2003年10月後半の日記
by tom tanabe マグパイへ戻る
2003年10月23日
本日早朝、無事ボルネオから帰って来ました。
帰って来たら、山のように郵便物が溜まっており、税金関係のもあり慌てて税理士事務所に連絡を取り書類を届けたり、夜行便の疲れもありボルネオの話など詳細は来週の日記からにします。
ただし、「大変愉しんだ」ということだけは書いておきます。
大いに「エンジョウイ」しました。
2003年10月27日
先週の木曜日の早朝にボルネオ旅行から帰って来て、やっと一段落つきました。
一昨日(土曜日)には母が日本に長期帰り、娘も独立し、今や女房と二人だけの生活が始まりました。
考えてみると女房と二人だけの生活は娘の生まれる前、まだロンドンに住んでいた頃なので、かれこれ25年以上も前のことになるわけだわと、女房と二人だけで夕食を取りながら、何だか感慨深げでした。
さて、サバ(ボルネオ)旅行についてまず第一回目。
皆さんは「ボルネオ旅行」と聞いて、どんな想像をされるでしょうか。
偶然に我々の出発する二日前に日本の母の里山口県の田舎にいる叔父から電話があり、ホリデーに出かけることを言ったら、「ボ、ボルネオ!!!、ボ、ボルネオ????、ボ、ボルネオ!!!!」と三回も連呼して、その後絶句してました。
もう80歳近くになる叔父にとっては「ボルネオ」って響きは、ものすごい未開の地で、金払って出かけるところどころか、金貰っても行く所ではないくらいに考えているのでしょうか。
彼のホリデーのイメージというのは、「ハワイ」やせいぜい「フィージー」あたりまでなんでしょう。
一般に日本ではボルネオってのはホリデーの行き先としては、かなり「マイナー」なんでしょうな。
さて、本題に入ります。
行っていたボルネオから、残念ながら日記の更新は出来ませんでした。じつは宿泊していたホテルから僕が持って行ったノート型PCをネットに接続する事が出来なかったのです。
インターネットをするだけならそれ専用の部屋があって、15分間で6リンギット(180円くらいか)を払えば、そこにおいてある端末を使えるのですが、僕は部屋から自分のノートでアクセスしたかった。
とにかく、もし宿泊中にアップできていたら、毎日の事など詳細を書いていたと思います。
とりあえず、今ごろダラダラ書いてもしょうがないので、記憶に残っている事を中心に書きます。
行きの飛行機は「オーストラリアン・エアーライン」という航空会社でした。
「カンタス・ホリデー」というパッケージを買ったのですが、オーストラリアン・エアーは兄弟会社のようです。
ホリデー専用なのか、座席もエコノミーだけの一クラス、結構混んでいました。
オーストラリアのスクールホリデーが終わっているのに、この調子だとピーク時は満席なのではと。
ちなみにこの「オーストラリアン・エアー」、日本にも行っていて名古屋、大阪、福岡便を飛ばしているとの事。
さて7時間半の飛行時間で到着したコタ・キナバル(以下KKと書きます)、「懐かしい」湿気の多い暖かい空気が待っていました。
なにしろオーストラリア生活が長すぎて、日本の暑い時には随分帰ってないので、この「空気」本当に懐かしいという感じが。
最初の入国手続きでは、入国審査官がやたらハンコウをパンパンと大きな音をたてながら入国審査をやっているのですが、まあ時間の掛かること。
到着便は我々の飛行機だけで審査窓口は五つはあるから、すぐにそこは通過できるものと思っていた。
僕らの前にはたった20人ほどの乗客。 ロンドンのヒースロー空港などでは、もう「目まい」がしてしまう程の長蛇の列なので、ああ良かったと思ったのですが、ところが「どっこい」。
見ていると審査を一人に最低3分から5分はかけている。
という事は、20人だと1時間から1時間半は掛かってしまうのではと。
マレーシア政府はサバ州へのホリデーを観光ビジネスとして育てたいとかで、オーストラリアの新聞にも宣伝をよく見かける。
8時間近くもかけて到着した旅行客の第一印象が、このまるで20年前の日本みたいに、ハンコウを「あっちの書類、こっちのカード」ってのもなんだかなーと思いながら僕らの番になるのを待っていた。
そのうち運良く、乗務員用の入国カウンターが空いたので、我々一般客も審査するというように呼んでくれたので、結局40分ほど並んで済んだが、マレーシア政府もこの辺は考慮するべきではと。
