2002年11月後半の日記
2002年11月16日
今日は日本に行った時の事を少々書いてみます。
日本に帰った目的が、オヤジの「偲ぶ会」や遺産整理などだったので、思いのほか忙しく、ほとんど自分の時間が取れませんでした。
その上出不精な僕は日本での滞在先の一つである茅ヶ崎に行っている時には、都心まで出掛けていく気になれず、香典返しの品物を選んだり贈ったり等はほとんど横浜で済ませていました。
また妹のところ(鷺沼)にもいたのですが、そこ周辺でもほとんど必要な事はできてしまうのです。
そんなわけで日本に帰ったら是非行こうと思っていた秋葉原さえ今回は行きませんでした。
妹一家がある地域には近くにPC専門店があり、ある日甥の自転車を借りて行ってみました。
(それにしても都心はともかく鷺沼などの郊外にはものすごい量の自転車がありますね。 道の狭い日本には確かに便利なのでしょうが、かなりの量が放置自転車とか聞くと、日本って物が余っているのではないかと感じてしまうほど)
さて、行ったPC屋は割とその地域では名の知れたところらしく、値段的にも秋葉原とさほど変わらないようです。
値段といえばコンピューター関係の製品は当然オーストラリアよりも日本の方がうんと安いです。 特にバルク製品というのはかなり安いのですが、購入してオーストラリアにまで持って帰って、ちゃんと作動しなかったらと考えると、二の足を踏んでしまいます。
勿論物にもよりますが、オーストラリアの値段と大きく違うものとまたそれほど変わらないものとが有ります。
それとマイクロソフト社の製品の値段というのは世界共通にしているようです。
僕のお目当ては無線LAN製品だったのですが、値段的には一時ほどの差が無い上に、僕の使っているオーストラリアのブロードバンドのプロバイダーとの相性も不安だし、僕の勉強不足で今の無線LAN製品には「Wi−Fi」という規格が有る事を初めて知りました。
つまりもし日本で買って帰っても、オーストラリアにこの規格が有るのかどうかも知りませんでした。(このWi−Fi規格オーストラリアにも有ったんですけどね結局。 しかしWi-Fi商品の値段は結構高くてオーストラリアの値とそんなに変わりませんでした)
そんなわけで今回は無線LANを日本で購入するする事を諦めて、他に何か面白い商品が無いか店内を見ていました。
ちょうどその日はブロードバンドのデモをやっていて、僕は前から日本のブロードバンドのスピードに興味が有ったので、そのコーナーに行ってみました。
ちょうど一台空いていて、そのモニターにはGOOGLEの検索の画面が出ていました。
日本からオーストラリアの僕のサイトにアクセスするとどの程度の速度で行くのか興味の有った僕は、僕のHPのURLを打ち込まずに、ちょうどその時表示されていたGOOGLEにTom
Tanabe と打ち込みました。
オーストラリアでGOOGLEに僕の名前を打ち込むと一番最初に僕のHPへのリンクが出るので、そこから僕のHPへ飛ぼうとしたのです。
(ちなみに僕がオーストラリアで僕のHPへアクセスする時のスピードは、日本にあるHPへのアクセススピードとものすごい差が有ります。)
やはり日本でもGOOGLEは僕のHPのリンクを出してくれたのですが、ふと下に目をやると、3番目くらいのリンクに「Tom
Tanabe 、、、2001年6月上旬の日記、、、」なんて出ています。
しかしそのサイトのURLは全く見たことも聞いた事も無いもの。
「えっ」と思ってクリックをしてみると!!! 何と!思いっきりいやらしいアダルトサイトが開いたのです。
「え、え、え、???」って、少々頭がパニック。 何でこんなサイトが僕のHPにリンクをつけているのだろうと、ビックリ。
僕のHPのリンクを付けて下さっている方はほとんど把握しているつもりだったので、「なんで〜???」って訳わからない状態。
で、そのサイトが一体どんなものか知ろうとクリックをしようとしてふと周りを見たら、若い女性が僕の後に立って順番待っているのです。
彼女から見たら「何?このオヤヂ! 真昼間からこんなお試しコーナーに来てまでエロサイト見やがって!!!」ってな状況なのです。
僕としてはどういう理由で僕のその「6月の日記」にリンクが勝手に付けられてしまっているのかものすごく知りたい。
知るにはそのサイトをいろいろクリックしてみて回らなければならない。 しかし後ろでは、(いや後ろだけでなく周りには沢山)の若い買い物客がいるのに、そのまま平然と皆の前でそのエロサイト見続ける勇気は僕には無いし。
シブシブすぐにそのサイトは閉じて、PCの前を立ち去ったのですが、どうにもこうにも気になって仕方が無い。
ひょっとすると勝手に僕の持っているURLの中に、パラサイトのように入り込んで、余っているスペースを勝手に使っているのではないかなんて事まで考え始めた。(そんな事可能かどうか不明)
妹の家に帰っても、全くインターネットにはアクセスできない環境。 しかし気になって仕方が無い。
で、僕はオーストラリアに電話をかけ、女房に事情を話して僕のHPをホスティングしている会社に連絡してもらいました。
そこで判った事は、なんでも最近は勝手にリンクを付けるロボットがあって、例えば「アダルト」なんてキーワードを元に、そこがアダルトに関係あるなしにかかわらずに勝手にリンクをつけていってしまうとか。
例えば僕の日記に「無料のホットメールアカウントにはしょっちゅうエロサイトからのお誘いジャンクメールがきて困ってしまう」と書いたとします。
すると、そのロボットはエロサイトの部分だけを捕らえて、勝手にエロサイト系のHPのためにリンクを貼って行ってしまうようなのです。
すっごい迷惑でしょ。
僕はオーストラリアに帰ってきた日に真っ先にやった事はそのリンクが出来ないように僕のその部分を変えることでした。
考えてみるとこのようなロボットが勝手にやっているとしたら、僕の知らないところで色んなリンクが付いてしまっているのかも知れません。
で、全くそんな事を知らない人がすごい「エロ」を期待して、僕のHPへリンクで飛んできて、期待外れに文句のメール送ってきたりね。
なんか、怖い〜。
2002年11月17日
本日は日曜日なので日記はお休みです。
2002年11月18日
僕が日本に滞在中、オーストラリアへ電話をかけることが数多く、いくら国際電話代が安くなったからといっても、オーストラリアから日本へかけるほどは安くないと思っていました。
特に日本での滞在日数のうち、約半分は茅ヶ崎にいたので、海外向けに安いキャリアーを選んでいたわけではなかったので。
ところが我が甥が「国際電話用テレフォンカード」をプレゼントしてくれ、これがものすごく重宝しました。
このカードはどこの会社が発行しているかよく分からない怪しげなものなのですが、異常に安いんですよね。(日本の会社ではないようです)
カードには5500と数字が打ってあるところを見ると、5500円分のカードのようですが、甥の話によるとその半額以下(いや3分の一に近いかな)の値段で手に入れてくるようです。(都心の一部で買えるようです)
で、そのカードの「使いで」のあることと言ったら。 約一月の滞在中オーストラリアには何度も電話をかけ、その度に結構長時間話している事が多かったのですが、結局そのカードを使い切る事は無かったです。
余った分は甥にあげて、帰国しましたが、日本ではこの手のカードは常識なんでしょうか?
