2001年 9月下旬の日記
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2001年9月16日

今日は快晴の日曜日、日記はお休み。
と、思ったのですが、ちょっと一言。

昨晩12時近くになって、先生仲間の送別会に出席していた女房を、シティーへ、愛犬ハナちゃんと、車で迎えに行った。 行きも飲酒運転の一斉取締りをオックスフォード・ストリートでやっていたのだが、女房を拾って帰りのラシュカタス・ベイでも、やっていた。
さすが土曜日の夜12時頃。
しかし僕はオーストラリアに来て21年になるが、今まで一斉検問などで停められた事は2度しかない。
今回も走ってくる車を選んで停める役のポリスが、僕を選ばないかなと期待していたら、停められた。
記念すべき3度目!オーストラリアに来て21年でたった3度。
全く酒を飲めない僕は当然一滴も飲んでないので、ニコニコしながら、窓を開けたら、女性のポリスがまず「酒を飲んでますか」とご質問。 
しかし女房はかなり酒が入っていたので、窓を開けた時には、かなり酒臭かったかもしれない。

ニヤニヤしながらメーターのようなのにくっ付いた、白いプラスティックのパイプを吹いたら、もうちょっと強く吹けという。
思った以上に強く吹かなければいけないようで。 はるか昔に検査を受けた時には、メーターに向かって1から10まで数えるだけで良かったはず。 
もちろん、問題なくパス。 ところがちょうど僕の前にいる車が、僕より先に検査を受け始めたのに、動かない。
待ってる間に、助手席に座ってる女房も吹きたいと言い出してそのポリスに頼むも、無視される。 で、後ろの(ワゴン車です)荷物室にいる愛犬ハナちゃんも検査して欲し言ってるんだけど、と頼むと、「酒飲んでますか」と、もう一度聞かれてしまった。(冗談判んないんだからこの女性警官)

前に停車してちっとも終わらない車の運転手(ワーゲン・ゴルフ運転の、アジア系の中年女性)が、どうやらわざとちゃんと吹かないために、何度も何度もやりなおしを命じられているようで、ぴったり後ろに停車させられた僕は、動けない。
待ってる間に、その女性のポリスに冗談言ってたわけですが、前で、ちゃんと吹かない、ドライバーを見ながらそのポリス、「80歳のばあさんでも吹けるテスト、ちゃんと吹くまで何度でもやらせるだけです」とか言ってる。
そういうふうにちゃんと吹かない方が、よけいミエミエになるようで。

結局その時に、免許証の提示は求められなかったので、オーストラリアで免許見せない歴21年目を更新しました。 そう一度も見せた事無い。
日本でも、飲酒運転の検査の時には、引っかからない場合は免許見せなくてもいいんでしょうか?
(日本でも見せないという情報が先ほど、日本から)
ちなみにオーストラリアでは、酒気帯び運転(血中のアルコール濃度、0.05%まで)は、認められています。

くれぐれも皆さん、飲酒運転は控えましょう。
で、終わりにしようとしたら、いや〜なニュースが、飛び込んできた。

アメリカのモータスポーツ、CARTシリーズが初めてドイツでも開催される事になった今回のレースで、僕の好きだったアレックス・ザナルディが、事故に巻き込まれ、両足切断のニュース。 
事故と隣り合わせのモータースポーツとは言っても、、、。
言葉が無いです。
皆さん(7行上で書いたばかりだが)事故には気をつけましょう。


2001年9月17日

ちょうど昼飯時に、突然仲の良いお隣さんの奥さんから電話で、
「TOM !すぐ来て〜!」と始まったので、すわ、事件かと「落ち着いて! どうしました?」 と聞くと、部屋に大きなトカゲかヘビが入ろうとしていると、パニック状態。

駆けつけてみると、彼女とお手伝いさんはフリーズ状態で、指差す方を見ると、ブルー・タング・リザード(Blue Tongue Lizard)が。
そういえば数年前にも、そのお宅の先代のお手伝いさんが、いきなり部屋に入ってきた、このブルータングを見て、腰を抜かしてしまい、ちょうどその時、家にいた女房が駆けつけて、引き取ってきたのを思い出した。

この奥さんオーストラリア生まれなのに、(多分は虫類が苦手なんでしょう)ものすごくパニック、一緒にいる中国人のお手伝いさんも初めて見るのか、完全に凍り付いている。
僕が、ダンボールの箱のような入れ物ありませんか、と言ってるのに、なかなか持ってこない。
僕が箱を捜しに行ったら、このトカゲどっかに隠れてしまう可能性があるから、その場を離れられないし。
なんとか持ってきた箱に入れて、我が家に連れて帰って来ました。
下の写真を見てもらえば判りますが、日本で言うツチノコみたいな形で、すごくおっとりしていて、危ないわけでもない。
嫌いな人はやはり、顔が恐ろしく見えるかもしれませんが、動きも鈍いし、多分噛んだりもしないと思います。

よく見ると、可愛そうにシッポが切れて短くなっていて、しかし大分前に失ったようで傷口はかなり治っている。
まるで、尻切れトンボならぬ、尻切れトカゲ。
実は前にも女房が引き取ってきた時に、うちの猫に何度も噛まれて、死んでしまった。
今度も飼いたいのですが、多分またうちの猫に襲われてしまうかもしれません。
それにしても、さすが自然が一杯のオーストラリアというか。
東京でいう銀座や大手町のようなシティーまで車で10分の距離に有る我が家でも、こんな生き物がウロウロしてるのですから。
ですから、シドニー郊外などに、せいぜい30分も走ればすごいのがいます。
ピットウォーターのある、(KURINGAI) クリンガイ・ナショナル・パークに日本から来た甥っ子を連れて行った時には、2メートルは軽くあるような、ゴアナ(GOANNA)が出てきて、まるでジュラシック・パークのようだと甥っ子はビックリ。

とここまで書いて、爬虫類嫌いな人には、オーストラリアに来たくなくなってしまうかなと、ちょっぴり心配に。

大丈夫!人間を襲うようなのはいませんから。

BTL_Hand_52.jpg (11560 bytes) BTL_Box_46.jpg (10260 bytes) 