(ちなみに、オーストラリアへの帰国の際の「出国手続き」はえらく簡単に早く済みました。)
さてやっと我々のスーツケースを受け取り、迎えのバスに乗り込む。
当然僕の周りはオーストラリア人だらけ。
バスがホテルへ向かう時は夕方のラッシュ時とかで、結構渋滞していました。
バスの窓から見る渋滞中の車群は想像した通り、マレーシア製の「プロトン」が多く走っています。 多分日本では「プロトン」なんてメーカー名聞いた事無い人ばかりだと思いますが。
そうマレーシアは自国で車を生産する工業国(?)なのです。
今やF-1のレースも開催するし(セパン・サーキット)、F-1のドライバーもいたし(アレックス・ユーン)、MOTO-GPではケニー・ロバーツ(ティームKR)のスポンサーになっていたり。
街並みはバリ(インドネシア)と似ているようでどこか違う。 どこが違うのかと考えるが、具体的にはよく判らないんですけどね。
妙にフィージーの国際空港「ナンディ」から街へ向かう景観の方が近いのかもしれません。
ただし途中のハイウエイ沿いの家やアパート群にはなぜかポリ製の給水タンクが必ずついてました。
上水道の(圧力)の関係なのか。
考えていたよりもずっと整備された道路を走る事、1時間弱でホテルの到着。
お決まりの「どら」が鳴って、我々を迎えてくれました。
部屋へのチェックインは広いロビーでソファーに腰掛けて、配られた飲み物を飲んでいると、係員がやって来て英語で説明を。
結構皆うまい英語を喋ります。 これはチェックイン係りのオネーさんだから当たり前だが、他の職員もほとんどが英語には堪能の様子でした。
部屋は4階(これが僕らの入ったウイングでは最上階、別ウイングは6階建てか)で、夕日が水平線に沈んでいく「絶景」が一望の部屋でした。
今回のパッケージ旅行料金を考えたら、想像していたよりもうんと良かったです。
さて、チェックイン時は夕方6時を過ぎていて、オーストラリアとの2時間の時差を考えると、オーストラリア時間で夜8時を過ぎているわけで、空腹を感じていたので即、下のレストランに下りる。
ホテル内には4つのレストランが。 しかし、部屋に置いてあったレストランの案内を読むと、「カリフォルニアスタイル」のウエストコースとか「イタリアからのシェフ」がやっているイタリアンレストランとか、こりゃーレッドネックのオージーや、アメリカからの客は喜ぶかもしれないが、僕にとってはちょっとがっかり。
しかし、プール脇にあるレストランでは屋台風に作ってあって、地元風(あくまでも風だと思う)の料理を出しているとの事で、そこに決定。
自分の食べたい「食材(生)」を自分で選んで、持って行くと目の前でウォックで炒め物などを作ってくれる。
原則的にはブッフェ(バイキング←いまだ日本ではこの表現でしたっけ)なのだが、すでに料理して置いてあるのを好きなだけ自分で取ってくるより、目の前で作ってくれる方が何倍も美味しいし、ガーリックを効かせた「海鮮と野菜の炒め物」はかなりいけました。
値段は一人68リンギット。 日本円で約2000円。 これを僕は安いと思ったが、当然これはリゾート・ホテル値段で、地元の人達が行くレストラン値段とは大変な開きがあるのでしょうな。
ただし、僕は酒は飲まないのでミネラル・ウォーターを注文したが、惚れは別料金で、300円以上して結構高かった。
このホテル(ロサリアのシャングリラホテル)に宿泊する場合は周りに何にも無いので朝昼晩と全てホテルで取る事になり、少なくとも朝食は(これもブッフェスタイル)パッケージ旅行料金に含まれている事を確認すべきでしょう。
我々の場合、マレーシア航空のパッケージだと同じこのホテルに泊まって、朝食はホテル代に込みだったのですが、カンタス・パッケージだと含まれていなかったので、購入する前に旅行代理店に女房が交渉して「コミ」にしてもらっておいたのは正解でした。
しかし朝食のブッフェは一人40リンギットで日本円で1200円ちょっとなので、日本のビジネスホテルのお粗末なバイキングの朝食を考えたら安いとは思います。
味も良いし、やはり目の前でシェフが卵料理を作ってくれて、出来たてを賞味で知る。
さて、晩飯を終えて、ホテルの真ん前のビーチを散歩して部屋に戻ったらさすがに疲れも出て、部屋のテレビをつけたら(なぜかNHKもやっておりました)うとうとし始めてしまいました。
と、ここまで書いてなんだか随分グダグダと駄文を並べているので、今日はこの辺で。
