2002年12月後半の日記
           
                                                  
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2002年12月16日

先週土曜日の夜はパーティー嫌いの僕には珍しく、ご近所の親友のバースデーパーティに出掛けました。
ご近所というよりも、お隣のご主人(僕と同じ「トム」と言います)、今年で70歳を迎えたのですが、彼自身は大げさなパーティーはいらないと言っていたそうです。

そこで彼の家族がトムのために「ビックリ・パーティー」を企画したのです。
この手のパーティー、オーストラリア人は大好きで、じつは我が娘の16歳の誕生日でもやったのですが、秘密を守るために大変な苦労をしました。
このトムのパーティーの招待状を受け取った時に、彼をビックリさせるために一切、この計画は言わないようにと大きく書かれていました。
で、彼の長女一家の家を会場に設定し、ものすごく大掛かりなパーティーを催したのです。

僕は長女の家に行くのは初めて(引っ越して間もない)だったのですが、多分僕がオーストラリアに来て以来、ハーバービューの景観の素晴らしさから言ったら、ダントツの1位になるのは確実、テラスからのシドニー湾に絶句しました。
場所はボークルーズのちょっと高台で、そこからハーバーブリッジまでが一望、デジカメを持って来るのだったと、悔やまれました。

長女のご主人はイギリスで弁護士を経験後、12年前にオーストラリアに戻ってきて開業し、活躍中の大変有能な弁護士。
この素晴らしい大邸宅に200人以上の客が集まって、トムの到着を今か今かと待ちました。
本人には「夕食を今日は娘夫婦のところで」といった軽い感じで言ってあり、本人も全く疑いも無く普段着で出掛けて来ました。

あまりにも招待客が多いので、玄関に向かって入ってくるトムに聞こえてしまうのではないかというので、全員無言。
彼が玄関の扉を開けた途端、全員で「ハッピーバースデー」を歌い始めたのですが、驚いた表情よりも、ものすごく嬉しそうな顔が印象的でした。

まあ彼が70歳という年齢なので、招待客には高齢な方も多く、思いっきり着飾っておりました。 
モエ・シャンドンはバンバン封が切られるは、回ってくる料理は素晴らしいし、その上この絶景の大邸宅で、僕は昔見た映画「グレート・ギャッツビー」を思い出していました。
一体いくらの費用が土曜日のパーティーにかかったのかは知りませんが、やはりオーストラリアはまだバブル景気が続いているのかと思わせられました。

トムは幼少の時にハンガリーから来た、いわばたたき上げの成功者。 そんな関係で、シドニーのハンガリー系のソサエティーが一堂に会していました。
面白いのはかなりの数の招待客(誕生日を迎えたトムも含め)がスピーチをすると、東ヨーロッパの訛りを含んだ英語で喋る事。
スピーチをした招待客たちはビジネスの社会では名の知れた人も多く含まれているのですが、その訛りを聞いていると、英語を母国語としない人達が、その国の経済のかなりの部分を牛耳るという、まさに移民の国オーストラリアを実感するするものです。


2002年12月17日

我が家に掃除に来てくれるポルトガル人のおばさん、「ファティマ」。 
もう家族の一員のごとく長い付き合いなので、昼時僕が家にいる時は昼ご飯を一緒に取りながら世間話が始まります。 
で、何かの話から我が家のウオッシュレットの話題に。 

前の日記に書いたように僕は日本に帰るたびに日本の便器のハイテク化に目を見張っていましたが、我が両親も日本では当然使っているウオッシュレットをオーストラリアでも欲しいと言い出しました。 
捜してみると、日本人の方が輸入販売をしていることを知り早速お願いして両親のトイレに設置したのです。 

このウォッシュレット、僕にとっても珍しく感じるほどだから、「ファティマ」は初めて見た時に何の装置なのか皆目検討もつかなかったようです。 バスルームを掃除を始めた彼女はその装置に目を止め、横にあるスイッチを押したそうです。 
その上、何が起きているのか判らず便器の蓋を上げ覗き込もうとした途端に勢い良く水が彼女の顔めがけて、、、。 
水は顔と胸を直撃したのですが、すぐに飛びのいたので、びしょ濡れというほどではなかったようですが、逃げる時に慌てたので蓋を閉め忘れたために、その洗浄ノズルからの水がトイレ+バスルーム中に飛び始め、水浸しに。

そこで初めてヴィデのようなものだと察し、慌てて蓋を閉めスイッチを切ったそうです。 
その失敗は随分前の話なのですが、彼女はその事は黙っていたので僕は知らなかったのです。 
彼女は我が家以外にも何軒かの家の掃除をやっていますが、そのような装置は全く見たことなく、僕もかなり高級な新築の家やアパートに行ってもウオッシュレット系って一切見た事がありません。 

特にシドニーは気候が温暖なので、便座が暖かくなっても有り難味は少ないし。 
そんな便器の失敗の話をしていたら、昔々僕が初めてヨーロッパに行ったときの事を思い出してしまいました。

何か今日の日記は、食事前後の方は要注意かな。

今から30年も前のこと、一人でソ連航空に乗ってパリに向かった僕は飛行機の中で知り合った同年代の自由業風(というよりヒッピー風)の男と仲良くなりました。
全く宿泊先は行き当たりばったりで、予約など一切していなかった僕らは一緒にパリで安宿を見つけて同室に宿泊することにしました。

で、宿に夜遅くチェックインを済ませ、長旅と時差に疲れた僕らはすぐに爆睡してしまいました。 
翌朝その彼「E君」が、「ね〜、ちょっと困っちゃったよ〜」と言って僕を起こしました。 
目を覚ますと、彼は部屋の隅にある便器に向かって、指をさしながら「ちゃんと流れないんだよ」と言うのです。 

