートに居続ける事741週だったそうです。

この記事を読むと、製作当時のいくつかのエピソードが紹介されています。
その中に一つに。
Clare Torry という女性の歌手に、(彼女にとって)聞いたことの無いバンドのレコーディングの仕事が来て、Abbey Road Studio (アビーロード)に呼ばれます。
その日はちょうど日曜日、平日なら一日15ポンドの報酬を貰うこの女性歌手は、日曜日という事で「倍の30ポンドがもらえるわ」と単純に喜んだそうです。
スタジオに行くと、歌詞も無くただコード進行だけを教えられて、即興で自分がリードギターになったつもりで(スキャットと言うのかな)やれと言われたそうです。
彼女はゴスペル風も取り入れ、精一杯のアドリブで吹き込んだそうです。

しかし彼女にとっては歌詞も無いし、コード進行しか教えられなかったし、自分の出来栄えが良かったのかも半信半疑、その時彼女はこの仕事がレコードとなって世に出る事は無いとさえ思ったそうです。

これがこのアルバムの中に収められている素晴らしいできの「Great Gig on the Sky」だったのです。
このアルバムは人の走り去る音、キャッシュレジスター、時計の音などの楽器以外の音を多く取り入れ、当時のアビースタジオの録音技術(トラック数)を最大に駆使して製作したものです。

この記事には書かれていないのですが、僕にもこのアルバムについて取って置きのエピソードがあります。
このアルバムが発表されてから間もなく僕はロンドンに住みに行ったのですが、勿論このアルバムも大事に持参しました。
ある日ロンドンでこのアルバムを聴いていたら、遊びに来ていた日本人の友人(ジョージと言うニックネームの女性です、彼女の姉さんは日本で昔々、に歌手をやってた事があります)が言うに、「このアルバムの中に入っているドドッ、ドドッ、という音ね、これ私の心臓の音なのよ。 ある日アビーロードスタジオに呼び出されて行ったら、マイクを私の心臓に当てて音取るって言うのよ。 私は何やってんだか全然判らないけど、ギャラくれるって言うからやったんだけど、たったその音取るのに丸一日かかちゃって、退屈でしらけちゃったもんよ」と言うのです。

僕は何度も聞いていたそのアルバムですがその音が心臓の音なんて知らなかっただけでなく、友人の心臓の音だって判ってビックリしたものです。

あれからもう30年も経つんですね〜。
いや〜、なんか感慨深いです。
今晩は久しぶりにこのアルバム引っ張り出して見ますかな。

追記
もしこのアルバム収録当時に、現代の5.1チャンネルの技術が有ったら、もっとすごいのが出来ていた事でしょうな。(これほど多チャンネルにぴったりのアルバムは無いという事です)


2003年4月28日

本日の日記は「モータースポーツ」のページに行きました。


2003年4月29日

昨日の日記をアップし終わってテレビを付けたら、同じモータースポーツの選手「ポッサム・ボーン」選手が亡くなったとニュースが。
彼はニュージーランドが生んだ最も成功したラリードライバーの一人で、長年「スバル」で戦っていました。
しかしこの事故は、レース中ではなくレースコースの下見中に対向車との事故に巻き込まれたのが先週です。

頭部に大きなダメージを負った加藤選手と同じように集中治療室に入っていたのですが、回復の見込みが無いということでライフサポート器具が外されましたとニュースは伝えていました。

この辺は日本よりもかなり早くサポートを取ってしまうのにはビックリしています。
昨年に父を亡くした時にも感じたのですが、オーストラリア(今回の事故はニュージーランドですが)の医療ではその辺の割り切り方は早いです。
つまり回復の見込みが無いと判断された時には、ライフサポートをすぐに外してしまうという事です。

一昨年に母方の叔父が癌で亡くなった時にも書いたのですが、日本では全く回復の見込みの無い場合でも、何ヶ月もサポート装置をつけて生かしているようです。
そして完全看護と言いながらもほとんどの場合、夫や妻等の親戚が毎日付き添っているわけで、その期間が長引くに連れ大変な重荷になるわけです。
しかし日本ではどんなに長期に渡っても最後まで「看護した」、「看取った」という事が非常に大事なのかもしれませんが。
自己満足か、親戚への手前なのかは判りませんが。

叔父の場合でも6ヶ月以上に渡って妻が病室に泊まり込み、たまに家に着替え等を取りに帰る事は有っても、半日以上は病室を離れない状態でした。

我が父のケースでは回復の見込みが無く、末期に植物状態になった時には周りの覚悟も出来ていて特別な延命サポート器具等は使いませんでした。
日本と法律が違うのかもしれません。

さて話は変わって最近オーストラリアでは携帯電話の宣伝広告が非常に多くなってきました。
ヴォーダフォーンなどは、レーサーのマイケル・シュマッハーやサッカーのスター選手ベッカムを使って大変大掛かりな宣伝をしています。
オーストラリアで世界的に有名なスポーツ選手や俳優を使った宣伝は日本ほど多くないので余計目立ちます。

勿論日本ではとっくに使われているカラー液晶付きのや、写真や映像を送れるというタイプをオーストラリアの市場に導入し始めての事なのですが、携帯電話をそれ程使用しない僕には疑問に思う事が多いです。
これらのテクノロジーを本当に必要としている人の数等限られているはずでまさにギミック、所詮子供達から金を巻き上げる手段にしか見えないからです。

オーストラリアの小学生の3人に1人は自分の携帯を持っていると、どこかに出ていましたが、このような子供が喜ぶ機能をつける事によって今まで以上に料金を取れる訳で、まるで「赤子の手を捻る」のより簡単でしょう。
その子供たちの毎月のお小遣いの中からどれほどが消えていくのか判りませんが、かなりのプロポーションのはずです。

