2002年6月後半の日記

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2002年6月17日

先週、「彼女」のアラームを作動させるリモコンのうち一つの調子がおかしいので、セキュリティ会社に行って来ました。

あ、その前にこの日記で「彼女」と頻繁に書くので、前から日記を読んでいる方には分かるが、そうでないと誤解が生じるかもしれません。
何か良いニックいネームでもつけてみようかなと思っています。
それまでは相変わらず「彼女」ということで。

彼女が僕のところに来た時に、たいそう彼女を可愛がっていたウォリック(前の持ち主です)から、いろいろ引継ぎを受けました。
その中に2組のキーとキーホルダーのようなセキュリティーのリモコンもあったのですが、そのうちの一つの調子がおかしく、中の電池でも切れているのだろうと思っていたのですが、電池を新しくするも変わりませんでした。
セキュリティーの会社に連絡すると、修理は効かないので、新たにもう一つ購入しろとの事、そしてそのリモコンをプログラミングする必要があるから、車持込でアポを取って来てくれとのことでした。

欧米並みに車盗難が多いオーストラリアでは、この手のセキュリティー装置はかなり発達しています。
今はメーカーが標準装備として、エンジン・イモビライザーというのをつけています。(違うキーではエンジンがかからないやつ)
ただし「彼女」の場合は保険の問題から、エンジン・イモビライザーだけでは保険会社が受けてくれないので、サテライト・トラッキング・システムも装備する必要があって、これも前の持ち主が装備していました。
サテライト・トラッキング・システムというのは、盗難に遭った時にサテライトを使ってリモート操作でエンジンを止めたり、また盗まれた車が隠されている場所をサテライトを使って特定できる装置です。

このような大掛かりな防犯装置がついているので、毎日乗っている車ならともかく、週末に引っ張り出してというような乗り方ではすぐにバッテリーが上がってしまうと、引継ぎの時にウォリックから注意を受けていました。
つまり常に電波を発信しているということなのです。

任意の車両保険料についても、このような過激な車で、ましてやオーストラリアに一台しかないという特殊な場合は保険の料率が極端に高い場合が多いです。
前にオーストラリアに少々入っているスカイラインGT−Rについて調べたら、年間の保険料が(僕の場合無事故無違反なので最大である60%割引を受けても)確か7000ドル以上ととんでもなく高かったので、「彼女」の場合一体いくらになってしまうのだろうと心配をしていました。

ところがウォリックからこのような特殊な車は、それ専用の保険があるから紹介するといわれていて、調べてみると何と普段乗っているスバルよりほんのちょっと高いだけで、逆にビックリしました。
しかし良く調べてみると、それには色々な制約がついていて、保険会社がその車をコレクターズカー(たとえばビンテージとかクラシックカーとかのカテゴリ別ですが)と認証した場合だけ受けられるようです。
そして、毎日の通勤には使ってはいけないとか、一年に最大5000キロ以上は走ってはいけないという制約がついています。

僕は今ある車でも1年にせいぜい5000キロから1万キロしか使わないので、その5000キロの制約には全く問題はありません。
大体彼女の前の持ち主だって、17年間に19000キロしか走っていなかったのですから。
そういう保険会社の「条件」の中に、このサテライト・トラッキング・システも入っているのです。 

工場に持って行くと、エンジニアのオジサンが出てきて内張りなどを剥がして、その発信装置を引っ張り出し、なにやら器械に繋いでプログラミングしていました。
たった予備のリモコンを作るだけで、大変な作業がいるようです。
その作業を見ていると、そこの社長が偶然通りかかって、「この車は君のか?」と聞いて来ました。
話してみると何と彼は前の持ち主であるウォリックと同じ年代にレースをやっていたとの事で、ここ数年は会っていないがとても良く知っているとの事。
彼から僕が受け継いだと話すと、「うちの車好きの社員にも見せてもらえますか?」と言って、ぞろぞろ連れてきて、質問攻めに会ってしまいました。

考えてみるとほとんどの若い社員は17年前の車なんて物心つくかつかない頃のものなんですよね。
ポルシェの場合基本的な形が変わらないので、それほど古くは見えませんが、それでも例の独特な目玉のついていない「彼女」を不思議そうに見ていました。

その日セキュリティーの会社へ行く前に、時間が空いたので、これも前からウォリックに言われていた「AutoHaus Hamilton 」というポルシェ専門の整備工場を訪れました。
ここの工場長「Tim」は、彼女がオーストラリアに輸入された当時正規輸入元で働いていた腕利きのエンジニアで、その後自分で独立しDee Why(ディー・ワイ)というところで開業しています。
前の持ち主もこのTimには絶大の信頼をおいていたので、必ず一度顔を出しておけと言われていました。
僕はアポも取らずに出掛けて行ったのですが、ウォリックからはすでに聞いていると、たいそう歓迎されました。
で、Timはこの「彼女」をまるで我が子のように(育て親というほうが正確かな)整備途中の手を休めて、彼女の歴史を語ってくれました。

これについてはまた明日書きます。


2002年6月18日

昨日の日記の続きを書こうと思っていたのですが、先日提出したオヤジの死亡届について、領事館から電話がかかってきたのでその事を。

昔(ロンドンで)我が娘が生まれた時に、出生届を規定の2週間以内に出さなかったというので、随分在ロンドンの日本領事館にいじめられた事があります。
海外に住んでいて、特に我々のように親戚などが全くいない地で、それでなくとも忙しい子供の誕生で2週間などはあっという間に経ってしまうものです。
さすがに日本国も2週間は厳しすぎると気が付いたのか、いつからか今回のような死亡届や出生届は3ヶ月以内に改善されたようです。

娘の時には「遅れた理由」を提出せよとの事で、ただ単に忙しくて(僕一人でロンドンでファッションの買い付けをしていたので)と言っても納得してもらえず、何か理由をつけてこいと言われたのです。

その理由を何にしたのかは(もちろん嘘の理由を使わなければならなかった)もう覚えていないのですが、その理由で提出したら今度はその理由を証明する書類をつけろと言って来ました。
始末書を書くと言っているのに、それだけでは駄目だと言う。