と、同時にすごい臭気が漂っていることに気が付きました。 
起きてみるとその便器のような形をしたものはヴィデだったのです。 
ヴィデと便器は形はちょっと似ているのですが、とても浅く用途が全く別の為に液体は流れるのですが、カタマリは流れる大きさの穴も無いのです。 
そう、ヴィデというのは局部を洗うだけのためのものです。

昨晩遅くにチェックインして部屋の隅に「でん」と便器が置かれているのも変だなとは思っていたのですが、その便器の回りには扉も無く、丸見えなので僕は廊下に出て共同の便所を使いました。 
つまりその時は夫婦やカップルなどが泊まった時には、わざわざ部屋から出て、廊下の突き当たりにある遠いトイレに行かなくても良いようにと。 
ところがところが、全くこれは違っていたのです。 
今のパリは知りませんが、当時は市条例か何かで、かなりの安宿でも、各部屋にヴィデは設置しなければならなかったようです。 
それとも僕らの入った宿が「連れ込み宿」だった(?)からかもしれませんが、初めてのヨーロッパ、初めてのパリでは知る由もありません。 

で、そのすごい臭気(真冬で窓は閉めきり)に鼻を手で覆いながらそのヴィデに近づくと、思いっきり立派なカタマリがとぐろを巻いているではありませんか。 
そんなのが剥き出しで、ベッドのすぐそばにあるヴィデに乗っかっているのですからこの漂う悪臭気も、、、、。 

おとなしい彼はもうオドオドして申し訳なさそうに助けを求めています。 で、僕はまだ朝7時前だったのですが窓の外を見ると、すでに野菜の朝市が立っているので彼にそこへ行って果物でも買って、ついでに余分の袋をもらってくるように言いました。 
彼はすぐにりんごを買って戻って来たので、その袋に手を入れ手袋のようにし、カタマリを掴ませました。 
何とか全てを収めそれを持って廊下の突き当たりにある便所に捨てに行かせたものです。

その後、何度もそのヴィデの水を流したのですが、ヴィデの水と言うのは、ウオッシュレットのように上向きで、その上全く水圧も無くチョロチョロ出るだけなので、なかなかきれいにならず、臭いはなかなか取れませんでした。

その後彼とはロンドンのホテルも一緒という珍道中を展開したのですが、ずっと彼は僕に頭が上がらなかった(?)。
僕は彼(E君。フルネームはK.E君)がフォークソングの歌手で新宿の反戦フォーク集会(こんなのを知っている人も少ないだろうな)ではかなり名の知れた歌手だとは全く知らず、一緒の旅すがら、いろいろ話を聞いて知ったのです。 

彼は今でも(ちょっとアングラな世界?)で活動を続けていて、レコードも出したりしているようです。 
どれほど今の若い人たちが知っているのかはオーストラリアに住んでいる僕にとっては不明ですが、本人の名誉の為に本名はとても出せません。 
彼は自分のHPも持っていて、いろいろ活躍とは書いてあります。

久し振りに、あの時の慌ててオロオロしている彼の顔を思い出してしまいました。(彼おっとりしてとても良い人です)
何か今日は「ファティマ」の失敗から、思わぬ方向に話が。


2002年12月18日

日本の友人からもらったメールを読んでいてふと、「近所付き合いと、贈り物の習慣」について書きたくなりました。
オーストラリアは「移民の国」と言っても、いまだイギリスつまりアングロサクソンの文化と習慣が強く残っている国です。

ですから友人のメールに書いてあった、「お裾分け」という言葉を見て、そういえばオーストラリアに来てからは随分無縁の言葉だと気が付きました。 
今の家に引っ越して来る前に、ボンダイ・ジャンクションというとても庶民的なところに住んでいた時でも、考えてみると「お裾分け」ということをされたり、したことは無かったです。 
で、だいたい「お裾分け」というのは、例えば田舎から季節の食べ物が届いて、ご近所にも味わってもらう、というような類ですよね。 
一家で食べる分を超えてるから、置いといて古くなってももったいないしという場合もある。 

で、考えるに季節の物等を贈ったり贈られたりって事自体が非常に少ないというか、無いんではないか。 
ボンダイジャンクション時代に仲の良かった隣人が(釣りの友人でもあった)釣に行って大漁だったからと、頂いた事はあったが、これはお裾分けとは言わないような。 
彼は釣りは大好きなのに、魚をほとんど食べないという人間だったからかもしれない。 

つまり頂いた物をまた他にあげるような事ではなかった。 
これはロンドン時代でも同じで、同じアパートに住む隣人から(イタリア人の旦那とオランダ人の女房)ホリデーに行ったイタリアから帰って来たからとプレゼントをもらった事はあったが、これもお裾分けと言うわけではない。 
しかしなぜ最初にアングロサクソンと書いたかと言うと、僕がまだロンドンに住んでいた頃にある友人(アングロサクソン)が、お隣に住むインド人からお裾分けのように、インドから送られてきた調味料やカレーを良く頂くという話を聞いていたので、やっぱりこれは中国やインドなどでは多少違うのではないか、つまり日本に似たような習慣はあるのではないかと思っていました。 

現在僕が住んでいる場所は、かなりスノッブな連中が多く、そういった連中に限ってお互いのプライバシーを尊重するというのか、お裾分けのような事はほとんど無いと思っています。 

しかし我が家に来るお掃除のオバサン「ファティマ」はポルトガル出身なのですが、やはり国から送られて来た物等は近所のポルトガル人の友人に配る可能性はある。 
つまり同じ出身国同士で、郷土の物に有り難味を感じるから。 
そして彼女の住む地域は、かなり庶民的なところ。 

