2005年4月の日記

by tom tanabe                                              マグパイへ戻る


2005年4月29日

今日から日本はゴールデンウイークの始まりですね。 
海外に長く住んでいると「ゴールデンウイーク」を忘れがちになるのですが、ここ一年ほど使っているフリーソフトのスケジューラーがPC起動時にカレンダーを表示、本日29日が赤い字になっていて「みどりの日」だと知らせてくれる。

さて、昨日の日記及び、4月26日の日記に載せたこの写真に関する事を。 
友人の武田君から新幹線に関する事で再びメールをいただいた。
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ボルト緩みでこだま遅れ 山口−厚狭間
 
山口市佐山のJR山陽新幹線新山口−厚狭間で、レールと枕木を固定するボルト5本が最大約2センチ緩み、博多発岡山行きこだま666号が11分遅れていたことが28日、分かった。
JR西日本は「安全上問題ない」として公表しなかった。

JR西によると、関連会社の作業員が14日の終電後から15日の始発までの間に、同区間でレールと枕木の間にはめた固定用ゴムのずれを直すため、ボルト(長さ約16センチ)を一度緩め、締め直したという。

JR西の社員が15日午後2時すぎに点検、ボルトの緩みに気付いた。
同社は「締め方が甘かった可能性がある」としている。
(共同)

(04/28 02:13)
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そうなんです何と!僕が26日の日記で紹介したレールの写真は、まさにその新山口駅での事。
それも撮影日は同じ4月の14日(上のニュースの日付注)、その日僕はレールスターに乗って博多に向う時に撮影したんです。

なぜだか判りませんが、ずっと列車事故(脱線事故)のことを考えていて、その時も重い荷物を持って移動中だったがワザワザ、デジカメ出して
撮影したわけ。
で、半月後に福知山線で事故が起きたわけで。

本当にこれだけの数のボルトの印(緩み等の異変を見るための)をチェック出来るのかしらとか、止まらない駅を通過する新幹線の速度を見ていて、もし脱線してホームに激突したらいったいどのような結末が、と思いながら撮影しておりました。

乗車中にも一列5人で20番目まで列があるから5X20で100人、そしてのぞみは16号車(たしか)まで有るから16X100で1600人が、なんて考え、席数を数えながら乗っていた。(レールスターはもう少し少ない)
(だから今でも一両の席列の数などソラで言えちゃうわけです)
それも新山口から博多へはたった二駅だからと自由席にしたら何と先頭車両のそれも前から3番目の席しか空いていなかった。

今まで新幹線には何度も乗ってはいるのに、今回の日本行きでは妙にその様な事が気になって仕方が無かった。
でも今回の事故を見ると、あの速度であれだから、もし「のぞみ」とかでやったら僕がその時想定したのを越えるような損傷でしょうな。 
もう飛行機乗っていて落ちたと同じ覚悟が必要でしょうな。

この福知山線脱線事故関連でもう一つ。
僕はレースをかじって以来、スピードの怖さを実感したわけですが、今回の事故の場合、カーブで「オーバースピードで入って減速」って報道を目にしました。
もちろん事故調の報告を待つべきだが、もしこれが事実ならまさに「もっとも危険」な行為なのだと思う。
と言うもレースの運転で、もっとも姿勢が乱れるのがコーナーへの進入速度超過でブレーキを必要とする場合。
スピンなどにいたるのはほとんどがこれなんですよね。 今回の事故現場と同じ右コーナー(カーブ)で言うと、左前輪に荷重が集中して当然左へ飛び出そうとする。
同じコーナリング中の速度にしても、ブレーキかけながらの時速100キロと、逆にアクセルを開きながらの時速100キロでは天と地ほど安定感が違うんですよね。
こういうのは電車の運転手には教えてるんですかね。

さて、今回の日本行きで「満開の桜」を見ました。 32年ぶりでした。
ゆっくりお花見とは行かなかったけど、山口も東京も満開の桜を堪能しました。 
特に生まれ故郷の田園調布の駅前に立った時には、満開の桜が風に揺れて薄ピンクの花吹雪が舞い、まるで映画の中のシーンのようでした。 じつは記憶の中にあった満開の桜ってもう少しピンク色が強かった印象だったのですが、思っていたより白に近かかったです。 

駅前に立ち桜を眺めていたら、50年前に(いや〜ホント50年、半世紀前だ!) 田園調布小学校の入学式、この桜満開の中、母に連れられて駅前を通ったのを思い出してしまった。 いや〜、ジーンとしてしまいました。 
この後、武田君に電話を入れたら運良く近くを運転中、昼食を一緒にって誘った。
さすが気の効く武田君、では「ミカド」でって、今は田園調布から奥沢に移転した懐かしの「お店」に連れて行ってくれた。 
僕は「ミカド」がなくなってしまったのは知っていたが、移転先も知らなかったわけで、まさか当日武田君とその「ミカド」で飯が食えるなんて、予期していなかったので感激してしまった。 

奥沢の駅から近いその「ミカド」に入るなり、記憶の片隅にかすかに残っている懐かしい面影の主人がカウンター越しに目に入ってきた。 
あまりに懐かしいので注文もする前から彼に話し掛けてしまったのだが、客で来た白髪の男(僕)が田園調布時代の話を唐突にするものだから、彼は「どの辺にお住まいでしたか」とか言いながら、思い出そうとしているようだが、イマイチ思い出せ無い様子。 
何となく話を合わせてくれているような感じで、とりあえず僕らはメニューの中からおいしそうな物を注文し食べ始めた頃に、そのマスター、カウンターの中から出てきて「思い出しました!」って笑みを浮かべながらおっしゃる。 

で、僕は「そう、あの超ロングへヤーで、引きずるようなコート(マキシ丈)を来て田園調布を闊歩していた」と言ったら、完全に思い出が甦ったようで、いかに当時(1970〜73年頃)ふざけた格好をしていたかを証明してしまった。 
当時の田園調布では「あのような格好」の人間は皆無だったので、彼もしっかり覚えていたらしい。 
我が母は恥ずかしさのあまり「帰宅する時には日が暮れて暗くなってから帰って来い」と僕によく言ったものです。 

ファッション業界に首を突っ込んでいた僕は全然気にしなかったんですけど、やはり多くの方が覚えていらしゃったようです。(いやはずかしい←今ごろ言っても手遅れですな)
楽しいお昼が満喫できました。

DenenSakuraWide.jpg (79510 バイト)

懐かしの田園調布駅前「桜満開」です。
安物のデジカメで撮影した画像を2枚繋げてみました。

では皆様、良い週末を。


2005年4月28日

何だか初夏のような素晴らしい陽気が続きっぱなしのシドニーです。
もう4月の後半、オーストラリアは冬のはずなのに。
住み始めて四半世紀を越えるのに、いまだ「オーストラリアに住んでて良かった〜」って実感させられる過ごしやすさ。
特にシドニーに移る前がロンドンだったからよけいありがたさを感じちゃうのかもしれません。 

