2001年11月後半の日記
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2001年11月15日16日
昨日の日記はお休みしたわけではないのですが、インターネットに繋ぐ僕のPCが使えなかったために、僕のホームページにもアクセスできなかったのです。
例のPC屋のニーチャンから「新しいケースが入ったよ」と、オーダーしたわけでもないのに電話が入って、ノコノコでかけていったのが運のつき、すっかりはまってしまっていました。
今までのPCケースには色々不満があって、自分で鉛の板を貼り付けたりして、騒音解消を試していたのですが今一つで、その上ほかにも不満があったのです。
そんなわけで、PC屋に今使っているのを持って行って、店の中で総てをバラして、組み立てなおしていたのです。
(そう、ケースを入れ替えるという事は一旦総てバラすという事で、新しく一台組むより時間がかかります)
まるで、PC屋で働いてるみたいで、その店の事知らない客など僕に部品の値段聞いてきたりして。
で、色々やっているうちに、どうしても余ったUSBコネクションを前面にも付けたくなり、パネルを切ったりドリルで穴を開けたりしていたら、閉店の時間になってしまい、残りを家に持って来て、シコシコやっていてふと気がついたら、もう夜の12時近くなっていました。(トホホ)
実は我が家ではブロードバンドの(ケーブルテレビ)接続にして以来、僕のPCがサーバー機の役目も果たして家庭内LANを組んでいるので、僕のPCが組み上がらなければ、他の家族もインターネットを使えないという状況で、これは確かに不便です。
もし僕のPCが壊れたら、ほかのPCも使えなくなる(他のPCをサーバー機にすればいいのですが、設定や置いてある場所つまりケーブルテレビの接続が壁から出てくる場所も動かせないなど面倒くさい事になる)ので先日日本に行った時に無線LAN(ルーターを兼ねる)を買ってくれば良かったと悔やんでいます。
買うつもりは有ったのですが、ちょうどウインドウズXPに切り替わる直前で、ひょっとしたら僕がXPを導入した後に不具合が出てしまうのではないかと危惧したのと、何と日本ではこの無線LANえらく売れてるのか、メーカーも強気で安売り屋で色々見て回ったのですが、ちっとも安くなかったのです。
と、またまたPCの話になってしまったので、いい加減切り上げて。
我が家ではもう何年も前からポルトガル人のお掃除のおばさんが来ているのは前の日記に書いたかもしれませんが、先週から庭師のオジサンも頼むようになりました。
実はこの家に入った時には、この家の前の持ち主が頼んでいた庭師がいたのですが(家付きと言うのか)、まだピンピンしていた我がオヤジは日本人の庭師と比べて働きが悪いだのなんだのと色々文句を言っていて、2年程でクビにしてしまったのです。
で、日本人の庭師をお願いしたらその人も他の州に行ってしまい、それなら自分でやると、まだ元気だったオヤジはオフクロと二人で切ったり掃いたりしていたのです。
ところが日本と違い面積も多くその上気候の良いシドニー、木々の生育の速さは日本の比ではなく、手におえなくなってきたので、しぶしぶ僕が手伝うようになってきたのです。
しかし今度オヤジが倒れて、何もできなくなってしまったので、近所に来ている庭師に聞いてみたところ月に2度ほどなら来る時間があるというので、それでも大いに助かるとお願いしたのです。
この「ヴィクター」という庭師のオジサン歳は50歳ちょっと手前くらいでしょうか、メチャクチャ働き者です。
もう見てて唖然としてしまいます。 こんな様に毎日色んな家に行って働いてるのだろうかと、ビックリしていたのですが、それよりも面白のは、我々に接する態度です。
このイタリアからの移民のオジサン、雇い主つまり我々に対する態度がまるで中世の貴族と家来みたいなのです。
朝(7時ちょうどに来ます)来た時に僕が門を開けてあげる時から、まるで異常なまでに「腰が低い」と言うか、もうこちらが恥ずかしくなるほどペコペコしていて、困ってしまうほど。
特に彼が異常なほど腰が低いのだろうかと、考えさせられてしまいます。
昔ワーキングホリデーの人の面倒を見ていた時に、ある大手の免税店に就職を紹介していた頃の事を思い出してしまいました。
その免税店の雇用担当のマネージャーは「M」というやはりイタリア人だったのですが、暴君で有名でした。
いつもそこで働く若い子達の愚痴を聞かされたものです。 聞いてみると、日本では考えらないほどにまるで主人と使用人若しくは王様と家来みたいな態度で、雇い人であるワーキングホリデーの若い人たちに接すると言うのです。
何か用があって彼らを呼ぶ時にでも「ちょっと事務所まで来て」というのではなく、「オイ!」と言ってアゴを振るような態度とか。
戦前の日本で厳しい主人が新入りの丁稚を呼びつける時の様と言うのか。
その時は、不満タラタラの若い人たちをなだめる為に、僕は色んな話をしたものです。 例えば、イタリア出身のMにとってはそれは当たり前の事で、多分彼も若い時に(まだイタリアにいる時)ボスにそうやって仕込まれてきたのではないか、ここはオーストラリアなのにそのままの方式を持ち込んでるのだろうと説明したり。
実は僕はイタリア方式がそういうものであるとは確信が無く、イタリアで生活した事も無いので、ただただなだめる為にそう言っていたのです。
オーストラリアに来たばかりの若い子達にとっては最初に働いたところでそういう経験をすると、(当然英語もよくできないので、Mが思いっきりイタリア訛りを話す移民などと言うのはわからない)オーストラリアと言うところがすべてそういう環境のところだと勘違いしまう事が多かったので、僕には少しはオーストラリアの肩を持ちたいという思いもあったのです。
ちなみにこのM、僕が面接のために若い子を連れて行って免税店で会ったりすると、(僕の方が年上だからか?)すごく紳士で礼儀も正しく、全く別人のようなのです。
しかし、この庭師の「ヴィクター」を見ていると、ウ〜んやっぱりイタリアでは上下関係などかなり厳しいのかなと考え始めてしまっています。
実際のところどうなんでしょう。
日本では一時期(バブル崩壊前くらいまで)あまりにも人手不足で、アルバイトでもすごく大事にされて、アゴで人を呼ぶような事やったらすぐに辞められてしまい、困ってしまうとうという事があったようです。
ちょうど僕が若い人たちを面倒見ていた時代とオーバーラップするので、よけい日本から来たばかりの若い人たちはビックリしていたのかなとも思いますが。
実際のところどうなんでしょう。 日本でも就職難でアルバイトも減ってきたら、変わっていくのでしょうか。
2001年11月17日
オーストラリアのテニス・プレーヤー、「レイトン・ヒューイット」がついに2001年度の世界ナンバーワンプレーヤーになりました。
本当に嬉しいです。
彼のことは昔の日記に何度か書いたことはあると思いますが、子供の時から見てきた僕には、いまだに信じられません。
シドニーで行われているマスターズカップの試合で僚友、同じオーストラリアのパトリック・ラフターを破った事により、2000年の年間チャンプのグスタブ・カーテンをポイントで抜き、2001年度のチャンプが決まったのです。
僕は久し振りに、テレビの中継にかじりついていました。
プロになってたった4年、まだ20歳という史上最年少のチャンピオンです。
試合の後の表彰式を見ながら、今までの事が走馬灯のように僕の頭の中を駆け巡っていました。
初めて見た当時の事は、昔の日記に書いてあるので、今日は彼の強さの秘密について書いてみます。
彼は決して体格に恵まれているわけではありません。 身長180センチ体重67キロ、オーストラリア人の平均から言ったら普通か、むしろ小さい方かもしれません。
他の一流のプレーヤーと比較しても、彼のサーブ力も、フォアーハンドやバックハンドのストロークも安定度はあっても特に素晴らしい攻撃的な武器とは呼べない物です。
確かに速い足は彼の武器とは呼べますが、彼を世界ナンバーワンにしたのは何よりも彼のファイティング・スピリッツです。
これは驚異的と言わざるをえない、持って生まれた物ではないかと最近つくづく考えさせられます。
同じ頃我が娘がジュニアーのプレーヤーをやっていたので、多くのジュニアーを当時見ていましたが、彼の強靭な精神力はまさに「野生」の物のように感じたこともあります。
これを表現するのは、僕のように文章の下手な者には中々難しいのですが、彼は相手が強くて窮地に立たされれば、立たされるほど強くなる(集中できる)のです。
例えば火事場の馬鹿力というのがあります。 隣の家が燃え始めて自分の家に火が回って来そうな時に、普段は重い物など持てないような人が何十キロもあるような家具を運び出していたとか。
つまり、人によってはすくんでしまい、ただ逃げ出してしまう場面でも、普段考えられないような力を出せると言うのか。
彼のプレー中の態度を見ると、まるでボクシングの試合か、喧嘩をやっている程で、たまに試合中にそういう態度が出て相手の選手の応援団などからブーイングをもらう事もあります。
僕はもっと態度の悪かった、マッケンローなどと比べるとまるでおとなしすぎると思うほどですが、そういう態度にオーストラリア人の中でも彼を嫌っている人はいます。
しかし見ていると、わざと相手の気分を害するためにやっているのではなく、観客など一人もいないと感じるほど集中して、ものすごいファイティングスピリッツでやっているので、たまにそれが表に出てしまうのです。
素晴らしいプレーで大事なポイントを取った場面などに時折見せる、こぶしを相手選手のほうに突き出して、「カモーン」と叫ぶのですが、サッカーなら当たり前の表現も、テニスの世界では批判の対象になったりしてました。
僕は、肉体的なアドバンテージも無い彼が、精神力の強さで、ランキングを登りつめて行くのを、大いに喜びエンジョウイしていました。
日本ではあまりテニスのテレビ中継も無く、視聴者も多くないと思いますが、もしチャンスがあったら彼のプレー中の顔を一度見ていただきたいと思います。
特にプレー中の彼の目に注目していただきたい。
例えば、見たこともない「化け物」が突然彼の前に立ちはだかって、彼や家族を襲おうとしている時に自分は死んでも抵抗しようと果敢に立ち向かう時のように、驚愕の混ざった目と言うか。
もしくは野生の動物が獲物を襲う瞬間のランランと輝く目と言うか。 ものすごい表情になります。
試合後のインタビューで、彼はもっと自分の欠点を徹底的に直して、良い試合を続けていきたいと語る時、そこにはもうただの笑顔がまだあどけない20歳の若者の表情があるだけです。
レイトン・ヒューイットおめでとう!!!