ただし、同じオーストラリア国内で、例えばタスマニア出身の隣人がいたとして、親や親戚または友人から、果物が今美味しい時季だからと、宅急便で届くなんて事は無いと思います。 

と、ここまで書いてオーストラリアは同じ国内でも検疫に非常にうるさいので、それがそういう習慣が無い理由に輪をかけているのかなとも考え始めました。 
毎年出かけるメルボルンへ(全豪テニス観戦のため)の道すがら、必ず目に入るのが州境を越える時の看板。 
そこには「ここからヴィクトリア州に入ります。 果物などの州外からの持込は禁止ですから廃棄処分にするように」と、あります。 

そこでいちいち車を停止させられるわけでもなく、検疫官が見張っているわけでもないので、全く個人の良心に任せているようなものなのですが、実際に役に立っているのかとても不思議です。
理由は、「フルーツフライ」という果物につく昆虫が、拡大するのを防ぐためなのですが。 
ですから個人的に果物を州を越えて送ったりは禁止なのかもしれませんが。

もし日本でこういう贈り物の習慣が一切無くなったら、宅急便の会社はものすごく打撃を受けるでしょうな。 
交通事情は少し良くなるかも知れない。 
しかし経済の停滞に拍車も掛かる。 こういった習慣でさえその国の経済に影響を与えているというのは、とても興味深いです。


2002年12月19日

今日は女房の誕生日、外でメシ喰って帰って来たのが今夜11時、今朝は4時半頃から起きていて、寝不足の上今晩はシャンペン飲まされて(ほんの一口ですが)、もうこれから日記は無理なので寝ます。

おやすみなさい。 詳しくはまた明日に書きます。
と、ここまでキーボードで入力何度も失敗して、たったこれだけ書くのに思いっきり時間掛かってます。
早く寝ろって言う事です。 明日は朝母を空港に連れて行かなければならないので、寝なくては。


2002年12月20日

昨日寝不足気味だったのに、またしても朝4時半に起きてしまった。
睡眠時間4〜5時間でどのくらい続くのか興味が有るところです。
何しろ、寝るのが趣味という人間をずっと続けてきたのに、やっぱり「オヤヂ」いや、「ジジイ」になっているのかもしれません。
肩の痛みで目が覚めてしまうのも理由の一つですが。

さて、昨晩は女房の誕生日をパディントンにあるイタリアレストラン「Buon Ricord  」でささやかに家族だけで(4人)祝いました。
何しろパーティー嫌いの僕なので、僕自身の誕生日も家族だけでという主義をずっと通してきたら、家族の習慣になってしまいました。
娘が高校を卒業するまでは随分我が家でパーティーをやってたんですけどね。

さて、久し振りの「Buon Ricord 」、味はまあまあでした。
一応、シドニーにあるイタリアレストランではトップ3は無理でも、いまだ5指には入ると思う有名な店です。
最初に知ったのは、AGIP(アジップ)というイタリアのオイル(潤滑油)会社のシドニー支社長と知り合って、イタリア人にとって一番のお勧め「イタリア・レストラン」はどこかと聞いたら、即座にこのレストランをあげたのですが、いやしかしそれからもう10年近くたっているから、もっと美味しい店は沢山できているのかもしれませんが。

確か前には無かった「コース料理」があったので、頼んでみました。
デザートを入れて、7品なのですが注文してすぐに「あ、失敗したかな」と思いました。 
というのは椅子の形が悪くて、いまだに椎間板ヘルニアの問題が完全になくなっておらず、コースなんて高級レストランで注文してしまったら、もう「めまい」がするほど時間掛かるのではと思ったのです。

案の定、その日一番乗り(7時15分)で入ったのに、4品目が出た時には9時を回っていて、後3品いったいどのくらいかかってしまうのだろうと不安になりました。 当然腰に負担を感じ始め、しょうがないので5品目が終わった時に、席を外してレストランの外に出て、ストレッチしてました。
腰に来ると、立ってる方が楽な時が有ります。

最初の料理はズッキーニの花のテンプラ(テンプラと言うと日本料理に聞こえてしまうかもしれませんが、イタリアでも伝統ある調理法です)。 
これは昔も今も変わらず、ここの定番になっているのか。 
僕が昨晩一番気に入ったのは、手作りのフェタチーニをトリフの香り(トリフ油かな)で料理して、上に半熟目玉焼きが乗っかって出てくる料理。 それをボーイが目の前でパルメザンチーズを挽いて山のようにかけ、チーズが溶け始めたら大きなスプーンとフォークで目玉焼きをバラバラにしてチーズと絡め始めました。
ボーイが僕らのテーブルの上でその一連の作業をするので興味深く見ていたので、次からは自分で作れそう。

とにかくトリフの香りと、パルメザンチーズそして半熟卵が微妙に絡み合って、ダブルクリームなど一切使っていないのに、クリーミーでものすごく豊潤な味になっていて、感心してしまいました。
パスタの上に目玉焼きが乗ってるっていうのは、最初に見たら高級レストランなのに「えっ?」ていう感じ、まるで韓国の丼飯ビビンバみたいに聞こえるかもしれませんよね。

しかし一口食べたら、なぜ半熟目玉焼きなのかが納得できるのです。
(多分この目玉焼きを作る時にトリフの油で焼くのでしょう。 香りも最高)

今や世界的な流行となった日本の寿司や刺身の影響で、イタリア料理、少なくともこの店では決して昔には造る事は無かった料理が2番目に出て来ました。
それはブルーアイコッド(白身の鱈系の魚)とサーモンを小さなサイコロ状に切り、さっとレモンでマリネして、上にイクラをちりばめ、イタリアハーブとドレッシングであえたものです。
レモンとドレッシングの酢で多少白くはなっていますが、中は完全に生魚でイクラといいイタリア風刺身です。