はっきり言って、オーストラリアの自宅から日本にかける金額と比較しても何分の一かだと思います。
友人に聞いたらそれはインターネット電話を使っているからバカみたいに安いのだとの事。
こんな安い価格(この価格が当たり前と言う人もいるが)が普通になったら、かなり打撃を受けるところが出てくるのではないかと考えていました。
それにしても不思議なのは日本国内の電話料金。
普通のテレフォンカードを買って公衆電話から日本国内にかける時には、この国際電話の料金よりもうんと高い。
距離から言ったら何倍も日本とアメリカやヨーロッパの方が遠いのに、料金は何倍も国内の方が高い。
日本で僕は携帯を使うチャンスは無かったのですが、多分テレフォンカードと公衆電話の組み合わせよりも、携帯の方がうんと安いのでしょう。
日本でのこの国際電話の安いカードを経験した僕は、オーストラリアに帰ってからこの手のカードの事を調べてみようと思っていました。
多分、今僕が使っている会社よりも安いだろうと。
ところが!
本日の朝刊に、非常に興味深い記事が出ていました。
「Telstra(テルストラ)が誇大広告で違法判決」
テルストラというのはオーストラリア最大のキャリア、日本のNTTのようなもの。 元は国営だったのを自由化で現在は約半分の株式は民の手にあります。
その最大手の会社が、今僕が上で書いていた国際電話カードで「ズル」をやっていたとの事。
記事を読んでみるとこのカード、宣伝では「英国への通話料金はたった5.9セント/毎分」となっていました。
なるほど6セントを切る値段という事は日本円で毎分4円程。 10分話しても40円です。
ところがこれは一種の罠なんですね。 確かにオーストラリア英国間の通話はその値段だが、そのカードを使うには最初に1800で始まる番号にかけなければならない。
で、その1800で始まる番号に繋ぐには、接続料が一回につき66セント、プラス何と!何と! その1800は接続料だけではなく度数量も取るんです。それが53セント/毎分。
で、宣伝を見て信じてかける人は、そのカードで英国まで2時間30分話せるはずだと思っていると、なんと15分しかかけられない計算になるとの事。
つまり「10倍」もの誇大広告なんです。
今や消費者が「お利巧」になって、常に安いところを選ぶ時代。
で、企業は生き残りをかけてこのような「ほぼ詐欺」としかいえないような宣伝で消費者を騙そうとする。
これが聞いた事の無いような会社がやっているのならまだしも、「テルストラ」がやっているというところが、悲しいですな。
車の保険にしても、任意保険料はともかく強制保険料などどこの会社も同じようなものと思っていたら大間違い。
常に「騙されないように」注意していないと、簡単にカモにされてしまう時代になっているなっているようです。
2002年11月19日
一昨日の日曜日は久し振りに僕の贔屓にしているBunnerong Road
(Matraville)にあるスパイス専門店「モーゼズ・スパイス・センター」へ。
ここには僕の欲しいスパイスが総て揃っているのです。
日曜日で道も空いているので、久し振りに「彼女」を引っ張り出して行って来ました。
ここのところ「彼女」はずっとガレージの中で出番が無く、たまにはエンジンに火を入れてやらないと、機嫌を悪くしてしまうので。
このスパイス専門店はノース・ボンダイビーチに有った頃から贔屓にしていたのですが、日曜日に行ったらどうも雰囲気が違います。
Bunnerong Road
に引っ越してからも何度か行っていたのですが、店の大きさが半分になってしまっているし、また店の人も全く見覚えなのない者ばかり(みな親切でしたが)。
気になったので買い物を終えてレジで同じオーナーですか?と聞いたら、本日から新しいオーナーになったとの事。
偶然その当日だったのです。 ただし品揃えはほとんど同じなので、あとはそれらのスパイスの品質や新しさをどう管理するかでしょう。
久し振りの「彼女」、太陽はさんさんと照って暑いし、クーラーは無いし、ハンドルは(パワー無しなので)据え切りなんて肩にこたえるほど重いのですが、同じ車でもオートマなどの楽チンな車とは全く別物の、いかにも今運転をしているのだと意識させてくれる楽しい乗り物です。
肩の調子がいまいちなので、買い物を済ませると寄り道をせずに帰宅、午後はずっとテレビを見ていました。
というのも土曜日の夕方の4時からバサーストにある公道を使ったレースで「24時間レース」が行なわれていて、友人のデイミアン(僕のカートの先生。 彼については日記に何度か書いた事がありますが、いつ書いたか見つけられません)このレースに出場していのです。
いつもあまり運の良くない彼の事、どうせ24時間の長丁場のレースなら途中で車が壊れてリタイヤーの結果じゃないかと思ってみていたら、何と総合6位、クラス優勝していました。 ちょっとビックリ。
総合優勝はフェラーリやポルシェと争った、オーストラリア製の(ほぼプロトタイプ)ホールデン・マナーロが。
デイミアンは「BMW M3」という車でカテゴリー5のクラスで戦っていました。 おめでとう、ディミアン。
で、夕方からは上海で行なわれている今年最後のテニストーナメント、テニス・マスターズ(この大会、昔はコンパックのスポンサーでグランドスラム・カップといったような気がするのですが)を見ていました。
先週の日記にも書いたように、勝負強いオーストラリアのレイトンヒューイットが決勝でスペインのカルロス・フェレーロを下し優勝。
すでに今年の年間チャンピオンはヒューイットに決まっていたのですが、とにかく「負けるのが嫌い」な彼、苦しい試合を途中で投げず、5セットにまでもつれこんで結局試合をものにしました。
まさに手に汗握るシーソー・バトルだったのですが、最後はやはり精神力が物を言いました。
と、日曜日のスポーツ観戦は「ご贔屓がみな優勝」で大いに満足しておりました。
2002年11月20日
オーストラリアに住んでいる中学の同級生「F君」から電話があり、今現在OPTUS(オプタス)のケーブルテレビで見ているNHKの放送が打ち切られる事になったと。
それも、何と今月一杯で終わりだそうです。 全く何の情報も今のケーブルテレビジョンの会社からは無く、青天の霹靂の如く。
実は数年前にも、採算重視というので、NHKの放送を打ち切ろうとした事がありました。 その時には、土壇場での交渉でオプタス側がNHKに支払う金額に折り合いがつき、結局打ち切りとはならなかったのです。
ですから今日も友人から「どうもNHKなくなるらしいよ」と連絡が入った時に、どうせまた土壇場で変わるのではとも思いました。
しかし、今回は昨日まで(19日)日本からNHKの職員がオーストラリアに来て交渉を続けていたが、結局合意に至らず打ち切りが決まったとの事です。
で、なぜ合意に達しないかというと、どうもNHKの聴視料(この場合はオプタスがNHKに払うライセンス料といったほうが正確か)が高すぎるのが原因のようです。
確かに僕らがオプタスに払う聴視料にしても他の言語、例えば中国語放送などと比べるとメチャクチャ高いのです。
(つまりオプタスが払う金額が大きいから、我々ユーザーに跳ね返ってきている)
その上、今は日本の企業も不景気でどんどん駐在員などをオーストラリアから引き揚げているので、元々「定住者」としての日本人の数というのは高が知れているので、確かに儲からないらしい。
で、このオプタスという会社、自由化で株式をシンガポールの通信会社「シンテル」に買われてしまい、今や総ての決定はシンガポールの意向に沿って行なわれるとの事。
ですから採算の合わない部門はどんどん切り捨てるという成り行きで、NHKも切り捨てられる事になったそうです。
その話を母に伝えたら、大いにがっかりしております。