左と、真中のは、クリックしてもらえば写真が大きくなります。 
真中の写真の、前足のそばにある青いのは、青いボールペン、大きさの比較のために置いたら、その上に乗ってしまった。
右のは名前(Blue Tongue)どおりの青い舌を見せたかったのですが、うまくフォーカスがあってない。 可愛いでしょ、手とかものすごく小さくて。
まるでおもちゃみたいです。


2001年9月18日

昨日はほぼ半日以上、両親の医療の日になってしまいました。 
父親の高血圧の薬が切れたので、主治医の池亀先生に処方箋を書いていただくために、朝のアポイントメントを取っておいたのです。

我が両親は、日本人特有の塩辛い物を多く摂るせいもあって、高血圧。しかし池亀先生の適切な診断と治療で、薬を飲んでいる限り問題は出ません。
ところが困った事に、年をとってくると、物忘れがひどくなる。 昨日先生が血圧測ってみると200を超えている。
先生ビックリして、ちゃんと薬を飲んでるのか聞いてるのですが、オヤジは胸を張って、「毎日きちんと飲んでます」という返事。
ところが親父が持っていた、その薬の箱を見てみると7月31日に購入して、30錠と書いてある。
ということは、すでに8月30日で、切れているはずの数なのに、昨日(9月17日)にちょうど切れたという。 つまり30日目で切れるはずが47日目でということは、3分の1は飲んでないということになる。

やはり頭の方が大分危なくなってきているのですが、もっと困るのは母の方です。 彼女、もともと妙な判断をするのが得意なのですが、歳とともに、ものすごく頑固にもなっている。
で、ずっと飲みつづけていた、高血圧の薬(体に合わないと随分種類を変えて、やっと自分に合うのを見つけ、5年も前から飲んでいるのに)が、髪の毛の抜け具合を促進してると、何の理由か思い始め突然、高血圧の薬を飲むのを止めてしまった。
いくら言っても、聞き入れない。 池亀先生の言葉も聞かない。
人間こうやって、もっと長生きできるはずが、頭の(ボケや、頑固さなどから来る思い込みというか)の問題で、命を縮めていっていると思うと、残念です。
今日はそんな事を書くつもりではなかった。 オーストラリアの医療に付いて書きます。
その池亀先生、まだ若いのですがなかなかの名医で、日本語もペラペラだから忙しいのかと思ったら、オーストラリア人にも大いに人気があって、忙しくなり過ぎ、その解決策という理由で、とうとうバルク・ビリングを止めてしまった。
このバルク・ビリングというのは、国が国民健康保険の補償する診察費内の料金で医者が診察を行う場合は、患者はメディケアカードという、国民健康保険証を提示及び署名するだけで、診察を受けた後、医者に支払いをせず、医者が国にまとめて治療費を請求するスタイルです。
もちろんこのシステムをやる、やらないは、医者の考え方次第です。
患者を多くとって、(薄利多売のように)やりたければ、このバルク・ビリングは患者にとっても面倒ではないので喜ばれる。(つまり、患者は診察後にサインするだけで、金を払う必要が無い)
ところが、この方法だと、国から医者に支払われる患者一人当たりの診察料(多分、治療費も含む)はたった23ドルくらいなのです。

ということは、1時間に二人、一人に付き30分ずつでも、10時間働いてたった20人、一日の収入500ドル行かない。 診療所を持って、受付を置いて、家賃も払い、秘書に給料を払いながら、1日500ドルでは当然やっていけない。
ろくな腕もない、水道工事のオニーチャンでも1時間60ドル以上取る国です。
収入を増やそうと、患者を増やせば診察が雑になる。 ゆっくり患者の話も聞いていられない。
で、バルクビリングを止めて、自分の判断で適切であろう金額にするということにあいなる。
もし高すぎたら、患者は減って、下手すると前より収入は減ってしまう可能性もある。 
で、池亀先生は35ドルにしたわけですが、全く忙しさは変わらなく、今回も予約はすぐ取れなかった。
僕が、「先生、バルク・ビリング止めたから、少しは患者減って、予約取り易くなると思ったのに、相変わらず忙しいですね」と言うと、もう最近は、新しい患者は取ってないとの事。 つまり今まで見てきた患者以外の予約は、受け付けてないとか。
いや〜、人気あるんですねこの女医さん。 
で、僕は半分冗談で「じゃあ、35ドルでなく思い切って99ドルとかにしちゃったら?」って言ったら、げらげら笑ってる。
で、「その設定料金には限度など、国の規制を受けるんですか」と聞くと、無いとの事。 という事は、ものすごく有名な名医になったら、すごい料金設定できるのかもしれないが、しょせんGPですから、限度はあります。

つまりGPは一般医で、専門医ではないので。
それにしても、池亀先生バルク・ビリング止めてしまったおかげで、患者がメディケアに行って、長〜い列にならんで、いちいち23ドルの還付を受けなければならなくなってしまった。 で、この還付を行うメディケアのオフィスと言うのが、本当に限られたところにしかない。
いつも長い列ができてる。
その日は、その後、母親のPODIATRIST(後述)に支払った治療費の還付を受けに、今度はMBFと言うプライベート医療保険会社のオフィスへ。
我が両親のような年齢で、(オーストラリアで)任意の医療保険に加入してないのはかなりのリスクです。 彼らは二人で年間約2000ドルちょっとを払っているのですが、どんな治療でも(国民健康保険がカバーしてないものが多いので)ある程度の還付を受けられます。
それにしても、朝、医者で待ち、次にメディケアで列に並んで待ち、次にMBFで待ちと、何でこんな事で半日以上がなくなってしまうのか、IT時代にもうちょっとましな方法はあるのではないかと思うのですがね。
もちろん医者の実際の診察はIT使って短くはならないが。 
G・P: General Practitioner 一般開業医
PODIATRIST:魚の目から外反母趾まで足に関する事はすべて面倒見てくれる、足のお医者さん。 これが日本に無いのは、日本の(医療文化?)の低さを表してると、いつも僕は思っております。
母親のように、歩き方が悪いのか、常に足の裏の皮が固くなって、魚の目以外にも問題出易い人間には、無くてはならない存在です。


