2003年3月後半の日記
2003年3月17日
娘のために「便利屋」となって色々駆けずり回っていると、土曜日の日記に書きました。
特に週末は交通が混雑する時間も多く、我が家からダブルベイの方へ降りて行ったら、メチャクチャ混んでいます。
まったく最近はなんでこんなに車が多いのだと、ため息をつきながらノロノロと交差点に入って行ったら、何と男性が道に倒れていて、たった2車線のうち、1車線が完全に使えない状態になっていました。
どうりでメチャクチャ混んでいたわけで、その倒れている男性の真横を通過する時に見たら、どうやら意識はあるようです。
その男性の周りで数人が介抱をしていて、その男性は道に体を横たえたままですが、頭は動かしていて、目も開いていました。
なぜそこに倒れているのか全く判りません。 車にはねられた可能性も有るのでしょうが、はねた車がその周りに有りません。
ただ単にその交差点を渡っている時に、「めまい」か何かでそこに倒れたのかもしれないし。
さすがオーストラリアというか、その男性を介抱する為に、3〜4人もがそこでなにやらやっておりました。
救急車はまだ来ていないのですが、ここで重要な事を思い出しました。
もしオーストラリアでこのように道で倒れている人を見つけた場合、皆さんはどうしますか?
アメリカほどではないがオーストラリアでは訴訟の国です。
じつは親切心から助けようとして、逆にその倒れている人から後に訴えられてしまう可能性があるのです。
我が女房は学校の先生をやっているので、救急介護(心臓マッサージなど)の訓練と、法的な講義を学校で受けているのですが、基本的に道で人が倒れているのを見つけた場合に、あなたが医療等に関して全くの素人なら、何らかの処置を取っても、その後訴えられる可能性は少ないが、逆に医者等のようにプロの場合は、責任問題が発生するのだそうです。
つまり、道で倒れていた人を助けようと、通りがかりの医者が善意で手当てをしたとします。
しかし手当ての甲斐なく亡くなってしまった場合、遺族から「適切な処置を施さなかった、勝手に触ったために死んでしまった可能性が有る」なんて、まともでは考えられないような理由で訴訟を起こされ、慰謝料を払わされてしまったケースがあるのです。
僕の前の日記にも、走っている地下鉄車両の窓から身を乗り出して、ペンキのスプレー缶で車体に落書きをしようとした「馬鹿なガキ」が、走っている電車と信号のある鉄塔か何かとの間にはさまれて、半身不随の怪我をした事を書きました。
その馬鹿ガキの家族が、何と地下鉄の公団を相手に訴訟を起こし慰謝料を請求したケースがあるのです。
理由はその窓をもう少し狭く設計し、少ししか開かないようにすれば、その息子は電車から身を乗り出して落書きを出来なかったはずで、こういう事故にも繋がらなかったと言うのです。
これ本当の話なのです。
困ったもので、オーストラリアでも米国の「何でも訴訟」の風潮が広がりつつあるのです。
ですから患者が医者を訴えるなんて日常茶飯事で、医者も自分の身を守るために保険に入ります。 もちろん完全な医療ミスで医者が責任を取るというのは当たり前の事ではあります。
しかし、訴訟問題が多くなればなるほど、医者が自分の身を守るための保険の掛け金は高くなる。
高い保険金を払わなければならないから医者代が上がる。
悪循環というか。
友人の医者も保険の事では頭を悩ませておりました。 彼は高齢なので週に何日か診察せず、それほどの収入が無いので、彼が払う保険金額が重荷になる。
さてその交差点で横たわっていた男性、無事だったのか心配ですが、親切心が「あだ」になる可能性は大いにあるオーストラリア、くれぐれもその辺を考慮の上で行動したほうがよろしいようで。
2003年3月18日
インターネットの楽しみの一つに掲示板があります。
色々なサイトの掲示板を見て回って、気に入ったのがあると頻繁にお邪魔するようになる。
といっても僕の場合はほとんどROM専門で、皆さんのカキコを楽しく拝見しているのがほとんど。
僕が良く行くところは日本の掲示板だけでなく、オーストラリアやアメリカのもあります。
で、僕の「お気に入り」はほとんどがテクニカル系。
僕の好きなF−1系のもたまに行きますが、普段はPC系や、今はデジタルテレビ放送のが多いです。 このデジタル放送系のはオーストラリアのサイトで、「DBA デジタル・ブロードキャスト・オーストラリア」の中に掲示板があるのです。
確か正式名称は「アーリー・ユーザー・フォーラム」だったと思いますが、僕が入ったきっかけはデジタルチューナー等の機器を購入した時に、このサイトの紹介のチラシが入っていて、メンバー登録をしたのです。
つまり、始まったばかりの地上波デジタル放送を視聴する、まだまだ数の少ない(アーリー・ユーザー)デジタル機器の使用者達が、このフォーラム(掲示板)で情報の交換をしましょうと言う事で発足したようです。
ここを主催しているのは非営利団体のようです。
参加する人たちのレベルは放送局に勤めるプロから、僕のような全くの素人まで千差万別です。
僕はこのフォーラムのお陰で随分勉強させてもらっています。
僕の購入した機器の調子がおかしい場合でも、このフォーラムのお陰で慌てず騒がず、対処の仕方を知ることが出来ます。
またこのデジタル放送というのは始まったばかりで、デジタル放送機器の不具合と言うのは日常茶飯事、ひょっとするとPCか、もしくはそれ以上かも知れません。
ですから友人のオーストラリア人の中でも、デジタル放送に興味を持って、そろそろアナログからデジタルへと考え、僕に相談する方もいるのですが、「ヴィデオの予約録画も難しくて」なんて言うようなタイプの方には、僕はお勧めしていません。
それほど不具合も多いし、安定していないのです。
つまり安定した製品が市場に無いと言う事。
一番望むところは、早く日本の有名家電メーカーが画面とチューナー(音も含む)一体型の製品を出してくれれば良い訳です。
しかし前の僕の日記にも書いたように「技術の日本」のはずなのに、デジタル放送機器に関して日本は決して世界をリードするような立場に無いので、いまだオーストラリアでは有名メーカー製のデジタルチューナーが売られていません。
TEAC(ティアック)がそろそろ出すらしいが、しかしまことに残念ながらSD(スタンダード・デフィニション)のやつで、HD(ハイ・デフィニションもしくは日本ではハイ・ヴィジョンか)のではないようです。
一部HDの放送はすでに開始されているのに。
さてこのフォーラム参加している人達の職種は多岐にわたり、中にはハーヴィー・ノーマンという大型量販店の店員や、オンラインショッピングの経営者までいるので、価格の情報交換に関しては非常に有益です。
というか、もしデジタル放送に興味を持って今から購入しようかと考えている人がすべてアクセスして来たら、多分倒産する店が続出するかもしれません。
いや将来的にはそうなるとは思います。
インターネットの普及次第ですが、これほど簡単に情報が交換できてしまうと、売る側にとっては本当に脅威だと思うのです。
例えばプラズマやワイド画面のテレビを購入する場合、価格的には非常に高価なので、たった5%違っても数百ドル、いや簡単に何千ドルの差が出るのです。
ところがこのフォーラムでは常に誰かが「何々をいくらで買った」という書き込みがあり、それに対して「いや今ここへ行けばその製品はいくら以下で買える筈」なんて反応がすぐあり、今の最安値(日本の価格ドットコム以上に現実的な)が判ってしまうのです。
売る側にとっては脅威でしょ。
オーストラリアのデパートは日本と違って、価格マッチ方式を取っています。 つまり、他の店のチラシ等を持って行ってそのデパートの価格より安く売っているのを証明したら、必ずその価格にマッチさせます。
ところが他の店のチラシの価格というのは値引き交渉を始める「開始値段」と言って良く、何処まで引かせるかは客の腕次第。
しかし店側もわざわざ客にコンピュータ画面上に表示される仕入れ値まで見せて、「もうこれ以上引いたら赤字になってしまいます」なんて手法も使います。(これ大嘘なんですけど)
で、客としてもどのくらい引かせたら妥当かなんて、確証は無い訳で、かなり満足するほど引かせたと思っていたら、友人はそれよりまだ1000ドルも安く買ってたなんて事はシバシバ起きます。