ではNHKは見えないのかというと、実は自分でサテライトのアンテナを購入し、なおかつNHKの息がかかったバカ高いデジタルチューナーを購入し、その上毎月NHKに3000円を振り込めば、見えるのです。
ところがこのアンテナが馬鹿でかいんですな。 日本の衛星放送を直接受信するために必要な大きさは直径が2.3メートルなのだそうです。
まだオプタスが有線で放送を開始する前に、NHKを見るために我が家で使っていたアンテナと比べてもはるかに大きいのです。
そう言えば、当時はアナログ放送で誰でもタダで見えたのです。 ですからアンテナやチューナーを買って簡単に見ることができたのです。
ところがNHKはデジタル放送に切り替えた時に、無料では見せないというために、スクランブルをかけたのです。
このデジタルの技術というのは恐ろしいもので、世界中にいるNHKを聴視する人が持っているチューナー、一台一台にスクランブルをかけることができるのです。
つまり、勝手にこのチューナを手に入れて見ようと思っても、その持ち主が日本のNHKに聴視料を払わなければ、スクランブルをかけて見えないようにする技術です。
勿論見たい母はすぐにでもアンテナとチューナーを手に入れてというのですがここで困った問題があります。
僕の住む地区は前の日記にも書いたように非常に街の美観にうるさく、2.3メートルもの丸いアンテナを屋根の上につけたり、また庭に置いても道から見えるような場合、設置許可を取らなければならず、これが簡単には許可が降りないのです。
僕だってそんなでかいアンテナがいつも見えるところに有ったら良い気はしないわけで、どうしたもんかと。
一番良いのはNHKがオプタスともう一度話し合って、聴視者の数にあった料金を設定し、オプタスにも赤字を出させないようにすれば良いと思うのですが。
何しろ日本の物価というのは世界の常識とは大きくかけ離れている事が多く、NHK側から見たら大して高い料金を要求してるわけではなくとも、他の国、例えばギリシャやイタリアまた中国放送などと比べたらやはりバカ高いのです。
ちなみに、英国の国営放送BBCなどは、イギリス国内では聴視料を取っていますが、海外ではフリーで見せています。
国の(文化の)宣伝になってよろしいと思うのですが。 日本のNHK、つまり結局は日本国政府の考え方の違いかな。
先月日本に帰った時に、あまりにもオーストラリアの物価とかけ離れたものばかりを見てきた経験から、この「日本の常識」で設定された「価格」というものがあまりにも世界の常識からはかけ離れているところに、今の日本経済が直面している問題の原因の一つを見る気がします。
この世界の常識からおおきく逸脱した日本の「価格」は数々有りますが、簡単な例の代表選手は「果物」です。
僕の友人のオーストラリア人は日本に行った時に驚いてワザワザ写真に撮って来て友人に見せていました。
そうでないと、一個が数百ドルのメロンとか、(今は安いのも出てきているが)1キロ当たりだと数千ドルもしてしまうような「松坂牛」、誰も信じませんから。
2002年11月21日
日本はだいぶ寒くなっているようです。 NHKテレビの天気予報を見ていると、まだ11月だというのにものすごく寒そう。
今年のオーストラリアは例年以上に暑い気がしますが、反対に日本は例年以上に寒いのでしょうか。
それにしてもまだ11月だと言うのに、零下に近い日があるなんて、年中ぬくぬくしている所に住んでいる僕から見ると、本当に日本は厳しい国だと感じます。
小さな小さな島国なのに、地震は多発するし、台風はしょっちゅう来るし、冬は寒いし、夏は過激に暑いしと、つくづく日本って国は基本的には恵まれてない国なのではないかと。
だから国民はそのハンディを勤勉さで克服してきたのかもしれません。
その日本と比べオーストラリアは全く逆に、国土は広いし、気候は温暖だし(僕の住むシドニーに限って書いていますが)、地震も無いし(皆無ではありません。22年間に一度だけ経験したが僕の住んでいた地域では揺れはほとんど感じなかった)、もちろん台風は全く来ないし。
だから国民は日本人ほど勤勉ではないのでしょう。
僕が日本を出てロンドンに移り住んだ頃には、「勤勉」という言葉に大いに抵抗を感じた(年代的にも60年代から70年代にかけてそういう風潮が台頭してきていた)ものですが、あまりにもノンビリしている人が多い国に住んでいると、「勤勉」の大切さをつくづく感じさせてくれることが多いです。
もちろんノンビリしている国の良さも大いに有るのですが、歯がゆいほどに物事が進まない、(人的)間違いが多い、その間違いのために遅れが出る、というような事が日常茶飯事の国に住んでいると、勤勉の良さを大いに痛感させられるものです。
何かを注文しても約束の納期には絶対に揃わないなんてのは年中行事の如く。
友人が(例の彼女の元の持ち主。 「彼女」と言う表現は誤解を生みやすいので今後は930と書くことにします)数年前に家を売って、高級マンションに引っ越した時の事。
高級マンションと言っても家とは広さが違うので、家具などをほとんど買い換えることにしました。
新しく買ったマンションは非常にモダンなところだったので、イタリア製の家具にしようと専門店に行って気に入ったのを選びました。
ダイニングテーブル、応接セットなどなどほとんどの家具を買い換えるため、ショウルームで気に入った商品を確認した後注文しました。
何事にもスローなのは分かっているので、当然そのマンションに引っ越す大分前に注文を出したのです。
さて、引越しも終わりましたが、家具は待てど暮らせど一向に納品されません。 注文した時に、物によってはイタリアからの船(輸入品なので)の入港次第で、多少の遅れのある物が出る可能性も有りますなんて言われていたのですが、これが全部届かないんですな。
全く何も来ない状態が六ヶ月近く続きました。
とうとう困り果てた彼らに同情して、僕らが持っていた余っている家具を貸したりしました。
総て揃ったのは、僕が家具を貸してあげた後ほぼ半年近くたっていました。 最後には、キャンセルする話も出たのですが、そのような家具は他の店に行ってもすぐ手に入るわけではなく、待つより仕方が無かったようです。
どうも、最初にショールームで注文を受けたセールスマンが発注書を書き間違えて、(本当かどうか)船の遅れもあって、注文した半分しか到着しなかったとか。
上で「勤勉」という事を書きましたが、このような人的ミスも、その仕事に対する責任感の問題で、「勤勉」の一部なわけです。
日本の寒さについて書き始めたら、何か全然別の事を書いてしまっています。
じつは、我が娘も来年の6月にはここを出て行くので、新しく買った家のためにすでに家具を買い始めています。
そう、引っ越してから買ったりしたら、いつ揃うか分からないのは「常識」なので、当然の如くすでに注文したりしているわけですが、先週にその一部がデリバリーされて来ました。
なぜそんなに早くデリバリーされてきたかと言うと、気に入ったのを見つけたらしいのですが、あまりにも高いのでそのショールームに飾ってあるのなら、(展示品というのか)安くしてくれるというのでそれを買ったからです。
ところがデリバリーされてきたのを見たら、8脚注文したダイニングチェアーは6脚しか届かず、デザインの違うのが2脚(同じシリーズだが腕掛けがある)入っていて、合計8脚にしましたなんて勝手に言っています。
で、その腕掛けの付いている方が値段が高いので、差額分を払ってくださいと、のうのうと言って来ました。
8脚有ると思っていたが倉庫には6脚しかなかったからというのは、家具屋のミスで同じのを8脚欲しいので、それはいらないと言ったら、ではその残りの2脚はオーストラリア国内になければ、イタリアから到着するまで待ってもらう事になると言い出したのです。
もういつものパターンでしょ。 (友人がトラぶった店とはまったく違う家具屋です)