2001年11月18日
本日のテニスマスターズカップ決勝で、レイトン・ヒューイットは優勝し名実共に世界ナンバーワンに輝きました。
このトーナメントだけで彼は2億円以上稼いだ事になります!
彼や決勝の相手フランスのグロージャンの体格など見ていると、男子テニスのスタイルの変化を感じさせられますし、日本人でもこれぐらい活躍できる選手が出てきてもおかしくないと思うのですが。
ヒューイットには、2週間後に始まるオーストラリア対フランスのデイビスカップ決勝でも勝って、2001年を締めくくってもらいたいものです。
さて、話題は全く変わって、
僕は永年とてもトイレが近い人間だと思っていました。 つまり、小のほうだけの話なのですが、一日に人並み以上に何度も行きたくなると言うか。
女房などは呆れて、「やっぱりJAPANESE BLADDER」何て僕をからかう始末。
この「JAPANESE BLADDER」という表現は、昔々まだ日本が後進国で、海外に輸出する製品がとても粗悪で、評判が悪かった頃に、「日本製の安物」という意味で使われていたようです。
「BLADDER」は膀胱(ぼうこう)と言う意味で、日本人がすぐトイレに立つのを見て、膀胱のでき(大きさ?)が良くないから何度も用を足しに行くというのが語源だと思います。(多分)
で、僕の場合はまさにそれで、レストランなどで食事がちょっと長かったりすると、食事中なのにトイレに立つ事も良くある(あまり良い習慣ではない)のですが、これは僕の膀胱が小さいからだと思っていました。
運良く僕はこの歳になっても全く腹が出ていないので、これも膀胱が多くの水分を貯められないのかとも考えていました。
ところが数年前に、友人とレースに出ていて、僕がレースの合間に彼にコーラを勧めたら、「コーラやコーヒーを飲むとトイレが近くなるから、レース中は飲まない」と言うのです。
その時は彼だけがそうなのかと思ったのですが、その後自分を観察してみると、確かにコーヒーなどを飲んだ後はすぐにトイレに行きたくなるのです。 で、いろいろ調べてみると、このカフェイン系の飲み物以外にも、アスパラガスとかでやはり同じようにトイレが近くなるのです。
ただし不思議な事に紅茶や日本茶は同じようにカフェインを含んでいるはずなのに、トイレは近くなりません。
しかし、この事を女房に聞くと、彼女はそんな事は全くないという答え。
ウ〜ん、じゃあ日本人にしかないのだろうか?と色々考えて、それ以来自分以外にも観察してみると、先日オーストラリアに留学にきていた我が甥は、ビールをちょっと飲んだだけで、ものすごくトイレに近くなる事を発見。人にもよるのでしょうが、確かにカフェイン系は利尿作用が出る人は結構いるようです。
それ以来僕は、コーヒーなどもなるべくカフェインを含まないものを飲み始めました。 シティーに出かける時など特に、シドニーでは日本ほど公衆便所が少ないので、飲まないように心がけています。
ところが出先で付き合いでコーヒーを飲んでしまう事もあり、(コーヒー大好き人間なので)やはり公衆トイレを探してウロウロすると言う事は相変わらず続いています。
と、実はここまでが前ふりなのです。
僕がいつも買い物に行くエッジクリフのショッピングセンターのトイレの事です。
このショッピングセンターは住宅街にも近く、客層も中年のオバサン達が主なところ、決して繁華街や歓楽街の中のトイレというわけではありません。
またこのトイレはサインも出ていないので、ほとんどの買い物客が場所さえ知らないことが多いのです。
トイレが近い僕にとっては重宝しているのですが、非常に困った事があります。 実は上記のように男の客が少ない場所にある上に、トイレのサインも出ていないので、一般のお客があまり来ないのをいい事に、ホモの人たちの溜まり場になっているのです。
日本で言う新宿歌舞伎町のようなところにある公衆トイレの中ならそういうこともありえるのかもしれませんが、本当に場所違いと思えるところなので、初めて入った時にはビックリしました。
最初は、まさかそのトイレがそういう場所になっているとは知らないので、なぜ何もしない男がボーっと立って僕の後ろにいるのか判らず、後ろからナイフでも突きつけて金でもせびるために立っているのではないかと思ったものです。
しかし何もしない、タダ立っているだけでとても気味が悪かったのですが、ひょっとするとホモかなとは思いました。
そんな事で僕としては、そこには行きたくないのですが、悲しいかな相変わらずトイレに近い僕はその後も何度か使う羽目になります。
この小さなトイレの中は、いつも2〜3人前後の男が何もせず、僕が用を足すのを真後ろの壁にそってに立っているのは本当に気持ちが悪い物で、腹が立ち始めました。
どうして、ホモ系の人はあのような薄暗く、汚く、臭い所が好きなのでしょう。 ホモの人が皆そういう事をやるとは言いませんが、しかしアメリカで有名な歌手(そうジョージマイケルです)が公衆便所で変な事をして捕まったりと、結構有名な事です。
僕はホモを嫌っているわけではないし、友人にも何人かホモの人はいるのですが、これについては僕にとって本当に不思議な事の一つです。
女房にこの事を言ったら、「その男便所はブルーライトを使っているか?」と聞かれました。
僕はその質問の意味が最初わからなかったのですが、どうやら女便所の方では中で麻薬を打つのがいるので、それを防ぐためにブルー系のライトを使い、なおかつ暗くする事によって、注射針を刺す静脈を見つけにくくしているのだそうです。
だから男便所も暗いのは納得したのしたのですが、この辺は病めるオーストラリアを象徴しています。
残念な事です。
2001年11月19日
中学から大学までずっと同窓だった、「F君」という友人がシドニーにいます。 彼は僕よりももっと前、1970年にオーストラリアに来ました。
その時代は、若い旅行者などは飛行機などに乗れず、当然のように船で来たのです。
彼はずっとレストラン業をやっていましたが、昨年にリタイアーをして、店舗を人に貸し、今はゴルフ三昧の生活をしています。
彼にはオーストラリア人の奥さんと二人の息子がいます。
その奥さんの50歳の誕生日が先週の土曜日にあったので行って来ました。 そのパーティーに来ていたのは、僕ともう一人「Kさん」というやはりもと同業の方以外全員オーストラリア人でした。
考えてみると、僕にしてもこの「F君」にしても、ほとんどの友人がオーストラリア人で、これはやはり女房がオーストラリア人ということも大きく関係しているのかもしれません。
前にも書いたように、パーティーの出席者が日本人とオーストラリア人が半々に混ざったような場合は、言葉の問題で結構疲れるものです。
つまり日本語喋っていたかと思うと途中から英語になったり、非常に煩わしくなります。
本当はオーストラリアでやっているパーティーなのですから、英語で統一されているべきで、今回のようにほとんどの出席者がオーストラリア人の場合は同じ日本人同士で喋っていても、英語で喋りつづけていれば良いのですからかえって楽と言えます。
さて、50歳を迎えた彼の奥さん、典型的なイギリス系オーストラリア人だと思うのですが、ずっと前から不思議な事がありました。
僕が子供の時から知っている「F君」というのは、かなり硬派で、「男は黙って辛口の酒を飲む」っていうタイトルがまさにぴったりと言うイメージだったのです。 だから僕が(20年以上も前に)彼の結婚式に呼ばれた時にも、彼らは本当に永く続くのだろうかと思ったものです。
ところが、この二人本当に仲が良いんですよね。
僕が知ってる限り、シリアスな喧嘩も無いようだし、本当にうまく行っている。 しかし、奥さんを見ていると、典型的なアングロサクソン系オーストラリア人女性の考え方、つまり男女同権というか同年代の日本の女性と比較したらかなり「解放」された女性である。
方や、彼はかなり保守的な旦那だと思っていたので、なぜうまく続いているのか、僕にはかなり興味のあるところでした。
つまりかなり硬派で保守的な彼がなぜうまく行ってるのか、なぜ彼にはストレスが起きないのかと言う事です。
もちろん二人の努力や理解がその秘訣(それは日本人同士でも当てはまる事だと思うが)なのでしょうが、あるとき彼と話していて、「そうか!」と納得する事がありました。
それは彼のバックグラウンドの事なのですが、彼の実家は2代にわたって、養子を取っていたのです。 つまり後継ぎの男が生まれず、祖父母の時代から養子を取っていたために、家庭内のしきたりがある意味で男女同権になっていたわけです。