途中でオーナーシェフが出て来て各テーブルを回って来たので話していたら、僕が日本人なので生魚の話題になりました。 このオーナーシェフ、日本料理の影響を自分から話し始めたのですが、一番美味い料理は出来る限り手を加えない事なんて言っておりました。

さて、最後のデザートが運ばれて来たら、なぜかロウソクが立っていて、大きく皿に Happy Birthday Lee!! 何て書かれています。(どうも娘が事前に頼んでおいたらしい)
その上、他のボーイも集まって「ハッピーバースデー」の合唱が始まって、他のお客も居る事だしと「赤面モノ」だと感じてたら、なんとそれから10分もしないうちにそばのテーブルでも同じように合唱が始まり、「あら私と同じ誕生日かしら」なんて女房が言っていたら、何と今度は我々の隣のテーブルでも合唱が始まり、レストラン中が誕生日パーティの様相。

決して大きくないその店で3テーブルも誕生日と言うのも珍しいと思うのですが、12月19日は生まれた人が異常に多いとか。(んなわけない)
まあこの店がそういう特別なオケージョンに利用されやすいのでしょう。

と、ここまで書いて今日書こうと思っていた「メルボルン事件」の事をすっかり忘れておりました。
これは明日か来週にでも書きます。

結局最後のコーヒーを飲み終わったのが10時半近く、僕にとっては料理は3時間が限度です。
よっぽど楽な椅子が無い限り、もう勘弁って言う感じで、昨晩も最後の方は苦痛になってしまいました。


2002年12月21日

昨日、日本へ発った母から無事到着の電話があり、案の定思いっきり寒いとの事。
なぜ今急いで日本に帰らなければならないのか理由が不明なのですが、やはりNHKが見えなくなったのは大きいと思います。
仕方なく、もう少し様子を見ようと思っていたのですが、アンテナ設置を注文してしまいました。

さてPC屋のジョンが明日、香港へクリスマス休暇に帰るので、愛犬「ボーイ」を我が家に預けに来ました。
我が家には初めて来たのですが、すぐに慣れてくれたようで、ひとまず安心。
明日から毎朝、愛犬ハナが生きていた当時、毎日通っていたローズベイへ「ボーイ」を連れて散歩に行く予定。

さて昨日書こうと思って書き忘れた、メルボルン事件について。

オーストラリアには「日豪プレス」という月間紙があります。 僕がオーストラリアに来た(1978年)時にはもう発行されていました。
オーストラリア最初の日本語新聞です。
当時はたった6ページだったか8ページだったか記憶が定かではありませんが、本当にミニコミ紙という感じでした。
しかし、在留邦人の数から言ってもダントツにオーストラリアよりも多かったイギリスにさえ、このような日本語の新聞はありませんでしたから、先見の明があったのかもしれません。

「日本語新聞がある」事自体驚きだったのですが、1980年に僕がオーストラリアに移り住んで来た当時でもまだ12ページ程だったでしょうか。 
じつは僕はオーストラリアに来てすぐに、その新聞のオーナー(日本人です)が売りたがっていると聞いて、話を聞きに行った事があります。
全く僕にとっては未知のビジネスなので、かなり悩みましたが結局は実現はしませんでした。

ちょっと話がずれてしまいました。 書きたかった事はそんなことではなく、その「日豪プレス」の12月号を見たら、例の「メルボルン事件」について記事が出ていました。
仮釈放が決まって、日本に帰る事になった女性へのインタビュー記事が、大きく2ページに渡って。

僕の記憶が確かなら、日豪プレスは今回のようにこの事件について深く踏み込んで、特集記事を掲載した事は無かったと思います。
事件としての記事は何度か登場しましたが。
僕が言いたい事は、せっかく永年オーストラリアで発行されている日本語新聞なのだからこそ、このような事件については裁判の不当性などをもっと突いた記事を書いて欲しかったと言う事です。

日本のメディアが、彼らが永年の服役の後やっと仮釈放が決まって日本に帰る時期に来て本格的に取り上げ始め、また全く無視を決め込んでいたオーストラリアのメディアも報道を始めたのですが、時期的に見ても日豪プレスには現地の日本語新聞という立場からもっともっと早い時期にしっかり報道してもらいたかったと思います。

もう随分前の(昨年だったか)の僕の日記にも、この日本人たちが受けた裁判の不当性は明白なので、その事について取り上げました。
僕は彼らが本当に無罪だったかあるいは有罪だったかは知りませんし、それを判断すして書くほどの情報を持っていません。

しかし、今度の日豪プレスにも出ていたように、警察の取調べから裁判進行に伴う正当性など、異常なまでのいい加減さについてはもっと早く書いて欲しかったです。
何しろ、警察での取調べのヴィデオが残っているそうですが、その中では容疑者として尋問を受けている日本人が言っている事を内容によっては全く理解できないオーストラリア人の日本語通訳が、「今言ってる事は分からない」と言っているのに、全く無視してどんどん進めてしまっているところまでヴィデオに映っているらしい。

僕の前の日記にも書いたように、オーストラリアで警察の尋問を受ける、裁判にかけられるというような場合、英語が全く出来ないと大変なハンディを背負う事になるわけです。
僕の手がけた裁判でも随分通訳の不手際で、歯がゆい思いをしたのですが、運良く僕は法廷に入って一緒に傍聴していたので、大事には至らなかった事が何度もあります。