しかし、そういう事が起きるのは充分承知の上なので、「ハイハイじゃあ待ちます」と言っておきました。
どうせ引越しは来年の6月なので。
こういう風に、このようなペースの国で「ストレス無く生きていく」には、それ相当の行動の仕方があるのです。
(ある意味、かなり「トホホ」なんですけどね)
2002年11月22日
自転車を買いました。
毎朝4キロ程の距離を歩くのですが、それでもなんか運動不足を感じていて、肩の痛さから他の運動やテニスなどのスポーツは今のところ控えなければならず(テニスなんて、全くサーブできません)、前から欲しかった自転車を買ったのです。
前から買いたかったのですが、家族全員の反対にあっていて、なかなか実現しなかったのです。
確かに我が家の近所には日本でもめったいないような「超高齢のドライバー」が結構多く、見ているとひやひやしてしまうほどの運転振り。
で、彼らの車を見ると「お約束」と言うように車の四隅はこすった跡があるし、ドアやフェンダーなども所々へ込んでいる車ばかり。
そんな車が沢山いるところを無防備な自転車で出かけて行くというのは非常に危険だと家族全員の反対にあっていたのです。
しかし、ボンダイジャンクションにあるPC屋に行くにも最近はものすごい混雑、その上シドニー中いたるところにパーキングメーターが設置され、料金は高いは、ちょっとでも時間切れですぐに切符を切られてしまうはで、駐車違反の罰金を払うのも馬鹿馬鹿しい。
その点、自転車は健康にも良いし、駐車の心配も無いし、一石二鳥どころか三鳥、四鳥にもなる。
しかし乗ってみてやはり無理だと感じたら止めようと思ったので、中古の自転車を購入しました。
娘が通っていた大学の近くのケンジントンに有る自転車屋には、大学生が使っていたのを卒業と同時に売りに出すのがあるようで、その中から選んだのですが、ちょうど僕の欲しかったサイズはこの赤色だけ。
本当は青色が欲しかったのですが。
新車を買うのならいくらでもチョイスがあるのですが。
で、今日は同じ赤という事で、久し振りの彼女と一緒に登場(今まで写真で930(旧呼称「彼女」)の横顔紹介した事無かったかも)
930の写真を載せたついでに、今日は車の事を少々書いてみます。
日本のカーオブザイヤーがホンダアコードに決まったとMSN(インターネット)のニュースにあったので、詳細を読んだら非常に不思議というより不快に感じた事がありました。
その記事の中には審査員全員の評価の詳細が出ていたのですが、審査員によってはメチャクチャな点数のつけ方をしているんですな。
僕個人的にはホンダのアコードよりも新しい日産のフェアレディー350Zの方に興味をそそられるのですが、その日本カーオブザイヤーでもその2車が激しくトップを争ったようです。
で、350Zに最高点をつけた審査員が20人、ホンダアコードを最高とした審査員が15人しかいなかったのに、結局トータルでホンダが僅差で一位を獲得していました。
僕はホンダの新しいアコードがどんな車か全く知らなかったのですが、一位になるくらいだからかなり良くできた車なのだろうと単純に考えて、それぞれの審査員の評価を見ていたら、、、。
確かに僅差で競るくらいですから多くの審査員がどちらかの車に最高点の10点をつけ、もう1台に8点とかの次点をつけているのですが、よくよく見るとホンダに最高点をつけた審査員の何人かはなんと350Zに全く1点もつけていないんです。
ですから例えば単純計算で4人の審査員が350Zに10点満点をつけ、ホンダに次点の8点をつけても一人の「異常な」審査員がホンダに10点、350Zに「0点」なら、350Zが40点、ホンダが42点になりホンダが一位になってしまうんでよね。
まさにこの事が起きていたのです。
確か20年以上も前に、日本の自動車ジャーナリストの父である渡辺さんの発案で「日本カー・オブ・ザ・イヤー」始まり、その後も二玄社の小林彰太郎さんなどのような良識あるジャーナリストたちによって運営されている頃には、本当の「カーオブザイヤーにふさわしい車が選ばれ」、日本のモータリング、自動車産業に多大な貢献をしたのです。
もう何年も日本のカーオブザイヤー選考のプロセスなどについて調べていなかったのですが、今やIT時代、地球の裏側にいても同時に情報を入手できる世の中で、今年の「異常」さを知った次第。
もちろん、その「異常な点の付け方」をした審査員は元レーサーで「ミエミエ」でホンダのレーシング部門の恩恵を受けている人たち。
そのような良識の無い人たちが審査員に名を連ねている事自体、非常に不思議。 つまりどうやって彼らが審査員に選ばれたのか。
自動車産業大国日本のカーオブザイヤー賞は多大な影響を海外にも与えるといった自覚が有るのでしょうか。
当然の如く当地の新聞にも、この異常な評価についての記事が出ていました。
逆に日本の一般紙などのメディアはそんな事を扱うところなんて皆無ではないのか。
これも「安全」なもの以外は、「見ない、聞かない、書かない」の典型的な日本メディアの姿勢なのかもしれません。
同じ赤車2台。 例によってクリックすると大きくなります。
2002年11月23日
ここ数日は朝から小雨がぱらつく事が多いのですが、残念ながら本格的な降りには繋がらず、水不足解消にはならないようです。
今週の週末は母が友人のところへ泊まりに行くと言うので、車で連れて行きました。
場所は「Ingleburn」シドニーの南西約50キロのところにあります。
キングスクロスの近くから最近できたイースタンディストリビューターを使って、高速道路のM−5に乗ればすぐに着いてしまうと高をくくっていたら、これが大間違い大混雑でした。
週末で午後の3時過ぎという条件が重なったからなのでしょうか、シドニー空港の近くから、King
Georges Road
への出口あたりまで車が繋がっていてノロノロ運転。
これほどの渋滞は事故しか考えられないと思ったら何と、自然渋滞だったのです。 これにはビックリ、と言うかがっかりと言うか。
オーストラリアも日本のように渋滞の起きる頻度が急増しているのでしょうか。 石のお仕事でこの道路を使って「Minto」というところに行く事があるのですが、こんな混雑がしょっちゅう起きているとしたら、本当に困ってしまいます。
半年前にここを使った時にはこんな渋滞無かったのですが。
昨日車で一緒にお連れした母の友人に言わせると、時間帯にもよるが、よくこのような渋滞は起きてるとの事。
シドニーは数年続いた好景気(まさにバブル)がようやく終わろうとしていますが、このような渋滞もこの好景気の影響が大である事は間違いありません。
King Georges Roadを過ぎて、やっと車が流れ出したと思ったら、またまた料金所で大渋滞。
現在このM−5という有料高速道路では料金の徴収方法がいくつかあって、一番最近に導入された「E-Tag」というのは車のフロントガラスに付いているタグを料金所に設置された機械が読み取る方法で、車は止まる必要がありません。
他には僕の持っている「SWR」というパスで、これはプラスティックのキーホルダー型ものに水銀電池のような形の使用者のIDが埋め込まれているもので、これは一々料金所で停車して、読み取り機に差し込む物です。他にカード方式「Ezi」というのと、現金を払う昔からの方法があります。
で、なぜに料金所が混雑しているかというと、半分以上をこのE-Tag
のために割り当てられていて、残りをすべて一緒になっている。
つまり混雑解消のためになる僕の持っているパスやカードの持ち主も、現金で支払う車(それもお釣りが必要なようなものまで含む)と一緒に並ばなければならない事になっているのです。
これでは渋滞が起きていても不思議ではありません。
まったくオーストラリアの道路公団は何を考えているのか。
渋滞解消のために次々と新方式を導入しているはずなのに、オーガナイズが悪いので、前よりも混雑渋滞が起きている始末。