2ドルや3ドルの買い物をするわけではないので、この辺をよく注意して行動しないと、オーストラリアでは後で地団太を踏む事必死なのです。
ちなみにデイビッド・ジョーンズやグレース・ブラザース(オーストラリアの一流デパート)で目玉商品として安く売っている製品があったとしても、すぐに飛びついてはいけません。
そのチラシを持って他の店に行けばもっと安くなるからです。
逆に、他の量販店のチラシをそれらのデパートに持って行って、値段をマッチさせた上に、そのデパートが発行する顧客カードでそこからまた何パーセントか割引させると言う方法もあります。
しかしこれらの事をやるのは結構時間と手間がかかり面倒くさい。
しかし、上記のフォーラムに参加していると、最安値が常に把握出来るので、その値を元に最寄の店に行ってそれにマッチさせればいいわけで、我々消費者にとっては非常に便利、売る側にとっては非常に迷惑なものだと思います。
このお陰で僕はかなりの額をセーブをしました。
皆さんもオーストラリアで買い物(電化製品などの場合ですが)をする時には決して言い値で買わないように。
こういう国で育った女房は1969年に日本に留学に来て、銀座の三越に買い物に行って、正札から値引きさせて買ったりしているのを見て、僕は当時えらく驚いた記憶があります。
当時の日本のデパート、特に銀座三越でついてる値札を無視して安くしろと言う日本人はいなかったのでは。(僕が知らなかっただけかな)
まあいつも女房が安く買えた訳ではないのですが、一流のデパートで値引きを要求すると言う事自体、僕には考えられない事だったので。
いまだに日本ではそういう事が珍しい(?)なら、なぜ日本のデパートが大不況かの理由の一つが判ると思います。
そう海外のデパートなんて、いくら一流でもほとんど秋葉原の電気街と同じような値引き合戦に「さらされ」て生きているのですから。
2003年3月19日
一昨日の日記に、交通渋滞の事をちょっと書きましたが、昨日も女房の携帯から電話が入り、ノースシドニー側に行く予定がハーバーブリッジの手前で(と言うかトンネルの手前)異常なまでの渋滞に巻き込まれ遅刻しそうだが、行く先の電話番号がわからないから教えてくれとのこと。
で、結局20分ほどの遅刻をしてしまったらしいが、最近の渋滞は確かに酷いものがあります。
その時の渋滞の原因も、事故ならわかるのですが(救急車が来たりするので)自然渋滞だったようで、困ったものだと。
で、今朝の新聞を見ていたら「ロンドンの中心地」で取り入れられた、市街地進入有料化の事が出ていました。
ご存知の方も多いと思いますが、ロンドンの中心地では(21キロ平方メートル)朝7時から夕方の6時半まで進入するにはお金がかかる。
一日に5ポンド、日本円で1000円ちょっとでしょうか。
この制度が導入されて3週間が経ちますが、予想以上に成功しているようです。
かなり反対や批判もあったようですが。
で、この成功を見たイギリスのほかの市も導入を検討しているとか。
このシステム大いにIT技術が導入されているようです。 例えば金を払っていない車が進入した場合には「車両ナンバープレート自動読取装置」が見つけ出すのだそうです。
この読取装置は市内の各所に配置されているだけでなく、読取装置を搭載した車も巡回しているそうです。
このナンバープレート読取装置のために専用のソフトウエァーが開発され、また車のナンバープレートも読み取りやすいデザインに変更されたとか。
読み取りやすいためにデザインが変わるっていうのはなんだかな〜と感じますが。
オーストラリアのように何種類もの中から自分の好きなデザイン、自分の車のデザインに合ったプレートを選べるってのを大いに気に入っているので。
さてこの読取装置、そこまでしても読み取り間違いをするそうです。
据え置き型の装置で10%、移動型車載のほうで40%も間違えるとか。 そんなに間違えられたらたまりませんな。
罰金は80ポンドとのことですが、いちいち自分の車ではないと証明しなければならないのでは。
しかしこの有料化は将来シドニーでも検討されるようになるのではないかと思います。
東京はどうなんだろう? 皆さんはどう思いますか?
ロンドンに住む友人はその有料地区に勤務先があるので、ペダル付きの電気自転車(バイクか?)を購入したとメールをもらいました。
家からその有料地域まではそのバイクの電気モーターで走って行って、有料地区に入るとペダル使用という事で、料金は免除されるとの事。
彼は(建築デザイナー)結構な歳だし、寒い国だし、雨も多いのを考えると良いアイデアでは有るけれど、、、と。
で、この混雑解消用IT化は将来的にはもっと複雑になるそうです。
何と総ての登録された車をGPSのような技術で監視し、毎日の車の走行ルートや走行距離を割り出して、それに対して料金をかけるというものです。
走る時間帯や、いつも混雑する道は料金が高めで、空いている道は料金が安い、またはかからないというように、区分けされと書いて有りました。
ここまで行くとプライバシーの侵害にも当たるのではないかと思ってしまいますが。
交通渋滞が解消されるのは願っても無い事ですが、このような技術でどんどんと息苦しくなってくるのはもっと嫌であると僕は考えます。
2003年3月20日
とうとうイラク攻撃が始まってしまいました。
本日20日午後3時過ぎから、ハワード首相自ら攻撃の開始に伴いオーストラリア軍も参戦した趣旨の発表を行い国民の理解を求めました。
非常に短い演説で、詳細は軍事行動に支障を出さないために、ほとんどの内容は伏せられていました。
演説に続く記者からの質問にも、攻撃の規模や期間などには一切答えていませんでした。
どの程度の規模の攻撃になっていくのかは今の時点で非常に掴みにくい部分も多いのですが、大量破壊兵器が隠されていると考えられている場所を中心に攻撃が始まるとのことですが、欧米から駆けつけた「人間の盾」の人達のいる場所なのか気になります。
さて、今この日記はCNNのニュースを見ながら書いているのですが、入ってくる映像というのがまるでPCのインターネットを使って、メディアプレーヤーのようなソフトで動画を見ているような部分が多いです。
これは湾岸戦争の時よりもインターネット技術が発達しているために、今までは限られた映像しか入手できなかったのが、かなり詳細に報道出来るようになってきているからでしょう。
インターネットの発達といえば、シドニー・モーニング・ヘラルド紙というオーストラリアでナンバーワンを誇る新聞に「NEXT」というページがあります。
ページが有るといっても、日本の新聞で想像されるような中折(と言ったっけ?)ではなく、独立したページです。
確か隔週の火曜日に発行されると思います。
この「NEXT」というのはIT関連専門のページで、一般紙について来るにもかかわらず、一昨日火曜日のでも10ページにも及びます。
いかにオーストラリアではITの重要性が認識されているかの証拠でも有ります。
どれほど多くのオーストラリア人が重要性を認識しているかははなはだ疑問ですが、少なくともその重要性を認識させる意図があって、このような多ページに渡る独立したページを発行しているのだと思います。
内容はIT関連では何でも有りで、ITの新技術開発といったお決まりの内容はもちろん、経済、医療、また人物紹介と、非常に興味深いです。
多分日本の一般紙ではせいぜい1ページくらいでお茶を濁しているのではないかと思います。
さてその「NEXT」を見ていたら、オーストラリア人のインターネット接続人口の統計が出ていました。
州別で見るとやはり僕の住むニュー・サウス・ウエールズ州が一番多く158万人。 2位がメルボルンのあるヴィクトリア州で118万人。
この二つの州だけで全国に456万人いるインターネットユーザーの60%を超えてしまっています。
地域の格差というのは思っていた以上に有るようです。
地域的なハンディを補うのがITの一つの目的なのに、人々の意識の問題なのか地方に行くほどインターネットへの関心は少ないようです。
僕のようにシドニーという都会には住んでいるが、自分の出身国からは遠くは離れて住む者にとっては「インターネット」というのはまさに「魔法の箱」なのですが、僻地に住む人たちにとっても同じ恩恵を受けられるはずなんですけどね。
やっぱり意識の問題なのかと。
確かにオーストラリアはインフラがまだまだで、ブロードバンド等日本の足元にも及びません。
