2004年7月後半の日記

by tom tanabe                        マグパイへ戻る


2004年7月16日

まず最初に、
オーストラリアに住んでいる方へちょっと気になるニュースが。 
それはオーストラリアの「ヤカン」についてです。
こちらで使われている「ヤカン」は電気式が多いのですが、(僕の2001年9月3日の日記参照ください)昨晩の「チャンネル9のカレントアフェアー」を見ていた女房はビックリ。 

なんと元同僚の先生が出ている。 その先生(女性)は過去何年もの間、非常に体の調子が悪かった。 理由は判らないのだが、毎日「だるく」ベッドから起きるが嫌になるほど。
また肌アレルギーも有ったようです。 
医者に行って色々調べるも原因が判らず、問題が解決しないので精密検査を受けたら、彼女の髪の毛から大量のニッケルが見つかった。 で、そのような量のニッケルが頭髪に含まれているという事は、毎日の飲み水に含まれているはずだという事になった。
しかし、シドニーの水道水は問題ないので、毎日使っているヤカンを調べたら、学校で使用しているヤカンで、何と許容量の22倍ものニッケルが溶け出している事が判った。 

つまりオーストラリアで使用されている電気式のヤカンの多くは、中にニクロム線というのかエレメントが入っていて、それが水を熱してお湯を作る仕掛けになっている。 
そのニクロム線(エレメント)の中からニッケルが溶け出していたとの事。学校で使用しているもう一つの別メーカーのヤカンでも許容量の2倍が溶け出していたらしい。 

しかしここまで読んで勘違いして欲しくないのは、全てのメーカーの電気式ヤカンが危ないというわけではないということ。 
そしてこのヤカンが原因だという説に異を唱えている医者もいるという事。 
つまりそのようなニッケルは含有量の差は有っても、珈琲にもティーにも含まれているのだからと。 

しかしオーストラリアの金属工業会は、ニッケルはそれほど危険な物ではないとしながらも、このニクロム線をニッケルメッキする事は控えた方が良いと発表しているようです。 
この元同僚の先生は毎日少なくとも6杯のティーを、このヤカンでつくって飲んでいたとかで、かなりのヘヴィードリンカーではあったのですが、それほど飲まなくともやはり気にはなりますよね。 
しかし我が家は偶然2年程前に電気式ヤカンだがニクロム線(エレメント)が剥き出しになっていないタイプを使い始めています。(2003年5月8日の日記にその写真が有ります)

この問題のヤカンについて、番組ではメーカーの名前をはっきり言わなかったらしいが、かなりの安物(ボディーはプラスティックのタイプ)らしい。 気になる方は今使っているヤカンのメーカーに問い合わせたら良いと思います。
ちなみにこのヤカンの問題は日本にいる方には無縁です。
このような電気式ヤカンは日本では販売されていないはずなので。

さて、曽我ひとみさんがインドネシアのジャカルタで家族と再会というニュース、1年9ヶ月ぶりとかですが、家族は曽我さんの変化にビックリしているでしょうな。 
僕は、父が他界した一昨年に一時帰国し、親戚や父の友人を御呼びして「偲ぶ会」をやったのですが、その時に彼女を含む5人の拉致被害者が小泉首相の北朝鮮訪問で帰国する事になった時と偶然重なったのです。 
当時、テレビをつければ毎日毎日そのニュースに溢れていたのを憶えています。 
で、僕はその後すぐにオーストラリアに戻ったので、たま〜に母の見ているNHKで、拉致被害者達のニュースは見る程度、さすがにオーストラリアのテレビではニュースにはならないので、ほとんど曽我さんの姿を見ていなかった。 

で、今回再会が決まって、彼女の姿が映し出される機会が増え、またオーストラリアでもこの再会の記事がシドニーモーニングヘラルド紙にも掲載されて何度か曽我さんの姿を見ると、彼女の容姿の変化にビックリさせられました。 
う〜ん、やはり日本は豊かな国なんだと。 こういう書き方は失礼かもしれないが、とても「ふっくら」されてますよね。 
化粧も板についているという感じで、これがニュースではなく、いきなり彼女の写真を見せられたら、一昨年北朝鮮から帰国してタラップを降りてきた女性と同じ人だとは到底思えないでしょうな。 
この2年近く、日本では拉致関連のニュースはしょっちゅうやっちたでしょうから、曽我さんの変わり様はあまり気がつかない方も多いでしょうが、ほとんど見ていなかった僕には別人のよう。

曽我さんの最近の姿を見て、ある意味これこそが両国の貧富の差かもしれないな〜と僕は感じてしまいました。 
ジェンキンスさんと娘さん達も日本政府が用意した飛行機からジャカルタ空港に降りて来て、彼女の変化には結構ビックリしていたのではないかと。 
このニュースを一緒に見ていた母に僕は「ひとみさんのあまりの変化に家族は彼女を認識できないのでは」と冗談を言ったら、最近は結構ボケが入っている母は「あらそうかしらね、でも多分大丈夫よ」なんて言っておりました。 
「そんな失礼な事言わないで。認識できるに決まってるじゃない、いつもそういう馬鹿な冗談ばかり言うんだから」ってのを母の口から聞くのを僕は期待していたのですが、これからはあまり冗談も言えなくなりそうです。 
このひとみさんの変化を見ていて昔ワーキングホリデーでオーストラリアに来ていた人を思い出しました。
彼女は日本の地方からワーキングホリデーヴィザを取得して、オーストラリアの家族にオペアとして入ったのです。 
紹介するホストアファミリーの選択など、オーストラリアに到着した時からお世話をしていた僕は、彼女がその家族と生活を始め、大変うまく行っているのに安心していました。 
一点を除いては。 

それは彼女の体重の増加でした。 
オーストラリアに着いた当時彼女は、中肉中背、しかしオーストラリアの標準ならちょっぴり細めかなという娘さんだったのですが、食生活の変化が彼女の体重に大きく影響を与え始めたのです。 
これはオーストラリアの家族に、オペアで入った女性全員に言えるわけでは有りませんが、しかしこの傾向は結構あるのです。 
もちろんその人の体質にもよるのですが。

その彼女は日本で自活していて、自分で食事を作るのはあまりやっていなかった、コンビニなんかでほとんど済ませていたタイプでした。 
そう当時は今ほどコンビニの弁当も種類も豊富ではなく、リッチでもなかったのでしょう。 
で彼女、月末苦しくなると、インスタントラーメンかカップ麺で済ませていたなんて、いまだに良くあるパターンだと思います。 

こういうような生活をしていた娘さんがオーストラリアの家庭に入ると、まず一番最初に戸惑うのが肉料理など結構高カロリーな食事を取る事。
しかし、それほどの満腹感を感じないと言う事なのです。 
つまり日本では洋風のおかずでもご飯は必ずついてくることが多いでしょ。 だからその米の飯によって胃に入る量(溜まる量)が増え、満腹感と言うか食べたい量を取ったという感じがするわけです。 