この辺はどこの国も似たり寄ったりなのかもしれません。
そんなわけで、たった往復100キロの道のりなのに母を友人のところに届けて帰ってきた時には、日も暮れかかっていました。
母の友人というのは、母がオーストラリアに来てから「老人会」で知り合った、ほぼ同年代の「戦争花嫁」。
「戦争花嫁」という表現は僕は好きではないのですが、ご本人もそう使っていらっしゃるのです。
彼女は日本からオーストラリアに来た第一号の「戦争花嫁」との事。
先日我が家に3泊された時に僕は彼女のお話に興味が尽きず、たくさんのお話を聞きました。
いずれまとめて彼女の事を書いてみたいと思っています。
オーストラリア軍勤務のご主人と日本で知り合って結婚したが、当時オーストラリア政府は元敵国人である彼女にオーストラリアのヴィザ発給を拒否したそうです。
で、彼らは当初イギリスかカナダへ行って一緒に住もうと考えていたそうです。
今から半世紀以上前の事です。
面白いのは我が女房と彼女「S子さん」のシドニーについての昔話が、完全にシンクロする事です。
つまり今年55歳の女房にとって、子供の頃からの思い出が始まる時期と彼女がオーストラリアに来た時期が全く同じだからです。
来た当時はS子さんの周りには全く日本人もいず、日本食どころか中国料理店さえシドニーにはたった数軒だったとの事。
ホームシックにかかるとサーキュラーキー近く(シドニー湾)に出て、行き交う船を見ながら日本に帰りたいと、涙したそうです。
そう、その当時は日本からオーストラリアに来るのは船だったんです。
オーストラリアに来て大分立ってから、日本食がどうしても食べたいと、いても立ってもいられず(望郷の念からでしょうが)、シドニー湾に初めて日本の遠洋漁業の船が来たと聞いて、波止場まで訪ねて行き事情を説明し念願の「日本食」を食べさせてもらった思い出は一生忘れられないとか。
今の我が母の環境からは考えられないような話ばかりです。
S子さんがシドニー郊外の外れ「Ingleburn」なんて遠くに住んでいるのも、ご主人が軍属だったからで、その地区にはオーストラリア軍の基地が点在します。
2002年11月24日
本日は日曜日、日記はお休みです。
2002年11月25日
先週のことです。
PC屋のジョンが携帯に遊びにおいでとメッセージを。
それに返事をしないでいたら、今度は電子メールを送って来て、遊びに来いと。
僕は肩の問題で超音波を取りに行ったり、今度はメニエル病なんてのになってそれどころではなかったので連絡もしなかったのです。
しかし、少々良くなったので近くに行く用事ができたときに立ち寄ったら、ジョンは僕に「プレゼント」を持って僕が来るのを待っていたのです。
それは何と「日本語のキーボード(マイクロソフト社の)」。
当然オーストラリアでは英語のキーボードしか売っていませんから、僕にとっては日本に行った時に見たことはあるけど、使う機会はほとんどありませんでした。
それにしてもなんでジョンがこの日本語のキーボード持っているのか不思議に思って聞いたら、下取ったPCに付いて来たって言うのです。
このオーストラリアで。
で、是非僕に使ってもらおうと思ってなんて言うのです。
いやはやジョンはいつもとっても親切。
それにしても日本語キーボード、オーストラリアに来た日本人が持って来て置いていったのでしょうか、確かに新品ではない。
それほど古くもありませんが。 すごく興味シンシン早速僕のPCに繋いで見ました。
特に興味が有ったのは「ひらがな入力」。 オーストラリアで買う英語のキーボードは、当然のことながら「ひらがな入力」なんて出来ません。
良く見ると、英語と日本語ではキーの配置もところどころではあるが微妙に違います。
まずは「設定」から入ってキーボードのドライバーを入れ替えて、日本語キーボードとして認識させる作業から。
僕の英語版ウインドウズ2000は地域の設定などですでに日本語化してあるので、新しいドライバーと入れ替える作業でもちゃんと「日本語キーボード」のドライバーは出てきました。
で、簡単に設定変更は完了、再起動をかけていざ使おうと思ったら、全く日本語キーボードの知識は皆無なので、アルファベットでの日本語入力からひらがな入力への切り替え方からして分かりません。
すぐにGOOGLE検索で超初心者のページを見つけて、お勉強。
やっぱり英語入力に慣れてしまっている身には、ひらがな入力は頭の体操にはなるかもしれないけど、実用には僕にとってちょっと無理。
で、もう一つの特徴である、英語キーボードには無い、「漢字変換キー」や「半角全角切り替えキー」などにはすぐに慣れるかもしれませんが全く使わない。 つまり使う必要が無い。
しかし英語のキーボードには無いこの「変換キー」がスペースキーの場所をかなり取ってしまっているんですね。 つまり日本語キーボードのスペースキーというのは英語のと比べて大きさが(幅が)半分も無いのです。今までは変換やスペースを入れる時に親指の腹の部分を使って「ずさん」に押しても、かなり大きいキーなので押し間違えというのは無かったのですが、これには少々慣れないとやりにくいというか。
まあ当分この日本語キーボードにしかない機能を使いこなせるように頑張ってみます。 それにしてもジョンって親切でしょ。
でそれ以来、毎日の日記をこの日本語キーボードで書いてみると、もっとも便利だと感じるのが、日本語と英語の切り替えキーです。
英語キーボードだと、Altキーと[〜](このマークの名前なんていうんでしょう)の2キー同時押しで切り替えなければならなかったのが、[半角/全角]キーだけで切り替えられるのが非常に便利です。
僕のように10本の指を全部使って入力出来ない者にとっては、二つのキーを同時押し(特にこの二つのキーはとても離れた位置にあるので)よりもうんと楽です。
しかし他の日本語キーボード独特のキー、例えば「漢字変換(前候補)キー」や「カタカナ・ひらがな切り替えキー」などは僕にとっては全く必要ありません。
特にカタカナに切り替えるときにはいつもF7キーを使っていたので。
それよりも家に有るほかのPC(ノートやLinuxの入っているやつ)がすべて英語キーボードなので、その都度頭を切り替えなければならないので、その度に戸惑うが、頭の体操になるかも。
コンピューターとは違う話ですが、毎日使っているスバルと930は方向指示器のレバーと、スクリーンワイパーのレバーが全く逆なんです。
で、ボケーっとして運転をしていると、方向指示を出したつもりが、いきなりワイパーが動き出すことがしばしば。
これも良い頭の体操になります。
2002年11月26日
僕のホームページをご覧になっている方で、相撲を見ている方がどれほどいるのか、はなはだ疑問ですが、今日は今年最後の九州場所で優勝した朝青龍(あさしょうりゅう)について書きます。
このモンゴル出身の力士の相撲を見ていると、オーストラリアのテニス・スター、今年の世界ナンバーワンのレイトン・ヒューイットとの類似点があまりにも多くあることに気づきます。
両方とも上背など体力的には恵まれていないのも同じ。
しかし両選手とも精神力の強さが好成績に繋がっている点で本当に似ているのです。
どんなスポーツ選手も、特にプロなら「勝ちたい、負けたくない」という気持ちは強く持っているはずですが、この二人はその「勝ちたい」という気持ちが「異常」とさえ表現できるほどに強い。
この「異常」をどう表現したらよいのか。 「アニマル」の様と言うか、「神がかり的」というか。
NHKの相撲解説者も朝青龍のこの「負けたくない、絶対に勝つ」という意欲が角界一だと言っております。
一方レイトン・ヒューイットも僕の日記の中で何度も書いているように、その面では瓜二つ。
典型的な例を一つ。 先日の今年最後のマスターズカップでの試合で。