僕はこの時以来、日本の役人、特に外務省の役人というのは大いに苦手になってしまいました。
本当に重箱の隅をつつくような事で、「どうのこうの」言われるのは、僕の最も嫌う事で、そんな事よりもっと大事なことが有ると思うのですが。

で、今回もやっぱり似たような事が起こりました。
死亡時間の事です。 日本ではよっぽど死亡時間(死亡日ではありません)を重要視するのか、オヤジの死んだ時間を証明するものを持って来いと言われました。
オーストラリアでは医者の死亡診断書も、オーストラリア政府が発行する死亡証明書にも日付は当然入っていますが、時間までは書かれていません。
ですからそんな書類はありませんと言っているのに、必要だとの事。
在オーストラリア領事館は、オーストラリアの死亡診断書や死亡証明書には時間が入っていないのは百も承知で言っているのです。

オヤジは自宅療養中で我々の目の前で息を引き取ったので、その瞬間時間を確認したのは僕自身だったのです。
その時は通いの看護婦さんも偶然いたのですが、彼女は死亡診断書は書けませんから、僕が主治医に連絡を入れ、2時間ほど経ってから我が家にやって来た先生に、僕が死亡時間を伝えたのです。

先生はその時書いた死亡診断書には時間は書き込む必要が無かったので、僕から時間を聞いたという程度でした。
領事館に死亡届を出しに行ったら、その事で「グズグズ」言われたので、死んだ時には医者おらず、僕がいたので時間は僕が一番正確に知っていると説明しました。
もちろん今からその先生に連絡をして、死亡時間をわざわざ書いてもらうことも出来なくはありませんが、どうせその死亡時間が書かれた書類を持って行っても、英語で書かれているのでそれに今度は翻訳証明書を付けろとかになってしまうでしょう。

あまりに馬鹿馬鹿しいので、自宅で息を引き取ったので僕が一番正確に知っているから、僕が書いた死亡時間で受け入れられない理由を聞きたいと、揉めそうになりました。
結局領事館は僕の提出した死亡届の中に書かれた時間だけで受け付けてくれるという事になったのです。

ただでさえその日は、領事館で一度追い返されていたので、かなりカリカリ来ていました。
日本のお役人はいくら日本で不祥事(特に外務省)連発しても、改善を叫ばれても体質は全く変わりません。

なぜその日一度追い返されたかを書きます。

その日はシティーで午前中用事があって、その後「死亡届」を出しに行った時には、昼の12時半から始まる領事館のお昼休みにぎりぎりで間に合ったのです。
確か12時20分くらいに窓口で用紙を出したら、提出書類を一瞥した窓口の女性は、このような書類は時間が掛かる(実際には時間はたったの10分程度の作業です)もう昼休みに近いのでまた昼休み後に出直して来いと言うのです。
「カチーン」と来ましたが、しぶしぶ承諾して、昼休みは何時までですかと聞くと1時半までだと言う。
そうか12時半から1時半までの1時間がお休みなのだと思ったら、「しかし窓口が開くのは2時からです」と言うのです。
昼休みは1時半までですが、皆さんのために窓口を開けるのは2時からだとおっしゃる。

これには僕もビックリしました。 銀行などで閉店間際に来た客のために閉店時間が過ぎても業務をやらなければならないという事があります。
ですから9時から5時の仕事でも4時半など早めに閉めて、すでに来ているお客の対応をするというのと同じように12時半過ぎてからも多少の作業が残っているのを補う意味で窓口は2時からしか開けないと僕は思ったのです。

しかしそう考えてみると、僕が12時20分に入った時に「追い返された」理由が納得が行きません。
役人業もサービス業と言う認識が完全に「抜けてる」のですな。

結局死亡届は、領事館の長い昼休みが終わるのをどうにか時間を潰して待ち、やっとその日提出したのです。
ところが!
何と昨日領事館から電話があってその「死亡時間」の書き込みが間違っているから書き直しに来いと言うのです。
何と! 僕が領事館に昼休みは何時からですかと聞くと「12時半からです」と言っているくせに、僕が書いたオヤジの死亡時間「12時50分」が駄目だと言うのです。 
しっかり同じ欄にある午前と午後を選ぶところを午後に丸を付けているのに、12時50分では駄目で零時50分と書けと言うのです。
で、そこのところを訂正に来いと言うのです。
僕の書いた12時50分(午後)ではどこがまずいと言うのでしょうか。
他の時間と混同するとでも言うのでしょうか。

領事館側は昼休みは「零時半から」言わずに「12時半から」と言っているのに、ぼくが死亡時間を12時50分と書くと受け付けないって言うのです。

すごいでしょ日本国って。 そんな些細な事(間違っている事でもない)に延々と時間を使わせてくれるのです。
どうせ彼らもそんな些細な事に延々と時間を無駄にしているのだと思います。
だいたい死亡時間がそれほど大事なら何時何分何秒まで入れさせたら良いのではないでしょうか。
もっと不思議なのはオヤジの死亡届の用紙には死んだ時間だけではなく「生まれた時間!」まで書く欄があるのです。
87年も前のオヤジの生まれた時間なんて分かるはず無いです。
で、当然そこは書かずに出したら、領事館も無理なのは百も承知で、「そこの記入が抜けてる」なんて言われませんでした。

本当に日本は不思議な国です。
イギリスやオーストラリアに出生届や死亡届を出した経験が有りますが、両国ともそんなバカな問題で煩わされる事は一度もありませんでした。

そんな些細な事に延々とこだわって時間を浪費しているから日本はいつまでたっても経済が立ち直らないのではないかと女房が申しております。
これも一理あるかもしれませんな。



2002年6月19日

昨日は日本領事館へ死亡届の書き直しに行って帰ってきたら、日本対トルコの試合がすでに始まっている時間でした。
すぐにテレビをつけたら、トルコが1点を入れていました。
日本が挽回しないかと期待しながら見ていたのですが、今度は母が中華街に夕食会に呼ばれているので連れて行けとの事。
送って帰って来たら、もう試合は終わっていました。
残念ながらの結果ですが、ここまで頑張れるとは思っていなかったので、W杯は日本にとっては上出来だったと思います。

