ロンドンの思い出


このHPの中でオーストラリアのことばかり書いてしまっています。 住んでいる長さが違うのも理由の一つですが、このHPの主なテーマである「海外で生活する」という事に関しては、どうしてもオーストラリアの方を薦めたいからです。 
しかし、もし二十歳代の若い日本人に、外国に行ってみたいが、どこがお勧めですかと聞かれたら、間違いなく「イギリス」いや、「ヨーロッパ」と答えるでしょう。
今振り返ってみても、僕にとってロンドンにいた6年半は最高に楽しかった時期でした。 (でもまた住みに行きたいかと聞かれたら答えは「NO」 はっきり「NO」ですけどね。)

初めてロンドンに行ったのは1973年約1月足らずの旅行でした。 当時は船を使ったシベリア経由で行くのと、エアロフロート(ソ連航空)で、モスクワ経由で行く方がちょっと高いが、どっちにしようかと迷うような頃の話です。 当然歳も若く、お金があるわけではありません。
また当時は、我々が買えるような料金のツアー旅行というのが、有ったか確かではありません。 
最初から旅行は一人で、行き当たりばったりで、と決めていました。 
当時フリーランスで広告関係の仕事をしていた僕は、やっと取れた休みを利用して、ちょっと見てくるかという軽い気持ちで出かけました。 もちろんイギリスを選んだのは、ビートルズを始めとする「若者カルチャー発信源であるロンドンに行くんだ」という当時の僕にとって当たり前の選択でした。

安く手に入れた航空券は羽田発モスクワ経由のパリ行でした。 パリからはドーバーをフェリーで渡れば安く行けると考えて、ロンドン直行便にはこだわりませんでした。 
行きの機内では初めての外国旅行で、ちっとも眠れません。 それでも興奮していた疲れが出たのかウトウトした頃には、もうパリに到着だという機内放送。 ものすごいロシア訛りの英語の機内放送です。 当時は英語もほとんど出来ず、機内放送はパリがどうのこうのと言っているなという程度の理解力。 真っ暗闇の中に見える空港の灯りが飛行機の窓から見え、これが「パリの灯か」なんて、ロマンティックに感激してました。 

通関を済ませ、空港内で、早速日本円をフランに換えて、うーんこれがフランスのお札か、なんて見ていると、どうも周りが変です。 一緒に到着して通関を済ませて出てきた日本人達も、困惑した様子で集まっています。 と、その中の一人が言いました。 「ここはパリではないみたいだっ!」 「エー???」です。 じゃあ、いったいどこなんだって、もうパニックです。 今換えた金だって、フランって書いてあるぞー。 
「えっ!ブラッセル?」 「なにー! ここはベルギーかっ?!!」。  お札もフランスフランではなく、ベルギーフラン!

後で知ったのですが、機内放送は、「今パリ、オールリー空港はストライキ決行中で着陸出来ませんので、ベルギー、ブラッセルに到着しました」と、言っていたそうです。 
到着した時間は夜の8時、じゃーそこからパリまでどうやって行ったら良いのか、それとも今夜はブラッセルのどこかに宿を見つけなければならないのか。 頭の中は混乱してます。
それより大体アエロフロートは、モスクワで(トランジット)何にも言ってくれませんでした。 
ブラッセル空港に着いても、係員もいません。 あせって空港内をいろいろ調べてみると、どうも(日本人以外の)客はバス乗り場の方に向かっています。何も分からないままついて行くと、沢山のバスが停車していて、皆どんどん乗り込んでいます。 バスのドライバーに聞くと、パリに行くから乗れと言うのです。 渡りに船(バスですな)と、乗り込みますが、これがいったい無料なのか有料なのか、誰が用意したバスで、パリのどこに行くのかなんて、考えてるひまさえありません。 不安な気持ちで一杯です。 

バスは何時間も走りつづけました。 不安になりながらも、暗闇の中を過ぎていく街の明かりを見ていたのを思い出します。 それでも長旅の疲れが出たのでしょう、ウトウトとしていた現地時間の朝4時過ぎです、バスが静かに静かにオレンジ色に燈るコンコルド広場に入って来た時に目がさめました。 

その時バスの窓から見たこの広場のシーンは、一生忘れられない思い出です。 
夜明け前のこの広場のシーンはまるで、フェリーニの映画の一シーンのような、不思議な雰囲気を醸し出していました。 そのような広場には全く無縁な日本しか知らなかった僕には、何とエキゾチックでロマンティックだったことか。 
眠い頭の中で、僕はまだ夢を見ているのではないかとさえ考えていました。 
夢の中で映画の1シーンを見ているというか。 何しろ何がなんだか分からないうちに乗り込んだこのバスの到着先が、コンコルド広場なんていうのも教えてもらっていなかったのですから。

これが僕にとって最初の「外国」の最も印象深いシーンです。 その後の僕の外国生活は、このシーンから始まったかもしれません。 それほど強い衝撃を与えてくれました。

続く 


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