国際結婚
このページでは日本人とオーストラリア人との国際結婚に限らず色々書いていきたいと思います。
書くのが苦手な僕は、このサブジェクトに関しどう書こうか随分迷いまた。
結局、ほとんどを実例であげて、うまくいっているケース、駄目になったケースを書いていくのが一番分かりやすいのではと思い、僕の知っている範囲で分析していきたいと思います。
国際結婚というと日本人からだけでなく、オーストラリア人からも好奇な目で見られていると感じる事はあります。 これこそがこのページを書くきっかけでもあります。
つまりあまりにも偏見や誤解が存在します。 それらが少しでも減ったらと願っています。
また国際結婚しているカップルや、これから一緒になろうと考えている人達にも参考になれば良いと思います。
その1
まず最初に自分のケースを書いてみます。
夫日本人53歳。 妻オーストラリア人53歳。(2001年4月現在)
とりあえず、僕は国際結婚大賛成派。 気がついたら僕の女房は日本人ではなかっただけ、というのが正直なところです。
僕の結婚観、国際結婚については、少々僕のバックグラウンドから書くべきだと思います。
考えてみると、僕が国際結婚をしたというのは、僕の幼児体験に関係しているからです。
典型的な見合い結婚をした我が両親は、不仲の時期が長く、僕が子供の頃は、常に揉めていました。 子供の頃の思い出といえば、常に姑も巻き込んだ家族の揉め事で、何度母は家を出た事でしょう。
母は実家に戻ってしまった時もありますし、友人の家に雲隠れということも何度かありました。 小学生だった僕は、原因は良く把握出来ず、夜遅くまで続く家族の口論に居たたまれない気持ちで一杯でした。
つまり家族中が集まって、揉め始めると、また母が出て行ってしまうという恐怖感。 中学に入る頃から、少しずつ僕なりに家族の問題を分析するようになりました。
まず見合い結婚です。僕の親が結婚した当時ですから、こんな事があったのかと思われる人もいると思います。 母はオヤジと見合いをした時、見合いの席で、よく顔さえ見なかったといいます。 彼女の意見などは全く関係なく、つつがなく見合いが終わった時には、すでに結婚が決まっていたそうです。 東京にいたオヤジは見合いのために山口県に来て、見合いをした後すぐに帰京してしまったために、次に顔を会わせたのは結婚式の時だったのです。
「背が自分より低かったのだけは覚えていたけど」と、母は言います。
なんか通り魔に遭った被害者が犯人の特徴を話してるみたいです。
好きか嫌いか、なんて全く関係ない世界です。
結婚式を終えた母は、すぐにオヤジの住む東京に嫁いで行きます。
しかしそこは、「舅、姑、小姑、」が待ち受ける家でした。
そこからはまるでオシンの世界のような話の連続です。 嫁イビリというやつです。 それに耐えられなくなると、母は実家に逃げ帰るか、数少ない東京で出来た友人のところに身を隠しました。
このような問題の諸悪の根源は「見合い結婚と、大家族主義」だと幼い僕は分析したのです。
顔も良くおぼえていないような見合い結婚、親戚まで巻き込んだ本人無視の家族会議。 別れたくても別れられない母を見ていて、「結婚は絶対にしない」と子供心に決めていました。 結婚という制度にがんじがらめに縛られて、苦しんでいる母を見ていてのことです。
この子供の時の決心は、何と僕が成人に近づく頃には、偶然にある種の流行にもなっていました。 つまり当時吹き荒れた反体制の運動は、結婚という制度も否定したのです。 自分の考えは間違っていなかったと、変に勇気付けられたものです。
一緒にいたければ一緒に住めば良い。 どこが同棲と結婚の違いがあるのだろうかと。 結婚があるから離婚があるのだと。 当時は同棲などというものはかなり、白い目で見られた頃です。( 日本ではいまだに白い目で見られているかもしれません。)
そして今の女房との出会いがあります。
当時彼女は早稲田大学の留学生でした。 知り合って間もなく、同棲を始めました。 同棲を始めて間もなく彼女の親父がオーストラリアから日本に遊びに来たことがあります。 同棲相手の親父が来るに関して、会うべきかどうか迷いました。