ところがステーキにサラダなんかだと、取るカロリー数は高いのに、それほどの満腹感が無かったりします。 
そこで出てくるのがデザートなんです。 特にオーストラリアのデザートは量も多いし甘さも日本よりうんと強め。 
食事でそれほどの満腹感が無いから、デザートが「バリバリ」入ってしまうんですよね。 「おかわり」してしまったり。 
特にアイスクリームなんて大きなコンテナー入りのをオーストラリアの家族は買うから「おかわり」はいくらでも、なんて事になる。 

たった3ヶ月ほどのオペア生活でも10キロ以上増加なんて珍しく無かったです。 
で、中にはそのホストファミリーとすっかり馬が会ってしまって、結局1年近くいたなんて娘さんの中には、到着当時の面影をほとんど残さないまでになってしまった子もいて、本人も「日本に帰ったら家族に認識してもらえないよ〜」と、冗談とも本気ともつかない悩みを言う子もいた。 

今回の曽我さんがこの同じパターンだとは思わないが、確実に北朝鮮にいたときとは摂取するカロリーが違うのは明白でしょ。 
何十キロも体重増加して日本に帰った子が数年後にオーストラリアに旅行で遊びに来ると、これまた見事に体重元に戻ってたりするので、やはり北朝鮮と日本との差程ではないにしても、確実にオーストラリアと日本の食生活のカロリー差は有ったはずです。
しかし、最近は日本とオーストラリアの差はかなり近づいてるんでしょうね。  

それでは皆様良い週末を。


2004年7月19日

日本は豪雨で大変な被害が出ているようです。
干ばつのシドニーも珍しく週末からずっと本日も雨ですが、降ったり止んだりのシトシト降る雨で、残念ながら貯水量が一挙に増えるほどではありません。
まったく、日本であんなに雨降らさないで、少しはオーストラリアの方で降らしてもらいたいものですが、こればっかりは。

それにしても、このところのシドニーの寒さと言ったら。 
3日も太陽が顔を出さないと一挙に大地が冷やされてしまうのか、はたまた日曜日からの強風で、体感温度の関係かとにかく、日本の暑い夏が恋しくさえ感じられます。
何しろ「寒がり」なもので。 暑いのは気にならない体質は父に似たのかもしれませんが。

それで思い出した事が。
オリンピックの開催も近づいてきましたが、半月ほど前に「低酸素トレーニング」というのをNHKやっていました。 
これはアテネオリンピックに向けて、日本の代表選手たちのトレーニングの一環としてやっているものらしい。
マラソンの選手等が高地トレーニングといって、海外の標高の高い地域で合宿するというのは良く聞きます。
つまり標高が高い、酸素が少ないという事で「低酸素トレーニング」になるわけですが、これを人工的に作り出してトレーニングに使っているのです。

で、水泳の選手も酸素の量が少ない空気を送り込むマスクを着けさせて、特殊なプールと言うか水槽で泳がせて、この「低酸素トレーニング」を行っている映像が映し出されていました。
この効果は絶大なようで、自分の記録を短時間のうちに次々と塗り替え、オリンピック代表に選ばれた選手の話など、とても興味深い物でした。

つまり簡単に言うと、酸素が少ない状況でトレーニングする事により、筋肉の疲労を回復させるヘモグロビンの酸素を取り込む機能の増大というような事らしい。
で、これを見ていて僕の子供時代を思い出した。

僕は子供の時から寒がりで、冬は暖房をガンガンかけていた。
しかしその時代の暖房といえば、石油ストーブか、もしくはガスストーブを使っていたものです。
つまり、それらの暖房機器というのは、酸素を燃やす物であった。 
ですから、換気が悪いと部屋の酸素をその暖房機器が燃焼のために使ってしまうんですよね。

子供の時にはセントラルヒーティングなんて無かったから、当然暖房の効率を上げるために、ドアや窓などは締め切ったままだったわけです。
東京育ちだったので、真冬でも一晩中暖房をつけっぱなしというほどの事は無かったので、安全のため寝る前にはとりあえず、ストーブは消して寝ていたわけです。
ところが中学に入り、夜更かしも多くなり、また試験勉強などで夜遅くまで起きていることが多くなった。

当然寝るまではストーブをつけっぱなしにしていたわけですが、今考えると僕に与えられていた部屋は洋室だったのですが、非常に換気が悪かった。
いや、悪いというかもう全く空気の出入りはドアーの隙間くらいしかなかった。 つまり真冬にストーブをつけっぱなしで夜遅くまで勉強している時は常に酸素不足状態だったんですね。
だから、いくら遅くまで勉強しても頭に入らなかったのではないかと。 
まあ生まれつき頭が良い方ではないのが原因ともいえますが、少なくともその酸素不足は勉強にはプラスにはならなかったはずです。

日本の冬は長いので、少なくともこの酸欠状態というのは毎年3ヶ月は続いていたのではないかと。
で、試験の結果(特に冬季の)は芳しくなかったが、しかし知らず知らずのうちにこの「低酸素トレーニング」状態だったのではないかと。
だから僕はろくにトレーニングなどしなかったのに、学校の体育の時間などで長距離を走らされると、えらく成績が良かったのはないかと考え始めた。

中学、高校では多少柔道をかじった程度、特に走る練習などをしなかったのに、体育の時間などで長距離を全員で走らされると、常に3位以内だった。 いつも勝つのは卓球部の「A君」で、彼はしょっちゅうトレーニングの一環で、長距離を走っていた。 もう一人陸上部の「A君」それと僕の3人が常に群を抜いていた。
なぜふだん走る練習をしない僕が彼らと一緒のレベルで走れるのか、自分でも不思議、というより当時は自分には長距離の才能があるくらいに考えていたが、このNHKの番組を見てひょっとするとこれは「低酸素トレーニング」のお陰だったのではないかと。

トレーニングといえば、洋弓の方は自分の歳もかえりみず、あまりにも射り過ぎたために、肩を痛めてしまいました。
で、考えると嫌になってしまうのですが、歳のせいか回復が非常に遅い。一週間ほど完全に射るのをやめても全く回復の兆しが無いので、練習しながら回復させようかと、軽い練習をしてても全く安定して射れない。
どうした物かと、悩んでおります。 歳なんですね〜。
このように寒いと回復も遅いのかもしれない。 ここが日本なら絶対に温泉治療とかに行ってると思います。

「千と千尋の神隠し」を観て、日本の温泉に行きたくなりました。
このアニメの事は明日書きます。


2004年7月20日

さて昨日の続き。
先日の日記に、娘が僕を映画に誘ったので観に行ったら、それが「宮崎アニメ週間」だったと書きました。 
最初に観たのが「風の谷のナウシカ」だったわけですが、すっかり気に入ってしまった僕は、次の週にも「紅の豚」を観に行った。 
で、評判の「千と千尋の神隠し」も観たいと思っていたが、残念ながらその映画館ではもう終わってしまっていた。 

レンタルビデオ屋ででも捜してみようかなと考えていたら、僕のこのホームページをご覧になっているオーストラリア在住の方からメールを頂いた。 
シドニーの中華街に行けば日本のアニメなどが入手可能との事。 
そう言われてみると、確かに中華街の方では音楽CDやDVDなど販売している店が有るのは知っていたが、興味が無かったために入った事が無かった。 
ほとんどが中国語で書かれているので、日本のものも有るだろうとは思っていたが、どれが日本のだか良く判らない。 