裁判中に検事の質問(当然英語)を情けなくなるくらいレベルの低い(それでも一応通訳として国家試験は通っている)通訳が日本語に訳し、あまりにもその日本語が分かりにくいので、簡単に「いいえ」と否定すれば良いような元質問なのに、「????」と考えていてすぐに答えず、よく分かりません(そのおかしい日本語が分かりにくいから)と言っているのに、その検事の質問(英語の元質問)に対して、分かりませんと答えたとこれまた通訳が勘違いして、通訳してしまうという、全くもうメチャクチャな状況を僕は随分見て来ました。

昔の映画に「ミッドナイトエクスプレス」というのが有りました。
アメリカ人がトルコに行って麻薬密輸の嫌疑を掛けられ、トルコの地獄のような刑務所で服役するという実際のストーリーを元に作られた映画です。
オーストラリア人達はトルコなんかに行って捕まったら、とんでもない事になる、非人道的な野蛮な国だからという話が出て、映画についても随分話題になったものですが、じつはオーストラリアも全く同じ事をやってるんですよね。

日本語の先生で、亭主が日本人と言う我が女房でさえ、最近になってオーストラリアの新聞でこの事件が初めて報道されるに至り、「そんな酷い話はない!」なんて憤慨しているので、僕が日記に取り上げた当時話したのにと、少々僕は女房にもがっかりしております。(全然人の話聞いてなかったというか)

このような事は、日本でも起きているのかも知れません。 
毒入りカレー事件の判決を見ていても、状況証拠だけで死刑の判決というのはちょっと怖いです。
僕自信は彼女がやったと思っているのですが、それでも状況証拠だけ、自供も無く、証拠も無く、動機も特定できない中での判決で、死刑というのは色々考えさせられます。


2002年12月22日

本日は日曜日のため日記はお休みです。


2002年12月23日

本日より12月26日まで日記はお休み致します。

皆様、
Merry Christmas!!!

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(昨日からから3週間ほど居候に来た「ボーイ」です。)


2002年12月27日

皆さんクリスマスはどうお過ごしでしたか。 
女房がオーストラリア人、娘もイギリス生まれのオーストラリア育ちでは、いくらノンクリスチャンの僕でもクリスマスを無視するわけにも行かず、ショッピングなどの忙しさには人並みに巻き込まれていました。

今年のオーストラリアの経済は日本と違って好景気、ミニバブルだったために、クリスマス前の街の混雑は異常でした。               プレゼントやクリスマスディナーの材料を求める買い物客で、ショッピングセンターの混み方は,いままで僕がオーストラリアで経験した事の無いレベルでした。 

クリスマスイヴ前日のパラマッタにあるウエストフィールド・ショッピング・センターは24時間営業していたようですが、夜中12時過ぎても駐車場に入ろうとする車が長蛇の列で、これも僕には見たことの無い光景でした。(昼間はともかく夜中12過ぎの駐車場入り口ですから)
来年からはこのシーズンは混雑したシドニーを避けてどこか南の島にでも逃避した方が賢いかなと。 

さて、クリスマス当日は真に静かでした。 
娘は寂しいとこぼすほど。 今年は父はいないし、母も日本に帰ってしまい、気が付いたら我が家族3人だけでした。
毎年メルボルンから来る女房の姉一家も、今年は孫の出産が近づいているからとシドニーには来なかったのです。 
考えてみると、女房の父が生きていた頃には我が家へ13人もが集まってにぎやかなクリスマスを祝っていたものですが、義父が離婚した後他界し、年々人数が減っていき、今年は3人に。 
また僕らや義姉の孫がどんどん生まれる年齢になると、賑やかにはなるのでしょうが。

クリスマスの夜日本に電話を入れたら、我が妹のところも息子二人は休みに入った途端にスキーや海外旅行に出かけてしまい、全くクリスマスなんて関係ない雰囲気でした。 
あまりにも永く日本に住んでいない僕は、すっかり日本の習慣を忘れてしまっていたのですが、子供(小学生くらいまでかな)のいる家庭はともかく、一般的な家庭はクリスマスなんて関係なかったんですよね日本では。(クリスチャンを除く)

電話をした時に母に今晩は何食べたのと聞いたら、トンカツだったと言われ、一瞬「ハア?」って感じてしまったのものです。 
オーストラリアではクリスマスは日本の正月みたいなものです。
「おせち料理」のように少なくとも普段とは違いターキーや最近ではシーフードのエビやロブスターを奮発したり。
我が家でもちょっぴり贅沢に、色々料理を用意するのが当たり前になってもう30年近くも経つので、すっかり日本の事を忘れてしまっていました。 
茅ヶ崎のアパートの売却に伴って、日本に行かなければいけないと言って帰ってしまった母も、実はクリスマスはどうでもいいから日本の正月をちゃんと祝いたかったから早めに日本に帰ってしまったのかもしれません。 

オーストラリアにいたらせっかくおせち料理や雑煮を作っても、我が女房や娘は朝から(元旦の)そんなヘヴィーな物食べられないと言って、コーンフレークなどを食べてしまったりするのですから。
両親がオーストラリアに移り住んで来た当時は、一生懸命入手の難しい材料なども含め、おせち料理を作った事もありました。
しかし、我が娘など重箱の中に並んでいる小魚の甘露煮を見て、「きゃ〜!!!顔の付いた魚が一杯中に寝ている」なんて言って近寄らない始末。 
その上、真夏の暑い時には「餅」ってほんと似合わないんですよね。 

そんなわけで母もオーストラリアでおせち料理を作るのを止めてしまったものです。
正月は雪のちらつく中での「おせち料理」が一番似合うのでしょう。


2002年12月28日及び29日

昨日の日記は友人の家にディナーに出かけ帰って来たのが遅く、それから書き始めたのですが内容がすごく長くなり、あまりにも眠いので途中で寝てしまい、結局日曜日に更新ということに。