結局親父がオーストラリアに帰る直前に、僕が鎌倉を案内するということで、会いました。
僕は日本人のガールフレンドがいた時、その親に会ったというような経験は一度もなく、ましてや同棲というのもしたことがありませんでしたから、どういうふうに親父に接したものかと迷ったのを覚えています。
しかしとてもスムーズに事は運びました。 その上親父にとっては自分の娘が「日本人」と同棲していて、将来どうするのかというような心配があったはずなのに、そのそぶりも出さなかったのです。
その時に僕は日本人のガールフレンドの親父に会うというのとは違う、気楽さを感じました。 そうか、日本人相手だから、家族的な問題も出やすいのではないかと考えたのです。
その後僕の主義通り、また彼女の当時のリベラルな考え方もあって僕らは8年間同棲しました。
ロンドンで娘が生まれる事になり、僕が日本人、母親になる彼女がオーストラリア人、生まれてくる子はイギリス国籍というような状況の中、我々が籍を入れていないままでは将来娘が成人する時に、日本国籍を選びたいと思った時に障害になるのではないかと考えました。
そこでロンドンの区役所で形ばかりの結婚式をしました。 結婚証明書にサインを入れて、来てくれた少数の友人に祝福を受けました。 両方の親は誰もいません、何しろ結婚した後報告したほどですから。
ここまで読んでお判りいただけたかもしれませんが、僕らの関係は決してオーソドックスではなかったということです。 その辺を御理解の上、僕の結婚観などをご覧下さい。
まず僕が日本人以外と結婚(僕の場合長く同棲期も含む)したことで、最初に出た障害は、自分の親や親戚でした。
母は僕が「外人(いやな言葉です)」と同棲を始めたと知ったときには、寝込んだそうです。
当時家を出ていた僕は、親には何も言いませんでした。 あるきっかけで親の耳に入ることになったのですが、僕は無視し続けました。
もし僕が当時会社員をやっていたら、日本人同士のカップルよりもハンディが有ったかもしれません。 これはいまだに有るかもしれません、特に企業によっては。 当時僕は広告関係の仕事をしていたので、その辺は問題はありませんでした。 まだ「外国人」が少なかった当時ですが、一緒に住んでいたのが六本木でしたから、全く問題はなかったです。
ただし同じ東京でも場所によっては珍しく、日本に住んで6年目を迎えようとしていた彼女は「外人」という言葉に疑問を感じ始めていました。
つまり外人である事で、得な場合も多かったのですが(珍しかったから)いつまでたっても「外人」と呼ばれるということは、決して日本人が彼女を本当の意味で受け入れていないと感じたのです。
さて、同棲を始めて4年ほどたって僕らは一緒にロンドンに移ります。 ロンドンでの生活はこの国際結婚という意味においては、まったく平穏無事でした。 しかし、ロンドンでも国際結婚した数カップルとの付き合いがありましたが、残念ながらそのすべてが後に破局を迎えます。
何より残念に感じたのは、同じ時期にロンドンに住んでいた僕の高校時代の同級生が、子供が出来てすぐ別れた(相手はスイス人の女性でした) 時に言った言葉です。
「田邉、やっぱり女房にするなら日本人のほうが楽だわ」
このように考える日本人、(特に亭主が日本人の場合)は決して少なくありません。 言いたい事は分からないではないのですが、僕の一番嫌いな言い訳です。
結婚するから離婚もあるのです。 別れたければ別れれば良い、離婚を否定しているわけではありません。 別れる理由はそれぞれですが、それが「外人」だからと一まとめにするのには納得いきません。
僕にとって国際結婚とは、違う国の全く違うバックグラウンドを背負った2人だからこそ素晴らしいことが一杯あるのです。 違いが有るから困難が有るのは認めますが。
この30年の間に、お互い強く影響しあってきたわけですが、僕にとって最初の10年はいわゆる「目からうろこ」な経験は多くありました。
「そうかそういう見方もできるんだな」と驚きの連続だったといっても過言ではありません。
物の見方、判断、価値観、など等確実に大きく変わっていく自分が見えました。