で、頂いた情報を元にさっそくチャイナタウンに出かけました。 
シドニー中華街の中心ディクソン・ストリートは、駐車が困難な事もあって最近はすっかりご無沙汰していたのですが、鳥居のすぐ近くの店に入ると、もう「ずらーっと」音楽CDやヴィデオ等と一緒に山のように並んでいる。
しかし、全て中国語で表示されているし、この手の店は初めてなのでどれが宮崎アニメだかわかんないんですよね。 
何とか見つけたらDVD6枚組(?)だったかの全作品集は有ったのですが、150ドルと安くないし(その時には日本のアニメの値段って全く知らなかったんです)、僕の一番観たい「千と千尋、、、」がどうも入っていない。
その上、僕はもう他の2作品を観ているので「全集」でなくとも良い。 

で、単品を捜すのですがどうしても見つからない。 
仕方が無いのでその店を出て他を捜していたら、パン屋の横に小さな店が有るので、「アニメーション」は有るかと店番のオヤジに聞くと「アニメー????」なんて、全然通じない。 
そうここはシドニーなのですが、中華街の中では英語通じない店一杯有るんですよね。 
そのオヤジはえらく下手な英語で「ミュージックだけ」とか言ってる。 

そうかこの店は音楽CDしか置いてないのかと思いながら、ふと店の奥の方を見ると「千興千尋」って書いてあるんですよね。 
何だ!有るんじゃないかって言いながら、手にとるとそのオヤジ「カーツーン」って言ってる。 
まあCARTOONではあるけど、アニメーションでも通じると思ってたんですけどね。 
見ると一本が15ドル、もう一本買うと二本で25ドルになるって書いてある。 
う〜ん、この値段なら安いと他も捜すと、「魔女の宅急便」と「猫之報恩」いうのが出てきた。 

結局3本買って帰宅、さっそく「千興千尋」をDVDプレーやーに入れると、字幕は中国語と英語から選ぶようになっているので、英語を選択、音声は日本語で観賞しました。 
いや〜、良かったです。 僕こういうの大好きです。 

昔「オズの魔法使い(ジュディー・ガーランド主演1939年作品)」を見た時のような感激が蘇りました。 
1973年に女房の実家を訪ねて僕はオーストラリアを訪れていた。
ある晩女房の友人で映画評論家の「デイビッド・ストラトン」と飯を食っていて、今晩ダブルベイに映画を観に行こうと誘われた。
その晩(1973年)観たのが、1939年度制作の「オズの魔法使い」だったのですが、いや〜「ぶっ飛び」ました。
日本では1939年当時上映されたのかわかりませんが、この映画については全く予備知識ゼロだったので驚きましたね「オズの魔法使い」。
「心に残る映画を10本」といわれたら、確実に「オズ、、、」は入るでしょうな。
(今、ネットで検索してみたが、日本で最初に上映されたのがいつだか不明、この映画戦前日本で上映されたんだろうか)
同じ年に制作された、「風と共にさりぬ」や「駅馬車」「嵐が丘」など等は、超有名ですが、僕が子供の頃にこの「オズの魔法使い」が再上映されているというのも記憶に無い。

それにしても日本がパールハーバーを攻撃する第二次大戦前の1939年って、ハリウッドでは素晴らしい作品が沢山制作されたんですね〜。
今この日記を書くために検索したら、上記の作品以外にも「チップス先生さようなら」や、もう書ききれないほどの有名作品数。
この作品群を見ただけでも桁が違うというか、日本軍勝てるわけ無かったなと妙に感心してしまいました。

さて、話を「千と千尋、、、、」に戻すと、このアニメについても、全く予備知識無かったので、想像していたのとは全く違ストーリーだったのが、余計良かったです。 
登場するキャラクターも全て気に入ってしまいました。
「ナウシカ」の次に「紅の豚」で、次にこの「千と千尋、、、」でしたから、いい歳を取ったオヤヂの僕でもエンジョウイできたのではないかと。 

と言うのも、一緒に購入した魔女の宅急便は、正直言って最後まで見るの辛かったです。 
もし娘が僕を映画館に誘った時の作品が「魔女の宅急便」だったら、もう次の週は行っていなかったでしょうし、「千と千尋、、」も買いに行ってなかったでしょうな。 
今まで僕と女房が抱いていた「アニメーション」のイメージは、まさにこのディズニー作品やこの「魔女の多急便」のようなもので、やはり我々の年齢には最後まで見るのは辛い物がある。 だからアニメに関心が無かった。
しかし「ナウシカ」や「千と千尋、、、」はそれを大きく超えてるでしょ。 
 
そうそう、チャイナタウンで一緒に購入した「猫之報恩」ですが、何とサブタイトル(字幕)も音声も全て中国語で、オリジナルのはずの日本語も英語のサブタイトルも全く入ってないのです。 
う〜ん、中華街で買うとこういう事が起こってしまうんでしょうか。 
残念です。 というかいまだこの「猫之報恩」って多分「猫の恩返し」らしいが、どうも宮崎駿作品ではないような気がするんですけど。 
しかしなぜかDVDのパッケージには書かれている中国語の中に「宮崎駿」の名前が。 
何が書いてあるのやらさっぱり判らん。 う〜ん、これはやはり僕の親友PC屋のジョンの出番のようです。 
最近はすっかりご無沙汰の彼の店に久し振りに出かけて聞いてみましょう。 (この日記書き終わって、検索していたら、この作品は宮崎駿企画だと判明しました。 また魔女の宅急便はどうやら原作者は宮崎駿氏ではないと知って納得はしました。)


2004年7月21日

ドイツのF−1ドライバー、ラルフ・シュウマッハーが、来年度からトヨタに移籍、契約金は3年間で推定54億円(5000万ドル)と報じられております。やはりというか僕が危惧した通りの結果になってしまいました。 
いくら予算が豊富なトヨタF−1ティームとは言え、こんな馬鹿馬鹿しい事を続けていたら、物笑いの種どころか、永遠に日本及び日本人のイメージは変わらないでしょうな。 

いや、この場合はトヨタのイメージといった方が正確だとは思うが、ホンダも結構デイビッド・リチャードに振り回されている面が強く感じますよね。 
その「イメージ」というのは、湾岸戦争でしっかり大金を出させられた日本そのものです。 
いったいトヨタの誰がこのような決定をするのだろうか。 
この金額から言っても、絶対にトヨタ本社の日本人首脳陣がOKを出しているはずで、いかにトヨタの(日本人首脳陣)モータースポーツオンチ度が如実に表れているでしょ。
 
