2002年2月後半の日記
2002年2月16日
PCの前にいると、隣で女房が冬季オリンピックを見ています。
先日の日記にも書いたように僕は興味が無いのでほとんど見ないのですが、海外でオリンピックを見るといかにフラストレーションが溜まるか書いてみます。
PCを立ち上げて、インターネットに繋ぐと最初のページがMSNのJAPANになっていて、必ずその日のニュースが目に飛び込んできます。
その日も日本の男子フィギュアスケートのショート・プログラムで本田選手が2位でスタートと出ているのが目に入った時に、ちょうどオーストラリアのテレビでもやっていました。
多分時差の関係で、オーストラリアでは実況は無く、録画した物なので、編集してあるわけです。
で、その男子フィギュアー・スケートではオーストラリアの選手(中国系)を最初に見せるのは理解できるのですが、なんと他に見せたのは1位の選手と4位の選手。 本田選手は2位なのに全く無視。
誰が2位なのかも言いません。
男子スピード・スケートの500mでも、清水選手は優勝は逃して銀メダルだったのですが、そのレースも数秒しか見せません。
夏季オリンピックなら陸上の男子100m決勝と互角の種目なのに。
そんなわけで見ても面白くないので見ないと言うことになるわけです。
それよりもそのMSNを見ていたら、フィギュア・スケートのペアでカナダが銀メダルから金に格上げになったと出ていました。
審判に談合が有って、意識的にロシアのペアに勝たせた(つまりフランスの審判がわざとロシアに勝たせるようにした)と言う事が書かれていました。
そのペアの演技も偶然横で女房が見ていたのですが、なぜカナダが銀でロシアが金なのかと女房が文句を言っているのをおぼえています。
談合と聞いてビックリ。 日本の土建屋さんみたいですよね。
それにしてもああいう演技に対して点をつけて、順位が決まるというは、僕は大嫌い。
絶対におかしいと思う事が多々有ります。 それが今度の事で見事に証明されたと言うか。
いかにオリンピックが商業主義などに毒されて腐敗しているかの証明でもあります。
で結果が出た後に判定が変わって、繰り上げなんて事がまかり通るのなら、シドニーオリンピックの柔道の重量級だったかで、審判(ニュージーランド人だったかな)の判定をめぐって、大いに揉めましたよね。
これも後から覆される事も可能だったと言う事なのでしょうか。
今日のニュースを見てとても不思議に感じます。
今度の冬季オリンピックがカナダの隣国アメリカで行われているので、カナダペアに対する判定をめぐってプレッシャーが大きかったというのも有るのでは。
僕にとっては競技の結果などどうでも良いのですが、コスチュームについて一言。
その金に変更になったカナダのペアのコスチュームチラッと見ましたが、すごく新鮮でとても感心しました。
フィギュア・スケートのコスチュームと言うとほとんどステレオタイプでちっとも新鮮味が無いのですが、今まで見た事の無いカジュアルっぽいコスチューム良かったです。
2002年2月17日
先週の日曜日にも書きましたが、本日日曜日の日記はお休みさせていただきます。
毎週日曜日は、お休みする予定です。
2002年2月18日
政治家はどこの国でも二枚舌がお得意のようで、オーストラリアでもボートピープルの扱いをめぐって、閣僚たちの大嘘がすっぱ抜かれ、毎日新聞の一面を飾っています。
「難民」、オーストラリアでは Asylum-seeker
という言葉をよく使います。
政治的亡命希望者とでも訳せばよいのか、ボートに乗ってかなりの数がオーストラリアを目指しているわけです。
(僕自身はこの「政治的亡命」という使い方にはちょっと抵抗はあります)
オーストラリアは「国民の意向」として、これらの「難民受け入れ」には否定的であり、政府の対応もそれに順ずる形になっています。
「国民の意向」といっても、大多数の意見というほどではなく、かろうじてマジョリティーを確保している状態(もちろん州によって大きく違うが)です。
この難民の取り扱いについては、賛成派との喧喧諤諤の議論が新聞紙上で展開されています。
で、今回の「大嘘」はそれらのボートピープルがオーストラリアに受け入れてもらいたいがために、ボートで漂着してきた時にオーストラリア海軍の軍艦の目の前で、自分たちの子供を海に突き落とし、人道的見地からオーストラリアの海軍が彼らを海から拾い上げざるをえず、保護したというものです。
つまり、オーストラリアの政府としては、漂流してくるボートピープルと言うのは、それほど「非人道的」な輩ばかりであると、オーストラリア国民に印象付けるのを目的として、海に落ちている子供を救助しているオーストラリア海軍の撮影した写真を公表したのです。