2001年9月19日

まず最初に、9月後半の日記へのリンク付け忘れてました。 
9月16日以降の日記は日記インデックスの中の、一番下にあります。

さて、今日は女房のグレープフルーツ・ダイエットについて書こうと思っていたら、今朝小学校の同窓生からもらったメールを読んでいて、書きたい事が出てきました。

彼からのメールには、15年前ほど前に、一家でシドニーへ遊びに来た時の経験が書かれています。
一家で楽しくホリデーを過ごしたそうですが、シドニーを立つ2日前になって、ビデオカメラの入ったバッグを、ベンチに置き忘れてしまったそうです。
以下は彼のメールの一部です。 本人の書かれた原文の方が、実感がこもっているので、付けさせてもらいました。
なお、当時彼は赴任先の北京から、オーストラリアにホリデーに来ていました。
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中略

帰国2日前 OLD QUEYからの帰途、ベンチにカメラをバッグごと置忘れ。 気がついたのが家に帰った後の話。 
慌てて、忘れた場所に戻り探すものの当然のことながら影も形もなし。
已む無くPOLICE STATION に駆け込み事情を説明したところ
出て来る可能性は皆無と言ってよいでしょうとの事。 
残念ながら諦めざるを得ませんでした。

カメラを失ったことも然ることながら、現地で撮影した貴重なテープを
失ったことが何より残念でした。
やりきれない気持ちで、北京に帰ったところ、オーストラリアより
電話伝言メッセージが会社に入っており、僕のビデオカメラを預かって
いるとの事でした。 僕の置き忘れたバッグを観て、中身をチェック
してくれたのでしょう。ひょっとしたらテープを再生してみてくれた
のかも知れませんね。 それにしても、大感激です。
タグに入れてあった会社の名刺を見て、所有者の気持ちを
考えてくれたのでしょう。わざわざ国際電話で連絡をとってくれた
次第です。 なんと素晴らしい方でしょう。

後略

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なぜこの事を僕が取り上げたか。
じつは、オーストラリアでは(シドニーでは、にするべきかもしれませんが)泥棒は日本よりも多いのです。 こそドロ、置き引き、引ったくり、空き巣、車上アラシ、本当に多い。
その上(前の日記にも書いたように)警察は全く当てにならない。
ところがです。
僕が若い人の面倒を見ていた、約10年の間に、ビックリするほどの確率で、紛失物が出てきた経験があるのです。
ほとんど諦めていた物が、拾い主からの連絡で見つかることがよく有りました。
これほど、泥棒の多い国なのにと、不思議に思われる方も多いかもしれません。
実は、これはかなり麻薬問題と関係があるのです。(すべてとは言わないが)
残念ながら、オーストラリアでは非常に多く(欧米と比べたら平均的だが、日本と比べたら)の若者が、麻薬に手を出し、それを手に入れるために、男の子はそういう犯罪にはしり、女の子は体を売ったりという、現実がある。 つまり、そういう麻薬患者というのは、人数は多くなくても、毎日薬を手に入れるために(そして決して安くない)毎日のように、それもひどくなると一日に何度も、犯罪に手を染めるようになるのです。

僕の住む住宅街でも、金持ちの息子が、麻薬に手を出して、切羽詰って、自宅の近くの家々にまで、空き巣に入っていて、捕まえてみたら、一人で何十軒もやっていた事がわかった。

被害を受ける側から見ると、特にそういう事情を知らない外国からの方には、オーストラリアは治安の悪い、犯罪の多い国と映る場合が多い。

基本的に、オーストラリア人は正直で、親切です。(と僕は確信してる)
で、警察を信用してないのか、落とした人の喜ぶ顔を直接見たいのか、自分の時間を割いてまで、届けてくれたり、電話をしてきてくれたりする事が多い。
ですから、オーストラリアに来たばかりの若い人達には必ず財布に僕の名刺をお守りのように、入れるように指示していたものです。
つまり拾った人は、中を開けて連絡方法を調べます。 もしそこには、日本語で書いたものしかない場合は(日本の免許や日本のクレジットカードでも役に立たないので)連絡のしようが無い。 はっきり言って、警察に持って行っても、警察官も読めない場合、多分何もやってくれない。
その点僕の名刺は、(当然)英語で住所も、電話番号も書いてあるし、常に僕以外にも事務所には誰かいますから。

落とした人が、大慌てで一緒に警察に行って下さいと、僕の事務所に飛び込んで来た時には、拾った人がすでに僕の事務所に来ていたことも有リました。
100%の人が、謝礼をと言っても受け取らなかった。

このように、オーストラリア人は警察官を信用してないから、拾った人が自分で連絡するか、はたまた日本語のパスポートなど入ってる場合は、警察に行かず、日本の領事館に届けてくれたりする。
だから、今回メールをくれた同窓生の経験だけでなく、当時の若い人達で、なくしてすぐに警察に行ってもダメで、完全に諦めて、ガックリきていたのが、親切で出てきたりするので、嬉しさと、驚きで、大喜び。
中には出てきた事について、狐につままれたような感じと言う子もいた。
なぜなら、彼はその前の週に、買ったばかりの自転車を盗まれていたから。
だから、彼の落とした財布がすぐに届けられた時には、にわかには信じられなかったのです。
自転車を盗むのもオーストラリア人(多分子供)、わざわざ届けてくれるのもオーストラリア人。
これもオーストラリアらしいエピソードなんです。


2001年9月20日

まず最初に、またまた新しいウイルスが猛威を振るいそうです。
名前をW32.Nimdaといいます。
ワーム系ですが、どうやら今度はウイルスと、ワームのセットになってる奴のようで、IE5x系にSP2を導入していないと、やられる可能性が有るようです。 SP2は不具合を修正するプログラムで、サービスパックという。
なるべくこまめにウイルスチェックをするのと、できればMSのサイトから、常に最新の修正プログラムを入れる事をお勧めします。
ウイルスチェックの場合、新しいウイルスが発見された場合、新しいファイルの用意は、数日かかるので、運が悪いと、それが出る前にやられる可能性も有ります。