だから彼にとっての「夫婦」というものは、僕の家庭よりも夫婦平等で、同権なのが当たり前だったはずです。
これは非常に面白いことで、子供と言うのは当然自分の育った環境の影響を非常に多く受けるわけで、彼にとって当たり前だと思って育った環境が、アングロサクソンの奥さんをもらう事にまさにぴったりだったわけです。 「ぴったり」と言う表現が妥当でなければ、「ストレス」を感じないと言うか。
つまり彼にとっては、日本では少数派に属するはずの女権家族(?と言うのかな)で育った事が今の結婚生活を円滑にしていると言うか、幸いしてるのではないかと、分析しているのです。
皆さんはどう思いますか?
一つ二つ例をあげると、(あくまでも僕と同年代の日本人同士の夫婦の場合ですが)
例えば、
旦那さんの友人が家に遊びに来た。 すると当然のごとく日本人の奥さんは亭主と亭主の友人ために、飲み物とお茶菓子か何かを運んできますよね。 で、すぐに出て来なかったりすると、「おーい、お茶」もしくは、「ネー、お茶出してよ」となると思います。
何で自分の友達が来ているのだから、自分でお茶とか用意できないのでしょうか?
もう一つ、
朝何かの用で奥さんが慌てて外出しました。 と、朝洗濯機はかけたけど、それを外に干してくるのを忘れてしまったとします。
出先から電話が入れて、日曜日で家でゴロゴロしていた旦那さんに、「ちょっと悪いけど、外に干しといて」と頼んだとします。
気分良く、奥さんのパンツなど一つずつあなたは干せますか? 近所の目が気になりませんか? 「ストレス」になりませんか?
日本では、台所のゴミの収集日に旦那にゴミを道に出しに行かせたくないという奥さんが結構いるというぐらいですから、そんなことは男の仕事ではないと思っている亭主は一杯いるはずです。
2001年11月20日
今日も朝から天気が良くないです。 いったい初夏はどこへ行ってしまったのかと思うほどの寒さ。 これも典型的な、オーストラリアの気候とも言えます。 先週までは、暑い日が続いていたのですが、昨晩は冬用の掛け布団を出したほど。 非常に変化が大きいと言うか。
それで思い出すのは、1980年に僕がオーストラリアにロンドンから引っ越してきた年の暮れ、つまりもうクリスマスも終わって真夏の天気が続いていた時の事。
まだオーストラリアに来たばかりで、住むところを見つけるまで、女房の亡くなった母が残したマンリーのアパートに仮住まいしていました。
そんな仮住まいの状態なのに、オーストラリアに興味津々の我が両親は日本から遊びに来ていました。
真夏の国に来るというので、当然夏物の服しか持ってきていません。
ところが、その週は天気が崩れたと思ったらちょうど本日のように寒くなり、日本から持って来た服は夏物、とうとうヒーターを入れる羽目に。
オーストラリアの暮れというのは、日本では7月頃のはずで、そんな時季にヒーターを使うというのに、僕自身もビックリしたものです。
こういうのを大陸的気候と言うのかどうか分かりませんが、日本から旅行で来る人などは十分注意が必要です。
さて、
毎朝愛犬を連れて行く公園で、最近頓(とみ)に多くなったのが、フィットネス・インストラクターと生徒の姿。
「健康志向」や、「フィットネス大好き派」の多いオーストラリアでは、まあ当然と言えば当然なのでしょうが、ちょと僕には良く分からない面も。
今朝も、女性と男性のカップルが芝生で、必死に腕立て伏せのような事をやっているので、てっきりフィットネスのオニーサンが女性に教えているのかと思ったら、先生はその女性の方でした。
確かに女性の方を良く見てみれば、かなり体も締まっているしインストラクターには見えるのですが、その男性の方もまだ30代のようで、体も締まっていて、何でこういう人が金払ってまで、インストラクターにお願いしてトレーニングしなければいけないのか、まことに不思議です。
腕立て伏せしたければ勝手に一人でやってればいいし、ジョギングしたければ一人で走ればいい、なにもわざわざインストラクターと公園で待ち合わせて、と思ってしまうのですが。
僕は毎朝公園を歩く時に、犬と一緒に早足で歩いても物足りなさを感じるので、ある時から家に転がってた鉄アレーを持って歩く事にしました。
一つが3キロ両方で6キロを持って腕を前後や左右に振りながら歩いているのですが、これは結構良い運動になるようで、朝食が一段と美味くなります。 そうインストラクターなんて必要ない。
で、公園に来るこのインストラクターは他にも何人かいて、ほとんどがマンツーマンで教えているのです。 なんかこういうのは流行なんでしょうか。
特に目を引くのが、女性の生徒にボクシングの真似事をやらしているトレーニング。 なんかものすごいへっぴり腰で、グローブを付けたオバサンが先生の持ってるパッドのような的に向かって必死に殴りかかっているのにはいつも笑ってしまいます。
しかしこういうふうに健康馬鹿(失礼、健康志向派ですね)が多いと言う事は、健康な国民が増えるという事で(本当か?)、国家予算から医療費の増加が押さえられるのかもしれませんが。
と、この日記を書いていたら女房が突然学校から帰って来て、あまりにも寒いので、冬用の服を取りにきたって言ってます。 その上、もう夏だということで、学校ではヒーターなどを片付けてしまったので、特に寒がりの女房はなんとうちから簡易電気ヒーター持って行くという始末。
早くお天気が戻ってきてもらいたいものです。
2001年11月22日(本当は21日分書いてるうちに翌日になってしまった。)
本日も天気が悪いので、家でPCケースをまたまた改造していたら、すっかり時間を食ってしまい、日記を書こうとふと時計を見たらすでに翌日の零時15分、通りで目がしょぼしょぼするわけです。
今日は友人とメールの交換をしていた時に、裁判の話になった。
その友人が借りていたアパートの大家から立ち退き請求を受けて、裁判で闘ったと言う話なのですが、それを読んでいるうちに僕も大家さんや不動産屋相手に裁判などで闘っていた頃を思い出してしまいました。
途中で眠くなってしまったら残りは明日に続くと言う事で書いて見ます。
まず最初に思い出すのは、悪徳大家と不動産屋がぐるになって、テナントをいじめるというよくある例です。
何度も書いているように、僕は昔若い人の面倒を見る仕事をやっていたので、それらの裁判闘争と言うのは総てその若い人たちが巻き込まれた災難についてです。
だいたい、オーストラリアに来たばかりで英語がうまく使えない若い人たちは沢山いるわけで、当然のようにある一部の悪徳大家や不動産屋たちは、それを利用して不当な利益を上げようとしたり、不法行為を行うのです。
これは別に日本人だからやられるというのではなく、僕がいつも行くPC屋のマケドニア出身のオニーチャンでも似たような経験があります。
このマケドニアのオニーチャンの経験は多分明日の日記にずれ込んでしまうと思いますが書く予定です。 いかにもPC屋のオニーチャンという解決方法を彼は使ったのですが、それは明日の楽しみに置いておいて。
ボンダイビーチの近くのアパートにワーキングホリデーの若い人が入った時の事です。
普段から悪名評高いボンダイビーチのL・○・○ッカーという不動産屋が斡旋したのですが、契約をする前にそのアパートを下見に行った時から、各部屋の壁の色がかなり変わった色に塗られていました。
紫色とか、強い黄色だとか、あまり普通では見ないような色なのですが、ほかに良い所も無く、すぐに住む所が必要だったから、そこに妥協して入ったそうです。
値段もそれほど高くない、多分これはこの壁の色が変わっているからあまり借り手はいないからではないかと思ったそうです。
で、そこを借りてつつがなく6ヶ月の契約期間住んで出た後の事です。
そのアパートを借りた彼らは、かなりきれいに使っていたので、契約終了後にボンド金(日本でいう敷金のような物)は当然全額返って来ると思っていました。
オーストラリアではこの敷金は大家や不動産屋が預かると、テナントが出る時にもめた場合、返してもらえなくなることがあってはまずいので、政府機関である、レンタル・ボンド・ボードというところが預かる形を取ります。
さて、このボンドを何と不動産屋(大家とグル)は全額請求してきたのです。 つまりボンドボードに対して、テナントが起こした問題で、修理費が莫大であるために、その敷金であるボンド金を全額大家のほうに払うように申し立ててきたのです。
で、問題とは?