ところがその現場にいた兵士たちの中には、それが全くのデタラメで、政府発表の写真もそれらしく見える部分だけを編集して出していることにすぐに気が付きました。
もちろん、海軍の中には本当の事を公表すべきであると、メディアに公表しようとする者も出てきます。
中にはその時軍艦に乗っていた良心のある海軍軍医が事実を公表する動きを見せたのですが、すぐに左遷されてしまったのです。
当然メディアが何かが隠されていると察知するするところになり、何度も記者会見やラジオ番組のインタビューなどで、追求されますが「全く一点の曇りも無い事実」として、子供が親たちに海へ突き落とされた事ばかりを強調し、他の写真の存在さえ否定してきました。
ところが事実は、大いに違ったのです。
その時現場では船自体が沈みつつあり、難民の親たちはせめて子供たちだけでも救おうと、そのオンボロ船に積んである数少ない救命胴着を子供に付け、沈み行く船から切り離していたのです。
やっと暴露されて出てきた写真(本日の朝刊の一面に)には、船尾が半分すでに海に沈み、救命胴着のない親たちはまだ船にしがみついている場面が出ています。
つまり、オーストラリアの政府はそういう状況の写真などすべて見た上で、「嘘」をでっち上げ、事実をひた隠しにしてきたのです。
それも昨年の10月以来長期に渡って。
で、オーストラリアの首相は彼自身は全ての写真は見せてもらっていなかったと、この場に及んでも言い逃れしております。
う〜ん、なかなかのもんですな、オーストラリアの政治家も。
さて、我が娘の就職の件いまだに迷っているようですが、とうとう医学研究所の方にしたようです。
正式にいつから(多分3月からでしょう)仕事が始まるとかの詳細は、僕は聞いていないのですが。
一応彼女自身の判断で出した結果ですが、女房は喜んでいるようです。
2002年2月19日
数日前に父が突然日本に行くと言い出しました。
胃癌が見つかって以来、大分衰弱も進み、毎年3月の日本行きは今年は、どうしたものかと考えていたところだったのです。
で、「なぜ急に日本へ?」と聞くと、「薬が無いから」と言うのです。
「え?」って感じで、何の薬か聞くと、「強力わかもと」だと言う。
「日本から持って来たこの胃腸薬が、もうそろそろ底をつきそうで、オーストラリアでは売っていないから、日本に帰る」と言うのです。
医者が処方した、癌のための薬ではなく、市販の胃腸薬が無くなるから日本に帰ると言うのもなんだかと思っていました。
確かに最近は食欲がだいぶ落ちてきて、食事をしても食べ物が胃の方へ落ちて行かないとこぼしていました。
考えてみると、昨年10月のがん発見以来、朝昼晩夜と毎日かなりの量の錠剤を医者から呑むように言われていたのですが、その薬のためか最近すっかり食欲をなくしていました。
偶然、オーストラリアに来る人がいて、その人に頼んだらその胃腸薬を持って来てあげると言ってくださったので、「渡りに船」とすぐにオヤジに、「強力わかもと」どんなビンを頼んだら良いのと聞くと、何と「キャベジン」のビンを持ってきてもらいたいと言うのです。
なんだか言っている事が良く分からないのですが、どうも「わかもと」は量多く飲まなければならず、キャべジンなら2錠で良いからというのです。
で、明日日本からその「キャべジン」を持って来てもらう事になったので、当分日本には帰ると言い出さないと思ったら、何とやはり3月には日本に帰ると言い張るのです。
つまりオヤジはどうしても日本に帰りたいのです。
親父の顔を見ていると、まるで血の気が無い真白な顔で、死期が近づいているのをいやがうえでも感じさせられます。
これを「回帰本能」とでもいうのでしょうか。
(「回帰」という語彙が正確な表現ではないかもしれないが。)
今日本に帰ってもすぐには日本の健康保険は適用されないし、日本で倒れて入院という事態になったら、僕らも助けに行けないし、多分それが最後になるというのは目に見えているのですが、やはりどうしても帰りたいようです。
毎年春、日本へ夫婦で帰る時期が近づいてくると、決まって母が早く帰りたいと言い出すのが通例でした。
寒いのが苦手なオヤジは、それほど日本に帰りたいという感じではなく、母が「せがむ」からその時季、一緒に帰るという状態だったのです。
ところが今年は様子が違います。 母としても親父の様態を心配して、少し日本が暖かくなった頃に、医者に相談してから決めたらというつもりだったようです。
父を見ていると、海外で暮らす人間が自分の死期を悟った時に、どういう行動に出るかの一つの例になるかもしれません。
日本では「畳の上で往生したい」という表現があります。
やはり人間、自分の死に場所は「ふるさと」なのでしょうか?