という日本でさえ韓国の足元にも及ばないとつい最近までは言われていたのですが。(今はどうなんだろう) ただしADSLのような技術は、この土地の広いオーストラリアではかなり難しい面もあるのかもしれませんが。
日本でもADSLのようなブロードバンドは地元局との距離や、回線状態でちっとも速度が出なかったり、接続さえ諦めなければならない地域が、地方でなくとも結構有るとのことなので。
このオーストラリア450万人ユーザーという数字も日本と比べたら(人口比)どのくらいなのか判りませんが。
少なくとも企業の上層部のITに対する認識度という面では日本よりははるか上だと思います。
何しろ僕の中学の同窓生であるIT関連の重役をやっているのがいますが(超大企業の中のIT関連会社)いまだにキーボードを打つのがおぼつかないなんてのがいるくらいで、子供の時からタイプは当たり前、つまりキーボードには何の違和感も無く、同じ英語という言語を使うために、欧米の情報がそのまま耳に入ってくる環境とでは差がついてしまうのは致し方ないことかもしれませんが。
2003年3月21日
日本でもイラク攻撃のニュースばかりではないかと思います。
このアメリカの行動に対して、僕の日記でどう取り上げようか迷ったのですが、どう書いてもなぜか空しいので控えることに。
確かに国連を無視したアメリカの行動について、書きたい事は多いのですが。
しかし、反対の立場を取ったフランスにしても平和的解決という聞こえの良い理由だけでなく、中東における石油の利権など等、とても一筋縄で行かない裏の駆け引きが多くあるのは皆さんもご承知のごとく。
僕のような「シロウト」が、何を言っても始まらないと思います。
ということで、全く関係ない話題でも書こうと思ったのですが、横にあるテレビは戦争のことばかり。
で、今回の戦争の結果がどうなるかは別として、戦争に勝利した時にやはり兵士はVサインをするのだろうかと考えた。
というのはこれは非常に不思議なのですが、日本で記念撮影などをする時に、いまだにこの指を二本立てて「Vの字」にする人がいる。
僕はいつから日本でこのようなサインが写真用に流行りだしたのか良く分からないのですが、いまだ非常に奇異に感じます。
(つまり今のような情勢ではなく日本中が平和ボケをしているような時にも、記念撮影というとすぐ指を二本立てるという意味です。)
日本人が指を二本立てるのを見るたびに、ウインストン・チャーチルのヴィクトリー(VICTORYのV)
のサインを思い出してしまう。
多分これがオリジナルだと思う。
しかし日本ではいい年をしたオジサンまでが写真を撮るというと、何かもう反射的に指を二本立てるってのはどうにも気持ち悪いです。
世界でもそんな事するの日本人だけ(何か特別な意味をこめたい場合は別だが)だと思うが、いつからあれが写真のポーズになったのか。
あれは「ピース・マーク」というらしいが、俺たちは相手を叩きのめして、戦争に勝ち、これからは「平和が来るぞ」っていう意味で、ピース・マークにも取れる。 何か変。
指を立てると言えば、「中指を一本」立てるのがあります。 この場合はVサインとは違って、手の甲を相手のほうに向けるのですが。
で、今朝女房と散歩の途中で何気なくふと疑問に感じたんです。
「ねえ、この中指を一本立てるの、一体オリジナルは何処から来たの」
まあ相手に対して罵倒する代わりにこの動作をする事によって、自分の気持ちを表す、いや罵倒の意味ではなくとも相手を追い払いたいような場合にも使う。
含まれる意味に多少の差は有っても、ほとんどがネガティブな意味ではあります。
しかし、僕の疑問は「なぜ、中指なのか」というのもなのです。
何で今まで考えた事も無かったのか。 いや正確に言うと、あの指を立てるというのはF○CKという言葉と一緒に使われるので、男の一物の関連しているからではないかと、勝手に想像してそれ以上深く考えなかったのです。
ところが、いつものように女房は「また何を唐突にくだらない質問をして」と言うと思ったのですが、「あら、偶然ね。 こないだのヘラルド(新聞)にその事が話題になっていて、読者から色々な説が登場していたわよ」との事。
女房の話によるとこの「中指サイン」の起源については多くの説があり、数日に渡って色々な投稿が出ていたとの事。
で、聞いてみると(どれが本当かは置いといて)かなり大昔からこのサインが使われていたのは確かなようです。
何か歴史が有るんですね〜。
その新聞に載った説の一つを簡単に紹介します。
16世紀頃のイギリスでは戦争で大型の弓を使っていたらしい。
イギリス兵士のこの「大弓」は大変威力があり、近隣諸国にも恐れられていたらしい。
その時代は弓等を使うために、接近戦が行われていたのですが、ある時フランスとの戦で、フランス領に攻め込んだイギリス兵士たちは、相手のフランス兵を威嚇するためにこの「中指サイン」を使ったらしい。
つまりこの時代の弓は中指を弓の弦に引っ掛けて矢を引く、つまり弓を使うという意味で使ったらしい。
また中指を立てた手の形は確かに矢を引いた弓の形を表しているようにも見えます。
この攻撃力があることで恐れられていた大弓が出てくるぞと、相手の戦意を喪失させるために、このサインを示したというのです。
つまりこの場合は死にたくなければ「とっとと消えうせろ」という具合でしょうか。 (今アメリカ軍はこの指サインの代わりに大量のビラやチラシを飛行機から撒いているらしい。 無駄な抵抗は止めてすぐに降伏するように。 また石油施設には火を放たないようにと)
確かに現代でも「F○CK OFF」と言いながら中指を立てることは多いので、何か妙にこの説に信憑性を感じてしまいます。
他にも多くの説が書かれていたそうですが、上記の説も女房の記憶を元に書いたのでどこまで正確かはわかりません。
戦争の話題からVサインの事になり、そして中指サインに話題が飛んでしまいました。
皆さんの中でこの中指サインの起源を知っている方がいたら教えてください。(何の役にも立たないが)
2003年3月22日
本日はニュー・サウス・ウエールズ州選挙の投票日です。
僕は日本国籍のままなので投票権は有りません。 じつは20歳代で日本を出てしまった僕には「投票」の経験は一切無いのです。
最近になって一度くらいは投票をしてみたいと思っていたら、海外に住む日本人にも投票できるような法改正が日本で行われたのです。
しかしその手続きは非常に面倒なもので、いちいち自分の本籍がある、日本の最寄の区役所に申請手続きをしなければならなかったと思います。
どうせ日本に帰る気は無いので、いっそオーストラリアの市民権を獲得すれば投票は出来るですが、どうしても日本国籍というのも捨てがたい。
自分のアイデンティティーが崩れてしまうというような気がします。
日本には戻りたくないのに、日本国籍は捨てたくない。
これはオーストラリアに住むために日本を捨てたのではなく、その時その時に自分にとって居心地の良い「ところ(国)」に住みたい、だから最初にロンドンに住みに行き、もう充分と感じて次はアメリカかオーストラリアで迷った末にオーストラリアに来たという事情があります。
つまりひょっとするとまた違う国に住みに行きたくなるかもしれない。
オーストラリアに一生住むのだという気は最初から全く無い。
しかしあまりにも居心地が良いので気が付いたらもう23年も住んでしまったというところなので、オーストラリアの市民権は今まで考えた事も無かったのです。
さて、本日の投票は朝の散歩の途中で最寄の小学校に設置された投票所でと女房が言うので、僕は外で待っていました。
昔の日記にも書いたようにオーストラリアの選挙は非常に「のんびり」しているというか、自分の住んでいる地区内なら何処の投票所に行っても良い。
で、投票所で自分の名前と住所を言うと係員が有権者名簿からその名前を見つけ、投票用紙をくれるのです。
で、「のんびり」していると書いたのは、総ての投票所がオンラインで結ばれているわけでもなく、その上好きな投票所に行って良いわけなので、「ズル」をしようとすればいくらでも出来るのです。
つまりAという投票所で投票を済ますと直ぐにBにある投票所に行って投票してしまうということが出来る。
そして投票用紙には投票者の名前は書き込みませんから、開票後に数が合わないとなった場合にも、誰が「ズル」をしたか等分からないのです。