女房の誕生日(12月19日)プレゼントを何にしようか随分と迷い、なかなか「これは」という物が思いつかないので、今年はクリスマスプレゼントと一緒(ずるい!)ということにしてプラズマテレビを選びました。 
もちろんん僕も欲しかった(特にPCに接続できる点で非常に興味有ったので)のも、この高い買い物を決断するきっかけではありました。 
下手すると安い車が一台買えてしまう(オーストラリアでの価格の場合)このプラズマテレビ(正式には僕が買ったのはプラズマディスプレイ)についての購入顛末記を、今日と明日に別けて書いて見ます。 

今回この新しいテクノロジーで作られた製品を購入するにあたり、自分があまりにも無知だった事に気が付いたのです。 アナクロ、とアナログが合体したような「アナグロ」とでも言いましょうか。
いや本当、まさに目からウロコでした。 
皆さんにもデジタルテレビを購入する時の参考にしていただけたらと。

オーストラリアでは電化製品を購入する時には、いろいろな安売り屋を回って値段を比較すべきなのは当然ですが、今回は同じ店でも場所によって大きく値段が違うことを思い知りました。 
フランチャイズ制の店の場合、多少の違いは有るとは思っていたのですが今回購入した「ビン・リー」という店の場合、ボンダイジャンクションと「モアー・パーク」に有るスーパーセンター内の同じ「ビン・リー」でも軽く1000ドル以上の値の開きが有って、将来の買い物の時に気をつかねばと痛感しました。

僕は普段テレビはほとんど見ません。 ニュースと好きなF−1などのスポーツ中継をチョコっと見る程度。 PCの前に座ってる時間の方が断然長いです。 
女房はテレビっ子で、夕食後はほとんどテレビかDVDを見てる、もしくはテレビの前で趣味のアクセサリーを作ったりしています。 
ですからこのプレゼントには大いに喜んでくれました。 
女房がいつも見ているテレビは、確かソウルオリンピックの時に購入したもので、68センチの大きさはともかく、オーストラリア製(パナソニック)でかなり「くたびれ」てきて、古さを感じさせていたのです。 

昔の日本製のテレビの方がもっともっと「持ち」が良かったと思います。 この経験も今回の購入に当たって重要な要素の一つになりました。
昔はテレビやヴィデオデッキなどは日本製が世界に輸出されていましたが、東南アジア製の値段について行けなくなり、大型テレビ(68センチでも当時はそう呼ばれていた)でも韓国のメーカーの脅威にさらされるようになり、値段を抑えるために松下はオーストラリアでテレビを作り始めた時期がありました。 
僕はそれほどその辺の事情が詳しくないのでこの日記を読んで間違いがあったらどんどん指摘していただきたいのですが、僕の独断と偏見ではこのオーストラリア製というのが、そもそも大間違いだったと思っています。 

それよりもっと安く作れる東南アジアの方が、工場で働く人たちの手先のレベルも上で、より安くて高品質(日本製と比べるわけには行かないが)な物が作れたと思います。 
ひょっとすると当時オーストラリアでは自動車のようにテレビの輸入にかなり高額な関税をかけていたのかもしれません。 
ちなみにその当時には68センチのテレビはもう日本製は買えなかったはずです(パナの場合)。 

我がオヤジは絶対に日本製でなければと言い張っていたものですが、今から考えると他のメーカーを調べるなりして日本製を買うべきだったかもしれません。 
さて、今回どこの製品を購入しようか随分迷いました。 全く突然にプラズマを購入しようと思い立ったので、予備知識は全く有りません。
すぐにインターネットで日本の値段を調べたり各社の仕様を比較したり、全くの付け焼刃ではありましたが、できる限りの情報は入手したつもりでした。 

つもりでしたと書くのは後ほど詳細は書きますが、結局購入した製品には80%は満足はしていますが20%の不満があり、これがひょっとしたら失敗だったかもしれないと感じているためです。
この点は、アナログからデジタルへ移行する過渡期の問題でもあるようですが、これも詳細は後述
各店を見て回って製品を比較してみると、大きく別けて日本製と韓国製が売られていました。 どうせ高いものを買うのだから、ましてや新しいテクノロジーで作られる製品だからオーストラリア製のテレビの時のように価格に惑わされて同じ失敗をしまいと決めていましたので、韓国製は最初から念頭に入れていませんでした。 
それでも日本製とは価格差があまりもあるので、グラっと来た時もありました。 

日本製を比べてみると「富士通」製品の画質が特に素晴らしく、僕には群を抜いて見えました。 店員に聞くと、どうやら富士通が(プラズマに関しては日立との合弁会社であることを後にネットで知る)プラズマテレビでは多くの特許を持ち、先駆けて開発していたようです。 
確かに同じプラズマなのに画質の差は明白で、特に横に韓国製品などが置いてある場合には同じプラズマかと思うほどの差が有りました。 

で、結局「富士通」製の42インチを購入しました。 今オーストラリアで売られているプラズマで値段的にはソニーと並んで高額ですが、どうやらソニー製品は「富士通日立」が作っているようです。 
さて、結局どこよりも安かったモアー・パークにある店で購入して、さてどうやって持ち帰るかということになりました。
普通は店が配送してくれることになっているのですが、そうすると女房がいる時に配達されて来て、一発で僕が何を買ったのかが判ってしまいます。
女房の誕生日プレゼントで、誕生日の当日に贈ろうとするにはこの馬鹿でかい箱を隠す必要があります。 
運良く我が家にはステーションワゴンがあるので店で車に積んでもらい家まで帰ってきたのですが、何と女房がいます。 
箱の上にシートを被せ、ワゴンに近づかないように言いました。 