以来僕は、自分自身が年老いて親父のような状況になった時のことを含めて、その「回帰」ということをずっと考えさせられています。
今の自分は、日本に帰りたくなるとは到底思えないのですが、こればかりは断言できないと言うか。
鮭が生まれた川に戻ってきて産卵後、生を全うするように、ひょっとすると人間にも同じような本能が存在するのでしょうか。
オヤジを見ていると、「日本で往生するために帰る」というのがはっきり見えて、何か怖いです。
2002年2月20日
本日はオヤジを連れて、ホームドクターの池亀先生のところへ。
日本に帰りたがっていると言うと、今の状態ではかなりのリスクになり、医者としては反対と、即座に言われてしまいました。
まあ当たり前の事なのですが、その上最近は食意欲が阻害されるからと胃の治療薬もちゃんと飲んでいないことを話すと、先生かなり険しい顔で、また倒れて入院という事になりますよと、まるで小学生を諭しているように言ってくれたのですが、多分オヤジは聞かないでしょう。
だいたい自分の体なのに、薬を飲んでいない事さえも、僕が言うまで隠しているし、やはり人間歳をとると判断力が落ちて、子供のようになってしまうようです。
つまりこれも回帰の一つなのかもしれません。 子供の頃、つまり生まれて育ったところに戻りたくなるというような。
一応3月5日に帰ると言い張るのを、3月下旬くらいまで様子を見るようにと、少し帰るのを引き延ばす事にはシブシブ承諾させたのですが、明日起きたら、すっかり忘れてまた3月5日と言い出しかねません。
で、この3月5日って、全く何の根拠も無いんですよね。 ただ単に頭に「3月5日」ってひらめいたようなもんで、しかしもうその3月5日が絶対に帰る日になってしまっていて、血液検査もそれにあわせて早めにやらなければとかとなってしまう。
さて、もう一人の家族である我が娘は、とうとう決断を下して、就職先を例の医学研究所にしたようです。
この決定には、僕は一切プレッシャをかけませんでした。
女房は、プレッシャーと言うほどではないが、結構研究所の方を勧めていたので、娘のいないところで、嬉しそうにニコニコしております。
娘は随分メディアのほうにも未練は有ったみたいで、3月にこの研究所の仕事が始まるギリギリまで、今のメディアのコースを続けるそうです。
この医学研究所の仕事と言うのは、オランダから帰ってきた博士と新しい研究テーマに取り組むために、ゼロから立ち上げるとの事。
つまり今行われている研究に新入りとして参加するのではなく、研究用の機械設備の選定など、研究室を作る段階から始めるとか。
研究内容はどうも癌細胞関係のようです。
オヤジの僕にはあまり話したがらないのですが。
偶然と言うか、同じ家族の中で癌にかかって死がそこまで来ている人間がいて、方や学校を卒業して、社会人として世の中に出るのが、癌の研究をするという。
2002年2月21日
先日の日記にオーストラリアでは冬季オリンピックは、それほど盛んではないので、テレビ中継もそれほど多くなく、オーストラリア人の選手中心のため、日本の選手の活躍などほとんど見る機会も無いと書きました。
オーストラリアの気候風土から言っても、やはり夏季オリンピック種目の方が盛んなはずで、今まで冬季オリンピック大会で金メダルを取得した事は全くありませんでした。
ところが、少々訂正しなければなりません。 先日の男子スケートに続いてスキーでも女子が金メダルを取得し、今大会現在のところ金メダル2個も獲得してしまったのです。
男子のスケートは多分に運が良かった面もありますが、女子は実力を120%発揮して取得したようです。
オーストラリアの国民は大喜びで、そのニュースに沸いています。
その一方、今日現在(21日)日本国は金メダルゼロ、どうも今回は期待を大きく裏切っているようです。
つくづくオーストラリアの国民はスポーツに才能が有ると痛感させられます。 つまりそれぞれの種目のオーストラリアの選手層は、例えば日本などと比べても、雲泥の差が有るはずで、本当に少ない選手たちの中から、金メダルを獲得しているわけです。
前にもモーター・スポーツに関連して、オーストラリア人のスポーツに対する才能に触れた事があったかと思います。
このサイズの国民人口数で、プロアマ問わず、世界で活躍する選手の多い事。
これはひとえに、スポーツに対する考え方の違いによるのではないかと考えます。
日本では、「勉強が良くできる」、「有名大学に入学する」、などを至上と考えている人が多く、高校に入ったらスポーツを真剣にやっているのはほとんど特殊な例で、受験地獄に勝ち抜くのがまずは最重要課題。
そんな環境の日本では、プロ野球やプロサッカー選手にでもなろうというのは別として、スポーツよりも勉強が大事。
ところがオーストラリアでは勉強ができるのも、スポーツに秀でているのも全く同等に評価されます。
娘の通っていた高校は平均的なオーストラリアのレベルと比較しても、かなり勉強に力を入れていましたが、それでも水泳などを筆頭に多くのスポーツにおいて活躍する生徒達は、学校から表彰を受けるだけでなく、他の生徒たちから、多くの尊敬を集めていました。
日本とオーストラリアを比較すると、この分野で両国がいわゆる対極に位置するので、非常に興味深いところです。