投票用紙に番号さえ打ってなく、一応投票用紙を渡した係員が後ろにサインをするのだそうですが。
この不正をどうやったて防ぐのと女房に聞いたら、係員から投票用紙をもらう時に、「すでに投票はしていませんか?」と聞かれるだけなのだそうです。
つまりお互いの信頼の上に成り立っているのです。
ですから不正の可能性は十分有ると言ったら、「なぜそんな不正までして投票するの? そんな事考える人いないわよ」と言われてしまうだけ。
そう、僕はこのノンビリさがとっても好きなのです。
で、本日は州議会の議席の半分の改選で、上院と下院両方です。
僕の住む地域は保守系(リベラル)が強い地区、しかし議会のマジョリティーは労働党です。
この2大政党とは別にもう一つ自然環境保護等を強く推し進める「GREEN グリーン党」というのが有ります。
僕が昔住んでいたボンダイジャンクションの家のお隣は有名な左翼活動家夫婦がいました。 特におばあさんの方はオーストラリアでも有名な共産党員であったので、SBSというテレビ局で彼女のドキュメンタリー番組を放送した事があります。 彼女がスターリンと会談していたりという映像を見て僕は驚いたものです。
すでにその老夫婦は亡くなり、その娘が(僕と同年代)共産党ではなく、このグリーン党の初期から参加し、今では彼女も州議会(上院)でも有名な政治家になっているようです。
で、今回の選挙には何とその彼女の息子(ばあさんから見ると孫)が同じ「グリーン党」から下院に立候補しているのです。
確か我が娘と同年で、子供時代には我が家にしょっちゅう来ていたあの丸い顔の坊やが立候補なんて、まあ政治家には若すぎるとは思いますが、つくづく僕は自分の年齢を感じてしまいました。
それにしても、彼らを見ているとつくづく「政治は世襲制」なのではと感じてしまいます。
日本にも二代目(三代目)政治家がうようよしているのを見ても、弊害が必ず出るのではと考えてしまいます。
アメリカのブッシュ大統領にしても、イラク攻撃の理由の一つが彼の父が大統領時代に達成できなかった夢を息子が、なんて言われていますから。
2003年3月24日
昨日はダブルベイへ「The
Pianist(日本名は戦場のピアニスト)」を観に。
久しぶりに感動しました。
特に僕の周りにはこの映画の主人公と同じような体験をしたポーランド系やハンガリー系のユダヤ人(僕より当然年上)の方も多く、その上この映画を観た劇場がダブルベイ(ユダヤ人が非常に多い地区)僕の座った席の周りにも一目でユダヤ系と分かる老夫婦がかなり目に付く状況では、多分日本の映画館で見るのとはもう一つ感情入り方が違うというか。
ユダヤ人が虐殺されていくシーンなどでは、傍にいる観客のまさに「息を飲む」のが聞こえてくる。
主人公を演じる俳優にしても、僕には初めて見る「顔」(すでに他の映画で見ているのだろうが全く印象にない)のですがこの役にぴったり。
この俳優「エイドリアン・ブロディ」本当にこれ以上「ユダヤ人」らしいのはいないのではないかと言うほどの「ユダヤ顔」、やっぱりアメリカって俳優の層が厚いって感じます。
主人公にしても、またその家族にしても、僕のお隣さんに酷似している。当然映画の中でのセリフは英語だが(本当はポーランド語のはずだが)主人公の父の「ポーランド訛の英語」などもう僕の友人達そのまま。
実際にそういう友人達の経験談を聞いたことのある僕には、この映画かなり「入っちゃって」ました。
この映画で一番感動したのは、ドイツ人将校が彼を助けるシーン。
これはフィクションなのかノンフィクションなのか最後まで非常に気になったのです。
しかしエンディングでこの将校(実名も出ていた)が戦後ロシアの捕虜収容所で亡くなったとキャプションが出るところを見ると、本当だったのだと。
芸は身を助けるってまさにこれ。
僕はこの映画を見ながら、全くの無抵抗で殺されていくユダヤ人達に、ある種の「違和感、いや不快感さえ」覚えていた。
特にドイツ人将校の、その日の気分でいきなりユダヤ人の列の中から数人を引っ張り出して、次々と殺していくシーン。
最後に殺される男が、自分の番になった時にドイツ将校の拳銃の弾が尽き、(助かるのかと、僕は思った)薬きょうを詰め替えるまでも、おとなしく道に腹ばいになって殺されるのを待つシーン。
100%その場で殺されていくのが判っているのに、逃げようともしない。
「窮鼠猫を噛む」のような行動を全く取らない。
僕はこれらのシーンを見ながら、自分なら「こんな行動」は絶対に取らないと。 その上、その場には仲間のユダヤ人もいるのに何もしない。
羊だって「逃げる」等の何らかの行動を取るはずなのにと。
またこの映画の中で、主人公の家族のセリフで、「ユダヤ人がこのような状態になっていると知っているのに、アメリカのユダヤ人は全く何もしてくれない」というのが有りました。
その場で仲間が殺されて行くのに、囲いの中の羊のように他のユダヤ人は何もしなかったという教訓(悔いか)が、そしてアメリカのユダヤ人が動かなかったという悲しい歴史が教訓として残り、その反動として今のアメリカのユダヤ資本の異常なまでのイスラエル援助や、中東でのアメリカの行動に多大な影響を与えていると感じます。(これはこれで非常に残念な事です)
映画は約2時間半もの長さだったのですが、全く「あっという間」に終わってしまった。
僕にとってはかなり気に入った映画でした。
ポランスキーももう70歳近くになるはずですが、やっぱりこの手の映画を作らせたら、右に出る者はいないでしょうな。
彼がオスカー取ったらアメリカに来るのだろうか。
昔の罪は時効になっていないのだろうか。
ちょっと興味有ります。
2003年3月25日
ちょうど「戦場のピアニスト」を観た直後だったので、昨晩のアカデミー賞が気になっていたのですが、僕の予想通り「主演男優賞」と「監督賞」を獲得しました。 (アカデミー授賞式は随分久しぶりに見まし)
この映画、ハリウッド製の映画とは一味違って、僕のお勧めの作品です。
そうそう、この映画の実際の主人公ウワディスワフ・シュピルマンの息子さんって日本に住んでいるんですよね。
偶然見た「何でも鑑定団」というテレビ番組にその息子さんが出て、形見の腕時計を鑑定してもらっていました。
映画を観ようと思っていた時なので、非常に強く印象に残っています。
息子さん(と言ってもかなりの年齢ですが)は若い時に日本に来て気に入りそのまま日本に住み着いて、今は日本の大学で教鞭をとられているとか。
「何でも鑑定団」に出演された時にも、かなりペラペラな日本語でした。
映画の中でも、腕時計を食料等のために渡すシーンが出てくるが(結局騙される)もし映画を先に見ていたら、その「何でも鑑定団」もっと面白かったかも。
それにしても昨日の日記に書いたが、主人公演じる「エイドリアン・ブロディー」典型的なユダヤ人顔。
じつはアカデミー賞を見る前に女房と話していたのは、「あの鼻は本物か」ということ。
最近のメイクはすごく良く出来ているので、あの「典型的な鼻」は付け鼻ではないかという予想もしていたのです。
しかし本物でした。
キャラクターによってはあの鼻では結構きついものがあるのではと。
その上、かなり「マザコン」ぽい。 彼を俳優にした母が授賞式に一緒って、あの彼の顔立ちといいちょっとキモイかも。
先日見に行った「パンツ」という芝居にも、下宿志願者の中にユダヤ人が含まれていて、(20世紀初頭のドイツが舞台)入居契約書に名前を書くときに思わず「コーエン(COHEN)」と典型的なユダヤ名を言ってしまい、家の主に「コーエン??? まさかおまえはユダヤ人ではないだろうな」と問い詰められるシーンがある。
とっさに彼は「コーエンでもCで始まるコーエンではなく、Kです」と答えてごまかそうとすると、いきなりその主はコーエンの顔をつかんで横を向かせ鼻を見るというシーンが有る。
で、その芝居では俳優がメイクで典型的なユダヤ人の鼻をつけているのです。
そんなことが有ったから、ひょっとしたらブロディーもひょっとするとと思ってしまった。
そうそう、やっぱり監督のロマン・ポランスキー、監督賞受賞したのに来ませんでしたね。
今回は日本のアニメも受賞したし、ドキュメンタリー等の海外にいる受賞者が出席しなかったのは、当然イラク戦争が勃発したからでしょうが、ポランスキーは戦争が無くとも出なかったでしょうな。
