テニス
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僕にとって、テニスはモータースポーツに次ぐ大好きなスポーツです。
娘がジュニア時代にある程度真剣に(プロを目指して?)テニスをやっていたために、見る面白さも倍増しました。
しかし毎日毎日ボールを追いかけていた娘は、大学入学と同時に、ラケットを握ることすらやめてしまいました。
彼女にとってはテニスは楽しむスポーツではなくノルマのような存在になっていたからでしょう。
当時は親である我々も真剣でした。
それだけに試合を見ていても、娘がテニスを始める前に観戦を楽しんでいた時代とは大きく異なり、見えなかったところが見えてくるようになりました。
ロンドンにいた当時にも欠かさずウインブルドンは見ていました。
当時BBC放送は、ウインブルドンテニスの放送時間を大きく取っていました。
BBC1と、BBC2の両方で、朝から夕方まで放送していたものです。
このBBCの二つ以外ITVという民放の計3局しか放送局がなかった時代に、そのうち2つが一日中放送していたのですから、テニスに興味ない人は、たまったものではありません。
好きな我々は自分の見たい試合を切り替えて見ていました。
しかし、一ファンとして見ていた時と、身内が試合に出ているのを見ている時では、見方がずいぶん変わってくるものです。
娘が止めてしまった今でも、テニス観戦をしていると、ロンドンにいた当時の10倍は楽しめていると感じています。
確か「プロ野球を10倍楽しむ方法」という本が昔日本にありましたが、そういう感じでしょうか。
ということで、毎年女房とメルボルンまで全豪に行くのは欠かせない 行事になっています。
幸いメルボルンには、女房の姉さんが住んでいますので、そこに厄介になり、入場料もとても安いので、安上がりなホリデーになります。
メルボルンへは車を運転して行きます。 このHPの中にある写真館にある
「12 APOSTLES」も今年の全豪に行った時に撮影したものです。
と、前置きが長くなりましたが娘と同期の選手のことなども含めてオーストラリアのテニス事情や、テニス観戦記などをここでは書いていきたいと思っています。
また、日本からテニス留学をされている方も増えているようです。
そのような方面での問い合わせにも出来る限り答えたいと思っていす。
2001年9月11日
USオープンで、Lleyton Hewitt が優勝。 今日の日記はもうこれしかないです。 でも、日本では最近テニス人気が無いから興味ない人多いな。
次々と見つかる小学校時代の同窓生の中で、テニスに造詣が深く、いまだ現役でプレーされてる同窓生に、数日前にオーストラリアの若きプレーヤーレイトン・ヒューイットの事、書いたばかり。
僕が最初にレイトン・ヒューイットのプレーを見たのは5年前、彼が16歳になる直前でした。
我が娘もテニスをやってトーナメントに出ていたので、我が家には他の州からのジュニアの選手が、シドニーのあるニューサウスウエールズ州のトーナメントに出場するため寄宿していました。
14歳以下の国対抗の世界大会(当時は日本で開かれた)に出場した選手も、うちに寄宿していたので、その時の選手もシドニーに来ると我が家に泊まっていました。
名前を「MATHEW PORTER」 といいます。
その年も全オーストラリア・ジュニアー大会の18歳以下に出場するために、彼はうちに寄宿していました。 エッジクリフ駅から近いホワイトシティーテニス場が試合会場で、うちから近いので、僕が毎日送って行ってました。
MATHEW はその時、全オーストラリアで、シード2位、彼のダブルスのパートナーである JAMON がシード1位でした。
二人は順当に勝ち進み、準決勝まで進んだ時には、その準決勝の試合の事よりも、(当然その日は勝つもりだったので)次の日の決勝で、JAMONにどう勝つかを真剣に考えていたのです。
それほどその日の準決勝の相手、Lleyton Hewitt には誰も注目していませんでした。 僕もMATHEW が簡単に勝つものと、試合始まると、早々に彼を残して帰ったのです。
試合後に彼を迎えに行くと、ものすごく落ち込んでるMATHEW が会場の門のところで、ぽつんと僕を待っていました。
なんと負けてしまったと言うのです。 その晩彼は晩飯ものどを通らなかったです。
何しろ、無名のそれも年が16歳前、つまり18歳以下のトーナメントに出てるMATHEW達より2歳も若いのに負けてしまったからです。