明日はもう少しマシに「簡潔」に書きます。
2003年10月28日
一昨日の日曜日からオーストラリアは夏時間に。
一週間いたボルネオ時間の影響か、朝起きるのが遅くなって困っております。
歳を取るとこの時差に慣れるのが一苦労、今回の夏時間はボルネオから帰ったばかりなので、余計きついです。
さて、昨日の続き。
我々が宿泊したホテルは、シャングリラというホテル。 中国資本の東南アジアを中心にビジネス展開をしているようです。
あ、そうそうシドニーはサーキュラー・キー(船着場のあるところ)にあったANA(全日空)ホテルもたしか最近このシャングリラ・グループに買い取られたのではなかったかと。
ちょっと話が横道にそれますが、日本は今、大不況から脱出するためにあらゆる面で「リストラ」を進めていますが、海外でのリストラを見ていると、まあなんとも日本資本というのは(不動産に関しては特に)うまく立ち回れないものだと痛感しております。
もう少し具体的に書くと、日本の会社が海外で持っている不動産等を処分するような方針は、日本国内で決定されるのはわかるのですが、それは日本国内の事情で決定されるために、せっかくもう少し現地での不動産価格の動向(実情)を見て、行動すれば随分と結果が変わるのにということ。
我がご近所に数年前まで日本航空の支店長邸宅が有りました。
購入したのは日本がバブル景気で浮かれている時で、「イケイケドンドン」といった調子で、当時としては破格の値段で購入したのをおぼえています。
で、日本の不況が始まり、とうとう日本航空も海外の資産を処分し始めたのですが、それを売却した時はかなり買い叩かれたものです。
また上記のシャングリラホテルにしてもシドニーの一等地にある全日空ホテルを、現在進行中のシドニーの不動産ブームが本格的に始まる直前に取得しているようです。
もう半年から1年、シドニー不動産市場の動向を見て判断していたら、全日空は大変な売却利益を上げていたと思います。
ここ1年で場所(シティー)によっては50%は確実に値上がりしているところが、引きもきらない状態ですから。
しかし日本の会社というのは全て日本国内で物事を決定し、現地の事情などは二の次、特に商売には抜け目の無い中国資本などには手玉に取られているように、「美味しいところ」を持って行かれているような。
さて、その中国資本、今や景気の良い中国本土から多くの観光客が海外に出かけているようで、今回我々が宿泊したラサ・リアのシャングリラにも随分多くの中国人客がいました。
このホテルの場合ターゲットは中国人以外には、日本人とオーストラリア人のようで、日本人の女性スタッフが三人働いているとか。
僕は日本人だがオーストラリアからのツアーの客なので、日本人のスタッフと話をする機会はありませんでした。
スタッフは皆東洋系の顔をしているので、どの人が日本人かも良く判らなかった。
わざわざ日本人スタッフを捜して、話をする理由も無いので。
しかしオーストラリア人のスタッフ(男性)もいて、女房がプールのそばを歩いていたら、挨拶されたとか。
ですから宿泊客の90%はオーストラリア人、日本人、そして中国系で占められているようです。
今回女房が大いに期待していたのが、「オランウータン」でした。
僕らが泊まっていたコタ・キナバルから国内線に乗ってボルネオ島の東側「サンダカン」まで行き、オランウータンのリハビリセンターがあるセピロックに出掛けました。
今回のボルネオツアーのパッケージの中にこれも含まれていたのですが、もし現地でオプショナルツアーとして購入したら、かなりな金額のはずです。
で、朝4時半に起き(ホテルのロビー出発が5時!!!)サンダカン行きのオランウータンツアーに出掛けたわけですが、リハビリセンターで会えたオランウータンはなんとたった1頭。
で、ガイドの話では前の日には結局一頭も出てこないので、係員がどこからか一頭連れてきたとか。
オーストラリアでもこのリハビリセンターツアーを一つの目玉商品として売っているわけで、わざわざ出かけて一頭も見る事が出来なかったらこりゃーかなり文句も出るのではと。
確かにリハビリセンターということで、親が殺されたり、人間に飼われていたり(違法)したオランウータンを自然に帰すためのもので、見物客は「オラウータンが自分で出て来る」のを見せてもらうというのが基本なのは判ります。
つまり人間が用意した餌があるところまで出てこないということは、リハビリがうまく進んでいる証拠でもくある。
