家族


 

2001年4月

ここでは、僕の家族について書くことで、定年後海外移住を考えている人へ
の参考になればと思っています。

女房は同い年生まれ。 シドニー出身です。
1969年から早稲田大学文学部に留学して、古典芸能を研究していました。
早稲田大学の大学院に進んだ時には、同級生に小沢昭一さんがいらっし
ゃいました。 当時、外人(この表現は僕も好きになれないが)としてだけで
なく、女性として初めて、国立劇場で歌舞伎役者養成所の2期生に入れて
いただいて、舞、三味線、鼓から殺陣まで全てを学ぶ経験をしました。
教えていただいた先生の中には何人もの人間国宝がいらっしゃいました。
人間国宝から直接指導を受けたなんて素晴らしい経験です。

今はシドニーの女子高校で、日本語を教えています。

娘は1978年生まれ、今年(2001年)大学卒業のはずが、今度は大学で
HONOURSのコースを続けると言い出して。 いつまでたっても心配です。

父は1914年生まれ、母は1923年生まれ、この二人のことはここで詳しく
書く必要が無いほど、日記に登場してくると思います。
1987年からシドニーで一緒に住んでいます。 オーストラリアには本当に珍しい3世代同居家族です。

2004年2月

思い出してこのページを更新しようと見たら、随分事情が変わっています。日記をごらんの方はご存知だと思いますので、一応簡単に最近事情を。
まず女房は2003年末をもって先生業をリタイヤ、今はテニス三昧の日々を送っております。 

娘は卒業して、医科学研究所で癌の研究をしております。

父は2002年5月に他界いたしました。 皮肉な事に娘の研究している癌でした。

母はいたって元気で、オーストラリア日本を毎年往復して生活をエンジョウイしております。


No.1 2001年4月

第一次ベイビーブーマーの僕らにとって、両親の問題というのは切り離せ
ないと思う。 つまり、年老いた両親を残して、海外にリタイヤーできる環境
の人は良いのですが。

僕の場合は、オーストラリアに両親を呼び寄せてしまった。 父は1914年
生まれの87歳、母は1923年生まれですから、今年で78になりました。

僕がまだロンドンに住んでいた頃、両親は何度か遊びに来てくれた。 
まだまだ彼らが現役の頃で、一緒にヨーロッパの各地を回ったものでした。 
当時僕はロンドンに永住すると決めていたわけではなかったけど、両親は
ロンドンで老後は僕と一緒に住みたいとは思わなかったようです。 

しかし1980年に僕が女房の故郷であるシドニーに移って来てから、彼ら
の外国に対する考え方が変わったようです。 シドニーは日本から来る人
にとって、時差も少なく、気候も温暖で年老いたわが両親は、すぐに気に
入ってしまい、将来は住みに来たいと思い始めたのです。

1987年に引退した両親は、オーストラリアに移って来ました。
住みに来たのです。 英語は全く出来ません。 今まで海外に住んだ経験
も皆無です。 しかし全く問題無く、以来14年間彼らはオーストラリアの生活をエンジョウイしています。

細かい事は今後書いていく予定ですが、両親がまだ御健在の方には参考
になるかもしれません。

わが両親の毎日を見ていると、全く外国に住んでるという意識はありません。 
テレビは(ケーブルですが)N.H.Kが見えますし、(シドニーで言えば)日本人
経営の店はほとんどの業種が揃っています。

レストランは言うに及ばず、医者、弁護士、計理士や、食料品店、美容院、
自動車整備工場、etc,etc 無いものをあげる方が難しい。

と、何やら老人のための移住って感じになってしまいましたが、そのような
高齢者でも不自由なく住めてしまうところなのです。 


No2

女房のリーは、日本語の先生を始めて来年(2002年)で20年を迎えます。
オーストラリア人の彼女にとって、日本語は1969年に日本に留学して
初めて接したのですが、日本にいた5年間でかなりのレベルまで上達し、
早稲田大学の文学部修士科で卒業の年は、当然のように日本語で卒論
を書いていました。

その後僕がロンドンに移り住むことを決めたために、彼女もその後の研究
を、ロンドン大学に移し博士課程を始めたのですが、内容が内容だけに
どうしても日本にいないと(研究資料の入手など)困難になってしまいました。

そこで、一人で日本にまた戻るか研究を断念するかの選択があったので
すが、結局はロンドンに残りました。
ですから彼女にとっては、日本に住んでいたのは実質5年ほどになります。
1982年にある友人の紹介で、シドニーの高校で日本語を教え始めたの
ですが、彼女にとってはとてもぴったりな職業だったようで、あっという間に
20年近くが経ってしまいました。

僕から見ると、彼女の日本語はパーフェクトではないけれど、全くゼロから
日本語の勉強をスタートするオーストラリア人の高校生に教えるというのは
大いに彼女自身の経験が役に立っているようです。
つまり彼女も同じような経験をして日本語を身につけたために、同じ英語を
しゃべるオーストラリア人の身になって教えることができるということです。

毎年毎年彼女の教え子が、HSCという全国共通試験(この点数によって
行く大学や、専攻できる科目が決まってしまいます。)で、トップランクの
成績を取れるのも、彼女の教え方がうまいからだと思います。

何か手前味噌のような話になってしまいましたが、ここで書きたかったのは、彼女の教え子たちの日本語のレベルについてです。
彼女たちは(今は女子高で教えています)高校に入るまで、全く日本語
に接したことの無い状態で授業を受け始めますが、卒業前のHSCの試験
の頃には、唖然とするほどのレベルに達しています。

ここ数年僕は家内に頼まれて、試験前の最後の仕上げに学校に出かけて
模擬試験官をやるのですが、毎年毎年驚きの連続です。

日本では英語の勉強を始めるのは確か中学の一年からだと思いますが、
高校卒業までの6年間勉強して、これほどのレベルに達しているでしょうか。
自分の経験を振り返ってみても、まるで差があります。

この理由を書き出したら、いくら書いても足らないほど多くの理由が考え
られるのですが、それは日本の語学教育の欠陥を指摘することになります。

この後は彼女の日本語教育のやり方を紹介することで、日本で英語を学ぼうと思っている人たちの上達のヒントになればと思っています。

続く



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