さて、一昨日の日記の続きです。
「彼女」の過去についてTIMから聞いたことを書きます。

最初の所有者をパトリック・バークと言います。
彼は名の知れたポルシェ・コレクターだったそうです。 一時は17台も所有していたそうです。 彼はモータースポーツのスポンサーでもありました。
彼がスポンサーしていたドライバーの一人が、僕に「彼女」を譲ったウォリック・ブラウンです。
実は正確にはこの最初のパトリックの後にもう一人(というか法人名で)所有者がいます。 
これはパトリックが経済上の理由で(バブルがはじけた?)総てのコレクションを手放さなければならなくなった時に、ファイナンス会社に所有権が移されたのです。
その後このファイナンス会社が彼女を売りに出した時に、ずっとこの車の事を気に入っていたウォリックが買ったのです。
ウォリックは、レース活動を支援してくれていたパトリックがこの車をドイツから入れた当時から、「彼女」に惚れていたようです。

ポルシェ専門の整備工場をやっているTIMはその歴史を総て知っているのです。
パトリックが「彼女」を自分のコレクション用に購入した時の話です。
オーストラリアでは販売された事の無い車両を輸入するには、非常にややこしい手続きが必要です。
スラントノーズをオーストラリアに入れてもすぐに登録できるかどうかは非常に疑問があったそうです。
そこでパトリックはドイツに出向き、まず生産ラインからすでにオーストラリアで認定を受けている(普通の)911(930)ターボを購入します。

その車は標準車ですから、簡単にオーストラリア政府発行の認定プレートを付ける事ができるのです。
それを付けた後、今度はヒストリックカーなどを修理や修復するポルシェファクトリーが経営する修理部門に移し、すべてバラバラにします。
で、修理部門ではスラントノーズなどのボディーワーク変更を始めます。

実はポルシェではこのスラントノーズと言うのは、この時期はまだオプションでも用意されてなかったのです。
スラントノーズがカタログでも注文できるようになるのは、それより1年程後のはずです。

ボディーの変更を受けている間に、エンジンはレーシング部門に移され、モディファイを受けます。 ターボチャージャーやインタークーラーも大型のものに変更を受けます。
ピストンはそれぞれのバランスと精度を上げるために一個ずつ重量を測り総ての重量を同じにして有ります。
また吸排気ポート研磨など、いわゆるチューニングを受けます。

カムシャフトも変更を受けますが、これはどうやらポルシェカレラ用のプロフィール(オーバーラップ角度など)と同じなので、それを流用したのではないかとTIMは言います。
ここまでのチューニングは、その後のオプションで用意されるハイパワーパッケージにかなり近いものだそうです。
ちなみにこのハイパワーパッケージ・オプションではポルシェは380馬力と称していたそうです。

ところがこのハイパワーオプションとの最大の違いは、先日の日記に付けた写真に見える、ブースト・コントロールです。
これはレーシング部門でレース用車両「ポルシェ935」に使われていたものを特別に装備しようです。
このコントロールのためにブースと圧を任意で変える事が出来るのです。

で、このブーストを最大にかけて、数年前に「シャシーダイナモ」にかけて馬力を計測したそうです。
その時にはデトネーションを防ぐために、燃料もそれなりのものを用意し計測したそうですが、418馬力が記録されたそうです。
これがウォアリックが言っていた「約420馬力」の根拠のようです。

この時代の車はかなり軽量に出来ているので、手元にある標準の911ターボのオーナーズマニュアルには1335キロとあります。
しかしこれよりもうちょっと軽いはずです。 
この重量で400馬力を超えていると、おのずとどのような性能かが分かると思います。
ちなみに最新式の(日本仕様)のポルシェターボは仕様を見ると420馬力、重量1530キロと出ています。
つまりほぼ同じ馬力で200キロ軽いと言う事です。

またサスペンション関係にも変更を受けているようで、車高は標準のターボより25mm低くなっているようです。
駐車場の段差などでこすりそうで、ひやひやする事が多いです。

後輪もホイールが9Jという特別なサイズが入っているようで、このホイールのためにホイールナットも標準のものとは違うものが使われているそうです。 (オーナーズマニュアルのオプションの欄にもこのサイズは出ていません)
ここまでの詳細は何台もポルシェを乗り継いできた経験が僕には無いのでTimの言う事を信じて書いてるのですが。
今度どこかで同年代のスタンダードのポルシェ見かけたら比較してみようと思います。

ここに記述した事については、僕が「TIM」から聞いたことなので、正確でない部分や書き直す必要がある部分が分かったら、変更するつもりです。


2002年6月20日

我が家にあるPCの内の一台にインストールしてある、シマンテック社のアンチ・ウイルスソフト、「ノートンアンチウイルス2001」の期限(1年です)がそろそろ切れますよと、PCを立ち上げる度に出るので、新しいソフトを買いに行きました。

このアンチウイルスソフトの値段は結構店によって違うので、いつもはノース・シドニーにあるハリステクノロジーという店に行きます。
しかし今日は時間が無いし、その上シドニーハーバーを越えると帰りは有料なので、少々高くても近くの店で買うことにしました。
昨晩女房がテレビで税金年度末セールをやっているから、その店「Office Works」でも結構安いのではと言っていたのです。

事務用品関係では何でも揃えているこの大店は、チェーン店でオーストラリアのデパートの大手グレース・ブラザースやスーパーの最大手「コールズ」と同じ経営なので、僕は割引券を使える事も気がついたのです。
売り場に並んでいるノートンの箱を取ろうとしてふと見ると、横に置いてあるノートン・インターネットセキュリティーの箱が目に入りました。

この店では通常108ドルほどするアンチ・ウイルスを88ドルで売っているのですが、ノートン・インターネットネットセキュリティーを今週の目玉商品として「116ドル」と出しているのです。
確かこの商品は通常の安売り値でも135ドル以上はしたと思ったのですが、この値段ならアンチ・ウイルスより30ドルほど高いだけだし、インターネットセキュリティーにはアンチ・ウイルスも含まれているのでそれにしようと箱を手に取ると、「今お買い上げに皆様にはカシオの腕時計Gショックをもれなくプレゼント」とあります。