思うにスポーツをやる動機というのが根本から違うように感じます。
日本では「かっこ良さ」などの表面的な判断で始める場合が多いのではないか。 それも一つの動機として否定するわけではないが、真剣さや、持続性においてどうしても弱いのではないかと感じます。
良い例がモーター・スポーツ。 「見た目のかっこ良さ」で、「僕もレーサーになりたいっ!」てのがきっかけで始めた場合、ジュニアからセニアへとステップアップに伴って、肉体的なハードさや精神面のタフさが要求される事に、ついて行けなくなる。
つまり、世界に出て行かなければならなくなってきた次元で、延びるどころか、かえって萎縮したり実力を発揮できなくなる。
そういう意味で、今年からF-1のジョーダン・チームに乗る佐藤琢磨選手は今まで出てきた日本のレーシング・ドライバーとは一線を画するのではないかと、大いに期待しています。
彼は日本で高校時代自転車の全日本チャンピオンと聞いています。
つまり彼は、「日本のドライバー」の中では異色なのです。
自転車競技といえば、ましてや全日本チャンピオンといえば、かなりの過酷なトレーニングに耐えてきたはずで、その「スポーツ」の延長上で、レーシング・ドライバーを選んだとすれば、これは欧米の著名なドライバー達とも互角に渡り合える可能性が充分あるはずです。
今までのプロを目指す、日本の若きドライバーたちははっきり言って「カッコ」から入ってきたのばかりが多くて、他のプロスポーツ選手たちと、体力測定の比較をしても、目も当てられないレベルだったとか。
と、何やら冬季オリンピックの金メダルの事から、話題はどんどんと横道に逸れてしまっていますので、今日はこのへんで。
2002年2月22日
日本にいる友人達と、電子メールなどを含めて色々情報やり取りをすると、日本の「IT化」がいかに遅れているかが分って、驚愕する事が有ります。
昨日も日本からオーストラリアに遊びに来た友人と話していて、その話題になり、今日はそれについてちょっと書いてみます。
その友人は日本で有数の広告代理店に勤めているのですが、彼らの上司たちの非能率さ、「非
IT さ」について話をしてくれました。
もちろんこのような事を聞くのは初めてではないのですが、職種が「広告代理店」って、まさに「IT」では最前線のはず。
例えば僕と同じ歳頃の上司は、電子メールを受け取ると、いちいちプリンターでそのメールを印刷してから読まないと気がすまない。
で、そのメールを彼の部下にも読ませたい場合、何十人かの部下に全て印刷して配るのだそうです。
もう聞いてて笑ってしまいました。
僕のHPを読んでいてくれている方々は、当然日ごろからインターネットに親しんでいるはずなので、もうお分りかと思いますが、何という無駄なのでしょう。
その上司はメールを部下に転送すれば、印刷する手間も時間も経費も必要なくなるわけです。
確かに僕くらいの年齢のオジサンたちは、コンピューターの箱の中に入っている物よりも、紙に印刷された物の方が安心なのかもしれません。
多分「バックアップ」と言う概念もお持ちではないのでしょう。
まあこれはほんの一つの例ですが、似たような事が沢山横行しているようです。
日本の大手広告代理店でさえこの調子なら、言わずもがな、日本の不況がいつまでたっても明るさが見えてこない原因でもあると思います。
先日の日記で書いたニッサンの合理化と同じように、日本にはまだまだ合理化の余地のある企業が山ほど有るはずです。
しかし、職種によってはいまだに外国企業の脅威を直接受けないので、危機感が希薄なのかもしれません。
「IT
化」が進むと、すぐにでも不況から脱する事ができるとは思いません。 むしろ逆で、一層の失業などが増えるのは明白です。
しかし「IT」に関しては、もう戻れないのです。
海外の競争相手がどんどん「IT化」も含めて合理化を進め、日本企業と競争してくる時代には、もう一歩も後には引けないのです。
「IT
化」によって進む失業者の増加などを乗り越えた時代に、新しい時代の幕開けとなるように思います。
日本のオジサンたちも、少しはインターネットでもして、コンピューター恐怖症から脱してもらいたいと、願っております。
2002年2月23日
前の日記に書いた、「教会の牧師の猥褻行為」に関する話題が、またまたオーストラリアのメディアを、賑わせています。
実はいまだにオーストラリアは英国の属国で、エリザベス女王の任命する「Governor
general
(日本語では総監か)」が象徴の代理として、君臨しています。
「象徴」ですから、形式的に存在するはずですが、いまだにオーストラリアの首相の首を挿げ替える立場である事も事実です。
実際、1970年代にオーストラリアの時の首相「Gough Whitlam」の首を切りました。
今は時代が違いますから、そのような決断は考えられませんが(内政干渉)、しかしそのカードはいまだに持ちつづけています。
さて、現在の「Governor General」は名前を「Peter Hollingworth」と言います。
彼はエリザベス女王に「Governor General」に任命される前に、ブリスベンの(Church Of England)大司教(Archbishop)をしていました。