別にラルフが先日のF−1USGPで怪我をしたから価値が下がったというのではなく、元々3年間で50億円を超える価値が無いのです。
それを首脳陣が判っていない。 
実は現在のティームであるウイリアムスも、契約をした時に買いかぶって契約金を出し過ぎたのです。 
その時にはラルフ(兄のマイケルも同じマネージャー)の敏腕マネージャーの交渉力の賜物だったのだが、しかしその時にはひょっとしたらという期待も有った。 
しかしこの3年間の走りを見てればもう明白でしょ。 
ウイリアムスもそれに気がついて、大幅年俸ダウンを飲むならば置いても良いというような態度に変わっていた。 
誰が見てももらい過ぎだったわけで、高額を要求するラルフに食指を伸ばすティームなどいなかった。 
それなのに何でこんな金額出して取らなければならないのか。 
悲しいですな。 

確かに今のトヨタF−1の戦闘力から言ったら、うんと金出してもらわなければ行きたくないと考えるドライバーは多いでしょう。 
金の亡者のブリアトーレは、自分がマネージメントするマーク・ウエバーをトヨタに行かせて大金をせしめようとしている。 
しかしウエバーは今のトヨタなら何十億円積まれても行きたくない。 
今いるジャガーもどうしようもない。 そこで今のところ最良の選択であろうウイリアムスに行きたがっているわけです。 
しかし彼のマネージャーであるブリアトーレはトヨタに行かせようとして、話を難しくしているらしい。 困った物です。 

僕としてはそろそろ賞味期限の切れ始めているバリチェロに引退してもらって、ウエバーにはフェラーリに乗って欲しい。 
そして最初の年はマイケルのセカンドドライバーとして我慢し、予選毎にマイケルに脅威を与えるタイムを出し、マイケルに引退を考えさせるというシナリオを夢見ています。


2004年7月22日

一昨日の日記に「宮崎アニメ」のDVDをシドニーのチャイナタウンで購入したら、そのうちの何本かがセリフも字幕も「中国語」で、ガッカリしたと書いたところ、何人かの方から親切なメールを頂きました。
御心配をおかけしてしまいましたが、じつは日記のアップ後に僕のこのホームページにも度々登場する「PC屋のジョン」がDVD6本入りの「宮崎アニメ全集」を届けてくれたのです。

「灯台下暗し」というのか、宮崎アニメをさがし始めた時に、ジョンの事をすっかり忘れていました。
彼と奥さんは香港出身のチャイニーズ、年齢は確か30歳になったばかりだし奥さんはまだ20代。
香港でも宮崎アニメはとても人気が有ると聞いていましたが、やはり彼らも持っていたんですよね。
彼らとは随分親しい付合いだが、アニメの話はした事無かった。 まあ今まで僕が興味なかったからで、また彼らもこんな歳のオヤヂが宮崎アニメに興味持つとは思ってもいなかったのでしょう。

で、この6本のDVDの中には12作品が収録されており(「千と千尋」は無い)、まず最初にちょっと気になっていた「火垂(ほた)るの墓」を観ました。
と言うのも、野坂昭如氏の作品に同じタイトルのが有るのを憶えていたからですが、ネットで検索したら、やはりそのアニメ化だったのです。
「ナウシカ」や「千と千尋」に大いに魅せられ、しかし「魔女の多急便」などは歳のせいか最後まで観るのは辛かったのですが、この「火垂るの墓」は、「ある意味でショック」でした。
最近は歳のせいか「涙腺」もゆるくなってしまってるし。

このアニメは1988年に制作されたようですが、原作の小説は1967年です。 僕は1960年代に数多くの野坂作品は読んだ事があったが、この「火垂るの墓」も入っていたはずなのだが、それほど記憶に無かったです。(当時この作品は直木賞とか受賞していたらしいが)
で、何がショックだったか。
最初に原作を読んだ1960年代というのは、日本が高度成長を続けていた頃ではあるがやはり、終戦後の貧しさの記憶ははっきりと誰の心にも残っていた。
だから、「火垂るの墓」のような題材はそれほど珍しい物では無かった。

しかし以来、「戦後半世紀」以上も経ち、物質的豊かさと平和ボケしてしまった僕の「脳みそ」に、このアニメは大いにショックを与えてくれたのです。
そう、すっかり記憶から消滅しかけていた、戦争直後の日本が突然蘇って来たというか。
最近のイラク報道などを見ていても、基本的にはこの映画と同じ、「戦争の悲惨さ」は起きているはずなのに、日本が経験したのと同じ視点で見てない自分に気がついた。

はっきり言って、小説「火垂るの墓」自体は、短編小説でストーリー(プロットと言うか)の素晴らしさがそれほど有るとは思えない。
戦争で両親を失った幼い兄妹の苦労の話、ただそれだけといっても良い。
野坂氏自身の「終戦」前後の体験が元になっているという点では、説得力はあるかもしれないが。
だからこのアニメでは原作に無い、死んだ主人公が自分の過去を見ているというシーンを加えたりして、何とか「厚み」を付けようとしたと思う。

このアニメを1988年にご覧になった、若い方はどう感じたのだろう。
多分「戦後の貧困」の記憶は無いから、「可哀想な兄妹」の話という範疇を超えていないのではないか。
戦争の悲惨さや貧困は想像に留まっているはずだから、それほどの感慨は無いのではないか。

そういう意味で、すっかり平和ボケしてしまっていた僕の脳みそにはかなりの刺激になりました。
「アニメはもう結構」という我が母にも見せたら、彼女のように空襲を体験した人間には、僕と同じように、いやそれ以上に刺激を与えてくれたようで、最後まで「コックリコックリ」はせず観ていました。
観終った後母は、「戦争はもっと悲惨よ。 空襲で死んでいった人達の遺体が積み上げられているそばを通った時に、頭の部分は残っているのに、顔に爆撃をモロに受けたために、ボロ布のような顔無しの子供の遺体が目に入ってきたシーンが蘇って来た」と。
80歳を過ぎた母にも多くの悲惨な思い出が有るようです。


2004年7月23日

昨晩、話題のドキュメンタリー映画「華氏911」を観ました。
あまりにも僕の想像していたのと内容がシンクロするのが、かえって驚きでした。(知らなかった部分もありましたが)
ブッシュの胡散臭さは、もともと知っていたけれど、この映画は、まさに「ダメ押し」といったところです。

カンヌ映画祭で最高の賞である「パルムドール」を獲得した映画、上映後には観客の拍手が25分間も鳴り止まなかったとか。
そんな映画が、全米上映にあたってさまざまな圧力を受けた(配給元になるはずだったディズニー社傘下のミラマックス社に圧力をかけたり、全米映画審査会がレイティングをRにして18歳以下に観せないようにしたり)という事からして、「寒気」がしますよね。

幸い全米の多くの映画館で上映が始まり、この映画を観るべきである人々、つまり「ブッシュ支持者、イラク戦争支持者」達の多くも映画館に足を運び始めていると聞いて、アメリカ人も少しは目を覚ますかと期待しています。
「華氏911」を観ると判りますが、大統領選でフロリダ州でのゴタゴタなど、僕も忘れかけていた事も思い出させてくれます。
だいたい彼の当選自体が胡散臭い。
そして、ブッシュは大統領に選ばれた直後から、経済政策などで、自分の無能さをさらけ出し始めていた。