僕はこういうカジュアルな時計は嫌いではない方なので(でもいまさらG−ショックとは思うが)、「ラッキー」とレジに持っていきました。
で、そうそう割引カードもと出したらそこからまた5%引き。
家に帰って早速インストールしようと箱を開けたら、中から「アップグレードの方には20ドルお返ししますという」カードが出てきた。
読んでみると、今回買った領収書に、今まで持っていた古いアンチウイルスのマニュアルの表紙を切って送ると、20ドルの小切手がシマンテック社から送られてくるという。
いや〜、もう一度ラッキーってすぐにそのカードに書き込んで郵送しました。

で、ふと考えてみると、今日支払ったソフト代ほとんどタダになってしまったのではないかと思うのです。
まず今週の目玉として116ドルになっていてそこから割引カードで5%引きで110ドル20セント。 そこから20ドル引くと、90ドル20セント。
そこからカシオのG−ショック代を引いたら、、、。
いったい今この腕時計いくらで市販されているのか知りませんが。

この手のソフトって一体いくらなら妥当なんだろうって、色々考えさせられてしまいました。
だいたOEMバージョンだったら(中身は全く同じなのに)多分価格は3分の1くらいで入るはずだし。

ところでこの店に行くのにボンダイ・ジャンクションに出掛けて、コールズというスーパーの駐車場に入るべく入り口の列に並んでいると、いきなり隣り合わせになっている駐車場の出口(料金所)から車がすごい勢いで飛び出してきて、そのまままっすぐ「前の通り」を横切り、センター分離帯も飛び越えて、反対車線も突っ切り、縦列駐車していた車の列に「突き刺さり」ました。

ガッシャ〜ンというものすごい音とともに縦列駐車してあった2台を(ほぼ新車)潰し、一台は完全に横を向いてしまっています。
総てを目撃してしまったのですが、イヤハヤ驚きました。
まるでハリウッドのアクション映画。
で、見てみると運転していたのは年寄りのジイサン。 へたすると80歳近くではないかという年恰好。
怪我の程度は分かりませんが気絶はしていないようですが完全に「呆然状態」で運転席に座ったまま動きません。

偶然その道には警察官が3人ほどいたので、すぐさま警察官が飛んでいって、交通を止め運転席のドアーを開けて、老人の容態を見ていましたが、僕は駐車場の入り口に車をつけていたので、そのまま見ているわけには行かず、ビルに入ったのです。

しかし、思わず「怖い〜」って、さすがの僕もビビリました。
道で飛ばしていて、他の車と競争になったり(ほとんどしませんが)レースに出て事故に巻き込まれるより、ボケ老人の方が怖いです。
ビルの駐車場の出口から、(多分)アクセルとブレーキ踏み間違いで?)アクセル全開で飛び出し、通りを横切って分離帯も飛び越え反対車線も突破しなんて、全く逃げようがありませんから。 クワバラクワバラ。

そうそうそれで思い出した事が。
数年前にやはりボケ老人が運転する車がシティーのど真ん中にある地下鉄の入り口に車で突っ込んだ事があります。
この老人は何と地下鉄乗り場の入り口を、駐車場の入り口と勘違いして入ってしまい、階段があるのも気が付かず下り始め、途中でパニックになって逆に加速し、プラットホーム近くまで車で突っ込んでしまったのです。
「コワ〜」でしょ。 
本当に多くの高齢者が車を運転するこれもオーストラリアの特徴の一つかな。
だから僕は例の「彼女」を運転して、街中なんて怖くて行けないのです。


2002年6月21日

冬の穏やかな日が続いている今日この頃、オヤジの死後我が家にも少しずつ「平常」が戻りつつあります。
といっても、相変わらず遺産整理の件で僕は銀行に出掛けたり計理士事務所や弁護士事務所に出掛けています。
また本日は日本から学会参加のために来た方が、線香をあげに訪ねていらっしゃいました。
偶然ですがオヤジとは何度か文通があったようです。

母も少しは悲しみから開放されつつあるようです。 オヤジが自宅療養中には随分とホスピスからのお医者さんや看護婦さんにお世話になったものですが、そのホスピスの紹介でという先日電話がかかって来ました。

「ん? 何だろう」と電話に出てみると、未亡人(つまり我が母です)の心のケアーのためにカウンセラーを送りたいというのです。
オヤジの看護もすべて無料だった上に、母のカウンセリングまでやってもらうのは気が引けるし、なんといっても我が母は英語喋れないのでお断りしようとしたら、何と「日本語を喋るカウンセラー」が来るというのです。

オーストラリアには中国系や韓国系の移民は沢山いますが、日本人は全くのマイノリティーでその上母のようなカウンセリングが必要な日本人なんて数えるほどしかいないと思うのですが、本当に日本語の出来るカウンセラーが用意されているのだろうかと半信半疑でした。

そのカウンセラーからも電話があって、どうしても母と話したいというので取次ぐとなにやら長々と話していて、最初は乗り気でなかった母ですが一度お会いしてみようかしらということになりました。

一昨日の昼前にそのカウンセラーの女性はやって来ました。
名前を「ジェーン」さんといい、何とほとんど母とほぼ同じ年齢の方でした。
母のためにカウンセリングにみえたので、僕はほとんど会話に参加はしませんでしたが、ずっと日本に住んでいらっしゃったようです。
旦那さんが宣教師だったとかで、彼女「ジェーン」さんも日本の大学で心理学を勉強されたそうです。
いや〜、オーストラリアには色んな人がいるんですね。
彼女は日本語が出来るというのもさることながら、カウンセラーの資格を持っているのです。
で、彼女はボランティアーで活動されているのです。
イヤハヤ、本当に頭が下がる思いでした。

しかし、僕から見ると我が母の場合、カウンセラーに亭主の死に付いて話す、つまり心の中に溜まっているものを吐き出して、すっきりするという効果よりも、その事を話すことで逆に悲しみが蘇ってきて、またその事ばかり考えてしまうというか、そこに入り込んでしまい、鬱のような状態にまた戻ってしまうようです。

昨日母が友人からヴィデオを借りてきました。 この友人は戦争花嫁として終戦直後に渡豪され、望郷の念もあってか日本から彼女達の青春期に見た映画のヴィデオを何本か送ってもらったようです。
「愛染かつら」って、タイトルを見てすぐ分かるのは、かなりの高齢の方だと思います。
僕ももちろん名前は聞いたことはありますが、僕が生まれるよりもまだ前の映画です。
こんな古い映画でも今はヴィデオで入手できるんですね。