イギリス正教の大司教として、イギリスから赴任してきたのです。
その後、エリザベス女王に、総監になるように要請されます。
その大司教時代に彼は、彼の傘下の数名の牧師達のセックス・スキャンダルを無視、もしくはもみ消し続けていたのです。
被害にあった少年少女や彼らの親たちが訴えても、一切何もせずそういう事実は一切ないという態度をとり続けていたのです。
前の僕の日記には、その被害者たちが裁判闘争を続けている事に関して書いたのですが、現在のオーストラリアの首相である「ハワード」も、それに関しては何のアクションも取っていませんでした。
さすが保守党の党首というか。 何しろ彼はイギリスべったり、オーストラリアがイギリスから離れて共和制へという動きを潰した張本人。
何十年にも渡って、そのような被害者がいたわけで、その被害者の一人が当時仲の良い同級生に被害の内容を話していて、その同級生が成人して、政府内のある機関に勤務する事になり、政府の内側からそのようなスキャンダルの事実が明るみに出されるようになってきたのです。
その被害者の女性がまだ15歳のころに、被害を訴えた時にこの当時大司教だったPeter Hollingworth は、「男はたまにはそんな事やるもの、しょうがない」という、なんとも開いた口がふさがらない態度で、加害者の牧師に対して何のアクションも取らなかったそうです。
先日のボート・ピープル(難民)の件で政府がついた嘘、そのスキャンダルの熱も冷め切らないうちなので、ハワード首相も今ごろになって「事実解明」に向けて動くという態度を表明しています。
この「教会の牧師」が若い少女や少年に(この場合はホモ行為で)性的虐待や猥褻行為をしていた(いやまだどこかで続いているでしょうが)という暗い長い歴史は、オーストラリアの最大の恥部の一つです。
こういう人間が、オーストラリアでは(形の上だけだとしても)「Governor General」として首相よりも上の位置に存在するというのは、悲しいものです。
こういう事が明るみに出ても、女王をトップにいただく、コモンウエルス制を守ろうという国民の数の方が(僅かだが)多いのが、今のオーストラリアなのです。
2002年2月24日
本日日曜日の日記はお休みさせていただきます。
(日曜日定休日状態です)
2002年2月25日
先週の週末に日本から来たお客さんを連れて、シドニーの名所「ブル−・マウンテン」に行ってきました。
随分久し振りだったので、途中で間違えて早めに左折してしまい、ウオーター・フォールのほうに行ってしまったり。
この写真は、中でも有名なスリー・シスターズ(3 Sisters
)
という、エコーポイントから見える岩。 残念ながらこの写真では本当の雄大さがあまり出ていません。
上の写真をクリックして見てください。 この三つの岩を3人の姉妹に見立てた「お話」は今日は割愛させていただきますが、その向こうに遠く霞む山々がブルー系に見えることから、ここがブルーマウンテンと呼ばれるようです。
さて、毎年この時期になると女房が教えている「日本語の生徒たち」の作文が僕のところに回ってきます。
高校卒業前に大学入学のために全国共通試験があり、その中で使うためです。
もう少し詳しく書くと、その全国共通試験では国語や数学などの必須科目以外に、自分が選んだ科目、つまりこの場合は「日本語」の試験の中の「Speaking Skills」 の試験で必要になるのです。
オーストラリアではペーパー試験以外に、聞き取りやスピーキングの試験も重要な位置をしめていて、それぞれの生徒は自分で選んだ題材について、2人の試験官相手に喋ります。
喋る時間は大体2〜3分で、その後喋った内容について今度は試験官が(もちろん日本語で)質問をします。
質問をするのは二人の試験官のうち一人だけで、もう一人は主に採点を行います。
全てその内容は録音され、他の試験官も交えて公正な評価がなされます。 ですからこれから今年年末に行われる試験に向けて、その題材の内容を練り、よどみなく試験官相手に喋り(発表するということ)、その後に試験官から聞かれるだろう質問を想定して、その答えを勉強するわけです。
今日はその一人が書いてきたものを下に付けてみました。 最初にお断りしておきたいのは、これが最初の原稿で、これに枝葉を多少付けて2〜3分のスピーチの長さにしていくわけです。
これを書いた生徒は女房に言わせると、今まで女房が教えてきた生徒たちと比べて、平均的かそれよりも少し低いとの事です。
ですから決してうまいのをわざわざ選んでここに載せているわけではありません。
また、この生徒達はまだ日本語を習いだして、今日の時点で1年と1ヶ月なので、ほとんど漢字は習得していません。 読み書きの試験も含めてこれから年末に向けてどんどん習得していかなければなりません。
今この日記を書きながら女房に聞いたところ、「ひらがな」つまり「あいうえお」は最初の1ヶ月で習得してもらうそうです。
もちろん最初は全員全く日本語を聞いた事も無い生徒たちですから、全くの、「無」の状態から、「あいうえお」を始めているのです。
下の文は「ひらがな」が多く、間違いも有り読みにくいかと思いますが、書かれている内容は全てこの生徒の本当の事なので、僕にはそのことも興味深いです。