しかしそれなら「運が良ければ見えます」程度に宣伝しないと、かなり熱くなる客も出てくるのではないかと。
実は見学が終わった後、このリハビリセンター(リハビリテーション)を紹介する映画を見せられるのだが、その映画が始まる前にオランダ人(多分)の女性が英語で挨拶に出てきた。
彼女はボランティアで(ワールド・ワイルド・ライフ基金?)このリハビリセンターで働いている事などを話していました。
ここで僕が何を言いたいかというと、野生動物を愛する人達が世界から来て働いているような状況だと、逆にオランウータンを観光の目玉にするには無理が出るのではないかということ。
観光客が来る時間にオランウータンを連れてくるのは見世物ではあっても、リハビリに一環にはなりえない。
しかし観光の目玉にしている以上、一頭も出てこないでは文句も出るのは判る。
なぜそのような事を書くかと言うと、実は僕らが宿泊していたホテルにも自前のリハビリセンターを持っていて、我々の部屋から10分も歩けばオランウータンが(3頭)いるのです。
で、ここはホテルのスタッフが管理していて、海外からのボランティアなどはいないから、見学時間には必ずオランウータンが出てくるのです。
というか、もう完全に人間に慣れてしまっていて、見ているとどうやら人間の言葉も随分理解するようで、目の前で我々のために(?)愛嬌を振りまく。
お客も大喜びで、記念撮影に余念が無い。
このオランウータンのいるところはホテル内のテニスコートの横の入り口からちょっと入っただけで、朝と午後2回毎日でも見に行ける。
お客も大喜びということで、なぜ飛行機に乗ってまでセピロックまで出かけなければならないのかということになってしまう。
しかしどこのホテルでもこのような自前のリハビリセンターを持って、オランウータンを見せているわけではなく、どうもこのホテルだけらしい。
という事はホテルのビジネスとしては大変な目玉商品を持っている訳で、他のホテルから嫉まれるだろうな思っていたら、昨年の8月だったかに3頭が何者かに殺されちゃったんですな。
(現在はまた別の3頭を連れて来ているとか)
もちろんホテルのガイドは「他のホテルが」なんてことは言わないが、偶然ブッシュ・ウォーキング(オランウータン見学ではなく)中に森の中に墓が建てられてあって、聞いたらガイドが昨年までいたオランウータンの墓だという。 何者かに殺されてしまったという。
で、僕は最初聞いた時にショックで「何で???」って、そのガイドに聞いたら英語で「多分、ジェラシー」と言ったのです。
それ以上は言わなかったけど、僕には「やっぱり」という感じ。
マレーシア政府もボルネオを本格的に観光資源として売りたいなら、オランウータン以外にもなんか目玉を見つける必要があるのではと。

さて、上の写真(クリックすると大きくなります)左は僕らの泊まったホテルのオランウータン君、そして右はわざわざ飛行機に乗って見に行ったセピロックのリハビリセンターでのオランウータン。(周りにいるのは他の種類の猿です)
リハビリセンターは我々がいるところから15メートル以上も離れていて、よっぽどオランウータンが自分の方から来ない限り、我々が遠くから見る。 上の写真を比べたら全然違うのが一目瞭然でしょ。
2003年10月29日
昨日から女房は今年のHSC(高校卒業時の全州共通試験)の採点のために出かけております。
採点は夜の9時頃までこれから10日間ほど続くので、母が日本に帰った今は本当に火の消えたような静けさと言うか。
そうそう、ボルネオ行き直前になってやっと我が家の墓が完成しました。
洋風の墓に日本語が刻まれているので、ちょっと目立ち過ぎではないかと少々心配。
その上、僕が日本に輸出している黒(ダークグレイ)御影石を使ったために、(周りの墓が皆茶色系ばかりなので)余計目立ちます。
↑クリックすると大きくなります。 ウォータフロントの墓地。
向こうに海が見えて素晴らしい見晴らしの明るい霊園でしょ。
さて旅行について、忘れてしまう前に多少書きます。
ボルネオでとても驚いたのが、時間をちゃんと守ると言う事。 現地に住む方の話では、それは外国からの観光客、特に時間に厳しい日本人相手だからであって、本当は結構ルーズとも聞いたのですが、いやしかし驚きました。
実は僕がすっかりオーストラリア・ボケで、オーストラリア・タイムに慣れてしまっているからかもしれません。
