過去の日記 2001年3月後半

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           3月15日

今日は朝来る予定の工事人が来ません。 昼まで待ってもしょうがないので、出かけようとすると、電気工事のお兄さんが突然来ました。 呼んでません。 彼もうちに来るようにと言われても良く理由も判らず来てしまったようです。 このようなことは良くあるので、僕も気にしません。 うちの工事を引き受けてる工務店のオーガナイズが悪いのでしょうが、オーストラリアでは良くあることなので、慌てず騒がずです。 でも確実に半日は無駄にさせられています。

久しぶりにシドニーはカラっと晴れたのですが、秋らしい肌寒さも少し出てきました。 と言ってもT−シャツ一枚で十分な気温ではあります。 こういう日は特に朝の散歩が気持ち良いです。 12歳になる(雌犬のシェパード)ハナは最近めっきり老け込んで、僕の歩くスピードについて来るのが精一杯です。 一緒に公園に行けるのも後何年あることやら。 それを考えると寂しさを感じます。

ロンドン時代猫を飼っていた僕は、てっきり自分は猫派(もし犬派と猫派があるとしたら)だと思っていたのです。 しかしオーストラリアに引っ越して来てすぐに、ある事件がきっかけで犬を飼うことにしました。 それは、ある日家内の生徒の一人が放課後いつも来るはずの親がいつまでたっても迎えに来ないので、心配して家に電話をしても連絡が取れず、たまたまうちの近くなので一緒に連れて帰ろうと思っているところへ、偶然その生徒の家の隣にいる人がちょうど学校に来ていたので、彼女にその生徒を託しました。 ところがその生徒の母親は家で(強盗に)殺されていたのです。 その晩連絡を受けた家内は、ものすごいショックで、寝込んでしまうほどでした。 偶然その生徒の隣人がこなければ、家内はその生徒を連れて家に行ってその現場を見ていたでしょうから、気の弱い家内はショックで寝込むどころではなかったかもしれません。 その事件は当時大きく報道されました。
そんなことで、家内は(彼女も猫派だったのですが)防犯の目的もありシェパード犬を飼うと言い出し、ハナがうちに来ることになったのです。 
僕にとっては初めて飼う犬でしたが、家族の中でも僕に一番なついてくれて、こんなに犬が可愛いものかと、今や猫派から犬派に鞍替えしてしまっています。 

追記。 こんな事件の事を書くとオーストラリアは犯罪が多い印象を受けるかもしれませんが、本当に特殊な例です。 年々どこの国も治安は悪くなっていますが、うちの親が二人だけでしょっちゅう出かけても、今まで一度もヒッタクリにも遭っていないのは、治安の良さを物語っていると思います。(運の良さもありますがね)


2001年3月16日

娘が大学の研究で必要だからと、ノート型PCを買えと言い出した。  
本当に必要なのかどうか不明な点もある。 大学を卒業したと思ったら、同じ大学で、HONORと言うコースを今年から始めた。 この「オナー」というのは日本語でどう言ったらよいか判らないのですが、そこでIMMUNOLOGY(イミューンノロジー、日本語で言うと、免疫学か)と言うのを研究しています。
娘を見ていると、そんな地道な分野の研究を(職業として)づっと続けていくようにはとても見えない。 昔の僕のように、 まだ世の中に出たくないと言う理由で、大学に残って研究を続けているような気もする。

で、そのノートPCだが、彼女いわく今やっているプロジェクトで、このHPのように、HTMLで製作して、発表するのだと言う。 確かに大学の時から、研究発表はHTML形式のものをPC上で作ってはいた。 日本は知らないが、こちらの大学ではコンピューターを使わないと、ちゃんと成績も評価されないほどです。
そういうものの延長線で、大学で研究している時も、どんどん入力しなければならないからノートPCと言うのです。 彼女が使うアプリケーションはかなり重いものが多く、その上彼女の使い方を見ていると、ノートPCでは絶対にフリーズの嵐と思うのですが、それがわかっていない。 
僕の言うことを信用しないので、PC専門店に連れて行って、そこの店員の話を一緒に聞いた。 何しろ彼女はCDで音楽を聴きながら、インターネットに繋ぎメールもチェックしながら、ワードを起動しながら、ドリームウイーバーを使いながら、フラッシュも使うということをやるので、(同時に最近までナプスターにも繋いでDLしたりしていた)彼女のデスクトップでさえフリーズの嵐。 何しろ彼女の今使っているデスクトップは98SEが入っているのですが、CPUはペンティアムのU(Vではない)300Hzですからしかたが無いともいえますが。

ところがPC屋さんは、それならと言ってノートでも絶対大丈夫と言うスペックのを出してきた。 (確か、P−V、800Hzに、メモリーが256Mb、HDDが何とノートのくせに20Gbもあるという。 OSはWin2Kが入っている。) 当然ビックリするほど高いです。 イヤーまいった、連れて行くんじゃなかった。 彼女にもその金額がどのくらいのものか良く考えるようにいってその日は決断しないで帰って来た。 これから「買ってー」と言うコールが続きそうです。 
ところが家内に聞いたら、娘はどうやらこの研究を続けて、大学の研究室に残ることも考えてるらしい。 おいおい本当か? ついこないだまではブティックをやりたいって言ってなかったか? もしまじめに研究続けるなら出費もしょうがないかなと思い始めてます。 
それにしても、PCってあっという間に型が古くなってしまうものですな。


2001年 3月17日

今日は朝から女房と屋上の掃除。 工事人のいい加減さに、自分達でやることにして、水圧(ポンプで、高圧の水が出る)の掃除機で一日かけてやっていた。 
考えてみると良くこういうことになる。 この国では人件費が異常に高い上に満足できる仕事をする職人も少ない。 そう思うのは僕だけではないようで、DIY(Do It Yourself)つまり、自分でやる人のための店は大流行。 日本でいう日曜大工の店のようなものから、特殊な機械を貸す店もある。 
僕がオーストラリアに来てまもなく、テレビでとても面白いニュースをやってたのを思い出す。 それは、日曜大工の店の経営者が日曜日に店を開けたから、逮捕されたというのです。 その時はイギリスから移って来たばかりなので、日曜日はほとんどの店が開いてないという事には、違和感も無かったのですが、まさか逮捕されるというのに驚いたのです。 

考えてみても日曜大工の店と言うのは、日曜日にお父さんが、家の中をちょっと自分で直すのに、ネジがたりないとか、金づちが必要と言うような場合のための店なのに、日曜日に開けたら「逮捕」なんですから。 
イギリスと違って、いろんな国の人がいますから、日曜日に商売やってどこが悪い、と考える人も当然いるわけ。 でも「逮捕はないんじゃないのか?」って思ってました。
日曜日は休息の日だと、キリスト教の影響が強いと有無を言わせないようです。 それでもイギリスよりましなのは、無視して開けようとする人がいるということ。

以来21年、オーストラリアは異常とも思えるほど変わったのです。 日曜大工の店どころか、今や日曜日に開けてない店は無いくらい。 スーパーなんて、24時間やってるのも多く、「Kマート」というスーパーは同じスーパーでも食料品とかはないのですが、電化製品、衣料や日曜大工のもの、文具などを24時間開けて売ってるのですが、逆にそんなものまで24時間も開けてるのはやりすぎじゃないかと、日本人である僕でさえ考えてしまいます。 
夜中の3時とかに水着が必要だとか、植木の肥料をどうしても手に入れなきゃっていう人がいるとは、とても思えないのですが。
と言いつつ僕は夜中の12時にそこへ行ってプレイステーション2を買ってしまいましたが。 うわさですぐに売り切れるというのを聞いて、土曜日が発売日だったのですが、それなら金曜日に「Kマート」へ行って12時過ぎれば土曜日だから一番乗りで買えてしまうと思って行ったら、もう人が並んでいてビックリしました。 それにしても夜中12時過ぎにそういう店に行って、物を買ってるというのは不思議な感じでした。
だんだんオーストラリアもイギリスの習慣や文化から離れて始めています。 それには大賛成ですな。