古ーい日本の保守的な家庭に育った僕にとって、場合によってはとても理解しにくい事もありました。 自分が当たり前だと思っていた事が、全く当たり前でない、正しい行動や言動だと思っていた事が違う。
初めて日本の常識が世界の常識ではないと思い知らされた時でもあります。
しかしそれらのすべてが今となっては楽しい思い出ではあります。
ここで書いているのは我々だけに限っているわけですが、今までのところ(30年間)うまくいっている理由を少し分析してみます。
月並みな表現ですが、違う人間が一緒になったのですから、お互いあるところまで歩み寄る事が必要でした。
歩み寄るということに苦痛を感じる人は、歩み寄ら無くても良い相手を見つければすむでしょう。
しかしあまりにもバックグラウンドが違う二人ですから、歩み寄らなければ今まで続いていなかった事は確実です。
僕は日本人の若い人に、田邉さんは女房の尻に敷かれていますねと言われたことがあります。 僕より20歳近くも若い人に言われたのですが、別に僕には驚きではありませんでした。 僕の私生活を見ると、この若いが保守的な日本人から見ると、「何で男がそんな事をやるんだ」と考えるだろうと容易に想像できます。(それほどいまだ欧米と日本の考え方が違うという証拠でもあるのですが)
また、わが親が日本から一緒に住みに来た当初は、「なんで男のおまえが」や、「どうして旦那がそんな事まで」と言われた事もあります。
彼らのように年取った保守的な年代には、いくら口を出してはいけないと知っていても、思わず口から出てしまうと言ったところです。
ところが、わが一人娘は、彼女の同級生や友人たちの家庭と比較しますから、僕が「女房の尻に敷かれているタイプ」とか、また「父親がそんな事まで」とは絶対に思っていません。
むしろ、他のオーストラリアの亭主(父親)と比べて、僕はもっぱら厳しい日本人的なオヤジだと思っているようです。
それほど日本と欧米の違いがあることなのです。 例えば僕の年代の亭主で、夜ゴミを道に出すというのすら、男の威信に関わると思ってやらないというのは多いと思います。
たとえ旦那がゴミを出しても良いと思っていても、奥さんが世間体を気にしてさせないと言う場合もあるようです。
あまりにも「浦島太郎」な僕は、その「奥さんがやらせない」と言うのも理由の一つだと知った時はあいた口がふさがらない感じがしました。
何で男がやってはいけないんですか。 ゴミによっては重いし、だいたい男が出そうが女が出そうが手があいている人がやれば良い、これが常識ではないようです、日本では。
ですからそういう日本の常識を世界の常識とかたくなに信じている人がオーストラリアのそれもアングロサクソン系の女性と一緒になった場合はかなり方向変換しない限りきついと想像できます。
僕の場合偶然料理が趣味でしたから状況は違いますが、もし男は料理などやらない、台所にも入らない、食後も皿洗うの手伝ったりは間違ってもしない、お茶くらいでもいちいち女房に「おーいお茶」とやっている人は僕の年代では多いんですよね。
そういう人が国際結婚したい(そんな人はいないと思うが)というなら、同じオーストラリア人でも、4月17日の日記に書いた、子供の時にクリ○○スを割礼で取ってしまうような民族系出身のオーストラリア人と一緒になったら、箸の上げ下げもやらせない思います。
僕にとっては同等の人間同士がお互い影響しあって、お互い学びあってこそ結婚(僕の場合同棲でもいいのですが)の意味があると思っていますので、そういう意味でも触発力の強力な異国間の人間の結びつきというのに大いに魅力を感じるところです。
そうは言っても同じ人間同士です、最初に書いたように今は国際結婚と言われて、そうかうちも国際結婚だったなと思うほど普通なんですけどね。
最終的には「HONESTY」という事がすべての困難を解決してくれると思っています。
最初は自分たちの事を書いてしまいました。 自分たちの事なので、書き出したらキリが無い(30年も一緒ですし)ので、この辺で切り上げて、今後は他のケースを書いている時に、自分のケースと比較していこうと思っています。