この試合に勝っても負けても、もう今年の世界ナンバーワンは決まっているのだし、無理をして頑張って、すでに怪我をしているところを悪化させたら、もっと大事なオーストラリア・オープン(4大タイトルの一つ、自国での大会である全豪です)に影響が出るのではないかというようなシチュエーションでも、ただただ「負けるのが嫌いだから」と、5セット(4時間を越えるような試合です)までもつれこんで、結局勝ってしまう。
全く違うスポーツのこの二人ですが、同じ歳というのも興味深いです。
また二人とも技術(基本)の吸収が素晴らしく速いのも似ています。
朝青龍がいよいよ「立会いの時間」という時に、最後の塩を取りに房下に向かう時に、さあやるぞと言う気持ちが盛り上がるのか、それまでの仕切りの時とは違い足早になります。
その時の足の運びなんて、本当に基本が身に付いているのが分かります。
レイトンも同じようにストロークや足の運びは本当に基本に忠実です。 僕はレイトンが今度の全豪を勝ってしまったら、グランドスラムを制覇する以外の目標は総て取ってしまうことになるので、彼がバーンアウトしてしまうのではないかと心配しているほど。
朝青龍も来場所は綱取りの場所になるそうですが、大いに期待しています。
NHKがオーストラリアで見えればの話ですが。 僕は普段、親の見ているNHKは見ほとんど見ないのですが、相撲は必ず見ます。
僕のような海外に永く住んでいる者にとって、相撲はものすごくエキゾティックに見えます。
子供の頃は小学校卒業くらいまで見ていたのですが、中学に入る頃から全く興味を無くしてしまっていました。
しかし海外に出てNHKの放送が見えるようになり、30年ぶりに見た相撲は非常に新鮮でした。
だって、時代は21世紀に入っているのにカツラではない本物の髷を結っているのですよ。
我が家に遊びに来て、相撲というスポーツを生まれてはじめて見るオーストラリア人は、相撲取りの頭を見ただけで「ワァーオ」ですから。
その上、スポーツ選手なのに思いっきり太って見えるのにも関心を引くようです。
あるオーストラリア人がどこかに書いていましたが、力士の脂肪というのは内臓にはほとんど着かない太り方なのだそうです。
一般人がデブになると、内臓にも脂肪がついて疾患の引き金になるのだそうですが、相撲取りは皮下脂肪が主とか。
で、これは毎日激しい稽古をしている限り、悪影響は無いが引退したりして、急に運動量を減らすと、その脂肪が内臓のほうに回り始めるとかで、ダイエットに心がけないと危ないのだそうです。
その大きな体の力士が、最近はかなり真剣に(ガチンコと言うのかな)ファイトするので、オーストラリア人にとっても面白いようです。
ただし太りすぎて気持ちが悪いと言って見ないオーストラリア人も結構いますが。
昨晩は夜中の2時(時差の関係で)からNHKのサンデースポーツにその朝青龍が出るというので、ヴィデオで録画して見ました。
見ていて面白かったのは朝青龍の両親もモンゴルから駆けつけたとかで、その番組にも出演していたのですが、その両親へのインタビューの通訳が思いっきり下手で、日本語になっていなんですな。
考えてみると、日本語とモンゴル語に精通した経験のある通訳って非常に少ないかもしれません。
朝青龍の日本語の方が通訳の日本語よりうまいんですよね。
朝青龍に通訳をやってもらったほうが早いのではないかと思うほど。
今角界には30人以上のモンゴルからの若者が力士になっているそうですが、そのうちの何人かは相撲で食えなくなっても日本語モンゴル語の通訳で充分食っていけるのではないかと。
日本で一番モンゴル語の通訳がいるのは、角界になるかもしれません。
少なくとも今モンゴルでは相撲というスポーツがメチャクチャ盛り上がっているそうです。
2002年11月27日
一昨日、昨日とシドニーは熱風が吹いていました。 本日はそれほどの暑さではありませんが、水不足に追い討ちを掛けているのは間違いないようで、給水制限も徐々に厳しくなってきています。
給水制限と言っても、庭に撒いたり洗車したりする水の制限です、まだ。
今日は日本に行った時の事を少々書いてみます。
ある日、渋谷に用事があって出掛けていきました。 用事(銀行口座の事)は比較的すぐに終わって、ちょうど昼時だったのでどこかで食事をしていく事にしました。
海外に永く住んでいる人間にはたまに日本に帰った時には是非食べておきたいという物がいくつか有ります。
しかしまだ僕がロンドンに住んでいた頃と比べたら、その種類は格段に少なくなっています。
ロンドンにいた1970年代なんて、まともに日本食を食べられる日本レストランは希少価値だったのですから、日本に帰る度に日本食は何を食べても感激したものです。
日本食がブームになり、少しずつ味の良い日本食レストランが増えていき、日本に帰った時に「是非食べなければ」と思うメニューも減っていきました。
また僕は1980年からオーストラリアに移り住んだので、イギリスよりも格段に魚介類の豊富なシドニーに住み始めると、刺身や寿司などはそれほど日本に帰っても「有り難味」を感じなくなっていきました。
しかしいまだに日本に帰ったら是非食べて来なければと感じるものがあります。
それは「ラーメン」。
勿論海外にも多くのラーメン屋はできていますが、やはり日本の「本格的ラーメン」には程遠いと思っています。
で、ふとその時に「渋谷はラーメン激戦区」とどこかに書いてあったのを思い出しました。 多分オーストラリアにいる時にインターネットでどこかの記事を見たのだと思います。
有名なラーメン店が地方からも出店してくるは、それを迎え撃つ東京のラーメン店も色々新しい店ができて、というような記事だったと思います。
ちょうど用事もすぐ済んで、フラフラと渋谷のヨ○バシカメラだったかに入って、PCパーツを見ていた時だったので、店員さんをつかまえて「この近くで美味しいラーメン店知っている?」と聞きました。
最初に聞いた店員さんは「さあ〜???」と言って考えていましたが、全く知りませんでした。
その店員さんは女性だったので、ラーメンは男性と比較して女性には(特に若い女性)それほど人気が無いからかと思いましたが、全く知らないんですよね。
少なくとも「道玄坂を上がって行ったら」とか、「明治通りの方に確かあるような」なんていう漠然とした情報さえも出てこないわけで。
で、横にいた男性の店員さんに聞いたらまるでそっけなく「知りません」で終わり。 ただその店員は「何だこいつ客じゃないんだ、この忙しい時に関係ない事なんか聞くな」ってな態度でした。
だから実は知っていたのかもしれませんが情報はもらえませんでした。
じつは僕はその時に「CD-RW」を買うつもりでその店に入ったのですが、その男性店員の態度に、商品を見ただけで出てしまいました。
で、そこから駅の方に美味そうなラーメン屋が無いか歩き始めたのですが、それらしき店はありません。
ちょうど昼時だというのに、ガラガラのラーメン屋は何軒かは目に入ってきたのですが、そんなところは論外なので勿論無視。
僕のイメージの中にあるラーメン屋は絶対に外に長蛇の列が無ければいけません、12時半過ぎなんて時間には。
歩いているうちにまた電化製品の量販店があったので、そこに入り結局、リコーのCD−RWを購入、レジで支払いをしてその店員にまたラーメン店の事を聞いたのですが、何とものの見事に誰も知らないんですな。
僕の頭の中には「?」マークが飛び交っていました。
だって、ラーメンというのはべつに最近始まった事ではないが日本では大ブームのはずで、その上渋谷では北海道から九州までその土地の有名店といわれるのが東京進出で次々と渋谷に店を出しているとか、そういった情報はオーストラリアに住む僕の方がよく知っているのです。
ただし日本に住んでいない悲しさと言うか、正確な店の場所などがわからない。