つまり、彼女は英語も無の状態でオーストラリアに来ているわけです。
「きしゅくしゃ」は寄宿舎(寮)のことです。
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きしゅくしゃのせいかつ。
1996年、私は小学校六年生の時にはじめてオーストラリアに来ました。
ホンコンのともだちが外国の学校に行ったので、私もオーストラリアでべんきょうしたかったです。
それでシドニーの学校のきしゅくしゃに入ることになりました。
その時きしゅくしゃにすんでいた小学校6年生はぜんぶで8人だけでしたが、今きしゅくしゃにすんでいる高校3年生は私をふくめて、ぜんぶで20人います。
はじめてきしゅくしゃに入った時はほかの5人とあいべやにすんでいました。
しかし今は自分のへやがあります。 せまいですが、ベッドとつくえとおしいれがあるから、しずかにべんきょうすることができます。
オーストラリアに来た時に私は英語を話すことができなかったから、みんなはとてもしんせつで、ゆっくり話してくれました。
英語ができるようになってから毎日はとてもたのしいです。
母と父はいまでもホンコンにすんでいるから、もちろんときどきさみしくなります。
年に4かい学校の休みがあるから、私がホンコンにかえらないときには、母がオーストラリアに来てくれます。
きしゅくしゃのせいかつで私のどくりつせい(じりつせい)がつよくなったのはよかったと思います。
その上いろいろな国の人とつきあうことができて、オーストラリアの学校に来てほんとうに良かったと思っています。
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多少字の間違いを僕は直していますが、ほとんど原文のままです。
「どくりつせい」や「じりつせい」は彼女が辞書を引きながらどっちにしようか、迷っているので、カッコに入れたままです。
香港からオーストラリアに親元を離れて一人で留学に来るのは、結構います。
で、彼らは最初は英語との戦いです。 ホームシックとの戦いも有ります。またお気づきかと思いますが、必須科目である国語はオーストラリアは英語なわけで、その国語の試験を現地オーストラリア人の生徒と同じレベルで競争するわけです。
その上、たった13ヶ月でここまで日本語を書けるのですから、たいしたもんだと思うのですが、女房に言わせるとこの程度では平均くらいとの事。
(女房の評価は彼女の今まで教えてきた生徒たちとの比較で、オーストラリア全体ではこの子のレベルはかなり高いほうだと思います)
なかなか厳しい現実です。 確かに数年前に僕が見た作文はあまりにもすごくて、我が両親にも見せた事が有ります。
たった13ヶ月でこれほどまでの日本語が書けてしまうのかと、驚愕したのですが、彼女は予想通り、その年の日本語の科目で全州一番の成績でした。
オーストラリア生まれの白人の生徒も日本語を取る子は沢山います。
しかし、東南アジアからの留学生達は僕よりももっと日本の音楽の影響を受けているので、(スマップとかなんとか色々好きな日本の歌手たちがいるようです)日本語をおぼえたいという興味が強いようで、その点日本の若いバンドや歌手には全く無関心(というよりも全くメジャーではないので)な白人の生徒よりは、アドバンテージがあるのかもしれません。
2002年2月26日
昨日日本にいる幼馴染(小学校が一緒)から突然メールをもらって、娘さんをオーストラリアに短期英語留学させたいとの事。
この手のリクエストは定期的に来ます。 それほどオーストラリアが英語留学先として人気があるのか。
はたまた僕が昔、そういう関係の仕事をしていたから、頼むのならあいつが一番と思われるのか。
確かに911テロ以来、留学に子弟を外国に出すなら、オーストラリアの方が安全という考えは増えているのかもしれません。
今回のリクエストは、大学生の娘さんを2〜3週間、日本の夏休みの間に現地の家庭にホームステーさせながら、英語学校に短期留学させたいというもの。
この手が一番多いです。
たった2〜3週間で英語が身につくかという議論は今日は置いておいて、
そういうリクエストに対する僕の返事を、今日は少々書いてみます。
まず英語学校数ですが僕の住むシドニーには山のように有ります。
どの学校を選ぶべきかというような相談が実は一番答え難いのです。
それは、評判の良いと言われている学校でも、教えている先生は何人もいるわけで、たまたまその子が入ったクラスの先生と馬が会わない事もある。
逆に評判決して良くないのに、その子のレベルで入ったクラスの先生が良かったら、その子にとってはその学校の評価は上がるわけで。
その子が男の子で、先生が若い美人の先生だったりしたら、評価がもっと上がってしまったり。
それより何より悩むのがホーム・ステーです。
これが本当に難しい。 なぜならホーム・ステーというのは当たり外れが大きいからです。
2年前に我が甥が日本から二ヶ月英語留学に来て、ホームステーした時の事を書いてみます。
最初に入ったのは東南アジアから移民してきた家族。 オーストラリアの特徴として移民が多いので、この手のホームステーも結構あります。
そこの家族の子供たち(もう大学生ですが)は完全にバイリンガルで喋る英語もオージー・イングリッシュ。