夜は前から頼まれていた、日本語翻訳(通訳)。 僕のレース仲間(と言っても僕の娘とほとんど同じで、親子ほどの年齢の差が有るのですが) デエィミアンからの依頼で、やはりツーリングカーでレースやってる人が日本語のDVDを見ても(当然)何を言ってるか判らないから、10分程度の必要な部分だけで良いので、英語にしてくれ、と言われて。 このようなお助けは良くあります。 見てみたらレース用チューニング(ランエボ5と言う三菱のラリー車です)のDVDで、僕のお手のもの、大いに感謝されて帰ってきました。 いえいえ感謝んなんてとんでもない、僕の方が興味あって、結局そのDVDもっと見たいと借りてきてしまった。
今度のレースには彼の応援に行ってみようかなと思っています。 
 


2001年 3月18日

昨晩日記をアップしようとすると、何やら初めて出るメッセージ。 僕の使っているホームページ用ソフト、「フロントページ」のエクステンションが、サーバー側でどうやら壊れているようだ。 土曜日の夜遅くになって僕のホームページをホスティングしている会社に電話をかけてみる。 すでに夜10は過ぎているのだがすぐにテックサポートが応対に出る。 なかなかえらいもんだと感心しながら、エクステンションのことを言うと、2時間前後直すのにかかるとの事、昨日は一日家内と掃除していたので疲れ果てて、12時過ぎまで待てないので寝ました。
で、本日朝またアップしようとするといまだ直っていない。 今日は日曜日それでもやはりテックサポートの人はちゃんと働いている。 またまた感心するも、昨晩直すといったのにまだ直っていないと説明すると、「わかりましたすぐに直します、30分以内には直ります」それを信じたのですが、今日も朝から一日屋上の掃除をしていて、夜食事に出て(食事の準備も出来ないほど一日働いていた)帰って来てもまだ直っていない。 そうなんですこれがオーストラリアなのかもしれない。 そろそろ「強く言う潮時だ」と、ガツンと言うと、なんと10分で直してくれました。 ということは昨晩から今朝と、彼らは「ハイハイ」と言うだけで何もやっていなかったようです。 オーストラリアで物事をスムースにやるには、このタイミングが非常に難しいです。 生前オーストラリア人の義父がよく言っていました。 彼の場合は、相手がヘキヘキするほど電話をかけて、今回のような事を防いでいましたっけ。

日本を離れて30年近くにもなると、僕はすっかりオーストラリアのペースになっているのかもしれません。


     2001年3月19日

シドニーはすっかり秋らしさが出てきました。 湿度が低くなったおかげで、とても快適です。 青空も広がって、家の工事のために、晴れが続くのを祈っています。 土曜日の夜に翻訳のお助けをした続きで、日本にある自動車部品メーカーに電話を入れました。
競技(レース)用部品を作っているその会社は、レース関係者ならオーストラリア人でも知っているくらいですから、今後の部品購入に関する問い合わせも含めて、対応してくれた担当者の電子メールアドレスを聞いたらなんと!「うちは電子メールアドレス無いんです」 ?????ってマークが僕の頭の中を飛んでました。 そこはHPは持ってるのにです。 
で、そういう電子メールでいちいち問い合わせられると面倒だと思って教えないのかと思ったら、FAX番号を教えてくれて、「すみませんが、FAXで送ってください」って言われてしまった。 

僕は最近日本について、分からない事がよくあるのですが、こういう事はオーストラリア人にはもっと不思議です。 オーストラリア人にとって日本のイメージというのは、ソニーやホンダというハイテク企業のイメージ、もやは芸者、フジヤマ、寿司、テンプラじゃないのです。 ところが、なぜか日本のインターネットの普及率(IT 普及率というのか)というのは先進国の中でも非常に低いらしい。 ハイテク企業イコール、ITバリバリと考える方が自然ですから、このような自動車部品メーカーが、電子メールは無いから、FAXでと言ってるとこのオーストラリア人の友人に伝えてもにわかには信じられないのです。
ちなみに羊毛と鉱物資源というイメージのこのオーストラリアでもインターネットの普及率は低くはないです。

日本の首相が「ITを...」と言ってるのを聞いたときにも、何で今ごろと思ったものです。
自動車と言うカテゴリーに限って考えても、僕には非常に不思議なことがあります。 日本の戦後の復興を支えた最大産業の一つである自動車というのは、価格の割に性能が良い、故障も少ないというのが特徴でした。僕の感覚から言うと安く性能の良い製品を作るというのは、それだけ合理化が進んでいるからと思ってしまいます。
トヨタのカンバン方式なども、諸外国が取り入れて有名になりました。 
ところが、日産がルノーの傘下に入って、フランスから経営者が来た時にあまりにも無駄が多いということで、多くの指摘を受けました。 実は日本車が短期間に性能の良いものを開発し、どんどん発表できたのは、諸外国とは比べ物にならないほどの、残業などの長時間勤務に負っていたのではないか、そして西欧並に年間労働時間の短縮化を進めた結果、欧米よりも逆に弱くなってしまったのではないかと思うのです。 
こういう体質が、いまだに電子メールは無いからFAXでと言うことに繋がっているように思えてしかたありません。

性能の良いものを安く売るのだから売れて当たり前、それを輸入量規制などで抑えるのはおかしい、と言う議論がありました。 「良いものを安く」は売れて当たり前なのですが、それがどのような背景で作られているかが問題なのです。 
つい最近まで、日曜日に日曜大工の店を開けただけで逮捕されてしまうような国から見ると、日曜日も出勤して部品の開発をして、早く良いものを作る国の製品が、自分の国に入ってきてどんどん売れるのが当たり前のこととは、考えられないのです。

日本生まれの僕にはいまだに勤勉と言うのは美徳と考えますが、そういう考え方の延長線上にある、「超過勤務」が思わぬ落とし穴(IT化の遅れ)になっているように思えてしまうのは、間違いなんでしょうか?

 


          2001年3月20日

朝からまた工事人がきています。 ということは出かけられません。 
いつ電源を落としてしまうかもしれないので、怖くてPCも立ち上げられません。 今日でこの工事の最初の部分は終わるので、これが終われば少しは静かになるのではないかと期待してます。 ほとんどのことは自分でやってしまう僕から見ると、今日の作業でもとても見るに耐えられないのですが、我慢してます。 

毎年この時季わが両親は日本に帰ります。 1987年に住みに来て以来、欠かしたことがありません。 まるで渡り鳥のごとく、3月から6月一杯までは日本で過ごします。 ちょうど日本が良いシーズンになる時で、梅雨のシーズンが始まる頃にはまたオーストラリアに戻ってきます。
日本への往復航空券も割安であるうえ、生活費もオーストラリアではかからないので、日本国からいただく年金の中からやりくりしても毎年少なくとも一回は日本旅行ができるのです。
ちょうどお互いに息抜きになって、日本に3ヶ月ほど行くのは歓迎なのですが、最近は両親の老化が激しく(肉体よりも、頭脳の方です)心配なことも確かです。 去年も空港で財布を紛失し(出国手続き後に)運良くパスポートや航空券は、別に持っていたので、飛び立つことは出来ましたが、この頭の老化は元には戻らないことなので、二人だけで行ったり来たりがいつまで続けられることやら。