さて、 
大分前の日記に、女房の奇病のことを書いた。 何と、亭主が日本人だからと言うわけではないだろうが、日本人の名前のついた病名では、世界でもっとも有名と言われる、「橋本病」です。
その後、別段悪化をしているわけではないので、定期検査のときに、甲状腺の腫瘍が悪性(癌など)に変わらないか、注意しておけば良いようです。

じつは、この橋本病は物忘れなどがひどくなる以外に、肥るという問題が出る。
で、彼女はもともと肥りやすい体質なので、よけい心配になって約二年程前から新しいダイエットを始めた。
僕と一緒になって30年以上経つが、いままで、彼女の始めたダイエットで、成功したためしは無かった。
何しろ水を飲んでも肥る、空気を吸っても肥るという体質(本人曰くですこれは)なので、どうせ今回も大して効果は無いと思っていた。

ところがです。
現在彼女の体重は、僕が知ってる限り最も低くなっている。
しかし、そのダイエットの中身を知ってる僕にとっては、そんな事で今の体重に落ちてるのは、半信半疑という気がしていた。
じつはその「橋本病」で、甲状腺(喉仏のちょうどすぐ下にあります)の腫瘍が癌に変わって、体重が落ちてるのではないかと、心配になっていた。

定期点検では、運良くその腫瘍は現在まで、悪性になっていないとの事なので、最近になって、これはひょっとすると、かなり効果のあるダイエットなのではないかと、思い始めています。
名づけて、グレープフルーツ・ジュース・ダイエット。
ひょっとしたらもう日本でも皆知ってるかもしれませんが、一応中身を書いておきます。
朝はグレープ・フルーツ・ジュース。 女房曰く、パックや缶詰ジュースではなく、絞りたてほど良いそうです。 パックのジュースや、缶入りには結構砂糖や他の水分が添加されてる可能性もあるし、それ以外にも生には何か違いが有ると言う。 いつも買うのは、ウールワースと言うスーパーマーケットの野菜売り場(ジュース売り場ではない)に置いてある、100%グレープフルーツを絞っただけのジュース。 加工もされていないために、すぐに傷んでしまう、本生です。
これは、日本では中々手に入れにくいかもしれないが。 
で、もちろん朝グレープ・フルーツ・ジュースだけだと、腹が減ってしまうので、彼女が食べるのが、ゆで卵。 それも良く茹でた、固ゆでが良いそうです。 摂ってはいけないものは、ミルク等の乳製品、それに小麦粉でできたものは一切だめ。 つまりパンや、ウドンなどは全くダメ。 しかしなぜか、米は良いと言う(ただし量は控えないといけない)。
あ、そうそう菓子類は当然一切ダメです。 ケーキなど小麦粉は使ってあるし、バターやクリームなどの乳製品も入っているし、砂糖もたっぷりで。

僕はこのダイエットの事を聞いたときに、昔からある炭水化物を一切取らないダイエットの一つだと思っていた。
つまり、肉などを食べてもその蛋白質が炭水化物と一緒になるのを防ぐという系のダイエット。
しかし、炭水化物である米は食べても良いと言うのが、非常に不思議。
僕はこのダイエットをやったわけではないが、朝一番最初に口にするものが、この生グレープ・フル-ツ・ジュースにすると、かなり食欲は落ちます。 昼飯もあまり食いたくなくなる。
昔、子供の時に、アメリカの野球の選手が、(ダイエットだったかで?)毎朝グレープフルーツを食べる、という記事を読んだ記憶がある。
確かに、朝グレープ・フルーツを食べる人は少なくないかもしれないが、飲むジュースの量を見ると、グレープフルーツ2個分くらいは飲んでるかもしれない。

グレープ・フルーツは何か食欲を押さえる成分を含んでいるのかもしれないが、減量で苦しんでいる方には試してみる価値があるかもしれません。
女房曰く、人によって向き不向きが有るとか。

僕のような年代になると、腹の出で困ってるというような話題も出るが、簡単に解決しない問題でも有るので、米を食ってもいいダイエットという事で、書いてみました。


2001年9月21日

昨日書いた、グレープフルーツ・ジュース・ダイエットについて、日本の友人からメールをもらった。
どうやら、グレープフルーツというのは、色々効果があるという。
以下に、彼のメールを紹介します。

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ところでグレープフルーツの事ですが、フジTVで毎週日曜日21:00からやっている番組で(健康関連の番組です。)「あるある大辞典」というのがありますが、そのホームページ「http://www.ktv.co.jp/ARUARU/」でキーワード:「グレープフルーツ」で検索してください。グレープフルーツが色々と体にいいということが書いてあります。
例えば「貧血になりにくい」とか「がんを予防できる」とかです。いろいろ書いてあったのですが、とりあえず興味があれば見に行ってください。
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う〜ん、ダイエットの効果のことで、書いたのですが、「癌を予防」というのであれば、女房の甲状腺の腫瘍も、いつか癌細胞に変わるのではという不安が付きまとっているので、よけいグレープフルーツは、よろしいかもしれません。
もっとも、日本ではすぐに「がん予防」というのがお題目のように出てくるので、あんまり信じられない面もあるが、「無い」と書かれているよりは、「有る」方が、なんとなく嬉しい。

さて、話題は変わって、やはり昨日友人からのメールに「青少年保護育成条例」ということが書いてあった。
援助交際などの(日本独特?)ことに関連してである。
最初見たときには、この条例の意味がよく分からなかった。 いや今でもよく判らない。 そのメールをくれた友人にもう少しの解説をお願いしている間に、オーストラリアも調べてみた。
これが、非常に興味深いのです。 なぜなら、ある意味で典型的なオーストラリアを表しているから。
というのは、各州によって中身の違いがかなりあるのです。
次に、必ず、同性愛について明記されている。 多分日本では、まだ無いのではないか。