さて、今朝のSydney Morning Herald 紙に「日本の厳格なる定時運行が脱線事故に繋がった」という記事を読んで、いかにもオーストラリアらしい見方だと苦笑してしまった。
90秒の遅れを取り戻すべく、規定以上の速度で運行していて事故に繋がったようですが、確かにオーストラリアだったら「90秒は遅れ」なんて言わないのかも知れない。 

シドニーの地下鉄にしても2分3分の遅れなんて日常茶飯事で、運転手が焦って速度超過をしてまで取り戻そうなんてしないんでしょうな。
車の事故でも、「時間に遅れそうになってスピードを出し過ぎて」というのは交通事故の最大の原因だと思うが、日本では90秒の遅れを出したら通勤客への迷惑など「大変な文句」に繋がるんでしょうね。  

それにしてもいまだ(4月28日)現在でも事故に巻き込まれた乗客全てが見つかっていないらしい。 
マンションの1階に突っ込んだという特殊な事情にもよるのでしょうが、それにしても、惨いまでに破壊された車両を見ると、僕が26日の日記に書いたように「新幹線で似たような大惨事が起きたら、そのスピードを考えると」って、、、、いや〜怖いですよね。 

その日記に新幹線のレールのことも書いたら、「武田君」からのメールに「新幹線が24時間運行できないのは、終電から始發までの間に、3000人の線路保守作業員が、線路のヅレを微調整するから」とありました。 「車輛が通過するたびに、線路が、僅かではあるが、ヅレる。それを毎晩、元に戻すのださうです」との事。 

新幹線の東京博多間は確か約1300キロほどだったから、上り、下りレールの全長は倍の2600キロ、それを3000人で割ると一人当たり約870メートル。 
たった870メートルなら、終電から始発までの時間で充分点検保守が可能なんでしょうね。 
3000人もが一斉に1300キロの距離をって、実際にはどうやっているのか興味が沸いて来ました。

しかし今回の事故を見るにつけ保守点検の重要性もさることながら、運転手の資質も問われる事になるでしょうね。 
今回の事故の運転手はたった一年の経験らしいが、経験年数よりもこういう業務に向いているかどうかの「資質」が問題ではないかと。 

さてオーストラリアではこの事故の報道も出ていますが、「トップ記事」は相変わらず21日の日記に書いたインドネシアはバリからヘロインを持ち出そうとして捕まった9人、いわゆる「Bali Nine (バリ・ナインとニックネームが付いております)」の動向です。 

まあ確かにこの手の報道を大々的、継続的に行うことは「無知なオーストラリア人の若者」達への警鐘になる。 
どうもこの9人、バリからヘロインを持ち出すのは今回が初めてではないようで、インドネシア警察は全員「銃殺刑」を望んでいるらしい。 
インドネシアでは麻薬犯罪は死刑。 う〜ん、良い事ですな〜。 

オーストラリアの麻薬犯罪に対する刑罰のナマヌルさにウンザリしている僕は、大賛成です。 
麻薬が引き起こす犯罪の社会に与える影響って限りないでしょ。 
身近なところでも昨年だったか、娘の車の窓にレンガを投げ込んで座席に置いてあった携帯電話を盗んだなんて典型的な犯罪ですが、空き巣、引ったくり、車上荒しなどの窃盗犯の多くは麻薬を買う金欲しさから。

当然我々が払う「保険料(車両保険や家屋保険)」の高騰の何割かはこれが原因。 
ヘロイン注射などで「オーバー・ドース」や「肝炎やHIV感染」での国民健康保険の負担。  考え始めたら切りが無い。 
つまり国民全員の負担になっているのを考えても、インドネシアほどとは言わないまでも、オーストラリア政府は刑罰の見直しを考えるべきと考えています。 


2005年4月27日

今週は日本での事を書こうと思うのですが、昨日の日記にしても書きたいことが新たに出現してしまいます。 
今日もまた「宝くじ」の話を。 
昨日の事、届いた郵便物をチェックしていたら差出人が記載されていないスペインからの郵便が。 
開けてみると僕が宝くじに当たったという知らせ。 
227832.37ユーロ(日本円で3000万円くらいか)が当たっていると書いてある。 
普段なら笑っちゃって、そのまま屑篭行きなのですが「ある理由(後述)」があって思わず詳細を読んでしまった。 

もちろん「詐欺」に決まっているのですが、しかしその封筒に入っていた書類はもう本当に良く出来ているんですよね。 
当たった宝くじを証明するようなフォトコピーとか、当たった金額の受け取り申請書など、3ページにも渡って細かく書いてある書類。 
その上、ちゃんと捺印もされてサインもある。 

で、最後のページには賞金の振込先口座番号などを記入するためのもの。
普通なら詳細も見ないで捨ててしまうのですが、思わず僕と女房は詳細を読んでしまった。 
その「理由」とは先週の金曜日、女房と昼飯を一緒に取っていたいた。 電話が鳴って女房が出て何やら話していた。 
と、女房はいきなり大きな声で「えっ本当に当たったの!」なんて満面の笑みを浮かべながら話し始めた。 
一瞬僕は前日(先週の木曜日)に買ったロトくじ「パワーボール」に当たったのかと、ぬか喜びしてしまた。 

僕も女房もギャンブルの方はあまり興味無いのですが、このパワーボールという「ロトくじ」は、当たりが出ないで賞金額が大きくなった時にだけ買うことにしています。 
で、先週の木曜日には賞金額が15ミリオン(12億円)ほどになっていたので購入していたので、てっきり当たったのかと思った。 

1等の高額当選者の場合は電話をかけてくると聞いたことがあるから。 しかし残念ながらロトくじからではなく、何と女房が一月ほど前にマイヤーというデパートで化粧品を購入した時に、一定額以上購入した人には抽選で化粧品が当たりますと言われ、住所氏名電話番号を記入していたらしい。 
我々はクジ類には当たったためしが無いので、女房もすっかりそんな事は忘れてしまっていたらしい。 
で、その化粧品会社から「当たった」という電話だったわけ。 
商品は750ドル分の化粧品と無料のメイクオーバー(65ドル分)もついてくるとの事(トータル800ドル以上、日本円で64000円ほどでしょうか)。 

女房はもう大喜びで、そんなに多額分の化粧品なんてとても自分では使い切れないからと、娘に電話をかけて一緒に商品を選びに行こうなんて話になった。 
いや〜、女房と一緒になって以来30年以上も経つが、彼女が抽選に当たるなんて本当に珍しい。 

さてそんな事があった後、女房と一緒に今週のロトくじを買いに行った。 先週に1等獲得者が出なかったので今週(明日抽選)は1等賞金が22ミリオン(18億円)なったから。 
ニュースエージェントで、先週買ったロトくじを出したら女房には珍しく、たった22ドルだが当たっていた。 
最近はついてるね〜と言いながら、僕も自分の買ったくじを出したらこれも当たっていた。  それも「145ドル!」。
僕もクジ運は良くないので、今まで当たってもせいぜい6等賞の10〜30ドル程度。 
それが3桁ってのは初めてでちょっとビックリ。 
それも女房も僕も同時に当たるなんてのは本当に珍しい。 