夕方娘のためのノート型PCが届いたので、夕食後は一緒にセットアップ。 WIN2Kなので、彼女にとっては分からないことも結構あります。 
しかし98と比べたら、何て素晴らしいんでしょう。 これが当たり前だと
思いますがね。
それにしても同じ机に向かって一緒にセットアップしていると、ずいぶん前に勉強を見てやっていた頃を思い出します。 最近はこういうシーンなかったなと。


2001年3月21日

朝いつもの公園に散歩に行くと、撮影をやっていました。 家内が大好きな「Water Rat」というテレビ番組の撮影のようです。 
ふと、まだ僕が日本にいる頃やっていた仕事を思い出しました。 
テレビコマーシャル(CF)やポスターなどの広告作品をつくる仕事で、大学に通いながらアルバイトで始めた仕事が、本職になってしまい、まだ大学に籍を置きながら、生意気に自分のオフィスも持っていました。
今日のテレビ番組撮影を見ていても、独特の雰囲気があって懐かしいものです。
カメラマンの助手が、カメラのセットで忙しそうに機材を運んでいたり、メイクさんが俳優らしき女性に念入りにメイクをチェックしていたりと、何年経っても撮影というのは変わりません。(結構アナログの世界ですな)

当時にお世話になった皆さんも、かなりの年配になられているはずで、どうされているのか気になります。 

テレビコマーシャルといえば、オーストラリアに来た当事の日本車(自動車だけではなく、日本製の商品全般に言えたのですが)のCFはひどいものが多かったです。 自分が日本人であるので、赤面物のコマーシャルを見るたびに、腹を立てていたものです。
三菱車の宣伝で、相撲取りに似せたものすごく太ったオーストラリア人(白人)にカツラをつけ(それもサムライのカツラ)メイクで目を釣り上がらせたのが3人登場し、シコを踏んだ後、車に乗り込んで中の広さに関心しているというような、この広告を作った(当然オーストラリアの広告代理店)者のセンスを疑うような。 似たようなものはかなり当時多くて、サムライが奇声を発しながら、刀を振り回していたりと、なんともショックなものが多かったです。
つまりその当時は日本というイメージは大体そんなものだったということなのでしょう。 だから僕はよけいショックを受けたのです。

それから20年いまや日本製品の広告は(予算をちゃんと使えるという事情もあるのでしょうが)ずいぶん変わりました。 たまに(いまだに)サムライや忍者が出たりしますが、ソニーなどを含め「COOLな(かっこいい)」CFは日本製品のものというイメージも出来つつあります。 
ところが、そういうかっこいいCFを流している企業が日本の企業であるというのも知らないオーストラリア人のほうが多くなってます。 SONYなどがその点でいちばん有名です。 多分SONYが日本の企業だと知っているオーストラリア人は50%もいないでしょう。 まさにそれを企業も狙っているのですがね。


 

           2001年3月22日

朝5時半に起きて女房を学校へ送って行き、(理由は後述)帰って来てからすぐに犬の散歩に公園へ、家へ戻るなり今度は両親を連れて、空港へ。 チェックインもすべて済ませて、空港から戻ると、今度は娘と(前から約束していた)電気店へ。
今度購入したノート型PCのアクセサリー、実は盗難防止ロック装置。 
大学にノート型PC持って行くならオーストラリアではこういうものは必需品。 色んなタイプがあったのだが、サイレンまで鳴るタイプを買ってしまった。
帰ってきてすぐに今度は日曜大工の店へ行って、一昨日まで来ていた工事人の、中途半端な作業の後始末(というよりあまりにもどうしようもないので、もう来なくてよいとまた言ってしまったので、尻拭いを僕がやるはめに)のための材料を買った。

遅い昼食を娘と取っていたら、すっかり今日は朝食べるの忘れていて、かなりの食欲。

さて、女房が朝早く出かけたのは恒例のキャンプに生徒を連れて行ったのです。 キャンプと書くと皆さん必ず誤解されると思います。 
というのは、これは10日にわたって、生徒(日本でいうと中2)の考え方をガラっと変えるための、サバイバルトレーニングなのです。 家内はこういうの好きなので、引率の先生として、志願して昨年から行くようになった。
昨年女房が引率で行きたいと言い出した時は、ビックリしたのですが、都会育ちの子、特に私立の中流以上の家庭の子が集まるこの学校で、このキャンプは、必ず一生忘れられない思い出になるような、すごいものなのです。

わが娘が8年前に行った当時はもっときつかったらしいですが、基本的には今もほとんど変わりません。
場所はシドニーのあるニューサウスウエールズ州と、メルボルンのあるビクトリア州の州境、密林です。 10日間一切風呂どころか、トイレもありません。 つまり大も小もすべてその辺で、いわゆる「野グソ」というヤツです。 毎日毎日、道なき道を、かなりの距離、自分たちの食料を背負って歩きつづけます。 
今はまだ初秋なのでマシですが、娘が行った当時はこれを真冬にやっていて、寝袋だけでテントも使わなかったため、朝起きた時には顔の上には雪が積もっていたそうです。
食事はすべて自炊ですから、かなりまずいものになるようです。
毎日の強行軍で、誰かが脱落しそうになると、誰かが助けなければなりません。 そのような経験をさせて都会育ちのぬるま湯につかって育っている子達の考え方を根底から買える目的があるようです。

皆さんはどう思われますか? オーストラリアでは、いや少なくとも娘の行っていたこの女子校では90%の生徒が親の車で学校に登校してきます。 昔僕はそれを見て何と皆甘やかされているのだろうと思っていました。 セキュリティーの問題(例えば誘拐とか)などもあって、そういう風になっているようですが、そういう環境で育ってきた子が、この学校では中二になるとこのキャンプに行かされるのです。よっぽどの理由が無い限り、行かないわけにはいきません。 今年は、たった一人だけ、生まれつきの持病で、ドクターストップがかっかて行かないらしいですが、そういう特別な事情がない限り、全員行きます。 不安で行かないというようなのは理由にならず、学校を辞めて下さいと言われるようです。

という事なので、本日から親も日本へ、女房も森の中へ10日間も行ってしまったので、いっぺんに家が静かになってしまいました。


   2001年3月23日

何年オーストラリアに住んでいても、朝の空気の香りは変わりません。 僕が子供の頃、母の里である山口県(山陰の萩の方です)に夏休みというと必ず行っていました。 その頃の、夏の朝の匂いがします。 シドニーの我が家は、都心に10分というところにもかかわらずです。 この香りは僕の子供の頃に東京からはなくなっていました。 
朝起きて窓を開けた時に庭から入ってくるこの香りが大好きです。 季節によって微妙に変わるのですが、シドニーではこの香りは、ほぼ1年中あります。
僕はシドニーに住みに来るまで、ヘビースモーカーでした。 一日に2箱から3箱は吸っていました。 オーストラリアの禁煙運動のすごさは、オーストラリアの暮らしの方で詳しく書く予定ですが、僕も来て2年目に禁煙をしました。 禁煙をしたくて何度もしたが、また吸ってしまった、というのではなく、オーストラリアは吸うのにあまりにも不便なので、「止めたっ」と思ったその日から、全く吸っていません。
オーストラリアに住みに来る事を考えている人はその辺はかなり覚悟が必要です。

で、タバコを止めて気がついたのは自分の嗅覚が、異常に敏感だという事でした。 それまで四六時中タバコを吸っていたために、タバコの煙で自分の嗅覚に気がつかなかったのかも知れません。 とにかく女房に言わせると、限度を超えて敏感だといいます。 迷惑がられる事さえあります。 しかしそれだけ敏感ですから(うちのシェパードのハナちゃんにも嗅覚で勝てるかもしれないが、、、ということはないでしょうが)得な事もあります。 何より朝の臭い(香り)なんて、僕ほど楽しんでいる人も少ないと思います。 買ってきた肉がちょっと古いとかそんなのは、包みを開ける前から分かります。 先日も家内が買い物から帰ってきて、買い物袋を持って、僕の横を通ったのですが、その時に中に入っている鶏肉がいたんでいるのが分かった。 そのくらいになると、普通の人でも調理する時まな板の上において、切ったりしている時に手に持って匂いを嗅げば、分かるのと思うのですが。