何しろサンダカン(中国語では「山打根」と書くんですね)行きのツアーが出る日はホテルを朝5時出発で、それに間に合うようにロビーに集合してくださいと言われていた。
で、すっかりオーストラリア・ボケの僕と女房は、まあロビー集合が5時くらいで出発は皆が集まるまでどうせ待たされるだろうと考えて、ロビーに下りて行った。 5時を2〜3分過ぎていたでしょうか。
ところがこのツアーに参加するのは僕ら以外にオーストラリア人のカップルたった1組で、ロビーに行ってみるともう運転手が我々を待っていて、バスに乗ったら即座に出発、いや〜待たせちゃったんですな。
他のバスツアーに参加した時にも、また我々が宿泊していたシャングリラ・ホテルはラサ・リアとタンジュン・アルに有るのですが、それを結ぶシャトルバスが運行されているのですが、これがものすごく正確なんですよね。
ある日我々はコタキナバルの街を見ようと、そのバスで出かけた。
当然のごとく出発は(午後2時半の便だった)一分違わず出た。
その時は「時間に正確」なのを気が付かなかった。
街でショッピングなどをし、7時15分のバスでタンジュン・アルのシャングリラへ行って、そこで夕食の予定でした。
オーストラリアのバスなんて本当に時間通りに来た事無い、いつも遅れ気味だからこの7時15分のバスもどうせ2〜30分遅れて来るのではないか、まだ7時15分まで時間が有るし、もう一度デパートの中を見てこようかとも考えていた。
セントラル・デパートの前のバス停にいて迷っていたら、すぐにバスが来て7時15分(直前)少々フライング気味に出発した。
もしこのバスに乗り遅れていたら次は最終の9時40分のしかなく、こりゃーうかうかしてたら、乗り遅れてしまうと気が付いた。
そういえば一緒に来て、街で下りた他のオーストラリア人の客は乗れなかったのではないかと少々心配になるほど。
出発時間が正確ということは、当然到着時間もほとんど予定通りで(常に早めに到着)、いや一応オーストラリアボケになった僕でも一応日本人なので「嬉しくなって」しまいました。
サンダカン行き帰りの飛行機も時間通りに出発して、遅れることなく到着。 オーストラリア人は見習った方が良いかと。
そうそう、我々が帰る日空港行きのバスの出発が2分遅れました。
なぜなら、オーストラリア人の客がすぐに来なかったから。 ノンビリしているオーストラリア人のお陰です。
サンダカンへは結局そのオーストラリア人夫婦と僕らの4人だったので、行きの空港へ向かうバスの中からすっかりお友達になってしまい、その後オーストラリアに帰ってくるまで(偶然帰りも同じ便)一緒に食事したり、とても楽しい時間を過ごせました。
ホリデー中に知り合って友人になりその後も付き合うって、今までにも何度か経験しています。
彼らはメルボルンからで、もう結婚している娘さんもいて、我が娘と同年代でした。
そうそうこの奥さんレストランに入って注文をするたびに、ボーイにすごくしつこく「魚は入っていないか」確認してる。
僕は彼女が「魚は食べられない」と言った時に、メルボルンにいる女房の義兄のようにステーキはバリバリ食っても刺身(生魚)なんてとても手が出ない「タイプ」なのかと思った。(レッドネック・オージー)
で、一緒にマレーシア料理の店に入って、注文する時に凄く執拗にウエイターに確認してる。
確か彼女は「ナシ・ゴレン」か何かを注文しようとしていたのですが、あのチャーハンのようなライスの中に魚類は入れていないか、またダシを使う場合はそのダシは魚で取ったダシを使っていないかなんて聞いてるんです。
最初は冗談かと思ったが、それにしてもしつこいので聞いたら、何と彼女は異常なまでの魚アレルギーで、もし魚の切り身を一口でも食べたら救急車呼ぶ事になるって言うのです。
旦那さんは平気で鯛のバーベキューなんて注文してるわけで、聞いたらメルボルンで家で一緒に食事をする時にはまず魚料理は出てこないから、ホリデーの時はチャンスとばかり彼は魚料理ばかり食べていると。
僕はワーキングホリデーの若い人のお世話をしていた時に、随分色んな人に会ったが、「魚アレルギー」ってのは無かったですな。
もっとも日本人なのに、醤油が全くダメで「握り寿司」も醤油無しでしか食べられない人や、日本人なのにお米がダメで、その人の家では皆が夕ご飯にご飯(つまりお米)を食べている時に、彼女だけ「パン」だったとか。 どんなに日本風のおかず(例えば刺身とか)でも、パンと一緒に食べていたと聞いて、いや〜「日本人に生まれて凄く不幸」と僕は同情してしまった。