なんと、入るときから塗ってあった、壁の色の事なのです。 つまり、その日本人のテナントが勝手にそのようなサイケデリックな色に塗ってしまったから、元の色(薄いベージュとか言っていましたっけ)に戻すには、総ての部屋の壁を塗り直さなければならない、よってボンド金はテナントに全額返さないで、大家が受け取るべきだと言うのです。
もちろんこの悪徳不動産屋(大家とグルになって)は最初からひどい色に塗ってあったのは百も承知で、カモを待っていたわけです。
つまり、英語の出来ない日本人ならそうやってボンド金を請求して、裁判で争っても勝ち目は無い、または裁判での英語など分からないから途方にくれてしまい、泣き寝入りするだろうという魂胆なのです。
つまりひどい色に塗ってあるアパートを大家は購入したが、全部自分で塗りなおすのは金がかかるから、そういうカモが借りてくれるのを待っていたかもしれませんし、もっと悪質ならその金を取って、まだ塗り直さずにまた英語の出来ないテナントを入れて、裁判だと脅して、何度もふんだくっていたかもしれません。
とにかくそういうズルイやつらというのには心底から不快感を持つ僕なので、徹底的に闘う事にしました。
で、闘うにはそのアパートが入る前からそういう色に塗ってあったと言う証拠が必要です。
下見に行った時に一緒にいた日本人の学生は確かにその色を見て驚いていましたが、残念ながらすでに日本に帰ってしまっていました。
いろいろ調べていくうちに、そのアパートに入居して次の日にみんなで撮った写真が出てきました。 それには日付が入っていましたが、もちろん写真の日付など勝手に変えて写真を撮る事は出来ます。
つまり決定的な証拠にはならないのです。 しかしその写真には他にも友人たちが一緒に写っていて、彼らはまだオーストラリアにいることを突き止めました。 旅行に出てしまっていましたが、何とか連絡は取れそうです。
またそのアパートの向かいの部屋にはやはりアジア人の若い人が住んでいて、何度がドアーのところで挨拶などをして顔見知りにはなっていたらしいのです。 で、彼らはかなり永く住んでいるらしく、彼らに聞けば前からその壁の色が何色だったか(特徴のある色だから)ドアー越しにでも見て、覚えてるはずだというのです。 で、僕は何度かその向かいの部屋に訪ねて行ったのですが、いつも留守でした。
裁判の日は近づいて来るし、決定的な証拠を集められないまま、裁判の日がやってきました。
こちらとしては、もし裁判で自分たちが用意した証拠で満足してもらえないようなら、再審査を申請するつもりでいました。
ところが、当日裁判が始まったら不動産屋も大家も出てきていなかったのです。
全くふざけた事に、我々が不服を申し立てて裁判で闘う姿勢を見せた途端に、彼らはもう最初から裁判など出てくる気は毛頭無かったようです。
つまり、簡単に泣き寝入りしてくれそうなカモかと思ったら、何と裁判で、ということになって目論見がはずれたから、その壁の色はそのままにまた次のカモを見つけようとでもいうのでしょうか。
当然勝って、ボンド金は100%戻ってきましたが、裁判まで色々証拠集めに費やしたエネルギーはどうなってしまうのでしょう。
こういう壁の色の問題と言うのはかなり特殊ですが、悪質な大家にカーペットを汚したとか、どこそこにキズが付いているというような理由で、ボンド金を返してもらえない外国人(日本人だけでなく)は結構多いと思います。
と、ここまで書いて、目がしょぼついてきたので、残りは明日に書きます。
もっと悪質なのを書きます。
2001年11月22日
昨日の日記の続きです。
あ、その前に、昨晩は日記を書いて(もう日付が変わって22日になっていたが)アップしたのに、日本にいる友人から、まだ古い日記しか読めないと言われ、自分でも慌てて見に行ったら、本当になぜか更新されていませんでした。 慌てて何度もアップロードをしたら、やっと最新日記に変わってくれた。
どうしてなんだか原因不明ですが、よくこういうことは起きてるのかもしれません。 何しろ自分の日記は、ネットサーフィンで見に行く事は少ないので、気が付かない可能性があるので。
さて、
ある日、日本人のテニスのコーチ(いや、本職はツアーガイドかな)のM君から助けて欲しいと言う電話がありました。
彼は僕がやっていた会社とは関係なく、夫婦でオーストラリアに来たのですが、二度目に引っ越した時に事件(あえて事件と言う)に巻き込まれ、他に相談する人がいないと連絡をしてきました。
そのアパートが気に入って、入居するべく不動産屋に契約に出向いたのですが、その日は土曜日でいつもより働いている社員も少なかったそうです。
他にもお客がいて、混雑する中、待たされながら入居のための手続きをやっていたそうです。
賃貸契約書に署名をしたり、前払いの家賃や敷金である、昨日も説明したボンド金などを払い込んだのです。
あ、そうそうここで大事な事を書いておきます。
オーストラリアではこのような支払いの場合には99%現金ではありません。 今はカードか、小切手ほとんどです。
しかし日本人の彼らは、小切手もまだ作っておらず、当然のように現金で支払いをしました。 日本人現金好きですから。
無事契約を完了し、総ての支払いを済ませた後に、アパートの鍵を受け取り、翌日から住み始めました。
1週間ほどして、不動産屋から電話がかかってきました。
何と、支払いが完全に終わっていない、つまり手付金の1週間分の家賃しか払っていないので、即刻出て行ってくれと言うのです。
電話を受け取った彼は、英語が得意ではないので、この狐につままれたような話がすぐに理解できずに、その不動産屋に出かけていきました。 その不動産屋は、M君夫婦が手付金以外全く支払いをしていないのに、ゴタゴタしていた土曜日の手違いから、鍵を渡してしまった、もしこのまま住みたければ全額支払えと言うのです。
彼は、もちろん払っていたので、ビックリして、土曜日に応対した社員に聞いてもらえば分かる、ちゃんと支払いは済んでいると言うのですが、相手は最初から聞く耳を持たないというような態度で、その土曜日に応対した社員も今週はずっと出てこないと言うそうで、確かにオフィスを見てもその男はいないのです。
その社員は実は土曜日にもいて、彼が現金で払っている時に真横のカウンターに座っていて、彼が払うのを絶対に見ていたはずだとM君は言うのですが、知らぬ存ぜずという態度。
困ってしまった彼は僕に相談に来ました。 (その頃は随分お助けマンをしていたものです)
話を聞いて僕は唖然としました。 そんな無茶な話は聞いたことがありません。 だいたい、金をちゃんと受け取っていないのに、鍵を渡してしまうなんて事はありえない訳で、もう完全に英語の出来ない日本人相手の詐欺行為なのです。 立派な犯罪です。
もちろん、M君にも落ち度があって、支払った時にレシートを受け取っていなかったのです。 彼曰く、「レシートは?」と言ったら、渡された契約書を指差して、それが領収書になりますと言われたそうです。
ところが僕がその領収書代わりと言われた契約書を見ると、M君の署名は入っていますが、不動産屋のサインは抜けています。
こういう悪徳不動産屋は絶対に許せないと、いつもの血が騒ぎ、僕はM君を連れてその不動産屋に乗り込んで行きました。
場所はキングスクロスのモン○ナ不動産屋という、まあまあ名の知れた不動産屋チェーンの一つですが、それぞれの店は別経営になっているようです。