で、この映画を見始めた途端に母は青春時代にいきなり引き戻されたのか、目が生き生きとし笑みも戻り、その晩は結婚する前の青春時代の話をしていました。
誤解のないように書くと、カウンセリングが効果が無くて映画の方がよっぽどと言っているのではなく、やはり母には気分転換が必要なのではないか、やはり日本へ旅行にでも行くべきではないかと考えさせられました。

「愛染かつら」子供時代に何度も聞いたタイトル。
僕は見たことは無かったのですが、不思議なレトロ感が漂いました。


2002年6月22日

快晴の土曜日、久しぶりに女房と庭掃除をと思ったら娘と不動産下見に出掛けてしまいました。
独立したい娘は自分の住むところを捜しているのですが、なかなか気に入ったところが見つからず、毎週土曜日が彼等にとっては唯一のインスペクションデーなので、オヤジの事で中断していた時期を除き毎週のように出掛けていきます。
気に入ったところがあればまた次の週も見に行って、オークションの日まで何度も通うようです。
何件かオークションにも出るほど気に入ったところは有ったのですが、このところのオーストラリアのミニ・バブル景気でバカみたいな値段がつくので手が出ません。

そんなわけで一人で庭掃除していたら、まさに雲ひとつ無い快晴の青空に小型飛行機が広告を書いていました。(下の写真)
英語で「Sky Writing 」といいます。 考えてみると空気のきれいなオーストラリアにぴったりの宣伝方法です。
つまり、雲一つ無い快晴の青空が無ければ、意味の無い宣伝方法でしょ。
日本でもこういう宣伝やっているんだろうか。 僕の生まれた東京などは空が抜けるように青い日というのは、一年に何度も無いでしょうから、飛行機の書いた字が生きないかもしれません。

で、今日の宣伝は、あいにく上空の風の流れが速いのか最初の方で書いた文字がどんどん流れてしまい、すべて書き終わってから撮った写真では、逆に良く分からなくなってしまいます。

で、ここでクイズ、この飛行機が書こうとしているのは何でしょう?

写真1では4文字。 写真2では7文字です。
ある企業(?)の名前なのですが、僕は総て見ても良く分からなかった。
答えは(明日は日記お休みなので)来週の月曜日に、何の企業かを確認してから書きます。

このような暑過ぎず、ちょうど良い快晴にもとで庭仕事をして汗をかいた後の昼飯の美味い事といったら。
早めに庭仕事が片付いたので、午後からは娘と女房に誘われて、センテニアルパーク1周のパワーウォークに行きました。
一週約4〜5キロほどでしょうか。 午前中の庭仕事の疲れも何のその、気持ちの良い散歩を楽しんできました。

最近はどうも運動不足だったので、今日のように一日中体を動かした後の心地良さを久し振りに思い出し、PCの前に座ってばかりの現状を少しは変えなきゃいけないなと思い始めています。

まずは写真その1 (4文字です)写真をクリックすると大きくなります。
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次が写真その2 (7文字の方です)
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2002年6月24日

今日も快晴、こういう日は朝夕の冷え込みも一段と厳しくなっています。
土曜日の日記の答えは最初の4文字が「PARK」で、次の7文字は「PACIFIC」、つまりPARK PACIFICなのです。
が、この名前てっきりホテルの宣伝だと思っていたのですが、調べてみてもどこのホテルか良く分かりません。
というか、パシフィック・ホテルチェーンの数あるホテルの中でシティーの公園の近くにあるやつだろうと思っていたのですが、しかしその中にはパークホテルというのが見当たらない。
パークホテルというのもハイヤットなど多くのホテルが使っている名前だし。
せっかく金払って、軽飛行機にアクロバット飛行で空に字を描かせても、何の宣伝だか100%伝わらないのでは、、、、。
トヨタの宣伝などはロゴまで描かせてとても分かりやすかったのですが。

さて、昨日はCABRAMATTA(キャブラマッタ)に行ってきました。
行った理由は何と、庭用のチリトリというのか、落ち葉をホウキですくうやつを買いにわざわざ1時間近くもかけて出掛けて行ったのです。
土曜日に庭掃除をしていたら、そのチリトリが大分くたびれてきているので近所の店に行ったのですが見つからず(室内用ならいくらでもある)ボンダイジャンクションのほとんどの店を見て歩いても、大型の庭用のが無いのです。

いやこれには驚きました。 こんなもんが無いなんて。 オーストラリア人は何を使って落ち葉をすくっているのだろうと、しばしば考えてしまいました。
日本ではこのような商品どこへ買いに行けば良いのでしょうか。
きっとすぐに見つかるとは思うのですが。

で、我が家の大型のはその昔「キャブラマッタ」で買ってきたのを思い出したのです。
僕がよく書く「パスポートの要らない外国旅行」の中でも、ここは極めつけの外国です。
ここの人口のうち75%が外国生まれ。 80%の人達が英語以外の言葉を喋るそうです。
母と女房と3人でキャブラマッタに到着し、駐車場に車を入れて出てきた途端に賑わう往来で老人が胡弓を演奏しています。
この独特な音色がいきなり飛び込んでくるなんて、そこはまさにベトナムです。
昨日は日曜でもあったので、大変な人出で見渡す限り東洋人。

「CABRAMATTA」と言う名前でGOOGLE検索すると、市のオフィシャルページには、「アジアへの一日旅行」なんて出ています。
「A DAY TRIP TO ASIA 」、全く同感です。

ちょうどお昼時だったので、近くにあった「タン・バン」というレストランに入ると、当然のように客全員が東洋人、我が女房が浮いて見えます。
ベトナムでランチといえばPHO(フォー)なのですが、メニューを見ると100近いメニューが載っているので、せっかくとばかり僕はウズラのから揚げにトマトライス添えを注文しました。 (カラッと揚がったウズラのうまかった事)
女房と母は定番の牛のPHO。
これにデザートはバナナをテンプラのように揚げたのがセイゴに浮かんでいるやつ。 これも思いっきりベトナムを感じさせてくれる甘味でした。
お勘定は3人〆て(デザートも入れて)34ドル。 一人11ドルちょっと。
日本円で770円。 日本人の感覚なら吹き出してしまうほどの安さです。
この値段も「東南アジア」を感じさせてくれます。