その人(女性)の話では自分で食べるのでなければ、目の前で家族が米を食べていてもいいのだが、ただし「栗ご飯」等の炊き込み御飯類は目の前で食べられるだけで気分が悪くなるとの事。
だから彼女が高校生の時に修学旅行で何日も家を空けたときには、チャンスとばかり家族は炊き込み御飯ばかり食べていたそうです。
なんか、話が飛んでしまいましたな。
まあこの魚アレルギーの奥さんも日本に生まれていたらもっと困ったでしょうな。
さて本日の写真はサンダカンでの物。
↑左がイングリッシュ・ティーハウス、右が水上生活者の家。 右の写真は汚水の状態とか家の貧しさなんかが写真では判りづらいかも。
以下に説明。
ツアーに含まれていた昼飯は丘の上の「イングリッシュ・ティーハウス」というところでした。 まさにコロニアルスタイルの、美しいガーデンの中でここが本当にボルネオかと思う程の雰囲気と、料理の質(ワイルド・マッシュルームクリームスープから始まって、メインのスナッパー(鯛)マスタードクリームソースがえらく美味でした)に唖然としました。
そしてこの昼食が終わるとガイドが迎えに来て最初に連れて行かれたのがサンダカンの水上生活者のいる「シム・シム・ヴィレッジ」というところ。
そうまさにこのティーハウスの丘を下って港に出るとそこがシムシムヴィレッジ。
ゴミの山(主にポリ容器やポリ袋など)が流れないで堆積してしまっているような水の上に家を建てて生活しているところへガイドが我々を案内した。
何と対照的。
ある意味非常に興味深かったが結局我々にお土産品を買わせる口実だったので、ちょっとしらけました。
われわらはオーストラリアからの客だからで、日本人観光客は来ないのではないかと。
それにしてもこのようなところへ行っても、インドネシアのバリのように物売りやこじきはたまた子供がハエのごとく付きまとって来るような煩わしさが皆無で、本当にこのまま「すれない」でもらいたいものです。
2003年10月30日
数ヶ月前の事ですが、胃の調子が悪く、普通は食事療法で回復できるのに、どうもいつまでたっても調子が戻らないので医者に行った。
主治医の池亀先生は、前に胃カメラ検査をしてから随分経つから、そろそろまた検査をしたらと勧めてくれた。
すぐにその場で専門医に電話をして予約を入れたら何と2ヶ月以上先だと言われた。
で、実は明日がその日なのです。 あまりにも時間が経って、胃の調子は元に戻ってしまい、明日の検査も危うく忘れるところだった。
僕の場合、昨年他界した父は胃癌だったし母方の親戚もほぼ100%死因は癌というほどなので、僕も癌にかかる可能性は非常に高いと思っている。 ですから定期検査のつもりで明日の検査を受けるのですが、日本と違ってオーストラリアの胃カメラ検査は全身麻酔なので、ほぼ1日入院と言う事になってしまう。
早朝入院して午後3時くらいに退院という予定。
全身麻酔の調子では家に帰ってからも多少モウロウとしているので、ひょっとすると明日の日記はお休みするかもしれません。 いやモウロウとしている方がよっぽどマシな日記を書けるかも知れませんが。
さて、旅行についてもう少し書いてみます。
と言っても「書かなければ」と思っていた事をどんどん忘れてしまっています。
歳は取りたくないもので、オヤヂになると感受性が低くなるのか、鮮烈な記憶でもない限り、何かすぐに風化していってしまうというか。
マレーシアの国民の確か半数以上がイスラム教徒とかで、ガイドの話では異教徒同士の結婚の場合、マレーシアではイスラム教に変えなければならないとの事。
例えば仏教徒の中国人がモスレム(ムスリム)と結婚する場合、例え旦那側であろうが妻側であろうが、とにかく片方がモスレムなら他の宗教(この場合仏教)を捨ててモスレムにならなくてはいかんのだそうです。
これには僕もちょっと驚いた。 当然宗教の自由は保障されているのかと思ったのですが、さすが独裁者(この場合、あまり批判的な意味ではないが)マハティールのパワーかと。
そういえば僕らがボルネオ滞在中にバンコックでAPECが開かれていて、米大統領ブッシュとマハティールが色々やりあっておりました。
マハティールの「ユダヤ支配発言」に対して、ブッシュはマハティールを批判しと。
アジアの首相の中で、米大統領にこれほど毅然とものを言えるのはほとんどいない。