M君と一緒に担当者に会いたいと話し出したのですが、最初から雰囲気がとても悪く、「おまえは誰だ、関係ないヤツは引っ込んでろ」的な態度です。 金を払っていないのに、鍵を渡す習慣など絶対にない事などを言うのですが、全く取り合おうとせず、ちゃんと払ったと言うのなら領収書を見せてみろという態度で、一貫しています。
これ以上話してもらちがあかないし、ヤクザのような態度に僕もいささか頭に来て、「必ずこの店を潰してやる」という捨て台詞を残して帰ってきました。
確かに領収書をちゃんと受け取らなかったと言うのは落ち度ですが、鍵を受け取ってすでに住んでいるという状況から、勝ち目はあるとふんでいました。
すぐに僕は、不動産取引の免許を発行するお役所を訪ね、事の成り行きを担当者に説明しました。 役所でもその話は興味を持ってくれて、調査を約束してくれましたが、その前に一部始終をStatutory
Declaration
という、法的に有効な宣言書に総て書いて提出を求められました。
また、その当時はそういう問題解決のお助けマンをだいぶやっていたので、あるところのコネも持っていたので、厳密な調査を早急にやるように、そこに働きかけました。
調査を進めるうちに、そこの不動産屋はかなり札付きで、他にも被害者がいるらしいということが分かってきました。
結局それは刑事事件に発展し、有罪判決が出てそこの店の持っていた不動産業の免許は剥奪され、そこのチェーン店の資格も失ったようです。
僕がその店に乗り込んでから数ヵ月後、その店の前を偶然車で通りかかったら、看板も降ろされ、完全に潰れていました。
「やった〜!!!」って心境です。 もう万面笑み!
お助けマンをやった甲斐が大いに報われた瞬間です。
「悪は絶つ」ですな。 今思い出しても、ニヤニヤしてしまいます。
明日は僕の行くPC屋のオニーチャンがどう解決したかを書いてみます。
2001年11月23日
やっと雨は上がったようですが、相変わらず寒い日が続いています。
掛け布団も冬用に戻ったまま。
日本ではまた狂牛病の牛が見つかったようです。
先月日本に帰った時に、山口県の親戚の家に泊まっていたのですが、久し振りに日本に帰ってきたのだからと、毎晩ご馳走になりました。
田舎の街の事で、外食といっても選択肢は少ないので、日本食がもっぱらでした。 たまには肉を食べたいと言う事になり、僕らは狂牛病の事などすっかり忘れて、韓国風焼肉屋に出かけました。
いつも混んでいて、待たされるというお店に行ったのですが、なぜかガラガラです。 席に着いたとたんに「狂牛病」の事を思い出しました。 どおりで、異常に空いているわけです。 しかし、メニューまで渡されているのに、いまさら止めたと出てくるわけには行きません。
とりあえず、安全そうなロースやカルビ、またイカ等の魚介類を注文していたら、叔父たちがハツやレバーまで注文してしまいました。
まあ僕は内臓類は遠慮して食べなければいいやと思い、一緒に注文したのですが、焼き始めたとたんに叔母が「ハツは美味しいよ〜」と焼けたのをどんどん僕の皿に取ってくれてしまうのです。
しぶしぶ食べてしまいましたが、なんか心の隅に引っかかる物があるとあまり美味しく感じないものでした。
ところが、次の日に僕らの泊まっているところに別の親戚が尋ねて来て、彼らに夕食の招待を受けて連れて行かれたのが、なんと同じ街に有る、もう一軒のやはり韓国焼肉屋でした。
「ヒエ〜!!!」うちの親戚は揃いも揃って皆無敵なのでしょうか。
その焼肉屋は前の日の店よりももう少し客はいましたが、それでも暇そうにしていて、ウエイトレスたちの接客態度の良いの何の、ビックリするほどの応対でした。 今のこのご時世で、食べに来てくれる客は大事にしなければならないと言うのでしょう。
まあ僕は観念して、大いにエンジョウイして食べてはいましたが。
さて、昨日まで書いてきた悪質不動産屋や悪質大家の件、今日が最後です。
僕のいつも行くPC屋のニーチャンの一人はマケドニア出身で、まだ20台半ば、数年前に学生としてオーストラリアにきたそうです。
英語の学校に行きながら、コンピューターの勉強もしてIT関係のサティフィケートを取得したために、ビジネスビザが簡単におりて、そのままオーストラリアで働いているようです。
彼は日本人と違って外見はオーストラリア人に見えますが、話し始めたらその強いアクセントで、すぐにオーストラリア生まれではないと判ってしまいます。
ですから彼も日本人と同じような経験を色々している訳です。
誤解のないようにここで断っておかなければならないのは、オーストラリア人はよく外人に対してこのようなことをやる、人種差別的だと言いたいのではなく、この一連の大家対テナントの揉め事というのは、日本の友人が日本で経験した事をメールで送ってくれたのを読んで、僕も書き始めたくらいで、日本でもしょっちゅう起きる事ではあります。
で、彼の場合は最初に入ったアパートでの事です。 入って住み始めたとたんに異常にカビ臭いのに気が付きました。 下見に行った時には、窓も総て開けてあって、気が付かなかったそうなのですが、住み始めて、数週間もしないうちに壁の一部が湿気で色が変わり始め、その地階の部屋は雨が降るたびに、地面からの湿気が上がってくるようなのです。
下見に行った時には、その部分(というより寝室の壁一面ですが)の壁はどうやらペンキを塗って隠していたようですが、すぐに色も変わり始めたそうです。 それほど湿気が多い部屋というのか。
そのうち、絨毯と壁の隅にはキノコまで生える状態になり、これはたまらないというので、数ヶ月で出たいと不動産屋に申し入れました。
不動産屋は事情を聞いて、大家に了解を取ると言ったのですが、やはりと言うか大家は、1年の契約終了前に出て行くのなら、敷金は一切返さないと通告をしてきました。
で、さすがコンピューター屋のニーチャン、デジカメでそのひどい壁やキノコの写真等を撮り、自分の持っているHPに「悪徳大家についての告発サイト」という題で、一般に公開始めたのです。
これは、彼の知り合いで、自宅に何度も空き巣に入られた人が、とうとう頭に来て自分のPCとPC接続の隠しカメラを設置し、また入ってきた空き巣を撮影して、自分のHPで公開始めたのがヒントとなっていました。
これは新聞でも取り上げられ、やらせでなく本当の窃盗シーンを公開したので、かなり評判になり、アクセスもかなりあり、結局はその泥棒の顔の大きなアップも掲載していたので、捕まったそうです。
で、このPC屋のニーチャンはある日不動産屋に出かけていって、自分のHPの事を大家に伝えるように言ったのです。
当時(2年程前)はまだそれほどHPは発達していなかったのですが、逆に大家はそういう個人のHPについてもよく把握しておらず、不動産屋に行ってそこにおいてあるPCで、そのサイトを見たとたん、まるでテレビの番組で悪質大家を取り上げた番組をやっているようなショックを受けてしまったそうです。
即刻次に日に、不動産屋から電話があり、大家が話し合いに応じて敷金全額返済になったそうです。
その話を聞いて、それもなるほど一つの手段だと感心しました。
もし大家がそれに応じなくても、その敷金を預かっている、国の公的機関(ボンド・ボードという)に電話をかけて文句を言う代わりに、自分のそのHPのアドレスを言って、見てもらえば電話で長々と説明するよりも「百聞は一見にしかず」ですから。
ウ〜ん、IT時代にふさわしい、良い方法かも。
2001年11月24日
今日の日記はお休みしました。
2001年11月25日
昨日24日の日記はサボってしまいました。 本日(日曜日)女房が同じ先生仲間の送別会をかねたランチパーティ-を家でやるというので、庭などを掃除などをはじめ、色々して準備していたら、疲れてしまいました。