僕の住むニュー・サウス・ウエールズ州は、性的関係の許される最低年齢を16歳としている。 しかしこれは、異性同士の話。 ホモセクシュアルの場合は、18歳となっています。
何で、男同士だと異性間より2年待たなければならないのか良く分からないが。
レスビアンについては、明記されていない。 しかし、女性同士でも16歳(どちらかでも)以下だと、性的関係の最低年齢に抵触するという事で、処罰の対象になると書いてある。

ところが、西オーストラリア州では、ホモセクシュアル(男同士)の場合は、21歳以上とのことで、連邦政府の見解(18歳以上)と食い違いが有るが、今のところ調整はなされてないと書いてある。 
ところがこの州では女性同士の性的関係については、全く何も触れられていない。 多くの州がレスビアンについては、明記してない。

もっとビックリするのは、メルボルンのある、ヴィクトリア州。
なんと、お互いの(異性間)年の差が2歳以下なら10歳以上で(10歳以上16歳以下)性的関係が認められている。
他の州が、ほとんど16歳から17歳くらいを基準に法律を決めているのに。
つまり10歳同士や、10歳と12歳の関係も、法律で認められている。
その上、結婚してるならその2歳の差も必要無いと理解できるように書いてある。
それでは、このヴィクトリア州では、10歳同士とか、例えば10歳と14歳の結婚が認められてるんだろうか?
で、このヴィクトリア州では、異性間も同性間も一律同じ(年齢などの条件)となっている。(これは、なんとキャンベラのある、キャピタルテリトリーも同じ)
もっとビックリは、クイーンズランドで、男性が若い女性とのセックスを心配するあまりか、なんと女性が16歳以上なら、相手の男の子の方は年齢の制限が無いと書いてある。 つまりこの州では、30歳のオバサンが8歳の坊やに迫っても、罰せられないという事もありえる。

このような事を見ていると、いかにオーストラリアという国が州単位で出来上がってるかが分かる。
そしていかに、同性愛が多いかも分かります。
今回これを調べるに当たって、いろいろオーストラリアのサイト検索してたら、性犯罪に巻き込まれた男の子のためのお助けサイトとかが結構出てきて、いかに男に性的虐待を受ける男の子が多いかも、印象付けられました。


2001年9月22日

昨日、日記を書き終わって、ちょうどアップしようとしていたら、2階からドシーンという音。
見に行くと、オヤジが倒れて痙攣している。 とっさに何が起きたのか分からなかったが、倒れた時に、石の床で顔面を強打しているようで、すぐさま、下にいた女房を呼んで、救急車の手配を頼む。
女房は、かなりパニック状態になり、救急番号がとっさに出て来ない。
999にかけたり、911にしたり、はたまた日本ではないのに、110番なんてかけてる。 どうにか「000」だと思い出して、救急車を頼んだ。
この時に、心臓(麻痺など)関係と言うと、サイレンを鳴らしながら、飛んでで来たんでしょうが、心臓ではなかったので、来るまでかなり待たされました。
待っている間、体を横に向けて、顔(頭)は横向きのまま水平にし、足はヒザから折り曲げて、救急車の到着を待っていた。
途中から親父の意識も少し戻ってきたのだが、今度は吐きたいと唸っている。
やっと救急車が到着してみると、二人来た救急隊員両方とも女性。 かなりの量の医療器具を運び込んで、てきぱきと始める。
血圧や、血糖値など、また吐気を押さえる注射などをやってるうちに、打った目の周りがかなり腫れ上がってきた。 
顔面を強く打ってるということで、すぐさま病院に運ぶ事に。 で、担架に乗せる時にふと女房が隊員に聞いた。 
運良く、うちのオヤジは53キロしかないが、女性二人だけでオーストラリアの大きな人だったらどうするのかと。
その女性隊員「じつは今朝に呼ばれて行った時は、体重が90キロ以上ある患者で、非常に苦労した」と言いながら苦笑いしてる。
結局その家の人も手伝って、救急車に運び込んだそうですが、エレベーターの無い家の3階とかで、体重が100キロなんてあったら男の隊員でもきついかもしれないと、心配になってしまいました。
どうするんでしょう。
病院に着いてからは、CT・スキャンやレントゲンの検査を何度も受け、骨に異常は無い事が分かったが、血液検査の結果かなりヘモグロビンの値が落ちていて、ひどい貧血症状も起こしている。
だから、めまいがして倒れたらしいのだが、その原因を調べるために、肛門から調べだしたら、かなりどす黒い血が出ている。
どうやら体内のどこかが出血していて、急激な貧血を起こしているのではないかという事になった。
現在は輸血も受け、多少回復しているが、胃カメラをはじめの多くの検査を待っている状態です。
なにぶん、運の悪い事に週末で、よっぽど緊急を要しないと、胃や腸の検査などは来週の月曜日などになってしまうのではないかと危惧してます。

今はいったん病院から戻ってきて、これを書いたのですが、また病院に戻らなければならないので、残りはまた明日書きます。


2001年9月23日

本日の日記は都合でお休みしました。


2001年9月24日

金曜日の夕方に倒れたオヤジのために、以来病院通いをしています。
幸い病院は家から比較的近いので、1日に何度も往復しています。
いまだ(なぜか)パブリックの方の病室に入れられたままなのですが、月曜日からは本格的に検診などが始まって、オヤジは英語できないので、ほとんどそばに付いていなければなりません。

ずっと、このセントビンセント病院にいると、昔若い人の面倒を見てる時に、何度も来た事を思い出しています。
今日はそのいくつか思い出した中の一つについて書いてみます。

オヤジの寝ているベッドの横で、検査の始まるのを待っている間、何度もこのセントヴィンセントという救急病院に来た頃を思い出した。 色んな事がたくさん有ったが、一番すぐに思い出すのは、子宮外妊娠の女の子を運びこんだ事。

この彼女は、オーストラリアに来て、僕が初めて会った時から、ものすごくケバイと言うんでしょうか、日本にいるときにはさぞかし派手に遊んでいたというのがムンムンするほど伝わってくるという子だった。 オーストラリアに来てからも、それは変わらず数名の男の子を相手に、派手に遊んでいるという話は僕の耳にも入っていた。