どこぞの国など「ポチ」になってしまっている(いえオーストラリアもです)のに。
そして彼は明日で首相の座から引退する事になっているのですが、マレーシアがこれほど発展したのは彼のお陰であると言うのは間違いないと僕は思っています。
この国のように人種(部族)が多いと、国をまとめていくにはやはり強烈なリーダーシップを持った人間でなければ、と。
で、実はこのマハティールがいるからマレーシアは今現在世界で「一番安全なホリデーリゾート地」なのではと考えてしまった。
つまりモスレムの首相がいる国ではテロ活動は少ないのではないかと。
1970年代、ロンドンに住んでいた僕は日本への一時帰国で使う航空会社にほとんどソ連航空を選んでいました。
理由は3つあって、まずは運賃が一安いから。 モスクワ経由が一番飛行時間が短かったから。 そして3番目が当時多発していた左翼ゲリラによる「ハイジャック」の可能性が一番少なかったから。
当時共産国の大元、ソ連の飛行機をハイジャックする左翼ゲリラはいなかったように、今現在マレーシアではアラブ系ゲリラのテロ活動は例え隣国(バリの爆破事件など)では起きていても、無いのではないかと。
そういう意味では今世界で一番安全なリゾート地と言えるのではと。
オーストラリアの方がよっぽど危ないかもしれません。
つい先日も(生きてる?)ビン・ラーデンの声でアメリカ及びその協力国に対する報復宣言があって、オーストラリアも名指しされてました。
話が飛んでしまいましたが、結婚したら片方がモスレムなら必ず両方モスレムにという法律(?)も何だかな〜と思ってしまうが、しかしイスラム教以外が弾圧されているわけでもなさそうで、サンダカンには随分立派な中国寺院が建てられていて、観光名所(?)として僕らも連れて行かれた。
何しろもうキンキラキンで、さすが中華寺院と思いながら見物したが、とにかくサンダカンの港を一望できる丘の上に建てられていて、仏教徒もかなりいる事をうかがわされました。(そして中国文字の看板の多さ)
話は変わって、実は旅行中僕は大ポカをやってしまったのです。
ボルネオに着いて3日目の日曜日、僕らはバスツアーでコタ・ベルド(belud)という田舎町で開かれている年に一度のお祭りと、そのそばにある青空市に出かけたのです。
一年に一度の祭りに偶然僕らもボルネオに滞在中というチャンスでデジカメにどっさりその模様を撮影した。
で、次の日そのカメラを持ってホテルのオランウータンを見に行ったら、いきなり目の前にオランウータンが現れて、シャッターチャンスとばかりカメラを取り出してシャッターを押そうと思ったら「メモリーが一杯です」のサインが。
「ヒエー、こんな時に限って新しいメモリーカードを入れてくるのを忘れてる!!!」と、すぐにどうでも良いようなシーンを何コマか「デリート」しようとした。
ところが目の前のオランウータン君は行ってしまいそうだし、大慌ててデリート「OK」のボタンを押したら、、、、。
何と!!!すべての写真を消し去って(デリート)いたのです。
1コマデリートと全コマデリートのボタンを選び間違えた!!!
「あっ」と思ったがもう手遅れ、昨日バスに乗って見に行った祭りツアーの写真がすべて、、、、。
いや〜女房には叱れるは、もう大ショックでした。
(そうデジカメってこういう部分が怖いですな)
で、その場では「ヒエー」っと思っていたら、何とオランウータンが僕の右足に抱きついているではないですか。
係員が慌てて飛んできて引き離したが(噛む可能性も有るとか言って)僕は即カメラを向けたのですが、もう全コマ消失と右足のオランウータンと予期せぬ事が短時間のうちに起きて、シッチャカメッチャカ。
一応シャッターを押したのですがあまりに(自分の右足を狙ったために)近くて完全にピンボケでただ赤茶色の毛が写っているだけでした。
これも後で見て「残念」。 うまく撮れていたらここに載せられたのにと。
女房は見物客の中で僕だけがオランウータンに抱きつかれたと大いに羨ましがっておりました。
そう僕はなぜかいつも動物に好かれるのです。 野生の匂いがするのかな。
最後にボルネオでの食事というか食あたりについて。
僕はバリに行ってもほとんど食べ物にあたるという事は少ないのです。
ですから今回も全く問題が無かったです。 消滅してしまった写真の中には実は僕がその祭りの屋台で、現地人に混じって鶏の手羽先の(炭火)のバーベキューを食べたりしているのがあるのですが、全く「ノープロブレム」でした。