美味しい昼飯を堪能した後は、ショッピングへ。
ところが昔買った大型のチリトリは何軒も回るのですが見当たらず、それでもボンダイ・ジャンクションでは見つからなかった庭用のがあったのでまとめて購入、他にも色々メチャ安の商品を見つけたり、晩のお惣菜も購入したり、大いにアジア旅行をエンジョウイしてきました。

今はシティーからイースタンディストリビューターが出来たので、行き帰りも快適、久し振りに気分転換にもなる楽しい旅でした。 


2002年6月25日

今年に入ってからずっと耳鳴りに悩まされている僕は、耳の検査を受けに行ってきました。
主治医にまず聴覚(聴力)の検査を受けるべきだといわれたのです。

聴能力の検査というのか、小学校に上がったばかりの頃に一度受けて以来でした。
その子供の時に受けた検査は、親が心配したからで、それは僕の性質に関係していました。
全く今も変わらないのですが、子供の頃から僕は何かを集中して考えていると、それがたとえ食事中でも、また家族で団欒中でも周りが全く見えなくなるというか、聞こえなくなるのです。
目は相手のほうを見ていても、何か別の事を真剣に考えていて、相手の言った事が全く耳に入らない。
他から見れば僕が何を考えているかなどは分かりませんから、我が親は僕が難聴ではないかと疑ったのです。
ところが検査を受けてみると全く普通で問題なかったのです。

今でも女房が僕に何かを言って、てっきり聞いていたものだと思ったら、全く聞いていなかった(記憶に残っていないというか)というトラブルはよく起こります。
例えば。
一時、カートのレースに凝り固まっている時にエンジンのチューニングの事で、どうしても他の人よりも速いタイムを出すにはどういうふうに自分なりにモディファイをしたら、出力が上がるのかなんて、食事中もずっと考えていて、人の話は全く聞いていなかったり。
またLINUXというコンピューターのOSをいい歳して(PCの経験もほとんど無いのに)チャレンジしていて、その中の設定で他のウインドウズマシーンとネットワークを組むためのSAMBAの設定で躓き、どこをどう設定を変えるものやらと悩んでいる時にも、同じ失敗を何度かやってしまいました。

しかし今回は、耳鳴りの原因を突き止めるための検査だったのです。
総ての検査が終わって、耳の機能としては正常だと分かったのですが、ちょっとビックリしたのは、僕の聴力がただの「普通」といわれた事です。
自分では聴力(小さい音を聞き分ける)能力は人並み以上だとずっと思っていたのです。
夜寝ようと思ったらテーブルの上に置いてある腕時計(スウォッチ)の秒を刻む音が聞こえて、邪魔だからわざわざ引き出しの中に仕舞ったりをしていると、女房が自分では全く聞こえないのでビックリなんてことしょっちゅうだったので、異常に聴力があると思っていたのです。

検査の前に耳を調べていましたが、左耳には中耳炎をやった後があると言われ、自分では全く記憶に無いので子供の時にでもやったのでしょう。

さて耳鳴りの原因はやはり「メニエール病」ではないかという、主治医の見立てが正解なようで、女房の「橋本病」と同じように、特効薬があるわけではなく少々厄介なようです。
これで命を落とすわけではないが。
ただし耳鳴りは、心のストレスなど多くの要因があって、一概に原因を特定するのは難しいようです。

耳鳴りなんて、どう考えても「ジジイ」っぽいですよね。
トホホ。


2002年6月26日

先日の日記に書いたのですが、駐車場に入ろうと列に並んでいたら横にある(つまり入る口と出る口が並んでいる)出口から、まるで昔のハリウッド映画、スティーブ・マックイーンの「ブレット」を彷彿させるように、ジイサンが運転する車が飛び出してきて、駐車場に面する通りを中央分離帯も飛び越し、縦列駐車してあった車の横に突き刺さった事故。

本日その駐車場を利用したので、出口の料金徴収のところで係りのお兄さんに、「ねえねえ、こないだの事故、なんであの車飛び出したの?」って聞いたら、偶然そのお兄さんがその事故の時の徴収係りだったとの事で、原因を教えてくれました。
それを聞いて横にいた女房まで口をアングリ、その後二人で笑ってしまいました。
何と!
これは今のボンダイ・ジャンクションの混雑にも多少関係しているのです。
大開発が始まってしまったジャンクションでは、駐車場が極端に不足し、この「コールズ」の駐車場も今までなら2時間まで無料だったのですが、最近は1時間を超えると料金を徴収するようになったのです。
今までこの駐車場を利用していた客は今まではよっぽど長く停めない限り金を払う事は無かったのですが、最近は金を徴収されるのでビックリする事が多いです。
で、このお兄さんが言うには、偶然その時、間違って料金(それもたったの50セント)を徴収する前にゲート(と言うよりただの棒が上に上がるやつです)を開けたら、このジイサン動き始めたので、「50セントですよ」と言ったらしい。 
しかしこのジイサンそれを無視して動き出そうとするから、「ストップ!」って怒鳴ったら、猛烈な勢いで発進して行った。
で、そのままの勢いで通りに飛び出した時には、ジイサン完全に頭の中が真っ白になっていてブレーキを踏むところをアクセル全開にしてしまったようです。

お兄さん曰く、「たったの50セントをケチるから、5000ドル払う羽目になった。 ワハハハハ、」とさも嬉しそうに笑っておりました。
僕らもたったの50セントの支払いを免れようとしたバカなジイサンの事故で笑ってしまったのですが、しかしその後なんかそのジイサンが惨めに思えてなぜか悲しいですな。
50セントも無いんだろうか? 