後で聞くと、女房は僕がプレゼントを買ってきたのだろうとはすぐ分かったが窓越しに見えるシートにカバーされたものが大きい箱なので、自転車が入った箱だと思ったそうです。 
僕が最近自転車にハマっているので女房にまで自転車を買ってプレゼントにしようとしたと勘違いし、大いに困ったそうです。 
実は女房は自転車乗れませんから。 

車から運び出すのも一苦労で、女房が風呂に入っている時に娘と母に手伝ってもらい3人で家の中の隠せる場所に移動させました。 
プラズマは重量自体はそれほど重くなく、せいぜい30キロを切る程度でしょうが箱自体が大きい。 
これが普通のテレビだったら80キロはあり、もう完全にお手上だったでしょう。 

さて、今日の話の本筋に戻ります。 
買ってからプラズマにはプラズマ・テレビとプラズマ・ディスプレーに別けられていることを知りました。(ちなみに日本の価格コムなどのサイトでも富士通製は出ていません) 
全く僕は混同してしまっていて、買う前に判っていたらひょっとしたら富士通は買わず「日立」か「パイオニア」を購入していたかもしれません。 

なぜなら、チューナーなどの機器を別に買わなければならないというだけでなく、「富士通」だけがディスプレーに徹していて、普通のテレビのように使用するには「ちょっと」と考える理由がいくつかあるからです。(後述)つまり富士通だけがコンピューターのモニターのように、つまり本体に繋がなければ何も映らないディスプレーに徹しているようです。
逆にPCにも繋ぎたいという僕の用途にはぴったりだったのですが。 
入力方法にしても富士通製はRGBのコネクションがが2つもあるだけでなくDVI−Dのコネクションもついていますから。

しかし今回一番驚かされたのはオーストラリアでのデジタル放送でした。何と日本よりも1年以上進んでいるのです!!! 
僕はある程度オーストラリアではデジタル放送は始まっているだろうとは予測していましたが、シドニーで見える地上波の全ての局がすでにデジタル放送をしていると知って、まだ来年からしか始まらない日本を考えると、まさに驚きでした。 

この続きはまた明日のに日記に。


2002年12月30日

今朝は鳥のさえずりに起こされてしまいました。 
と、書くと随分気持ちの良い目覚めのように聞こえるかもしれませんが、まだ夜が明けるか明けない頃、朝の5時前くらいから異常なまでにビャーギャーガーと鳥が鳴くので、ビックリして起きてしまったほどでした。 
朝女房も鳥のうるささに文句を垂れておりました。 

山口県にいる母方の叔父がオーストラリアに遊びに来た時に、あまりにも鳥のさえずりがすごいので、朝ビックリして起こされてしまい、いまだに当時のことを振り返って「あれには参った」言うほどです。 
叔父の住む山口県の山陰などシドニーと比べたらもっと田舎のはずなのですが、これほど野鳥のさえずりは無いとの事。 
シドニーはもっと自然が残っていると言う事なのでしょうか。 

しかし今年は鳥のさえずり騒音は特に酷く、これはひょっとするとあまりにも干ばつが進んでしまっているので、野鳥が緑の残っている都会へ押し寄せて来ているからかもしれません。

さて、昨日の続きです。 
テクの事ばかりが網羅されている日記になりそうです。 興味ない方には失礼します。
この日記でプラズマテレビ(モニター)の事をしつこく書くのは多くの驚くべき(僕にとってですが)発見があるからです。
その一つが昨日も書いたオーストラリアの方がデジタル放送に関しては日本より進んでいるという事実です。 

女房の誕生日に箱を開けたのは良いが、僕の予想とは裏腹に初めてPCを購入した時のようなてこずり様に、信じられない思いでした。
PCが中高年層に普及しないのは、テレビのように簡単ではないというのが大きな理由の一つですが、アナログからデジタルに切り替わるこの「デジタルの夜明け」では、デジタル放送も全く同じ問題が山積しているようです。 

その最大の原因を作っているのが、じつは「日本(政府+NHK)」であると思い始めました。 このプラズマテレビを含め液晶テレビやハイデフィニションテレビ等など、ほとんど総てが日本から作り出されているのに、日本の(政府+NHK)の失敗で、デジタル放送に関して大きく西欧に遅れを取っているのです。 

ここでいう失敗とは。 NHKが何年か前に打ち出した将来のテレビ放送構想において、日本独自のハイヴィジョン方式を選択し、これを推し進めていったのです。 
ところが途中からこのNHK方式よりも「デジタル」の技術で同じ高品質の画像が簡単に提供できると明白になってきた時に、自分たちの舵取りの誤りをすぐにそこで修正せず、金ばかりかかるが意味の少ないNHKハイヴィジョン開発を止めなかったのです。 

これはまさに日本のここ10年ほどの経済政策に酷似していて、政策の誤りが明白になってきた時に、(責任を負いたくないために)方向転換をせず、そのまま進めてしまうというようなものです。 
銀行処理の問題や不良企業についても、いくら資金を突っ込んでも何ら解決できない、抜本的な政策に切り替えるべきなのに、ずるずると間違いを続ける、そのような感じと言ったらよいのかもしれません。 

で、デジタルの話の戻ると、そんな理由で日本製のデジタル放送に関する機器の開発が欧米のメーカーと比べて遅れを取っているのです。 
今までの「株式会社日本」のイメージからすればオーストラリアにも遅れを取っている事自体が大いに驚きなのです。 
ですからデジタル放送に必要な機器がアメリカ製かヨーロッパ製ばかりであるために、「高い、信頼性が無い、ユーザーフレンドリーでない」の3拍子なのです。 
安い、使い勝手の良い、デジタルチューナーなどが無いために、今回のプラズマ購入に伴ってセットアップにこれほど四苦八苦させられてしまったという事なのです。 