しかし、全く無頓着だと言うわけではなく、例えホテル内でも水はミネラルウォーターだけ。 だから歯を磨く場合でも口をゆすぐのはミネラルウォーターを使ってました。
逆に屋台のバーベキューなどは(怖いくらい安い値段でほんと大丈夫かと思うほど)平気で手づかみで食べたりしてましたが、これは目の前で火を通して焼き立てを食べるから大丈夫だと考えたんですけど、まあ運が良かったのかも。
僕の友人でバリに行って大変な食あたりにあって(バリ・ベリーとオーストラリア人は言う)、もう二度と行きたくない、「バリ」という名前を聞いただけでもトイレに行きたくなるトラウマが残ったってのもいますから、やはり旅を楽しむにはそれなりの心がけが必要なのかもしれません。
2003年10月31日
昨日の日記に書いたように「胃カメラ」検査を受けて来ました。
昔受けた経験からほぼ一日近く掛かってしまうと思っていたのですが、何と昼前には家に戻っていました。
最近はオーストラリアでもこの検査を受ける人が増えているためか、昔と違って「セント・ヴィンセント・プライベートクリニック」は全く待たされることが無くなったようです。
前は何人かが控え室にいて名前を呼ばれるまで待つ時間も結構あったのですが、最近はアポイントメントの時間を一人ずつちゃんと割り振っているようで、カウンターで今日の日程を覗き込んだら、8時半は僕の名前だけが書いてあった。
昔はいわゆる「オーストラリア時間」で遅れてくる人も計算に入れて数名を一緒に呼んで控え室でその人の順番が来るまで待たせていたのですが、この方が実は効率が悪いのですよね。
朝8時半の予約時間通りにカウンターに行って名前を告げたら、書類にサインをさせられて、すぐに中に連れて行かれ体重や血圧などを測りまたサイン。
昨日も書いたがオーストラリアでは「胃カメラ」検査は全身麻酔をするのでこのサインの中には麻酔を受けるに当たっての承諾サインも入っています。
測定が終わったと思ったら、即ベッドに案内され、そこで服を脱いで横になって待つようにと。
今まで(父の時も母の時も)この横になってからが時間が掛かるので、今日は本を持って行って読もうとしてたら、もう看護婦が来て僕の寝ている車輪付きのベッドを押して横の検査室へ。
もう昔と比べたら唖然とするほどテキパキ物事が進んでいくのです。
この検査をする専門医は昨年他界したオヤジの担当医だった事もあり顔見知り。 で、「どうも、お元気ですか?」なんて(病室にいる一応患者の僕にお元気と言うのも)妙な挨拶で、僕は「いや実はちょっと胃の調子が。 オヤジも胃癌だったし母方も癌の家系なので、その辺良く胃の中見てちょうだい」なんて気軽な調子で挨拶を交わしたら麻酔医が腕に注射をしたなと思った途端に次に気がついたのはすっかり終わって控え室のベッドの上でした。
当然のごとくその間の記憶ゼロ。 腕時計を見たらなんとまだ9時半を回ったばかり! 「良く見て」って言っておいたのにちゃんと見てくれたのだろうかと不安にさえなってしまう。
しかしやはり全身麻酔というか、結構ボ〜ッとしながら周りを見ていたら、看護婦がジュースを運んで来てくれた。
飲み終わると、胃の検査のために昨日から何も食べていないので、珈琲とサンドイッチを運んでくる。
なんかまだ酔っ払っているような感覚でサンドイッチは一口食べただけ。
メチャクチャ不味いサンドイッチだし。
しかし一応珈琲を飲み終わったらもう起きられますかと言われ、着替えて横のソファーで医者の来るのを待たされた。
こんなに早く終わったのは「何も無かった」からだろうかとか考えながら相変わらず「ボ〜」っとしてたら医者が来て、一週間後(来週の金曜日になる)に来てくれと言う。
「あれっ」て思って聞いたら、なんか見つけたらしい。
普通何も無ければ、検査の結果を僕の主治医の方に送ると言う事で終わるのですが、来週僕の胃の壁から取った細胞の一部の検査の結果が出るから来るようにと。
何が有ったかはその場では言ってくれず、とにかく来週の予約をさせられて帰された。
さてさて、来週会いに行ったら「どんな結果」が待ち構えているのやら。
と言う事で早く家に帰ったのでこの日記を書き始めましたが、どうにもボ〜ッとして、頭がすっきりしません。
やはり短時間と言えども全身麻酔は強いもんです。
ということで、今日の日記はここまでです。
良い週末をお過ごしください。