化粧品は当たるは、くじも当たるって時に、このスペインからの手紙が届いたので「思わず」良く読んでしまったわけ。 
まあ誰でもすぐ気がつく詐欺なのですが、それにしても手の込んだ書類が入っていて、思わず「あるいは」なんて思わせてくれる。 

それにしても僕の住所や名前をどうやって入手しているのか。 
封筒に張られた切手を見ても確実にスペインから送付されている。 
電子メールで来る、一目で判るジャンクメール系ならろくに読みもせずに削除してしまうけど、やはり封筒なら一応開けて見ますからね〜。 
皆さんくれぐれも気をつけましょう。 

ちなみに、Loterias Apuestas del Estado というのが今回「嘘」の当選知らせを送ってきた会社名でした。

 


2005年4月26日

JR福知山線脱線事故、オーストラリアでも大きく取り上げられております。 最初にネットサーフィン中に「脱線事故」って見出しが目の片隅に入って来た時にはまさかこれほどの大事故とは知らず、(見出しの)リンクをクリックすらしなかった。
どんどん死者数が増えて、驚いて久し振りにNHKテレビをつけて見ました。 
何とも間が悪い事に、ちょうど脱線したところにマンションが建っていて、被害を大きくしているように見えます。
いったいどの程度の速度が出ていたのでしょう。 オーバーランの遅れを取り戻すために、速度超過をしていたのではないかという報道も見受けられます。
速度超過って、正確には時速何キロだったのか。
以下の文に書きますが、これは非常に大事だし興味のあるところです。

じつは今回、日本滞在中の短期間に僕は4度、新幹線を使ったのですが、その速度に正直、「恐怖」を感じていたのです。
それは新山口から新横浜までたった4時間ちょっという事は大変な速度が出ているはずと思っていた。
で新山口駅のプラットホームで列車を待っていたら、この駅に止まらない「のぞみ号」が目の前を「猛烈な速度で」通過していった。
当然駅を通過する時には巡航速度より大きく速度を落としているはずだが、それでも「ぎくっ」とするような速度に見えた。
しかし僕の周りにいる乗客達は全く平然と当たり前のように見ている。
多分一般の人達はその「速度」が意味するものを理解していないのではないかと思う。

つまり一般の人や、今回事故を起こした電車を運転していた運転手は「速度」という認識が不足しているのではないか。
僕のような「レース」を少々かじった人間でも、その速度のインパクトの度合いは判るし、また例の彼女を駆って260Km/hなんて速度を経験している(女房には内緒)と、スピードを出す怖さは無い(むしろ快感の一部)のだが、どのような結果が待ち構えているとかは実感として把握しているつもり。
つまりレースをやっているような人間には、本当の「危険度」が判るんですよね。

今回の事故で言うと、もちろん脱線時の速度は新幹線の速度とは比べ様もないほど低いはずですが、それでも破壊された車両を見るともう無残なまでに折れ曲がり、「ひしゃげ」ているでしょ。
車両(車体)の強度などは新幹線もほとんど変わらないはずだから、今回の事故の、線路脇に有ったマンションを、駅のプラットホーム(コンクリート製)に置き換えて考えたら、どれほど怖い事か判るでしょ。

また僕が久し振りに新幹線の乗っていて感じたのは新幹線同士がすれ違う時の衝撃と奇妙な横揺れ。
で、全くの偶然ですが、なぜ今まで新幹線は脱線事故による大事故が無いのだろうと、興味を覚えてプラットホームで待っている時にレールなどを観察していた。
新幹線ってのは他の鉄道よりも線路(軌道)の幅が広いと聞いていたが、しかしあらためて見てみるとレーシングカーなどと比べてちっとも広くないんですよね。 つまり車で言うトレッドが広くない。
運転速度を考えると、新幹線の車体の幅や高さ(全高)の割にそれほど広くないんですよね。 
だから当然カーブでは外側のレールが内側のよりも高くなっている。
しかし車輪の接地面積はとても少ないようで、レール上にある光沢の違いを見ると、どうやら車輪はまさに点のような接点で接地しているかのようである。
rail_edit_01.jpg (40455 バイト) rail_edit_02.jpg (27235 バイト)

今回のような事故が起きる等とは想像もせず、偶然日本滞在中に撮影した新幹線のレールです。(新山口駅のホームから)
この写真では判りづらいと思いますが、車輪がレールに接地する部分が微妙に手前と向こう側で違っています。 見た目以上に接地している部分が少ないのではないかと思って見ていました。
で、右の写真を載せた理由は「さすが新幹線」と感じたので。
それは何とレールを止めているボルトに全て緩み防止のためにペンキ(白い線です)で印が書いてある。(他の鉄道でもやっている?)
ボルトの間隔はたった30〜40cmほどだから、東京から終点の博多まで一体いくらのボルトがあるのだろうと、感心しながら見ておりました。
で、その印が「ずれて」いないかって定期的に白い線の「アライメント」をチェックしているのだろうかと、興味シンシンで撮影していたんですよね。

そうそうもう一つ。
新横浜から新山口へ戻る新幹線の特急指定席切符。
新幹線はずっと無事故だからって、この速度ではもう一たまりも無い、ほとんど飛行機で事故に遭うのと同じ覚悟が必要ではないかなんて考えていたのですが、ふと手元の切符を見たら僕にいつもついて回る「13」の数字が。 で、僕にとっては13はラッキー番号なので、ホッとした次第。
前の日記にも書いたように、僕のレーシングライセンスは「1313」、電話番号は今の家の前が「1313」今のも「13」で始まり、銀行口座の番号も「1313XX」ってわけです。
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渋谷駅で指定席券を購入する時に、新横浜を午前中出発で新山口へ行きたいと言ったら、「のぞみ13号」だったわけ。
で、指定席も偶然13番。 でも車両番号は13ではありませんでした。 
確か13号車は喫煙車だったから。

 


2005年4月25日

本日月曜日、オーストラリアは「ANZACデー」のためお休みです。
詳しくは上のリンクをクリックしていただけば、昔の日記に書いています。
この「ANZACデー」も今年が90周年とか。
1915年4月25日にトルコのガリポリに進攻(侵攻)した日を記念日としているようです。
で、昨日の新聞に「ANZACビスケット」の作り方が出ていたので、女房が作ってみると言い出した。

昔の日記にも書いたようにこのガリポリの戦いではオーストラリア、ニュージーランド軍が大英帝国のために主に激戦区に送られ悲惨な戦いをしていたのですが、当然のように食料も非常に貧しい物だったとか。