ですから僕には臭いの思い出というのが一杯あります。
誰でもそういうのはあるとは思います。 例えば昔付き合っていた恋人がつけていたオーデコロンの香りを、ふと電車の中で嗅いで、はっとその人や当時の事を思い出すとか。
このシドニーの朝の香りも僕の子供の頃に引き戻してくれます。
楽しい思い出が一杯詰まっている、母の故郷。 しかしその母の故郷にいる、叔父や叔母は高齢になり、つい先日も肺がんで入院というようなニュースも入ってきています。(この叔父はものすごいヘビースモーカーでした)
今回もそのため、昨日日本に帰った両親はすぐに山口県に見舞いに行く予定です。 僕も近々この山口県に行かなければならないような事態が感じられて、ちょっと憂鬱です。


 2001年3月24日

久しぶりの静寂。 工事人は来ないし(土曜日)両親は日本に行ったし、家内は生徒連れてキャンプだし、娘は週末はアルバイトに行ってるしと、一人静かに家で、思う存分このHPの日記以外のページも更新をと思っていました。 
ところが朝、庭の木が伸びたなあ、少しは切らなければと思って始めたら、昼過ぎになっても終わりません。 昼食後も続けて、ごみ箱が一杯になりこれ以上入らないところでやっと作業終了。 まだまだあるのですが、月曜日に取りに来る庭用のごみは、ごみ箱以上出すと持って行ってくれませんので。 オーストラリアの植物や木は何でこんなに伸びるのが早いのでしょう。 ちょっとサボっていると、手がつけられないほど伸びてしまいます。
ちなみに僕の住んでいる地域は、生ゴミは週2回(火曜日金曜日)、ビンや、新聞紙などは週一回(生ゴミの金曜日に一緒)そして、庭のゴミは、取りに来る業者が生ゴミとは別ですが、やはり火曜日の朝取りに来ます。 これは地区によってかなり違いがあるようで、僕の地区でも予算を切り詰めるために、生ゴミ用の容器を大型のに替えて週一回にしようとしているようです。 週一回は夏などかなり腐敗が進んで臭くなりそうです。
困ったものです。

ところで、エコノミーシート症候群というの最近聞きますよね。 英語で言うと、DVT(Deep Vein Thrombosis)それにしてもエコノミーシート症候群なんて名前付けもつけたり、何か裏を感じてしまいます。 わが両親も、日本行きのシートはエコノミー席はやめた方がいい、高いけどビジネスクラスにしようかなんて言い出す始末。 何か、この裏にはめられているような。 別にビジネスのシートだって、ずっと座りっぱなしで、体動かさなければ、同じ事なのに。 ま、今回は今まで使っているマイレッジバンクのポイントがあったので、エコノミーをアップグレードしてもらってビジネスで帰って行きましたが。 今後はずっとビジネスでと言いそうです。

それより僕が考えるのは、別に飛行機のシートでなくてもPCの前にずっと座りっぱなしでいると、同じではないかと。 特にこのHPを立ち上げたばかりの僕は、時間があるとすぐにPCの前に。 女房には、最近僕の姿は、後ろからしか見た事がないと言われる始末。 
実は最近椅子を新しくしたのですが、この椅子が短時間座った時にはとても快適なのですが、長時間座っていると、太ももの接触しているところが、圧迫されるというか、本当に血の循環が妨げられている感じがします。 これは椅子の位置とか(机の高さ、モニターの角度など)真剣に考えなければならないようです。 

一昨日に日本にいる親戚の娘から、メールをもらった。 つい先日生まれて初めてロンドンに行って来て、今度はオーストラリアにもと考えているようだ。 そのメールに、「友達とも話したのですが、今度の外国旅行は、日本人にやさしい国が良いねと話しています」とあります。
ウ〜ン、「日本人にやさしい国」って???と僕は考えてしまいます。  言いたいことは分からないでもないのですが。 近々「オーストラリアに住む」の方に人種差別の事を詳しく書く予定ですが、僕から見るとほとんどが勘違いに起因するものだと思っています。 特にそういうことには鈍感な僕は、日本を出てから27年、そういった差別の思い出はありません。

絶対に差別が有るのは間違いないのですが、今までこちらに来ている若い人と話して、そういう経験をしたことがあるというので、詳しく聞いてみると、人種差別と本質的に違う問題だったりが多いです。 
興味のある人はこちらで。 


 2001年3月25日

昨晩旧友からメールをもらった。 ずっと連絡が取れなくなっていたのですが、僕のHPを見つけたと。
で、ぼくのHPの中にわが両親が山口県の方に行く予定、というのが書いてあり、昨日の中国四国地方の地震で心配してメールを送ってくれたのです。 ありがたいことです。 僕は普段NHKを見ないので、地震の事はそのメールをもらうまで知らなかった。

実は阪神大震災が起きた日も偶然(その時は電子メールやっていなかった)日本にいる友人から電話があって、彼の日本での就職の事で話していたのですが、その彼(関東から)から今日阪神の方で大きな地震があったようですよ、と言われた時も(彼もその時点で被害の大きさを把握してなかったのもあるのですが)「あ、そう。 ところで面接の方はどうだったの」と、すぐに話題を就職の事に移してしまった。
地震大国日本ですから、しょっちゅう中程度の地震は起きてるという、感覚があって、まさかその時「阪神大震災」という名前がつくほどの大規模な被害が起きてるなんて夢にも思わなかった。
その時の思い出があるので、慌ててNHKつけたのですが、数名に方は亡くなられたようですが、大震災という名がつくほどの規模ではないようで、一安心。
この地震のニュースを聞いて、オーストラリアには地震がほとんどないという事を書きます。 全くゼロではありません。 確か16年位前にニューキャッスル(シドニーから北へ約100キロほどか)を震源とする地震が起きた時は本当にビックリしたものです。
ロンドン時代を含め、全く海外で地震を体験していなかったので、その日昼頃にちょうどトイレの中にいた僕は、ドシーンという感じの揺れがあった時に、うちの塀に車がぶつかったのだと思って、外に見に行きました。
全く何もなく、何も変わった事もありません。 縦揺れや横揺れ、また余震など一切無く、一回ドシーンです。 シドニーには全くの被害はありませんでしたし、日本ならあの程度の大きさは日常茶飯事でしょうが、ここで怖いのは、オーストラリアの建物、特に住宅では、一切の耐震構造などではないことです。 その上レンガを積んだ家ばかりですから、つぶれてきたら怖いでしょうね。
それよりも、全く地震はないと思っていたので、かなりの驚きでした。

しかしオーストラリアで地震はめったに起きないようです。 阪神大震災をこちらのテレビのニュースで当時見ながら、自分は海外にいるが、日本にいる友人、親戚があっという間に消えてしまうような、危機感を感じました。 自分が海外にいて助かっても、そんな事が起きたら、自分のルーツがすべて消えてしまうような、そんな危機感です。

僕の両親が、いつまでたっても日本に帰ってこない僕に痺れを切らして、僕が生まれ育った家を売ってオーストラリアに引っ越してきた時も、これで自分の帰るところが無くなったというような感傷に浸った事があります。

すごくこの感傷を表現するのは難しいのですが、例えば子供の時、屋根裏へハシゴを使って上り、友達と楽しく遊んでいたら、いきなり誰かがハシゴを取って隠してしまったような。
日本にいつかは住みに帰るというような気は無いはずなのに、その子供の頃の家がなくなってしまったという現実にはひどくショックを受けたものでした。 
子供の頃から親の転勤などで、いつも引越しをしていたというような方なら、そのような感情は湧かないかもしれませんが、祖父の時代から住んでいたその家は、永遠に存在するものとなぜか思っていたのでしょう。