その彼女からある日、腹が痛いという電話が入った。 かなり苦しむので、この救急病院にぼくの車で連れて来たのだが、当日は特に混んでいたのか、いつまでたっても待合室から、病室に運ばれない。 
じつは、オーストラリアの救急病院は救急車で運び込まれない限り、かなり待たされるので有名なのです。
彼女は腹が痛い痛いと言い続けているが、いつまでたっても見てもらえない。 
そこで僕は彼女に言った。
オーストラリア人は日本人と違って、痛い時などかなりオーバーな表情をする事が多い。 だから日本人の美徳(?)とされている、ぐっと我慢してぎゃーぎゃー騒がないは、こういう場合逆効果である。
病院側はたいした事がないと、すぐに診察してくれない。 だから今ここで、待合室のイスから転がり落ちるようにして倒れ、少し痙攣もまぜてモガキ苦しむようにと、知恵をつけた。 
彼女の演技もうまかったのか、案の定すぐに診療台に運ばれたのは言うまでも無かったのですが、看護婦が血圧を測り始めた途端、「あれ?おかしいな」という様子で、出て行った。 すぐに帰ってきたら、もう一台の血圧計を持ってきた。 
なんとその時、彼女は血圧がほとんど無くかったのです。 

看護婦としては運び込まれたばかりで、そんなに低いわけない、これは血圧計が壊れたと思っていたのです。 ところがもう一度測ってみると、やっぱり異常なまでに低い、で看護婦はすぐに医者を呼び、盲腸から腹膜炎を起こして、内出血してるという判断も有って、血液の検査を始めた。 
血液の検査は時間がかかるもので、すぐには結果が出ない。
実はその時彼女は子宮外妊娠で、中の卵管が破裂して、おびただしい出血をしていたのです。 その血液検査で、盲腸でなく妊娠しているのがわかり、すぐに手術が始められました。

が、もうちょっと遅かったら、出血多量でかなり危ない状態だったと、医者に手術後に言われました。 まあ病院にすでに来ていたのだから、死ぬ事はなかったとは思いますが、あの時僕が彼女に演技をつけなかったら、と思うとぞっとします。 手術が始まる直前など、彼女は完全に失神状態で、失禁までしていた。
で、手術が終わり翌日彼女が大分回復した頃に、実は子宮外妊娠でかなりの出血だった、という話をしたら、元気になっていたのか、いきなり、「K夫をすぐ呼んでっ! あんちくしょー」なんて言ってる。 
「ゴム付けろって言ったのに付けなかったんだから! この入院費だけでなく、慰謝料もたっぷり取ってやらなきゃ」って、すっかり普段の彼女に戻っていました。 
担当医が手術後に色々質問するのを通訳してやらなければならなかったのですが、医者の質問「今までに妊娠した事はありますか?」の答えが「5回」って聞いた時には、いい加減にして欲しいと思ったものです。

今回も絶対にその「K夫」のせいだけではないって気がしたんですけど。


2001年9月25日

今日も朝から病院にいました。 午後からやっと、プライベートに移る事ができたので、明日からはもう少し時間が自由になると喜んでいます。
何しろ公立の方は、朝10時から午後1時までと、午後3時から夜8時までと、見舞いに入れる時間が決まっていて、どうしても昼に一度出なければならない。 そのうえ、6人部屋のなので、僕がベッドの横にいても、何かしら人が出入りしていて、落ち着かないのです。 個室に移れてホッとしています。
さて、昨日に続いて病院シリーズを。
どうも一日病院にいると、そういう事ばかり思い出してしまい、この日記を書く、イマジネーションがわきません。
今日のは、昨日のと違って、かなり刺激が強いので、注意してください。

もっとも悲劇的だった病院の思い出は、やはり女性のワーキングホリデーの子で、オーストラリアに来てから知り合った日本人のボーイフレンドと喧嘩になって、酔ったその男に、ナイフでめった刺しにされた事件でしょう。 
その男はまだ21歳を過ぎたばかりでしたが、日本でも暴力事件を起こし、前科があった。
で、彼女の方も後で調べてみると、かなりしたたかで、日本でも男の問題を何度か起こし、両親も手を焼いてオーストラリアに行かせれば、素行がなおるのではないかという期待があったようだ。
その事件の起きた週末に2人は、車で郊外にドライブに行って、そのまま車の中で泊まった。 次の日に別れ話のもつれから喧嘩になった。 
で、男はカーッとなり、車を運転しながら、持っていたナイフで、助手席の彼女をメッタ刺しにしながら、運転を続けていた。 
右手でハンドルを握り、左手に持ったアーミーナイフで、彼女を刺しながら運転を続けていたのです。
人里離れた山の中でのことです。
ところが偶然にその現場近くで交通事故があり、現場に向かうパトカーがその車の後ろを走っていた。 
男は彼女を襲いながら運転していたので、かなり蛇行運転をしていたようで、交通事故の現場に向かうはずだったパトカーが、その車を停めた。 
見ると車の中は血の海。 
じつは彼女はそこで、出血多量で死ぬはずだった(と、後で僕はその警官から聞かされた)。 

というのは、山の中なので、もしそこでパトカーが救急車を呼んでも、とても間に合わなかったからです。 ところが彼女は、非常に運が良かったんです。
なんとそのパトカーの後ろを、その交通事故で怪我人が出ているとのことで、救急車が追走していたのです。
彼女の怪我のひどさから、交通事故の方はもう一台の救急車を呼ぶことになり、彼女を救急病院に運び込み、集中治療室で、大量の輸血と共に手術を受けた。 

彼女の傷は、耳から喉へ一直線の切り傷、左眼の眼球には、まぶたの上からナイフが刺さり、また胸も刺されて肺にも小さな穴があいている状態。 また目を刺された時には防ごうとした時に、彼女はナイフの刃をつかんだために、掌と指も深く切れ、指は腱も切れていた。