で、彼らのために国の家族が戦地に送ったのを「ANZACビスケット」とよぶらしい。
それを作るというのは、日本人が戦中を懐かしがってスイトンを作ってみるような物ではないかと。
下に付けたレシピを見ていただくと判るように、いたって簡単な物で当時輸送に時間がかかったので長期保存の効くものが使われている。

1 Cup (90g) Rolled oats (オート麦 平たく潰されている物です)
1 Cup(150g) Plain flour (小麦粉)
1 Cup(200g) Firmly packed brown sugar(ブラウン・シュガー)
1/2 Cup(45g) Desiccated coconut(乾燥ココナッツ)
125g Butter
2 Table spoon Golden syrup(ゴールデンシロップ)
1 Table spoon water
1/2 Tea spoon Bicarbonate soda(重曹)

以上を良く混ぜて天火(160度)で20分ほど焼きます。
下の写真は女房が一つずつ団子状態にしていますが、本来はせんべいのように薄くするようです。
AnzacBis-edit.JPG (64729 バイト)

上の写真にある、右の瓶が「ゴールデンシロップ」で水飴のようなもの。
女房いわく、このビスケット(クッキー)はゴールデンシロップを入れるのが特徴ではないかと。

AnzacBis-2-edit.JPG (30081 バイト)

焼き上がり。 かなり膨らみます。 重曹が入っているからか。 多少平たくなっています。 味はとても素朴、しかし手作りの焼き立てってやっぱり美味しいですな。 しかし日本の標準から言ったら、ちょっと甘みが勝ち過ぎているかも。

本日の日記は「日本での思い出」の続きを書く予定だったのですが、上のクッキーについて書いていたら、他にも書きたいことが。
それはチョコレートです。

オーストラリアに「TIM TAM (ティム・タム)」というお菓子が有ります。 
オーストラリア通の方には結構有名なんですけど、下の写真のようにチョコレートでコーティングしてあるビスケットで、ものすごくリッチ。
「歯が浮いてくる」ような甘さなんですが、不思議な事に日本で人気があるらしくシドニー空港の出発ロビーなどには日本人観光客向けに「ティム・タム」のお土産パックまで販売されている。 

日本人はオーストラリアのケーキなどの「甘み系」は、甘過ぎて美味くないと言うのですが、僕も同感する事が多い。 
しかしそれは一般的(平均的)なレベルでの話で、オーストラリア製といっても、値段は日本並なんて価格の有名店のケーキは、結構日本やフランスの味に近いのが有る事はある。 

甘過ぎるケーキと言えば、僕の弓の仲間でアメリカ出身の「カール君」がオーストラリアに来て初めてケーキを食べた時に、あまりにも甘みが少ないのでビックリしたとのこと。 
まあ彼は田舎(アリゾナ州)出身だから余計かもしれないが、しかし一般的にアメリカの方が甘みは強いらしい。 
コカコーラでもオーストラリアのよりアメリカの方が甘いとのこと。 
ケーキなどの場合は、地方よりも都会の方が甘みは少ないとも僕は感じている。 

さて、話が飛んでしまったが「甘い物には目が無い」僕は、医者に止められているのにたまにこの「ティム・タム」がむしょうに食べたくなる。 
で、先日日本から戻って来たらキッチンに「ティム・タム」が置いてある。 それも初めて見る色のパッケージで、ダイエット中の女房が買うのも珍しいと良く見たら「唐辛子」入りの「ティムタム」なんですね。 
ちょっとビックリ。 
僕が知らなかっただけなのだろうが、「お菓子のチョコレート」と唐辛子の取り合わせってのに大いに興味を惹かれてしまった。 

西欧ではこのような取り合わせってとっくに流行っているのかもしれないが、医者に止められて以来、なるべくスーパーでも甘み系のというか、チョコレート系の棚には近づかないように心がけている僕には、興味シンシンですぐに食べてしまった。 

う〜ん、期待したほど「チリ(唐辛子)」は強くないんですが、食べ終わった時「ほのかに」ピリッとしていて、チョコレートに似合いますね〜。 
オーストラリア人向けに無難に辛さを控えているのだろうけど、もう少し強くても行けそうです。 
どうもメキシコあたりでチョコレートに唐辛子を入れ始めたのではないかと。 
カレーライスに隠し味でチョコレートを入れるのも有るくらいだから、それほどビックリするほどの発想ではないでしょうが、僕は大いに気に入ってしまいました。
Timtam-edit.JPG (38436 バイト)

真っ赤な唐辛子がチョコレートに包まれているデザインがいかにもでしょ。
この菓子のタイトルが「危険な関係」。
写真を撮るのを忘れて食べていたら二個しか残っておりませんでした。
このTimTamバリエーションがどんどん増えているようです。 
ARNOTT'S 製菓のドル箱なんじゃないか。 

そう言えば日本にいる古い友人(ロンドン時代から)のヨシミちゃん(土器典美)は自分の事を「チョコレート・ジャンキー」と呼んでいたな〜。
テッちゃんと作った「Dee's Hall」はどうなっているのだろう。
今回、日本に帰った時に寄れば良かったんですけど、これも時間切れでした。


2005年4月22日

今日は日本滞在中の話に戻ります。
3日前の日記に母の入った老人ホームの写真を載せましたが、ご覧のように家具類は一切なし。
僕の日本滞在中の限られた時間内に、母が一人で生活していくための必要な物を揃える事から始めました。
ところが田舎なので「車」が無いと本当に不便でした。
叔父はしょっちゅう来てくれたが、僕のようにもう何年にも渡って「マイカーで行動」というパターンになってしまっていると、フラストレーションの溜まる事と言ったら。

考えてみると日本を出てから30年以上に渡り、車無しの生活は経験が無い。 特にオーストラリアに来てからは、公共の交通手段がイギリスや日本ほど発達していない国なのでほんと車無しの生活なんて考えられないわけで、それにどっぷり浸かっていた僕には、今回「車無し」の生活の不便さを思い知らされました。

何はともあれ母のために最初にやら無ければならなかったことは、地元の銀行での口座開設でした。
一つは地元山口では支店も多くその上母の入ったホームからも至近距離にある「Y銀行」、そしてこのホームと取引があるので自動引き落としのために口座を作るように要請があった「S銀行」でした。

我々がオーストラリアから帰る前に、母のために叔父が口座を開設しようとしたら、本人ではなければ駄目だと言われていたのは、最近「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」で架空の口座を犯罪に使われるためというのは理解できたのですが、まさかこれほど厳しいとは想像していませんでした。
というのも、母を連れてその銀行に出向き、いざ開設しようとしたら「パスポート」では身分証明書にならないといわれた事でした。
つまり母のパスポートでは現住所が不明であると言うのです。
口座開設の申込書の住所欄に老人ホームの住所を書いたわけですが、母がそこに住んでいるという証明がパスポートではできないというわけ。
で、住民票を出してくれという。
しかしその時点で老人ホームは開館されておらず(4月1日開館)まだ誰も住んでいない状態、その上母はシドニーから直接山口に入って来たので住所変更などしていない。
すったもんだの挙句、東京から山口の市役所に転居届を出し、住民票を取得するところから始めねばなりませんでした。
いや〜、パスポートが有っても銀行口座開設できないなんて、多分世界広しといえども日本だけでしょうな。
で、この「Y銀行」が特に厳しいのかと思ったが、もう一つの「S銀行」も同じだったので、東京から転出届が届くまでは銀行口座開設は諦めざるを得ない状態に。