ところが、今同じような危機があります。 実は母の弟、つまり僕の叔父が肺癌に倒れました。 彼は長男だったために「本家」を継いだのです。
ところが、その長男(つまり従兄弟)が、山口県を出ていて、家庭もあるし仕事もあるしで、戻る気は無いようなのです。
僕にとっては子供の時に、夏休みといえばそこで過ごした思い出の場所が消える可能性が出てきているのです。

オーストラリアでは、跡取とか本家を継ぐとかいう風習は全くありません。
オーストラリアの友人の中には家を6年前後で換え続けている人もいます。 今住んでいる家が飽きたから、気分転換に別の家に買い換えるという、車を買い換える感覚です。 借家でないので、かなりの出費にもなるのですが、それが当たり前と考えている人も少なくありません。

その点、僕がこういう感傷に浸ると言うのは、いつまでたっても日本人である証拠かもしれません。


2001年3月26日

昨日の日記に書き忘れていましたが、シドニーは昨日から冬時間。   
特に今年の夏時間は例年以上に長かったです。 というのは昨年の9月にシドニーオリンピックがあったので、毎年9月の後半に夏時間になるのが、アメリカのテレビ中継の要望もあって、1ヶ月以上早く夏時間が始まりました。
シドニーでコンピューターを使っていると、自動でその日から夏時間になったり冬時間に切り替えてくれるのですが、もちろんシドニーオリンピックの事まではプログラミングに入っていませんから、手動で、夏時間に直したら、今度は例年の夏時間になる日にまたPCが自動で1時間減らしてしまいました。

この切り替えは約6ヶ月ごとに、「1時間」時間が減ったり増えたりします。今回は1時間減るので、 日本との時差が2時間から1時間になります。 
オーストラリアに来るまで、この夏時間、冬時間の切り替えというのを経験した事が無かったので、ちょっと戸惑いました。 日本でも僕が生まれた頃には、夏時間というのが有ったらしいですが。
たった1時間ですが、最近はこういうものは無い方が良いと感じるようになりました。 
まず、家中の掛け時計や腕時計、電子レンジやビデオなど、いまや沢山のものが時計付きで、それをいちいち直さなければなりません。 物によっては簡単に1時間だけ変えられるのもありますが、中には(うちの場合はメモリー付きデジタルタイマーオーブンとかの)何度やっても忘れてしまい、その度にマニュアルを出す始末。
本当に面倒くさいです。 次に歳のせいか、たった1時間なのに食欲が無くなったりもします。 今まで12時半頃に食べていた昼食が、1時間ずれるので冬時間の時で言う午後1時半になるわけです。 特に冬時間から夏時間に変わる時は、胃袋の調子は11時半なのに12時半の昼ご飯になってしまうのと同じになので、全然食欲が出ません。

日本でもまた夏時間復活という議論が少し出たことがあったようですが、はっきり言って非常に能率を下げます。
だいたい時間が切り替わると遅刻したり、間違えて早く来てしまったりはよくある事です。
で、考えてみるとオーストラリアは、この夏時間の制度を、国民が生活をエンジョウイするために、取り入れている事がわかります。  
毎年6ヶ月ごとに時間がずれることで、生産性が落ちたってかまわないと言うか。 夏時間になる事で、ウイークデイでも皆がビーチに行ったり、まだ明るい中で、スポーツなどアウトドアーを楽しんだりするためにやっているように思います。  

こちらで仕事をやっていると、ビックリするほど自分の生活中心と言うのが分かります。 僕が日本に御影石のカタマリを送る時、コンテナー搬入は必ず立ち会います。 物によっては1個10トン以上もあるカタマリをコンテナーに入れるのは、僕の使っている運輸会社の巨大フォークリフトを運転するおじさんの、技術にかかっているのです。
このおじさんが絵に描いたような典型的なオーストラリア人です。 人も良いし、のんびりしていて。 で、ある時どうしても僕がその日の積み込みに都合が悪いので、一日ずらして欲しいと電話をかけたら、そのおじさんさん「明日のクリケットの試合は絶対に見逃せないから」と、簡単に断られてしまい、もう一日ずらして2日前にしたことがあります。

そのクリケットの試合は平日(金曜日)でおじさんはアルバイトではなく、正社員なのです。 少なくとも日本だったら、僕(お客)には、本当のことは言わないと思います。 「違うものの搬入があって予約が一杯だから」とか、別の言い訳を作ると思います。 「いきなり、今度の金曜日は野球見に行くから出来ない」なんて言いませんよね。

で、ここで日本流に腹を立てていたら、仕事にならないのです。 例えばそのことを女房に言ったらどういう反応が返ってくるかというと、「あらいいわね、今度のクリケットの試合は面白そうだもんね」だと思います。
例えば、救急病院の医者までがそういうペースではないのですが、べつに1日2日ずれようと、大丈夫な場合は、個人の趣味や生活が優先されると言うのは、多分オーストラリア(オージー)流なんでしょう。
僕もすっかり浦島太郎で、本当の事を言ってしまうこのおじさんを許せてしまいます。

夏時間冬時間の事から、すっかり話が飛んでしまったように、思われるかもしれませんが、実はこの「クリケット」こそが夏時間に切り換える事でベネフィットを受けているスポーツの一つだと、僕はにらんでいます。
何しろ本当にのんびりした、絶対に(もう一度繰り返して、絶対に)日本では受け入れられないペースのスポーツなのです。 
本当かどうか、このクリケットがオーストラリアで一番人気のあるスポーツであると言う人は多いです。 
何しろ3日間かけて1試合やるのですから!!!   


 2001年3月27日

友人が送ってくれる、日本のビデオ(テレビ番組)、を見ていてどうしても書かなければ、と思う事があります。
今日の日記は長くなりそうな予感。

発端は米潜水艦と、えひめ丸の事故の事です。 日本のマスコミや、一般の日本人の方が、どうしても理解できない、(しにくい?)「謝罪」についの両国の姿勢の違いについてです。 
僕にとっては両方の考え方が良く分かります。 どっちが悪いのかは明白だから、「なぜすぐ謝らないのだ」、という日本からの非難、これに対する米国側の姿勢です。 
これほど欧米と日本の習慣の違いを見せ付けてくれるものは有りません。
実は、ちょっと前に日本のタイヤメーカー「ファイヤーストーンつまりブリジストン」が、米国で販売していたタイヤに関連して、4WDの車の事故の多発した、と言うのをおぼえていると思います。
その時に、現地法人の日本人の社長が聴聞会に出るなり、謝ったのです。 その時点では、調査をして見なければ分からないし、その車を作っているフォードにも問題が有るのではと言う事もあったのに、いきなり謝ったのです。
つまり、原因はともかく少なくとも自社のタイヤを付けた車を運転した人が亡くなられたり、事故に遭ったりしているのだから、とりあえず謝罪という気持ちがあった事は分かります。 それを見た日本にいる日本人の方は、何の違和感も無かったというのも想像できます。