長く集中治療室に入っていましたが、どうにか命は取り留め、その後大分回復してきたので、病室で警察の事情聴取が始まった。
色々な警察官の質問に、彼女は、目を刺された時には目から噴水のように血が飛び出すのを、刺されていない方の目で見たとか。
これは、日本の新聞にも出るような大きな事件になって、日本からも、彼女の親族が駆けつけて来た。

こんな事を書くと、オーストラリアに子供をワーキングホリデーで行かせようかと迷っている親には、心配を増やしてしまうかもしれないが、全くこの事件はオーストラリア来るとか来ないとかの問題ではありません。
日本人同士の事ですし、日本にいてもすでに(両方とも)似たようなトラブルは起こしていたのですから。
逆に、オーストラリアに来て日本人同士で、このような馬鹿な事件起こし、オーストラリアに対して迷惑をかけたとは言えるが。

結局彼女は生き延びたのですが、最後まで彼女の性格は変わらなかったように思います。 その後日本に帰ってからも、彼女から電話があって、目の回復が一向に進まない、それはオーストラリアでの最初の手術がダメだったからではないかと、僕に不満をぶつけてきた。
痴話喧嘩の末の事件で起きた事なのに、失明の可能性に対するショックを僕にぶつけてくるなんて、信じられませんでした。 
生きて日本に帰れただけでも、ありがたいと思わなければいけないのに。

彼女がオーストラリアを去る時にも、一言も世話になったと言う礼の言葉も貰わなかったです。

男は殺人未遂で、14年の刑を言い渡され、永くシドニーのロングベイという刑務所に入っていました。


2001年9月26日

今朝は朝8時にはもう病院から電話があって、今から検査を行うが、入れ歯を入れているかどうかということが判らないからと、電話があった。

英語が全くできないので、検査を受ける前のそんな簡単な質問でも、通訳が必要なのですが、幸いベッドの横に専用の電話があるので、助かる。

さて、昨日まで2日連続の病院シリーズ、今日は僕自身の経験の一つを書いて見ます。
僕がまだロンドンに住んでいた頃の話です。
当時ロンドンは、サッカーのファンが暴れる事件が多発していました。
フットボールフーリガンと呼ばれる、バカ者たちは毎週週末の試合の日には、試合を見に行くというより、暴れに行くのを目的にしていました。

僕と女房が持っていた、ロンドンはキングスロードにあった店(服関係)にはチェルシーというフットボールクラブのフーリガンが試合会場に向かう道沿いにあるので、試合の日はショウウインドウを木の板で塞いで、壊されるのを防いだりしていたものです。
僕が襲われた日もやはり土曜日でした。
その日、僕の店のすぐそばにあった、ヴィヴィアン・ウエストウッドの店にビジネスの話をしに行き、帰ろうと店から出てきた時に、十数人の一団に襲われました。 僕を取り囲んで、殴る蹴るの後、ヴィヴィアンの店の大きなショウウインドウを皆で蹴破ったのです。

僕は運良く襲われた時に地面に倒れこまなかったので、やられながらも逃げるチャンスがあり、また襲ってる連中もその大きなガラスのショウウインドウが大きな音と共に崩れ落ちたので、そっちの方が面白くなったのか、追いかけては来ませんでした。
ワークブ−ツという先に鉄の入ってる安全靴で「股間」を思いっきり蹴り上げられていたので、すぐに自分の店に戻り、トイレに入って様子を見たところ、先から血が流れ出ていました。 
つまり普通小便をするということは、意識して排尿をしようとしなければ、何も出ないわけですが、その時はタラタラと小便が垂れるように、血が止まりません。

睾丸も異常に腫れが始まっていたので、とても自分では運転できる状態ではありません、すぐに女房に運転を頼んで、救急病院に行きました。
怪我という事で、間もなく診察が始まったのですが、とにかく医者が損傷を調べるために、睾丸を押したりすると、気絶するほどの痛みが走ります。 
その時には片側の睾丸は鶏の卵の大きさをはるかに超えるほど腫れ上がっていました。
女房がそばについて、医者の言うことを聞いていたのですが、医者の言葉でなんといきなり女房が失神したのです。
その時僕は、医者の言った「医学用語」が良く把握できませんでした。 

診察台にいる僕がどいて女房を寝かせる羽目になってしまいました。
すぐに女房は気が付きましたが、実は医者がその時、「ダメージが酷いので、今から手術で、片方の睾丸を摘出する」と言ったので、ビックリして気が少し遠くなったのです。
医者は「大丈夫、大丈夫、片方を取っても子供は作れますから」と言うのですが、まだ僕も女房も20代、子供はまだいない時の話ですから、かなりショックでした。
ところが、ちょうど僕は昼飯を食べたばかりだったので、胃の中に食物があるためすぐに全身麻酔はできず、と言う事はすぐに手術は行えないので、とりあえず入院して次の日にと言う事になりました。

その時に詳しく医者から手術の内容を聞いてまたビックリしました。
睾丸を取る手術というのは、俗に言う睾丸の入ってる袋を切り開いて、ダメージのある睾丸を取り除くと思っていたのですが、なんと脚の付け根から少し上の盲腸の下(わき腹)のあたりと言うのでしょうか、そこを切って睾丸に繋がっている精管を引っ張ってそこから睾丸を取り出すというのです。
それを聞いた時の方が僕には気分が悪くなった事を良く覚えています。

さて、その日は胃に食物が入っていたので、次の日に持ち越され、早朝に看護夫がカミソリを持って来て、手術のためにヘアーを剃り始めました。
その看護夫は、(多分)ゲイの人だったので、ものすごく男の一物の扱いがうまく、まだ痛みも続いていたのですが、ほとんど何事も無いように、剃ってくれました。

さて、いよいよ手術と思ったら、何と救急の手術を要する患者が入って来たとかで、いつまでたっても手術が始まりません。
僕としては、その精管を引っぱって腹の横に睾丸を引っ張り出されるという手術が嫌で、なるべくならしたくないという気持ちで、びくびくしながら待っていました。
やっと、執刀の医者が来て、また僕の傷を丹念に調べ始めました。 この丹念に調べると言うのが、睾丸を握ったり、押したり引っ張ったりして調べるので、ものすごい激痛が走ります。
ところが医者が、「これはすごい、腫れがかなり引いている、もう少し様子を見よう」と言って、手術は延期になったのです。
で、その翌日つまり事故後3日目にはかなり僕でも腫れが引いてるのが判りました。 痛みは変わらず有るのですが、僕としても手術を受けなくて済むならそれに越した事は無いので、もう少し様子を見て、なるべく手術はそれからというふうに頼んではいました。