あ、勘違いして欲しくないのはこのようなテクの問題で四苦八苦するのは僕にとってはほとんど快感と言って良く、設定が難しければ難しいほど、のめり込みそうではあります。
一つの例を挙げます。 
オーストラリアには(シドニーには)5の地上波テレビ局が有ります。 
で、全部の局がすでにデジタルで放送をしているのですが、音声に関してはテレビ局ごとに違うフォーマット(MPEG1、MPEG2、AC−3の3種類)を使っています。 
そのためにチャンネルを切り替えると音声のレベル(音量)が低かったり高かったりで、その度にリモコンの音量調整を強いられるのです。 
で、これはまだまだ規格が統一されていないと言う理由も有りますが、どうやらデジタルチューナーのバグではないかという意見もあるのです。 確かにドンピシャに音を設定すると、5.1チャンネルなどのサラウンドサウンドが楽しめる程素晴らしいのですが、しかし各局の音量をある程度同じレベルにするには、チューナーの中のオーディオフォーマットの出力を手動で(自動から)設定しなおしてやる必要があったりします。 

もし日本の(頭の良いメーカーが多いですから)メーカーがとっくにデジタル放送に取り組んでいたとしたら、このような問題は存在していないと思います。 
つまりテレビ局の使う機器(つまり出力側)からして、規格が統一されているだろうし、受け側(つまり聴視者)のチューナーもそんな設定などしなくとも均一な音量で聞けているはずだからです。 

凝り出したら止まらなくなる自分は(多分大きな欠点)これらの問題を解決するために、あるサイトを見つけ、そこのフォーラムに参加しそこで話し合われている事から多くの事を学んでいます。 
そんなことをしなければこのデジタル放送の良さを100%生かせないというところが、問題なわけで(僕にとっては楽しみかな)一般に普及するには随分と時間が掛かるだろうと考えます。

一般に普及する原動力になる、「誰でも簡単に使えて価格の安い機器」を作るメーカー(つまり日本韓国台湾など)がいまのところ無いのですから。 

もう一つの例をあげます。
それはケーブルテレビです。 プラズマで見るデジタル放送というのは目から鱗が落ちるほどの画質の素晴らしさがあるのですが、いまだアナログでしかシグナルを送って来ないケーブルテレビは極端に貧弱に見えるようになってしまったのです。 
普通のアナログのテレビで見ていた時には、外のアンテナから取った画質よりもケーブルで家まで直接引き込まれた画像の方が何倍も良く、屋根にあるアンテナなんか必要ないから棄ててしまおうと思っていたのです。

ところがデジタル+プラズマに切り替わった途端にもう見るのも嫌な程ケーブルテレビ(OPTUS)の画質が悪いのです。 
これもアナログからプラズマにうまくコンバートするような機器(今はVCRに繋いでコンバーターの役目をさせてい)が無いためですが、ケーブルテレビもデジタルシグナルを採用すれば問題は一挙に解決なのですが、それは当分先の話のようです。 

PCのグラフィックカードで有名なカナダのATI社が北米でケーブルテレビのこの問題のために製品を開発中というニュースを上記のフォーラムで本日読んだばかりですが、そういう意味でもデジタルはまだ夜明け前なのかもしれません。

続く


2002年12月31日

いよいよ今日は大晦日。
という事で今年1年を振り返ってみると、我が55年の人生の中でも特にこの「2002年」は決して忘れる事の出来ない年になるのは間違いないと。

父の死、愛犬の死、そしてそれに関係有るかの如く次々と起きた体の不調。 肉体的に自分の老いを、はっきりと自覚させられた年でもあります。
父の葬儀をオーストラリアだけでなく、日本へも出かけ慌しい1年でもありました。
新宿のホテルで父のお別れ会(偲ぶ会)を無事終えたその晩に、父の興した会社の現社長から電話があり、何と!その会社が整理される事になったと聞いた時には、運命さえも感じました。
「偲ぶ会」でその現社長とは同席していたのですが、とてもそんな席で言い出せる内容ではなかったと言われました。

父はオーストラリアに住みに来るために会長職を退いたのですが、それからすでに15年も経ってはいましたが、今の日本の景気の状況から、亡くなる直前まで自分が作った会社の動向を気にしていたものです。 
また先日には日本の友人からの情報で、父の建てた家(つまり僕が生まれ育った場所)がついに解体されることになったと聞いた時には、本当に運命を感じたものです。

僕の思い出が一杯詰まったこの家は、父がオーストラリアに来る時に売却したのですが、購入した会社が経営上のトラブルでその後転売し、何度か持ち主が変わっても全く無人家の状態が続き、現在も当時のままで荒れ果てていたバブルの後遺症そのままのこの家が、ついに解体が始まるとの事。 
父の死んだその年に父の「創ったもの」が次々と消えていくなんて偶然とは考えにくいですな。

こう書き始めると次から次へと今年起きた事が思い出されます。
女房の車が2度もぶつけられたり、暗い思い出のほうが多いので、振り返るのはこれくらいにして来年に期待したいと思います。

しかし暗い事ばかりではなく、父の葬儀に駆けつけた叔母には約30年振りに会うし、また日本では友人達のお陰で42年ぶりに小学校の同窓生に会う事が出来、それはまた素晴らしい思い出になったのですが。
そうそう娘のために家を購入したのも今年でした。 父は娘の家探しが一向に実らないので、亡くなる寸前まで気にしていましたっけ。

いやほんと、将来自分の人生を振り返った時に、多分真っ先に思い出す年でしょうな、この2002年は。

来年2003年はもう少し穏やかな年でいて欲しいと願っています。

では皆様、良い年をお迎えください。

 


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