さて、口座開設はとりあえず後に回して、母のために買い揃えた物は冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、オーブントースター、電気炊飯器、ダイニングテーブルに椅子、ソファーセット、飾り棚、などから始まって鍋、ヤカン、皿、フォークナイフ類など等、また物干し竿や風呂場で使う小物まで入れると一体どれほどの品目を揃え、いくらかかったことやら。

カーテンにしても自前で揃えなければならなかったので、カーテン専門店に行き生地を選びなんてやっているとすぐ半日が経ってしまう。
母は「あの柄でもない、このガラは好きじゃない」とかもう日本語で買い物ができるのを楽しんでいるがごとく、のんびりやっているわけで。

そんなわけでやる事は山のようにあり、叔父が車で迎えに来てくれるのを待っている時間さえ惜しいほどで、これが自分の車が有れば、都合の良い時間にどんどん行動が出来てフラストレーションが溜まらないのにと、レンタカーを借りようとしたら、田舎の事で「2〜3日前に予約が無いと」なんて言われてしまった。

結局一旦山口から東京に出て、妹のところに置いてある母の荷物(布団や服そして食器など)を運送会社に頼んで送り、東京でも多少買い物をして再び山口県に戻ったのですが、その時には車を借りる事が出来、大いに仕事がはかどったものです。
ホリデーに日本に行っているのと違って、限られた時間内にやらなければならない事が一杯有る状況では、田舎の交通手段では手も足も出ません。
次に日本に行く時には、絶対にレンタカーを借りるつもりです。

東京へは最寄の新幹線の駅「新山口(旧、小郡駅)」から「新横浜」までたった4時間ちょっとというのには驚かされました。
昔よりずっと速くなってるんでしょうね、新幹線。 妹のところが比較的「新横浜駅」に近いので、飛行機よりもよっぽど便利です。
時間的にもDoor to door なら下手すると新幹線の方が早いかもしれません。
それにしても浦島太郎の僕は「新幹線」でも戸惑ってしまう事が多かったです。 「のぞみ」や「ひかり」やはたまた「レールスター」ってのも有って、何が何だか状態。
同じ「のぞみ」でも「新横浜」に停車しないのもあったりして。

昔に比べて速度がどれほど上がったのか知りませんが、揺れも少なく快適で、飛行機と比べて車内が広いためか疲れも少ないように感じました。 車内弁当は相変わらず「高い」「不味い」でしたが。
ほとんどの人が弁当は持参で乗り込んでいるようで、我々のように車内販売の弁当を購入しているのは少ないようでした。
そうそう、食道車ってのも無いんですね〜。 もう知らない事ばかり。

知らないことばかりといえば、東京では新しい地下鉄がいくつも開通していたり、また懐かしの「目蒲線」がなくなっていたりと、移り変わりに何だか感慨深かったです。

続く



2005年4月21日

過去の日記インデックスの中の「2005年4月分」が昨日まで抜けておりました。 そのページは存在していたのですが、中のリンクを付け忘れていたために、皆さんからは見えない状態になっておりました。
大変失礼致しました。
その過去の日記ですが、友人から「携帯電話で読む場合、新しいのがページの下のほうにあると非常に読みにくいというか、移動するのに手間が大変である」とご指摘いただきましたので、2005年4月分からは今までと順序を逆に表示する事にしました。
確かに定期的に読んでくださっている方には、下の方まで移動しなくて良いので便利かもしれません。

さて、今週は日本での「思い出」を書いておりますが、今日はちょっとオーストラリアのニュースから書いてみます。
僕が日本に発った直前(3月の下旬)にオーストラリアの「シャぺル・コルビー」という若い女性がインドネシアのバリ空港で麻薬を持ち込もうとして逮捕された事件がありました。 
最初そのニュースを聞いた時には、また馬鹿なオーストラリアの若いのが麻薬でとっ捕まったか、インドネシアでは麻薬関係で有罪になったら重罪(ほとんど死刑)だから「良い気味」だと思っていたのです。 

何しろオーストラリアでは「麻薬」のために引き起こされる犯罪の数は、いったい全体の何割になるのか知らないが、「膨大」であるのは間違いが無い。 麻薬中毒になって「ヤク」を買う金欲しさに、窃盗を働く、女性は風俗にハマルなど、間違いなく社会問題を最も多く引き起こしている要因なんですよね。 
そもそもオーストラリアでは麻薬犯罪での刑が軽すぎるのが問題だと僕は考えているわけで、この女性の場合もオーストラリアならせいぜい罰金程度なのが、インドネシアでは当分の間「シャバ」には出て来れそうに無いから「良い見せしめ」であると思っていたわけです。 

ところがこのニュースを良く聞いて見ると「何か変」なんですよね。 
最初、彼女が全くの濡れ衣であると主張した時には「またいつもの言い訳か」と思ったのだが、彼女はマリファナをインドネシアに持ち込もうとして逮捕されたってのがまず「?」なんですよね。 
インドネシアから麻薬をオーストラリアに持ち出そうとして逮捕されたのではなく、オーストラリアからバリ空港に到着した彼女の持ち物、ブギボードのカバー(ケース)の中にマリファナが入っていたらしい。 
で、そのカバー(ケース)にはカギもかからないものだったらしい。
ブギボードの中を「くりぬいて」とかでは無く、隠そうとしているふしも見えなかったらしい。 

しかし僕にとってもっと「変だ」なと思ったのは、マリファナってオーストラリアで買うよりインドネシアで購入した方がうんと安いはずなんですよね。 正確な値段の差は判らないが、彼女はインドネシアに持ち込もうとして捕まったわけだが、もし自分で使用するのでも現地で調達した方がよっぽど安いし、空港で通関をしない分、リスクは無いし簡単でしょ。 

例えば、日本からワザワザ高額なヘロインをゴールデントライアングル周辺の国へ持ち込もうという人間などいるはずが無いでしょ。
それと似たようなことなんですよね、今回のは。
昔の僕の日記(2002年1月29日)に、日本人の旅行者がオーストラリアに麻薬を持ち込もうとして逮捕され、長い間服役していた事を書いたけれど、彼らもオーストラリアに入国する前に過ごした東南アジアの国で、麻薬が仕込まれている旅行カバンに変えられてた被害者だと主張していた。 