しかしそれを見ていた僕は、「大変な間違いをしている」と、ビックリしたものです。 僕はソニーやホンダという企業と並んで、ブリジストンも国際企業の一つだと認識していました。
ですからそのような大企業の米国法人のトップが、全くアメリカの習慣をわきまえずに、調査が始まる前から謝ってしまっていると言うのは、本当に驚きでしたし、「浦島太郎」の僕は、やっぱりブリジストンは100%悪いのが分かってるから最初から謝ってしまっているのではとも思い始めました。 
このように、ちゃんと調査の結果が出る前に謝ってしまうというのは、本当に日本的です。 ですから今回の潜水艦の艦長などが、すぐに謝罪しないために、日本から非難が起きているのも充分分かります。
どちらが正しいかを僕は論じる気はありません。 両方正しいかもしれないし、両方間違っているともいえます。
ブリジストンの例でいうと、謝る事によって、ブリジストンが悪いことをやっていたと印象を、よけいに米国民に与えたと思います。
つまり、誰も人を殺そうと思ってタイヤを作ってるわけは無いのですから、良く調査してみなければ本当の原因が分からないのに、こんなにすぐに謝ってしまったというのは、最初から危ないタイヤだと知っているのに無視して売っていたのではないかと、欧米人は思うでしょう。

逆に、潜水艦の艦長が謝らない事で、日本人はもっと感情を害していた事も事実です。
難しい問題ですね。 ただし、どっちかというとこの日本的な考え方の方が世界で見ると、マイノリティーです。 
マジョリティーだろうが、マイノリティーだろうが、日本の考え方の方が、絶対に正しいんだと思う方もいるでしょう。 ところがいまや国際時代、日本の企業は外国に出て行かない限り生き残れません。
日本なら社長が土下座して誤れば、みんなの感情が多少納まるかもしれませんが、欧米でそんな事やったら気味悪がられるだけです。

だいたい僕は日本のこの土下座という習慣自体が怪しいと思っています。 土下座で皆の感情が多少収まるなら、ある意味でこんな簡単な事はありません。 日本人はそこまでお人好しなのかもしれません。
今回の事故について、欧米風に言えば、いくら土下座してもらっても、亡くなった人はもう戻らないのだから、徹底的に調査して、取れる補償はビックリするほど、取れるだけ取る。 これですな。

オーストラリアに住みに来たいと考えている方には、そういう習慣の違いをどこまで理解できるかは非常に重要な事だと思い書きました。

もう一つ、これはだいぶ前の話ですが、グアムに観光に言った日本人が帰国する時に、便が遅れ(暴風で、その便がグアムに到着が大幅に遅れて)、空港で待たされていたが、キャンセルになり(空港会社はホテルを用意)その日本人は大事な会議に翌日でなければならなかった事もありあせって、その航空会社の職員に当たったらしいのです。
つまり、日本でもよくあるのですが、新幹線が遅れたりすると(それが地震などの理由でも)駅員の対応が悪いとか、ものすごくくってかかる人いますよね。
この日本人も、典型的なタイプだったらしく、キャンセルになった時にカウンターにいた職員の対応が遅いとか、謝り方が足りないとか言って、カウンターを手で、バーンとたたいたらしいのです。
どうなったと思いますか?
日本ならそういう文句を言う客がぎゃーぎゃー言っていたら、つまりカウンターのお姉さんの手におえなくなったら、上司とかが出てきてまた平身低頭で納得してもらおうとするでしょう。
そのグアムの女子職員は、すぐに警察に電話をして、彼は逮捕されてしまったのです。 カウンターを叩いたりの脅迫行為(?)で、警察に泊まらせられた彼は、他の乗客が次の日の朝1番の便で日本に立ったのに、彼だけまた1日遅れてしまったそうです。
暴風雨で飛行機が遅れたりキャンセルになるのは、悪気でやっているわけではないのに、必要以上にお客にぺこぺこ謝る必要もないし、ましてやカウンターを叩いて文句言う客何て、と思うのが欧米風なのです。

さて最後に、これを書いていて思い出したことがあります。
10年程前オーストラリアの釣り仲間が、自分のクル−ザーで、シドニー沖合いたった5キロほどのところで釣りをしていたら、いきなり浮上してきたオーストラリア海軍の潜水艦に突き上げられて、船が沈没してしまったのですが、すぐに助けられかすり傷程度で済んだのですが、船はピッカピかの新船を補償してもらったとか。
ぶつけられた彼は、その時にはすごくビックリしたようですが、後で話を聞いたら、まるで街で他の車に追突されたみたいな感覚で、補償してもらったというような感じでした。
その当時僕はやはり同じ海域に出て釣りをしていましたから、救命いかだ(沈むと自動で膨らむゴムボートのようなヤツ)を、随分高額でしたが買ったものです。
その思い出があるので、今回の事故を聞いた時にも、事故の大きさにはビックリしましたが(シドニーの時は急浮上ではなかったのでしょう)事故自体にはビックリしませんでした。    


 2001年3月28日

今日は朝から、お仕事で御影石のコンテナーへの搬入に立ちあう。 
この搬入作業はずっと順調に行っていたので、安心していたら、今回は全くのトラブル続出。
オーストラリアでは何事にもアバウトで、それが良さでもあるのですが、しかし今回はそれが裏目に。 4個のブロックの大きさが、予想以上に大きくて、1台のコンテナーに入らないのです。 つまり、「てんこ盛り」で必要以上に大きく切ってあるのです。
オーストラリアで生活していて、良く経験する事にひとつにこの「盛りが良すぎる」というのがあります。
お昼のサンドイッチバーに行って、ツナサンドを作ってもらうとします、するとオバサンはまずバターをパンに塗るのですが、まずこれからが半端ではなく塗ります。 
いまやオーストラリア人もヘルシー嗜好ですから、コレステロールの塊のようなバターを、少なめにしてくれと注文つける人も見るようになりました。
次に、レタスなどの野菜を置いてから、ツナサラダを塗り始めるのですが、これでもかというほど、つまり中の具があまりにも多くて上下湾曲しているというのでしょうか、ドラ焼きのように真中が膨らんだサンドイッチになります。
何かこれがオーストラリアでは当たり前なので、(もちろん量が多いから)誰も文句は言いません。 僕など見ていて、儲けが減ってしまうのではないかと思うことさえあります。
こういう感覚で、長さ2.5メートル、幅80センチ高さ70センチのはずのブロックが(普通はこの長さに7〜10センチの余裕をつけます)2.7メートル、110センチ、90センチの大きさの石もある始末。
今回は4個が1台のコンテナーにぎりぎりに入る計算でしたから、これほど盛りを良くしてくれてしまうと、もう完全に無理。
結局コンテナーを急きょ1台追加しましたが、それだけ経費が倍になってしまい、儲けが出ません。
今回のような事はある程度予想したので、くれぐれもちゃんと切って来るようにと言ったのですが。
オーストラリアの盛りの良さを、もう一度再確認しました。(トホホ)

下の写真は、御影石の原石。
こういう形で日本に送ります。
写真では小さく見えますが、それぞれ6トン以上あります。 4個目は到着が遅れて、この写真をとった時にはありません。 で、4個目が特に大きかったので、コンテナー1台に入れる計画はギブアップ


2001年3月29日

秋晴れが続いているシドニーです。 日本の桜の便りが聞かれる頃に秋が深まっていくオーストラリア。 この頃がちょうど季節が入れ替わり始めます。 そして約6ヵ月後の9月にまた逆のように入れ替わりるのです。

この時期に(また9月頃に)オーストラリアに日本から来る方は気候の違いがほとんど無い事に驚かれます。
逆に、1月などに来られると、日本は雪が降っているのに、こちらは真夏ですから、その温度差でオーストラリアは非常に暑い国だという印象を持つ方も多いと思います。
実はオーストラリアの夏は、日本より何倍も過ごしやすいのです。
特に日本の夏の暑さに弱い母は、オーストラリアに住んでいることの最大の価値は、この蒸し暑い日本の夏に、日本にいなくてよいと言う事のようです。 そういう事を母から聞いて、オーストラリアに遊びに来た友人は日本との温度差のために「やっぱり暑いじゃないか」となってしまいます。