彼の落ち込み方はひどいものでした。 それで翌日の決勝、僕はそのLleytonを見に行きました。 相手はそのJAMON(シード1位)です。
なんとそのJAMONもストレートで負けてしまったのです。
いやもう、本当にビックリ、このLleyton。 体は小さいし、ショットもそんなにパワフルではないし、正確に玉を返してくるといういうタイプ。
さすがにMATHEWも彼のダブルスパートナーJAMONまでが負けたので、少しはショックはやわらいだとは思いますが、当時僕の周りは驚きを隠せませんでした。
それからたった2年後のアデレイドでそのLleyton(レイトン)、ワイルドカードで出場し、アガシを破ってプロのトーナメント(全豪ハードコート選手権、アデレイドで)優勝してしまいます。 まだ17歳になったばかりの時です。
その当時アガシは、ブルック・シールズという女優と一緒で、いかにスポーツ選手が、芸能人と一緒になって、夜遅くまでパーティーに出たりしてるとダメになるかを演じてる頃です。
その後アガシは復活して、男子NO1を今も続けていますが、当時はちょっとサボっただけで、ランクはどんどん落ち、なんとチャレンジャーやサテライトに出るほどに落ちていきます。
チャレンジャーや、サテライトというのは、若手の登竜門的なトーナメントで、歌手で言ったら地方のノド自慢大会みたいなレベルです。
それほどプロの世界は厳しいもので、普段の節制を怠ったら、すぐに結果に響く。
オーストラリア男子No2のフィリプーシスというプレーヤーが、まだ二十歳前にメキメキと頭角をあらわし、アメリカのイワン・レンドルのところに預けられた時の話し。 レンドルは彼を見て将来のNo1の器と、自宅においてコーチしてた。
練習の後にフィリプーシスが汗をかいて、のどが渇いたので、コーラを飲んでいるのを見たレンドル、烈火のごとく怒ったそうです。 「そういうものを飲むようなら、ここにいなくていい。 自分がプロになろうという自覚がまるで無い。」と。
まるでタバコを吸ってるのを見付かったのごとく。
炭酸飲料、はたまたコーラ=カフェイン、と真剣にプロとして勝ち残っていこうと思ったら、コーラを飲むことでさえ、失格という世界なのです。
さて、昨日USオープンの決勝で、あのサンプラス相手にコートに立ったLleyton を見ると、当時のMATHEW やJAMON どういう気持ちでこのシーン見てるだろうと感慨もひとしおでした。
試合は7-6 、6-1、6-1 とボロ負けしたサンプラスの顔と、あの時のMathewの顔がオーバーラップしました。
何しろLleytonまだ二十歳、生まれて初めてのグランドスラム決勝進出なのに、サンプラス相手に、全く縮むどころか、サンプラスが逆にナーバスになっていました。(これがLleytonの強さの秘密なんですが、これについては別の機会に書きます)
Lleytonおめでとう!
追記。
そのMATHEWは全米大学リーグのダブルスでチャンピオンになったという便りをもらいました。(学生ですからプロではありません)
JAMONはプロになって、アガシも出ていたサテライトやチャレンジャー出場のために世界を回っています。
2002年1月26日
本日土曜日に行われた全豪テニス選手権の女子決勝で、ジェニファー・カプリアティーがマルティナ・ヒンギスを破って優勝しました。
4度ものマッチポイントに追い込まれながら、素晴らしいカムバックでの優勝でした。
本日のメルボルンは気温が34度を越え、コート上は多分50度近くになっていたと思います。
試合は第三セットまでもつれ込み、結局暑さで足の動かなくなったヒンギスが優勝を落としてしまいました。
今日のカプリアティの優勝を見ていると、彼女のテニス人生を象徴していると感じました。
彼女はジュニアの時から大いに活躍をしていたのですが、あまりにも若い時からテニス一筋に生きている選手にたまに見られる「バーン・アウト(焼き付き症候群かな?)」で、一時期テニスから完全に離れてしまいます。
ツアーにも顔を見せなくなっていたら、麻薬(多分マリファナなどのソフトドラッグだと思いますが)で捕まったニュースまで飛び込んで来て、彼女の
テニス人生は終わったと、多くの人が考えていました。
「バーンアウト」には彼女の両親の彼女に対する期待が大きすぎ面もありました。 つまりプッシュしすぎるのです。
その結果、両親は別居し、父親はテニスコート出入り禁止(彼女に暴力を振るうというような理由で)の裁判所命令まで出る始末。