そしてそれを隠そうとして、イラク戦争を始めたのだが、逆に自分自身が無能+犯罪的な大統領であると証明する結果になった。

「裸の王様」じゃないけれど、この映画は「ブッシュ」が実は「裸である」事を指摘しているわけです。
体制批判はどこにも有るけど、このような「ドキュメンタリー映画」というのは、事実を映像として見せてくれるので、もう反論の仕様が無いでしょ。
で、真実を指摘しようとしたら、圧力がかかってしまうって恐ろしいですよね。

映画の中には「ビン・ラーデン」の一族(オサマ・ビン・ラーデンもその一族の中の一人)とブッシュ親子(先代の大統領も)の経済的結びつき、も詳しく見せてくれます。
そうです!多発テロ事件の仕掛け人のオサマ・ビン・ラーデンのビンラーデン一族とブッシュ達の関係ですよ。
この辺の事は僕もそれほど詳しくなかったのですが、映画を見て驚きました。
ニューヨーク爆破事件の直後、アメリカ全土で飛行機の離着陸が止まったのをおぼえていますか?。
僕の友人もニューヨークからシドニーに戻れなくて苦労していた。
そんな緊急時の真只中、アメリカ政府は何十人ものアメリカに住むビンラーデン一族がサウジに戻るフライトを許可してるんですよね。

イラク戦争で、このような大統領に黙って付いて行かなければならなかった、イギリスやオーストラリア、日本って、、、悲しいですな。

この映画、皆様も是非観てください。
日本公開は、8月14日恵比寿ガーデンシネマ、そして8月21日からは全国公開されるらしい。

日本にもブッシュ支持者、イラク戦争肯定派はいると思うが、そういう方にはまさに目から鱗が落ちます。
小泉首相にこの映画を観た後の感想を聞いてみたいですな。

ちなみにマイケルムーア監督は「ボウリング・フォー・コロンバイン」で昨年のアカデミー賞(長編ドキュメンタリー)を受賞、受賞スピーチで「ブッシュ大統領よ恥を知れ」とやって、有名になりましたが、この「華氏911」についても、今年のアカデミー受賞の可能性が有ると僕は思っていたら、ノミネート規定を変に解釈して、ノミネートから外そうという不穏な動きがあるとか。
もしそんな事になったら、「自由主義国家アメリカ」って看板は下ろした方が良いでしょうな。
マイケル・ムーア監督のウエブサイトは
http://www.michaelmoore.com/
ですが、日本人向け(彼のメッセージなどを日本語に翻訳した)のサイト
http://www.michaelmoorejapan.com/
も有ります。
是非、覗いて見てください。


2004年7月26日

このところ太陽が顔を出す日が少なく、大地が冷え込んでいるせいか、シドニーはとても寒いです。
来月には友人が小さな子供二人を連れてシドニーに夏休み旅行に来る事になっているけれど、今の日本の猛暑からいきなり来たら、う〜んちょっと可哀想かも。
シドニーは冬ですよとは言ってあるのだが、子供は水着持ってくるとか言ってるらしい。 


さて、数週間前の日本のニュースについて書きかけて忘れていた事を思い出しました。

曽我ひとみさんがジャカルタで家族と再会というニュースを久しぶりにネット新聞で見ていたら、同じ社会面に、大阪の15歳(高校一年生)の女子生徒が、生後間もない女児の遺体を公園に捨てたとして逮捕されたというニュースが出ていました。 
「おなかが痛いので学校のトイレに行ったたら子供が生まれた。 相手はわからない」と言っているそうだが、妊娠7〜8ヶ月に本人も家族も気がつかなかったと。 
そして生まれてきた子供の遺体を教科書10冊を重しにして池に沈めるつもりだったがうまくいかず、ポリ袋に入れ穴を掘って埋めたらしい。 

本人も家族も妊娠に気がつかなかったってのもすごいが(もともと体が大きかったんだろうか)15歳なのに相手は誰だかわからないって、そんなに沢山と相手してるんだろうか。 
その上、生まれてきたばかりの子供を池に沈めるのに、教科書を「オモリ」に使うって、、、、。 す、すごい、すごすぎる。

同じ日の新聞の社会面に、やっと対面できた曽我さんと娘さん達が泣きながら抱き合う写真が出ていて、非常に考えさせられますな。 

じつはオーストラリアでもこのような「思いっきり馬鹿」がいるらしく、政府の新しい妊婦援助制度で「3000ドル」の援助金が貰えるというので、子供を欲しいわけでもなく、その上「未婚」のくせに妊娠して子供をつくっちゃう娘がいるとニュースになっていました。
まったく、何処の国にも「馬鹿」はいるものですが、オーストラリアのように母子への福祉が厚い(厚すぎると僕は前から言っている)国では、このような馬鹿に拍車がかかってしまうようです。 

僕は女房が妊娠した時に、親として「精神的」でなく「物質的」にも生まれてくる子供に不自由をかけない自信が有るか、大いに迷い悩んだものです。 
ですから生まれた子供を育ててみて、一人なら何とかなるだろうがもうそれで充分、二人目をつくるなんて全く自信が無かったです。 
ですから我が家の子供づくりは一人で終わった。  
それほど真剣に考えていたものです。 

当時ロンドンに住んでいた僕は、ほぼ自営業のような立場だったし、永遠にイギリスに住むつもりも無く、将来イギリスを出たら何処に住んで何をしようかというような、はっきりしたプランも未定、そんな状態で子供をつくる事により、自分の行動に制約が生じるのではないかとも危惧した。 

自分勝手な僕は、どんな行動を取ろうと、そしてその選択が失敗に終わろうとも、自分自身の問題であるが、もし子供がいたらそれだけではすまなくなる。 つまり子供には迷惑をかけたくないと言うか。  
今考えてみると考え過ぎだったかもしれません。 もう少し自然体で考えた方が良かったかもしれません。

しかしこの15歳を見るともう全然違う「生き物」って気がしますな。 
野良犬だってこんな行動は取らないでしょ。


2004年7月27日

母が、押し入れのハンガー用レールが落ちたから見てくれと言う。
見に行くと、洋服ダンスのレールに、あまりにも沢山の服を掛けたからか、はたまた母がハンガーごと引っ張ってしまったのか、片方のブラケットが折れてレールが落ちてしまっている。 
そのタンスには、掛けてあるほとんどがスカートで、その量たるやまともではない。
で、なんでこんなに沢山のスカートを持っているのかと、僕もしばし呆然。 
考えてみると、とにかく「物持ちが良い」というのか、おもいっきり昔の物でも、もったいないと考えて処分なんてとても出来ない母の性格のため、60年近く前に東京へ嫁いで来て以来、全ての服を後生大事に取ってあるのではないか、とさえ思えるほど何でもとってある。
今年81歳になった年齢を考えれば、「チリも積もれば」では無いけれど膨大な量になるわけです。 