さて話は変わって、
女房が母の事を心配して、学校から「SHALL WE ダンス?」というヴィデオを借りてきました。
母が大昔の映画「愛染かつら」を見て喜んでいたので、やはり気分転換には娯楽が一番と、周防監督、役所広司主演の映画を持って来たのです。
この映画はアメリカでもオーストラリアでも結構ヒットして、テレビでも放映されています。
僕は浦島太郎なので、役所広司を始めほとんどの出演者の事は良く知らないのですが、特に若い先生役の「草刈民代」って初めて見ました。
彼女は女優なんだろうか? 不思議なムードの人ですね。
母はやはり歳というか、多少ボケが始まっているからかユーモアについていけないところも結構有って、期待したほど楽しんではいませんでした。
歳を取るとユーモアのレベルもかなり落ち込んでしまうのだろうか。

我が両親はユーモアのセンスは元々無かった人間なのでしょうがないかとも思います。


2002年6月27日

今日は男尊女卑について書きます。
我がオヤジは相当な男尊女卑信者(この表現が的確か自信が無いが)だったので、今になって我が母はその「つけ」を払わされております。

いや、我がオヤジだけではなく、ひょっとすると日本国がそれを基本に成り立っているのかもしれません。
まわりくどくなってしまいましたが、何を言いたいかというと、
本日母を連れてまたまた日本領事館に行きました。 僕は領事館と聞いただけでウンザリで、その上領事館の周りは全く駐車できるところが無いので、僕は母だけを領事館に送りました。

本日母が必要としたのは在留証明書。 それに死亡者居住事実証明願書という何とも聞きなれない証明書も必要でした。
なぜこれらが必要なのか。
父が死んで、今まで受け取っていた養老年金のうち父の分を止め、母一人に変更する必要が出たのです。
日本の年金の額というのは、人によって大分違うようですが、我が両親の場合、父の受け取っていた額を100とすると、母はせいぜい15ほどでした。
もちろん父が働いていた時にかけていた年金ですが、二人が離婚しない限り二人に対して支払いをされているという認識でした。
つまり二人合わせて100+15=115でこれを二人で使うという。
で、オヤジが死んだので100が全く無くなってしまい、母宛ての15だけでは生活費としては当然低すぎるわけです。

どうやら母の場合は亭主が死亡したので、申請手続きをすると今までの15よりも多めに受給できるというのです。
その申請手続について日本に問い合わせたら、さすが「役人大国、日本」と感心してしまうほどの多くの書類提出を求められたのです。
今持っている年金手帳、戸籍謄本、住民票、年金証書、印鑑、所得証明書、死亡届または死亡診断書、預金通帳。
これらをすべてが申請に必要だと。

本当に不思議なのはすでに母は年金の受給を受けていて、内容を変更するだけなのに、初めて年金の申請をするが如く面倒くさい。
つまりなんでも面倒くさくする事によって、お役人のお仕事が減らないという構造になっているようです。

母の場合オーストラリアに住んで15年を超え、今までずっと日本から年金送金を受けていたのです。
つまり近年「老後は海外で」という人が増えたので、申請をすると日本の年金を海外に送金してもらえるシステムがあるのです。
そういう母の事情を説明しても、それらの書類は必要だとの事。

ところが、この日記の最初にも書いたように、今までの年金申請の手続き等は一切父がやっていたので、母は全く何がどうなっているのかどこに有るのかなどが分からない。
その上、海外に住んでいるので、住民票はオーストラリアで取ろうにも、領事館ではそんなものは無いとおっしゃる。
日本に言うと、父と母が一緒の住所に住んでいた証明が必要だからという。 
で、母の在留証明書と父が死亡した時にどこに住んでいたかを証明するという「死亡者居住事実証明書」を二つあわせて提出すればそれの証明になるのではという事になったのです。

海外に住んでいる年金受給者は毎年自分の誕生日が来ると、最寄の日本領事館に出向き、在留証明書を発行してもらって生存を確認してもらい、受給を受けるのです。
つまりは母は過去15年間もその手続きをオーストラリアでやってきたのに、今まですべて父が母を連れて領事館に出向き、手伝ってやっていたのです。
本日は僕も心配だったのですが、駐車するところが無いのでついて行けないと母に言うと、自分一人でできると言う。

そこで、心配ながらも母一人を行かせたら、やはり出来ずにいつまでたっても領事館から出てこない。
しかし、このままでは12時半からの昼休みを取れないと領事館の窓口が感じたのか、途中で残りすべて代筆をしてもらったとの事。

で、何とか住民票に代わる(だろうと期待している)証明書は取得できたのですが、残りの書類のうち「年金手帳」なんて見たことも無いと言うし、自分の預金通帳もどこに有るのか良く分からないと言う。
そう、今まで父がすべてやっていた、というよりもやらせなかったのです。
女はバカだからというのか、書類申請なども含め、何と母の通帳までオヤジが管理していたようで、母もそれに甘えていた。

オヤジは先に逝ってしまったから、痛くも痒くもないかもしれません。
残された母は自分が今までそれに甘えていた「つけ」を払わされているのです。
しかしこのような亭主と女房の関係で、亭主が倒れて、全く自分で何も出来ない状態(寝たきりとか)になった時に、女房にやらせようにも何も出来ないという問題が起きたら、それは寝たきりの亭主にも跳ね返ってくるわけです。

今回、いかに日本のお役人の作り出すシステムが煩雑かも思い知らされ、そして我が両親のような夫婦関係がこういう場合いかに不都合を起こすかも痛感させられました。

しかし今一番僕が興味有るのは今度母が受け取る事になる年金額です。
僕の予想では二人合わせた115の半分つまり55〜60ほども出ないのではないかという事です。
二人で115出ていたのなら、連れ合いに先立たれた人は家賃や食費等の生活費が半分では決して済まず、例え半分出たとしても生活は苦しくなるという事です。
逆に母が先に死んで父だけが残ったら100は出続けるわけですから、ものすごい男尊女卑でしょ?
これおかしいと日本では考えないのでしょうか?
いずれ新に支給される額が分かるでしょうから、またその時にその事は書くつもりです。


2002年6月28日

昨日なぜか日本へ通じるインターネットのハイウエーの調子が悪かったようで、日本のサイトへ行こうとすると思いっきり遅かったです。
最初はどこが悪いのか分からず、試しにオーストラリアのサイトに行くと全く問題ないので、オーストラリアから日本に通じるハイウエーの調子だと分かったのです。