大体アカデミー賞貰いたいって思って映画作るような人物じゃないような。
ドキュメンタリー賞の受賞者マイケル・モアーがアメリカのイラク攻撃に異議を唱えたのが僕には一番印象に残っています。
確か彼はアメリカの学校で生徒が拳銃で多くの級友達を殺してしまった事件を題材に、ドキュメンタリーを作った人です。
さて話は変わって、日曜日(一昨日)の夜「ニュータウン」にあるタイレストランに母と女房と3人で出かけた時の事です。
いつも娘が(彼女の職場が比較的近い)昼に食べに行って「メチャクチャ安くて、美味しい」というので、出かけて行きました。
店はに80%程客が入っていました。
ちょうど僕らの注文が運ばれてきて食べ始めた頃です。 若いカップルが入ってきて、僕らの横のテーブルに座りました。
ウエイトレスが直ぐに来て二人用のテーブルがあちらに有るのですがと彼らに言うも全く無視、直ぐにカップルの女性の方はトイレはどこと言いながら消えてしまいました。
よく見るとそのテーブルは6人用ので、店の中には2人から4人まで座れるテーブルが他にも有るのに、無理やりそこに座ってしまったのです。
で、そのカップルを良く見るとアボリジニーの血が入っていてかなり濃いめ顔。
なぜこの二人はウエイトレスを無視してこのテーブルに座ったのだろうと、僕は考えながら女房に「なんかヤバイやつが入ってきたよ、ラリっているのか、ウエイトレスが違うテーブルにって言うのに全く無視してて」と日本語で伝えました。 (先日の日記ではないが日本語は喋れそうにないので)
で、その男は女房の真横ですが、女房とは背中合わせになる位置に座っていました。 僕とその男はお互い向き合う形なので、ちらちらとその男の方を見ていました。
女の方がトイレから戻ると、ウエイトレスが彼らの注文を取りに来たのですが、また女はすっと立って、自分で飲み物が入っているクーラーの方に行ってしまい、またしてもウエイトレスを無視しています。
僕はその二人の挙動を見ながら「おかしいな〜、怪しいな〜」と何度も考えていました。 ラリっているのだろうか。 女房にもその事は伝えました。 で、また女の方がコーラを持ってそのテーブルに戻って来た時に、ウエイトレスがさっと飛んで来て、その二人からオーダーを取るのかと思ったら、いきなり女房とその男の間に立ったのです。
そのウエイトレスの立った位置が壁を背にしていて、あまりにも不自然で、僕は女房に「何かおかしい!」と言った途端に女房がはっとした顔でさっと彼女の足元の物を掴みました。
そう、彼女はうかつにも財布等が入っているショルダーバッグを足元に置いていたのです。
僕の位置からは見えなかったのですが、その男からは丸見えだったのです。
で、女房がカバンをつかんだ途端に、その男と女は走るように店を出て行ったのです。
その時にはまだウエイトレスがそこに立っていたので、男は女房のカバンを掴むには非常にやりにくい状態になっていたので防げたのです。
コーラ等は手をつけているのに(料理の注文はしなかったが)全く金も払わずに逃げるように出て行った途端に周りのテーブルのお客からも一斉に「イや〜危なかったわね〜」と声が上がりました。
そう、そのウエイトレスはカップルの挙動にすぐにピンと来て、しかしまだ手を出す前の男の真横で、我が女房に向かってカバンは危ないから床におかずに膝の上になんて言えなかったのです。
で、彼女は機転を利かせてわざわざそんな不自然に位置に立ったのです。
それも女房が気がつくまで何もしないでそこに立ち尽くしたのです。(短時間ではあるが、普通なら非常に不自然な行為)。
男は直ぐに勘ぐられた事を悟り、金を払う気も無いし(払う金も無い)さっと店から飛び出して行ったのですが、ウエイトレスは総てをお見通しだったので追いかける事すらしませんでした。(飲み物だけだし)
全く迂闊な僕らだったわけですが、そのウエイトレスの機転に感激した女房は食事のチップ以外にもそのウエイトレスに直接チップを上げようとしたらなかなか受け取ってもらえなかった。
しかし無理やり押し付けてきました。
まあ場所柄にもよるのでしょうが、皆様も大いに気をつけてください。
(まあ日本ではこんなことは起こらないとは思いますが)
と、ここまで書いたら前に目撃した食い逃げの事を思い出してしまった。
その件はまた明日にでも。
2003年3月26日
3月7&8日の日記にアウトルック・エクスプレス(OE)の問題の事を書きました。 すでにその時点で原因はインターネットエクスプレス(IE)のバージョンを6にした為であろうと予測をしていたのです。
僕の場合ウインドウズ2000を使っていてIEはずっと5.5を使用していたのですが、新しく購入したヴィデオカードの付属のヴィデオキャプチャー用ソフトウエアーがIEの6を勧めているものだから、もうそろそろこのIE6も安定してきた頃だしと思ってヴァージョンアップをしたのです。
ところがそれから少ししてアウトルックエクスプレスで電子メールを書いている時に頻繁に不具合が発生するようになったのです。
長いメールを書いている時や、メールにコピーアンドペーストで他の文を貼り付けたりすると突然のごとくエラーが表示されてOEごと落ち、書いていたメールは消滅してしまうのです。
特に長いメールを書いている時に落ちるのでこれには本当に閉口しました。
で、僕はこれは絶対にIEを6にアップしたせいであるとにらみ、結局それを削除し、5.5に戻したのです。
コンピューターが不具合を起こす場合、原因は本当に多くの理由が考えられるので、100%このIE6のせいであるという自信は無かったのですが、他に考えられる総ての事は試した(つもり)のに依然不具合が残っていたので、これしか考えられなかったのです。
なにしろ最近新しくしたヴィデオカードやそのソフトから始まって、ハードディスクが物理的にくたびれて来たのかとか、電源ではないかまでハードもソフトも随分調べてみたのです。
そうハードディスクも替えたし、電源(かなり高級なやつ)も新しくした。
ところが何と、マイクロソフト社はIE6を使っている環境にマイクロソフト社が勧める「重要な更新とサービスパック」の「810847」をダウンロードしてインストールすると不具合が出る事を認めたのです。
それにしても僕が不具合に悩まされてからだいぶ経ってからです。
そしていまだにその解決策は明記されていません。(僕が見に行ったサイトでは)
つまり、もうそろそろ「こなれている」頃だろうと思ってインストールしたIE6はともかく、「重要な更新」という嫌でも入れなきゃいけないようなカテゴリーのものが不具合を起こしているようなのです。
もちろん人間の作るものだから完璧なものは無いのは判っていますが、「重要な更新」としてユーザーに入れさせる「バッチ」が不具合の元になり、そしてその不具合についてのお知らせも直ぐには出さず、もちろんユーザーが困り、色々調べて初めてそのお知らせを見つけるという状態って、「すごい商売」してるなって妙に感心してしまいます。
少なくともウインドウズアップデートのページにそういったインフォメーションも提示しておくべきだと思うのですが。
僕はてっきり自分の使っているウインドウズ2000とIE6との相性かと思ったのですが、どうやらウインドウズXPやウインドウズMe&98のユーザー達にも同じ不具合が出ているようです。
もし皆さんの中でOEでメールを書いたり送ったりの作業の中で不具合が出るようなら、この件を疑う価値は充分に有ります。
さて、昨日ちょっと触れた「食い逃げ」。
もうだいぶ前のことになるのですが、一家でライカードにあるイタリアレストランで食事をしていた時の事です。
昨日の日記に書いたタイレストランとは違いかなり高級で、インテリアもモダンなイタリア家具で揃えているような店です。
値段もそこそこで、イタリア料理としては高いほうだったと思います。
やはり昨日の日記のように、僕らの真隣のテーブルで男女4人が食事をしていました。
僕らより早く来ていた客なので、僕らの前菜が運ばれてくる頃には彼らはデザートを食べていました。
別段変わった様子も無くきちんとした身なりの(30歳前後)4人は楽しそうに夕食を楽しんでいるように見えました。
こういうレストランでは食事に時間がかかるだけでなく、最初に席についてメニュー持って来るまででも、かなり時間かかることがしばしばです。(気の短い僕はだいたいこの辺からしてイラつくことがある)