彼らの場合は非常に微妙だったが、このコルビー嬢の場合は彼女の主張がかなり信憑性が有るなと僕は思い始めた。 
彼女はブリスベンからシドニーまで国内線で来て、バリ行きの国際線に乗り換えたらしいが、どうやら麻薬組織がブリスベンからマリファナをシドニーに輸送する時に間違って彼女のカバンに入れてしまったという説が有力なのだそうです。 
ある麻薬組織の人間が匿名で新聞に語っているのを読むと、ブリスベンの空港は国内線国際線共有なので海外から持ち込まれた麻薬をブリスベン空港で一旦国内線の乗客のカバンに隠し、シドニーに送りそこで取り出すという方法があるらしい。 
ところが彼女のカバンに隠した犯人が何かの理由で取り出せなかったために、彼女は麻薬を持ったまま国際線に乗り換えてインドネシアに飛んでしまったというもの。 

マリファナはオーストラリアでは「ソフト・ドラッグ」でも、インドネシアでは「死刑」の可能性があるのでオーストラリアのメディアも大騒ぎ、僕が日本に3週間も行って戻って来たのにまだ彼女のニュースをメディアが報じているのにビックリしていたら、またまたバリでオーストラリア人の若いのがグループでヘロインをオーストラリアに持ち出そうとして逮捕されるというニュースが入ってきました。 
コルビー嬢のニュースとも相まって大きく取り上げられているのですが、この犯人達逮捕されたら「我々もコルビー嬢と同じ無実だ」なんて「ほざいて」おりました。 
しかし今回の犯人達は、前科はあるはヘロインは体に粘着テープでぐるぐる巻きにしているは、その上インドネシアに持込ではなくオーストラリアに持ち出すつもりなんで、どこが「コルビー嬢」と同じなのか、「よく言うよ」という感じです。

是非、この手の輩は全員死刑にしていただきたいと願っております。 
当然全員重罪を予想してオーストラリアのメディアは大騒ぎ、それぞれの親にまでインタビューしておりますが、共通しているのは、「まさかうちの子が」ってのばっかり。 
やはり親にも責任があるんでしょうな。 


2005年4月20日

本日は朝から雨が降っております。
僕が日本に行っていた間、どれほどの降雨量があったのか知らないが、相変わらずシドニーは水不足のはず、ほっとしております。
しかし本日は水曜日、弓のお稽古の日で、先生のトニーにも日本からお土産を買って来たので、出かけました。

日本での約三週間を挟んでかれこれ一月は練習をしていなかったので、例の「コーチゾン注射」の効き目も知りたいしと行ったわけです。
結論から言うと、思った程痛みが引いていなくて、どうやら肩の手術を受けなければならないようです。
5月5日に専門医のアポがあるので、その時に肩の骨を削る手術を受けるか決める予定です。
普通に生活する分には全く不具合がないのですが、肘を上げて重い弦を引く動作には、このままだとまた「腱」を傷つけてしまうそうです。
手術を受けようかなと女房に言ったら、「プロ野球の選手(ピッチャー)でもないのにそんな手術までして」という顔をされてしまった。
いや手術自体は簡単な物らしいんですけどね。

さて、昨日の日記に書いた母の老人ホーム。
最新のテクノロジーを知らない浦島太郎の僕には結構驚くことが多かったです。
まず省エネ。 各部屋のトイレットなどには最初から電気(ライト)のスイッチなんて無いんですよね。
つまりすべてセンサーで、ドアを開けると自動的に点灯されるだけでなく、使用後トイレのドアーを開けっ放しでも便座周辺に人間の動きが無い場合は自動的に消灯する。
こういうのは確かに便利だし、特に物忘れの進んだ老人などには必要なのかもしれないが、しかし便利すぎて困る事もある。

僕はトイレ(大の時だけ)で本を読む癖があるのだが、じっと座って本を読んでいると消灯してしまうのです。
あれっと思って上を見るとまた点灯する。 つまりじっとして動きを止めていると自動的にスイッチが切れてしまう。
いちいち消灯されないように定期的に頭を動かしたり手を振ったりしなければならない。

このような省エネの仕掛けは廊下などの共有部分にも有って、誰もいない時には全ての電気が切れているようです。
「ようです」と言うのは、自分の部屋から廊下に出ようとすると即座に全ての廊下の電気が自動的に点灯するから、全く不具合は無い。
母の入った老人ホームは2階建てで計30室あるのだが、必要な時だけ点灯するシステムだけでもかなりの節約にはなるでしょうな。

給湯システムは当然のように、ガス瞬間湯沸し器が使用されていて、オーストラリアのように熱湯をタンクに常に貯めておくわけではない。
僕は前から何でオーストラリアでもガス瞬間湯沸し器が広まらないのか不思議でしょうがない。
オーストラリアの安全基準がうるさいのかと思っていたのですが、一昨日見に行った新築の売りや家にはホットウォータータンクが見当たらないので、ひょっとするとと思って探したら「リンナイ(そう日本の会社)」と書かれた瞬間湯沸し器が設置されていました。
オーストラリアでも許可されてるんじゃないですか。
娘の家は築3年でかなりモダンなデザインなのですが、それでも電気式ホットウォータータンクシステムが使われている。
何でだろう。

給湯システムで思い出しました。
今回の日本行きで印象深いのは「フールプルーフ」のためか何でも「音」とか「声」が出てくるんですよね。
我が妹の所など給油システムのまあ「騒々しい」事。
思わず笑っちゃうほど。 風呂を用意しているといきなり大きな音で「チャイム」の音楽が鳴り始め、演奏が終わると女性の声で「お風呂の準備が出来ました」っていうのですが、そういうのに慣れていない僕にはいきなり音楽が鳴り出すので「ギクっ」としてしまう。
そして湯の温度を変える度に同じ女性の声で「42度に設定しました」とか放送が有ってもう「わかってるよ〜」って言い出したくなる。

そんなのばっかりで、食べ物を電子レンジで暖め終了すると「チャイム」が鳴るのは慣れているのだが、ちょっと手が離せなくてそのまま入れておくと、「忘れてはいませんか」的にまた警告音が鳴る。
冷蔵庫のドアーもすぐに閉めないでいたら「ちゃんと閉まっていない」って警告音が鳴る。
日本にいる方はもう慣れっこになってしまっているから別に何とも感じないでしょうが、いちいち女性の声でアナウンスされるのは浦島太郎の僕にはとても違和感が有ります。
う〜ん、ひょっとすると一人暮らしの方は「誰かがいる」みたいで、寂しさをまぎらわせてくれるから良いのかな?