それにしても地元で働く店員さん達の方がもっと知らないというのは驚きでした。 ひょっとしてラーメンなんてそれほどブームじゃないんですかね。 実は店員さん(若い)たちには興味のない食い物の可能性もあると思い、道で駐車違反を取り締まっているお巡りさんを(道玄坂の上のほうで)つかまえて聞いてみたのですが、やはり全く知らなかった。
このお巡りさん親切にも自分の乗っているバイクから地図を引っ張り出したりして一緒に考えてくれたりしたんですけど。
で、ぼくが考えたのは、いまや携帯で何でも欲しい情報が手に入る時代。 僕は日本にいる時に携帯は持っていなかったのですが、今の若い人達というのは僕のような状況になった時に他人に聞くと言う行為をせずに、携帯で情報を得て、目的の店(この場合ラーメン屋)を見つけるのではないか。
で、そういうことが進むとどうなるかというと、全く横の情報のやり取りが無くなる。 つまり誰かが「渋谷はラーメンの美味しい店が沢山あるって聞いたのだが、どこか知りませんか」と声を掛けてきたら、例え知らなくとも「渋谷には美味しい、または有名なラーメン店が有るらしい」という情報がその人に入るわけで、じゃ自分も探して食べてみようかとなるのではないか。
本来電子メールなどITの発達はコミュニケーションや意思の疎通を発達させるべきものなのに、機器が発達しすぎたために、人と人とのコミュニケーションは逆に退化していっているのではないか。
つまりITを通さない人対人のコミュニケーションというのは、そのサブジェクトに全く興味の無い人も、巻き込むという効果が期待できるが、同じ興味を持つもの同士だけが集まるIT的コミュニケーションというのは(掲示板やチャットなど)その可能性が少ない。
結局その日はラーメンは食べずに帰宅してしまいました。
ちなみに数少ない知識の中で僕が知っている美味しい(と言うか少なくとも日本に帰ったらこれくらいのレベルのラーメンは期待してるんですけど)店は恵比寿にある「香月(かづき)」くらい。
ここはもと僕が働いていたところの日本事務所が近くにあるので、最初は連れて行ってもらった。
絶対にもっと美味しい店は沢山あると思うのですが、残念ながら今回は新たな美味しい店の発見はありませんでした。
妹の住む鷺沼の近辺にも何軒か人気のある店があるというので連れて行ってもらったのですが、期待したほどではなかったし。
それともオーストラリアのラーメン屋の味がまあまあのレベルになってきているので、日本に行った時の感激がなくなっているのかなとも。
ラーメンも日本に帰った時に是非食べる「食い物リスト」から外れたりしたらと思うと、ちょっと残念でもあります。
2002年11月28日
昨晩夕食を取っていたら家の壁に何かぶつかる音が。
出てみると Lorikeet
が地面に落ちていました。 まだ生きているのでつかまえて、女房が介抱を。
かなり強く体を家の壁(レンガ)にぶつけたために、どこか骨折しているのかもしれません。
女房の掌の中でもじっとしたまま。 結局女房は寝るまで膝の上にその鳥を置いて介抱していました。
今朝になって大分回復したように見えたので外に連れて行ったがやはり飛べません。
我々の手におえないので、WIRES(Wildlife
Information and Rescue Service)
に連絡をして、保護してもらう事に。
WIRES
のHPを見ていただくと分かるように、今オーストラリアは大変な干ばつで野生動物もかなり危機に瀕しているようです。
この家に突っ込んで来た鳥も、あるいはその影響があるのかも。
それにしてもこの鳥とってもきれいでしょ。 日本では結構高い値で売られているようなこのロラキート、家の周りには一杯います。
昔お世話したワーキングホリデーの男性にオーストラリアに来た目的を聞いたら「野鳥を見に来ました」と言う答えが返ってきたのを思い出します。
彼曰くバードウォッチャーを趣味にする人間にはオーストラリアは天国だとか。
この怪我をした鳥の写真がうまく撮れなかった(フラッシュを焚いたりしたらもっとショックを起こすのではないかと)のでリンクを付けました。
さて、本日木曜日は女房が学校に教えに行かない日なので、懸案だったオーストラリアでの墓を決めに母と三人で
Waverley Cemetery へ。
2002年8月23日の日記にも登場したこの墓地に「田邉家之墓」を建てる事にしました。
まだ空きは一杯あるように見えたのですが、ほとんど残っていないんですね。
2〜3候補を見て回って結局小高い場所のに決定、25年単位の契約なのですが、50年(25+25)を申し込みました。
50年という事は勿論僕も入るという事で、娘の代までは安心でしょう。
(何が安心なんだか良く分かりませんが)まあそれより先は僕もどうでも良いと思っています。
近々、例の日本にも留学をした事のある「墓石屋」さんに連絡をして、デザインを考えてみましょう。 ここは由緒ある霊園なのであまり奇抜なデザインは許可が下りないらしいが、少なくとも「田邉家」と言う漢字は使うつもりです。
出来上がったら、僕のお仕事の石の製品写真の方にでも貼り付けるかな。
2002年11月29日
先日日本に帰った時に、念願だった42年ぶりの小学校の同窓会に出席したのですが、そのときの写真を日本から送っていただきました。
親切な同窓生達のお陰で、その時の感激がまた蘇って来ました。
僕の生まれた昭和22年は、戦後ベィビーブーマーの真っ只中、一クラスに55人、同学年は8組まで有りました。
つまり一学年に450人ほどいたんですね。
小学校に入学した当時は、教室の数なども間に合わず、午前のクラスと午後のクラスに分かれていました。
つまり1組から4組までが午前中授業を受けると、残りの5組から8組までは午後から登校するという状態だったと思います。
これは確か2年くらいまで続いたと思います。
その2部授業で一番記憶に残っているのは、ある時学校で消防訓練があった。 生徒を校庭に集めて消防車も来て避難訓練などをやったらしい。
「らしい」というのはそのとき僕の授業は午後の部で、訓練は午前中で終わってしまっていたのです。
ちょっと早めに登校した僕は校庭で消化ホースなどを片付けているのを見て、訓練が行なわれたのを知ったのです。
小学校に入ったばかりの僕には「消防車」や「消化訓練」は凄くエキサイティングに思えたのですが、僕らのために午後も同じ訓練は行なわれなかった。
これにはすごくがっかりしたものです。
僕の同級生55人のうち男の子は34人女子が21人でした。
随分男の子の方が多いのですが、これは僕の行っていた田園調布小学校という特殊性にあると思います。
当時男子と女子の割合はここまで極端に男子の方が多かったはずは無く、実は越境入学の生徒が圧倒的に多かったのがその理由だと思います。
戦後すぐの当時から田園調布小学校は公立の小学校の中でも人気が高かったようで、寄留という形を取って多くの生徒たちが田園調布以外から通って来ていました。
寄留というのは、自分の住む住所が田園調布ではない場合、公立小学校ですから入学はできないはずなのを、田園調布に居住する人にコネをつけて、一時的に子弟をそこに住民票を移し、入学する方法です。
当時の卒業アルバムにある住所録を見ると、男子も女子も約半分の生徒が区外から通ってきていました。
で、男尊女卑の日本ですから、わざわざ寄留なんて形までとって入学させようというのは、男子の方が多かったのです。
34人対21人というのは、ひょっとするとその当時の日本の「男尊女卑度」を現しているのかもしれません。
越境までして名門の小学校に通って来ていたのですから、よく勉強をする生徒は多かったのでしょう。
僕のように偶然田園調布に生まれ、そこが地元の小学校だったから当たり前に通っていた者には、定期券を首からぶら下げて毎日電車で(そう小学校の1年からやっていたはずです)遠いところを通ってくる同級生はすごいと感じ、一種尊敬の念さえ抱いていたものです。