メニューをやっと持って来たと思ったら、今度はオーダー取りに来るまでまた馬鹿みたいに待たされたり。
で、その隣に座っていた4人はデザートも終わりコーヒーも飲み終わって、お勘定を頼んでいたと思います。
それほどウエイターの多くない店だったので、お勘定書きを頼むにも、なかなかウエイターが傍を通らなかったりで待たされます。
やっとそのテーブルにお勘定書きが届けられてからも、4人は何やら話していました。
そして、最初に女性が一人ゆっくり立ち上がりそれに続くように男女のカップルが立ち上がり、店を出て行きました。
一人残った男もほんのちょっと間を空けて、彼らを追うように出て行ったのですが、最後の男だけがかなりの早足でした。
その速度に僕はちょっと違和感を覚え、テーブルの上に置かれたお勘定書きを見たら、金が置かれていないようなのです。
しかし高級レストランではしばしば「お勘定書き」は黒い名刺入れのような物に(何て言うのだろう)はさまれて来ますから、ひょとするとその中にお金がはさまれて可能性も有るのですが、しかしどうも変です。
変だと見ているのですが、そこのウエイター達は忙しく立ち回っていて、そのお勘定書きを回収に来ません。
もう5分も経った頃にウエイターがやって来て、その黒いお勘定書きをはさむやつを持ってレジの方に向かいながら開いた途端、「Oh Shit!!!」と叫んだのです。
やっぱりです。 彼らは「食い逃げ」をしたのです。
もう追いかけても影も形も無い頃に気が付いたわけです。
その慌てぶりを見て僕は失礼なが笑いをこらえるのに必死でした。
ボヤボヤしてるんだもの。
前から僕はこういう事は簡単に出来ると思っていました。 何しろサービスがスローでお客が払ったお勘定がテーブルの上に置かれていても、直ぐにお金を回収に来ないってしょっちゅう見ていましたから。
オーストラリアではカードで払う人が多いので、お客がサインしたカードのスリップ等を盗んでもしょうがないので、ウエイターは直ぐに回収に来ない事はわかるんですけど。
しかし僕のように普段は現金で払う者は、キャッシュを置いて席を立っても、ウエイターが来ないのを見て、キャッシュ剥き出しだしと心配してしまうほどノンビリしているのです。
昨日の話も今日の食い逃げも日本ではなかなか経験できそうに無い話でしょ。
2003年3月27日
僕のホームページの中にある「モータースポーツ」の欄に何度か登場している若きオーストラリアのレーシングドライバー「ジェイムス・コートニー」について今日は書きます。
今年は日本でレース活動をするという話は今年の最初にちょっと聞いていたのですが、なかなか具体的な話が伝わって来ず、僕はずっとやきもきしていました。
オーストラリアのドライバーは非常に優秀なのが多いのですが、残念ながら国の経済規模が小さいために、国際的な大企業というのが非常に少ない。
という事は外国で活躍しているレースドライバーにとってはオーストラリアの企業にスポンサーになってもらうという事がほぼ不可能なのです。
ですから昨年イギリスのF−3というカテゴリーでジェイムス・コートニーが戦い始めた時には大いに期待したものです。
同時にジャガーF−1ティームからも、テストドライバーの仕事を貰って、彼の将来は順調に見えました。
F−3のカテゴリーでは常にトップタイムをマークして、ほとんどのレースでポールポジションを取り、何度か優勝をしてまだシーズン半ばなのに、このまま今年のチャンピオンは彼で決まったなと思って見ていました。
ところがちょうどシーズンが半分ほど終わった頃に、ジャガー・フォミュラーワン・チームからテストドライブのお呼びがかかったのです。
F−1のテストドライバーになれただけでも、すごくラッキーだと僕らは見ていたのですが、彼はそのテスト中に大きな事故に遭ってしまったのです。
その事故の詳細はあまりオーストラリアには伝わって来なかったのですが、かなり体にダメージが有ったのではと言う記事は覚えています。
しかし僕も昨年の5月末に親父を亡くし、葬儀や身辺整理、はたまた日本でのお別れ会と、レースどころではなくなってしまい、僕自身もカートのレースからも引退してしまった程なので、彼と連絡も遠ざかっていました。
とても気にはなっていたのですが、しかしその大きな事故の後F-3のレースを数戦欠場しただけでまた復帰したので、大丈夫だったのかと安心しました。
しかし、彼にはかなりの後遺症が有った為に、その年のF−3の後半戦はすっかり精彩を欠いてしまい、結局チャンピオンを取れずに2位で終わってしまったのです。
さて、近年の世界的な不況でレーシングドライバー達にとってもシートを確保するというのは非常に難しくなって来ていたのですが、ジェイムスも苦労しているというのは聞いていました。
ところが先週の日曜日に日本で行われたF−3のレースで彼は「トムス」というティームから日本でデビューしたのです。
僕には日本でのレースの詳細がなかなか伝わって来ないので、彼の父に電話を入れてみました。
ジム(父)は一緒に日本に行っていたのですが、昨日オーストラリアに帰って来て、電話で随分長く話し込みました。
その中で一番驚いたのは、その昨年の事故の詳細でした。
時速315Kで走行中に後輪が突然脱落、ガードレールに激突したのですが、車輪が無くなったために減速が効かず、衝突時にはまだ300キロを超えていたそうです。
すぐに病院に運ばれたのですが、脳が異常に腫れて圧迫し、数日は右半身が完全に麻痺、右手足等は全く動かす事が出来なかったそうです。
その後、驚異的な回復は見せたのですが、やはりというかその影響は大で、後半戦では一度もポールポジションも獲得できず、昨年のF−3のチャンピオンの座を獲得出来なかったのです。
今年はF-3000のオファーも有ったのだが、種々の事情により日本のレーシングティーム「トムス」から全日本F−3を戦う事になったそうです。
雨の第一戦は予選でポールポジションを取ったにもかかわらず、ピット出口の白線を跨いだという事で、記録取り消しになり最後尾からのスタート。
しかし驚異的な全員ゴボウ抜きをやって、優勝してしまいました。
また第2戦では予選のタイムが他のドライバーより約1.5秒も上回っていて、完全にレベルの差を印象付けました。
しかし第2戦もまたまたペナルティー(ドライブスルー)を受けて、残念ながら8位でのフィニッシュでした。
ピットロードの走行速度が規定よりたった2キロ程速すぎたので、ペナルティーを受けたようですが、彼としては今年は絶対に日本でチャンピオンを取らないと、もうF−1への道は無いと思いますので、本当に頑張ってもらいたいと思っています。
ジムとの会話の中では、ジェイムスと同期の若きドライバー達で「キミ・ライコネン」が先週の日曜日にF−1初優勝を遂げ、アロンソがスペイン人として初めてF−1のポールポジションを獲得と大活躍しているのを見るにつけ、ジェイムスが日本のF−3ってのもちょっと差がつき過ぎてしまったかと。
何しろゴーカート時代からF−Fに上がった頃まで、ジェイムスはその二人には一度も負けたことが無いのですから。
本当に人間の運命ってわからないものです。
2003年3月28日
昨晩は「サンタナ」のコンサートへ行って来ました。
場所は僕が昔住んでいたボンダイ・ジャンクションの家のまさに隣にある、センテニアル公園の中での「野外コンサート」。
考えてみると野外のコンサートに行ったのは、いったい最後はいつだったか思い出せないほど昔、確か「Turandot」というオペラを見たのが最後だったかもしれません。
ロンドン時代随分野外コンサートは行ったもので、昨晩もその当時を思い出していました。
僕がロンドンに住みに行った1970年代って野外コンサートが花盛りだったのです。
と、ここまで書いて「サンタナ」って何?って言われるかもしれないので、少々紹介を。(何しろ本日PC屋のジョンに昨晩のコンサートの事を話そうと思ったら「何サンタナって?」と言われてしまったのです。 まあ確かに彼はあまり音楽に興味無いみたいですが)
僕が「サンタナ」をはじめて聞いたのは1969年頃だったと思います。 もう少し後かもしれない。 やっぱり当時の曲で一番印象に残っているのは「ブラック・マジック・ウーマン」でしょう。
「ウッドストック」という1969年に行われた「野外コンサート」の事を皆さんはご存知でしょうか?