シドニーは非常に悪い天気が一週間近くも続いていたので、今日のパーティーも一時はキャンセルしようかというほどだったのです。
ところが土曜日の午前中には雨が上がって、慌てて溜まっていた庭の掃除など始めたら、ものすごい量になってしまいました。
さて、本日は突然真夏、日ごろのおこないがよろしいのでしょうか、全くラッキーでした。 ほとんどの参加者が水着持参で来て、僕も今シーズン初めて泳ぎました。
さて話は変わって、先日あるテレビのドキュメンタリーを見ていたら(カナダ製)生まれつき両腕の無い女性(まだ大学生)の事をやっていました。
子供の時から総ての事を足でやっているうちに足の形が進化(というのか?)して、普通の人の足と比べるとかなり違ってきていました。
その足で、車の運転などだけでなく、普段の生活でもすごく細かい作業も出来てしまう様子を、ものすごく感心(感激かな)しながら見ていたら、ふと僕の叔父の事を思い出してしまいました。
叔父は中学生の時に駅のホームで事故に遭って片腕を肩の付け根から失ってしまったのですが、僕が物心ついた時には僕の知っている叔父にはすでに腕は無かったので、全く違和感は有りませんでした。
しかし、まだ小学生だった僕にも「すごい」と思うことはよくありました。
片手(左手)だけで、ネクタイを締めるなんてのは当たり前の事で(と言っても自分も片手でやろうと思ったらかなり、苦労すると思うが)、すべてのことは片手で出来てしまうのです。
日常生活で困る事はほとんどありません。
ちなみに麻雀やっても、パイを積むのは僕よりずっと早いです。
どうしても両腕が無ければ出来ない行動(作業)の場合、そのカナダ人の女性ほどでは有りませんが、やはり足を使います。
例えば、非常に硬く締まったビンの栓を回そうとする場合、普通は片手でビンを押さえて、もう一つの手で回す訳ですが、押さえる手が無いと開ける事はできません。 そういう場合にはやはり足で押さえるのですが、そのカナダ人の女性のようにずっと足だけでなかったので、彼の足の能力はそこまで発達はしていません。
例えば、片手ではかなり苦労する事もあります。 片手の袖のボタン(カフスボタンと言うのか)をはめたり、外したりはやはり簡単ではありません。 だいたいその場合は口を使うのですが。
で、あるとき彼がオーストラリアに遊びに来ていて、一緒に近くのスーパーに買い物に行きました。
観光で来ていた彼は、ちょうどカメラのフイルムを切らしてしまい、一緒にそのスーパーで買って、一足早く出て、レジの前にあるベンチに座って、カメラの蓋を開け、フィルムを装備しようとしていました。
その当時のカメラは蓋を開けた後に、ある程度フィルを巻き取り装置の部分にはさんで、少し巻いてから蓋を閉めなければならないのですが、口でカメラの蓋の一部を押さえながら巻き取り装置にフィルムを入れようとちょっとてこずっていたら、いきなり中年のオーストラリア人が「僕がやりましょう」と、声を掛けてきました。
全く英語が出来ない彼は最初にその紳士が話し掛けてきた時に何を言っているのか分からず、慌てて僕を呼びました。
で、その紳士が親切にもやってあげようと言っている事を知って、叔父はものすごくビックリしました。
今まで日本でそういう経験をした事は皆無だったそうです。
まあ僕の叔父は人相も良くないからかもしれませんが、そういう風に親切に言ってくれる日本人は今まで一度も無いと言うのも僕には驚きではありました。
「ウ〜ん、やっぱり国が違うのかな?」と、ビックリした叔父はしきりに感心していました。
彼にとって、初めての外国旅行、オーストラリアは、とても良い思い出の
一杯詰まった国になったようです。
2001年11月26日
先週の金曜日までの寒さは何だったんだろうと思うほど、今度は真夏日になってしまいました。
パーティーをやった昨日に引き続き、本日も30度を越えています。
たった3日前(金曜日)には、ストーブだ、冬用の布団だって騒いでいたのが、昨日からは、布団なんて暑苦しくて裸で寝ても良い程って、さすがオーストラリアです。
こういうのを大陸的気候と言うのか。 しかしオーストラリアの事を知らない人にとっては、そういう気温の変化はすっごくしんどいと思われるかもしれませんが、湿度が低いためにそれほどではありません。
湿度が低いと言う事は、摂氏10度を超えていてもすごく肌寒く感じますが、反対に30度を超えていても日本の夏とは比べ物にならないほど、過ごしやすいわけです。
これがもし日本の夏のように気温が上がったら、うちの年寄りなどは倒れてしまうでしょう。 あまりにも体感温度の差が強いから。
さて、昨日のパーティーは我が女房の先生仲間の送別会を兼ねたパーティーだったので、ある意味でバラエティーのある人達がいて面白かったです。
例えば生まれた国を見ても、国語(つまり英語です)の先生はイギリス系だったり、フランス語の先生はフランス出身や、カナダ出身という具合に、半分近くが外国系です。
その先生達の夫や女房たちも外国出身者がいて、とても国際色豊かになります。
ですから、パーティの話題に今の多発テロの話とかになっても、喧喧諤諤色んな意見が飛び交い、中々興味深い物です。
つまり、出身国や、バックグラウンドが違い、その上ステレオタイプが少ないので、一つの考え方や意見に流れない。
もう一つ面白かったのは、男の先生ではゲイの人がすごく多いということ。 これは女房が教えているこの(私立)学校だけの特徴かもしれませんが。
つまり、女子高なので、先生を採用する時に、ホモセクシュアルかヘテロセクシュアルかなどと問題しないというよりもむしろ、ホモセクシュアルのほうが、女子生徒に変な事をしない、つまり安全であると考えているふしがあります。
いくらゲイ人口が世界で2番目に多い都市シドニー(1位はサンフランシスコらしいが)とはいえ、ゲイの先生の事を女房から聞くと、その割合は異常です。
多分70%くらいはゲイではないかと。 そう、男の先生10人いたら7人はゲイなのです。
ゲイの場合初めて紹介された相手でも話し始めて数分もしないうちに、喋り方や身振りでゲイだと分かるのですが、学校の先生の場合はその辺は自重しているのか、(または客観的に自分を見えるのか)普段はあまりゲイらしく振舞いません。
で、昨日のパーティーに若いかなり美人の女の先生が来ていて、僕も気になる程だったのですが、同じ先生仲間で、僕が見てもメチャクチャハンサムで、背も高くて、モデルにしたら良いほどの若い男の先生が、その美人先生とパーティー中ずっと一緒に話したりしているので、僕はてっきり二人はできているのだと思いながら観察していたのです。
話を聞いているとこの男の先生、やはりアルバイトでモデルの仕事もやっていて、先日も車のコマーシャル写真の仕事で、車の横に立ってるだけで、かなりの額をもらえたと喜んでいました。
で、パーティーも終わりに近づいて、二人はちょうど一緒に帰っていったので、やっぱり二人はと思って見ていたのですが、帰った後女房に聞いたら、何とそのハンサム先生、立派なゲイとか。
その先生(音楽を教えているそうです)全く罪な事をやっているのではないかと思いました。
つまり若い女子生徒達がその先生から授業を受けたりしたら、片思いしてしまうのはすごく多いと思いますが、かなり熱を上げてみたら何と女性には、からきし興味の無いゲイだと知ったら。
「え〜ッ!!! そんな!!! もったいない!!!」って叫んでるかもしれません。
ちなみにこの学校では、男の音楽の先生はほぼ全員ゲイだそうです。
皆さんはどう思いますか?