すっかり彼女の名前がランキングから消えてしまっていたのですが、数年前のシドニーで行われる、全豪の前哨戦アディダス・インターナショナル選手権で見かけ、真剣に復活を目指しているのを知りました。
しかしプロの世界は、一時期テニスから離れてしまった選手が簡単に復活できるほど甘くないもので、ホワイトシティーで行われていた試合(それもメイン・スタジアムのコートではなく、外のガーデンコートのような小さなところで)を見に行きましたが、観客はせいぜい二十〜三十人という、なんとも寂しいシーンをいまだに覚えています。
ファンと言うのは非情なもので、一旦ランキングから落ちると、応援にも来ないし、だいたいガーデン・コートまで彼女が試合をするために母親と歩いていても、誰もサインさえもらいに来ないという情景が今でも目に浮かびます。
試合にしても、頑張っても頑張っても1〜2回戦くらいしか勝てない状況が続いていました。
しかし彼女よっぽど頑張ったのでしょう、だんだんとランキングを上げ始め、ついに昨年の全豪で優勝してしまいます。
しかし僕は昨年の優勝はある程度運が味方したしていたと思ったのですが、今年の王座もキープした事で完全に彼女の復活を認めざるを得ません。
一旦は一家離散(ちょっとオーバーかな)にもなっていた父親とも仲が戻り、最前席で一生懸命に応援する彼女の父親(夫婦で)を見ていると、何かドラマが完結したように見えました。
本日の試合にしても、第一セットを落とし、第二セットも4-0にまで追い込まれ、何度もマッチポイントまで握られたのに、必死に挽回し第二セットをタイブレークで取り、99%ヒンギスのものだった試合をひっくり返しての優勝でした。
カプリアティ、本当におめでとう。 「A Great Comeback Kid !!!」
と、書くと皆さんは僕がカプリアティのファンだと思われるかもしれませんが、実は負けたヒンギスの大ファンなんです。
ですから、がっかりもしていて非常に複雑な気持ちです。
2003年6月9日
テニスの全仏が幕を閉じました。
まずは「杉山 愛選手」女子ダブルス優勝おめでとうございます。
全仏では確か数年前に混合ダブルスで平木リカ選手が優勝をした事があり、割と日本人が活躍する大会ですな。
日本選手が4大大会の「シングルス」で優勝できる日が来るのはいつの事か心待ちにしております。 日本のテニス人口を考えたら将来も不可能なのかもしれませんが。
今回のシングルス(男子女子とも)優勝者を見たら、体力的にはちっとも日本人より勝っていませんから、可能性が無いわけではないと思うのですが。
それにしてもグランドスラムの大会というのは特別なもので、今回もプレッシャーに負けたほうが試合を落とし栄冠を手に出来なかった。
このような事はしばしば起こるのですが、今回もまた女子も男子の決勝も試合的には非常に面白くない一方的な結果に終わってしまいました。
まずは女子の決勝、両選手とも初めてのグランドスラムタイトル獲得に向けて闘ったのですが、キム・クライスターがこれほど崩れるとは僕にも予測できなかった。
逆に優勝したジュスティン・ヘニン・ハーデン(ユスティン・エニン・アーデン)はそのプレッシャーを彼女が子供の時(14歳)に亡くなった、母に捧げるつもりで闘ったと言っているように、見事に克服しました。
1982年生まれの彼女は1992年、彼女が10歳の時にその亡くなった母に連れられて、全仏の決勝、シュティフィー・グラフ対モニカ・セレシュの試合を見に来たのだそうです。
そしてその時、自分がいつかこのコートで決勝の試合に立ちたいと思ったそうです。
それからたった4年後に母は他界してしまい、また彼女は父とうまく行かなかったために、その後ずっと一人で生きてきたようです。
今回の優勝にはその「母へ捧げる」ために優勝するという気持ちと、また昨年結婚してプライベートでの生活が明るくなったというのも大いに関係しているとか。
彼女はテニス選手としてデビュー後も、非常に暗く淋しい印象が強かったのです。
ちなみに今回優勝してもその父とは「会うことも無いだろう、また口を利く事も考えていない」との事です。
何が有ったのかはよくわかりませんが。
さて、男子決勝も女子と同じようにオランダのマーティン・バーカークがプレッシャーに負けてしまいました。
非常に残念です。 しかし考えてみると彼のようなタイプのプレーヤーが決勝まで残れたのが上出来ともいえます。
非常に素質の有る選手ですが、彼はウインブルドンのようなコートの方が活躍できるのではないかと。
このバーカーク選手、トーナメント開始前は全く注目を浴びていなかったのですが、あるファンが「彼が優勝する」に150ドル賭けたそうです。