といっても半分近くが越境入学だったので、珍しいという感覚ではありません。
42年ぶりに集まった同窓生は担任の先生をいれて21人。 これを結構集まった方と見るか、少ないと見るべきかよく分かりませんが、あまりにも永年音信不通のままだったために、連絡先不明者が22人もいて、残念です。 42年は長過ぎた感じがします。
またせっかく連絡が取れても、出席できなかった方もいてこれも残念。
55歳というのはまだまだ現役ですから、地方や海外赴任中でというのも致し方ない。
また、僕も実感しているのですが、僕ら位の年代はちょうど親が高齢で寝たきりだったりして、たった半日の同窓会でも出席できないという方もいて、これも残念ではあるが致し方ないことです。
しかし担任の先生がご健在で出席していただけたのは、本当にラッキーでした。
先生のお話(姿や懐かしい声)を伺っていると、昔の記憶がどんどん蘇ってくるもんです。
楽しい時間というのはあっという間に経ってしまうもので、当日も名残惜しい事しきりでした。
ですから昨日日本から写真集(というほど沢山の)が届いた時には、女房や娘も一緒にわいわい言いながら見ていたのですが、来年80歳になる我が母も最近はすっかり頭の方が怪しくなっているというのに、昔の思い出というのはしっかり覚えているもので、その写真集を見ながら6人以上の同窓生の名前を僕の助けなく言えてしまったのには、ただただビックリでした。
僕が最初の子供(長男←日本はこれが大事らしい))だったから、母なりに一生懸命で、思い出も多いのかもしれませんが、多分僕は42年も経ったら娘の同窓生など全然覚えていないと思いますが。
2002年11月30日
今年ももうあと一月のを残すのみ。
いやはや1年が過ぎるのは早いもので。
先日の日記に日本カーオブザイヤー(COTY)の審査員の採点への疑問を書いたのですが、昨日ネット・サーフィンをしていたらその審査員の一人でやはりニッサンZには厳しく、ホンダには甘い採点をした、土屋圭市という人(だけではないが)に絡んでいろいろ批判が出ていると知りました。(黒澤元治審査員はもっと酷かったのですけどね)
やはり今年の(あからさまな)採点は問題になっていたのですな。
(僕は日記を書いた時点で、その辺のところは全く知らず自分の率直な感想を書いたのですが)
N・R・M・A(日本のJAFに部分的だが共通している面がある)から会報の雑誌が届いていて、今年のオーストラリアのベストカー賞のことが出ていました。
The Australia's Best Cars 通称 ABC
Awards といいます。
オーストラリアには他にも「ベストカー賞」的なのは有りますが、一応これがオーストラリアでは一番権威のある賞だと思います。
先日日本のCOTYへの疑問を書いたばかりだったので、今年はその会報に出ているABS賞について詳細を見てみました。
最初に書かなければいけないのは、この賞は日本のCOTYと違って、たった一台の車を選ぶわけではないということ。
カテゴリー別にそれぞれのベストカーが選ばれているのです。
これは非常に合理的だと思います。
つまり、今年の日本のCOTYのようにあらゆるジャンルからたった一台を選ばなければならないということ自体無理があるわけです。
車を購入する時の参考にしようと思っても、自分の買おうとしている車とは全く価格帯や目的(4WDとスポーツカーなんて根本的に違うでしょ)の違うのが選ばれていたら、何の参考にもならないわけです。
ABCの場合はカテゴリーが12にも分けられています。
ちょっと長くなりますが詳細を書きます。 その詳細を見ることによって、オーストラリアの車事情が見えてくるかもしれません。
例えば4駆の部門などは3つもあって、いかにアウトバックで4駆が生活に密着しているかが分かります。
カッコ内はその受賞車です。
ベスト・スモールサイズ・カー (ルノー・クリオ)
ベスト・ミドルサイズ・カー 25000ドル以下の部(ホールデン・アストラ)
ベスト・ミドルサイズ・カー 25000ドル以上の部(マツダ・アテンザ)
ベスト・ファミリーカー (フォード・ファルコン)
ベスト・ピープル・ムーバー (トヨタ・アヴェンシス・ヴェルソ 日本名はイプサムでしょうか)
ベスト・スポーツ・カー 57000ドル以下の部 (フォードファルコンXR6)
ベスト・スポーツ・カー 57000ドル以上の部 (BMW M3)
ベスト・ラグジャリー・カー 57000ドル以下の部 (ルノー・ラグナ)
ベスト・ラグジャリー・カー 57000ドル以上の部 (メルセデスベンツ E320 エレガンス)
ベスト・リクリエーショナル・4駆 (スバル・フォレスター)
ベスト・ラグジャリー・4駆 (BMW M5)
ベスト・本格4駆(英語名はBest All-Terrain Four Wheel Drive
となっています) (トヨタ・ランドクルーザーGXL)
審査員は自動車関係の協会7つからの代表9人。
この7つの協会と審査員の詳細については、上のABC(リンクの付いた青字)をクリックして見て下さい。
また、ベストカー以外にも次点を獲得した車の詳細も出ています。
採点方法は採点用の3つのカテゴリリーにまず分けられ、その三つの中に計19の項目が(4駆車においては21項目)あります。
それぞれの項目について1〜5点をつけます。
それぞれの項目には、それぞれの重要度が(最重要、上、中、下の4種)分けられています。
その重要度はカテゴリー別で変わってきます。
3つのカテゴリーはValue for money , Design and function, On-the-road
のカテゴリーに大別され、例えばValue for money
の中には、車両価格、減価償却率、維持費および修理コスト、燃費、保証、標準装備の6つに分けられています。
で、それぞれの重要度は、例えば維持費や燃費はスモールサイズ・カー部門にとっては最重要度項目になるが、スポーツカーの部、特に57000ドル以上の部なんてのはそれほど重要ではないわけです。
ですから例え5点満点をとっても、カテゴリーと項目によってはそれが重要度の率(上から、1から0.2までつまり100%、80%、40%、20%となっているようですが、僕の手元にあるNRMAの記事には一番下は40%となっていてちょっと不明です)によって、大きく変わってきます。
例えば「A車」というスモールカーが、燃費で同じ部門のライバル車と比べ、とても良いということで5点満点取った場合には重要度も100%なので5点満点を獲得します。
しかし、スポーツカーの部門では一番燃費が良くて5点満点取ったとしても、せいぜい重要度は中なので5X40%で2点だけの獲得ということになります。 そしてそれらの点(19項目)を合計した後、ある一定の率を掛け、得点を出します。
ものすごく複雑でしょ。
こういった車を評価する場合、パーフェクトな採点方法を考え出すのは不可能に近いとは思いますが、日本のCOTYのように「僕この車、なんか嫌い〜」みたいな評価で、0点つけたり、逆にただ好きってので10点満点つけたりってのとはぜんぜん違います。
大体そんなレベルの審査員が最初から選ばれないわけで。
そこまで公平に、綿密に審査されるABCでもオーストラリアではそれほど重要視されているとは思いません。 車を選ぶ時の参考にする人がどのくらいいるのか。
逆に日本のCOTYはただ一つ、その上「自動車大国日本の賞」という事は、海外のメディアも大いに注目しているし影響力も大なのですが、その事を一番理解していないのは、実はその日本の審査員なのかもしれません。
ハード(車)は良いものを作る日本(人)ですが、ソフト(この場合はCOTY)に関してはなんともお粗末ですな。