同性の僕にとっては、競争相手の強敵が減るだけですから、いい傾向かもしれませんが。
って、もし僕が若かったらの話ですが。
2001年11月27日
先月日本に行ってから一ヶ月になろうとしています。
たった一月前のことなのになぜか遠い昔のように感じてしまうのは、歳のせいなのでしょうか。
9月の多発テロ事件以来、僕にとってもこの2ヶ月半は本当に色んな事がありました。
あまりにも多くのことが起きたので、タイムスパンの長い思い出のように錯覚してしまうのか。
多発テロ事件が起きてから10日もしないうちに我がオヤジが倒れ、それもまさに昏倒という状態で救急車を呼び、調べてみたら癌が見つかったのです。
そうこうするうちに、日本の山口県にいる叔父が危篤になり、我がオヤジは行けないので、僕が母を連れて日本に行ったのですが、日本へ向けて発つ日からして事故があり、これから飛行機に乗って日本に行こうとする時で、ましてやテロ事件で飛行機がビルに突っ込むのを何度も見せられていたので、随分嫌な感じを受けました。
空港での事故というのは、朝女房に空港まで車で送ってもらい、シドニー空港の出発ターミナルのある車寄せに車を停めてバッグなどの荷物を降ろしていた時の事です。
後ろからいきなりドーンと「ドづかれた」のですが、あまりに突然の事で、何がなんだか分からず、後ろを振り返ったら、大きな四駆車がありました。 ちょうど荷物を降ろしていた僕はその車にドンと押されぼくの車のドアーとの間にはさまれる格好になったので、倒れずに済んだのですがいやはやビックリしました。
その時は「えー??? 何が起きてるのだろう???」と、あっけに取られている状態で、そのぶつけて来た車の方を振り返りながら、腰をさすっていたら運転者はなぜかすぐに降りてきませんでした。
そうこうするうちに、やっと降りて来た運転者は何と同じ日本人ではありませんか。 まあ同じJALなどがある出発ゲートなので、すぐにその運転者も僕が日本人だと考えたのでしょう、「大丈夫ですか?」と声を掛けてきました。
僕は「どうしたのよ?」と言うと、「すみません、前を見てなくて」と謝ってきました。
と、良くその男を見ると、どこかで見た顔です。
彼は、「美味○んぼ」という漫画で有名な、雁○哲というオーストラリア在住の作家なのです。
で、よく見てみると彼は片方の足が短く、僕にぶつけた時にすぐに車から降りて来れなかったのは、運転している時には履いていない歩行用の靴(片方だけのロンドンブーツのように底が高い)に履き替えるためだったようです。
僕と話しているときにも彼はちゃんと立っていられないのか、ぼくの車のバンパーにその靴まま足をかけたりしています。
まあぼくの車は安物なのでいいでしょうが、高級車のバンパー(今は塗装されているのが多い)にいきなり靴のまま足をかけたりしたら、ぶっ飛ばされると思いますけど。
ましてや被害者の車にですから。
運良く、車のスピードはあまり出ていなく(見ていなかったから良く分からないが)その上、彼の四駆車(レキサス470)は大きなウレタン製のバンパーが付いているので、たいした事はありませんでした。
飛行場のトイレに入って見てみると、赤くはなっていましたが、突起物に当てられたのと違い、切れたりはしていませんでした。
その後腰痛も出ていないので大丈夫だとは思いますが、それにしてもテロ事件の後、本当は飛行機に乗るのもあまり気持ちよくない時期だったのに、乗る前からそんな事があって、かなりシラけていました。
2001年11月28日
昨日の日記に続いて、もう少し日本滞在中の思い出を書いてみようと思います。
最近はすっかり歳で物忘れがひどくなっているので、日本にはノートパソコンを持って行って、飛行機の中や新幹線の移動中などに色々書き留めていました。
ビックリしたのは、飛行機の中よりも新幹線の方がずっと揺れが激しくて、タイプが非常にやり辛かったのです。
新幹線はその速度から考えても、とても揺れの少ない快適な乗り物だという印象が有ったのですが、やはりタイプなどの作業には、連続的に続く小さな横揺れが、特に速度が高い分瞬間的に起り向いていないようです。
今回電車の中で携帯電話にメールを打ち込んでるのを見かけましたが、あのように片手で持って、親指で打ち込んでる分には揺れも気にならないのでしょう。 それにしても、携帯電話にメールを打ち込むという作業、オーストラリアでは無い風景です。
さて、そのパソコンに書き留めてあるものを引っ張り出して、あらためて読んでみたのですが、ホリデーとして日本に行ったのではない為か、あまり面白い事が書いてない。
書き留めた事は、オーストラリアに戻ってから是非日記に書こうと思っていたのですが、何か使えないことばかりが書いてあります。
特に病院に叔父を見舞いに行った時の叔父の様子や、そこに泊り込んでづっと付き添っている叔母のヤツレ具合とかの印象が強烈だったためかそれ以外のことが浮いてしまっているというか。
山口県の後に、(成田からシドニーに発つために)神奈川県に住む妹のところに滞在して、僕にとっては12年ぶりの東京だったのですが、何か拍子抜けするくらい、感激が無かったです。
僕が生まれて初めてロンドンに住みに行ってから、1年ちょっとして、東京に(仕事で)短期間戻った時のあの「頭がクラクラする」程のショックはもう二度と経験する事は無いだろうなと思います。
この「頭がクラクラする」程のショックというのは、ワーキングホリデーなどで若い時に生まれて初めて外国で生活をし、最低でも10ヶ月以上日本を離れていると、結構多くの人が経験する事の一つだと思います。
人それぞれそのショックの内容が違うでしょうから、表現するのは中々困難です。 これは、経験した人でないと、分かり難いかもしれない。
僕のように外国生活が非常に長くなって、短期間日本に戻る経験を何度かした人間には、歳とともにそういうショックも少なくなっていくのでしょう。
しかし今回は12年という歳月が有ったので、もう少しこのショックを感じるかなと期待していたのですが。
で、いろいろ考えてみると僕のように親までがオーストラリアに来て一緒に生活し、テレビは日本のNHKがいつでも見える状態で、周りには日本食を始め日本に関係のある店やビジネスが氾濫していると、例え僕が若くてもあまりそういうショックは感じないのかもしれません。
だから日本に行って、(もうかなり東京では少なくなっていましたが)ヤマンバみたいのを見たり、雑踏の渋谷に足を踏み入れても、いつも見る何ら変わった事の無い風景に思えてしまい、12年間のギャップはどこにあるのだろうと不思議でした。
これはある意味で非常に残念な事です。 特に今から初めて外国で生活してみたいとオーストラリアに来る若い人にとっては、僕が昔受けた程のショックは経験できないかもしれない。
なぜ残念かというと、初めて外国に住みに行って、そこでの生活の中で受けたカルチャーショックに加えて、外国での生活にもやっと慣れた頃に日本に戻ってきた時に受ける、祖国での(これもカルチャー)ショックの方が、もっと大事な事だと思っているからです。
これこそが、ワーキングホリデーなどで外国で生活したことによって得る事のできる最大の価値だと思うからです。
外国で初めて「生活」をし、その人にとってそれが良い経験であれ、嫌なな経験であったとしても、とにかく長期に渡って日本という国を離れていたという事に意義があるのです。
日本が客観的に見えてくるというか、今まで見えなかった日本が見えてくるというか。
改めて日本の良さを発見する人もいるでしょうし、日本のこんなところが変なんだ、日本にいた時はこういう事が当たり前だと思っていたのが、世界の常識ではなかったんだと、多くの発見をするはずです。
そう、「日本」が見えてくるんですな。
と、なにやら日本での思い出を書くはずがすっかり違う方向に行ってしまっています。
明日はもう少し僕の日本での思い出を書いてみます。
2001年11月29日
昨日の夕方日記を書いていたら、「ピンポ〜ン」と玄関の呼び鈴が鳴って、出たみたら、僕のカートの先生(?)、レーシングドライバーのデイミアンだった。
彼は突然訪ねて来ることがよくあるのですが、これは結構オーストラリア人には珍しい事で、僕の事を友達以上に親しく感じている証拠かもしれない。 友達と言っても、彼は28歳、親子ほど歳が離れていますが。
「そばまで来たのでちょっと寄ってみた」と言って、小一時間ほど話して帰って行きました。