結局僕は10日近く入院したのですが、手術は受けなくて済みました。
その後定期的に検査も受けには行きましたが、確かに形も多少変わってしまっていましたが、腫れも引き平常に戻ったのです。
これは、ひょっとしたらナショナルヘルスという、当時は悪名高いイギリスの医療制度で、常に医者が足りない状態で、すぐに手術が行われなかったために、助かったかなとも思う事があります。

それより何より! その事故があった後1年程で何と、女房が妊娠をしたのです。 実は一緒になって7年ほど経っていましたが、一度も女房は(避妊をしていなかったのに)妊娠しなかったのですが、何とこの事故の後子供ができたのです。
ひょっとしたら、思いっきり蹴ってもらったために睾丸が逆に良く働くようになったのかもしれません。
映りの悪いテレビを叩いたりしたら直ったりするように?(そんなわけは無いが)
もし子供ができずに悩んでるご夫婦がいたら、、、いえいえ、絶対に真似はしないで下さい。


2001年9月27日

本日の日記は都合によりお休みします。


2001年9月28日

昨日の日記をお休みしたのは、本日に出る検査の結果が気になってたからも知れません。
気になった通り、残念ながらオヤジは癌でした。 正確には胃癌なのです。 担当医と本日ずっと話しあいを行いました。
結論は、87歳という歳と、癌細胞の形から(大きさ)手術はしない事にしました。
本人に告知すべきかかなり迷いました。 オーストラリアでは、ほとんど告知しますが、日本では家族に任されるのかもしれません。
どうしようか、迷いに迷いましたが、やはり本人に言う事にして、ちょうど見舞いに来ていただいていた、池亀先生と一緒に、胃癌だと告げました。

さすが戦争を経験してきた年代というのでしょうか、全く取り乱す事もなく、冷静に聞いていました。
僕も努めて冷静を装いました。 一番ショックを表していたのは、母親でしたが、それでも自分ではコントロールしていたようです。
これから、オヤジは癌と共存していかなければならないわけですが、できる限りの延命を願っています。

そういうことで、胃の摘出もしないので、その結果について担当医と話し合った後、すぐさま退院してきました。
山口県にいる叔父のように、抗がん剤やコバルト照射等の治療も受けないのです。
苦しい治療を受けても、叔父のようにもはや回復の見込みゼロの状態になるより、かえって長生きできるのではないかと思っています。


2001年9月29日

アメリカでの連続テロ事件、イニシャルのショックが過ぎて、今後の展開を皆が見守っている時には、色々な情報が流れるものです。

今朝、メールチェックをしたら、随分ご無沙汰している友人から、変なメールが届いていました。
やはり、今回のテロ事件に関するものです。

彼もこの話を友人からのメールで受け取ったらしく、驚いて僕にも送ってきた。
ちょっと紹介します。
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ツインタワーに突っ込んだ片方の飛行機のフライトナンバーが、
「Q33NY」だったとか。
この「Q33NY」を、
マイクロソフトのWORDで。
フォントのサイズをまづ、
24以上にに大きくして
次に、
フォント形式を Wingdings 1 にしてみると。。。

何が解ったか????!!!!!
何が信号として発信されたか??

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僕は早速 Wingdings (僕のPCでは1というのは無いので、何種類か有る Wingdings )に変換してみました。
そこに描き出されるものは、確かに象徴的ではあります。
最後の星印はSTAR OF DAVID ユダヤの象徴です。

しかし僕はすぐに気が付きました、全くのデタラメだと。
こういう時には、こういう手の流言などが流布されるものです。
もちろん、フライトナンバーには33なんてありませんでした。 
(ちなみにフライトナンバーは、ユナイテッド航空が93と175、アメリカンがそれぞれ、11と77です。) 
少し時が経ち、フライトナンバーなどの詳細について、皆の記憶がはっきりしなくなった頃を見計らって、誰かが流した、SICK JOKE の一つなのです。

つまりそのような記号になるように、わざわざ作ったのは明らかなのに、JOKE(冗談)の部分が離れて、一人歩き始め、さも何かが隠されているように信じ込んでしまう。
こういうような事件の後は、特にそのようなデマに惑わされないよう心がけるべき、特に日本ではこれ系の冗談は、非常に効果があるようですから。

それより僕が心配してるのが、あのツインタワービルの構造物の一部、石綿です。 なんと、構造の中心にあった鉄筋にはコンクリートの代わりに、石綿(アスベスト)が吹き付けられていたそうです。
オーストラリア人の高名な建築家(現在はヨーロッパで活躍)HARRY SEIDLER(ハリー・シードラー)の話を読んでいて僕はビックリしました。 
当時の技術で高層化を実現するために、軽く造く作ることに重きを置き過ぎているのを知った時に(当時彼は呼ばれて現場を視察した)危惧を抱いたそうです。 事件の時に、ビルから逃げ惑う人たちは体中真白に粉を被ったようになっていましたが、これも石膏材がビックリするほど多く使われ、ビル全体を支える中央の鉄筋群を取り巻く物にはコンクリートが使われず、石綿を吹き付けたものだったとか。
確かに1960年代に着工したビルなので、アスベストが使われてしまったのでしょうが、大変な粉塵の中、いまだに救助に当たる人たちを見ていると、影響がなければ良いがと祈っています。
今オーストラリアでは石綿が使われていたビルの取り壊しには、大変な注意と、特殊作業が要求され、すべての取り除きまでに非常に多くの手間と日数を要するほどですから、今回のように爆発で吹き飛んで、粉塵として舞っているとしたらと考えると、ぞっとします。


2001年9月30日

本日の日記は、モータスポーツのページに行きました。


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