60年代カルチャーを象徴するそのコンサートは、当時のベトナム戦争の是非等をめぐって世論が揺れ動いてる時で、「愛と平和と音楽の3日間」というタイトルで行われ、それは映画になりその後色々な意味で多くの影響を与えたイベントだったのです。
3日間にわたって行われたそのコンサートは、入場者数30万人とも40万人とも言われ、出演者たちの素晴らしさもあって、その後「神話的」なイベントになります。
その「ウッドストック」コンサートにおいて、ほとんど無名だったサンタナは脚光を浴びる事になります。
ただしこの映画が日本に入って来たのは確か数年遅れ、すでに日本ではサンタナのブラック・マジック・ウーマンがヒットしていたので僕が映画を見た時には、彼らのことは知っていました。
(日本でのレコードデビューと映画が前後したのです)
何か本当に偶然なのですが、昨晩のサンタナの演奏を聞きながら、当時の事を思い出し、今のアメリカのイラク攻撃と似ている偶然を考えていました。
僕がサンタナのコンサートのティケットを申し込んだのはもう4ヶ月以上も前の事、まさかちょうどイラク攻撃が始まっているなんて予想もしていなかった時です。
そして昨晩彼らが登場して来て最初のナンバーが何とSoul
Sacrifice
なんて、もうタイミング良過ぎます。 背筋が「ゾクゾク」って来てしまいました。 (これこそが彼らがウッドストックで演奏し、注目を集めた曲なのですよ。)
あれからもう34年、僕と同い年のサンタナは相変わらず頑張っていて僕も見習わなければと。
数年前にはメガヒットアルバム(アメリカチャートNo1)「スーパーナチュラル」を出したのですが、昨晩のコンサートではその中からのナンバーが多く大いに満足でした。
昨晩のコンサートでもカルロス・サンタナは戦争反対のメッセージを織り交ぜながら2時間半に及ぶ大熱演(休みなし)、いや〜僕まで若返ってしまいました。
そうそう、このセンテニアル公園でロックコンサートが行われたのは、僕が記憶している限り初めてではないかと思います。
というのも、舞台の設置等を見ると初めての試みなのか、タダでも見えてしまうのです。
実は今晩も追加コンサートがあるのですが、もし興味有ればセンテニアル公園に行けば、充分無料でコンサート堪能できますよ。
全く遮断幕も何も無いので、フェンスの前に行けば結構近くで丸見えなのです、全くノンビリしてるでしょ。
一人90ドル(それでも安い方のティケット。 2種類有って高いほうは140ドル)も払った身としては、タダで見えるってのはちょっとしらけてしまいましたが。
と、書いてそうだ「ウッドストック」も途中からタダで入場を認めちゃったのだと懐かしく思い出しております。
2003年3月29日
昨日の日記に「サンタナ」のコンサートについて書いた後、女房と昔話に耽っておりました。
僕と女房が知り合って一緒に住み始めた頃と、日本で「ウッドストック」の映画が上映されたのが確か同じ頃ではなかったかと。
女房が留学生として日本に来たのが1969年の3月でした。
日本の文部省の招待留学生としてオーストラリアからは二人目だったと思います。
「ウッドストック」のコンサートが行われたのが同じ年の8月でした。
女房の記憶力はだいぶ怪しくなっていていて、昨日の日記を書くときにネットでコンサートの事を確認したのですが、日本に来る前にコンサートが行われたとばかり思っていたみたいです。
僕もこのコンサートのドキュメンタリ映画が日本で公開された年がいつだったか自信が無く、ネットで調べてみたのですがまだそのことが書いてあるページが見つかりません。
コンサートは1969年にあったのだからアメリカでの映画の公開は早くとも1970年と思われます。
ひょっとすると日本に入って来たのはそのまた翌年の1971年だったかもしれません。
いやひょっとすると映画の公開は1972年だったかもしれない。
というのも女房と僕が知り合ったのが1972年の1月だったのですが、この映画を一緒に観た記憶があるからです。
すでに色んなメディアでこの巨大なる野外コンサートの事は知っていて、日本での封切りが待ち遠しかった記憶もあるのですからすぐ見たはず。
30万人とも40万人言われたこのコンサートはあまりにも多くの人たちが来たためにコントロールがつかなくなり、途中から無料コンサートになります。(あまりに多くの人たちが押しかけてフェンス等が役に立たないために、入場料を取るのを初日で諦めたのです)
ですから結局このコンサートは確か赤字で終わったはずです。
で、昨晩は久しぶりに「ウッドストック」のヴィデオテープを引っ張り出してみました。
このテープの事はすっかり忘れていて、デジタルテレビにした時に購入した「デノン」のシアターシステムで6.1チャンネル(擬似6.1+コンサートモード)で視聴するのは初めてだったのですが、まあ画質の悪い事といったら。
考えてみると今から34年も前にほとんどが手持ちのカメラ(当然アナログ)で撮影されたドキュメンタリー風の映画なのですから、画質はいくらプラズマで見てもかなり苦しい。
しかし音はステレオで録音されているので、デノンの機能をフルに活用して、どうにか聞けるレベルに。
今まではテレビのスピーカーでしか聴いたことの無かったライブ演奏が蘇りました。
で、この映画の中でやっぱり一番光っているのはジミ・ヘンドリックスとサンタナです。
僕の持っているこのヴィデオにはサンタナは一曲だけsoul
Sacrifice ですが、すっごく輝いています。
そうこの演奏でカルロスサンタナは世に出たといっても過言ではないでしょう。
またこの映画のトリを勤めている「ジミ・ヘンドリックス」、初めて本格的なステレオ(擬似6.1)で聴いたためか、素晴らしさが倍増しました。
若くして他界してしまったが、彼の音は不滅ですな。
サンタナもジミヘンも一音聞いただけで判っちゃうでしょ。
音楽で最も大事な「オリジナリティー」の究極ですよね。
この映画を女房と一緒に観ながら、ウッドストックの時のベトナム戦争、そして一昨晩のコンサートではちょうどイラク戦争が勃発と、何という偶然という話や、そして戦争は永遠に無くならないという失望感。
そうそうもう少しアーティストの事を書きます。
確か僕が約30年前に映画で見た時には「ジャニス・ジョプリン」はカットされていた(確かではない)のですが、このオーストラリアで購入したヴィデオには一曲入っています。
彼女もジミヘンと同じようにドラッグで若くして命を落としてしまったのですが、僕の好きなアーティストの一人でした。
僕がまだロンドンに住みに行く前、1973年の秋に一人のアメリカ人のおじさんが僕を訪ねて来ました。
当時僕は六本木に住んでいたのですが、ベルが鳴って(寝起き)出てみると、でっぷり太ったアメリカ人が立っていました。
歳のころは40は過ぎていたと思います。
僕のやっていた仕事の関係で、ニューヨークから連れてきたモデルの娘からの紹介だとそのオジサンは言いました。
すぐに僕はアリエル(そのニューヨークのモデルです)が言っていた人だと気がつき、中に招き入れました。
まさかそんな早朝に当然来るなんて思っていなかったので、僕は寝起きでパジャマのまま。
彼の名前は「アルバート・グロスマン」といいます。