しかしシドニーの夏は日本と比べて湿度が低く、木陰にいると涼しいので我が家でも、どうしてもクーラーをかけなければという日は1年に1週間ほどでしょうか。
ただし、これは同じシドニーでも住んでいる地域にも関係があります。 海に近いところほど、涼しい風が吹いてしのぎやすく、内陸部に入るとかなり違ってきます。 気温自体30度を超える日はしょっちゅうなので、もし将来シドニーに住みに来ようと思っている方は、この点は注意してもらいたいです。
日本の感覚では、1000万円も出せばオーストラリアでは、庭付きプール付きの一戸建てが買えるイメージがあるようです。
しかし、その価格帯で海に近い、涼しい風の恩恵を受けるところは皆無です。
土地の広いオーストラリアですから、ちょっとへんぴな所へ行けばそのような売り物はあるでしょう。
良く考えてみれば、日本でも山奥へ行けばやはりあるはずです。
しかし日本で、1000万円も出せばいくらでも庭付きプール付き(プールは、このさい特殊ですが、オーストラリアでは、プールはすごく安く作れるので。)の一軒家が買えるとは、誰も思いません。

さて、話を気候の話に戻します。
日本が真夏の時に(夏休みなどを利用して)オーストラリアに来る人は、ちょうどその時期シドニーは真冬ですので、泳げないと言ってがっかりされます。 真冬でも日本の冬と比べたら寒いうちに入らないのですが。 
シドニーで、とりあえずビーチのシーズンと言えるのは10月くらいから始まって、4月のはじめ頃まで続きます。
つまり1年の半分は海のシーズンなのです。 オリンピックでビーチバレーを見た方も多かったと思いますが、ボンダイビーチで開かれたこの競技の雰囲気はまさに真夏でした。 

海好きの人には最高です。 オーストラリアにはサーファーズパラダイスと言う素晴らしい名前が付いた所がクイーンズランド州にあります。
ここもビーチが沢山あって有名ですが、夏には湿度が上がって、僕には暑すぎます。 ですからシドニーにいる人たちは、シドニーが真冬の時に、行くことが多いです。
また、メルボルンは夏に異常に暑くなります。 これも地形のせいで、内陸部からの熱風がメルボルンに流れ込むからです。
メルボルンで、エアコン無しで生活するのはかなり厳しいです。 その上メルボルンの冬は非常に寒く(雪が降るほどではありませんが。)やはり厳しいです。 

と、なにやらシドニー紹介のような事になってしまいましたが、今日書こうと思ったのは、わが老犬の事です。
人間の歳で84歳になろうとする愛犬のハナはここへ来て大型犬(シェパード)特有の関節炎で(リュウマチのような)でめっきり老け込んでいます。 歩くスピードも遅くなっています。 今日は朝肌寒いと思ったら、散歩に行こうと僕が支度をしているのに、起きてきません。
目は開いているのですが。 普通ならわれ先にと玄関のほうに行くのに。
どうやら寒くなって、この関節炎がこたえているのかも知れません。
近々、獣医に連れて行ってやらねばと思う今日この頃です。

さて、今日はちょうど昼飯時にボンダイビーチを通りかかったので、持っていたデジカメで、数枚撮ったのですが、天気は快晴秋晴れなのに、なぜか写真がボケ気味、ちょっと変です。 ボンダイビーチをうまく表しているとは思えないが、このような秋の平日の昼時にも、結構多くの人がビーチでごろごろ。
写真はここから


 2001年3月30日

そろそろ女房が例のキャンプから帰ってきます。 一人静かにこのHPの中を、少しは増やせると思っていたのに、なぜか娘が毎晩いました。 
で、娘からほぼ毎晩手に入れたばかりのノートPCの質問責めでした。
Win2Kと、Win98ってそんなに違わないのに、少しは自分でおぼえてくれ。
女房がいる時は、しょっちゅう夜は友達と出かけているのに、親父が一人で寂しいと思うかもしれないと、考えてるのでしょうか? 
それとも監視役かな?

このHPを更新していて、ふと気が付いたことがあります。
それは、人の名前や行った場所、また時期などすぐ忘れてしまう僕は、「記憶力がすごい」女房にいつも聞いているのに、キャンプに行ってそばにいなくて不便だということ。 特にこのHP更新では。

こう書くとなんか自慢しているようにとられてしまうかな。 いややっぱり自慢かも知れないです。 2年程前までは。(これの答えは最後の方に)

少し詳しく書きます。
僕が女房と一緒になってから、「そういえば彼女は何か聞かれた時に、なぜか答えるのが早いな」 とは気が付いていました。
カテゴリーはかなり広く、文学、地理、歴史、政治とほとんど網羅しています。 しかし僕から見ると、「記憶力が良いだけ」だという程度の認識でした。 こういうのを「頭が良い」とは言わないと思っていました。
特に彼女、数学系はまるで駄目でしたから。

ロンドンからオーストラリアに移って来てすぐの頃です。(1982年) 
いつも夕食事にやっている、テレビのクイズ番組「セールオブザセンチュリー」を見ていた女房は「私も出たい」と言い出しました。 僕はテレビのクイズ番組なんて、視聴者参加の程度の低い、バラエティー番組の一つくらいに思っていましたから、「恥ずかしいから止めてよ」と言うのが最初の反応でした。 言われてからその番組が気になって見ていると、ミーハー的な問題(それも無いではないですが)だけでなく、女房の得意な文学、政治、地理、歴史などなど、結構面白そうです。

この番組は、前日からの勝ち抜き者が挑戦者二人相手に、早や押し(3人同時にボタンを押す)をして競うのです。 そして勝つたびに得点が増えていき、その得点で、もらえる商品が増えて(高く)なっていくのですが、もらったらそこで終わりで、次の日からは勝ち抜き者不在となるルールです。
で、最後まで商品をもらわないで、勝ちつづけたらチャンピオンということになり、総ての商品と、チャンピオンとしての賞金ももらえるのです。

女房はテレビ局にはもうすでに申し込んでいたらしく、オーデションの通知も来て、挑戦者として選ばれるのを待っている状態でした。
とても多くの人が申し込んでいたのに、運良く2ヶ月ほどで、出ることが決まり、家内は録画撮りのためにメルボルンに呼ばれて行きました。
録画撮りは1週間分まとめてやります。

その時点でも、僕はしぶしぶでした。 この番組は商品および賞金の額も多く、毎晩月から金までやっているのですが、視聴率がオーストラリアの番組の中で常にトップを維持していたそうです。(当時)
全くと言っていいほど期待していなかった僕は、テレビに出て一問も答えられなくて恥をかかなければ良いがと思っていました。

ところがその日の夕方メルボルンのスタジオから電話があり、水曜日の分から挑戦者として出たのだが、その時の勝ち抜き者を破りその週の録画撮りが終わった時点で、まだ勝ち抜き者として来週も戻ってくるか聞かれるというのです。
僕としては半信半疑でしたが、まだ3日分しか勝ち抜いていないので、商品もたいしたことなく、また来週もメルボルンに戻りたいというのを承知しました。 で、シドニーに帰って来た女房に話を聞くと、もう少し練習をして最後まで勝ち抜いてチャンピオンになりたいというのです。

そこまでやりたいというのならと思い(1日でぼろ負けで恥をかかなかっただけでもマシかと)ある提案をしました。 彼女が録画撮りに行ったのは、数ヵ月後に放送される分ですから、シドニーに戻って次の水曜日に行くまで一週間毎晩この放送を録画して、番組が終わってからビデオで見る。で、見ている途中で答えが分かったらすかさずリモコンの一時停止のボタンを押す。 するとテレビの出演者より、早いか遅いかが(だいたい10分の一秒での戦いですから)すぐに分かる。 また先に押して、答えが出てくるまでに、この方法だとテレビの出演者の答えが聞こえない。