国全体で考えると想像もつかない金額が「携帯で喋る」という事だけに消えていく。 特に若い人にとって電話で長々と友達と喋るのは楽しいのは判る。 オーストラリアの場合、携帯でなく普通の電話ならローカルコールはいくら喋っても同じ料金。
フランスでは市内コールは無料だったはず。 
そう、電話は喋るための手段ではあるが、そのためにそれ程の金額を払う意味があるのか。
携帯でなければ、いまやオーストラリアから日本に国際電話をかけても、30分も喋って1豪ドル、たった70円くらいですむ方法もあるのに。

僕らが子供の時には勿論携帯電話は無く、貰うお小遣いは他の玩具等に消えていたわけですが、好きなプラモデルを組み立てたりと自分の子供時代を思い出しながら、果たして携帯がそれ程の楽しみを与えてくれているのかと。

その上これらはオーストラリアにとって総てが輸入品ですから、貿易収支には大いに関係してくるのは間違いないところで、これだけ大規模な消費が生まれても国の経済には何の役にも立たない。
消費文化の宿命なのかもしれませんが、次々と新しい機種に代えていく
のを見て、そのすさまじい量を考えると、ちっともグリーンではないと危惧したくなってしまうのは、僕がオヤヂだからでしょうか。


2003年4月30日

今オーストラリアの医薬業界では一騒動が起こっています。
発端は、ある精神科の医者が旅行に出掛けた時に服用した乗り物酔いの薬からでした。

タスマニアに渡る連絡船に乗るためにこの酔い止めを飲んだのですが、異常な目眩に襲われ、立っていることも出来ず、喋る事も出来ない朦朧とした状態に陥ったのです。(船に乗る前の事です)
医者である彼は、その酔い止めの薬に何が含まれているのかを調べ、その中の特定の成分が異常に多い場合に起こりうる症状に似ていると確信します。

旅行から帰った彼はそれを購入した薬局に調査に出掛けると、薬局では「気に入らなかったのなら、購入代金を返済します」と言う反応。
しかし彼は金を返してもらいに行ったのではなく、調査に行ったわけで、他にも同様に被害を受けた客がいる事を知ります。
すぐに彼はTGAという日本の厚生省のような政府機関に報告をして、その錠剤の成分の分析等の調査依頼をしたのです。

この酔い止めの薬を販売している製薬会社は名の通った薬事メーカーだったのですが、しかし実際の製造はPANという製薬会社が請け負っていたのです。
調査を続けるうちにこのPANが製造する薬はあまりにも品質管理がずさんで、箱やビンに表示されている成分が何倍も入っているものや、全く入っていないものなど、メチャクチャである事が判明したのです。

で、事態がかなり深刻であるのは、この会社が下請けとして製造している薬の種類や量、またそれを納めている製薬会社の数が半端でなく多かったのです。
Nature's Own を始め多くの有名ブランドや、薬局チェーンの独自ブランド等など。
その上、オーストラリアの厚生省はPANが製造しているブランド名をすぐに公表しなかったので騒ぎは輪をかけて大きくなったのです。

この辺は日本の薬害エイズの時の厚生省の対応に似ているとも言えます。(メーカーを守ろうとする)
政府としてはブランド名を公表するとPANが下請けとして製造していない分まで影響を受けてしまうと危惧したようです。
確かに上記のNature's Own にしても、総ての製品をPANに作らせていたわけではないのですが。

そこで政府は昨日の全国紙に大きく「承認番号告知」をしたのですが、これが全く分かり難い。
我が家にもビタミン剤や風邪薬等買い置きはかなりあるので早速総てをチェックしようとしたのですが、薬のビンに打ってある承認番号の数字など虫眼鏡で見なければならないほど小さいのも有って、それを新聞に出ている数字と照らし合わせると言うのは、簡単ではありません。
特に老人等はかなり苦労すると思います。

で、このPANという会社は1974年にたった4人で創業して、急成長を遂げたのですが、今までにも何度か立ち入り検査を受けた時に問題が出て、制裁金や3ヶ月の操業停止などを受けていた札付きの会社だったのです。
例えば1996年に風邪薬の問題で操業停止を受けた時には、薬の中に有効成分が全く入っていない物や、何倍も入っているものなどが発見されたようです。

またこの急成長の影には、意識的に成分をほとんど入れずに利益幅を増やすと言う手段が日常的に使われていたようです。
例えば良い例はビタミン剤で、医者の処方箋が必要でない売薬では取締りの目も厳しくないので、箱に表示されている成分量とは大きくかけ離れた少量しか含まれていないといった具合です。

また政府の安全承認を受けていないタイ国産の粗悪カプセルを使用したりと、かなり危ない橋を渡ってきていたようです。

確かにビタミン剤や漢方薬系、健康剤や健康食品などは、船酔いの薬と違って即効性が無いので効いているかどうかはすぐには分かり難い。

本日の新聞にはPANのオーナー、エジプト出身の Jim Selim の記事も出ていました。
彼が1974年に創業してたった2年後にはもう最初の処罰を受けています。
以来何度も罰金や操業停止処分を受けているのですが、どうやら医薬製造免許は常に他の人間の名前を使って操業を続けているようで、生き残ってきていたようです。
このような会社ですから、このオーナーも昨年の長者番付では全国トップ200位の中に入っているそうです。
個人資産150億円とも。

本人は今回の件でも全く悪びれた感じではなく、「これは一種の魔女狩りである」と宣言しています。
つまり、このような不正は誰もがやっていると言いたいのでしょうが、オーストラリアの医薬業界というのはかなり怪しいのかもしれません。

日本でもこのような不正は起こりうると思います。

 


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