ですからそこの家庭に入れば子供たちと英語を喋る機会も多いのではないか、という期待でした。
ところが、大学生の息子たちはほとんど家にいない。 夕方食事の時に一緒にいても、一家が揃う時には英語ではなくその出身国の言葉で皆喋っている。
逆に彼は疎外感を味わうことに。 で、食後は子供たちは自分の部屋に入ってしまうか、外出してしまう。
我が甥が期待していた「オーストラリアの家庭」とは程遠いので、別のところに移りたいと言ってきました。
紹介した学校は、すぐにハイハイと別の家庭を出せるほど沢山ホームステー先のストックを持っているわけではないので、次の所が決まるのは2週間近く待たなければなりませんでした。
で、今度こそ正真正銘のオーストラリア人というリクエストに答えて学校が紹介してきたのは、イギリス系のおばさん一人暮らし。
一人暮らしなら夕食の時も2人で喋らなければならないから、英語を使うチャンスは沢山あるのではないかと期待したのです。
ところがこのオバサン非常な潔癖症で、その上被害妄想というのか、ある晩甥が夕食を外で友人たちとって、10時ちょっと前に帰ってきたら、何とそのアパートの入り口のドアーが開かない。
カギはちゃんと回るのですが、ドアがどうしても開かない、でしょうがないのでノックをして自分部屋に入ってしまっていた彼女を呼んで開けてもらったら、なんとドアの内側に机をわざわざずらして、バリケードのように置いてあったのです。
これにはさすがに甥も驚いて聞いたら、一人で暮らしてきた経験から、不安なのでそうするとの事。
で、甥をホームステーに置いたが、その晩いつ帰ってくるか分らないのでやはりそうしたというのです。
その問題以外にも色々有ったのですが、結局そこも出ることに。
最後に入ったのは、オーストラリア人の40歳くらいの女性と、その恋人のところでした。
最初は中年夫婦で子供はいないところと聞いていたのですが、正式な夫婦でなく、同棲でもない。
その恋人(男)がたまに訪ねてくるという家だったのです。 その上、他にもホームステーを二人も置いていて、皆日本人の学生。
最初にそのことを聞いた時に、甥は日本人同士でどうしても日本語を使ってしまうのではないかと危惧していたのですが、すぐにその2人の日本人は学校の終了と共にその家を去り、次に入って来たのが韓国人の学生と確かスイスからの学生。
当然彼らとコミュニケートも英語です。
その家庭の女性(ホストマザーというのか)は非常にざっくばらんで、儲け主義ではなく、という事は食事のメニューにも結構金のかかった材料を使い、またたまに来る恋人の男も、いいところを彼女の前で見せようとするのか、その学生たちを連れて色々シドニーを案内したりして、我が甥はいっぺんに気に入ってしまい、学校が終わっても日本に帰るギリギリまでそこにホームステーしていました。
このように、ホームステー先というのは千差万別、一つとして(当然ですが)同じものは無いわけで、当たり外れも運次第。
上に書いた我が甥の経験で言うと、移民家族の家も、一人暮らしのオバサンの家も、最後の家もそれぞれオーストラリアを象徴しているのです。
我が甥の場合は2ヶ月以上いたので、その間に学校に頼んで、ホームステー先を変えてもらうことが出来ましたが(多少待たなければならなかったが)、たった2〜3週間ほどのホームステーなら、気に入らないといってもすぐに次のチョイスがどんどん出てくるわけではなく、あっという間に終わってしまうのです。
気に入らないところにシブシブ最後まで入っているのも、一つの経験かも知れませんが、オーストラリアの印象が余り良くないままに日本に帰ってしまうのも、なんだか考えさせられます。
たった2〜3週間の英語留学の事でも、書きたい事が山のように出てきて、止まらないので、一応今日はこのへんで区切りをつけて、また明日続きを書くかもしれません。
2002年2月27日
昨日書いたホームステーについて、もう少々書いて見ます。
昨日書き忘れた大事な事からまず。
日本から来る留学生を置くホームステーというのは、原則として商売であるという事。
つまり、チャリティー団体主催や姉妹校同士の交流、またライオンズクラブなどのようなお互いの会員の師弟交換のようなものでは決してないという事です。
当然それぞれの家庭の事情によりますが、原則的に学生を置くことで収入を得ることが目的なのです。
その辺を根本的に勘違いして来る人がいます。
それは、その家庭が東洋(この場合は日本ですが)に興味があるので、若い人をお世話してみようと、受け入れていると思い(期待し)、日本からわざわざその家庭の家族のために、日本独特な民芸品などのお土産を抱えて来て、その家族にプレゼントしたら、「えっ?あっどうも」って受け取って、そのままどっかにしまってしまった、なんてことはよく聞きます。
つまりその家庭にとっては、空いている部屋があるので、そこに食事付きで学生を置いたら、収入が増えるというつもりだけで、何の興味も無い日本のわけの分らない置物を贈られても、最初から飾る気などさらさら無い。