という事は、日本から僕のサイトを見に来てくれている方も同じような経験をしていたのかもしれません。
僕はケーブル接続(CA-TV)にしているのですが、このような問題の起きていない平常時でも、オーストラリア国内のサイトを見に行く時のスピードと、国外、特に日本へのアクセススピードの違いには半分諦めているとはいえ、もう少し何とかならないものかと思っています。

ケーブル接続は常時接続なので、朝PCを立ち上げたらそのままつけっぱなしがほとんどですが、最近僕このプロバイダーが料金改正(改悪)をすると、通知がありました。
プロバイダーの業界は世界的に儲かっていないらしいです。 アメリカのワールド・コムもいまやスキャンダルで火の車のようですし。
ワールド・コムはオーストラリアでもOZEMAILというオーストラリアの草分け的なプロバイダーを傘下に入れているのですが、どうなる事やら。

僕が使っているOPTUS(オプタス)という会社(オーストラリアNo.2)もシンガポールの資本(シン・テル)になってしまっています。
で、シン・テル(シンガポール・テレコムが正式名称か)が買収してからそのうち変化があるのではないかと心配していたら案の定、先日メールが送られて来ました。

7月1日から料金改定になるとの事。 今まではダウンロード量など無制限だったのが、4つのコースに分けられ、今僕が払っている料金(毎月63ドル95セントです)より安いコースも用意されているのですが、それはたった550MBしか使えません。 で、この料金は54ドル95セント。 
これが4つのコースの中の一番安いコース。
その次が毎月3GB(3ギガ)までで69ドル95セント。 3ギガなら充分だと思うので、このコースを使うつもりですが、しかし今まで無制限で使っていたのに、いきなり量の規制を受けるなんて、非常に気分が悪いです。
残りの2つのコースはそれぞれ、5ギガで134ドル95セント、一番高いUltimateと名前のついたコースが10GBで265ドル95セントとあります。

この料金体系を良く見ると、量使うほど安くならなければならないのに、考え方によっては高くなっている印象を受けます。
つまり、へヴィーユーザーを排除したいための料金改定なのではないかとも思えます。
時代はどんどん進んでいて、そのうち動画などのダウンロードも日常茶飯事になるのではと期待しているのに、時代に逆行するような改定です。

という事は、全くこれ以上設備投資をしないで、客を増やすための改定というのは明白で、がっかりさせられます。
日本は光ファイバーのプロバイダーもどんどん増えているという時代なのに。

もっとも、この日記の最初に書いたようにいくらオーストラリアで光ファイバーなどが普及しても、国と国を繋ぐハイウエーがこの調子では、そこがボトルネックになって全く意味無いのかもしれません。

母にもう少し待てばPCで日本のテレビ番組がすべて見える時代が来るよと言っているのですが、この調子なら母が生きている時代は無理かもしれません。
母にとって今見ているNHKだけでは不満が有るようです。
確かにこのNHK、幼児番組などもかなり沢山含まれているのです。
つまりプログラムのチョイスが無いのです。


2002年6月29日

本日は土曜日、もう恒例になっている娘の物件探しに僕も付き合いました。
女房は昨日から(学校が)休みに入ったので、別に土曜日にこだわる必要は無いのですが、娘は休みは無いので、結局週末が主になるのです。

日本の経済はともかく、最近ではアメリカの経済もカゲリが出てきたように感じるのに、オーストラリアの不動産マーケットは相変わらず異常です。
つまり、バブルに近い値のつき方なのです。 一体いつになったら少しはクールダウンするのか、本当に不思議です。
本日もボンダイビーチに面する見晴らしの良いアパートの下見に行ったら、オークションはまだだというのにすでに売れてしまっていました。
つまり誰かがオークションの前に良い値を提示して、売り主が承諾するとそこで売買成立になるわけです。

このようなケースの場合は、売主が満足するようなすごい値がついていることが多いのですが、調べてみたらやはりというか110万ドルという値がついたとか。
たった2寝室しかないアパートでビックリするほど高級な建物でもないのに、(確かに見晴らしは素晴らしいようだが)100万ドルを超えるなんて。

そのそばにある、やはりボンダイビーチに面する新築の高級アパートを(高いのは知っていたので、娘のためというよりも見学のために)見に行ったら、もう唖然とするほどの額でした。 250万ドルから385万ドルなんて、値段を聞いたときには冗談かと思いました。

日本がバブルに沸いている時に高い物件を購入して、後で泣きを見るという経験をした人が僕の周りにも一杯いるので、今物件を購入するのは非常に懐疑的なのですが、我が娘もそれを扱っている不動産屋の若いセールスの人達も、物心がついて以来、不動産物件が値下がりするという経験が皆無なので、耳を貸そうとしません。

日本のようにいまだにバブルの傷跡を引きずっていると、我が娘と同年代の人達の見方は全く違うと思うのですが、オーストラリアはあまりにも短期間にバブルの付けを整理してしまったので、今の若い人たちにはバブル経済の崩壊の怖さというのがピンとこないのでしょう。

これはバブルの付けをいまだに引きずって苦しんでいないという意味では良い事なのでしょうが、それだけに新に物件を購入しようとする若い人には危険な罠とも考えられます。

物件をピーク値段で購入して、いざローンを返済始めたら金利が上昇するという、何度も繰り返されてきた一種の罠というか。

何軒も物件を見て帰宅したら、家に残してきた母が自分で昼ご飯を作った時に味噌汁を火にかけたまますっかり忘れてしまうという、お決まりの失敗をやってくれていました。
玄関に入った途端に猛烈な臭気に「アリャ〜、またやってくれた」とすぐに分かったのですが、真夏なら家中窓やドアーを開ければ数日でこの臭いは取れるのでしょうが、今は真冬この臭いが消えるのはかなりかかるでしょう。 
昨年だったか、乾燥エビを火にかけて煮始めたのをすっかり忘れて街に出掛けてしまい、朝から夕方までそのままにしていた時には、エビは炭になっていて、その臭いたるやエビだったためか殊のほか強烈で、真夏だったのに臭いが取れるのに半月近くを必要としました。
我が家の調理台は電気なので、火事になりにくいのが救いですが。(異常なまでの温度になると一端電気が切れる。 しかしちょっと温度が下がるとまた電気が入るというタイプです)

今日からこの臭いと当分付き合わされることに。 トホホホ。


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