女性の声のアナウンスと言えば、例えば鉄道の車内放送など3年前に日本に行った時に受けた印象よりも「まとも」になっていました。
この辺も日本にいる方にはちょっと判りづらいと思いますが、昔は「舌足らず」な喋り方、何かロリコン心をくすぐるような、気持ち悪いネチネチしたような喋り方だった印象が深いのですが、今回はマッチベターになっていました。
何か流行があるみたいですね。 今回のは「何でも鑑定団」というテレビ番組の中で使われている女性のナレーション、まさにこれそっくりが非常に多かったです。
多分これが最近の流行なんでしょう、日本全国広範囲にわたって使われておりました。
面白いですよね日本って、移り変わりは有るのだが常に全国画一的なのが。


2005年4月19日

オーストラリア帰国以来最初の日記(昨日の)で、日本より少々暖かいと書きましたが、昨日は夕方に入っても気温が下がらずまるで夏の陽気でしたね〜。 
日中は32度、夜に入っても20度を切らなかったのでは。
こりゃ〜、日本より暖かいわけだわと。 4月下旬でこんなの珍しいのではないかと思います。
本日も昨日と負けず劣らず素晴らしい陽気です。

さて、今日はシドニーを発った日について書いてみます。
今回の日本行きではいつも使うJAL772便ではなく、母の友人が「シドニーを夜発って日本に早朝到着する便利な便が有る」と言うので、そのJL774便にしたのだが、いや〜「大間違い」でした。
僕も迂闊だったのですが、てっきり直行便だと思っていたこの便、じつはブリスベン経由。 何とブリスベン空港で2時間も出発まで待たされてしまった。
つまりブリスベン経由の成田行き便なら、普通トランジットで1時間ほど休憩が有る。
それだけでも直行便に比べて2時間ほど余計に掛かるのに、計4時間以上のロスなんですよね。
夜8時にシドニーを発って成田に到着したのは日本時間朝の7時半だったけどオーストラリア時間では朝9時半(まだ夏時間だった)。
という事は13時間半も掛かってしまったわけ。

その上、こんな間抜けな便を使って日本に行く乗客(シドニーからの乗客という意味で、ブリスベンからの乗客ではない)なんてほとんどいないのか、まともな食事さえ用意されていなかった。
夜8時発の便だから当然「夕食」は出るものだと、僕らは晩飯食べずに搭乗した。
それより遅い夜9時10分発の成田発シドニー行きの便でさえ、本格的な夕食が出るのだから、夜8時発の便なら当然だと思っていたのが大間違い、半分凍ったような冷たい小さな丸いパンが二個、軽食とも呼べないようなサイズと不味さに「愕然」としてしまった。

じつは今回母が日本に帰るにあたってどうしても「ビジネスクラス」で行くと言い張る。
で、母はもうオーストラリアに戻る気は無いと「片道切符」でいいからと言う。 
仕事で日本に行くのではないので、僕の往復航空券も当然自腹で購入という事になる。
母がビジネス、僕がエコノミーでってのも何だかと考えて、結局僕の航空券代だけでも約4700ドルも払ってしまった。
この金額だと親子三人がエコノミークラスで日本往復してその上「おつり」が来る「額」なんですよね。
ビジネス料金だとエコノミーより早く到着するわけでもないし、何でこんなに価格の差が有るのか。
そんなわけで、高いビジネスに乗ってこの「夕食」いや、「軽食」を見た時には、僕も母も顔を見合わせてしまった。

驚いた僕は乗務員に「あの〜、まともな食事は出ないんでしょうか?」と聞くと、とても申し訳ないというような顔で「そうなんですよ、軽食しかないんですぅ」と言う。 
何だかこういう文句はしょっちゅう客から出ているような雰囲気。
美味くない物には食べ慣れている海外生活の長い僕でも、あまりにパンの不味さに残してしまったが、さて腹が減ってどうしようもない。
で、ふとビジネスクラスにはウドンや蕎麦が客の注文でエクストラで出てくるのを思い出した。
普通ビジネスクラスになるとちゃんとした食事は出るので、今までこの「うどん類」は食べた事が無かった。
しかし今回は腹が減るし、ちょうど良い機会だと乗務員に聞くと「うどん、そば、ラーメンも有ります」と言う。

82歳の母でさえ満足できない量の軽食だけではたりず「私も食べたい」と言うので、うどんとラーメンをそれぞれ注文する。
はていったいどんなシロモノが出てくるのかと待っていたら、出てきました!いや〜軽食の時よりビックリしました。
湯呑みほどの小さなプラスティックの容器、つまりものすごく小さなカップ麺、一般なカップヌードルのサイズと比較しても「貧弱」なインスタント麺が出て来て、怒りを通り越して母と二人で笑いだしてしまった。

日本航空さん!もう少し考えた方が良いと思いますよ。
確かにシドニーから成田へ直行便が出ているのに、こんな間抜けな便をワザワザ選んで乗る僕らも馬鹿だけど、しかし少なくとも「まともな食事」くらいは用意したらいいんじゃないんですか。
そうそう、この便のエコノミーに乗った経験のある人の話を聞いたら、どうやらこの軽食はエコノミーもビジネスも違いが無いらしい。
いや〜ビックリしました。

その上なぜか僕のシートについている個人用液晶画面は壊れていて映画と音楽の切り替えがきかなかった。
これも僕の操作が悪いのかと乗務員に聞いたら、一生懸命に僕のリモコンをいろいろいじっていたのだが埒があかず、「それでは元のほうでリセットしてみます」といってどこやらへ行って、また戻ってきたのだが結局直らず。
そう言えば1999年にヨーロッパに行った時にもJALを使って日本経由だったが、ビジネスクラスのシートが壊れていて(背もたれの部分)あまりの苦痛に途中で席を替えてもらったことを思い出しました。
機体もえらく古かったのだがどうやらヨーロッパ線よりも古いのをオセアニア線に使っているのでは。

どうしても日本に早朝到着でないと困る人以外はくれぐれもこの間抜けな便は避けられた方がよろしいようです。
直行便なら9時間ですから。

さて、無事成田に到着してバスで羽田へ。 日曜日の朝のせいか予想以上に早く到着し、福岡行きの国内便は一便前のに搭乗する事が出来ました。
福岡から地下鉄で博多に行き、新幹線で新山口駅(旧、小郡駅)へ。
そうそう、この空港と新幹線の駅を結ぶ地下鉄、たった二駅なのに250円ってJR山手線の倍近く、今回の日本行きでは各鉄道会社の価格設定の差の大きさが印象的でした。
博多からは新幹線(レールスターという)で30分少々で到着、出迎えの叔父の車でさっそく母の入る「老人ホーム」へ。

4月1日からが入居可能という話でしたが、すでに完成していて、さっそく部屋を見せてもらったのですが、想像以上に広くビックリしました。
6畳の和室に約18畳の大きさのダイニン、グリビング、キッチンを兼ねた広い板張りの間。 母一人には十分過ぎる広さでした。
新築だしとてもきれいで母も満足している様子。
しかし僕にはとても複雑な心境だったんですよね。 ここに母一人でこれからずっと暮らしていくのを考えると。
pola-022.jpg (30300 バイト)

↑玄関から部屋の中を見た写真。 僕の安物のデジカメではワイドな画を撮れません。 その上ストロボが効かなかったのか暗い写真になってしまった。 右側の和室に座る叔父が写っています。左手の暗い壁の裏は調理台などです。 (写真をクリックすると大きくなります)
pola-03.jpg (21982 バイト)