贈る側に学生にとっては、最初から出鼻をくじかれたような気になるわけです。 確かに日本で外国からの留学生をホームステーさせるというのは、そこの家庭が例えば英語に興味があるとか、特定の国の文化に接したいというような動機でやるわけで、副収入を得るために下宿人を募集したら、たまたま外人だったというような事はほとんど起りえないのです。
ですから、日本から来る学生は、日本で外国からの留学生をホームステーさせている家庭を想定して来る事がよくあります。
そこの家族との団欒で、お互いの国の事を話し合ったりするチャンスはイコール、英語の練習にもなるという期待で。
本当に残念なのですが、そういう期待のギャップというようなものが誤解の原因にもなります。
つまり、なんかの理由で自分は好かれていないのではないかと悩んでみたり。 ましてや英語はほとんど出来ない状態で来るわけですから、誤解は中々解けないし。
誤解して欲しくないのは、そういう収入のためにやっている家庭というのが良くないと言っている訳ではなく、本当に仲良くなって日本に帰る時には分かれるのが辛くて涙さえ浮けべてしまう子がいるのも事実です。
しかし考えてみても毎月毎月外国から留学生が入れ替わり来ていて、別れのたびにそこの家庭も一緒になって涙を浮かべると言う事はまあ考えられませんよね。
我が甥は三番目に入った家庭が大いに気に入ってしまったようで、翌年そこの家庭にまたホームステーしたいがために戻ってきました。
その時には、日本から彼自身が電話をかけて予約をし、滞在中すっかりそこの家族の一員のようになっていました。
つまり、例えチャリティーのような無料のホームステーでもトラブルが出るときは出ますし、甥が泊まった家庭のようにもう何年も常時3人も学生を置いている、ほとんどそれを主収入にしているような家庭でも馬が合えばとてもうまく行くわけです。
最後に最も大事な事をひとつ。
オーストラリアでは、「お客様は神様ではない」国なのです。
ましてやホームステーのような場合、夜の食事を急に友達と外で食べる事になって、その家庭で食べないと決めても、「今晩はいりません」の連絡を入れない、「私はお金を払っている」のだから、なんていう態度を取ろうものなら、確実に嫌われます。
2002年2月28日
実は昨日の日記をアップしてから気が付いたのですが、ちょうど一年前の昨日がこの日記を始めた最初の日でした。
本当にあっという間に1年が経ってしまったと感じています。
毎日毎日駄文を並べていますが、お付き合いしていただいてる皆様には大変感謝しております。
ほとんどが即興で大体30分前後で書き上げてしまう僕の日記。
書き始めた昨年の今ごろを思い出してみると、このHPのタイトルにもなっている「MAGPIE」のピーちゃんと同じように、生まれたばかりの若い雛が今年も我が家に猫の餌を失敬しに数羽遊びに来ています。
ピーちゃんはある日突然来なくなってしまい、事故にでも遭ったのではないかと心配しています。
やはりあれほど人間に近づいてい来る「マグパイ」は今年の雛も含めてもう出現しないでしょう。
毎日日記をつけるという習慣の無かった僕ですが、こうやって振り返って見ると、中々いいもんです。
特に最近は歳とともに、忘れっぽくなってきているので。
日記を付け出したのは、一つには昔お世話した事のある若い人たちからメールをいただくようになって、それに返事を出すのが楽しみではあるのですが、何しろダラダラと書くのが好きな僕は、1通が非常に長くなる事がある。
で、ある時日記風にこのHPの中で自分やオーストラリアの現況なども書けば、長いメールを何通も書く必要がなくなると、何とも不精な考えもあって始めたのです。
ところが、確かにその企みはうまく行ったのですが、今までもらっていたメールの数がめっきり減ってしまいました。
つまり一方通行になってしまい、僕からは誰が見に来てくれているか分りませんから、メールをいただかない限り彼らの近況などが判らない状態になってしまいました。
たまにメールをいただいて、久しぶりで近況など聞いてみると、僕の日記の方はほとんど読んでいてくれて、彼にとっては毎日会話しているつもりで、僕の近況もすっかりご存知でと言う事がよくあります。
しかしこの日記を始めた事で、小学校時代の親友や、一時期連絡が全く途絶えていた友人にも再会でき、本当に嬉しい限りです。
女房にはすっかりコンピューターオタクと言われてしまって、「ほとんど亭主の後ろ頭しか見てない」と言われる始末。
実はこの日記のために費やす時間は先ほども書いたようにせいぜい30分前後なのですが、ほとんどがネットで遊んでいる時間が長い。
インターネットの出来るこの箱(つまりPC)はまさに「魔法の箱」なのです。
僕が日本人で海外に住んでいるから特に強く感じるのかもしれませんが、この箱の中には全ての情報が詰まっているのです。
それは、「大図書館」のようでもあり、たったクリック一つで、必要な情報、知りたい知識、全てが瞬時に分るのです。
毎日の生活においても、光熱費の支払いから、銀行の出納。
その上最近は自分の気に入った服までネットで買っています。
実はネットのほうが30〜50%安く買えるのです。
何にでも好奇心を抱いてしまう僕は、この「魔法の箱」のお陰で瞬時にして全てを手に入れることができるように(それがバーチャルな世界としても)感じてしまいます。
この日記、2年目からも日曜日以外は毎日アップする予定です。
皆様これからも宜しく。