久し振りに会ったので、最近のレース活動などいろいろ話していたのですが、結構ショックな話も。
僕がレースを始めた頃にやはりジュニアーでレースに出てたドライバー達もデイミアンと同じような年頃になっているのですが、その何人かは残念ながら麻薬の餌食になってしまったようです。
僕の日記にも何度か書いたのですが、オーストラリアは非常に麻薬にハマってしまう若いのが多く、深刻な社会問題の一つなのです。
デイミアンと同じように、いつも親切に、こんなオジサンの僕にドライビングテクニックを教えてくれた「アダム」も、完全に駄目になってしまったようで、レース活動はもちろんの事、職も失ってしまい、一度はリハビリセンターに入って立ち直ろうとしたらしいのですが、うまく行っていないようです。
リハビリセンターに入ったという事は立ち直りたいという意思は有るのでしょうが、その意思が強くないのかもしれない。
親切で、フレンドリーで、いつも明るく、本当にいいヤツなんですが、こういうのに限って、麻薬などに手を出して、抜けられなくなるというのか、残念でしかたありません。
さて話題は変わって、
昨日の日記に、外国に住む経験をすると「日本と外国との違い」がよく見えてくるようになると書きました。
それに関する話題を一つ。
先週から我がオヤジがどうしてもシドニーの日本領事館に在留証明書を取りに行かなければならないと言っていたので、理由を聞いてみたら、日本にあるアパートの電話の名義変更をしなければならないからだと言うのです。
オヤジは癌で、いつ倒れるか判らない状態なので、ぼくが連れて行ったのですが、その時詳しく聞いてみたらすっかり浦島太郎の僕にはのけぞるほどビックリしてしまいました。
つまり日本では電話の名義変更をするのに、申請書類に書き込むだけでなく、いまだに印鑑証明書を付けて提出する必要があると言うのです。
ところが、もうオーストラリアに転出してしまった我が両親は、印鑑証明書はオーストラリアでは取れないので、それにあたる在留証明書が必要と言うのです。
ここまで読んで、日本にいる方は「当たり前の事」だと思いながら読まれているかもしれません。
僕には、これは本当にショックなのです。
まずオーストラリアでは電話を新たに引くには(もしくはすでにある電話の名義変更をするには)電話局に電話一本で済みます。
その時には、フルネーム以外にも、生年月日なども聞かれますが、手続きとしては、たった5分ほどで終わりです。
これって当たり前の事だと思います。
今日本で新たに電話を引くには印鑑証明書が必要かどうか知りませんが、我が両親が今のアパートに電話を引いたのは、オーストラリアに住みに来た年の1987年だったのですが、その当時は公債を買って、電話を引くのに、印鑑証明も付けて出さなければならなかったと言うのです。
(87歳になる我が親父の言う事ですから、いささか信憑性に欠けますが)
で、今回オヤジの名義から、日本に住んでいる僕の妹に名義変更をするのに、またまた印鑑証明書か、もしくはそれに代わる海外在留証明書を出せと言われ、わざわざ領事館に取りに行って、日本から送ってもらった申請用紙に書き込み、証明書を同封して、日本に送り返すという手続きを取らされているわけです。
みなさん、この「印鑑証明」って考えた事ありますか?
そう欧米やオーストラリアには印鑑はありません。 印鑑が無いから印鑑証明書なるものも存在しません。 そういうものが無いから、欧米やオーストラリアでは、インチキや犯罪がまかり通っていて、日本では全く無いのでしょうか。
いまだにこの「印鑑」を使うということ自体、大変なムダが生まれているはずです。
今回でも、親父が14年前に出した申請書に捺印されている印鑑と、今回名義変更をしたい人間の印鑑が同じ物であるといちいち調べているのでしょうか? つまり膨大な当時の申請書類がすべてどこかに保管されていて、それを係員が捜し出して来て、チェックしているとしたら、考えただけでも恐ろしくなります。
何が恐ろしいって、自由化のこの世の中、絶対に外国から入ってくる企業に合理性で簡単に負けてしまいます。
印鑑って、いまだに残しているのはお役所の仕事を減らさないため以外に考えられません。
何度も言いますが、欧米には印鑑って無いんです。
無いから、不都合が起きたなんて聞いた事がありません。
今回の電話の件にしても、日本は欧米に比べていかに非能率的、非生産的か!。
日本の伝統(?)にのっとった、「印鑑」方式が良いのなら、日本は市場開放や自由化を推し進めるべきではないと思います。
この印鑑の事以外にも、日本では(特にお役所関係で)あまりにも非合理的な事が多々あるのです。
現在日本で進められている(本当か?)構造改革も良いでしょうが、日本が全く同じ土俵で世界と競争する時代が来るのなら、根本から考え直さなければならない事が日本には多すぎるほどあるという事です。
日本を離れていると、そういう事が良く見えてきます。
2001年11月30日
昨日朝PCを立ち上げて、メールチェック始めたらいきなり「ウイルス注意」のサインが出て、ダウンロードがストップしました。
たまたま、ウイルスチェックソフトの入っている方のPCを立ち上げたので、難を逃れたのですが、最近実験中のウインドウズXPの方だったら、えらい事だったと。
早速、ウイルスチェックのノートンの2002バージョンを入手してきました。
そう、今まで使っている、同じノートンの2001では、XPに入れると色々不具合が報告されているので、サボって入れてなかったのです。
で、送ってきたメールを調べてみたら、僕のHPを読んでくれている、日本にいる学生さんからだった。
インターネットで知り合った、全く一度も会った事の無いいわゆる「メル友」というやつです。
初めて彼からメール貰って、「メル友になりませんか?」と言われた時には、あまりにも歳が違うので「こんなオジサンで良ければ」って、なんか躊躇してしまいました。
彼は、名古屋大学の大学院で研究中の学生さんなのですが、やはり若いだけにウイルス入りメールを受け取ってしまう確率も高いのでしょう。
僕の娘なども、異常なまでに多くのメールアドレスが、記録されているので、しょっちゅうウイルス入りのメールが来ていて、痛い目にも遭ったこともあるので、最近はウイルスチェック用の最新ファイルを常にサイトから落としてくるように習慣付けさせています。
この名古屋の学生さんの場合も、多分本人が気が付かないうちにウイルスが彼のPCに入り込んで、彼のPCの中に記録されているアドレス帳に書かれているメールアドレスに、どんどんウイルス入りのメールを彼のPCから送り出しているはずです。
もちろん彼も被害者の一人なのですが、アンチ・ウイルスソフトを導入して、新しいファイルを常に導入しておけば、100%ではないですが、感染は防げるのです。
今回、このウイルスに実験として感染してみようかなと一瞬考えたのですが、XPの方にもアドレス入れてあったのを思い出して、「ヒヤっと」しました。
そうそんなことしたら当然僕のアドレス帳に記録されている、総てのアドレスに対して被害を及ぼす可能性があったのですから。
やはり今後はホットメールなどのアドレスを使って、常に使うアウトルックエクスプレスなどのメーラーとは一線を画しておいた方が良いかなとも思います。
さて、
先週の日曜日に女房が同僚の先生の送別パーティーをうちでやったと日記に書きましたが、なぜかその日は突然のごとく真夏日になり、皆さん水着持参でプールに入ったりしながら楽しい時間を過ごしたのです。
それを見ていた我が母親が、「私もパーティやりたい!!!」って言い出して、いきなり明後日の日曜日もまたまたうちでパーティ-になってしまいました。
母の友達を呼ぶパーティーになる予定。
その次の週の日曜日(9日)も友人宅でのパーティーが決まっていて、これからクリスマスに向けて、日本の忘年会のごとくパーティが続く事だと思います。
パーティーが苦手の僕にとっては、中々厳しい季節になってきました。
自分でもなんでパーティーが好きでないのか分析するのですが、多分最大の理由は柄にも無く人見知りをしてしまう、その上全くアルコールが駄目なので、酒の力も借りられない。
初めて会う人に無難な世間話をするというのもあまり興味が沸かない。
そんなわけで、いつも女房や娘に叱られています。
パーティをもっと楽しむ極意などがあったら教えてもらいたいものです。