ヨーロッパでは何でも賭けの対象になっていますから、当然全仏も。
その時のオッズが150倍だったので、優勝したら22500ドルと新聞に出ていましたが、随分悔しかったでしょうな。
優勝したスペインのファン・カルロス・フェレーロ、彼は今年の初めから全仏で優勝という目標を掲げていたように、決勝まで残っただけで舞い上がってしまうような事は有りませんでした。
この辺の差が大きく出たと思います。
二週間に渡る長く熱い戦いは幕を閉じ、いよいよ次はウインブルドンですな。
2004年7月5日
随分長いことテニスの試合は見ているけれど、今年のウインブルドン女子決勝の結果は全く予想だにしなかったですな。
セレーナ・ウイリアムスが決勝に残るだろうとは予想したけれど、まさか17歳のロシアの新鋭「マリア・シャラポワ」が新女王に輝くなんて。
準々決勝での杉山愛との試合を見ていた僕は、たとえ決勝まで残ったとしても、萎縮してしまって試合にならないと思っていた。
いや、その前の準決勝でダベンポートに勝てるとさえ思っていなかった。
僕は彼女の試合については詳しくなかったので、彼女が非常に「スロー・スターター」なタイプであるというのを知らず(ニック・ボラテリの話)かなりナーバスになるタイプだと思っていたからです。
そんなわけで、時差の関係で夜中に始まる女子決勝も、どうせガッカリする結果になっているだろうからと、予約録画して寝てしまった。
翌朝(日曜日)朝食を取りながら見始めて、最初のセットを6−1で取った時には、まさに狐につままれた感じでした。
第2セットになってもブレークポイントをしぶとく粘ってしのぎ、結局6−4のストレートセットで3大会連続優勝を狙っていたセレーナを下してしまったわけですが、いや〜本当に驚きました。
何しろパワーテニスのウイリアムス相手に「がっぷり四つ」というか、思いっきり打ち合って勝ってしまった。
新しいスーパーヒロインの誕生ですな。
もう引退してしまったマルティナ・ヒンギスが、この弱冠17歳のチャンピオンを「タフ・アズ・スネーク(蛇のように冷静でタフであると言う意味)」と形容しているらしいが、第2セット5−4で迎えたサーブで、この試合二つ目のエースを決めるなんぞ、もう「女王の貫禄」ってのさえ感じさせるほど。いよいよロシアン・シスターズの時代の幕開けです。
この「ロシアンシ・スターズ」というのは、マルティナ・ヒンギスの後アメリカのウイリアム・シスターズの全盛期が来て、それに立ちはだかったのが、ジャスティン・ヘネン・アーディンとキム・クライスターのベルギーシスターズ、そして全仏で優勝したミスキーナ(決勝相手もロシアのデメンティワ)と今回のシャラポーワ、ロシアン・シスターズの台頭です。
この2004年ウインブルドン女王に輝いたシャラポーワは容姿の点でも、ロシアのピンナップ選手としてテニスに関心のない方にも有名だったクルニコーワのポジションも手に入れたようです。
彼女のポスターはウインブルドン週間真只中のロンドンに氾濫しているらしい。
しかし彼女は「自分はネクスト・クルニコーワではなくファースト・マリア・シャラポーワだ」と言ってるらしいが、この度胸良いですね〜。
彼女の幼少時代の貧困についてはかなり語られているようです。
彼女の才能を信じた両親は、アメリカにテニス留学させるため、家財道具を処分し、彼女の母親はロシアに残り、父親と二人でアメリカに渡り、経済的に非常に苦労したらしい。
つまり彼女のために両親は別居を始めたわけで、単身赴任なんてのは珍しくない日本人はべつに驚かないでしょうが、西欧人達にとっては「語り草」になりつつあるようです。
自分の子供を将来プロにしたいと考え、経済的援助を惜しまない親は沢山いるけれど、プロになって大きな賞金を稼ぐようになるなんて、宝くじに当たるような物。
特に国民所得が低いロシア人が娘を連れてアメリカ(ニック・ボラテリ・キャンプ)にテニス留学なんて、大変な決断が必要なわけです。
優勝が決まった瞬間、彼女の父は天に向かって拝むように喜びを表していましたが、いやホントに僕も感激しました。
出世物語じゃないが、やはり貧乏物語は、心に響きますな。
試合後のインタビューで、「試合を見守るお父さんがとてもナーバスに見えましたけど」と聞かれて、彼女「テニスの試合は、観戦する方がよっぽどタフですから。 プレーする方がよっぽど楽よ」なんて、思いっきりプレッシャーのかかるはずのグランドスラムの決勝試合をものにした直後に「さらっと」言ってのけるなんて、う〜ん彼女これからも勝ち続けるでしょうな。
マリア!おめでとう!