処分すれば良いような物や、母の場合体重の増加と共に着れなくなってしまったのも大事に取ってある。 
で、最近はその体重の増加のためにタンスに眠ったままになっている服がもったいないと、ダイエットを始めた。 
毎朝散歩はしっかり出かけ、朝食は抜いて早めの昼を取り一日2食にしたら、これが結構効果有るのか、大分体重が若い時に戻って来たとか。 
大分昔のスカートも入るようになったとえらく喜んで、昔のスカートを引っ張り出していている時にレールが落ちたようです。 
それにしてもスカートの数だけでも半端ではない量に、僕は皮肉をこめて「まるでイメルダ夫人(元フィリピンの独裁者マルコス大統領の夫人)」みたいだ、とからかったのだが、もし将来この家を手放して、小さな家に移ったら、この大量の服はどうしたら良いかと心配になってしまうほど。 

いえ母だけでなく、我が女房も気が遠くなるほど昔の物も捨てられず、取ってあるのでその日が来たら悩むでしょうな。
僕の場合は、どんどん捨ててしまうんですけどね〜。 

イメルダ・マルコスと言えば(知っている人も減ってきただろうな)、最近面白い新聞記事が出ていました。 
ポイント・パイパーという高級住宅地に住む、元モデルのオーストラリア女性が、マルコス大統領から多額の資金提供を受けていた事が判り、マルコス元大統領の隠し財産を追い続けているフィリピン政府とオーストラリア政府が調査を始めているとか。 

その記事には、マルコス元大統領は世界中で17人以上の隠し子がいるとかで、そのオーストラリア女性との間にも娘(もう30歳を過ぎているが)が一人いるらしい。 
彼は相当その方面は好きだったようで、全盛期には世界中に妾を抱えていたようである。 
中にはハリウッドのC級映画女優なども含まれていて、その女優はフィリピンにマルコスを訪ね、喧嘩か何かで揉めてメディアに発表すると騒いだら、イメルダ夫人が亭主のためにキッチリ「始末」しますと脅かしたために、尻尾を巻いてアメリカに逃げてしまったという逸話も残っているとか。そう、この場合「始末」というのは「この世とおさらば」っていう意味ですから。  

このオーストラリアの女性の場合、彼女が妊娠をしたあたりから、マルコスの金がスイス銀行の隠し口座経由で相当送られて来たようだが、スイス銀行の特殊性のためになかなか解明されなかった。
最近になって日本のヤクザがスイス銀行でマネーロンダリング(洗浄)を始めたのが発覚し、そのスイス銀行の担当者(香港支店勤務、日本人)が事情聴取を受けたというニュースをおぼえていますか。 

じつは、マルコスの隠し預金も、ほとんどがこの「同じ銀行」だったようで、最近になってこの銀行は顧客の秘密をディスクロージャーするようになったので、今回のオーストラリア人女性への金の流れも解明されるようになったらしい。 
当時としては随分な金が彼女に渡ったらしいが、それにしても彼女はそれらの金が全てマルコスから来たと証明された場合に、返済の義務が有るのでしょうか。 
この辺は非常に微妙だと僕は考えます。 

何しろ日本人のサラリーマンをそそのかして会社の金を横領させた、コロンビア人(だったか?)の女性のケースならともかく、彼女には罪は無いのではないかと。 
まあ「妾業」はそういうリスクも背負わなければならないと言うなら判らないでもないが。 

彼女の娘の写真を見ると、確かに白人と東洋人のハーフで、多分マルコスの娘には間違いないようです。
いくら妾腹とはいえ、自分の娘のために送金するってのは当たり前だと思うのですが、今頃になって没収なんて事になるのだろうか。
 
ちなみにマルコスの妾をやっていたこの女性、シドニーの社交界(そんなも有るかどうか疑わしいが)では、誰も知らなかったらしい。
そう、日陰の身に徹していたのかもしれません。
ひょっとしたら日本にもいるかもしれませんね。 デビ・スカルノなんて人もいるくらいだから。

なんか、母のスカートの話で随分話が飛んでしまいました。
ダイエットの効果で10年も前に作ったスカートが入ると今日も母は嬉々として出かけていきました。
 


2004年7月28日

昨晩は友人(シドニーに住む、中学から大学までの同窓生です)のコンピューターのお助けマンをやっておりました。
もう少し正確に書くと、僕の友人は奥さん共々PCオンチ。
しかし、今の時代支払いなどではPCを使わないと、大変な手間。
今時、電気やガス、水道、電話代など、いちいち小切手を切って郵便局か銀行などに出かけ、長い列に並んで支払いをするなんて愚の骨頂。
そんなわけで、一応友人夫婦も普段は息子が使っているPCを借りて支払いなどはしている。

ところが、一家で日本に旅行に行って帰ってきてみたら、留守番を頼んでおいた親戚の者が、そのPCを使用していて壊してしまったらしい。
最初はウイルスか何かでおかしくなったらしいのだが、その親戚の者は、PCには自信があると、勝手になおそうとしたらしい。
で、お決まりのごとく再インストールをしようとして、一家が大事にしていたデジタルフォト等のファイルを全部パーにしてくれたらしい。
つまり大事なファイルをCDか何かに焼いてセーブせず、全て削除してしまったのです。(そのPCにはCD−RWがついているのに)

一家が日本から帰って来て、PCを立ち上げたら、ファイルが総て無くなってしまっている以前の問題として、PCはろくに起動せずでお手上げの状態。
何とか立ち上がってもすぐにクラッシュ。
その上、普段そのPCを使用している息子は、日本から帰るなり、クイーンズランドに出かけてしまい、友人夫婦はどうしたものかと手をこまねいている。
その話を聞いて、様子を見に行ったら、どうやらハードディスクドライブもおかしい。
結局僕がマシーンを預かって自宅に持って帰り、ハードディクスを取り出して、僕のPCに「スレーブ」として繋ぎ、「復元」等のフリーソフトでサルベージをしようとしたのだが、残念ながら出来ず。

結局、新しいハードディスクドライブを購入して、WINDOWS−XPをインストールしたのですが、さすがDELLコンピューター、まっさらなハードディスクドライブにインストールしているのに、シリアルナンバーも聞かれず、アクティベーション(承認)も必要ない。
XPが入っているDELLのCD−ROMはリカバリー・ディスクではないのに。
そのうえ、友人の息子はすでにグラフィックカードも自分で最初に付いて来たのから、他のメーカーの物に変えている。
話には聞いていたが、随分便利ですよね。

DELLとマイクロソフト社の親密な関係でこういう事ができるのか。
DELL以外で、(リカバリーディスクではなく)承認が必要無いXPのCD−ROMが付いてくるメーカー他にもあるのだろうか。

もちろんこのCDを使って、他のPCにもインストールできるわけではないけれど、いちいち承認する必要が無いのは、すごいアドバンテージでしょうね。

さて、
コンピューターのジャンクメールの増加はとどまるところを知らず。 
最近はジャンクメールもものすごく巧妙になって、これはジャンクメールではないはずと、削除せずに読もうとしたら、しっかりジャンクメールだったなんて事がしばしば起きています。
それでも電子メールいの場合は、削除ボタンであっという間に片付けられますが、人間が電話をかけてくる「ジャンク・コール」は本当に閉口します。
一週間に一体何本かかってくるやら。 
特にオプタスがケーブルテレビを引いた時に無料でくれた電話は、番号を親戚や友人、知人など一切誰にも知らせていないので、電話がかかってくるはずが無い。
だから100%ジャンク・コールか、まれに間違い電話。 