なんか、恥ずかしいと言って、テレビに出るのを反対していた僕が、突然ステージママ(パパ?)というか。

で、次の週にも全部勝ちつづけてしまい、とうとう3週目に入ってしまったのです。 テレビ局側も久しぶりのチャンピオン誕生と、最後の週にはメルボルンに僕も娘も、そして何と日本から偶然遊びに来ていた僕の母まで呼び寄せてくれました。
そうなるとかなりのプレッシャーが掛かります。 三週目に行くころには女房は軽く3〜4キロ痩せていました。
なぜそんなにプレッシャーがあったかって?
商品それにチャンピオンになったときの賞金合わせて、当時(1982年)
のレートで日本円に直すと4000万円を軽く超えていたのです。

録画撮りには(当時5歳だった娘もスタジオに入れと言われ)後2日分勝てばチャンピオンということになりました。 最初の晩も勝ち、いよいよ最後の晩の収録も大詰めという時に、観客席いる5歳の娘がむずかりだしたのです。 「おちっこ、おちっこ」です。 声も大きくなるので、慌てて娘を連れて、スタジオを出てトイレに駆け込みましたが、まだむずかって、スタジオに入れる雰囲気ではありません。
スタジオにやっと入れた時には、女房は勝っていました。 信じられない事に、チャンピオンというのです。

その時にもらった商品の数は大小合わせて、50以上有ったと思います。大は別荘用のログハウス、BMWの5シリーズ、電化製品、腕時計(スイス製18金の)、食器などなどテレビ局が総ての商品をリストにして送ってくれたのですが、2ページにもなっていました。
賞金も日本円で約1500万円。商品とのトータルで4千数百万円だったとおぼえています。(もう遠い過去ですが)

その後いろいろな事がありました。 その辺は、またに機会に書きますが(もう20年近く前になるのですね)

最後に、上で 「2年程前までは」と書いた理由を。

僕と同い年の女房は、2年程前からものすごく寝汗をかくようになりました。 中途半端な量ではなく、気持ち悪いくらいで、とうとう医者に行きました。 最初は更年期障害と思っていたのですが、医者はすぐに彼女の甲状腺が肥大しているを診察室に入るなり見抜きました。 喉仏の近くにある甲状腺は確かに言われてみると、大きいです。
この医者にすぐに専門医を紹介してもらって、診察の結果、「橋本病」の可能性がと言われました。 
今までこんな病名聞いた事ありません。 一緒に日本人の僕が付いて行ったので、病名に詳しい専門医が日本語の病名を僕のために言ってくれたのかと思ったのです。
ところが、何と「橋本病」とは日本人の医者の名前が付いた病名では世界でいちばん有名だというのです。

これになると、物忘れや居眠りがひどくなるなど、その時に言われた数々の症状を聞いて、その場で我々は言葉が出ませんでした。
なんと、ちょうどその前から、「何で彼女はそんなことも覚えていないのか。何か悩んでいることでもあるのか」と思うほど変だったからです。
また二人でとても気に入っているテレビの番組を見ていても、長椅子で
コックリコックリ寝ています。
学校の仕事で、最近は疲れているのかなと、心配していたのです。

この件はもっと詳しく、僕のヘリコバクタ−ピロリ菌の事を書く時にまとめて書きますが、そんなことで、もはや昔の「チャンピオン」の女房ではありません。 しかしあまりに人より物覚えが良かったので、その病気になっても、平均的な人のレベルで言ったらまだマシな方で、教えたり仕事に差し支える事はありません。

それにしても、日本人の女房になったら、かかる病気まで日本名になってしまったと彼女はけらけら笑っています。
この病気は治療法がまだ無いのですが、とりあえず(悪性=癌)ではないので今のところ少しは安心しています。

この日記を書き終えた夕食時、彼女から無事学校に到着したと電話が入りました。 


     2001年3月31日

数日前のこと、郵便受けに手紙類に混じって、オーストラリア政府発行の小冊子が入っていました。
オーストラリアでは麻薬問題が深刻化しているために、全国の家庭にこの種冊子を配布したのです。
日本でも覚醒剤など、若い人への汚染が問題になっていますが、ここは日本の比ではありません。

「OUR STRONGEST DEFENCE AGAINST THE DRUG PROBLEM.」
とタイトルのついたこの小冊子の中を少々書いてみます。

1998年、14歳から19歳の若者のうち38.3%が、何らかの種類の違法薬物を使用した。 (大麻を含む) またそのうち1%はヘロインを使用。

麻薬(違法薬物)使用者の10人に9人が、有人や知り合いから手に入れている。

成人男子の窃盗犯のうち86%が、麻薬経験あり。

1997年から98年において、違法薬物使用による入院が14400件を越えた。

麻薬(違法薬物)がオーストラリア社会に与える被害は、年間17億豪ドルと推定。(日本円で1000億円以上)

1998年、違法薬物使用による死亡は1021人。 そのうち648人は年齢15歳から34歳。

上を読んで皆さんはどう感じますか? 麻薬は国を滅ぼすといいますが、オーストラリアにとってはまことに深刻な問題です。
数代前のオーストラリアの首相の娘までが、ヘロイン中毒者だった事が表面化したほどですから。

それを暴露された首相は、テレビで釈明の記者会見をしました。 
その会見は僕にとって色んな意味で、本当に印象的でした。
その娘とボーイフレンドが麻薬患者で、リハビリを受けていると認めた上で、自分の親としての責任を痛感していると話しながら、ぼろぼろ泣き出したのです。 当時多くの国民が感じていた、彼の首相としての(政治家としての)印象は、「タフな労働党のリーダー」といったところですから、涙「ポロポロ」とは程遠いものでした。 テレビの画面一杯に彼の顔がアップに映し出され、涙でくしゃくしゃなその表情を見た僕は、日本の政治家だったらこんなに泣くだろうかと考えました。
またもっとビックリしたのは、その件で彼が首相を辞任という事態にはならなかった事です。
もしこれが日本だったら、辞任すべきかどうかの議論さえ起こらずに辞任していたでしょう。
これも両国の(むしろ日本と欧米の)考え方の違いを見せ付けられたものです。
この違いについてはオーストラリアの生活の方で今度書いてみたいと思っています。
特に日本のテレビを見ていると、マスコミの報道の仕方の違いがあまりにも大きいので。 例えば、最近日本で起きる未成年の犯罪(17歳の犯罪は有名です)に対して、本人以上にメディアにさらされ、弾劾を受ける親や親戚という、ある意味では「超日本的な」事も書いていきたいと思います。

さて、この小冊子の最後のページには麻薬問題のホットラインのための電話番号があるのですが、さすがマルチカルチャーの国、アラビア語から始まって、16ヶ国語のホットライン電話番号が出ています。 その中には中国語も、韓国語も含まれていますが、日本語は例によってありません。
「例によって」というのは、例えばオーストラリアで運転免許を取得しようとする時に、学科試験を受けるのですが、学科試験はコンピューターの画面に向かって選択試験ですが、日本語だけはありません。
上のホットラインのように韓国語も中国語も用意されていますが、日本語は無いのです(最近調べていないので日本語が追加されている可能性も無いではないが)。
日本人の在留者など絶対的にマイノリティーだからと思うかもしれませんが、実は韓国語も中国語もそれぞれの言葉を使うソサエティーや、政府の協力で出来ているのです。 ちょっと分かりにくいかもしれませんが、こちらにある日本の大使館などが、協力(資金的にでも)して、英語を日本語にすれば、オーストラリアの政府も、運転免許用の試験で、日本語を入れるのに反対するはずは無いのです。 韓国も中国もやっているのに、日本はこういうことにはとても腰が重いです。

この麻薬ホットラインは日本語が無いという事が、日本ではあまり麻薬問題がないから必要ない、ということなら結構な事なんですけどね。


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