↑これは上の写真のちょうど反対側から撮っています。 左手奥の白い扉が玄関で上の写真はそこから撮っています。 もう少し引いて撮影すれば左手の和室も撮れたのですが、残念。 キッチンの調理台等は全て椅子に座ってでも使用できるように下が大きく開いています。

さて、この状態から母が生活していくのに必要な家具や調理器具などなど全て揃え、つつがなく彼女が一人で暮らし始めるのを確認してからオーストラリアに帰るという予定だったので、翌日から早速行動開始でした。
僕が山口を発った15日には部屋の様子も大分変わりました。
その写真はまたの機会に載せます。 

 


2005年4月18日

無事、先週の土曜日早朝、オーストラリアに戻って来ました。
月並な言い方ですが、長くもありまたあっという間に経ってしまったとも感じる「20日間」でした。
やはりというか、日本滞在中はこの日記の更新は出来ませんでした。
ネット過疎地山口県滞在が主だったので、物理的にも難しかった上に、精神的にも何だか更新したいという気力が起きなかったのは、環境の変化が原因かもしれません。

日本滞在中にお世話になった方々には感謝しております。
会いたいけど時間切れで電話さえかけられなかった方には、お詫び申し上げます。
何しろ母の入った老人ホームのある山口県に、オーストラリアに戻る日の前日まで滞在していたので、東京方面でやりたかった事を大分残してきました。
日本滞在中の20日間については一切「ノート」をつけなかったので、思い出す分を少しずつ書いていきたいと思います。

オーストラリアに戻って来て、シドニーの方が東京よりもまだまだ暖かいのに少々驚きました。
日中の最高気温はそれほど変わらないはずなのに、日本のほうが朝夕の冷え込みは強く、またほんの少々シドニーの方が湿度が高いせいか、肌に感じる気温はずっと優しいですね。
その上、空気の「におい」が全然違います。 空港に着いて外に出て来たら何だか「トロピカル」な香を感じました。

土曜日の早朝シドニー空港に着いて最初に感じたのは、入国管理と通関手続きにおいて、成田空港とは比較にならないほど手際の悪さと言うか、疲れて到着した乗客への配慮のなさでした。
まず機内から重い機内持込のバッグを抱えて入国管理まで歩かされる距離の長いこととと言ったら。
あんなに長い距離を歩かせるなら「動く歩道」のような物を設置すべきだと感じました。
「動く歩道」と言えば、僕は箱崎から成田までバスを使ったのですが、地下鉄の「水天宮駅」で降りて箱崎の空港バスターミナルまでは荷物を持って来る人が多いためか「動く歩道」がしっかり設置されていました。
そのような配慮がシドニー空港には無い。

余談ですが、箱崎から成田までのバスってガラガラですね〜。
僕以外にはたった5名でした。 運賃の2900円が高すぎるのかもしれません。
我が妹は「多摩プラーザ」から出ている成田行き直行バスの方が良いと言っていたのですが、出発時間がちょっと早すぎると思い、荷物は「ABC」という空港専門(?)の宅急便会社に任せて、鷺沼から電車で行ったのですが、考えてみると多摩プラーザからの直行バスなら宅急便使う必要が無かったです。
この「ABC」という会社空港は独占なのかスーツケース2100円はちょっと高いですな。(天下りがやっているのかな?) 

話が飛んでしまいましたが、やっとシドニーに着いて、随分と歩かされ、入国管理カウンターにたどり着いたら、早朝(7時15分到着)のせいか入国審査官の数が極端に少ない。
当然馬鹿みたいに長い列が出来上がる。
この辺はある程度予測できたので、思いっきり早足で入国審査のカウンターまで歩いた甲斐があって、4〜5分ほどしか待たされなかったが、僕の審査が終わって後ろを振り返ったら、思いっきり長〜い列が出来ていました。

で、「荷物受け取り」のロビーに下りて、ベルトコンベアーで荷物が出て来るのを待つわけですが、これも運の良い事に最初の10個ほどの中に入っていました。
「ラッキー、こりゃ〜記録的な速さで出迎えロビーにいる女房会える」と喜びながらふと見ると、巨大な列が!。
何と!通関用の「申告」と「申告品無し」の列がそれぞれ一本しかないために、もうメマイがしてしまうほど長〜い列なんですよね。

僕は当たり前のように「漬物」などの日本の食品も持ち帰って来たので「申告」の方に並んだのだが、広いロビーを端から端まで長い列が出来てしまっていて、これが一向に動かない。
税関員が絶対的に不足しているのか、または審査カウンターの数が最初から少ないのか、列 が全く動かないのです。
前はこんなに酷くなかったような記憶があるのですが。
「申告無し」の方も大して変わらない長い列。 
このままじゃ少なくとも1時間近くは並ばなければと途方にくれていたら、あまりに長い列のためか、税関係官が出て来て、列に並んでいる人達に申告品の内容を聞き始めた。

その係官が僕のところに来たので申告品は「漬物などの食料品」だと説明すると、「本当に他には何も有りませんか?」と僕の顔(目)を食い入るように見ながら二度聞いてきた。
他には無い事を告げると、僕の申告書の一部になにやらサインをして、「向こうのゲートの方に行きなさい」と言う。
列に並んでいる人達全員に聞いて回っているのだが、そのゲートの方に行かされるのはせいぜい10人に一人以下。
僕はその一人に選ばれてしまったので、何が起こっているのか判らないままそのゲートに向う。
人相の悪い僕なのでひょっとすると取調室に導かれているのかと思ったら、何とそのゲートからそのままで迎えロビーに出てしまった。

昔の日記に書いたように、沢山の到着者の中で必ず厳重取調べを受けるのは「僕だけ」なんて経験が昔から(ロンドン時代から)多いので、珍しい事もあるものだとビックリしてしまった。
飛行機から荷物を持って出てから30分程で僕は出迎えロビーに出る事が出来たわけですが、他の方々は随分と時間が掛かったことと思います。
僕の乗った飛行機の乗客の中では、僕は一番先頭にその長い列に加わったはずですから、入国審査を終わった同便の400〜500人の乗客だけでも当然その列の長さは倍増していたはずです。

夜行でろくに眠れないで到着して、あの混雑の中で「えんえん」と長い列で待たされたら、疲れも倍増してしまうだろうし、ましてや初めてオーストラリアにバカンスに来たような人には「印象」悪いでしょうね〜。

第一印象というのは本当に大事なものですから、観光も大きな収入源になっているオーストラリアは考えた方がいいと思いますよね。
まあオーストラリアが検疫には非常にうるさいのは結構知られているようなので、持ち込まれる荷物のチェックもかなり綿密に行われ、それゆえ待たされる時間も大変長くなるのは皆さん覚悟されているのかもしれないが。

オーストラリアに帰って来て最初の日記がこのような「文句」になってしまいましたが、明日から色々日本で感じた事を思い出しながら書きたいと思います。
歳とともに記憶力が落ちているのでどこまで思い出せるやら。


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