ですからもう最近はこの電話が鳴っていても一切出ない。 
PCのジャックメールと違って、何も言わずに削除ボタンのクリック一発で捨ててしまえるわけでなく、いちいち断るのが面倒。 
しかしいつも使っている方の電話は出ないわけに行かない。
「募金や寄付金のお願い電話」「わけのわからない、マーケットリサーチの電話」そして「押し売り系」とまことに種類が多い。 
特に募金や寄付の場合は、医療系の「心臓病基金」「小児癌基金」「眼科系」など等書ききれないほどの種類。 
また人命救助(ライフセーバーなど)関係や「スミス・ファミリィー」等の慈善団体からのもの。 

で、一週間ほど前は何と「日本語」でのジャンク・コールが入ってきました。 
ここはオーストラリアなので、まさか押し売りコールが日本語でとは考えてもいなかった。 
オーストラリアにある日本人のコミュニティーなんて本当に小さなものなので、最初僕は知り合いか、はたまた知り合いの紹介で日本人の女性が電話をかけてきたのだと勘違いし、思わずそのセールスの女性のセールス・トークを聴いてしまった。 

普通のジャンク・コールなら、内容など一切聞かずに「ノー・サンキュー」と言って電話を切ってしまうのですが、やはり同じ日本人がかけて来ると、無視して即座に切るというわけにも行かず。 
で、その電話は「Go Talk」という電話のプロバイダーからでした。 
基本料金も安いし、特に日本への国際電話代は、今使ってるところよりうんと安いらしい。 
で、その「GoTalk」という会社聞いたことも無いので、興味は有るけどと、少々考えて見ますので明日、またかけてくださいと言って一旦電話を切った。 
で、すっかりその電話の有った事を忘れてしまっていたら、また午後にその日本人の女性から電話が有って、さすが律儀な日本人。
この手のジャンクコールで、「また後でかけて」と言っても、ちゃんと約束の日に掛けてくるところなんてオーストラリアでは皆無ですから。

結局、その彼女のセールス・トークに負けてしまって、電話のプロバイダーをその「GO−TALK」というところに変えてしまった。
大丈夫だろうか?、全く聞いた事の無い会社名なので何かちょっと心配ではあるけど。


2004年7月29日

僕が古いポルシェに乗っているからというわけではないが、ここ10年ほどのポルシェのデザインは醜くなるばかり、特にあの顔つきはどうにかならないものかと思っていた。 
最近すっかり車の雑誌などは読まなくなってしまった僕は、自動車評論家達が、あの「涙目」のようなポルシェのヘッドライトをはじめとするデザインに、どう反応しているかも知らなかった。 
オーストラリアの新聞でも特に批判的な記事を目にした記憶が無いので、ただ単に僕の好みの問題かと思っていたのです。 

ところが先日のシドニー・モーニング・ヘラルド紙の車のページに最新型のポルシェの写真と記事が目に入って、読んでみたらまさに僕がずっと感じていた事がそのまま出ていて、やはりそう考えるのは僕だけではなかったと嬉しくなってしまった。 
そばにいた女房に「どうだ!ずっと僕が言っていたポルシェデザインの醜さ、とうとうポルシェが認めたよ」と思わず言ってしまった。 

僕は子供の頃から車のデザインにとても興味が有り、中学生の頃には、ゆくゆくは美術系の大学に進んで、工業デザインを勉強し、カーデザイナーになりたいと考えていた。 
多分この話は初めて書くと思いますが、僕は学校で興味の無い科目の時は全く授業に実が入らず、ノートの余白に車のイラストばかりを書いている少年だった。 

また自宅で勉強をしていても(まあ勉強はしない方だったのですが)気に入ったデザインを思いつくと、すぐに宿題等のことは忘れてしまって、車の絵を描き始めてしまうというありさまでした。 
もし僕の子供がそういう事ばかりしていたとしたら、とりあえず僕はその方面の才能が有るかどうか調べてやると思うのですが、我が父は戦後の日本、1950年代の経済復興期に苦労していたせいか、「デザイナー」なんてカタカナの文字がつく職業なんてのは全く認めていなかった。
オヤジに言わせると、「ホステス」もカタカナ名職業、そんな事は考えずに、足が地に付いた職業、それもこれからの日本は大きな工業化の波が来るからと、工業系の大学の付属校に僕を入れたのです。 

僕の夢は実現しなかったけれど、もし僕が親の許しを得てそちらの道に進んでいたら、今ごろ僕は何処でどうしているだろうと思う事が有る。 
また当時描いていた僕の車のイラストで特に気に入った物は、大事に飾っておいたものだがどこかへいってしまった。
当時僕が使っていた勉強机は、トップの部分が厚いガラスで、グリーンのフエルト生地の上に乗っているデザインで、そのガラスとフエルト生地の間にそれらのイラストを挟んで置いて、いつでもそれらを眺めながら、新しいデザインを考えたりしていた。 

それらのイラストは僕が家を飛び出した後に、すっかり処分されてしまったのだが、もう少しデザインい理解のある親だたらどこかに保存しておいてくれたと思うのですが残念です。
その中にはいまだ記憶にあるデザインも数点あるのだが、今振り返ってみても中学生から描き始めたそれらのイラスト、かなり良い出来の物が有ったと自信が有ります(いや〜今あらためて見てみたいですな〜)。

さて、ポルシェの話に戻すと、最近のデザインの何がいけないって、あの顔つき。 
上記の涙目以外にも、まるで水ぶくれのように見えるボワ〜ンと膨らんだような下膨れ顔。 
スポーツカーってのは、とにかく精悍で引き締まった顔つきで無ければいけないと、常々主張している僕はどうしてあんな間抜けな顔つきのポルシェに皆満足しているのだろうと不思議でした。 
まず最初にあの醜さが出始めたのが「ボクスター」からでした。 
最初は廉価版のポルシェだからと思っていたら、そのうち911シリーズまでが似たような顔つきになっていった。 
それでも結構売れているらしかったので、世間とボクの嗜好がかけ離れ始めているのかと考えていた。 

ところがこの新聞には新しい911(997シリーズ、来年から販売開始?)のデザイナーが「白状」している記事が出ていたのです。 
まずあの「涙目」英語では「フライドエッグ」という形容を受けているヘッドライトは妥協の産物だったと。 
つまりボクスターを発表した後、現シリーズの911の開発に取り掛かったときに、すでに開発費の余裕が無くヘッドライトはボクスターのを流用という選択肢しかなかったのだと。 
もしそれが嫌なら開発自体を諦めなければならないほど、ポルシェ社は切迫していたらしい。 