最初はピーター・ポール・マリーという男二人と女性一人の「トリオ」のマネージャーをしていて、その後ボブ・ディランのマネージャーをやった男です。
彼が僕のところに来たのは、彼がアメリカから着いたばかりで、日本で京都等の古都を訪ねたり、温泉に行ったりの目的のために、情報を仕入れに来たのです。
さて偶然なのですが、僕の好きな女性歌手「ジャニス・ジョプリン」が前年だったかにアルバム製作中に、オーバードース(麻薬の致死量を摂ること)で死んでしまい、すごくガッカリしていたのですが、このグロスマンはジャニスのマネジャーもしていたので、その時僕は彼女に死について根掘り葉掘り聞いたものです。
僕は彼女がオーバードースで死んだ原因が自殺に近かったのではなかったかと思っていたからです。
当時のロックミュージシャン達は楽しみのためにドラッグをやって、やり過ぎて命を落とすというのが多かったのですが、ジャニスの場合は彼女の生い立ちにも関係する精神的な不安定さで、自殺だったのではと思える要素が多くあったのです。
当時の話の詳細の部分は僕も忘れてしまっているのですが、彼は自殺ではなかったと言ったと思います。
ウッドストックの映画を見ながら、昔の事を色々思い出してしまいました。
皆さんもチャンスがあったらこの映画見てください。
LPのウッドストックのオリジナルジャケットの写真はコンサートのステージと観客の写真なのですが、左手の舞台の上で太ったロングへヤーの男が観客の方に向かって座っているのが、このアルバート・グロスマンです。(コンサートの話になった時に偶然ウッドストックのジャケット引っ張り出して話していたら、「これ、俺だよ」って)
ヴィデオ「ウッドストック」を見終わって、エンディングで流れるクロスビー・スティルス・ナッシュ・ヤングの「Woodstock」を聴きながら、背筋がジーンと来るのを感じていました。
2003年3月31日
昨日からシドニーは冬時間へ。
日本との時差が1時間になりました。 毎年毎年、1年に2度にわたり夏時間と冬時間に切り替えるわけですが、まことに面倒くさくて閉口します。
たった1時間だが生活のペースも狂うし(年取ると余計に順応性が悪くなるのかもしれない)、家中にある時計の針をその度に1時間進めたり遅らせたり。
腕時計や掛け時計、目覚まし時計はもとより、ヴィデオデッキなどの家電関係(デジタル放送のチューナー等今年は数が増え)はたまたキッチンの電子レンジからオーブンの時間表示までって、結構有るものなのです。
そうそう車の中の時計も直さなければなりません。
日本でもこの夏時間(冬時間)ってのは戦後すぐの頃に取り入れたそうですが、やっぱり生産性も悪くなるのか廃止になったようです。
オーストラリアに住み始めてから23年目、何度かこの「時間」調整を忘れて痛い目に遭った経験も。
夏時間から冬時間に戻る時には1時間戻るので、時間調整をすっかり忘れていても、待ち合わせ場所に遅刻する事はないのですが、冬時間から夏時間へ1時間早くなる時には注意しないととんでもない事になります。
ですからどっちかと言うと僕は冬時間に戻る時の方が好きなのですが(早く夕暮れが来てしまうというのは好きではないが)昨日も久しぶりに失敗をしてしまいました。
女房と一緒に「シカゴ」という映画(ミュージカル)を昨日見に行ったのですが、ランドウィックにある映画館の上映時間を土曜日の新聞で調べたのが間違いの元だったのです。
映画館に着いて入場券を購入し、「シカコ」と表示のある3番シアターに行ったのです。 この映画館は中を4つの小さな劇場に仕切って、同時に4本の違う映画を上映しています。
我々は近くの路上駐車で手間取ったために少々遅れ気味、慌てて入場券を買って3階に駆け上り「3番 シカゴ」と確認の上、入場しました。
入るとすでに映画が始まっているのですが遅れたといってもせいぜい5分程度なので予告編のをやっている時間のはず。
席に着いてその予告編 The Hours
(日本題名は知りません。 ニコールキッドマン主演。 今年のアカデミー主演女優賞獲得)を見ていました。
でも変なんです。 いつまでたってもその予告編終わらないんです。
「あれ〜?、これって予告編じゃないんじゃ?」と僕。 「でも今入り口に点燈していたネオンのサインは確か「シカゴ」だったよね」と女房。
でもいつまでたってもその予告編だと思っていた「The Hours
」終わらないんです。
しょうがないのでいったん外に出て改めて入り口を見るとやはり「シカゴ」とあります。
「え〜????」ってなもので入場券売り場に戻り「シカゴ」見に来たのに、「The
Hours」やってるけどと言ったら、「シカゴは4時15分からですけど」という答え。 腕時計を見るとまだ3時20分。
一瞬その腕時計の時間を冬時間に戻すのを忘れたのかと思ったが、入場券売り場の横にある時計も3時20分を指しているのです。
新聞には「シカゴ」は3時15分からって書いてあったし、今上の3番館行ったら外の表示も「シカゴ」になっていた、一体どうなっているのだと一悶着。
結局僕らが当日の(日曜日)新聞で時間を確認してこなかったのがいけなかったようで、シカゴは4時15分からと判明。
またなぜ3番館の表示がシカゴになっていたかと言うと、すでに「The Hours
」は半分以上終わっている状態なので、次の上映タイトルである「シカゴ」に早めに切り替えて表示しているだけと判明。
偶然夏時間から冬時間に切り替わる日だったので、余計混乱してしまった次第。 ったく、だから僕はこの夏時間制度嫌いと、それから1時間近くもシカゴの上映開始を待ちながらブツクサ。
さて、映画の「シカゴ」は一昨年だったかに書いた日記にも登場するように、僕はすでにこのミュージカルは舞台で見ております。
昨日見た感想は、やはり映画ならではの良さは有るにしても、ミュージカルは絶対に「生」舞台でしょうな。
なんでこの映画「オスカー」をあんなに沢山貰ったのか今だ「????」です。 特に「助演女優賞」なんて、俳優の実力は有るけど、この映画の中では賞を取るほどの役じゃないし、なぜって言う感じですな。
「オスカー沢山取ったから見ておかなきゃ」という馬鹿な理由で見に行ったら失敗しますな。
もっともオーストラリアは映画代がとても安く、特に僕らのように封切り後すぐに行かない者にとっては、失敗と言うほどの事でもないのですが。
ちなみに昨日の日曜日の入場料が10ドル(約730円)、火曜日の割引日に行けば8ドル50セント、日本円でたった600円くらいなのですから。
そうそう、この映画館では火曜日の割引日以外にも、赤ちゃんや幼児を連れたお母さんのための日(確か木曜日の昼間)というのも用意していて、気兼ねなく子供連れで映画鑑賞においで下さいって宣伝していました。
オーストラリアでは、幼児や赤子を映画館に連れて見に来るのはエチケットに反するし、はたまた家に置きっぱなしで出かけるのは法律違反だし、ベビーシッターを頼んだら映画よりも高くなってしまうしというので、映画館もこういうサービスを用意しているようです。
結構人気が有るらしいのですが、くれぐれも子供のいない方はその日は避けた方がよろしいでしょうな。
想像するだけでも、やたらあちこちで赤子や幼児が泣いていて、普段よりも映画のボリュームも上げる必要があるのではとか考えてしまいますがどうなんでしょう。