で、ボクスターが売れ多少開発費に余裕が出てきた時に、すでに涙目ヘッドライトをつけてしまった911を大きく変えるというわけには行かず、結局涙目シリーズの中で何とか911らしさを出そうとしたとの事。 
しかしやはり満足行かず、結局今回のモデルチェンジで約10年前のポルシェに戻す事にしたのだそうです。 

確かに記事に掲載されている、そのニューモデルを見ると、昔のポルシェの写真が使われているのではないかと錯覚される方も多いと思います。 
でもね〜、そのデザイナーの話、ボクにはどうも言い訳に聞こえるんですよね。 
だって、もしその「涙目」が素晴らしいデザインだったら(そんなわけ絶対にないが)ボクスターに使われようが911に流用されようが構わないわけで、予算が無いからしぶしぶ当時流用せざるをえなかったからなんて今ごろ言われると、何だかな〜と思ってしまう。 

それならいまだ涙目を続けているボクスターも醜いデザインだって認めてるのと同じではないかと。 
ちなみのこの911のデザイナー、実はそのボクスターも手がけてるんですよね。 
とにかくスポーツカーというのはその動力性能と同じように、デザインが良くなければ「いけません」なわけで、スポーツカーの良いデザインというのは「引き締まった精悍さ」これに尽きると思いますね。  

しかしこれは一般論で、ボクが例の彼女(ポルシェ)を所有している理由はその引き締まった精悍なデザインというよりも、むしろ人とは違った物をという理由の方が強いと思います。 
もちろん現行の911よりはよっぽど好きだけど、ポルシェのデザインで一番魅力的なのは1995年頃(993モデルという)までのものだと思います。 
でも多すぎちゃって、しょっちゅう街中で遭遇するから嫌なんですよね〜。 
ちなみに今度の911(997)と10年前の911(993)すごく似ているけど、デザイン的にいまだ993の方に軍配が上がりそうです。 

どうせなら933を上回る良いデザインを考えて欲しかったですな。

追記。
上述の僕の車に付いて興味のある方は、2002年6月12日の日記や、2003年11月5日の日記をご覧下さい。 



2004年7月30日

日記でも紹介した事のある友人の息子、というかオーストラリア・テニス界の若きホープ「トッド・リード(Tod Reid)」の試合(ATPツアー)をケーブル・テレビ(フォックススポーツ)で観ようとスイッチを入れたら、なぜか古〜い試合をやっている。 
どうやら雨で試合が流れたので、空いた時間を往年の「名勝負」で穴埋めしているらしい。 
ところがこれがものすごく面白いので、そのまま終わりまで観てしまった。 
試合は1980年のウインブルドン決勝、スエーデンの鉄人ビヨン・ボルグ対新鋭ジョン・マッケンロー。 
この1980年というのは、僕らがその年の終わりにロンドンを出てオーストラリアに住みに来た年でもあります。 
ですから、当然その年のウインブルドンは英国BBCのテレビ中継で見ていたはずです。 

以来24年も経ってしまっているわけですが、現在のテニスとの違いの大きさに、この「往年の名勝負」に思わず引き込まれてしまった。 
我が娘がジュニア時代トーナメントに出ていた事もあって、随分長年テニスの試合は見てきたけれど、こんなにも現代のテニスと違ってたのだという驚き、また現代テニスの素晴らしい進歩に感慨深いと言うか。 

人間の進歩というのは、とどまることが無いわけですが、しかし陸上競技の100メートルはこの20年間記録的には大きな差はないように感じる。 テニスの場合は「ラケット」という道具が絡むのも関係有るけど、ボールを追う選手の動きの速さも、はっきり違いがわかります。 

この1980年ウインブルドン決勝のレベルで言うと、多分今の女子のレベルより低いかもしれません。 
ですから現代の試合を観る感覚でいると、例えば相手がサイドラインギリギリにショットを打っても、ボールのスピードがそれほどでもないような(ように見える)場合、今の試合なら当然簡単にボールに追いついて、逆にそこからウイニングショットを打ち返せるような状況で、当時の世界ナンバーワンのボルグでも、やっとボールにラケットが届く程度だったりします(当然ショットはミス)。

つまり現代のグラファイトやカーボンを使用したラケットから繰り出されるすごいスピードのボールを人間の(体力)進歩が追いかけるから、今やまるで違う次元の動きになっていくわけで。 
この古い試合を観ていて、すっかり忘れてしまっていた事も気がつきました。 

まず昔はテニスボールって「白かった」ってのも記憶の彼方に行ってしまってました。 そう、今やテニスボールといえば「黄色」ですが、昔は白かったんですよね。 
それからテニスウエアー。 もう思いっきりピチピチのきついズボンとシャツ。 
今見ると、あんなきついズボンでやっていたら動きが制限されてしまうのではとさえ思えるほど。 

主審判が座る椅子にしても、昔は随分コートから距離のあるところだったんですね。 また線審もノンビリ立ったままだし。 
あの時代ならサーブのスピードも今の女子より低いくらいだったから、充分だったのでしょうが、今やスピードが上がり過ぎて、線審は思いっきり「前傾姿勢」で見ていても、見間違いがしょっちゅう起きているほど。 

またコートチェンジの時の休憩時にボルグやマッケンローが水を飲んでいるのですが、もう桁違いに少ないんですよね。 
今の選手はスポーツドリンクと水のボトルを両方置いて、かわるがわるに大量の水を飲みます。 
それだけ今の選手の動きが激しいからでしょうが、水分の消費量だけとってもはっきりと違いが判りますな。 

結局この試合は5セットまでもつれこみ、8−6でボルグが取り、ウインブルドン5連覇を達成したのですが、これが彼にとって最後のウインブルドン制覇でした。
ボルグは翌年も決勝に残るのですが、前年と同じ決勝の相手ジョン・マッケンローに負け、結局彼は引退したのです。

もう少し詳しく書くと、ボルグは確か翌年フィアンセの病気のためにツアーを長期休んだためにランキングを落としてしまった。 
しかしウインブルドンには出場しようとしたのだが、何と!当時のウインブルドン・オーガナイザーは意地悪にも、ランキングが落ちているから、いくらボルグだろうと予選を闘って、勝ち抜かなければ本線出場できないと通告した。 

5回も連覇してきた偉大なチャンピオンなのに、今のシステムからは考えられない程の酷い話ですが、しかしボルグもこの裁定に怒り、結局彼は引退してしまったのだと思います。 
今年のウインブルドンには推薦でイワネセビッチがウインブルドンに出場していたのを見ると、当時のウインブルドンのオーガナイザーの裁定は、ほんと!考えられないでしょ。

それにしてもボルグがあんなにもネットにしょっちゅう出るタイプだったなんて、すっかり忘れてしまっていました。 
僕の記憶に有ったボルグのイメージは、ベースライナーだったんですけどね。 

ボルグは引退後色々事業に手を出し、と言うか回りに「そそのかされ」て投資をしたりで、大きな負債を負い、経済的に不遇だと聞いた事がありますが、今彼はどうしているやら。

結局僕に観たかった「トッド・リード」は第一回戦で、今年の全仏の勝者、ガストン・ガウディオを破りました!。 
よくやった、トッド!

皆様良い週末を。

 


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